「他者」について

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114ハニバル・レクター
間主観性という現象学の概念について、かなり酷い誤解が柄谷行人
などによって蔓延しているようなので、少しだけ言わせて下さい。
間主観とは決して「われわれ」などということとは違います。
また、ある一定の文化や言語を共有している共同体ということとも
違います。
間主観とは、実はハイデガーの「世界内存在」という概念ときれいに重なって
います。柄谷氏は意図的に共同主観という言い方をしますが、
A(私)がいて、B(あなた)がいる。で、間主観とはA・B(われわれという
共同体)であるというような子供みたいなことを言っています。
その上で、間主観には「他者」は存在しない、といって批判します。

ところで間主観という概念は現象学の文脈で語られるので、当然、
現象学の基本的な考え方が分かっていないと、決して理解できませ
んし、説明するのも骨が折れますが、間主観性とは何ぞやということを
ひとことで言えば、それは、B(あなた)の「視線」が、A(私)の「視線」
の触媒となるということです。
明確に言えば、B(あなた)は「他我」という概念に置き換えられますし、
「私」と「主観(主体」)の区別をしっかりする必要があります。
言い出しっぺはフッサールなので、興味のある方は『デカルト的省察』
の第五省察を。
失礼しました。