運命とは?

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>>47
なんか面白くなってきましたね。
あなたが>>40で書いた事と重複するのですが、「観測できない
モノは存在しない。」と言い切ってしまって良いと思います。
この点から言えば、「素粒子の運動は確率的」として良いので
すが、哲学的には「素粒子の運動は決定的」であることが反証
されない限り否定されるべきでは無いと考えます。科学の世界
では便宜上「確率的」に考えているだけですので、哲学の世界
が追従する理由は無いはずです。

私は哲学の分野での「ラプラスの魔」ってどんな風に扱われて
いるのかを知らないので、単純に語り合えないようですね。
「ラプラスの魔」を否定する要素は色々あるのですが、その否
定の仕方が哲学的に有効かどうか、私には判断できないのです。
例えば先に挙げたように、現在の状況の観測自体が観測対象に
影響を与えるだとか、データを集めることが相対性理論から光
速を超えられないために無理であると言ったことです。
しかしながらこれらの否定方法は我々の存在する宇宙の法則に
縛られたもので、はたして哲学的には有効な方法なのでしょう
か?