1 :
考える名無しさん:
たいていの人は貯金をしたり保険に加入したりと、将来の不安に
備えた行動を取りますが、これはなぜでしょう?
例えば今日の100円と明日の100円では今日の方が価値があります。
人には寿命がありこれは銀行では利子が発生することでも明らか。
しかしなぜか多くの人は長期的な人生設計が行うわけで。
なぜでしょう?これは単にバランスの問題なのでしょうか?
もしそうならそのバランスに関する合理的な根拠があるのか?
金銭的な事に限らずここに潜む問題を考えてみませんか。
注)私は刹那的で堕落した生き方が正しいと主張したいわけでは
なく、単にこの問題を哲学的に考察してみたいだけです。
こう生きるべきだ、という趣旨のみの書き込みはご遠慮下さい。
2 :
1:01/09/03 15:55 ID:arQbsr3c
追記
例えば「アリとキリギリス」という話は、長期的な計画を立てておかなかった
キリギリスが困るという結末ですが、あれは最終的には「アリも死ぬ」という
観点が全くありません。だからキリギリスが正しい、といいたいのではなく
そこに潜む問題をえぐり出してみたいわけです。
3 :
(゚д゚):01/09/03 16:14 ID:1NmVrDxw
>単にバランスの問題なのでしょうか?
この「バランスの問題」というのが具体的に何を言おうとしているのかわからないが、
一般的に、自分も平均寿命前後まで生きる確率は高いと考えるのは合理的だろうし、
まして、自分の死は、想像したくないから、人は極力、死を先に延ばすような考え方をすると思う。
この時、周囲の社会的な関係を見て、自分が「有利に」(とまではいかなくても、「迷惑を掛けないように」)
生きていこうとするならば、いわゆる人生設計をたてることは、
なんら不思議な行動とはおもえないけど、いかがか?
4 :
1:01/09/03 16:30 ID:arQbsr3c
>>3 >この時、周囲の社会的な関係を見て、自分が「有利に」〜
その自分に「有利」というのが不思議ではないかと。
平均寿命(あるいはそれ以上)を生きる為の設計の行う「有利さ」とは、
いったいどう導き出されているのか、というか。
確かに今すぐ死んでしまうことに明確なメリットはないでしょう。
しかし五十年後に死ぬメリットとはなにか?あるいは十年後ならどうか。
本能的に死にたくないと感じるにせよ、いずれ死んでしまうことぐらい子供
でも分かることだし、どこでバランスがとられるのかが不思議というか。
三年で死ぬことを計算に入れた設計も可能だし(その方が無駄がないとも
言える)、お金の価値は目減りしていく以上、したいことを我慢せず行う人生
というのも合理的と言えるような、言えないような(続く)。
>>1 人にとって快楽を得るという事は、異論をはさむ余地もなく最も最終的な目的であります
人は、彼が知的な人間であればあるほど未来を予測します、予測できます
そして、人という生き物は未来に於いての己の姿を想像し、其の快楽、苦痛を現在のものとして
感じる事を行う生き物なのであります
故に、人が、人として己の生を十分に生きたいのであれば
計画性とは、己の心の平安を保つ上での最重要な行為であるといえましょう
キリギリスは、馬鹿で、今がよければいいタイプであり、明日のことを考えないので
彼は彼でそれは幸せなのです
しかし、知的な人物が明日を考える事を行う限りに於いて
現在を幸せに生きるために計画性を持つ事はこの上なく重要でしょう
6 :
1:01/09/03 16:40 ID:arQbsr3c
>>5 何が何だか。
あなたの書き込みはただ、こう生きるのであればこれが重要で、
逆にこう生きたければこうすべき、といってるだけでは?
議論を進展させる書き込みをお願いします。
>>6 >しかしなぜか多くの人は長期的な人生設計が行うわけで。
>なぜでしょう?
あのね、君
俺はこの問いに対して
「多くの人は明日の己の姿を想像し、其の苦痛、快楽を現在のものとするが為に
明日の為、つまり明日平穏でいる事を重要視し、よって計画を立てるのだ」
ということを
>>5で云ったんだよ
長期的な計画を練るのは、長期に渡る己の保身は
より自分を安心させるからですよ
8 :
考える名無しさん:01/09/03 16:50 ID:0YYnQgwI
未来に拘束される。
しょうがない。
9 :
1(ID違うけど):01/09/03 16:57 ID:arQbsr3c
>>7 だから
>長期的な計画を練るのは、長期に渡る己の保身はより自分を安心させるから
という意見というか価値観に関して
>>4を書き込んだわけですよ。
最初から問題を感じないのでしたら、反論(そして書き込み)は結構です。
10 :
1:01/09/03 17:10 ID:arQbsr3c
あ、ID変わらなかったみたい。
とにかく
>>5のような単なる常識論で問題そのものを拡散させるような
書き込みは勘弁してください。
それはそうと。
事実、多くの人は現在と未来のバランスを取るのはわかるんですが、その
バランスってどう導き出されるんでしょう。平均寿命からという考えは、
長く生きる=良い・合理的という前提があって言えることじゃないのかな。
結局は根本的な理由はない(わからない)というのが真相なんでしょうが。
うまくこのあたりの不思議をすくいだせないものかな。
>>9 貴方は「合理的」という言葉を使ったので短期の保証を得るより、長期の保証
を得たほうが合理的であるという価値観は十分通用すると判断したのですが?
合理的という言葉を使えば
明日己が真に死ぬかどうかそれを検証する手立ては通常ありません
自分がいつ死ぬかどうか分からないのであれば人は大体平均寿命を
自分の「死」として想定するのが合理的です
それしか想定の仕様がないから
もし、貴方がガンで一年で死ぬ事が分かれば
貴方は貴方の人生設計を後一年として組み立てるでしょう
それが、合理的であるというものです
ん?違うのか?
1はつまりさっさとやりたい事をして死ぬという選択肢はなぜ執られないのか?
ということを云いたいのか?
13 :
(゚д゚):01/09/03 17:22 ID:1NmVrDxw
しかし五十年後に死ぬメリットとはなにか?あるいは十年後ならどうか。
そのような思考は一般的ではないと思います。
お認めになってらっしゃいますように、「死にたくない」という感情が根底にある場合、
「平均寿命まで生きる確率が高い」という合理性を持った思考の底にも、
「とにかく死ぬまで生きる」(ワラ・・・未知の自分の寿命まで生きる)という、
盲目な意志がはたらいていると思われます。
(もちろん病などで死の宣告を受けたものや自殺志願者は除く)
この時、いつまで続くかわからない(が、平均寿命+αで死ぬのは明らか)
日常生活を「とにかく」おくっていかねばならいわけですが、
そのなかで、確率は少ないかもしれないけど、事件事故にみまわれてしまうことを予想することも
合理性のあることだと思われますし、その場合、生きていくこと自体が困難になるような事態は避けたい、
と考えることも十分理解できることだと思います。
それに備えて保険や預貯金を備えておくことや、
社会的に有利な立場(収入や地位、周囲との良好な関係性など)を確保しようとする行動は、
合理的思考という観点からも、特に不思議な点はないと思いますが、いかがか。
(もちろん、合理的思考を欠いた、欲求にのみ行動原理を依存する存在だと人間を考えれば別でしょうが)
14 :
1:01/09/03 17:27 ID:arQbsr3c
>>12 というか、それが問題の「スタート地点」なんですよ。
>>13 >欲求にのみ行動原理を依存する存在
これは合理的思考を欠いていると言えるのかどうか?
私の問題はここからスタートしてるわけです。
>例えば今日の100円と明日の100円では今日の方が価値があります。
>人には寿命がありこれは銀行では利子が発生することでも明らか。
因みにこれはちゃうな
これはインフレのときの話でしょ
デフレであれば今日の100円は明日の百円より価値がない
現行の利子という考えは、それは銀行がお金を借りる事によって其のお金でより多くの
何らかの活動をする事で、その活動資金をより多く集める為の「利子」であるわけ
16 :
1:01/09/03 17:34 ID:arQbsr3c
>>15 デフレであろうがインフレであろうが利子がなければ誰もお金を預けないのは
明白です(もちろん安全に保管するという目的もあるにせよマイナスにはなら
ない前提は絶対条件でしょうに)。経済学しらなくても分かるはず。
>デフレであれば今日の100円は明日の百円より価値がない
そんな想定が今の議論に何の意味があるんですか?
特殊な自体(デフレ)を無理矢理に持ち出して無意味な書き込みをするのは
止めてくださいよ。
17 :
16:01/09/03 17:37 ID:arQbsr3c
特殊な自体じゃなくて事態の間違いです。
まあとにかくデフレもインフレもなければ(つまり通常の場合)、
今日の100円は明日の百円より価値があるのは当然じゃないですか。
18 :
考える名無しさん:01/09/03 17:39 ID:9O15xeFM
「科学の対象はなんであるかという設問を立てた場合、科学的対象というものが
存在することになりませんか。」
ラフにいえば、科学的対象が(少なくとも概念上)存在することになるでしょう。
そして、星について語ることの<ある語り>は科学であり得ます。
誤解がありそうなのは(上記の言いまわし自体不正確なのですが)、科学が天体について語るとして、それが日常我々が星と呼ぶものと同一であるとは限らず(いやむしろ異なるものである、と私は考える)
従って科学的対象としてのホシもしくは天体と我々が日常(がんを掛けたりする)星は別個のものでありえる(そしてその通りだ、と私は考える)、という点です。
あなたは、科学的対象たるホシと日常的対象たる星は同一であり、それ故、科学的対象が存在するのであれば、日常的な我々の語りもまた科学的対象についてのものであり得ざるを得ない、とお考えではないですか?
人体を例に考えてみましょう。
我々は日常的に自分や他人の体を見、触り、語ります。
(このような日常的な語りの対象たる物体を、素朴物理学(folklore physics)的対象と呼びます。)この人体について我々は様々な信念、様々な記述を現に持ち、また持つことができます。
この素朴物理学的な体と同じである、と我々が信じる場所に顕微鏡をあてがえばなにかが(おそらく身体構造が)見えるでしょう。
更に生理学的な諸探究が行われれば様々な記述が得られるでしょう。これは生理学的対象としての人体に対する記述です。
更に、化学的、物理学的等の探究が行われれば、それに応じて、化学的対象、物理学的対象についての記述が得られるでしょう。
ここで、重要なのは、だからといって、素朴物理学的、生理学的、化学的、物理的対象についての記述が、同一対象についての記述であるとは限らず、むしろ、第一義的にはそれぞれの固有の対象についての記述である(と考えられる)事です。
つまり、物理的言説に対応して物理的人体が、化学的言説に対応して化学的人体が、生理学的言説に対応して生理学的人体が(以上三者は人体、というより、単に対象のほうが好ましいかもしれません)
そして素朴物理学的言説に対応して素朴物理学的人体が存在もしくは措定されているのです。
それらの諸人体、諸対象が、ある一つの言説で措定された対象と共通であるか、あるいは唯一の別の真実在の仮象であるのか、あるいはそれらはサンドウィッチ的に併在しているのか、等の問題は置くとしましょう。
少なくとも、(素朴物理学や化学といった)複数の探究営為、言説枠組み直ちが一見一つに思われる(人体という)対象について存在することからは
直ちには、一対象に複数の言説枠組みに於ける諸記述がそれを記述している、とか、ある一つの言説枠組みにおける対象をのみ他の諸言説枠組みの諸記述は記述しているのだ、という結論は出てこないのです。
19 :
考える名無しさん:01/09/03 17:39 ID:9O15xeFM
>単にバランスの問題なのでしょうか?
この「バランスの問題」というのが具体的に何を言おうとしているのかわからないが、
一般的に、自分も平均寿命前後まで生きる確率は高いと考えるのは合理的だろうし、
まして、自分の死は、想像したくないから、人は極力、死を先に延ばすような考え方をすると思う。
この時、周囲の社会的な関係を見て、自分が「有利に」(とまではいかなくても、「迷惑を掛けないように」)
生きていこうとするならば、いわゆる人生設計をたてることは、
なんら不思議な行動とはおもえないけど、いかがか?
20 :
(゚д゚):01/09/03 17:42 ID:1NmVrDxw
>>13 つまり、合理的思考の結論として、自らの欲求にのみ行動原理(格率)を依存させようというのですか?
それは一般的ではないと思いますし、合理的な結論とも思えません。
そもそも、欲求のあり方自体は合理性を欠くものでしょうから、
その調停役として、合理的思考があるのではないでしょうか?
たとえば、死にたくない、けど、覚醒剤でキモチよくなりたい、とか、
死刑や監獄暮らしは嫌だが、腹の立つアイツは殺してやりたい、とか。
このとき、欲求の最も強いものは(とりあえずは)
「死にたくない」という固体保存への傾向性だと思います。
これらとの「おりあい」をつけ、「とにかく」生きていかねばならない生涯を考える時、
欲求のみに行動原理を依存させること無く、
>>13の後半のように思考して、
人生設計などを立てて行動しようとすることは、とりたてて不思議でもないと思うのだが、
いかがか。
21 :
1:01/09/03 17:42 ID:arQbsr3c
まーたコピペ荒らしか。
22 :
考える名無しさん:01/09/03 17:42 ID:9O15xeFM
>生物には危険を避けるプログラムが為されてるからでしょう?
そりゃそーだ すっかり忘れてた。
でも、グダグダ言って申し訳ないですけど、
なんで生物には、そのようなプログラムが為されているのか?という事を。
生きる事が絶対条件だからという事だとも思うんですけど、
死後に何かあるとすれば、それもいらないんじゃないかな〜 って。
>「意識」がその物の集合体の規定する
>仮想世界そのものだとしたら、無いもの=0なんじゃないの?
>意識自体には存在はない。存在が意識を規定している。
なるほど。それだと0から様々な1が発生しますね。
納得です。
>まあ、「死」という、とてつもないエネルギーが
>有→無へのダイナミズムっていう解釈はどう?
なるほど。
前にMMRというくっだらない漫画で読んだ
幽子という状態に興味があるにですが、
それだと死んだ人間の体の中から(0)幽子(1だったもの)が
出てきて、その幽子は再び新たに1になるというような事だったのですが
>有→無へのダイナミズム
という方が現実的な感じで正しい気がします。
>>14 ああ、一応まともな人なんだ、安心したよ
人は欲求にのみ行動原理を依存しますよ
人は欲求を目的とし、理性とは、目的達成の為の手段に過ぎません
合理的であるかどうかは、其の理性の使う判断基準のひとつでありますから
人は欲求にのみ行動原理を依存しながら、且つ理性を保つ者であるともいえるでしょう
さて、なぜ人はさっさとやることをやって死なないのか?
それはね、初めに云ったじゃん
人の最終的な目的とは自己の満足であると
もっと正確に云うと、より良い満足を、より長くし続ける事である
だから、人は大抵死にたくない
でも、死ぬ人がいる
それは、死はいやだけど、これから永久に、満足を得られそうにないから
つまり、永久に目的を達成できないとお判断したから死んじゃうんだよ
若しくは、死ぬ事そのものが満足である場合も死んじゃうね
しかし、この例はとても特殊な状況なんだ
だから多くの場合、人は満足して、それから自ら死ぬことはしない
だってまだまだ満足したいから
そんなわけでたくさん生きたいんだ
満足した?(←怖いな、これ)
24 :
考える名無しさん:01/09/03 17:52 ID:9O15xeFM
「石川」と衣食住を共にする者とって「ウンコする」のは明らかなことと思う。
衣食住を共にする者にとって手にとって確認するまでもないことだろう。
問題はモー娘。の「石川」が「ウンコする」と言えるのかということだ。
「ウンコする」とは、人間にとって単なる排泄行為以上の意味を持ちえるから
個室で、影で行う習慣がある。汚れた恥ずべきこととされる。
また、よほどに親しい間柄でなければ、ウンコするなどとは聞かないものである。
「石川ってウンコするの」スレの意味は、実は、彼らにとって「石川」が
それだけ近い存在である、そうであって欲しいという願望の現れだと思う。
だから、彼らにとって「石川」が「ウンコする」かも知れないと繰り返し
確認する動機があるのだと思う。
”しないよね?”に対する応答は公的には”しないよ。”だ。しかし、
私の内なる答えは”するよ。”だな。
25 :
考える名無しさん:01/09/03 17:56 ID:arQbsr3c
>>20 いや、常識的にはその通りだと思うんです。
でも欲しいものがある場合、「今すぐ」手に入れるのと「後で」手に入れる
のでは明らかに今の方が(例外を除けば)価値があるわけです。
となるとお金の価値同様、いくら死を避ける本能があるにせよ、死は避けられ
ないし、現在の欲求を優先するという選択もあるわけじゃないかと。
>これらとの「おりあい」をつけ、
そしてその「おりあい」にしても結局のところ、根拠はわからないと言えません?
