「他者」について

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247金沢 創「他者の心は存在するか」P4より引用
仮に今、私の脳とある他人の脳をつないでみたとしよう。どのようにつなぐ
のか、という大問題が存在するが、この点はクリアーされたと仮定する。一
見すると、この状態で、まさに私は他人の痛みを感じることができるように
思われる。しかしよく考えてもらいたい。「他人の痛み」を私が感じた、と
いった瞬間、それはすでに「私の痛み」なのだ。その痛みの出発点がどこで
あろうと、「痛み」を感じているのはやはり私である。私は、単に、他人の
体のどこかに痛みを感じているにすぎない。
ここに、「痛み」を含めたあらゆる感覚とは、私が感じるものであり、私が
感じていないものは、感覚とは呼ぶことができないという、単純な定義の問
題が理解される。「他者」は私ではない。感覚とは私のことである。よって
「他者の感覚」つまり「他者の心」とは、概念の定義上、矛盾している言語
表現であることがわかるだろう。「他者」とは、「私」にとって、その感覚
世界を定義上感じることができない存在であるということだ。