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考える名無しさん:
野球をすることと、野球の知識を得ることは、
これまでの哲学することと、哲学を学ぶことと同じような対比関係にあると思う。
そこで、野球について考えてみる。
下等的には、〜をする型の知識と〜を学ぶ型の知識は完全に二つに分かれている
という主張をするが、野球をしようと思った時、例えばバッター。
バットを上手く振る知識をいろいろ教えてもらう。
しかし、そこで身につくのは野球を学ぶ型の知識であって野球をする知識ではない。
つまり、どんな助言をされたところでバットのスイングは一向に上手くならないのである。
これがバットを初めて握った人だとどうなるのであろう?
他人の助言はスイングとは無関係であるから、横からどんなに助言しようと
その人は一向にバットが振れないことになる。
これっておかしくない?