▲時間とは何か▼

このエントリーをはてなブックマークに追加
32考える名無しさん
 真に自らが哲学徒であると自認するならば、やはりすべてを疑うところから出発
してほしい。時間は本当に存在するのか、時間が認識の形式であるとするならば
認識の依ってたつところは何か、因果関係とは何か、因果関係とは本当に存在す
るものか、存在とは何か、実は幻ではないのか、と。
 時間は認識の形式として存在し、そして認識とは実体としては存在しない。
この世界は無数の世界の集合として存在し、存在はすべての集合世界を合わせた物。
集合世界は空集合を含み、空集合がすべての始まりであり終わりである。すべての
議論はこの集合空間の中で起こり、すべてが可能である。そして可能な空間は空集
合に連続している。
 我々の自覚する時間とは、無限の集合空間の中の一部において成り立つ局所的現
象である。
 哲学が認識、意識の世界の拡大を目指すものであるならば、時間概念の放棄こそ
が望ましい帰結である。もちろんそうでない哲学もあってよい。