何故、人を殺してはいけないのか?

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100考える名無しさん
>>81
>いちご姫
くると思ってましたよ。その批判。

とりあえずマッキーから引用


サールの示唆するところによれば、
「べきである」を「である」から導くことを不可能だと思わせた、記述と評価の間の裂け目、鋭い区別は、
ある独特な種類の事実を認識すれば橋渡しされるのである。
すなわちナマの事実(brute facts)ではないが、制度的事実(institutional facts)を認識すれば橋渡しされる。
人が引き受け、それに応じて一定の義務を負うということは、ナマの事実にはなくとも、制度的な事実にはありうる。
しかし、この説明は2つの違った言い方を混ぜこぜにしている。
われわれは、まるで外側から見るようにしてひとつの制度を記述することができる。
約束というような制度もしくは社会的慣行もあるし、チェスをするという慣習のようなものもある。
そして制度には、それに参加する人々への一定の要求がその一部として含まれる。
チェスが特定の種類の駒はこびを要求するのと同じように、
約束するという制度は、約束が守られることを要求する。
制度やその要求を外側から記述する代わりに、制度の内側から語ることもできる。
単純に、「君はそのルークを動かしてはいけない(チェックがかかっている君のキングをそのままにすることになるから)」とか
「ジョーンズはスミスに5ドル払うべきである。(彼はそうすると約束したのだから)」
と言うことができる。

(『倫理学』 加藤尚武藍訳 哲書房 92項ー93項)