「他者」について

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141生茶
>>140(OFWさん)
前言を全面的に撤回してしまいます。
今朝電車の中で考えていたことの方がよっぽど相応しいような気がするので。

>><>はその一般化を無限に拒否するという機能を持つ記号でしかない。
> どっかで聞いたような話だなぁ。永井氏ってひょっとして、…
永井氏がどうかしましたか?<私>が存在を示すのではなく、
一つの思考形式を示すものであるというのは、ウィトゲンシュタインの
著作からヒントを得たことです。たしか永井も言っていたかな?
我々は定義によって生じた思考形式と存在物とを混同しがちな気がします。
√2を例に挙げると、これは一つの数ではなく、2の平方根を求める数式だとみなすべきです。
(この辺数学を知らないので自信が無いのですが)
しかし一端√2という表記が定着すると、それは一つの数としてみなされるようになる。
哲学にはこの種の混乱があまりにも多いような気がします。

>だから、彼の哲学はかえってモノローグ的なのかな。私が語るのであり、
>私を語ることはできない。が、語ることは何らかの形で自己を表わすこと。
ある発言がモノローグかダイアローグかを決めるのは
発言者の意志によるものではなく、周囲の状況でしょうね。
その点ウィトゲンシュタインの発言がモノローグであることは無いと思います。
なぜなら彼の周囲には理解即賛成という軟弱な人物はいられなかっただろうし、
それ以前に彼の発言を理解しない人が多くて、
いちでも上手く説明する術を考えていただろうから。

ちなみにこのようなことを電車の中で考えていたわけではない