中国哲学は「哲学」の名に値するのか?

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288にいなな
 ・「全く関係がない」とは思いません。「全く政治思想の責任である」と思わないのと同様。
  一国の興廃は、様々な要因が関係すると思いますし、その中には「政治思想」という要因も
  含まれるかも知れない。しかし、何の論証もなく、他の要因を無視して、「中国は滅びた。
  その理由は、政治思想が劣っていたことに100%帰す」とは言えません。
 ・スミスが続いたのは本当としても、では何故、ケインズが新たに必要とされたのでしょう?
  もしくは、あなたはスミスは必要なかったと考えるのか?
  (この場合、スミスは、儒教と同様に「毒であり詐欺であった」のでしょうか?)
 ・機種依存文字は使わないで下さい。

舌足らずですみませんが、詳細は後ほど。


>>281
 > しかし、やがて、アリストテレスの権威を全否定していったですよね。
 > 儒家は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?
そうですね。西洋思想は、最終的にアリストテレスを克服したように見えます。
でも、その先にあったものは、既にアリストテレスの思想ではなく、またそれを含む
ギリシャ思想でもありませんでした。

もしも儒家が孔孟を全否定したら、それはもはや「儒家」ではありません。
「儒家は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?」と聞くのは、
「スコラ学は、聖書の権威を否定できたでしょうか?」に似た質問です。
「中国は、孔孟の権威を否定できたでしょうか?」のほうがフェアでしょう。

あと、
>>265の後半についてのジャコバイトさんの見解をお示し願えれば幸いです。
 > フランスが生き残ったのは、負けても国民国家という単位で国民がまとまってたからでしょ。
というなら、中国も、モンゴルに負けても儒教国家として復興しました。

グールドが言っていることですが、「一般に、恐竜は愚鈍だった思われている。
愚鈍だから滅亡したと。しかし、滅亡する以前、彼らは一億年以上も繁栄していた。
恐竜を愚鈍だと笑う我々人類は、あと一億年も栄え続けることができるだろうか。
一億年も繁栄を続けた恐竜が愚鈍であったとは信じられない。」
(記憶に頼っているので正確ではないと思います。多分こんな感じだったと……)

なんといっても、二千年の実績には「重み」があると、私は思います。

では例によって、書き逃げ失礼。