ドゥルーズ君のチャット

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26トモス
名前を変えてるのは気づいてましたよ。 >機械と少年さん

またアンチ・オイディプスのことをあれこれ考えて、冒頭の部分を読み返したので
僕もノートを提出します。 :) 前回と同じくやや踏み込んで危なっかしい解釈
をしていると思いますがもし修正すべき点などがありましたら指摘して下さい。

第一節の主要なポイントは、あれこれ概念の導入を除けば、
分裂者をどう見るかということをめぐっている。
彼らの主張によれば分裂者は家庭や社会を離れて自然と接続されているような
存在であって、それをオイディプスという家庭・社会的な枠組みで理解しよう
とすることは抑制的なこと。
更に、分裂症というのは自然との接続による生産活動の過程であり、それを
ある固定された状態として理解することは残酷な仕打ちであるという議論も
展開されている。(これが上の「抑制」とどういう関係にあるのかは僕に
はわからないな。)
で、自然と過程と生産という概念について特にあれこれ説明がされる。
自然と人間は相互生成的だし、複雑に接続し合って渾然一体となっている
諸機械だ、ということになる。そして接続とは生産活動であり、それは
何かの状態(オイディプス・コンプレックスに支配された精神の状態)
というよりも過程(次々と多様な接続を展開する過程)として見るべき
ものだ、というのが主旨のようだ。

(つづく)