竹田青嗣を語る2

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545死刑囚。
>>543
>自我への欲望なしには人は生きられないんじゃないかと思うんですが。

意外にそうでもないのよ。
ま、オレ的には現象学の理屈を追求したいだけなんだけどネ。

竹田現象学では「主観─客観」の非対象性をいい、「客観」という概念を
主観内部で確信成立する「像」という風に変えたわけだよね。
つまりその客観像(ノエマあるいは超越)は絶対的なものではなく、常に
変容する可能性があるわけ。

で、「自己」を主観と明確に区別し、それが間主観的に生成されるノエマ
に過ぎないと考えるなら、いわゆるアイデンティティーの確立とか
「自我の安定」とかいうものは原理的にありえないことがわかる。
成立不可能だと。「自己」を先験的に存在しているものとみなすのは、
客観を前提にした自然的態度だし、あくまで成立させようと頑張るのは、
現象学的に背理です。

もちろん自己像は主観内部で確信されて、ノエマとして存在している
けれど、それは絶対的なものではないし、なにより恣意的なものじゃない。

そういえば、岸田秀も唯幻論で「自我の安定」などありえないから
「ものぐさ」で逝こうといってるよね。同じことだと思う。チョット違うけど。