>でも欲しいものがある場合、「今すぐ」手に入れるのと「後で」手に入れる
>のでは明らかに今の方が(例外を除けば)価値があるわけです。
「物」の例えはここでは場違いだよ
物は持つ事で満足するのであれば、満足を未来に据え置きする事で不確定な物とするより
いま確定した満足とした方がよいというのが合理的な判断だ
>現在の欲求を優先するという選択もあるわけじゃないかと
だから、未来を安心できるものとする事こそが現在の安心であり
それは現在の欲求を優先する事と同意であるのですよ
人は全て現在の欲求を優先しているのです
そういった「未来」を予測しない、出来ない人間が
未来を無視した行動をとるのは、彼にとってそれが満足する行動であり
「未来」を予測する人間、出来る人間が
未来を優先した行動をとるのは、彼にとって、其の行動こそが満足できる
物であるからですよ
ああ
>「未来」を予測する人間、出来る人間が
>未来を優先した行動をとるのは、彼にとって、其の行動こそが満足できる
→
「未来」を予測する人間、出来る人間が
未来を優先した行動をとるのは、彼にとって、其の行動こそが「現在」満足できる
って言うか前に云ったじゃん
29 :
考える名無しさん:01/09/03 18:33 ID:9O15xeFM
>>107 わざわざ使う必要のない用語を使って単純なことを
語ろうとするのは、この世界(哲学)じゃあまだ厨房だよ。
もちろん、テーマ自体が単純だといっているのではなく、
>>107での主張が単純だという意味であるが。
それに、あなたのいう「定型タームを踏まえ」るということならば、
2chでは「まったり」は多くの場合、「マターリ」になるんだろうけどね。
まあ、ウンコするかなんてどうでもいいやと思ってるオレは、
おっしゃるとおり哲板的ではないと認めてもいいだろう。
だが、最後になぜどう思うのかきちんと答えてくれ。
30 :
考える名無しさん:01/09/03 19:11 ID:XIj4L2rs
下等ほにゃらら(仮)が言っていることは、未来を優先するために今したい事を
我慢するのもよし、未来を優先せず今したい事をするのもよし、という事ですよね?
私は頭が悪いせいか下等ほにゃらら(仮)さんの文章を誤解しているかもしれません。
もう少し易しい言葉で説明して頂けると嬉しいです。
31 :
考える名無しさん:01/09/03 21:07 ID:9O15xeFM
私(二酉)が言ったときは安易と切り捨てたのに自分(悲しみさん)が仰ったときには
重要だと言う事になっていて謎が深まる二酉であります(笑)
一般の人っていうのがどんな人なのかいまいち想像がつきませんが
(なにせついこの前まで私自身が「一般」に相当すると思っていたので)
でもって1.2.っていうのはどこにあるんですか?ちょっと見つからないもので・・・
ちなみに間違っていると思う=批判する、ではなく、
自分の思ったこととズレがある=指摘するだと思っています。
32 :
二酉:01/09/03 22:09 ID:r36XVGlE
・・・くおら(汗
名前入ってるのこぴぺしてくるのは反則じゃろう。>ID:9O15xeFMどの。
1さんの紹介(?)で来ましたです。(お呼びでない?(汗
水を差すようで申し訳ないのですが。
「いずれ死んでしまうのは明確なのに、どこで長期計画性の有利さ」の
バランスをとるのか、(合理的、という観点で主に語られてたようですが)
ということについて計画性っていうのは掛け捨ての保険みたいなものか?とか思いました。
ただ、ここの「保険」をかけるか否かは個人の主義によるんですがね。
これが合理的と言えるのか、ちょっと微妙なのですが。
長期的な目で見れば合理的なんですが、このスレは「なぜ長期的に見るのか?」
だと思ったので、なんとも・・・
長期的な計画を練ることで自分を安心させる、というのは概ね同意です。
ただその安心の度合いはそんなに高くはならないと思うのですが(私見)
33 :
考える名無しさん:01/09/04 00:32 ID:YHe.Y4yY
子供にイソップの物語を聞かせてから
アリとキリギリスはどちらが利口かと聞けば
ほとんどの子供はアリと答えるだろう
しかし、明日はどうなるか分からないのも事実
あまり禁欲的過ぎて、死を間近にしてから
「もっとやりたいことをやっておけば良かった」
と思わない程度には今を楽しんでおこうというのが
俺なりのバランスかな
34 :
考える名無しさん:01/09/04 05:57 ID:aBnzLTC6
>>32 >>ただ、ここの「保険」をかけるか否かは個人の主義によるんですがね。
では、保険をかける人とかけない人の差は何なのでしょうか?
不安感、ですかねえ。
36 :
1:01/09/04 10:10 ID:Nkjz/fSI
>>32 うーんバランスの「合理性」という言葉で問題を曇らせたかな。
善悪スレで「人間は徹頭徹尾自分の好きなことしかやらないし、やれない」
と私は主張しました。つまり善悪以前に誰しも利己主義者だと。
で、この利己主義ってのは「今やりたい」ってのも核にあると思うんですよ。
あるいは利己主義を突き詰めると「利今主義」とも言えるぞ、と。
実際、寿命が設定されてる以上、お金やモノは(例外を除けば)時間とともに
価値が下がるわけだし、それ(利今主義)は自明の理だと。
ところがたぶん世の中のシステム(法律・道徳)が未来志向で出来ていて、
基本的には利己(今)主義は損をするようになっている。
そりゃまあ恒久的に世の中を存続させる為にも、これは当然でしょう。
でも根元的には未来の拘束など無視した刹那的利己主義の方が、ある意味
究極的な正しさ(理)があるような、ないような(続く)。
とまあ、そのへんの不思議な感覚を、社会のシステムの話に落とし込まない
ようにして、上手くすくいだせないかな、と思ってるわけです。
まあ結局は堂々巡りの避けられない疑似問題なのかもしれないけど。
37 :
二酉:01/09/04 16:53 ID:ecim.Cb.
>>34 保険をかける人、かけない人、と大きく2つに分けて、前者はピンキリあるでしょうが
問題は後者かと。まったくかけないひとっていうのは、ちょっと考えられないかと。
たとえその日ぐらしだったからといって、ご飯代を残せば、
「未来ににそなえて保険をかけた」といえますし。
(未来の「何に」そなえたかといえば、「食事が見つからず、お金も尽きること」ですね)
また、家電(扇風機とか)がシーズンオフで安くなっていて「今はもう使う予定が無い」のに
買ってしまう、というのは「安いから今買いたい」という「利今主義」なのですが、
それも「今度の夏(未来)にそなえている」とも言えると思うのですよ。
かける人とかけない人、というよりは「どの程度保険をかけるか」に訂正しておきたい所存。
38 :
二酉:01/09/04 17:07 ID:ecim.Cb.
>>34、
>>36 沢山保険をかけておく人とそんなにかけておかない人の差は
>>35さんの仰るとおり「不安感」じゃないかと思います。
なぜ「不安」になるのか、といえば「自分の死」に
「(近い)未来」(たとえば1時間後)ほどリアリティがないからではないでしょうか。
そういう意味では「100%当たる予言者」なんて人(がいれば)には
未来は何の意味も為さないわけですし、・・・って何が言いたかったんだっけ(汗
まあ、未来は知り得ないからこそ希望に満ちていると思うわけで。
・・・もちょっと考えてみます(逃
39 :
考える名無しさん:01/09/05 03:32 ID:bZo0gCVE
人は自らにストレスをかけて欲望を抑圧しまふ。
同じ行動に対して人によって感じるストレスの強さが違うのは、それまでの人生で体験した経験に因る。
無計画でも何とかなる事が多かった人間は無計画に行動する事にあまりストレスを感じないし、なんとかならなかった事が多い人間は強いストレスを感じる事だろう。
ストレスが弱過ぎると危険に対して鈍感になり、強すぎるといざ行動を起こさなければならない時に妨げとなる。
理性的とはストレスに屈する事だと思われ。
40 :
考える名無しさん:01/09/05 03:53 ID:80eVzvak
>>16 >マイナスにはならない前提は絶対条件でしょうに
世の中には奇特な人もいて手数料払ってでも金おろしているバカもいるぞ
俺は手数料取られたことないけどな
なんかタイトルが気にくわネーよ
このスレ
42 :
廓:01/09/05 04:12 ID:DJysAiBA
「欲求」だけが行動原理じゃないよ。
「恐怖」だって十分に行動に結びつく、というか権力者や宗教は
これを巧みに利用してきてるでしょう?
ちょっと触れられてたけど「死への恐怖」。
(
>>38二酉 さんも言ってますね。)
保険=お守り的なもの、と考えてもいいかもしれない。
科学や医学がこれだけ発達してもやはり死は怖いもの。
それに「合理性」って目的があってはじめて規定されるんで、
「長生きしたい(蟻)」人と
「今が楽しけりゃいい(キリギリス)」人と
「より多くの世界をこの目で見てみたい」人とじゃ、
合理性を活かすにも全然違う生き方になるでしょう。
「一般的な合理性」って命題として不可能じゃないか?
>>1 不安だからじゃない
金があまってるからだよ
44 :
1:01/09/05 12:11 ID:wCcTjnx.
もう一度、私にとっての問題を整理します。
>「一般的な合理性」って命題として不可能じゃないか?(
>>42より)
確かに「合理性」という言葉は使うべきじゃなかったかも。それはともかく。
>科学や医学がこれだけ発達してもやはり死は怖いもの。(
>>42より)
しかし、医学が全く発達しなくてもやはり死は怖くない、のでは?
人生をゲームに例えるなら、死は人生(ゲーム)の内部の出来事ではない。
端的にゲームの終焉なのだから、怖いとも怖くないとも言えない。
いわゆる死の恐怖とは錯覚なのではないか。恐怖を越えた超越的な不思議。
もちろん怪我や病気はゲーム内でのダメージですが、死は違う。
だからこそ安楽死および自殺という行為が存在するわけで。
そして人生はテレビゲームなどと違い、自らの意志で参加したわけでもないし
絶対的な道筋や目的も用意されてはいない。もちろんゲームのシステムはその
世界の存続を第一目的としたルール(法律・道徳)を設定するし、それに従う
よう働きかけてくるだろうが、それに従うべき絶対的根拠はなにもない。
だからこそ人は利己(今)主義者なのだけど、そんな我々もたいていの場合、
多少なりとも将来の自分のために今の自分を犠牲にする。つまり
>>8の通り、
我々は未来に拘束されている。しかしその未来は死(無)に拘束されている。
だからこそ「今」が大事になるが・・・となり、問題はふりだしに戻る。
問題を掘り下げる有効な批判(および論駁)をどなたかお願いします。
45 :
考える名無しさん:01/09/05 12:23 ID:VLoWHVHE
↑人生をゲームにたとえるなら、基本的なルールは
「生き延びたい」にはじまる生物の本能だろうね。
それは、従うべき根拠がどうとかいう問題より、人間がすでに支配されてしまっている
「法則」みたいなもんだろう?
人間はプレイヤーであるだけじゃなくて、ゲームの駒でもあるわけ。
ということは、ルール=自然な本能(性欲とかだけじゃなく、創作欲とか好奇心も含めて)
、に従うのは合理化する必要はなくて、
公理と思ってみとめていいだろ?
それから、安楽死っていうのを望む状況があるのは、
宇宙というゲームのルールの不備といえるかもしれないが、
それ自体にかんしては、(詳細に議論するのは面倒くさいが)まず普通のことだよ。(それは明らかだよ)
そういう前提に立てば人生設計というのもおかしくないだろ?それから
合理的っていうのは、極端な場合を想定する(あす死ぬかも知れない)んじゃなくて、
もっともありそうなことを想定するのが基本だと思うよ。
というか、このテーマ自体、哲学的なパラドックスとは言いにくい気もするが(w
46 :
考える名無しさん:01/09/05 12:25 ID:N3yUSlFY
>>44 保険をかける人、かけない人、と大きく2つに分けて、前者はピンキリあるでしょうが
問題は後者かと。まったくかけないひとっていうのは、ちょっと考えられないかと。
たとえその日ぐらしだったからといって、ご飯代を残せば、
「未来ににそなえて保険をかけた」といえますし。
(未来の「何に」そなえたかといえば、「食事が見つからず、お金も尽きること」ですね)
また、家電(扇風機とか)がシーズンオフで安くなっていて「今はもう使う予定が無い」のに
買ってしまう、というのは「安いから今買いたい」という「利今主義」なのですが、
それも「今度の夏(未来)にそなえている」とも言えると思うのですよ。
かける人とかけない人、というよりは「どの程度保険をかけるか」に訂正しておきたい所存。
沢山保険をかけておく人とそんなにかけておかない人の差は
>>35さんの仰るとおり「不安感」じゃないかと思います。
なぜ「不安」になるのか、といえば「自分の死」に
「(近い)未来」(たとえば1時間後)ほどリアリティがないからではないでしょうか。
そういう意味では「100%当たる予言者」なんて人(がいれば)には
未来は何の意味も為さないわけですし、・・・って何が言いたかったんだっけ(汗
まあ、未来は知り得ないからこそ希望に満ちていると思うわけで。
・・・もちょっと考えてみます(逃
47 :
1:01/09/05 12:52 ID:wCcTjnx.
>>45 >人間はプレイヤーであるだけじゃなくて、ゲームの駒でもある。
その世界観に関する懐疑、あるいは躊躇が問題のポイントかな。
たくさんの駒の中の一人が私、という自分の捉え方は明らかに後付
の概念で、なぜか世界の中心が私だった、というのがこのゲームの
スタートだと思います。そしてそれは利己主義・独我論の源泉。
>それから、安楽死っていうのを望む状況があるのは、
>宇宙というゲームのルールの不備といえるかもしれないが、
>それ自体は(詳細に議論するのは面倒くさいが)まず普通のこと
それじゃこの哲学議論(このスレだけじゃないか)の意味がないです。
>>46 >沢山保険をかけておく人とそんなにかけておかない人の差は
>
>>35さんの仰るとおり「不安感」じゃないかと思います。
その不安感というのを突き詰めると「死(無)」への不安感であり
それはある種の錯覚ではないか?というのを
>>44で私は書いたわけ
です。しかし
>たとえその日ぐらしだったからといって、ご飯代を残せば、
>「未来ににそなえて保険をかけた」といえますし。
そういう行為を我々は行う、と。そのあたりのところを上手に掘り
下げて説明できないかな、と思っているわけです。
48 :
にいなな(本物):01/09/05 14:08 ID:N3yUSlFY
バッハがなんたらかんたらと言ってましたけど私はまだ若く経験も浅く未熟者で自分自身忸怩たるものがあります。だからこれからも日々貪欲に精進せねばと思う毎日です。
Bachについて語ることでBachより偉くなったような・・・のところで最初に思ったのは、大抵その様な人はバッハを愛し尊敬するからこそ研究者を志すと思うのでまず
その様に自分の方が偉いと勘違いしたりとか侮蔑することはないと思います。
ただたしかにその意見はよく分かります。世の中を価値観で統合した階級で判断したら何かを創造している人が優れた階級に属するものだと私自身思います。単純労働だけの一労働者階級でなく、
出来るだけ人間は知的な創造者として生きられるよう努めるべきでしょう。ただそれ以外の人も人間であって別の生き方もあるのです。その様な人を尊重するのも大切です。
ところでバッハの研究者に関してですけど、考え方は正当だとは思えません。
そう言われるとなるとシェークスピアやゲーテなどの作家に比べて文芸批評家は劣ってるとかそんな話になります。確かにそう思いたくなるのは分かりますが、その様な人以外にも存在意義はあるもので
その様な人々を一方的に蹂躙するのはどうかと思います。
日本の文芸批評家のドンであった小林秀雄は的を得た画期的な美しい批評をすることで非常に作家からも尊敬された批評家です。昭和文壇の最大の人物は小林秀雄であるとさえ言う人もいます。
あのような偉大な研究者だっているのにその価値を認めないのは私には理解できません。近代以後は批評などの研究は一つの独占的ジャンルとなって重要な位置を占めているのです。
音楽に於いても然りで、ベートーベンなど作曲家と、フルトヴェングラーなどの指揮者とどっちが偉いかとかそんな話になってしまいますが指揮者は一人の作曲家の曲だけでなく多くの曲の
最初から最後まですべて理解し独自の表現をしなければならない。それには作曲家とは違った功労があるはずです。
後者を理解するのは大切なことであると思います。ただきっと作曲家自身は演奏家や研究者に最大限の敬意を払うと思います、少なくともあなたよりは。
こういったことはくだらないことで何の意味もないと思いますけど。価値観の問題でしょうし。ただ100歩譲ったとしてもあなたの認識は間違いだらけだと思います。
無意味な存在にも意味はある、その意味を探求する、これって大切なことだと思うな。なんかあなたに言っても犬に論語っぽいけど。あなたのような人こそ、
ここのスレよく読んだりして哲学しないと動物的人生歩んで終わるよ。
現在は未来に拘束される
50 :
考える名無しさん:01/09/05 14:41 ID:m3fvm8Kc
>>47 というと、なにか自分はルールから超越した特別な存在ということ?
