952 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:15
しつれい
953 :
考える名無しさん:01/10/06 22:16
940だが、939でも941でもないぞ。
まあ同じようなもんだから別にいいけど。
954 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:16
しつれい>939=941 ではないよ。
955 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:17
で、哲学は不必要だと?
とりあえず、批判するなら、単に「ダメだ」、「不必要だ」、
って主観を書くだけじゃなくて、議論できるような内容を書きなよ。
どう思うかは個人の自由だから、主観を表明されただけでは、
レスのつけようがない。
957 :
考える名無しさん:01/10/06 22:17
必要とは何か?
958 :
考える名無しさん:01/10/06 22:18
959 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:18
そもそも、ここでの「哲学」とはどのような哲学を指しているので?
960 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:20
何かお気に障りましたか?>不要
961 :
考える名無しさん:01/10/06 22:22
>956
比較的に無意味だから。わかってくれるか?
963 :
考える名無しさん:01/10/06 22:24
科学で説明できないことはたくさんあるが、科学の方法論でしか物事は
説明できない。
そもそも説明可能かどうかの検証も、科学の範疇。
ちなみに説明できないことのほとんどは、やはり科学の言葉「偶然」で
片付けることが可能。量子力学によれば、この宇宙ではたいていのことが
起こりうるのだ。
964 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:26
>>955 どうも仲間に入れてもらえないようなので失礼いたします
965 :
考える名無しさん:01/10/06 22:28
966 :
考える名無しさん:01/10/06 22:29
哲学は実践できていない。
科学は実践も兼ねている。
967 :
考える名無しさん:01/10/06 22:29
>962
客観的に見てるつもりなんだが・・。
他の学問より、より無意味だと思うが。
968 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:34
気になったのでまた来ました
>>965哲学は説明じゃなく、実践。
ではなくて、哲学は問いの空間の設定です。
>>967他の学問より、無意味だと思うが。
設定された問いに興味がない第3者にとっては無意味でしょう。
969 :
考える名無しさん:01/10/06 22:37
>>966 哲学によって意志され、科学によって考察され、
行為によって実践されるってこと。
>ポンコツ
つまらんチャチャいれるなよ。
>>963 「科学で定義するところの現象」というものが、
「説明の対象」の全てである
ということを大前提にしてしまっているね。
その前提でそのような結論になるのは当然だが、
そのことにどんな意味があるのかな。
972 :
考える名無しさん:01/10/06 22:39
>>968 >哲学は問いの空間の設定です
そんなこと言ってるから、哲学はバカにされる。
>>967 いや、だから、「つもり」や「思う」のは個人の自由だから、どうぞご自由に。
私が言っているのは、それをいくら表明しても、
あなたがどう思っているのかがわかる以上の、なんの意味もないということ。
974 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:41
哲学は純粋に問いです。
主張をおこなうのは思想です。思想は途中で中断された哲学です。
975 :
考える名無しさん:01/10/06 22:42
>969 哲学によって意志され
意志するのは人間だよ。「哲学」って言葉って、
そんな使い方しかできないから
バカにされるんじゃないか。
976 :
考える名無しさん:01/10/06 22:46
>>975 スマソ、言葉が足りんかった。
もちろん意志するのは人間。意志を決定する手段として哲学がある。
977 :
考える名無しさん:01/10/06 22:49
>973
「思う」とかいちいち取り上げて
お前が思ってるだけーみたいに言うなよ。
そういう現実があるだろう。なんで哲学だけ
こんな風にいわれるのか、ってことが。
978 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 22:50
>>976 哲学がなんらかの意志決定手段となることはないでしょう。
問いだから。
979 :
考える名無しさん:01/10/06 22:50
466 :考える名無しさん :01/10/03 02:24
哲学を哲学という名の下に批判しても、批判者が哲学の名のもとに
認識している言説の範囲を批判した事にしかならないんだけど、こういう構造に
