中国哲学は哲学か?(パート3)

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485考える名無しさん
処世術って、社会におもねってるものが多いから基本的に嫌いだけど、「処世術なんて哲学じゃないからくだらない」というのもまたどうかと思う。
哲学者のごたくより、「人生なんてこんなものさ」と教えられた人生の知恵のほうがよっぽど貴重で役に立ったりする。
中国思想も、やっぱり哲学というよりは処世術に近いような気がするけど、老荘なんかけっこうとんでいて、一筋縄ではいかない。老荘は落ちこぼれの思想だと思うけど、個人的には癒されるし好きだなあ。
486それは:02/05/22 21:29
「老」に? それとも「荘」に?

  >個人的には癒されるし好きだなあ。
487考える名無しさん:02/05/22 21:45
>>486
そこにどれくらいの違いがあるとかんがえているのか?
488486:02/05/22 22:13
根本的に違うものだと考えてますが、何か?

つか、何で「老」と「荘」とを同じものだと思うの?
489考える名無しさん:02/05/23 00:23
>>488
すいません、どうちがうんですか?
具体的になにがちがうんですか?
490二酉:02/05/23 00:41
>>485
穴ぼこにされて死んじゃう渾沌の話とか聞いて、癒されるんでしか?
その感性に興味津々丸。
491考える名無しさん:02/05/23 00:43
じゃあ多分、チャックにはさまれる話も癒し系に聞こえただろうね。
492 :02/05/23 01:01
中国の易は単なる処世術と違う。天地人にわたる全てを陰陽の原理で説明する
宇宙論的哲学である。それに基いて処世を説く。
ギリシア哲学が自己の内面に引きこもるのに対し、易などは変化する環境に
対応する方法を説くという点でギリシアにはないものを含んでいる。
易を読むとかなり精密だよ。細かく対処法が記されている。
493486:02/05/23 09:32
>>489

そうだね、……たとえば……

たとえば、価値判断というものを全否定しちゃう荘子(内篇)の思想と、
剛柔・高低・男女・という価値判断を重視する老子の思想とは同じか?

あと、高低とか生死とかを「斉物論」しちゃって、世俗的な成功とかを
ぜんぶ度外視しちゃう荘子と、「これを取らんと欲すれば」とかいう
目的のために「しばらく之を与う」とかの作為・方便を弄する老子とは、
同じ思想なのか?
494考える名無しさん:02/05/23 15:00
>>493
そうですね。
老子は世俗の民草までを教化の対象に入れてるから処世的な
部分が出てくるのだと思っています。私は、観念論的に終始する
よりも、こういう部分が好きなのです。
でも心斎や座忘という瞑想的神秘体験の根源は同じだと
思うんです。そこからのフィードバックは違っても・・・
つまり全一感的な安らぎの境地で暮らせるなら、争う気持ちも
なだらかに落ち着くだろうという部分では、首尾一貫していると
思っているんですけど・・・
495無名:02/05/25 03:09
政治理論か否かの違いはあるけど、老子も荘子もアンチ儒教に変わりは無い。アンチなんとかは、いつも反対のことを言っていればいいのだから、けっこう簡単なものだけど、反体制というのは、いつの世でも常に、人々を魅了しつづける。
でも、「自然のままに生きる」なんて、実際にやってみようとしたら、なにが自然だかわかんなくなって、できやしないよ。