いや、哲学的な考えとしてはありえると思うから、批判してるわけじゃないんだが。
もとは人生設計の不思議と言ってんだよね?
俺が思うのは、今日の百円と明日の百円に違いがある、とはいえないということなんだ。
つまり、価値っていうのは頭の中で考えたもので、将来という発想自体がアタマの中で考えたものだろ。
なにがいいたいかというと、人生設計とかそういうのは全部、頭の中にある
理論、世界観、というか現実感覚(アタマのなかにある、だぜ)に反応してる訳で、
ある意味で将来って言うのも今と同じ事だろ?
思考の中で実在感があるって言う意味でな。
だから、独我論というのは、なんでも疑っちゃうという方向もあって、これは知的にも非生産的だけど
もうひとつ、人間は(というか思考は)頭の中で考えたことと現実を完全には区別しない、
区別するのがナンセンス、っていう方向もあるわけで、そっちの方向で考えると、
合理的という基準も意味を持つし、将来設計というのも普通の精神活動ってことになるんじゃないかな?
と、オレは哲学プロパーじゃないから、たんなる乾燥だけどな。
51 :
1:01/09/06 10:08 ID:Ms1Br9lE
私には
>>50の書き込みの趣旨が、よく分からないのですが(スイマセン)
>独我論というのは、なんでも疑っちゃうという方向もあって、
>これは知的にも非生産的だけど
少なくとも徹底化された独我論は純粋に実在論的な思考になるし、いわゆる
単純な懐疑論とはまったくの別物ですが、それはとりあえずさておき。
>今日の百円と明日の百円に違いがある、とはいえない
百円(あるいは一億円)を今すぐ貰うのと明日あるいは十年後に貰うのでは
特別な事情(インフレなど)がなければ今の方がいい、というのは単純に考
えれば当然でしょう。だって突き詰めれば死んでしまえば使えない(他人に
贈与することもできない)から。よって我々は、利己主義であるだけでなく
それを徹底的に突き詰めれば利今主義者だとも言えます。にもかかわらず、
現実には多少なりとも未来を考慮してしまう。これがそもそもの問題。
さて、この論理には死の概念(別の言い方をすれば死の恐怖・マイナス)が
関与してます。しかしそもそも未来の死(無)とは前提であり、死の恐怖・
マイナスとは人生や世界の内部からは本来は「分からない」はずのものだし
それ(恐怖)は結局のところ、ある特殊な錯覚・不思議でしょう。
つまり、私たちは死が怖い・怖くないとは「表現できない」わけです。
あるいは、どうせ誰でもいつか死ぬ(消滅する)のだし怖いことではないと
も言えるし、だからこそ安楽死や自殺という徹底的に利今主義的な行為が存
在するのでしょう。となると、死(無)の存在からは我々がなぜか未来を考
慮してしまう根源的な根拠を導き出せないのではないか?
やはり言語の誤用に関する疑似問題なのかもしれない。
思考という概念は「未来の考慮」を含意している。
したがって利今主義に関する思考は矛盾せざるをえない。あるいは徹底的な
利今主義、という言葉は何かを語って(表現できて)いるのかどうか。そし
てそれは「死(無)」に関しても同様に問える、と。
で、結局はこの問題って
>>49につながっていくような。
52 :
考える名無しさん:01/09/06 11:47 ID:Mkx.AW1U
>>51 50が分かりくいのは悪かったね。具体例を挙げましょう。
こんな言い方はなんだが、ホームレスだったり、あるいは人生を投げ出しちゃったり
した人は、人生設計なんか考えない。もうっその人格の中に未来という観念は
ほとんどないわけだ。
ところが、たいていの人間は人生設計を考えるし、給料は後払いでも文句も言わず、
ローンで買い物するよな。
ということは、人格の中に既に、「今」という瞬間だけでなく、その人の将来像が含まれている
ということにならないか?
「素朴に考えれば利今主義者になる」というけど、普通、将来のビジョンに対して
全く超然としている方が難しくて不自然だと思うけどな。
まあ、簡単にいうと、人間は普通自分が70歳くらいまでは生きるものだと合理的に仮定してるんだと思うよ。
それで、頭の中では未来と今を区別するより、人生をトータルで(あるいは、ある程度の期間をトータルで)
考えるものだから、そういう意味で、人生設計を考えるのは凄く自然なことだと思うよ。
哲学的にいっても。
53 :
あのさ:01/09/06 13:51 ID:jeIW.fSU
>まあ、簡単にいうと、人間は普通自分が70歳くらいまでは生きるものだと合理的に仮定してるんだと思うよ。
>それで、頭の中では未来と今を区別するより、人生をトータルで(あるいは、ある程度の期間をトータルで)
>考えるものだから、そういう意味で、人生設計を考えるのは凄く自然なことだと思うよ。
>哲学的にいっても。
どこが哲学的なんだか(ワラ
>「素朴に考えれば利今主義者になる」というけど、普通、将来のビジョンに対して
>全く超然としている方が難しくて不自然だと思うけどな。
そりゃそうだ。てゆーか別に自然・不自然を考えるスレじゃねぇだろ。
>ということは、人格の中に既に、「今」という瞬間だけでなく、その人の将来像が含まれている
>ということにならないか?
そんなん51の「思考という概念は「未来の考慮」を含意している。」っていう考えを
言い直しただけだろ。で、人格の中って何だよ?まあ51の分析哲学っぽいアプローチも疑問だけど。
54 :
考える名無しさん:01/09/06 13:57 ID:0LgnxSXs
誰もが貯蓄ゲームを行っているってのはよい着眼だと思う。
(と教授にほめられたことがある)
がんばっておくれ。
55 :
二酉:01/09/06 17:19 ID:IhVvitug
長いです。さきに謝っておきます(謝
現在は未来に拘束されると聞いてエンデのなぞなぞ思い出まして。
「三人のきょうだいがが一つの家に住んでいる
ほんとはまるでちがうきょうだいなのに
おまえが三人を見分けようとすると
それぞれたがいにうりふたつ。
1番うえはいま「いない」これからやっとあらわれる。
2番目ももう「いない」が、こっちはもう家から出かけた後。
3番目のちびさんだけがここにいる。
それというのも3番目がここにいないと
あとのふたりはなくなってしまうから。
でもその大事な3番目がいられるのは
1番目が2番目に変身してくれるため。
おまえが3番目をよく眺めようとしても、
そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!
(中略)
彼らはいっしょにひとつの国をおさめている
しかも彼らこそその国そのもの!
その点では彼らはみな同じ」
というもの。現在未来云々が堂々巡りになるのはこんな構造のせい?
現在は「ある」けどよくよく考えると「ない」んですよね・・・
常に未来に流れていくのであれば、その「未来」がどれだけ先かにもよりますが
現在を考える→未来を想定するになるのでは(飛躍しすぎ)
逆を言えば「未来を想定しない→現在を考えない」になるので
>>36でおっしゃっているような未来の拘束を無視した刹那的利己主義
っていうのは、厳密に言えば「ない」ということに(ぎりぎりまで近づけることは可)
56 :
二酉:01/09/06 17:49 ID:IhVvitug
>>47(ちなみに
>>46は私のコピペが貼られていたのです。。。)
死の恐怖が錯覚というのには同感です。
現にそれを感じる人と感じない人がおりますし。
でも、大多数の人は「死に恐怖を感じる」というのも事実です。
その原因は色々あるんでしょうが、「こわがるな!」と他人が言って
恐怖がなくなる類のものでもないのもまた事実。
人生をゲームにたとえた場合で基本的なルールを
>>45さんは「生き延びたい」にはじまる生物の本能と仰ってましたが、
すこし言い足して「人間特有(?)の『自己(私)』の保存」もアリかと。
揚げ足とられやすい「大抵の人は○○歳まで生きると仮定している」
としなくとも「(要は)現在がずっと続くと思っている」になるですか。
>>55-56
うん。つまり「死の恐怖」や「完全なる利今主義」というのは何も「言えて」
ないし、そもそもあり得ない。つまり錯覚のようなものだ、と。
それは私も
>>51の最後に書いた通り、分かるんです。しかし
>「(要は)現在がずっと続くと思っている」になる
ならばやはり保険(未来の考慮)など必要ないとも言えませんか。
そして、死の恐怖が感じられない(現在がずっと続くと思うから)にせよ、
感じる(末期ガンなど)にせよ結局は利今主義的になるような気がします。
さらにこの話の根底にある「死の恐怖」の錯覚性に二西さんは同意してる。
つまり、何も言えていない(最初に戻っている)のではないかと。
また、基本は利今主義的な我々が多少なりとも未来を考慮するそのバランス
はどこで決まるのか?社会の見えざる手によって導かれているだけなのか?
そのへんはどうでしょう。あるいはこうも言ってもいいかな。
>>54にある金銭のみではない「貯蓄ゲーム」の成立の根拠、およびゲームに
おける最善の手を我々は語ることができるか(勝者はいるのか)?
58 :
考える名無しさん:01/09/07 15:04
面白い。良スレの予感。
今後の議論に期待するyo
う〜。「現在」がずっと続くのなら、明日もご飯を食べるだろうし、
もしかしたらずっと欲しがっていたものを見つけるかもしれない。
でもお金はずっとあるわけではない(アタリマエ!)と。
現在が続くと思っているからこそ、(金銭的には)未来を考慮するのでは?
よく「明日全人類が滅びるとしたらどうする?」(今が続かなくなったらどうする)って
子供の時に言いましたが、この場合は「持ってるお金全部つかって欲しいもの買う!
とかだった気がします(照
この場合は全然死の恐怖とか入ってませんね。
まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」状態?(違
まあ、子供だったせいもあるんでしょうが・・・
(かといって今同じ質問をされたらきっと同じ答えを言うであろうと
容易に推測できるのがのがイタイ)
金銭のみっではない「貯蓄ゲーム」って、たとえばどんな事をいうんでしょう?
家を買うとか?でもこれも金銭だし・・・もうちょっと説明ください。
未来を考慮するバランスっていうのは、それぞれの個人の欲求の大きさによると思うのですが。
これは個人差あるのでもうちょっと一般化してみるです。。。
>現在が続くと思っているからこそ、(金銭的には)未来を考慮するのでは?
なんだそりゃ?
現在(の状態が)が続くと思っているからこそ、(金銭的にも健康的にも)
未来を考慮しないのが普通だぞ。無茶苦茶な主張を意味ありげに書くなって。
つーか「現在の状態を保ちたいと思っているからこそ、(金銭的には)未来を
考慮する」だろ?
>>60 無茶苦茶でした。すみません。
言いたい事は60さんのおっしゃる通りです(感謝
そのニュアンスも含めて上で自己保存と言ってみたのです・・・
62 :
◆N0Plfghk :01/09/12 03:56
間が空いてる・・・終わったのかな?
まぁ、飛び入りでカキコ。
米も大変の時になんだが。
>>60 言いたいことは解るのだから、そんな表現上のミスを指摘しなくても良いのでは?
あるいは、「ここ」だからもっと表現に気をつけるようにご指導かな?
>>1 飽きてなかったら説明してね。
利今主義の中に、(将来への)安心感を含めて解決しないの?
今の欲望を重視するか、将来への欲望(安心感)を重視するかは人それぞれだが。
あるいは、この基準線が問題か?
63 :
考える名無しさん:01/09/12 21:04
あげとくか。
64 :
考える名無しさん:01/09/13 09:41
>>62 飽きたわけじゃないです。ただレスできなかったのは忙しかったのと
>利今主義の中に、(将来への)安心感を含めて解決しないの?
とあるように、もうある程度、問題が整理されたからですが。スイマセン。
まあ、もう一度問題を書くと…
基本的には利今主義的な存在である我々は「貯蓄ゲーム」を行う。
これは精神的・肉体的かつ金銭的に未来を考慮するゲームと言える。
このゲームの成立の根拠を疑うのは一種の「踏み外し(行き過ぎ)」であり、
たぶん、1+1=2を疑うような「語り得ない懐疑」なのかもしれない。
ならば貯蓄ゲームの最善の手(バランス)を示すことができるのかどうか?
またこの未来考慮のバランスは社会の「見えざる手」によって導かれている
だけなのか?
あるいはこう言い直してみてもいいかも(以下は「こうすべき」という私の
思想的な主張ではないので、議論に無関係な批判はご遠慮下さい)。
最終的に自分の存在が無くなる(死)という前提でこのゲームが成立して、
それに従うのは、どこか矛盾していないか?(これはおかしな問いかも)
また、社会(人類)の存続を目的としたルールに沿ってバランスが決まるの
か?そしてそれには矛盾があるのではないか?
問題を先に進める有効なご意見・ご批判、よろしくお願いします。
なお書き込みされる方は、面倒でも過去ログは参照して下さい。
66 :
考える名無しさん:01/09/13 15:14
理屈をこねくり廻してないで、もっと平易に考えれば。
>>65 お久しぶりです、1さん(笑)
ここでいう「最善の手」というのは「1:今の欲求を満足させつつ、2:未来への保険もしっかりかけておく」
のような事かと思ったのですが、1:の条件を満たすためには
A:欲求のボーダーを下げる(ささやかな幸福の発見とか)
B:欲求を満たすに足りるものを元から持っている(お金・頭・ルックスetc.)
のどちらかだと思うのです。Bの方は条件がほとんど先天性(環境含む)なとこもあると思うので
フツーの人はどうにかしてAを身につける事が「貯蓄ゲーム」の勝利(なんか語弊があるな。。。)
に近づく術なんじゃないでしょうか。
2の方はA・Bどちらを選んだかで変わると思います。
「その人が自分で毎日満足している」分と同様に保険をかけると思うので。
「社会の見えざる手」とは?
って言いながら実はいまいち貯蓄ゲームの何たるかが分かってないんですが(汗
とりあえず現時点で出ている意見をまとめてみたりしては如何でしょう?
期待してくださる方がいらっしゃるようですし、ほかに来る人が増えるかも(淡い期待)
68 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/13 23:55
1さん、書き込みどうもです。
が、もうひとつ掴みきれていません。(理解力不足?)
「貯蓄ゲーム」が何を表すのかが明確でないのですが、
「利今主義」でありながら、未来のために貯蓄を行うということでしょうか?