批判者が自覚的であれないことについての反省は、科学的に検討できる問題じゃないよね。
哲学を支持している人たちについて言えば、哲学という名の元に、哲学的な思考が
なされている様を語る必然性はないでしょう(ひどい話では、あるけれども)。
論理的には、哲学者が、哲学的思考として分類しているような思考のあり方のうちに、
科学的な思考方法として認知されている以外の有用な方法論(例 現象学的還元)があり、
それらは、明らかに社会に対する方法論として必要だということを言えばOKでしょう。
なお、ごねてきたら、じゃあ科学的な思考は、一般人の生活部面にまで浸透しているかと問う。
おそらく浸透してないことについては合意に至れるだろうから、
そこで、科学的思考が浸透していないこと自体については、科学的方法論自体で解決は
与えられるの? そうした部分の解決も、議論でなすべきだとすれば(それは科学の前提でも
あるはずだ)、そうした部面は別の思考法・説得法により解決されるべき問題としてあるかもと
考えることは、それほど不自然じゃないだろと言えばいいでしょう。
上のような試みを、哲学という名で呼ぶかは、お好みで。どうせ、後世においては、
哲学という名以外の名をふって、哲学としてなされていたという経緯は、きれいさっぱり
忘れ去られるのが、通例なのだから。過去にもそういうことあったしね。
ベーコンは、哲学者でしょ。 ・・・とか言っとけばいいんじゃない?
980 :
考える名無しさん:01/10/06 23:03
>>978 一生問い続けるのですか?それが何をもたらすの?
981 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:05
982 :
考える名無しさん:01/10/06 23:09
ある意味正しい相対主義者。
983 :
考える名無しさん:01/10/06 23:09
980は気付いた。そうか、相手にしたボクが馬鹿だったんだ、と。
984 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:12
985 :
考える名無しさん:01/10/06 23:12
哲学って偉い行為に思えなくなってきた。
個人が考えた哲学はその人一人のものでしかないんだし。
視点が広いというわけでもないしね。哲学者は実は、物事に理由をつけないと気が済まない
ヒッキーなのかもしれない。
哲学って(良くも悪くも)「営み」だからナー。
もっとも世の中の人すべてに必要な「営み」かどうかは知らんけど。
987 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:14
>>985哲学者は実は、物事に理由をつけないと気が済まないヒッキーなのかもしれない。
「ヒッキー」は置いといて、少なくともそうだと思います。
「変人」が良いかと。
988 :
考える名無しさん:01/10/06 23:18
私が(2ch以外で)他人に「哲学やりたい」って言うときには、
あまりに諸学問がおもしろそうで目移りしちゃってどれかひとつの
学問だけに絞れないっていう理由がある。
哲学は自由だね。
990 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:21
>>988 実存主義になにを求めていらっしゃるのですか?
991 :
考える名無しさん:01/10/06 23:21
>哲学って偉い行為に思えなくなってきた。
哲学者自身でも、偉いと思ってる人は少数派じゃないかな。
偉い、偉くないという視点を持ち込む必然性がよくわからない。
992 :
考える名無しさん:01/10/06 23:23
なぜ私はこんなにも数学コンプレックスがあるんだらう。
993 :
考える名無しさん :01/10/06 23:23
そろそろ1000!
994 :
ポンコツ哲学車:01/10/06 23:25
995 :
考える名無しさん:01/10/06 23:25
やめとけ、もう無駄だ。いろんな意味で。
996 :
考える名無しさん:01/10/06 23:26
哲学研究の罪はまさに哲学性を奪ったことにある。
つまり御喋りに変換してしまった。
沈黙だけが哲学だ。
997 :
考える名無しさん:01/10/06 23:26
新しい議論をしたほうがいい
998 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
わたしほんと後悔してるんです。ああどうして私は今まで数学に気付かなかったんだろう。
999 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
>世の中の人すべてに必要な「営み」かどうかは知らんけど
赤ちゃんが立ち上がるように、ある程度は万人に必要。
ただ、そのレベルのものを「学問」と言うのはどうかと。
かといってハナシが込み入ってくると専門職に及ばないし
問うことしか目的にできない言葉遊びになる。
1000 :
考える名無しさん:01/10/06 23:27
数学は語学だ。
1001 :
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