人間の価値は何で決まるのか

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113考える名無しさん
>>109
「地下生活者の手記」みたいだ・・・
あなたが軽蔑してるのは所謂「頭の中空っぽにして猛牛のように突進して
壁に体当たりするような人間」ですね?一方で俺はよく考える人間だから、
そんな阿呆な真似はしないっていう優越感を持ってる訳だ。
でもね、本当は猛牛>考える人間ですよ。
もっと言うなら、一番良いのは猛牛であることを「自覚」して、壁に
突進することです。つまり主体的な力の行使を行う。
人間には肉体が付与されています。そして何故手があるかと言えば、
それは動かすためにです。何故足があるかと言えば、それを使ってどこかへ
行くためです。つまり「行」「動」するために肉体はある。行動とは
すなわち力の行使だ。
もし人間が手も足も動かさずにじっと寝っ転がってるしたら、じっと寝っ転がってる
死体と変わらない。生きた人間は自分が「生きてる」ことを主張する。主張し続ける
ことがすなわち「生きる」こと。
人間は自分の生を主張し、行動して、現実の領域を征服していく。その征服領域の広さが、
その人間の生きた価値の大きさとなる。その様な上昇志向を実社会で端的に表現してる
指標があるとすれば、それは「金、地位、名誉」だ。
不治の病で病室に閉じ込められてる人間については、その様なものに辿り着く可能性は低い。
シビアかも知れないが、そういう人と英雄的人物とがまったく価値が同じだと言うのは
やはり感傷だ。
弱者がそういう理不尽な運命にどう対処するかは、「価値」とはまた全く別種の
悲劇的問題だと思います。「神」とか「運命」とかという言葉に御登場願うことに
なるでしょう。ドストエフスキーの小説のように。