それと、人間が最終的に死ぬことを認識しているのかということとを絡めると、
論点が解りにくくなるので、
貯蓄ゲームのバランス、あるいは死の認識と貯蓄との関係、
どちらかに絞っていただけると、意見を出しやすいのですが。
的外れでしたらすみません。
良ければ、もう少し説明ください。
>>二酉さん
いきなり横から意見で失礼します。
自分の分析の「貯蓄ゲーム」に的を当てて意見されていると思いましたが、
>「1:今の欲求を満足させつつ、2:未来への保険もしっかりかけておく」
という部分は納得なのですが、その後がもうひとつピンときません。
ちゃちな例ですが、仮に100万円あったとして、
1:今、全部使い切る。2:将来のために貯金。
このバランスがどうとるのが最善か?ということが、
「貯蓄ゲームの最善の手」ではないでしょうか?
見当外れかも知れませんが、お相手お願いします。
まず貯蓄ゲームについて。これは
>>54さんの書き込みから引用した概念です
が、私は「利今主義的なはずの我々が必然的に行う、財産のみではない広い
意味での貯蓄(つまり未来への考慮)」に関するゲーム、と定義してます。
つまり、未来の発病を考慮した予防接種もこのゲームの働きの一つだと。
>貯蓄ゲームのバランス、あるいは死の認識と貯蓄との関係、
>どちらかに絞っていただけると、意見を出しやすいのですが。
うん。確かにこの二つの論点の混乱が議論を難しくしているような。
ただ、どちらも私にとっては問題ですし、一般的な感覚では死の認識が貯蓄
ゲームのバランスに関与していると思うでしょうし、完全に切り離して論じ
ては納得しない人もいるんじゃないかなぁ。
>ちゃちな例ですが、仮に100万円あったとして、
>1:今、全部使い切る。2:将来のために貯金。
>このバランスがどうとるのが最善か?ということが、
>「貯蓄ゲームの最善の手」ではないでしょうか?
この例えでも全く問題はないんじゃないかと。
その上で私は「最善の手」など示すことなどできない、と考えています。
問題提起のため、敢えて徹底的に言えば「究極的には1の選択こそ正解だが、
社会システムがそれを変更させている(が、それだけが理由かな?)」と。
また見えざる手とは当初、法律や道徳などの働きと考えてましたが、突き詰
めれば言語や思考も含まれるでしょう。つまり意識(理性)の発生および、
他者とのコミュニケーション(社会)が発生すると同時に徹底的な利今主義
は退化せざるを得ない、と言えるのではないか。そして死(無)の認識から
未来の考慮をするというのは一つの錯覚だ、と。
では、上記のようなことを思考(そして議論)することができるという事実
は、何を意味しているのか?やはり純化された利今主義の可能性というのは
…なぁんてこれは踏み外しであって、単純に我々は「言語(意味)の外部の
ことがら」を言語で示せない、ということですね。
有効なご意見・ご批判、よろしくお願いします。
追記
少し話がズレますが、たぶん個人の利今主義的行動の議論とは別に、社会の
利今主義的行動についても考えられると思う。つまり不思議があると。
私は以前、社会(世の中)はその存続を目的としたルールのもとで運営され
ていると書きましたが、これだってなぜそうなのか問うことができるはず。
徹底的に利己的(そして利今的)な人間がいないのと同時に、当然ながら徹
底的に未来の存続のみを考えている人間はいない。だからこそ自殺・安楽死
が存在する。ならば同様に、例えばあと二百年で終わる(消滅する)ような
社会のシステムというのも考えられるはず。なぜ世界が永遠に存続する必要
があるのか?と問うべきなのではないか。社会を構成する我々が基本的には
利己(今)主義であり、そもそも百年程度の寿命なのだから、永遠に存続す
るようなシステム設計はある意味(未来の考慮ばかりをしている人が異常な
ように)「間違っている」とすら言えるのではないか?それとも言えないの
か?
まあ、ある意味、進歩思想批判とも言えるんですが。
なんかすいません、元の疑問から話を進めすぎですね。
それにこれは元の問題から付随して生まれた疑問であって、私自身はあまり
気にならなかったりするのですが。とにかく参考までに。
>>1さん
平易な言葉で簡潔に!
「言語」を羅列することが「哲学」ではないですよ。
>>68(62さん)
こちらこそよろしくお願いしますヽ(´∇`)ノ
>ちゃちな例ですが、仮に100万円あったとして、
>1:今、全部使い切る。2:将来のために貯金。
>このバランスがどうとるのが最善か?ということが、
>「貯蓄ゲームの最善の手」ではないでしょうか?
ちょっと難しいですー・・・この場合のバランスを考えるなら
収入も考慮しないと。無収入(A)だったら目減りしていく一方なので
普通に考えれば2を比較的優先させるでしょうし、逆に
1日200万稼ぐような人(B)(いるのか?(笑))だったら全部使っちゃうかと。
(それが「彼らにとっての」現時点で最善のバランスになるかと)
上で1を満たすものとして2つ挙げたのは、一般人はいきなり100万円あるようなことは
まずないだろうと思い、日常生活の中でのケースを想定したのです。
たとえば「CDと本と服が欲しい、でもどれもちょっと高い・・・」という場合、
→収入も平均的・そんなに無駄遣いはできないぞぅ!というAさんは
3つの中で特に欲しかった本を買って満足(欲求のボーダーを下げた・妥協した)
→株転がしで1山も2山も当ててたちまち資産を増やしたBさんは
CD・本・服全部お買い上げ〜(「株取引のスキル・才能・資産etc.」を持っている)
どちらも本人が満足してるんですが、とった方法(?)がちょっと違うかと。
でもそれぞれは「Aさん・Bさんにとって」最善のバランスだと思うのです。
(Aさんが博打打ちだったら全部買って、給料日前に後悔するかもしれませんが(笑 )
現在のような資本主義社会においては「万人共通の最善の手」はないのでは(私見)
>>70 予防接種を受けるのは、「未来に病気になるのを防ぐため」
どーせ死ぬんだから病気ぐらいいいじゃん!って人は、
普通は死ぬのは怖いし、死後の世界なんかあるかどうかわからないし、
その他もろもろ考慮すると、かなり少数派かと。
なんで死ぬのが怖いのか?は世界から自分が消える(かもしれない)し
自我(私)が消失する(かもしれない)し、その他諸々を失う上に
肉体的苦痛を味わう(かもしれない)から?(訂正きぼん)
病気した時痛かったり、苦しかったり、予防接種受けるより余計にお金がかかったり、
予防接種受けてれば死ななくて済んだかもしれないのに受けなかったから
その病気で死んじゃったり、といった「予防接種を受けない時のリスク」が、
「予防接種を受けるリスク」(痛み・アレルギー反応etc.)を上回るからでは。
世界は「存続させる必要」があるから存続するのではなく、
「今更変革するには、存続させるより大きなリスクを伴う」ので続けているだけでは。
今のシステムに代替しうるそれを超えると確信されるようなもの、もないようですし。
ではどうして人間は現在においても、未来を考える時にも
危険より安全を選ぶのか?とか出てきそうですね(笑
74 :
考える名無しさん:01/09/15 00:48
5の意見に賛成。
人間は想像力を持っているので、
「今想像する未来」をより満足のいくものにするのは
「今」の満足度を高めているだけで
実際に来る未来がどんなものであるかとは関係がない。
75 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/15 01:03
レスどうもです。
>1さん
>ただ、どちらも私にとっては問題ですし、一般的な感覚では死の認識が貯蓄
>ゲームのバランスに関与していると思うでしょうし、完全に切り離して論じ
>ては納得しない人もいるんじゃないかなぁ。
このあたりへの自分の意見ですが、期待された反論ではないかもしれませんが、
今までの人も述べていたように、
世の中の大多数の人は、人間は皆死ぬとわかっていながら、
自分の事として捕らえていないのではないでしょうか?
車を運転する人の多くが「自分だけは事故をしない」みたいな感覚で、
運転しているのと同じように(自分も含めて)
寿命がきたら必ず死ぬと理解していながら、肌で感じていない。
一方、金銭的な面での将来的な苦労はリアルに感じられるから、
利今主義でありながら将来に備えようとする。
この部分で議論を進めると、死を実感してない段階と、
実感できる段階(ガン宣告とか)で、方法論が大きく変わりそうですが。
1さんの疑問の根源的な部分が、
利今主義でありながら、
何故最終的に死ぬ将来の為に今を犠牲にするのか、とまとめられるなら、
多くの人々は自分の死というものを実感を持って捉えていないから、
換言して、今までの人が書かれたように、今が続くと思っているから、
と解釈すると、理解できるのではないでしょうか?
これを踏まえて、新たなアプローチ期待しています。
>>71さんではありませんが、解りやすい表現にしていただけるとありがたいです。
(解りやすい表現にすると、誤解されやすいのは承知の上ですが)
>二酉さん
説明ありがとうございます。
なるほど、そういうことかと納得しました。
自分としては、現在の収入のうち、何割を今のために、何割を将来の為に使うのが、
貯蓄ゲームとしてベストかと述べたかったのですが、
仮に資産家で利息だけでも食べていける人と、
今月の生活費にも貧窮している人とでは、比較対象にすらなりませんね。
切り出しておきながら何ですが「最善の手」という切り方はまずかったようです。
1さんも二酉さんもない(示せない)としているのですから、
この捕らえ方ではなく、
「何故、貯蓄ゲームを行うのか?」という点にすべきでした。
話の方向性を曲げて、すみませんでした。
社会に関しては、人間個々は利己(今利)主義ですが、
それだけでは最悪殺し合いになるので、破滅しないためのシステム、
より多くの人が上手く生きれるような仕組みで、
上手くいかなくなると新たな仕組み(国でも)が出来るのでは、と捉えているので、
現システムで得をしている人が延命を図るのであり、
システム(社会)そのものが延命や永遠を意識しているとは思ってないのですが、
的外れな意見でしょうか?
何回か最初から読んだのですが、議論の核がもうひとつ捕らえ切れません。
こんな自分は参加資格無しですか?(笑)
あきれてなければ、意見お願いします。
(今読んでいるだけの人でも)
>>75 社会システムの延命に関しては同感ですー。
「社会」自体もともとは個々が生きやすくなるためのものだと思いますし、
ほとんどの人は得をしている(さほど大損をしていない)と。よって続くと。
(現状に満足してなければ革命?下克上?)
私もいまいち捉え切れてないです>議論の核
62さんが参加資格無しだったら今まで参加してた私は金輪際入場禁止です(笑)
このスレに何人いるんですか?
1人だとしたらこの人はなにをしているのでしょうか?
78 :
考える名無しさん:01/09/15 05:10
1の立てた問に対する、完全な回答をもっているが、ここで述べるには貴重過ぎるので、控えます(この答えを見つけるためだけに、探求に6年もかかったので)。
78は何が言いたいんだ?
80 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/16 02:29
>>77さん
このところでは、ボクと二酉さんと1さんとキミ!
おまけに78さん。
冗談はこれくらいで、
1さんに、時間かかってもいいですから、抱えてる疑問と、
その議論の方向性の希望の説明を求めさせていただきます。
自分も色々と脱線させてますが、本筋はどこを向いているのか、
出来れば解りやすい表現でお願いします。
>二酉さん
共感していただき、ありがとうございます。
我侭を言わせてもらえれば、1さんが忙しそうな場合、
新しい議論の切り口を提示してもらえるとありがたいです。
ちょっと煮詰りを感じているので。
1さんが「核」(本筋)を示してくれると一番なのですが(笑)
おまけで78さん
あおりだと思いますが、良かったらヒントだけでも書いていただけませんか?
話が進むかもしれませんし、面白そうだから。
余談
75では、長すぎましたか?
次からはある程度で分けるようにします(忘れてなければ)
うーん、なんてレスすればいいのかな。
基本的な問題感覚がズレてるような気がするというか。
もちろん、
>>72-76の意見は分かるし、概ね納得できるんです。そりゃ
>「今更変革するには、存続させるより大きなリスクを伴う」ので続けている
といった意見は意味不明だと思いますが(だって存続させるよりリスクがある
から変革しないのなら存続に価値(目的)があるわけだし)。
そして
>>72のような書き込みは分析の正誤はともかく、私の問題には的はず
れ…例えば「色は人が存在しなくても存在するか?」という謎に対して、光の
波長の説明をされるような…だと思うんです(これは
>>72の文章内容そのも
のへの批判じゃないですよ)。
それと、例えば
>>75の
>多くの人々は自分の死というものを実感を持って捉えていないから
という意見に関して答えると、私は「死の認識」の「死」ではなく「認識」と
いう行為の方が重要だと考えています。というより死を怖れる・怖れないとい
うのは、問題に関係はあっても絶対的なことではないと。つまり死を人が「ど
う考えるか」ではなく、人が「(死を含む物事全般を)必ず考える」存在だと
いうことが、「完全な利今主義」の退化(敗北)の根源的原因であろうと。こ
れは
>>51や
>>69で、かつて書き込んだことの繰り返しなんですが、私は今
のところ、この説明で納得してますし、これに関するレス(できれば有効な批
判)が欲しいんです。
なんか、またもや分かりにくいって言われそう…。
とりあえず、長くなるし誤解されるかもしれないけど、できるだけ易しい言葉
で私の問題(およびそれに関する意見)を次に整理して書いてみます。
哲学は思考の試みであり、難解な言葉の羅列する営みではありません。
諸氏の批判を受け止め、再度、私なりに平易な問題説明をしてみます。
人は根本的には、徹底的に自分のやりたいことしかしません。どんなに他人の
ことを考えた行為(募金など)でもそれは自分にとって好い(快適)なことだ
からやるわけです。これが利己主義であり、人は皆、程度の差はあれ利己主義
者です。そしてその利己主義をさらに突き詰めると(時間の概念をいれると)
人は未来より現在の利益を重視する利今主義者になります。なぜなら、普通は
寿命を考えてしまうし、そうでなくても未来の自分が、もし目の前に存在して
しまえば、それは他人であり、それを考慮しては利己主義ではなくなるからで
す。つまり利己主義は徹底化すれば原理的に利今主義であるとも言えます。そ
してそれに対応するように、銀行にお金を預ければ利子が貰えるようになって
いるし、物の価値は(例外を除けば)時間とともに下がるのが普通でしょう。
しかし、多くの人は長期的な人生設計を行います。すなわち利己(今)主義的
である我々は未来を考慮してしまうのです(このことを、かつて私は54さんの
例えに従い「貯蓄ゲーム」と呼びました)。これはなぜでしょうか?
さて、この未来の考慮に関しては社会のルールの影響が考えられそうです。
法律は他者(および未来)を考慮しない利己的行動、つまり自分勝手が過ぎる
行動をとる者に刑罰を与え、道徳は童話の「アリとキリギリス」のように結局
は自分のためにならないと説明します。そして、これらの存在によって人の行
動は自然と徹底的な利己(今)主義者から適度な利己(今)主義者に変化させ
られてしまう、と考えられます(このことを、かつて私は経済の需要と供給の
バランスの説明になぞらえ「見えざる手」の働きと呼びました)。では、もし
この説明が正しいとすれば、本当にそれだけが利己(今)主義が変質し、未来
考慮のバランスがとられる理由なのでしょうか?
