>>163 統計的にそういうことが生じている、くらいならこの世界の出来事の
ほとんどがそうなると思うのですが・・・(汗
少なくともそれだけで学問の一分野として成立するくらいには偏差がある、ということで。
まあ、大雑把すぎるのもなんですが重箱の隅をつつくようなのも頂けないってことで(謎
・・・これが中庸の精神か(違 連続カキコすまそ。
173 :
考える名無しさん:01/09/11 22:57
崖に落ちる子供を放って置いたって別に悪ではないでしょう。
突き落としたんなら悪だろうけど。
174 :
考える名無しさん:01/09/12 05:27
利他が善で,利己が悪なの?
善悪の定義がそういう簡単なものなら,
遺伝子は悪だね.
で,遺伝子のの乗り物である個体のレベルでは
ケースバイケースだね.
環境変数によって変わる.
心を平安に保つには,バランスが必要.
人間は社会的動物でしょう.そう考えると,
人間という個体レベルでは,結局,バランスを
とる方が重要なのではないかしらん.
徹底的に利己的にやってりゃ,社会的にいたいし,
徹底的に利他的じゃ,生きてゆけないし・・・ね.
人間の本性が善か悪か,と分けるより,善悪の定義が
問題だと思うよ.
善悪っていうもの自体そもそも存在しない。
人間を「社会的動物」とするなら,
「社会的」=利他的,「動物」=利己的なわけだから,
本性として,両方とも備えているとおもう.
2つの本性の間で揺れ動くのが人間!
まぁ,厨房が性悪(しょうわる)であることには同意.
血縁度というのは興味深い概念ですね。
でもハチの中には集団を作らない種類もあるのになぜ…ってのは生物の問題っすね。
スレ読んでると「利己的遺伝子」なんて言葉が言いたくなっちゃいますがちゃうっすか。
「自分の子供以外は助けない」というのが道徳を知らない本来的な人間(つまりは動物としての人間?)
ならば、それでもなお崖から落ちそうな赤ん坊を見たらしかし反射的に手が出そうになるその一瞬の
判断(判断?)こそが人間ならではの本性だと考えていいんでしょか。
いやそれでも倫理道徳をも兼ね備えるのが人間なのだから、それを含めての本性なんでしょか。
人間の本性という字義に近いのは前者だと思うですが。
んでまた沸いてきたはた迷惑な疑問。
「人間はその成長の段階においていつ崖から落ちそうになっている赤ん坊を助けるのだろうか」
例えば3歳児は助けないと思うですよ。小学校高学年ならおそらく手が出るとは思うです。
ならばその間にどんな教育があったのか。あるいはその間に人間固有の本能が顕現したのか。
あるいは幼児期にだって助けようと判断はしているけど能力がないのか。むーん…。
とりあえず利他的行動が善なのか悪なのかはおいといちゃってますが、この人間の利他的行動の
反射的速さが不思議です。逆ってある?反射的な他害行動。あ、また疑問が…。
178 :
考える名無しさん:01/09/12 09:19
ビルの下で死んだ消防士さん達がかわいそうでなりませんよ。
犠牲になった民間人も。
そういう事を言っちゃいけませんよ。
ちょっと思った事を。
本性が善であろうと悪であろうと、今こうやってPCいじってコミュニケーションできる位に
成長した私たちは、学校教育や家庭教育などで、いわば「善への矯正」を
受けた後の状態だと思うのですが、いかかでしょう?なので現段階で善に傾いたり
悪に揺らいだりするのは至極当然の事かと(私見)つっこみ希望。
>>174 善悪の定義は人間がする、って事には落ち着いたのですが
これ以上ミクロなとこに突っ込めないのが現状です(上記レス参照)
>>177 まさにその話ですよ(笑)>利己的遺伝子
乗り物も乗り物なりに自分達や世界を考えるんですな(違
幼児期に・・・助けようと思うんでしょうかね???
