人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?

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ウザくてごめんなさい、390の続き。
僕が仮に「絶対的幸福」と呼ぶものについての解説は
ききたい人がいたら書くことにします。(いたらの話)
で、「幸福なんて主観的に判断するしかない」についての反駁なんですが
僕が「満足」と呼んだものが、
「単なる自己満足」と354さんが呼ばれたものとは違うということが
おわかりいただけたでしょうか?

ところで「幸福=生きる目的=生きる価値」とすれば
幸福でなかった人は生きる価値がないというわけですが
「自分は幸福である」という自覚を得られなければ、
僕に言わせてもらえるなら
当人にとってその人生は価値がなかったとしても仕方ないですなあ。
でもこれは他者から見て「あの人の人生には価値がない」と
言えるということではありません。
当人以外にその人生を意味づけすることは不可能ですよね、
だから人生の目的として共通項を差し出すとしたら
「幸福」であり、「幸福」とは何かを論じるしかないわけです
で、僕は僕の幸福論を持ち出したんですが
幸福論は数多あるので、決着をつけることはできないでしょうね。
でも、哲学の問いに答えが出ないというのは
答えが数多あり、自分はどう考えるかは人に決定されるものでなく
自分が決定するものだからでしょ?
人に決定されてたらそれは信者であって、自由意志ではない。
というわけで
「こんなことフシギだなあ」
「みなさん考えましょ、僕はこう考えます」
「その考えはこうゆうとこ矛盾してませんか?」
て言い合うのが哲学するってことなんでしょ?
もし違うんだったら
誰かこのショーガクセーにわかりやすく教えて。