「他者」について

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179ミック
まず>>156
の生茶さんのレスへの質問。
ささいなことかもしれませんが、語句説明してもらえますか。
1.「任意の」と「あらゆる」はどう異なるのでしょう。Wは「あらゆる」言語ゲームを設定し、柄谷は「任意の」言語ゲームを設定した。
それによって柄谷とWとの見解は大きくかけ離れてしまうなら、この二つの語句の差は非常にデカイと思われます。

2.「定義上言語ゲームは閉じたもの」と生茶さんが言う時の「閉じた」の意味は何でしょう。もう少し他の言葉で置き換えるか、具体例を出して説明していただきたいです。
  僕は最初「言語ゲームに関与する人間の数が有限」の意味なのかと思ったのですが、でも「言語ゲームの例に日常言語を挙げるのは不適切」というその後の生茶さんの文章を見ると、
  むしろ「言語ゲームは一回のプレイ毎に終了がある」の意味かと思い直しました。20節の「赤いリンゴを5つ買ってこい」の例で言えば、命令を受けた人が八百屋でリンゴもらって、命令した人に渡せばめでたくゲーム終了になるわけです。
  大森さんなら、「言語劇」第一幕の終了、では引き続き第二幕・・・・・・と言うところです。こっちの意味でしょうか?
180ミック:2000/11/25(土) 14:40
今度は
>>170
の生茶さんのレスへの質問。

「余談になるが、規則が無い事に対する驚きとか、規則を共有しない他者なる 存在への驚きとかは、ウィトには皆無である。」

このように断言できる理由は何でしょうか。存在の無根拠性への驚きがWの哲学の動機という論は数多く聞くように思うのですが(最近ではWとハイデギャを結びつける人も珍しくないようです)、それに真っ向から反対するこの意見の「根拠」はどこでしょう。(自分の哲学の根拠を問われていると聞いたら草葉の陰のWは・・・・いやいや考えないようにしましょう)

「神秘的なのは世界がいかにあるかではなく、世界があるということなのである」(論考6・44)
「或るものが存在する、という驚きについて考えてみよ」(学団 97p)

という言葉をどう考えますか。『論考』や『学団』といった書物と、『探究』は断絶していると考えますか?
確かにWは『探究』で「私は行為するときに根拠なんか気にしない」と放言するようになりますが、それは彼の思索の「結果」だったと僕は思っています。
やっぱり最初は世界や存在の無規則性に驚いていたんではないでしょうか。

訂正;先の書き込み。
   『探究』の20節は、「赤いリンゴ」ではなく「石版」の例でした。ま、含意は同じなのでいいでしょう。