中国哲学は「哲学」の名に値するのか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
265にいななさん
私の

 > 下記の命題について、あなたのお考えを聞かせていただきたい。
 > (1)ある国が、対外的に独立を維持したり、国民を幸福にしていると、
 >  その国の「政治思想」が優れているということが、
 >  「それだけで直ちに」言える。
 > (2)ある「政治思想」が優れている場合、その政治思想の根底にある
 >  (とされる)倫理・思想・哲学が優れていると、「それだけで直ちに」言える。
 > (3)ある国が、独立を維持できなかったり、国民を不幸にした場合、
 >  その国が採用している「政治思想」がダメであることが
 >  「それだけで、直ちに」言える。

という質問(>>218)に対し、ジャコバイトさんから

 > 1、はその国がその思想を採用していれば、言える。
 > 2、も言えると思う。
 > 3は、まぁどれくらいの時間ではかるかは問題だけど、確実に言えると思う。

と答えていただきました。(>>219)

ジャコバイトさんの立場に対する私の見解は、>>264さんのそれと(不本意ながら)一致します。
ジャコバイトさんの立場から見ると、フランス三色旗の思想よりも、ナチズムのほうが、
思想的に優れていることになります。

あと誰かが言ってたように、チベット仏教よりも毛沢東主義のほうが優れているということにも。


さて、上記とは切り離して考えるべきですが、


ジャコバイトさんの論法(思想を価値付ける基準)とは別に、
(1)、中国が専制政治しか構想しえず、ろくな制度論を構想できなかった。
(2)、それは儒教に原因がある。(>>254)
ということも考えないといけません。

啓蒙専制君主の思想、いわば「 all for the people , nothing by the people . 」というのは
儒教における「善政」の基本ですが、そこには確かに、国民全てが政治に参加するための
制度論、という発想はありません。
せいぜい、いわゆる読書人階級をどうやって官僚に登用するか、という制度論と、
あとは税金をどうやって集めるかとか、軍隊をどう監察するかという制度論くらいです。

皇帝が読書人を試験して官僚にする、というのは、ある意味、民意を政権に取り込む「制度」です。
今の内閣が「有識者の委員会」とやらに諮問して政策を決定するのと、どっちが民主的で、
どっちが「制度論」として優れているでしょうか。

で、このような「制度論を構想できなかった」「専制政治」でもって、中国は二千年続きました。
ジャコバイトさんの言い方だと、独立を保って国民を守った。
そりゃ何度も「亡国」はありましたが、新しい政権は、なぜかまた儒教による専制を採用した。
「負けたあとも、秩序が存続したこと、つまり儒教国家が成立していて持続していたことを」
どのように評価すればよろしいでしょうか?

何十年か前に加地伸行氏が提示した初歩的な疑問ですが、「もし儒教がそれほど悪いものなら、
なぜ二千年以上も中国は儒教を放棄しなかったのか」。