ドゥルーズ君のチャット

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64トモス
コメント:諸機械と器官なき身体を対立させている、というのは少し興味
深い構図ではある。というのは、通常は諸機械=多数性や多様性 と対立する
のは例えばアトミズムだとか要素還元主義だとか一元論だとか統一性のある
システム観だとかホリズムだとかであり、器官なき身体=未分化無定形性
ではない。また、器官なき身体と対立するのは、多くの場合、完成した
分節体系だとか完全な社会秩序だとか決定論的理論モデルだとかであって、
諸機械のような不完全性や非統一性を備えたものではない。
多様性 と 未分化性 とを対立させている、というのは考えて
みれば珍しい。なかなかいいアイディアのような気もする。
どうして珍しいかと言うと、普通多様性を強調する人(解釈モデルとして
であれ、価値観としてであれ)と未分化性を強調する人とは重なっていて、
そういう人たちが持ち出すのは”フロイトによるオイディプスの解釈
帝国主義”といった類の敵、対立項であって、多様性対未分化性という
いわば内輪の対立にまで考えを巡らせないからだ。
でもこれは単に僕が日ごろ接する理論のレベルが低い、というようなことに
起因しているのかも知れない。

疑問1:器官なき身体の表面はつるつるである、滑らかである、といった描写が
しきりに出てくるがこれは何だろうか?
疑問2:器官なき身体というと常にその表面が問題にされる。それはどうして
だろうか? 何故表面だけが分割されたり線が引かれたりするのか。

(今回はこれでおわります)