人間の価値は何で決まるのか

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67二酉 ◆GJWEv1no
>>66
それを「アニメ」に求める時点で、あなた自身に現実を直視する姿勢が欠けてるんじゃないの。
現実を直視したかったら、ドキュメンタリーを見るか、それこそ、
パソコンやテレビの電源を切って外に出たら?

直接現実を見ただけではなかなか考えないことを、
考えさせるところにフィクションの真髄がある。
そして、示すところの問題が、本当に時代の先端をいっているものならば、
おそらく、作っている人間は問題を明確に捉えているわけではない。
そこにあるのは「思わく」あるいは、その魁となる予感のようなものだけだ。

論理的な思考で捉えられる問題であるならば,そもそもフィクションという
手段に訴える必要は無いからだ。

その意味で、フィクションは常に思想に先行しているが、
製作者の思想は、思想の専門家(哲学者など)に先行することは無いのだ。

だから、フィクションから、「製作者の思想」を汲み取ろうとするのは、
愚かな行為だ。
その行為者が専門の哲学者であるならなおさらだ。
思想が汲み取れないから作品として評価できないという考え方も、
同様に愚かであるといえる。