時間論

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ところで、時間は、ある認識を形成している段階で認識されるというより、
むしろ、ある認識を形成後、その認識が「変化」しつづけていることを、
「記憶」をもとに「構成」でき「た」(人がいた)、そして、それを伝える手段を
私たちが共有した(言語、安定した変化を示してくれる、時計)ことから
認識できている観念だと、とりあえず、私は考えてます。