124 :
Rio坊:
剣豪さんて、ここの住人なのね。
ところで、V.E.フランクルの態度価値はどうでしょう?
共感を覚えることもあり、キリスト教的な絶対者の高みから見た、
突き放されかたをされるような疎外感もあるのですけれど。
『人生におけるミッションというものは、作るものではなく発見するものである。
すべての人は、人生における独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。
その点において、誰もその代わりになることはできない。したがって、すべての
人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである。
終局において、人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が
人生に問われていると解釈すべきである。
一言で言えば、すべての人は人生を問われているのだ。自分の人生の責任を
引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない。』