35 :
24です:
>25
>24って、終幕宣言なの?
そんなつもりはなくて、ただ、早めにお礼をと思って。
>時間は物が変化したり、運動したりするときに、
>ある、と感じるのではないか。
揚げ足を取るつもりは全くないのですが、でもよく
反省してみると、それらの変化や運動を見届けた後、
つまりその変化や運動の「最中に」ではなく、むしろ
「事後に」、時間は感じられるような気がします。
つまり「思い出として」の時間こそ、最も、私たちが
このスレッドで時間と呼んでいるもの(これは多分
ベルクソン流に言えば「持続」なのでしょうね)に
近いような気がします。
>物から独立し、物を受け入れようと待機して
>いる「時間」などというものは、果たしてあるのだろうか。
>つまり、時間は物の変化に寄り添っているのではないか。
時間のじかな認識あるいは経験についての議論と、
時間の実在についての議論とを、最初から明確に
分けておけばよかったかな、と反省していますが、
25さんからの最初の引用は前者の議論に、また
2番目の引用は後者の議論になりますよね?
物から独立した時間、つまりある意味「空虚な時間」に
関しては、私は、実在し得ないと思います。
>23
>時間軸はあるよ
時間軸とは、過去から現在を貫いて未来へと進む
ある種の(隠喩的な)方向との理解でよいですか?
もしそうだとすると、その「時間軸」の実在は、
どのように立証されるのですか?