永井均

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174考える名無しさん
『<子ども>のための哲学』のような議論を見てると、<ぼく>でありえた範囲は
いったいどこからどこまでなのか、ということがどうしても気になってしまう。
<ぼく>が他の人間でありえたのはいいとしても、生まれて数日で死んでしまう赤
ん坊でもありえたのか? さらに、石ころやロボットではなぜだめなのか?
しかし、これは永井には「あまり重要な問題だとは思えない。よくよく考えてみた
いという気が湧いてこないのだ」そうだ。しかし、永井にとって重要ではなくても、
どのように考えてるかきいてみたい気がする。

こういう事を考えていて、最近は、<ぼく>が(固有名などを使って指示される)
ぼくでない人間である、という想定は実は無意味なのではないか、と思えてきた。
人にできることは「○○が<ぼく>である」と「言う」ことだけなのではないのか。