以上、出来るだけ平易に説明を加え、私の当初の問いを表現してみました。
この「問い」およびこの説明に関する疑問があれば、書き込みお願いします。
では、次にこれに関する私の基本的な考察を書きます。
まず私は寿命から連想される「死」も完全には言葉で表現できない、思考不可
能な概念だと考えています。なぜならそれは世界の内部の出来事ではない(い
わば想像すら許されない)からです。つまり、死の恐怖とはある特別で不思議
な「錯覚」であると言えます。その上で、その「錯覚」が、利今主義が変化し
てしまう(未来を考慮する)最も根源的(重要)な理由だと考えていません。
ではその根源的な理由とは何か?私は人間が思考する存在だからだと考えてい
ます。つまり思考という概念は「未来の考慮」という要素を含んでいるから、
死の有無にかかわらず、人は未来の考慮を必然的にしてしまう。これが根源的
な理由でしょう(そして最初の問いそのものに一つの不可能性があるとも言え
るし、議論にも限界がある)。
また「(完全な)利今主義」も、表現することのできない不可能な概念と言え
るでしょう。なぜなら「(完全な)今」の存在について、我々は言葉で表現が
出来ない(思考できない)からです。表現すると同時に「完全な利己主義」か
らの退化が始まるような概念だと言えます。
よって利今主義の変化(未来の考慮)の理由は、まず「人間が思考する存在で
ある」という事実そのものが第一(根本的)理由であり、それに続いて「死の
恐怖(錯覚)」や「社会システム」が関与してくるのだと言えます。
以上が(まだまだ論ずるべき関連問題はあるにせよ)、当初の問いに対する私
の基本的な考察です。問題を掘り下げる有効な意見・批判をお願いします。
84 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/17 02:09
>>1さん
レス、ならびに文章表現に気を使っていただき、ありがとうございます。
誤解や、見当はずれの意見だと思った時は、また率直に書いてください。
でも、まずひとつ補足。
>そして
>>72のような書き込みは分析の正誤はともかく、私の問題には的はずれ…
二酉さんの72での意見は、その前の自分のカキコを受けてのものですし、
さらに言えば1さんの65での意見
>ならば貯蓄ゲームの最善の手(バランス)を示すことができるのかどうか?
を受けてのもので、二酉さんがいたずらに脱線させているわけではないことは、
改めて確認しておきます。
では、本題に入って、81−83を読んで改めて思ったのですが、
「利今主義」というものをもう一度疑ってみてはどうでしょうか。
あるいは、利己主義を追求し直してみると言えるかもしれません。
またちゃちな例ですが、今日100万円(また・・・笑)もらうか、
来月1000万円もらうか、どちらを選びますか?
ちなみに自分なら来月1000万ですが、「利今」なら今日を選ぶべきでしょう。
では自分は「利今主義」ではないのか?
別例で、ものすごく腹のたつ人物がいたとして、
仮にその人を殺してしまいたい(あくまで仮定)、
でも、その結果として刑務所行きになるのが嫌だから実行しない。
この場合は殺したいという今の欲望よりも、
将来の自分の身の配慮を優先している、と言えます。
>まず「人間が思考する存在である」という事実そのもの
面白い着眼だと思いますが、
思考し、自己の利益を考えているのは今だから「利今主義」とも言えますし、
その思考内容が将来の利益と言う点からは「利己主義(今に限定できない)」と
するべきだとも考えられます。
この「利己主義」から「利今主義」の進展を再考してみると言うのはどうでしょうか?
また長くてごめん、
別の良い切り口があれば、カキコください。
>>84 おはようございます。ちょっと今、忙しいので簡単にレスを。
>「利今主義」というものをもう一度疑ってみてはどうでしょうか。
>あるいは、利己主義を追求し直してみる
うんうん、これはまさに私の問題の核心ではないかと。そして
>「利己主義」から「利今主義」の進展を再考してみる
これは、とても重要だと思います。もちろん私にとってみれば、この進展、
つまり「利己主義→利今主義」は疑い得ない事実です。おそらく、この議論
のポイントは「自分と他人」および「現在と未来」というものの捉え方の違
いにあるし、それが問題の核心だと私は考えています。
>二酉さんの72での意見は、その前の自分のカキコを受けてのもの
>さらに言えば1さんの65での意見を受けてのもの
了解。私が「最善の手を示せない」と書かず「示せるかどうか?」と書いた
のがそもそも問題ですね。たぶん、私は「答え」より「問い」の方を大事に
しすぎる変な癖があるのかも。自ら問題を曇らせるような表現をしてました。
とまあ、とりあえずのレスでした。
後ほど
>>84に対するコメントを書き込みます。
>>84 >またちゃちな例ですが、今日100万円(また・・・笑)もらうか、
>来月1000万円もらうか、どちらを選びますか?
入手できる金額が違うわけですね。やや問題のある例えかもしれないけど…
>自分なら来月1000万ですが、「利今」なら今日を選ぶべきでしょう。
違うんです。私は思考という存在が利今主義を退化させる、と書きました。
真の利今主義者に関して、その不可能性を理解した上であえて乱暴に言えば、
彼は「どちらを選びますか?」という選択そのものを「考慮」したりしません
し、悩んだりもしません。そこに現金があれば奪うし…と、まあこういう実際
に取るであろう行動はさておき、与えられた選択肢に意味がない(相互の比較
などしない)というのが、真の利今主義者なのです。誤解を恐れず言い換えれ
ば、それは「あるがまま」に生きる聖人のようでもあり「動物」のような存在
とも言えるでしょう。が、どういう例えを持ちだしても、そもそも彼の存在は
矛盾なく「表現」できるような種類のものではない。
では、どちらが「利今主義的」な選択と言えるか?
これは入手できる金額がそもそも違うので問い自体に問題がありますが、単に
その時の状況によって決定されるだけでは?結局は、社会の状況や自分の状況
などで答えは変わるでしょう。ついでに言うと、その状況を分類したりする分
析には私は興味がないです。私の問題の核とは関係がないような気がします。
また
>>84にある次の例(殺人)は単なる一般常識であり、利今主義者なら、
当然ですが殺すに決まってます。徹底的な利今主義者じゃなくても、日々刑罰
を考慮しつつも殺人は行われていますし、多くの人々は刑罰による未来のマイ
ナスを考慮して我慢する。それだけのことでしょう。
長くなったし、続きのコメントは分けて、次に書き込みます。
>>84 承前
>思考し、自己の利益を考えているのは今だから「利今主義」とも言えます
と、いう主張も「思考」の後、表現されているつくられているわけでして。
つまり「完全な利今主義」はある特殊な意味で可能なんです。それは「今」が
存在すると感じるのと同じ意味で、です。がしかし、それは考え、言語を用い
て表現した瞬間、すでに変質(退化)が始まるような種類のものなわけで。
>その思考内容が将来の利益と言う点からは「利己主義(今に限定できない)」
>とするべきだとも考えられます。
それでも問題ないし、いや、全くその通りだと思います。
しかし「利己主義」の内部には(あるいは、時間という概念を含めると)、
やはり「利今主義」があると言える(感じる)と思うのですが、どうですか?
つまり「利今主義そのもの」は表現できなくても、それは言語やら思考の外に
はある、と。かなりややこしい表現になるけど『「今」の「存在」は語ろうと
すれば、それは必然的に「今」の「概念」を語ることになる』と、語ることに
よって『今』の『存在』を浮き彫りにするのと同じやり方で、完全な利今主義
についても同様に語ることができるはずだ、と(そしてこの主張も当然ながら
浮き彫りにされた『概念』として伝わり…無限連鎖が続くのですが)。
というわけで、最後に関連する「問い」をひとつだけ。
ならば利今的要素を除いていいのなら「完全な利己主義」があり得るのか?
私はあり得ないと思います。その時は「未来」と同様に「他人」という不思議
な存在が利己主義を退化させると思います。無論、これも思考や言語に関する
必然的理由で。にもかかわらず我々は根本的にはやはり「利己主義者」であり
同様に「利今主義者」に違いはないのですが…
テロ騒ぎで世間が盛り上がってる中、すごいスレだね。
ここ読んでると報復やら戦争やらってな話が馬鹿馬鹿しくなってきたよ。
浮世離れもここまでくると清々しい。どんどん哲学してくれ。
テロの話がしたければそのスレですれば宜しいまでで。
それだけ汚染されていないスレなのですよ、きっと・・・
>>88 >1さん。
>>「今更変革するには、存続させるより大きなリスクを伴う」ので続けている
>といった意見は意味不明だと思いますが(だって存続させるよりリスクがある
>から変革しないのなら存続に価値(目的)があるわけだし)。
すみません。どの辺りが意味不明でした?(汗
いや、「価値」はあるんですがさほど重きをおかれていない、というか。
今の生活にあきあきしていて、変化を望みはするんですが、
その「変化」に伴うリスクを考えると、続けざるをえない、といった状況のことです。
(たとえば小泉政権に嫌気がしているが、代りにやてくれそうなのもいないので
重大な失策をしそうになるまではこのままでも仕方ないか、みたいな)
結論としては方向がほど同じなので批判はしようがないのですが、
(1さんの「思考力」を「想像力」に置き換えただけでほぼ同じ)
>誤解を恐れず言い換えれば、それは「あるがまま」に生きる聖人のようでもあり
>「動物」のような存在とも言えるでしょう。
>が、どういう例えを持ちだしても、そもそも彼の存在は
>矛盾なく「表現」できるような種類のものではない。
これ聞いて思い出したのが孔子なのですが、
「君子はその心の欲するままに従いて過たず」(うろおぼえ)
か当て嵌まる人は聖人(善)。
「心の欲するままに従いて過ちを為す」のが悪人。
なぜならその心が善(悪)であるから。といった話。
完全な利己主義者が仮にいたとしても、その当人が
何を「利」と考えるかによって変わってくるのではないでしょうか(私見)
(その「利」の内容によっては「完全な利己主義者」もいるかもしれない)
ただ、そうするとどうして利己主義者が利今主義になるのかが分からないのですが(すまそ!)
いや、
>>87で言われているように、ありはすると思うのですが、
そんなに大半を占める、とも思えないのです。
(無意識?に未来の事を想定して保険をかけているので)
どうにかして利今主義者か未来主義者(造語)か、線を引くならば
その「保険」を「今」と「未来」のどちらに重きを置いて(中心にして)
かけるか、だと思ったのですが・・・むぅ。どうなんでしょう。
90 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/18 00:24
>>88さん
二酉さんが説明してくれているのですが、一言だけ補足。
テロで世間が騒いだおかげで中東の問題が注目されていますが、
テロ以前から問題はあったのであり、世間が注目してなかっただけでしょう?
あるいは、現在他にも、注目されて無い問題が在るでしょう。
そこを突っ込んで考えてから、書き込むようにしてはいかがでしょう。
私見では、大規模な戦争(日本が派兵するような)にはなりませんよ。
スレ違いなので、この辺で。
「利己主義」と言うと悪いイメージが先行するかもしれませんが、
博愛的な行動であろうと、他人のための献身であろうと、
「自分のため(精神的な満足)」と言い切ることは出来ます。
注意:だから他人の為の事をしなくてもいいということではありませんよ。
二酉さんと多少表現は変えていますが、本質的に人間は「利己主義」であることは
同意を得られていると思います。(でなかったらツッコんでね)
そして「利今主義」なのですが、ボクの想定は甘かったようです。
ずれるかもしれませんが、ちょっと思ったのは、
幼い子供は1さんの言う通りではないか?と。
子供に「明日もっと良い物買ってあげるから」と説明しても、
その時欲しいと思った物に固執します。
84の最初の例でも、おそらく子供は迷わずに今日の100万を選ぶでしょう。
(というか、きちんと比較しないで選ぶだろうから)
そう考えると、これが1さんの言う「利今主義」に近いのかなぁ。(つづく)
91 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/18 00:38
上だと不適切かもしれないので、違う切り口。
1さんは「利己主義」を時間を絡めて考えると「利今主義」になると
述べているのですが、この時間(今)の概念を僕は掴みきれていないようです。
単純に、今と将来、どっちにお金をもらえたら嬉しいか?と問われたら、
「今」と答えるから、ぐらいに考えていたのですが、
すみませんが、1さんの「時間」「今」をもう少し詳しく説明していただけませんでしょうか?
>>87の問いに対しても、「利今的要素」が捉えきれないので、
満足行く答えを返せそうにありません。
時間概念を考慮して将来の利益を優先する利己主義では
答えになってませんよね?
>「完全な利己主義」
の「完全」も、どう違うのかがわからないのですが、
これは表現上の問題で、気にしなくてもいいのですか?
また、話をそらせているようでしたら、そう書いてください。
>>89 こういうレスは問題そのものに関係なく不毛なので嫌なのですが…
>すみません。どの辺りが意味不明でした?
あの意見は自殺しようとしてる人が、なぜ皆は自殺しないのだろう?と問うて
いるのに対して「今更自殺しようなんて、生き続けるよりリスクが大きい」と
答えるような意味不明でナンセンスなものだということです。小泉政権の例え
どころか「世界の破滅を考慮した改革」への反論をしようとしてるんですし。
>いや、「価値」はあるんですがさほど重きをおかれていない、というか。
だったら「基本的に破滅は嫌だし、そうじゃないとしても今更変革するのは、
ただ単に面倒で手間がかかるから」という感じに答えるべきでしょう?もちろ
んそれでも有効な反論じゃないかもしれませんが、いずれにせよ、整理されて
いない考えを大雑把に論じていては哲学は出来ません。私は少なからず真剣に
議論しようとしていますし、議論(意見や批判)できるだけ精密にお願いします。
そして…
>結論としては方向がほど同じなので批判はしようがない
哲学においては結論が同じでも、過程が違えば同じ主張じゃといえないどころ
か、何の意味もないただの一致です。それを出来る限り、考察し検討するのが
哲学議論の要でもあるわけで、問題を共有していなければ批判も何もないし、
私には何の意味がないわけです。もちろん二西さんがこのスレの問題に関して
何も分かってないと言ってるつもりもないです。が、慎重にお願いします。
>完全な利己主義者が仮にいたとしても、その当人が
>何を「利」と考えるかによって変わってくるのではないでしょうか(私見)
これも、私が何を考察し主張してきたか理解できていないから出てくる無意味
な表現です。したがって私は
>(1さんの「思考力」を「想像力」に置き換えただけでほぼ同じ)
というあなたの意見に、心から同意できません。
何を「利」と考えるか、という物の見方そのものが利己(利今)主義を必然的
に変化(退化)させるんです。そしてそれこそ私の考察の「核」であり、そこ
から私はさらに考察を先へ進みたいと考えているのです。無論、孔子の例えは
ここでは議論を曇らせるだけでしょうし(だから私は「聖人」や「動物」の例
を示す前に「誤解を恐れずに言えば」と断ったのですが…)、それはさておき
もう一度、私の展開した考察を読んでみてください。そうして問題が共有され
てた後、有効な意見・批判が頂けたら幸いです。別に二西さんを排除したい訳
じゃないですよ(私が誘ったんですし)。とにかく書き込む際には自分の中で
まず論旨を出来るだけ整理して欲しい、と。それ以前に、そもそも問題が分か
らなければ、どうわからないのか出来るだけ説明して欲しい、と。
>>90 >そして「利今主義」なのですが、ボクの想定は甘かったようです。
うん。まさに私は議論全体に関してそう感じていたのです。
私が「人は徹頭徹尾、利己主義である」という時、皆さん簡単に同意するけど
それは一種の矛盾をはらむ表現ですよ、と思っていたし、自分自身その矛盾を
無視した主張をしてしまってたりする可能性がある。そこを出来るだけ慎重に
深く掘り下げないと意味がないんじゃないか、と考えていました。今もそう。
>幼い子供は1さんの言う通りではないか?と。
その通り。というか人(というより利己主義的に表現するならは、自分)が生
まれた「瞬間」は完全な利己主義者であり利今主義者なんでしょう。
しかしもちろんこの表現にも矛盾があるというか、厳密な(完全な)利己主義
について正しく表現できていない気がします。
あと、今議論している問題と少し話がずれますが
>「利己主義」と言うと悪いイメージが先行するかもしれませんが、
>博愛的な行動であろうと、他人のための献身であろうと、
>「自分のため(精神的な満足)」と言い切ることは出来ます。
こういう「利己(利今)主義」に関する議論をしている我々ですら、なぜだか
>注意:だから他人の為の事をしなくてもいいということではありませんよ。
というような文を書いてしまう。もちろん議論が拡散するのを防ぐのが目的でも
あるでしょう。しかし社会(道徳など)からの要請も必ずあるわけです。そして
もし人は完全な利己主義であるべし、と考える人間ならばそんな注意文は利己主
義を妨げるから良くないと考えるかもしれないし、逆にそういう注意文を付ける
ことで自分に利があるはずだから当然の行いだと考えるかもしれない。
しかし本当の、つまり純粋で完全な真の「利己主義者」は、絶対にそんなことは
考えないはずなんです。あるいは、気が付かない。思考や考慮を全く持たない彼
に起きることは全て自分の利と直結するからです。ただ、率直に利を得る。
そしてこれこそ利己(そして利今)主義の本質だ、と私は考えています。
がしかし、その利己(利今)主義は語りうることなのか?こういう感覚がないと
「人は徹頭徹尾、利己主義である」という考察がずさんでつまらないものになる
ぞ、と私は思っているし、その上で利己主義と未来考慮の不思議に迫りたい。
長くなったので
>>91へのコメントは次に書きます。
>>91 >1さんは「利己主義」を時間を絡めて考えると「利今主義」になると
>述べているのですが、この時間(今)の概念を僕は掴みきれていないようです。
確かにこれに関する考察が説明不足かもしれませんね。しかしながら誰もが直感
でもうすでに(この「もうすでに」ってのは何かのポイントかも)…
>単純に、今と将来、どっちにお金をもらえたら嬉しいか?と問われたら、
>「今」と答えるから、ぐらいに考えていた
と理解してしまっているわけです。もちろん私もそう。
今ちょっと時間がないし、丁寧に考えたいので、また後(次の書き込み)で説明を
…出来れば以前書いた「自分と他人」そして「現在と未来」という構造を絡めて…
極力易しい言葉で試みたいと思います。
それと、
>これは表現上の問題で、気にしなくてもいいのですか?
