「他者」について

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206考える名無しさん
>205
なら独我論自体が複数あれば、我は複数化されるわけだ。
人口ぶんだけ独我論があれば、複数の「我」は可能。
各個人が独我論的前提をそれぞれもてば、独我論とは矛盾せず、
複数の自我は成立するだろ?

もっともその際、独我論的前提が災いして、複数の自我の間の「交通」
は遮断されるだろう。しかし、もともと「他者」とはそういう「交通」の
不可能性を指す概念ではなかっただろうか?