保育とか幼児教育に詳しい人なら分かるのでしょうか・・・
発達段階で考えると、乳児期中期以降に親の区別がやっとつくようになるそうです。。
それまで何を考えてるんだろう・・・謎。
利己的遺伝子(セルフィッシュジーン)や生物学に興味の湧いた方、さっきの話を
詳しく知りたい方は竹内久美子さんの著作を読まれてみては。って板違いすまそ。
180 :
考える名無しさん:01/09/12 19:06
>>177 小学校低学年ぐらいに突き落とす時期がありそうな気がしてきた。
捕まえた昆虫の羽や肢をもぎ取るあの残酷さで。
>>158 >善・悪のイメージにばかりとらわれて、「ある主体にとって」を
>観念しないから、無用の混乱を招くのじゃよ。
ブッシュ大統領の「正義の名のもとに裁く」という言葉は正に如実ですね。
アメリカの正義、テロリストの正義は完全に相反しています。
もちろんG8の各国の正義も、、、さて日本の正義はどこに?
この世には人の数だけ正義があるのじゃよ。
正義があると思うからこそ日常を逸脱してまで行動をおこすのじゃ。
彼らの耳に入るのは称賛の声だけでな、なんとも便利な耳じゃと思うたわい。
ニ酉さん、レス遅れてすみません。話の流れが変わったみたいで申し訳ないですが、
いくつか考えたことを書きます。
>>169 まず、行動生態学であっても、哲学的(私にしてみれば、単に論理的になので、行動生態学の範疇で
話しているつもりなのですが・・・)な検討は欠かせないと考えます。というのは、私は哲学を、
偏見を形成しやすい思考パターンを回避する方法のあつまり、程度に考えているからです。
では続き。以降;
総合的な話になりますが、概念設定に基づく計算をしたのは人間なので、それだと「人間が」利己的
(でも利他的でもいいんですが)な行動であると「評価する」論拠にしかなっていないです。
遺伝子が残りやすいのは、彼らが意識して決定したことではなくて、彼らに与えられた・ついて
まわる構造である、と見るほうが自然でしょう。
>>171 >生殖器が「卵を産める状態のもの」なのでメスなのだそうな。
この定義は分かりました。
>誰にとって、というかこれは本能レベルじゃないですか?
>性衝動もそのひとつの現われかと。ああ、種レベルで考えるのが一般的でしょう。
>人間にはDINKSなんて方々も居りますし。
まず「自分の子孫を残す」という表現を用いてらしたので、主体を問題にするのは不自然ではないです。
種レベルで考えるなら、「自分」という概念が通用する余地がどこにあるのか疑問です。
(「個体Aの子孫(個体A’)が残る」と、「個体Aが子孫(個体A’)を残す」では、全然言い表さ
れている意味が違います。後者は、個体Aの意思という観点が混ざってしまっています)。
本能レベル、というだけでは、説明になっていません。性〜現われ、は、それを前提とした帰結です。
DINKSがいるから、種レベルで考えるというのは、おかしいです。まず人間と昆虫についていきなり
類比が成立するかのようです。また、DINKSがいるなら、それはせいぜい本能概念を観念することへの
反証にしかならないはずで、それを理由に種レべルで考察するのが一般的と言っても、本能概念を
取るべき理由を示したことにはなりません(ああ、以降の、論理の流れについての指摘です)。
>>ワーカーが子であるとか、姉妹とかの概念は、人間における関係を成立するかどうか
>>わからない類比でもって定義してしまっているように思われるのですが、どうですか?
>これは単に「親を同じくする血縁関係における位置づけ」ってことでいいんじゃないですか?
