コジェーブ

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38考える名無し
だって、フクヤマが『歴史の終わり』で言ってることは、
けっきょく、「『上部構造としての議会制民主主義・下部構造としての高度資本主義』、
これが、歴史の弁証法的発展段階の最終形だ」ってことでしょ?
それだけだって、言ってもいい。
だったら、つぎの歴史段階を提出できないかぎり、本質的な意味で歴史終焉論を批判したことにはならないんじゃないかな?

弁証法的な発想に立てば、「いま無いものは、過去にも未来にも存在しない」から、
世界中のどこを見渡しても、リベラル民主主義に対抗できるイデオロギーは存在しない以上、
もう永遠につぎの歴史段階はやってこないって言ってもいいんじゃないのかな?