時間論

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794考える名無しさん
見鸞はドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルに「神だ!」とまで言わせたほどの弓の達人だった。
ある冬の寒い日に、門人達は外で弓を引いていたとき、門人の一人があんまり寒いからと、
動作を一つ省略して弓を引いたそうです。そしたらそこから五メートルほど離れた家の中で、
まだ雨戸も立て障子も閉めて寝ていた見鸞に、「何という様だ!」と怒鳴られたそうです。
つまり、その省略したことが瞬間にわかったそうです。

見鸞の弓の腕前がどれほど凄まじかったかというと、
50mという長距離に9cmの小さな的という超難の状況下で、
「もし一本でも外せば、その場で弓を捨てる」と宣言し、
静かに弓を引き、すべての矢が的の真ん中に命中。
「もう人間業ではない」と見ていた人が感嘆すると、
「もちろん」と当然の如く返事をしたそうです。

目は的の方に向けられているけれど、狙いをつけるために見ているわけではなく、
心の中で「ここだ!」と感じたところで矢を放つのだそうです。
見鸞は「当たってから矢を放つわけだから
(「ここだ!」という時点でもう当たっているわけだから)外れるわけがない」と言い、
その後も外すことはなかったそうです。まさに弓身一如。
観測するものと観測されるものとの距離に比例して時間性が増し、
それが一体となったときに、はじめて時間性が消え、自然が本当の姿を現し、
決定的な今として見えてくるそうです。
人は時間性を感じる限り、誤謬や錯覚から逃れられないそうです。