>ワーカーは、それを産んだ女王からすれば子(娘)。同様にオスは息子。ワーカー同士は両親が
>同じで生まれが早い方が姉、遅い方が妹。なぜならメス(♀)しかいないから。
>議論を妨害する程の概念の紛れ込む余地はないかと思うのですが・・・。
ここはもう少しきちんと調べてから考えようと思います。ただ、ここの説明だと、私が述べた疑問ヘの
回答にはなっていないです。姉や妹という概念がどこで必要になるのかわかりません。
>これは、「産もうと思えば自分の子を産めるのにそれをせずに、他人やその他人の子の世話を
>している」から利他行動なわけです。
これは、彼らが、産む、自分、他人、子、世話、という概念を分かっていなければ説明になりませんし、
種に備わった本能だというなら(それにも賛成はしませんが)、それとも整合的でない説明だと
思いますが。
>>172 世界の出来事がほとんどそうなる(そう説明される)なら、その説明が説明できないはずのことまで
「説明できることにしてしまっている」からです。「仮説して」「現実的な成果を目指す」なら、
別に問題はないですし、私はそれを承認することは非常に大切なことだと思いますが。それと
理論的な正しさは、別問題です。
それと、論理的に可能である批判に対して、重箱の隅をつつくというのは、論理的な批判という形式を
繰り返しとることだけで成立する批判なので、愚弄しているのと同じです。やめるべきです。
すみません。HN入れ忘れました。151です。
>>183 行動生態学に哲学的な視点を持ち込む・・・のは悪くないと思うのですが
あっちは観察対象が実在し、実験・分析に基づいた数学的な学問ということは忘れないで下さい。
用語も、それ自体が専門的タームなので(姉・妹もその例)
>遺伝子が残りやすいのは、彼らが意識して決定したことではなくて、彼らに与えられた・ついて
>まわる構造である、と見るほうが自然でしょう。
この、なぜついて回るのか?を考えた時に遺伝子を考える納得が行くのです。
うああ・・・循環してる・・・
遺伝子は残そうと思ってのこせるものではないです。個体レベルでは性交するかしないか、
(人間は妊娠するかしないかも)選択権がありますが、種レベルでみれば
トキのように外的な条件でその遺伝子か絶たれ(これが最も多い)てしまうからです。
>種レベルで考えるなら、「自分」という概念が通用する余地がどこにあるのか疑問です。
>(「個体Aの子孫(個体A’)が残る」と、「個体Aが子孫(個体A’)を残す」では、全然言い表さ
> れている意味が違います。後者は、個体Aの意思という観点が混ざってしまっています)。
どちらも「自分(個体A)と共通の遺伝子を残す、という観点からは同じです。
内容すごくが変わるとは思いませんでした。失礼。
個体の意志が種の意志にそんなに影響を与えない例は↓に示した通りです。
DINKS(double income, no kids)が何であるかご存知ですか?
個々の「人間」には「子供を持たない主義」の人もいますが、
人間としての「種」で見ると年々人口は増加の傾向にあります。
(まあ、途上国の経済問題なども原因なのですが)
「種」としては繁殖の意志があるという事になります。
ここに個体の意志は影響していません。
なので子孫を残すというのを「だれにとって」と考えるなら
「種にとって」と考えるのが無難であろうといったのです。
ああ、だんだん混乱してきた・・・
>これは、彼らが、産む、自分、他人、子、世話、という概念を分かっていなければ説明になりませんし、
>種に備わった本能だというなら(それにも賛成はしませんが)、それとも整合的でない説明だと
>思いますが。
言葉は、対象の行動・概念があって生れたものだとおもいます。
行動に名前をつけた(走る、寝るなど)のは人間ですが、
動物はその名前がなくとも行動します。
ちなみに親が子の世話をするというのは、
マイアサウラ(恐竜)の時代ですでに見られる行動らしいです。
この時代に人間はいませんでしたね。
姉や妹、という「概念」は必要ないです。今現在使用されている「道具」としてある程度、
共通の認識が得られている「言葉」が、「姉・妹」以外に思い付かないもので。
>世界の出来事がほとんどそうなる(そう説明される)なら、その説明が説明できないはずのことまで
>「説明できることにしてしまっている」からです。「仮説して」「現実的な成果を目指す」なら、
>別に問題はないですし、私はそれを承認することは非常に大切なことだと思いますが。それと
>理論的な正しさは、別問題です。
完全な客観としての理論的正さというのは、知りようがありません。
どのレベル、どの理論での正しさをおっしゃっているんでしょう?
