>重要なことだが、近代以前に「眼鏡をかけた少女」は存在しないのだ
こうしたきわめて近視眼的で裏付けを欠いた議論が行われるとは嘆かわしい限りです。
だれでも小学校で習う通り、縄文時代の土偶は豊饒のシンボルとして女性を描いた
ものですが、そのかなりの部分が遮光器を着用していることは周知の事実であり
ます。
そして遮光器とは、まさに古代における眼鏡にほかならないわけです!
わざわざ土偶に遮光眼鏡をかけさせるということは、つまりそれもまた豊饒性、
すなわちセクシャルな喚起力の一部として認識されていたことに他ならないのであり、
したがって眼鏡っ娘萌えは、我が国においては少なくとも縄文期にさかのぼる古い
歴史をもった、で・おきし・りぼ核酸にまでしみついた民族的な始源的記憶とさえ言える
ことは、もはや論を待たないといえましょう。
……しかし酒井若菜にそれがあるとは思えないのだ(最近のビールのポスターでは
特に)