「他者」について

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93ぱん"どら"
> 「他者」について
>常に想定されてるのかしら?
すみません、ちょっと練習します。

事実世界に他者を見出す,というのは事物との対応においてなされます。
ルネッサンス以降の歴史において人類は事実世界を因果論で解釈することを
旨としてきました。
これはすなわち、前件肯定式A、 A⊃BよりBを導出してよい、の適応にほか
なりません。そしてこの式は「いつでもどこでも、だれにでも」という普遍性を
持っていることを前提としています。
さて事実世界の他者について認識するときは、こうした前件肯定式とは異なっ
たモジュールを与えています。
このことは次の例で明らかでしょう。
たとえば貴方の行く手を何かがふさいだとしましょう。

@それが風によって木が倒れたとかの自然の偶然性によって起こったとすると
原因を確認した後、所定の手続きによりそれを取り除く作業にかかるでしょう。
Aそれが他者によって故意に妨害されたとしたら、まず非難が起こり、その理由
を問いただそうとするでしょう。其の他者のエゴが原因だとしたら怒り心頭です。

事実世界の展開において対象を前件肯定式で解釈する限り対応は同様の因果
律にしたがって行われます。
しかして他者を想定した場合は目的論が起動します。
目的論の基本命題は「Aはよい、わるい」といった価値命題によってなされます。
前者の因果論が普遍を議論領域にしているの対して目的論は主観を其の領域
します。ここには「おまえは妨害をすべきでない」という当為の価値命題が設定
されるのです。
この二つの解釈は事実世界のひとつの感覚に対して行われる二つの知覚、
アスペクトにほかなりません。
あなたはルビンの図形に酒盃をみますか?それとも他者?

う〜む、ちょっと迫力欠いたかしら・・・。オジャマー♪