気にしなきゃいけない、と思います(反省)。まあ完全というのは無限という言葉
同様、そもそも微妙な表現ですが、それにしても「完全な利己主義」は誤解されや
すかったと思う。ちなみに、ここでの完全は「他人を一切考慮しない」という指向
のものであり、そういう利己主義はあり得るのか?という問いでした。
僕は全ての答えを持っている神様でもそれこそウィトゲンシュタインのような天才
でもないので、言語の誤用にまつわる踏み外し(そして表現上のミス)をしている
可能性だって十分にあります。もし問題(表現&論理のミス)があれば、どんどん
指摘をお願いします。というわけで、とりあえず続きはまたあとで。
あ、私のレスが無い間でも問題を掘り下げる有効な意見や批判はいつでも書き込ん
でくださいね。よろしくお願いします。
95 :
考える名無しさん:01/09/18 16:53
>>93 うまれた瞬間は、利己主義なんではなくて、どんな行動をとろうが
利己的な結果しか生じない状態におかれているだけでしょう。
>「利己主義」と言うと悪いイメージが先行するかもしれませんが、
>博愛的な行動であろうと、他人のための献身であろうと、
>「自分のため(精神的な満足)」と言い切ることは出来ます。
そのときに利己的な結果が起きているか、利他的な結果「も」起きて
いるか(もしくは、他人に損害を与えていないか)が、利己的かどうかを
決する基準になるんじゃないですか?
行動する人の側に観点を集中させて、それについて考えれば、常に納得という面が
あるから、「その部分は」利己的だといってるだけでしょう。
利己主義の本質は、利己であれば、利他は無視して良い、利他は、
利己をはかる限りで視点にいれる、ということに求められると考えます。
なんだかかみあってない印象があいかわらずなのですが。何とかなるでせう。きっと。
えと、お尋ねしたいのですが、今はどれに焦点を当てて話をしているのですか?
なんか、分散しすぎてどの話をしてるのかさっぱり。
なのでちょっと過去レス大雑把にまとめてみました。
たぶん誤解・不足が多々あります。些細な事でもつっこんでください。
・完全な利「今」主義者は存在するのか?
→「現在は未来に拘束される」(
>>49)などの流れで「(厳密には)存在しない」といいう事に(なったよね?)
・今日の100円と明日の100円に価値の違いはあるか?
→普通は今日の方に価値があると考えるが人生投げ出したような人には通用しない(
>>52 ・死の恐怖は錯覚である。
→感じる人と感じない人がいるので錯覚であろう(ただし、だからといって恐怖は消えない)
・人は徹底して利己的である。
→「その当人にとって何が利にあたるのか?」も考慮すれば、おおむね同意できる。
・どうして未来を考慮するのか?
→
>>59で「現在が続くと思っているから」という意見を提示してみたのですが、どうなんでしょう、これ。
・基本は利今主義的だが未来を考慮するバランス はどこで決まるのか?(
>>57)
→現時点で有効な回答無し?
・なぜ貯蓄ゲームを行うのか
→「今」だけを考えようとしても、そこには未来の考慮も(半無意識的に)含まれているから。
→未来の危険を回避するための現在のリスクが、単純比較して(未来に)その危険に遭った時のリスクより小さい
(と思われるから)?、という意見を
>>73で提示
・貯蓄ゲームの最善の手は示せるのか
→「万人共通の」最善の手は示せない。
では不毛な話は斬って捨てることにします。
でもひとつだけ。(粘着?
>>結論としては方向がほど同じなので批判はしようがない
>哲学においては結論が同じでも、過程が違えば同じ主張じゃといえないどころ
>か、何の意味もないただの一致です。それを出来る限り、考察し検討するのが
>哲学議論の要でもあるわけで、問題を共有していなければ批判も何もないし、
>私には何の意味がないわけです。もちろん二西さんがこのスレの問題に関して
>何も分かってないと言ってるつもりもないです。が、慎重にお願いします。
なんだか誤解されてるのかなーと思ったのですが、結論が同じなんていってないです。。。
「有効な批判云々の話の結論」としては、死の恐怖が錯覚・完全な利己主義者は存在しない、
などの方向が元から同じなので、現時点では有効な批判は私には出せません、と言ったのです。
上の例で言うなら「過程が同じなので議論の余地が無い」といったところでしょうか。
>>(1さんの「思考力」を「想像力」に置き換えただけでほぼ同じ)
>というあなたの意見に、心から同意できません。
これは1さんの(要約)
「思考自体に未来の考慮が含まれる、だが人間は思考する生き物である」ということに対して、
↑に想像、を当て嵌めただけで意図するところは似ている(と思われる)考えだといいたかったのです。
>何を「利」と考えるか、という物の見方そのものが利己(利今)主義を必然的
>に変化(退化)させるんです。
思考(ものの見方・考え方)自体に未来の考慮が含まれるために、
思考すること=利今主義を曇らせる、という意味でいいんですか?
だとしたら、これには同意しかねます。
未来の考慮を含まない思考(想像)だってあると思うのです。
自分の中で論旨は整理してたんですが、どうやらそれもあくまで
「私なりに」整理した「つもり」だったようです。
問題が、どうわからないのか、すら分からないレベルだったようです。
役立たずなんで退散するです。混乱させてすいませんでしたー・・・
99 :
考える名無しさん:01/09/18 22:47
一通り流し読みしたけど、ねちっこくて濃いスレだ。おもろい。
長くて読むのに疲れたけどね(w
>>96 こういうスレじゃそんなことしたって意味ないと思われ。
それぞれの論点に話の過程も分からずに口出しする人が増えるだけのような。
>>97 >未来の考慮を含まない思考(想像)だってあると思うのです。
具体的には?それが未来を考慮しない行為だとして、それ以外に利今主義を
曇らせる根本原因があるかな。あったとしてもそれ自体が思考の産物だしさ。
基本的に俺は1の考えでいいんじゃないかと思う。
未来の考慮と言うがそもそも「考慮」って言葉自体、未来志向だしね。
ただ、思考と言わず理性や意図とか言う方が分かりやすいんじゃないか?>1
人間は理性的であり意志を持つ以上は利今主義は退化する、とか。
>>99 そうですね。あ、でも自分のためにはなりました(こら)
混乱してたので。すまそ。
具体的なものとしては、今見た夢の内容を思い出す、とか。
去年死んだ犬のことを思い出す、とか。
これらは「思考」には入らないって言われたらそれまでですが。
(厳密にまったく考えないわけではないと言われてもアウト)
利今主義を曇らせる根本原因は他にない?というのには同意。
基本的に1さんの考えでいいというのにも同意。
なので私がここにいるべき理由がにゃい。よって猿・・もとい去る、と。
ああでも過去を考える→省みて未来の教訓(?)とする、
とすれば、未来を考えない思考はないですね。だめだな自分。壊れたか。
102 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/19 03:36
>1さん
>>92-94に対しての意見は、考えがまとまってから書かせていただきます。
すみません。
それ以外のことをいくつか。
>二酉さん
書き方が解りにくく、脱線が多く混乱させてすみません。
このところの流れとしては、81以降1さんが提示してくれたものを読んで、
もう一度基本に戻ってみよう、利己主義から利今主義へ。
この違いを鮮明化させていたのだと思います。
途中で100万円とか(笑)、良くない例えを入れているのでややこしいですが、
利己主義だと解るが利今主義とはどう違うのか?
さらに93や95で、利己主義自体にメスを入れられてます。
今(時間)に対する考え方の、1さんの思いを自分や二酉さんは解ってないようです。
で、ここの説明をお願いしているのですが、
大体こんな流れだと思います。(このところ)
もしかすると二酉さんの語りたいことと、1さんの語りたいことに
食い違いが出ているのかもしれません。
また、興味が向いたら書き込んでください。
>>99さん
ボク達以上に1さんの意図を理解しているようです。
ぜひ参加していただき、解説お願いします。
なんとなくはつかんできていると思うのですが、
僕の中ではいまだに
利今主義より利己主義のほうが良いような気がしているのです。
この利己主義もあいまいですが。
103 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/19 03:46
すみません、今読み返してたら、上のことは
>>82で既出でした。
日本語としては多少問題があるかもしれませんが、
このスレではこの意味で使うということでお願いします。
>>95さん
まず簡単にコメントを。
>>95 こういう指摘こそ必要で、かつ、私はそこに隠れている深い問題を考えたい。
激しく同意、なんだけども反論を(とは言えないを承知で)したいというか。
そこから利己主義そして利今主義の不思議をできればまずえぐり出したい。
そしてこのスレ(未来の考慮)についての議論は深化すると考えてます。
>>96 まずその箇条書きされた「まとめ」の中に同意しかねる内容もありますが、
それ以前に、箇条書きという理解の仕方、つまりはキャッチフレーズのよう
な表現でこの議論が捉えられそうで妙に心配。そもそも箇条書きできる種類
の結論そのものを私は欲しがっていないし、哲学徒としても否定したい。
何のために理詰めで思索してるか、他人と議論してるか分からなくなるし。
それに今、かなり複雑というかデリケートな話をしてると思うんで。
>>99 今のところ、とりあえずは理性でも意図(意志?)でもいいです。
それらの概念全般としてもいいし。
>>102 >利今主義より利己主義のほうが良いような気がしているのです。
別に利今主義を奨励してもいないし、利己主義の善し悪しの話でもないです。
ただ利己主義に関して徹底的に考えていくと、どうしても時間の問題にぶち当
たるし、それは利己主義と未来の考慮に関する大きなポイントだと私は感じて
います。とにかく、なんかすげー不思議というか(藁。
結局このスレでの議論では避けることができない問題だというか。
>>103 私も普通、そんな感じで「利己主義」と捉えています。が…
…この続き、要は「利己主義と利今主義」に関する考察をこの後書きます。
自分一人が先に突き進むようで、結果、スレを混乱させてるかも知れない。
でも今の自分が思いつかない鋭い批判が欲しいので、どうかご理解下さい。
まず「利己主義」とは一般にどういう意味か?辞書によれば…
<自分の利益や快楽だけを考えて行動するやり方。自分勝手。エゴイズム>
とのこと。私もこのような意味で使っています。なお反意語は利他主義。
しかしこの「利己主義」とは不思議な概念(言葉)ではないでしょうか。
なぜなら「自分」の利益や快楽だけを考えるやり方のはずなのに、いつのまに
か「他人」と意味を共有し、それは賛成もされる。もちろんそれが言葉の目的
だし、普通まあ主張という行為はそれを目指してするものでしょう。しかし、
それは利己主義の本質に反していないか?例えば、独身主義や菜食主義の発言
ならそれ(同意や理解)が目的だが、利己主義はなにか違うのではないか?
利己主義者の根本的根拠は結局一つ、それは特別なのは私だ、ということ。つ
まり私のえこひいきであり、それが自分勝手のはずです。しかしそれは、言葉
にして他人を説得できないし、理解された時には「誰もが自分の利益や快楽を
考えて行動するやり方」に変化するのです。誰もが自分のえこひいきをする?
それは本来の利己主義者が最も否定することだし、もはや利己主義ではない。
もし真の利己主義者ならば、利己主義の意味を聞かれたとき「私(今、書き込
みをしている「この私」)の利益や快楽〜」と答えなければならないはず。が
しかしそれは同意も理解もされない。よって必然的に、誰もが自分勝手という
一般的で普遍的な利己主義(間違っているが正しい利己主義)を主張すること
になる。利他的な匂いを併せ持つ利己主義というような普遍的な主張を。
以上が、混ぜモノなしの純粋な利己主義の、避けられない退化・変化です。
その上でなら
>>95 さんには激しく同意。が、本当(本来)は同意できない。
結局、利己主義は「他人」と「言語(思考)」によって変質される主義だ、と
言えるかもしれない。言葉という他人と共有し意志疎通する為の道具の存在の
せいで本質を捉えられないものがあるとも言える(が、それを言葉で書くとは
何だ?)。ともあれ他人という存在がいなければ、利己主義(もはや主義では
ない、ありのままの行為だけど)はあり得るのか(例:無人島に自分一人だけ
存在するなど)?それはあり得ると思う。だがしかし「未来の自分=他人」と
いうものが実在、あるいはそれを考慮してしまえば、話は別でしょう。その時
私のえこひいきである「利己主義」が実はその内部に、今のえこひいきである
「利今主義」を抱えているといえるのではないか?(次へ続く)
では「利今主義」とは一般にどういう意味か?たぶん辞書には無いけど…
<今の(自分の)利益や快楽だけを考えて行動するやり方。現在勝手>
というような意味で私は使っています(笑)。なお反意語は利来主義(?)。
もちろんこれも不思議な概念です。が、それを説明するより「なぜ利己主義が
今(あるいは時間の概念)と結びつくのか?」と思われるでしょう。しかし、
たぶん結びつくのではなく、本来がそうなんだ、と。だからこそかつてのお金
を貰う例などで今の方がいいと、直感で誰もが理解してしまうのではないか?