私にとって生物が自分の子孫を残し、その間に進化を経て今の世界のような状態に
至るというのはごく自然で、納得のできる説明だと思っているので。無知ですまそ。
個体の寿命(生命)には限りがあり、それはそれが意識されにくい植物でも同じでしょう。
それを踏まえて生物が子孫(その遺伝子)を残し、繁栄しようとした
結果の姿が今私たちが見ている世界だと思うのです。
生物に、本能レベルで「繁殖」が組み込まれていなかったら、こうはならないかと。
でなければとっくの昔に淘汰され、その存在の痕跡すら残らない
(残る確率が極めて低い)と思うのです。
なのでどうしてこんな事まで疑うのか?とかなり不思議なのです。
表現が悪かった事は認めます。すみません。
でもあの時は「悪意でやってるのか?」と疑うほど意想外だったのです。
表現上の問題も重要ですが、その内容の方をより重視して考えていただけると嬉しいです。
善いことやると褒められる。
悪いことするとパクラレル。
一応、すべては自分のためでしょう?
性善でも性悪でもなく、自己本位ってことじゃないかな。
善と悪とは紙一重。
本当の悪を犯した人のみが本当の善を知る。
ということをどこかで聞いたような。
悪や善というとイメージしやすそうですが、
実は、理解するのは困難なものではないでしょうか?
189 :
幼児的全能感:01/09/13 00:57
>>179 >利己的遺伝子(セルフィッシュジーン)や生物学に興味の湧いた方、さっきの話を
>詳しく知りたい方は竹内久美子さんの著作を読まれてみては。
竹内久美子はマズイっす。
利己的遺伝子の概念を歪んだ形で広めた人として有名です。
これ定説。
>>189 それは失礼。とっつきには面白い方がいいかなーと思って(汗
本気でやるなら専門書ですか。やっぱり。
ほかに一般向けで書いてて文庫になってる人っています?
読んでみたいー。
191 :
幼児的全能感:01/09/13 01:09
ありがとうございますーw
193 :
考える名無しさん:01/09/13 02:45
ですから、赤をしめすパターンの入力を受けて発生する
一群の脳神経系の興奮の遷移状態(状態遷移といったほうがいいかも)自体が
「意識が赤を認識するという現象」の実体である。
というのが私の認識です。
あなたの、
>同様に、ニューラルネットがあるパターンを示したときに私の意識に「赤が認識される」としてその原因がないのではないか?
>と言う問題意識なのですが。
という問題は、「意識」というものが、そのような
脳神経系の状態とは独立して存在しているということを
前提にしないと成り立たないと思います。
>>179 そのとおりで、まさにここが問題なんですよ。
>>同様に、ニューラルネットがあるパターンを示したときに私の意識に「赤が認識される」としてその原因がないのではないか?
>>と言う問題意識なのですが。
>という問題は、「意識」というものが、そのような
>脳神経系の状態とは独立して存在しているということを
>前提にしないと成り立たないと思います。
そのように一見思えるのですが、果して本当にそうなのか?
という事を問題にしているわけです。
人間も自然界の従属物であります。従って、「本性」自体、存在しないのです。
ですから、その行動、思考に「善」も「悪」もありません。
>>194 おっしゃる通り。
が、多分「人間の本性は人間にとって善か悪か」がテーマなんではないかと。
詳しく読んでないのでよく分かりませんが。
余談
どちらかの側に立つのではなく、問題を深く掘り下げていけばいいと思う
んですが、結局は主義思想の発表会(
>>30みたいなカキコとか)になってる
のが哲板のつまらんとこじゃないかと(もちろん全てがそうじゃないけど)。
>>114 神経は完全には有線ではありません。ニューロンとの間をシナプスと
いい、ほんのちょっぴり隙間があり、科学伝達物質にて情報を送っています。
電気エネルギーは細胞内で生起します。
>>116 意識の座は、大脳皮質前頭連合野(前頭前野)にあると言われています。
>>135 情報は集束と発散という作業によって連絡されます。これによって様々な
ニューロンに情報が受け渡されます。
>>150 種の保存として他人の赤ん坊でも助けます。死を認識した時からだと思います。
>>159 何が楽しいかは人それぞれでは?
