フーコー派とラカン派の対立

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6禿(-h)
フーコー派とラカン派の対立は日本では顕在化しにくいでしょう。
しいて言うならば、カルスタ対NAM、経験論対超越論の対立軸で
捉えられるかもしれないけど、カルスタもNAMも双方がお互いに
無関心を装ってるからね。

あ、最近思ったんだけど、カルスタが依拠するのが後期フーコーの権
力概念なら、たとえば最近東君がよく使うフーコーって『言葉と物』
あたり、せいぜい『知の考古学』あたりまでの前期のものが多い。こ
れは結構面白いかもしれない。4さんも言っているように、権力を社
会関係の網目的な拡散性として捉える後期フーコー概念は、権力の中
心化作用を捉え切れない部分があって、それに無条件に依拠している
日本のカルスタ理論つーのは中心的な権力を措定できないがゆえに
戦うべき外部を措定できず、結局は現状肯定の理論しか生み出せない
不健康さを持っているからね。どこが左翼なんだよって感じだよ全く。