社会など無い、つまり他人が存在しない無人島に私一人いるとします。そこで
の私は利己主義者だし、そうあらざるを得ない。ここで言葉(思考)があろう
となかろうと、食料など多少の未来の考慮はするかもしれない。だけど時間の
概念を含まない意味で徹底的な利己主義者であるのは明白ですね。
さて、このとき神が現れ、私にこういうようなことを伝えます。「お前に欲し
い物を一つだけ与えよう。ただし私は時間も支配しているからそれをいつ与え
てもいい。五分後でも一年後でもいい。だから未来のお前をここに映像(ある
いは実在)化して、話し合いや奪い合いをやらせてもいいぞ。とはいえ彼らと
分け合うのは不可だ」この時、私はどうするでしょう?おそらく、そんな話し
合いや奪い合いは無用で、すぐに願いを言うと思う。いや、そのライバルは、
結局のところ自分だし、彼に権利を渡してもいいしれない。でも、その場合は
一種の利他主義であり、そうすれば(神の視点で観察すると)私の人生全体は
得をするかもしれないが私は利己主義者ではなくなってしまうのではないか。
無人島の彼(私)が言葉を持つ持たない以前に、そもそも利己主義の定義とは
自分のえこひいき。となると未来の自分だってそれは結局、他人であり、その
考慮は自分勝手に反する。つまり利己主義には利今主義が潜んでいるのではな
いか、と私は考えています。利己主義の徹底は利今主義を避けられない、と。
あるいは神の例え話以外でこう説明してもいい。囚人の目的は刑務所から出て
自由になることです。囚人は刑期を終えたとき喜びを得ます。その時、彼は自
分の求む「何か」を得るから喜びます。それは何か?それは囚人は刑期を終え
る状況でしょうか?そうでもあるけど、そうではない(それだけじゃない)。
言い換えれば、それを得るのは囚人が「その時」にいるという…つまり、自由
を得るその時が「今」であるという…絶対的な事実が必要なはずでしょう。
だから未来の自分は一種の他人であるという先の思考実験は、このことを示し
ているとも言えると思うんです。まず「今」の「自分」ありき、という。
しかし、このように利今主義を概念として示すことは可能だけど、やはり利己
主義同様の矛盾がある。だってその「今」とはなんだろう?それは表現が出来
ません。利己主義における「私(自分)」が表現できないように、利今主義に
おける「今」も表現できない。これは、思考や言葉が届かないところにあると
しか言えない(そもそもそれは「ある」と言えるのか?)。したがって根本的
な、純粋な「利己(利今)主義者」とは思考や言語(あるいは理性でも意志で
もいい)、それらを持たない者の主義であり、その彼は、ただ単に利を得てい
る存在であると言える(彼はもはや普通の意味での主義を持つ者ではない)。
そして現実には、結局その利己(利今)主義は変化・退化せざるを得ない。
以上が「自分と他人」に関する利己主義、そして「現在と未来」に関する利今
主義の説明です。言い換えれば、これが人生設計の不思議に関する私の問題の
核であると思うし、これはその考察です。長文、失礼しました。
有効な意見・批判、あるいは質問を、皆さんよろしくお願いします。
余談ですが「自分は他人の始まり」という言葉があります。普通は人は過去の
自分(の不幸など)に関して他人事のように振る舞うという例(ことわざ)と
して使うんでしょうが、未来だって同じ事が言えると私は思うわけです。
まずなによりも「自分」がいて、まずなによりも「今」を生きている。
人々の中に自分がいるんじゃない。唯一の自分がまずいてそして人々がいる。
時間の中に現在があるんじゃない。唯一の現在がまずありそして時間がある。
これは主張すると同時に矛盾が発生するし、同意や理解は決してされない。
とはいえ決して理解されないけれども(矛盾を承知で言えば「だから」こそ)
疑うことのできない事実でもあると言える(そしてやはり、言えない)。
これが利己(そして利今)主義の表現不可能な本質ではないでしょうか。
だからこそ、そして、にもかかわらず、実際には…
自分は他人に拘束され、現在は未来に拘束される。
そして謎はふりだしにもどる。そして私は2chから現実生活にもどる。
109 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/20 01:01
現実生活から2chへ
1さんの書いた内容、今ひとつつかみ切れないのですが、
その前に、今ここでの議論の本流で無い話に関していくつか。
>>95さんの
>うまれた瞬間は、利己主義なんではなくて、どんな行動をとろうが
>利己的な結果しか生じない状態におかれているだけでしょう。
そうかなあ。
残念ながら、経験しているはずが記憶にありませんが、
生まれた瞬間(というより赤ん坊のうち)は、
他人を気にせず自分の思うままに行動していると思うのですが。
おなかがすいたと感じては泣き、お尻が気持ち悪いと感じては泣き、
気に入らないことがあると泣き、まさしく自分のことしか考えてない。
言葉の意味通りの利己主義では?(というよりワガママか)
で、ご指摘いただいた「利己主義」ですが、1さん、82では
>人は根本的には、徹底的に自分のやりたいことしかしません。どんなに他人の
>ことを考えた行為(募金など)でもそれは自分にとって好い(快適)なことだ
>からやるわけです。これが利己主義であり、人は皆、程度の差はあれ利己主義
>者です。
が106では
>まず「利己主義」とは一般にどういう意味か?辞書によれば…
><自分の利益や快楽だけを考えて行動するやり方。自分勝手。エゴイズム>
>とのこと。私もこのような意味で使っています。なお反意語は利他主義。
微妙にニュアンスが変わっていますよね。
自分としては、「人間は自分のやりたいことしかやらない」という82での意味で
「利己主義」と使ってたのですが、106の意味だと、皆が皆利己主義とは言えなくなるんです。
でもこのことは本流から外れるので保留。
106の(本来の)意味での「利己主義」で話をすすめます。
110 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/20 01:22
>>106 >しかしこの「利己主義」とは不思議な概念(言葉)ではないでしょうか。
この部分以降は同意しかねるのですが。
(言葉本来の意味において:以下省略)「利己主義」は、自分さえ良ければいいのであり、
他人を省みない。ならば他人に「利己主義」という言葉を説明する必要も無い。
>もし真の利己主義者ならば、利己主義の意味を聞かれたとき「私(今、書き込
>みをしている「この私」)の利益や快楽〜」と答えなければならないはず。が
>しかしそれは同意も理解もされない。
同意も理解も得る必要が無い。だから利己主義者なんです。
他人に理解してもらおうと考えるなら、その思いは利己主義ではないんです。
徹底した言葉本来の意味に完全に適合しうる「利己主義」者が実在するとは思えないのですが、
(身内や孫がかわいいとか)
この話も本流ではないので保留。
議論を進めるわけじゃないけどなんとなく横レス
>>109 確かに82と106では微妙なニュアンスの変化を読むことも可能だと思われ。
ただし「人間は自分のやりたいことしかやらない」というのは、
結局は「自分の利益や快楽だけを考えて行動する」とも取れるしね。
その辺の微妙なところを突き詰めようとしてるんだろーし。
106と107はきわどい微妙な説明だけどさ、読んでておもろかった。
俺としては1の利己主義への惜しみない愛がなんとも(・∀・)イイ!
112 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/20 01:59
囚人の例え話と、利己主義との接点がつかめないのです。
そもそも何が言いたいのかがつかめない。
出所した今が重要、それは解ります、がどこに「利」があり、
「利己主義」があるのか?
どちらかというとこの話は、利己主義ではなく別の事を表していそうです。
よって保留。
で、前から求めていた「利己主義」と「利今主義」に関する時間(今)の概念。
無人島の例での話では、論理的に疑問が残る。
>となると未来の自分だってそれは結局、他人であり
ここに論理的矛盾があると思う。
1「今、自分が神から何かをもらった」とすると、未来の自分は
「過去に神から何かもらった」ということであり、
2「今の代わりに未来の自分のために残しておいた」とすると、
「過去の代わりに今何かをもらった」ということで、
結局もらうことに変わりは無い。
では、早く貰った方が良いに決まっている。
何故なら1の場合、今の自分も未来の自分も「貰っている」が、
2の場合、今は「貰えず」、未来だけ「貰っている」。
例え話を拡張してみよう。
今、神様に「無人島から脱出」を願ったとしよう。
ところが、未来からの自分が現れて
「今脱出するより半年後にしたほうが(特殊な事情で)得だ」と説得に来る。
でもこの説得にきた自分も、過去において説得にきた自分がいるはずである。
でも聞かなかったから説得しに行く羽目になる。で、タイムパラドックスに陥る。
同じ欲望を今適えるか、後で適えるかは、利己主義と関係なく今が良いと思う。
未来の自分も同じ、欲望を適えた自分なのだから。
利己主義に、未来の自分と今の自分を区別しなくてはいけない理由がつかめない。
113 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/20 02:12
で、これに関する自分の今の見解。
前述したように、人間生まれた時は自分のことしか考えない。
これは、多くの野生動物と同じ感覚であろう。
(母性本能は割愛してます)
でも人間の場合、他人との接触の中で、お互いに共存していく為に、
他人のことも考えるようになる。
そして普通、自分のためと(利己的)他人のため(利他的)をバランスとりながら生きていく。
ここで仮に、利己的な考えのまま成長した人間がいるとする。
その彼が
>>84の100万の例に出会ったとする。
幼かった頃の彼は目先の100万円を求めるだろうが、
成長した彼は将来の1000万を取るだろう。
なぜならその方が得だと計算するから。
でも、彼が利己主義なのに変わりは無い。
何が自分にとって特(利)かを考える知恵がついただけ。
では、「利今主義」って何?
114 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/20 02:24
また話を蒸し返すかもしれないが、
>>1では「たいていの人」を対象にしていたのに、
言葉本来の意味において「利己主義」なら、ほとんどの人は当てはまらないような?
テーマがずれて来たのか、あるいは整合性をつける意見があるのか、
その辺りも含めて、カキコお願いします。
>>1 >>111=99さん
書くのに夢中ではさんだことに気がつかないで失礼しました。
うーむ、こうして他人を意識してしまう自分は、利己主義を徹底しきれてないのか。
でも、自分のためとしか考えてないような。
>>112-114
いいレスだと思われ。て優香、俺にはそこまで細かく突っ込めん(ワラ
でもさ、真の利己主義にはやっぱ「今」が必要なんじゃない?
未来の自分と今の自分なんてパラドックスに陥るような考えを使わなくても
利己主義の「己」である「自分」は108の説明じゃないけど「今」を含むって
優香、徹底した利己主義は、どうしたってこの今の時点にいるこの自分のみを
考慮するありかたになるんだと思われ。実感からしても妙に納得できる。
ま、そんな利己主義が可能かどうかは?だけど。
116 :
考える名無しさん:01/09/20 08:39
>>115 >>今の時点にいるこの自分のみを考慮するありかた
「今の時点にいるこの自分」ってどの時点の自分ですか?
何秒以内なら今と判断が下されるのか教えてください。
>>ま、そんな利己主義が可能かどうかは?だけど。
?というか、不可能でしょう。物を考える生き物には。
あなたの言いたいことは分かりますが、
時間を取り入れて話すことの難しさにもっと気付くべきでは?
どもです。あ、レスどうもです。62さん頑張って下さい〜ヽ(´∇`)ノ
で少し思ったことを。
さっきまで「未来」だったトキは、今この瞬間に「今」を過ぎて「過去」になるのね。
それが「現在は未来に拘束される」というのが過去に1さんが合意したこと。
忘れるとポイントずれちゃうから上に一応かいといたのですが、意味なかったですな。
それにも拘らず利「今」主義というためには、他のことを考えてはイケナイと言う事。
要するに、視線の先を「目の前の現在」にあてたまま動かすなということ。
それをそらした時(具体的には「思考・想像」したとき)に、未来や過去がまざってきて
「今」が濁ってしまう、というのが「思考が利今主義を曇らせる」ということ。
時間に関して思ったのはこんなこと。同じようなこと何回もかかれてる気がするけど。
今問題なのは利己主義ですね。ってこれも前に書いたので割愛(汗
徹頭徹尾好きなことをやる、というのと何かを好き(快・利)と思うのと
どっちが先なんでしょうね。それがなんとなく線引きされれば良い気もする。
(好きだと思うのが先ならば、106で仰ってるような「他人による変質」は起こらないといえると思うのです)
(↑その変質さえ利に同化するので。言語に関してはどうなんでしょう。考え中)
そうなると今度はこどもの話になりますか。
(個人的には、子供の頃から利己的という考え。よって62さんに同意)
>もし真の利己主義者ならば、利己主義の意味を聞かれたとき「私(今、書き込
>みをしている「この私」)の利益や快楽〜」と答えなければならないはず。が
>しかしそれは同意も理解もされない。よって必然的に、誰もが自分勝手という
>一般的で普遍的な利己主義(間違っているが正しい利己主義)を主張すること
>になる。利他的な匂いを併せ持つ利己主義というような普遍的な主張を。
同意も理解もされると思いますよ?ただ、辞書には載せられないだけです。
(シニフィエは完全には言語表記され得ない)
利他的な面も持つ利己というのは、(他人から見て)利他的な(己にとっては)利己的な行為、
だと思うんです。主観と客観がね、ごちゃまぜかと思われ←一時期の私の混乱の原因
当人にとっては、どこまでも純粋な利己だと思うのです(↑に書いたように利に同化しますから)
(ただ、自分の中にも他人がいますよね(笑)これがまた問題)
これ(利己的行為)に対立するものは、ここの意味では「強制・服従」ではないでしょうか(私見)
自分が利と思わないことを無理矢理させられる、という点で。
(死か服従か、といわれたら、服従にも生存の利があるけど、利己としては赤字(笑))
利己と利他に関してはこんな事を考えてました。
でもどうして「利己主義を突き詰めると利今主義になる」のか?が疑問(前出)が
とけていませんです。カキコ読んでも明確につかめません。(私が虚無主義者だからか?)
なんか、微妙な話をしてるようなので、用語のシニフィエの共通理解のために
1度整理して下さるとうれしいです>1さん。横乱文失礼。
うーん、どこからコメントするべきか。
>>62 ◆N0Plfghkさん
鋭い指摘、ありがとうございます。
まず
>
>>1では「たいていの人」を対象にしていたのに、言葉本来の意味において
>「利己主義」なら、ほとんどの人は当てはまらないような?
と私の利己主義の意味(用法)に関する問題点を指摘しつつ
>うーむ、こうして他人を意識してしまう自分は、利己主義を徹底しきれてないのか。
>でも、自分のためとしか考えてないような。
徹底されない利己主義について感度を持ってしまってるあたり、たぶん私と基本的な
問題は共有されてるんだと思います。特に
>同意も理解も得る必要が無い。だから利己主義者なんです。
>他人に理解してもらおうと考えるなら、その思いは利己主義ではないんです。
激しく同意。よって真の利己主義者なら「私〜」と答えるというのは矛盾はありますし
訂正しなければならないミスです。
おそらく利己主義と利今主義(時間概念)の関連性は存在するか否か?が我々の議論の
ポイントなんんじゃないかな?違っていたら私の読解力がないって事で失礼。
また無人島の例は私自身うすうすタイムパラドックスに気付いていたので、
返す言葉もないです。矛盾含みの説明だしおっしゃる通りだと思います。ただ
>利己主義に、未来の自分と今の自分を区別しなくてはいけない理由がつかめない。
というのは、自分の区別ではなく、未来と今の比較のための思考実験ですし
>同じ欲望を今適えるか、後で適えるかは、利己主義と関係なく今が良いと思う。
という事実を説明するための区別でした(矛盾はあれども)。
ただ、私はやはり「今」が(徹底的な)利己主義と関係ないとも思えません。
そしてその利己主義とは相互理解可能な意味で使う利己主義、ではないです。
我々の議論(発言)全体に利己主義の読み替えが交錯していて話をややこしくしてる
わけで。私の不用意な表現のせいでもあるけど、62さんも混乱しているような気がします。
それはつまり
>>110の「同意も理解も得る必要が無い。だから利己主義者なんです」
という利己主義に関して私は「今」および利今主義を語っているので、その後の
>>113の
「なぜならその方が得だと計算するから。でも、彼が利己主義なのに変わりは無い」
という利己主義は「今」も何もないし、それに続けて「では、「利今主義」って何?」と
問われても、それは利今主義の問題とずれてしまってるわけです。あと、もしかしたら
私の「今」に関する問題感覚は
>>108の方が分かりやすい説明をしているかもしれない。
以上、コメントに対するコメントでした。
あと、62さんも自分の考える「利己および利今主義」の主張を展開して貰えませんか。
お手数ながら、その方が私もその他の参加者も論点が理解しやすくなると思うので。
私ももう一度、利己主義を整理しつつ利今主義に迫る考察を書き込むつもりですが…。
>>117 >利「今」主義というためには、他のことを考えてはイケナイと言う事。
>要するに、視線の先を「目の前の現在」にあてたまま動かすなということ。
>それをそらした時(具体的には「思考・想像」したとき)に、未来や過去がまざってきて
>「今」が濁ってしまう、というのが「思考が利今主義を曇らせる」ということ。
これは「利今主義」に関するなかなかの説明だと思います。
ただ「考えてはイケナイ」のではないし「現在に目をあてたまま動かすな」とも言えない。
それは踏み外しで、純粋な利今主義者は「他のことなど(そして何もかも)考えない」のです。
未来や他人といった概念そのものが彼にない。それが純粋な利己主義であり利今主義でもある。
だけれども、それは矛盾無く「表現」できるようなものではない、と。
>徹頭徹尾好きなことをやる、というのと何かを好き(快・利)と思うのと
>どっちが先なんでしょうね。それがなんとなく線引きされれば良い気もする。
そこのところ、もう少し詳しく展開してみて貰えませんか?