>>173 電気量の強さで痛みの度合いを伝えます。
>>174 ちなみに遅く痛みを伝える神経系もあります。いわゆる「鈍い痛み」です。
ニ酉さん、レス遅れてすみません。話の流れが変わったみたいで申し訳ないですが、
いくつか考えたことを書きます。
>>169 まず、行動生態学であっても、哲学的(私にしてみれば、単に論理的になので、行動生態学の範疇で
話しているつもりなのですが・・・)な検討は欠かせないと考えます。というのは、私は哲学を、
偏見を形成しやすい思考パターンを回避する方法のあつまり、程度に考えているからです。
では続き。以降;
総合的な話になりますが、概念設定に基づく計算をしたのは人間なので、それだと「人間が」利己的
(でも利他的でもいいんですが)な行動であると「評価する」論拠にしかなっていないです。
遺伝子が残りやすいのは、彼らが意識して決定したことではなくて、彼らに与えられた・ついて
まわる構造である、と見るほうが自然でしょう。
>>171 >生殖器が「卵を産める状態のもの」なのでメスなのだそうな。
この定義は分かりました。
>誰にとって、というかこれは本能レベルじゃないですか?
>性衝動もそのひとつの現われかと。ああ、種レベルで考えるのが一般的でしょう。
>人間にはDINKSなんて方々も居りますし。
まず「自分の子孫を残す」という表現を用いてらしたので、主体を問題にするのは不自然ではないです。
種レベルで考えるなら、「自分」という概念が通用する余地がどこにあるのか疑問です。
(「個体Aの子孫(個体A’)が残る」と、「個体Aが子孫(個体A’)を残す」では、全然言い表さ
れている意味が違います。後者は、個体Aの意思という観点が混ざってしまっています)。
本能レベル、というだけでは、説明になっていません。性〜現われ、は、それを前提とした帰結です。
DINKSがいるから、種レベルで考えるというのは、おかしいです。まず人間と昆虫についていきなり
類比が成立するかのようです。また、DINKSがいるなら、それはせいぜい本能概念を観念することへの
反証にしかならないはずで、それを理由に種レべルで考察するのが一般的と言っても、本能概念を
取るべき理由を示したことにはなりません(ああ、以降の、論理の流れについての指摘です)。
>>ワーカーが子であるとか、姉妹とかの概念は、人間における関係を成立するかどうか
>>わからない類比でもって定義してしまっているように思われるのですが、どうですか?
>これは単に「親を同じくする血縁関係における位置づけ」ってことでいいんじゃないですか?
>ワーカーは、それを産んだ女王からすれば子(娘)。同様にオスは息子。ワーカー同士は両親が
>同じで生まれが早い方が姉、遅い方が妹。なぜならメス(♀)しかいないから。
>議論を妨害する程の概念の紛れ込む余地はないかと思うのですが・・・。
ここはもう少しきちんと調べてから考えようと思います。ただ、ここの説明だと、私が述べた疑問ヘの
回答にはなっていないです。姉や妹という概念がどこで必要になるのかわかりません。
>これは、「産もうと思えば自分の子を産めるのにそれをせずに、他人やその他人の子の世話を
>している」から利他行動なわけです。
これは、彼らが、産む、自分、他人、子、世話、という概念を分かっていなければ説明になりませんし、
種に備わった本能だというなら(それにも賛成はしませんが)、それとも整合的でない説明だと
思いますが。
>>172 世界の出来事がほとんどそうなる(そう説明される)なら、その説明が説明できないはずのことまで
「説明できることにしてしまっている」からです。「仮説して」「現実的な成果を目指す」なら、
別に問題はないですし、私はそれを承認することは非常に大切なことだと思いますが。それと
理論的な正しさは、別問題です。
それと、論理的に可能である批判に対して、重箱の隅をつつくというのは、論理的な批判という形式を
繰り返しとることだけで成立する批判なので、愚弄しているのと同じです。やめるべきです。
198 :
ラフィエル:01/09/13 16:49
善な人もいれば悪の人もいるんじゃない。
人間一般に言うのは単純化だよ。
天台の十界互具とかが適切なんじゃない。
>>196 うわあ・・・HNかぶっちゃったよ・・・
こんにちは私とは別の二酉さん。内容はコピペってバレバレですが(w
159(二酉)にレス返してるのがミステイクですね。それとも確信犯?
