運命とは?

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さらに観察という事象に対して大きな問題を与えたのが量子力学の発展だ。
人間の観察は観察する対象に光があたり、それが反射して人間の目に入ることにより成立する。
しかしある種の微粒子は観察のための光を当てることでその運動に変化が生じるというものであった。
つまり客観的な観察の限界の登場だ。
ハイゼンベルグは不確定性定理として、粒子に光が当たった後の動きから制限される(予測されるであろう範囲)の微粒子の動きを
その方式の中に表すという試みを行った。
これは事象を説明するに当たり、その説明の中に観察者自身が含まれるというものだ。

また、これにより因果律に対しての観察の限界にどう対応するかという問題が生じた。
この点がこのスレの運命論と被るのだが。

結局は我々は観察する対象に不可知な存在であるとするのか。
それとも確率的な世界を構築することでさらなる探求を続けるか。
現在では多世界解釈という確率的な世界観が主流だが
その判断については触れないでとりあえず問題点の提起にとどめておきたい。