私にはそれが「(他人による)利己主義の変質」にどう関係するのかよく分からないです。
>(「この私」に関する徹底的な利己主義)同意も理解もされると思いますよ?
いや、それは決定的にされないと思います。それが純粋で徹底的な利己主義の本質だと思う。
と言うか、理解されたらもう徹底的な利己主義ではない。読み替えられた普通の利己主義に変化するはず。
>>116 基本的に同意。また116さん同様、
>>115さんの言いたいことは分かります。
ただ、
>何秒以内なら今と判断が下されるのか教えてください。
こういう批判は意味がないと思うし(116さんも理解されてるでしょうが)、
逆に何を議論しているのか誤解を生むような気もするし、ちょっと。
できれば議論を進める有効な意見を与えて欲しいです。お願いします。
私が何を問題に感じているか、分かってらっしゃる気がするので。
>>109 >>95さんの
>うまれた瞬間は、利己主義なんではなくて、どんな行動をとろうが
>利己的な結果しか生じない状態におかれているだけでしょう。
>そうかなあ。残念ながら、経験しているはずが記憶にありませんが、
>生まれた瞬間(というより赤ん坊のうち)は、
>他人を気にせず自分の思うままに行動していると思うのですが。
赤ん坊は、自分という意識がありません。だから利己的であれません。
行動する結果が利己になっている、と外部から見なしうるだけです。
<利己主義について>
辞書の定義について・・・人間のすべての行動は、その当人の欲望のままに行う、他人のための行動も
突き詰めれば自分のためである、というのは、論じ得ないことについて定義しています。
というのは、当人の欲望は外部から観察した結果導かれる評価です(本人が欲望を抱いていると認めた
としても、やはりそれを私たちが、外部から判定するのです)。だから当人の欲望のままに行う
という表現を認めることはできません。私たちは、「彼が自己の利益を彼の意思ではかったと
「評価する」」のです
(欲望は見えないので、利己的な人間に取っての利益が外部に現れなかった場合には、それは
利己主義的とは判定「されません」。これを、利己主義者が、因果的にあとにもたらされる見込みが
ある自分の利益をはかる目的で、他人の利益を図っている状況にあてはめて考えて見てください
重要なことは、利己的であることを判定できないということです)
「他人のための行動も突き詰めれば〜」の方は、他人にとっての利益は、突き詰めても他人にとっては、
それが得られた段階で、他人に取っての利益です。それで十分他人にとっては利他的だと判断できる
のです。それがあとの段階で、彼は利己的だったと判断できる場合ももちろんありますが。
ですから、あくまで私たちは、外部に現れた利益の配分と、それに対しての意思に関する推定如何で、
同じ状況を利己的とも利他的とも判断するのです。重要なことは、これしかできないということです。
自分の考えについては、確実に利己的であると判断出来ますが、それは上の通り、他の人と共有でき
ません(自分が他人の利益になる行動を、過程として、また結果として取った場合、いくらこちらが
利己的な動機からやったんだと主張しようが、いやそんなことはないと言われれば、なんともしようが
ありません)。
<利今主義について>
まず利己主義という概念を徹底すると、利今主義になるとのことですが、利己主義が文字通りに
利己的な主義だというなら、手段として今の利益を失わせて、あとにくる利益をとる場合はありえます。
まずこの段階で、当然には利今主義にはなりません。
次に、利今主義が、「当人には意識されないものとして(つまりそもそも先のことが眼中にないという
あり方で)ある」場合ですが、これは利今的と評しうるかもしれませんが、利今主義ではありません。
彼は今の利益をはかることを主張してなどいないからです。
訂正します。
<利己主義について>の最後のパラグラフ
>過程として、また結果として取った場合、〜
↓
>過程として取った場合、また結果として取ってしまった場合、〜
失礼しました。
利己主義に関する分類、およびその考察と、利今主義について
1)人は皆この私唯一の利益や快楽だけを考えて行動している(徹底的な利己主義)
2)人はどうあれど私は利益や快楽だけを考えて行動している(個人的な利己主義)
3)すべての人は自分の利益や快楽だけを考えて行動している(一般的な利己主義)
4)そもそも人は自分の利益や快楽だけを考えて行動してない(一般的な利他主義)
本来、利己主義とは1でなければならない。利己主義の根本的根拠が特別なのは私だ、
ということであり、同意も理解も得る必要が無い、私唯一の自分勝手主義であるから。
つまり外部がどうあれ、いつでも率直に端的な利を得る(得てしまう)あり方である。
しかし、これは「この私」以外の他人が理解すると、必然的に2、そしてさらに3へと
変化・退化する。これは思考を行い言語を使う我々には避けられない事態だろう。
(なお、1と2・3のグループは絶対的利己主義と相対的利己主義に分類可能である)
また、3は4へ変化の可能性が萌芽的に存在するのではないか?なぜなら誰もが利己的
とは、ある意味で矛盾したあり方であり、それは乱暴に捉えれば、誰もが利他的と変造
されうる要素がなくもないから。(なお、利他主義の分類は本題から外れるため省略)
いずれにせよ1こそが本来の純化された利己主義。がそれは必然的に思考も志向も矛盾
する主義。概念は語れるが、存在(事実とその行為)そのものは純粋に語れない主義。
それは思考そのものを否定し、言葉(論理)が届かないからこそあり得るのであろう。
ともあれその概念には、唯一の「今」が関連している。利己主義の根拠である特別な私
は「今」の存在でもあるから。それが利今主義と利己主義の関連だと私は感じる。徹底
的利己主義者は時に他人を考慮する、など絶対にあり得ない存在であり、したがって彼
は「いつでも」利己主義である。そう、いつでも。つまり絶えず現在を生き(もちろん
未来などという概念を持たず)、そしてただ単に「今の利」を得続けていく(得るしか
ない)そういう存在であらざるを得ない。これを私は「利今主義者」と定義している。
すなわち、徹底的利己主義とは結局、徹底的に利今主義でもある、と私は考える。
が、しかしそれも矛盾なく表現ができるものではなく、結局、利己主義および利今主義
は絶えず、いつでも、すでにその本来の意味が読み替えられていく(いる)のである。
とまあ、違う語り方で基本的には以前と同じ事を説明してますが、いかがでしょう?
というか、書いている途中で
>>121を読みました。
激しく同意だし、鋭い指摘すぎて何も言えません。仰せの通り。
このスレの利己主義および利今主義に関する最高の考察・説明だと思います。
124 :
考える名無しさん:01/09/20 19:38
1がバカなので放置決定
バカかどうかは知らんが長文すぎ>1
126 :
62 ◆N0Plfghk :01/09/22 00:46
連日がんばってたせいか、昨日はネットしないでダウンして失礼した。
で、今日もあまり時間無くて、きちんと返答できませんのでごめんなさい。
いま、気になった部分だけをピックアップ。
95さんの
>>121 赤ちゃんの部分は、
>赤ん坊は、自分という意識がありません。
ちょっと表現を変えて、やりたいことだけをやっているという意味で出したのですが、
起点らしき部分(93)では”生まれた「瞬間」”なんで、
生まれたての赤ん坊にやりたいことをやる意識があるのかが立証不可能なので、
その辺りから正しい表現とはいえませんね。
二酉さんも賛同してくれたように、ある程度自分の意思で行動しているらしき赤ん坊が、
(乳児、新生児、幼児、正しい使い分けが出来て無くてごめん。)
自分のしたいことだけしているように”見える”(重要)という点では、
95さんも同意してもらえるのではないでしょうか?(違ったらごめん)
次の「利己主義」では、103での自分の書き込みを了承してくれたのか、
言葉本来の意味と違う用法で説明してくれています。
自分もなるほどと感嘆しました。(で、自分の未熟さを恥じ入る)
赤ん坊では「客観」だったのに、都合のいいときだけ「主観」、(逆か)
哲学をする上で整合性にかけると非難されたら返す言葉ありません。
利今に関しては、確かに「主義」ではありません。
この、言葉にこだわる姿勢が足りなかったようです。
自分なりの解釈としては、利己主義の一形態として利今的がありうる。
では、改めて1さんに保留していた疑問をぶつけますが、
>>1でのたいていの人と、この利今的な人とに、隔たりを感じるのですが、
この辺りはどうお考えでしょうか?
他の書き込みに対する自分の返答なり意見は、
また後日にさせていただきます。
逃げたと思われるのが嫌なので、一言断って今日も休ませて頂きます。
後日書き込みますので、皆さんよろしくお願いします。
なんだかんだ言いつつスレに参加してしまってるな。
>>116 確かに表現が乱暴だったよ。ソマソ。
>>124 そうか?類似スレはいっぱいあるけど、ここの議論はひと味違うと思われ。
長文が多いのも仕方ないというか。
>>126 >利今に関しては、確かに「主義」ではありません。
そうそう。そのへんが難しいんだけど。
ただ、主義にはなりえないけど、確かにそれはあると俺は感じるな。
つうか、そっちの方が自然というか普通というか。根っこ、みたいな。
部分返答形式。全体でひとつになってません。
>>127 1さんや99さんは、利己主義というのは利今が元にある、という考えのようですが、
自分は利己主義の中で、思慮が足りないと利今的になりうる、という考えなのです。
利己主義=自分さえ良ければ他はどうでもいい
利今的 =今の自分さえ良ければ未来の自分もどうでもいい
視野狭窄で、他の部分にまで考えがいたらなければ、
短絡的に(今の)自分さえ良ければ良いという考えになりうる。
この辺り、解る様な、解らん様なですが、
利己主義=皆、利今的とは限らないと思うので、
1さんの言いたい利今的とは微妙に違うのかなぁ?
では、改めて126で書いた疑問を提示しておきますが、
現在認識されてきている利己主義(利今的)は、かなり特殊であり、
出発点である1の「たいていの人が人生計画を立てるのは不思議」とは、
大きく目的がそれている気がするのですが、いかがでしょう?
もちろん、これが逸脱だとすると、自分にも大きく責任があると思うのですが、
84(82での説明を受けて)以降、利己主義・利今(主義)に注目してきたのですが、
概略がつかめてきた結果、自分の中で元の問題とのずれが気になり始めました。
自分の認識している概略が見当はずれなのか、
あるいはこの概略通りでも、整合性のある意見となりうるのか、
この辺りへの1さんの回答、もしくは説明をお願いします。
他の方で、説明できる人がいましたらお願いします。
では、続く。
>>124 1がバカなら、議論している自分もバカですし、それの相手をした124さんもバカでは?
>>125 簡素に説明できないのは自分もですが、省略しすぎて訳が解らないより、
説明過多の方が良いと思いますが。
わざわざ相手してすみません。
>>123 利己主義に関して、自分自身、95さんのカキコを受けて103でお願いしたことと、
その後の1さんのカキコを受けて109で書いたことと、
傍から見て整合性がついてないと指摘を受けそうですが、
その点で迷惑かけてすみませんでした。(特に121での95さん)
1さんはなんかこう、ややこしく捕らえていますが、
利己主義は「自分の利益を最優先にし、
他人や社会全般の利害など考えようとしない態度。身勝手な考え方」で
良いのではないでしょうか?
>1)人は皆この私唯一の利益や快楽だけを考えて行動している(徹底的な利己主義)
これでは、利己主義というより思慮の浅い自己中心主義の気がします。
(自分を中心に(自分のために)世の中が廻っている、見たいな感じ)
1さんの利今がこの辺りを根拠にしているとすると、
やはり「たいていの人」とは合致しない気がするのですが?
そもそもここで書いた「利己主義」って、たいていの人に当てはまるのでしょうか?
客観的にみて、利他的であれば、ここで言う「利己主義」には当てはまりませんよねぇ。
自分も95さんに指摘を受けるまで「利己主義」をあいまいに使用してきましたが、
そのあいまいさのおかげで、脱線してきている気がします。
(その脱線した議論が面白かったのですが、脱線したままで良いのか?
改めて別スレですべきなのか、続けるべきか、皆さんがどう思っているのかがわかりません)
1さん、もしくは誰かが方向性を示してくれるとありがたいです。(人任せ)
まだ続く。
>>117二酉さん
レスありがとうございます。
ご挨拶遅れて失礼しました。
>>115 111さん
レスありがとうございます。
ほめられたのか、笑われたのか(笑)
(当人好きで書いてますから)
>ただし「人間は自分のやりたいことしかやらない」というのは、
>結局は「自分の利益や快楽だけを考えて行動する」とも取れるしね。
この辺りを95さんに指摘を受けて、迷走に入ってるんですが。
他人のための行動=本人のやりたいこと、という面で利己的と使ってきたんですが、
他人の利益になる<>利己主義で、話がややこしいんですよね。
自分も迷走させてきた側なので、ここで改めて利己主義言葉の定義する内容を、
確認しておくことを提案します。
利己主義を突き詰めると利今(主義)になるのか?
これに賛同する方も疑問を抱く側も、「利己主義」をどう使っているかを再確認していただけるとありがたいです。
自分は109以降、辞書の意味で使っているのですが、
そうすると今度はその「利己主義」ではたいていの人に当てはまらない・・・。
利己主義=利今(主義)の概略への疑問と、
利己主義<>たいていの人、への疑問、
現在自分の中では、これが大きな幹です。
あと少しだけ続かせてもらいます。
>1さん
118での書き込みに答えさせていただきます。
>おそらく利己主義と利今主義(時間概念)の関連性は存在するか否か?が我々の議論の
>ポイントなんんじゃないかな?違っていたら私の読解力がないって事で失礼。
ええ、ひとつはそうです。
その後の書き込みを受けて、自分としては、
「視野狭窄に陥った利己主義は、利今(主義)になりうる」という解釈になったのですが、
あるいは、「思慮の浅い子供のうちの利己主義は、利今的でもある」ということなのですが、
これでは問題があるようでしたら、ご指摘、説明お願いします。
もうひとつの問題点としては、95さんの指摘以降、あるいはそれ以前から、
「利己主義」という言葉の意味があいまいだったのですが、
辞書の意味に従うと、たいていの人はあてはまらない気がするのですが、
(程度の差こそあれ、他人のことも考えるでしょうし)
その辺りはどうなのでしょうか?
1さんの中では整合性が取れているのか、
議論が進むうちに話が流れ、「たいていの人」は問題ではないのか、
その辺りも解説お願いします。
利己主義・利今(主義)に関して自分の見解としては、
言葉にこだわるようにして、表現を変えると、
たいていの人は、やりたいようにしかやらない。自分のしたいことしかしない。
強制等により、選択肢を狭められても、その中で自分のしたいことしかしない。
その意味では、(主観的に)利己的だといえます。
利他的な行為も、本人の精神的満足という点からは、利己的といえます。
換言すれば、「人のために」というのは、人に喜んでもらうという、
自己の精神的満足のため、と言えます。
結局は自分のためといえるのですが、客観的に他の人の利になっているかで、
利己主義的と利他主義的に分けることが出来るのだと思います。
そうなると、利己主義そのものの人間が想定できず、
(その特殊な形態である)利今(主義)も、実生活の中では見出せません。
利己主義的でもあり、時に利他主義的でもあるたいていの人は、
利今(主義)にとらわれることが無いので、
将来のことを考えて生活設計を立てることになんら疑問を見出せない、というのが、
今の段階での総合的な見解です。
途中から参加していただいた方(自分も途中からですが)の中には、
「もっと利己主義と今との関係を深めたい」という方もいるかもしれませんし、
新たな問題提起、あるいは、自分の見解の欠点の指摘等、
興味ある方の書き込み、お待ちしています。
返事遅れたらすみません、やっと終わります、長々と失礼しました。
誰も書き込んで無い。
終わったと解釈するべきかな?
意見のある方は書き込んで、上げてください。
中身無いんで下げときます。
書き忘れ
お相手してくれた方々、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましたら、よろしく!
これで終わりなの?
密かにROMを楽しんでたのに残念。
>>134 誰かが相手してくれないと、一人ではちょっと・・・。
1さん、あるいは興味のある人が問題提起してもらえればいいのですが、
なければこのままお休みでしょう。