撹乱目的ならもう少し頑張って下さいマセ。
>>151さん
であー!暴言吐きました、その上開き直りまでして・・・すみません!
今日同じ話をしたら友人にみっちり怒られましたー・・・
私は、今の「セカイ」がこのような姿なのは「いわば必然的になるべくしてなった」
(進化・淘汰etc.)という立場(ある意味運命論者なのか?)なのですが、
「たまたま偶然残ったものが繁栄した」と考えれば
なんでそれが残ったかは「たまさか」なのですね。
たまさか、そういう偏差がある、と。
友人にはそれ以上突っ込んで聞けなかったのですが、
本当に申し訳ありませんでした。。。でもおかげで視野が少し広がりました(多謝
訓練された特殊部隊員が、後ろから抱き付いてきた自分の子供を
反射的に殺してしまった、という話も聞きましたが、
落ちそうになってる赤ん坊を助けよとそうハードに
訓練された憶えはないんすけどねえ…。
まあ何十万年も続いてきた人間社会の圧力が、
社会的善に対する反射的行動機能を身分けしたんでしょか。
あるいは善の教育は易く悪の教育は難いという偏差(適応バイアス?)があるんでしょか。
あるとしたら何によってかにゃあ…。
うーん…保留。
最初はむしろ、動物に個体意識はあるのか、
アリは巣全体が免疫の1単位としての個なのではないか
人間の反射的道徳行動は鏡像段階がなんやらとも
思ったりしましたが極端すぎっぽいっすね。
論理的に考えて抱きついてきた『もの』(この時点では)を射殺して
振り向いたら子供だったわけで、抱きつかれた瞬間
子供だと認識できる奴がいたら知りたいね。
>>201 善悪がの観念できたのは共同体社会を形成するように
なった頃(最初にタブーが意識された時?)じゃないかと私見してるんですが。
死にそうな、(ぱっと見無罪の)生き物を助ける、というのはいまの社会では
「良い事」として教えてると思うのです。例えば、学校帰りに、道路で車に轢かれた猫を
「かわいそうに」思って葬ったりする、とか。(かわいそう、という『憐憫の情』を持つのが善とされる)
良い事と悪い事があって、前者は結構簡単にできるのに後者は
ちょっと勇気が要る(自分の良心と戦う)のは、後者のリスクが前者に比べて
格段に大きいからではないでしょうか(私見)ってああ、また出た・・・>リスク
(別スレで連呼してきたばかり(´Д`) )
>最初はむしろ、動物に個体意識はあるのか、
>アリは巣全体が免疫の1単位としての個なのではないか
動物の個体意識(自我?)は、サルとかには比較的容易に見られる(らしい)
んですが、虫はどうなんでしょうね?カメには個性がある(と思う)
グッピーの群れも観察したら分かるようになるんでしょうか・・・
>人間の反射的道徳行動は鏡像段階がなんやらとも
ラカンですか?(←痛)ちとわからないのでも少し説明きぼん。
無知ですまそ。勉強するです。。。
204 :
考える名無しさん:01/10/08 04:32
いきなり兵士になって戦場に送り込まれても、人間を撃てるのは十数パーセントらしいです。
アメリカでは、現在は、それを90パーセントに高めるために、
首を固定して、残虐な場面を見せたり、ジュースの入ったキャベツを打たせたりして
抵抗をなくしていくらしい。
だから、日常生活を送っているひとたちの、90パーセントぐらいは、
少なくとも人は殺せない。少なくともためらいがある。
205 :
考える名無しさん:01/10/08 15:45
基本は善
ずれや歪みや不透明性が悪になる
と確信しつつ、
べつに根拠はない
206 :
考える名無しさん:01/10/08 16:57
基本は善でも悪でもないでしょう。生まれてからの環境が善と悪を
決めるんじゃない?
207 :
考える名無しさん:01/10/09 03:05
>206
両方だろ。 どっちかに位置ずけはできない
208 :
Iridium:01/10/09 03:21
善悪問題ってのは「社会のルール」のことだから、
前提となる社会の成立条件によって異なる。
自分と他人の優先順位について、
社会的条件付けを無視して考えると
まったくの他人よりも自分を優先するほうが自然。
相手が肉親の場合は何親等であるかと年齢による。
209 :
考える名無しさん:01/10/19 19:43
生きていくにつれて、こころが汚くなるな。実感します。
それはそれとして、善なる性質は他者との共感性にあると思います。
他者の苦しみを苦しみ、他者の喜びを喜ぶ。こういう性質はどのような人間
にもあると思います。生まれつき、それはすべての人間に備わっている
基本的な性質ではないでしょうか。
210 :
考える名無しさん:01/10/22 19:04
要するに最初の問いが変。
本性に善悪なんてないよね。赤ん坊は善悪判断しないし
欲求は最初から備わってるんだろうけどさ。
判断基準としての善悪は覚えたり教えられたりするものでしょ。
212 :
考える名無しさん:01/10/22 23:44
本性が善か悪かはわからないけど、
悪のほうが普遍的な広がりがあるようにみえる。
悪の広がりがあるから、そこに善のもとに線を引いて
その境界を分ける。
映画なんかをみても、悪というのはハッキリと分かりやすいが、
善というのは、悪との対照でみるときは際立つんだけど、
それ自体だけではハッキリしないんだよね。
213 :
考える名無しさん:01/10/22 23:47
214 :
想う名無しさん:01/10/22 23:50
基本的には本能的に子孫繁栄を目指す部分があるから
善の行いをするんじゃないのかなァ
215 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/24 02:50
善に憧れる悪だと思う。
本性というのではないけど、本能的に生きようとしたら、悪に近づくような。
まあ、悪という判断だって勝手に人間が下すものであって、自分の利益のために
他者を殺したりすることを悪と呼んでしまっていいのかとまでいわれたら考え込まざ
るを得ないけどね。
でも悪というのが、社会の秩序を乱すようなもの、社会の平和を脅かしたり害悪を
なすものという意味でいうなら、人間ていうのは本能のままでは悪だから、社会に平
和と秩序をもたらすために善を追求するんじゃないかな。
さかしらやめろ。善悪は人間が作り出した幻想。あるがままに生きよ。
217 :
考える名無しさん:01/10/24 02:55
>>215 というよりは、本能的に生きるということを
管理、否定してきたのが社会な。
したがって、本能的に生きようとするのは、
社会から悪とされてるわけ。
これまでのレスを理解できてる?
218 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/24 03:01
あ、ごめんまだ読んでない。
>>1にレスしただけ。
これから読むね。失礼しました。
219 :
考える名無しさん:01/10/24 03:03
よく読む気するね。
>>1 だって間違ってるし。あかちゃん崖から
落っこちるんじゃなくて、井戸だよ。『孟子』より。
読み返してみたら、割と初期のレスに答えが出てる気がした
善悪なんて人が決めた概念なんだし、生まれてからおぼえていくもの。
本性として備わっているとか言えるだろうか?
221 :
考える名無しさん: