◆私がフッサールですが、質問のある方はどうぞ◆

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1エトムント・フッサール
私が現象学の創始者として名高いエトムント・フッサールです。
習い立ての日本語でどんな難解な質問にもお答えします。
2考える名無しさん:2001/08/09(木) 09:01
スレ立てる時間が・・
3考える名無しさん:2001/08/09(木) 15:34
age
4名無しにゃ〜ん:2001/08/09(木) 19:14
かわいい
5考える名無しさん:2001/08/09(木) 19:41
なんかすごいな
6xeadxtgzr:2001/08/09(木) 20:24
7考える名無しさん:2001/08/09(木) 21:02
竹田青嗣ってどうよ?
8考える名無しさん:2001/08/09(木) 22:32
>>1
Also,
Koennten Sie uns erklaeren,
was die Inaktualitaetsmodifikation bedeutet?
Ich kann den Begriff gar nicht verstehen.
9考える名無しさん:2001/08/10(金) 03:00
えっと、先生は「危機書」のなかで人間の世界は“理念の衣”に覆われている
と言っていますよね。それでその衣を取り除かなければいけないと主張したそ
うなんですけど、当方厨房なんでなんでその衣をとらないといけないのかわか
りません。むしろ僕はその“理念の衣”自体を研究すべきなのではと思ってし
まうのですが・・。というか、そもそも“理念の衣”を取り除くのは何によっ
ってなんですか?“理念”によってですよね。なんか矛盾してるような・・
10考える名無しさん:2001/08/10(金) 03:17
先生が
霊界でハイデガーに再会したとき
まず彼になんとおっしゃったのですか?
11考える名無しさん:2001/08/10(金) 03:19
この不肖の弟子め!ぶち殺すぞ!!!!
12ハイデガー:2001/08/10(金) 03:21
>>11
殺すって・・
だからもう死んでるってば
13考える名無しさん:2001/08/10(金) 03:28
何度でもぶち殺す!!SEIN ZUM TODEは終わらない。本懐じゃろうて。
14エトムント・フッサール:2001/08/10(金) 03:32
>>7

知りません。

>>8

Inaktualitaetsmodifikation ですか。最近、耄碌が激しいので、
自分が何処でそのような用語を用いていたのか、忘れてしまいました。
出来ればテクストを指定して頂けますか。
もしくは文脈などを。

>>9

「理念の衣」というのは、「人間の世界」というよりも、むしろ
人々が「自然主義的態度」を取る際に着せられるものです。
例えばガイレイの自然の数学化などがそうですね。
しかし、私は「危機」書の中盤で、そうした自然主義的態度が
働く以前の、「生活世界」に還帰するように促すのです。
この還帰は勿論「現象学的還元」に沿って行われるので、
これ自体は別に自然主義的な意味での「理念」ではありません。
私が「理念の衣」を取り除きたいのは、その理念の衣によって、
人間の根本的な存在現象が覆われてしまうためです。
例えば現代の科学などは、その「精密な」方法によって、
精神科学のあらゆる領域を横断し、もはや哲学には何らの
仕事も残されていないかのような観を呈しています。
私はそのような科学主義に反対する気持ちもあるのです。
15エトムント・フッサール:2001/08/10(金) 03:36
>>8

ああ、すみません、思い出しました。確か「イデーンT」の議論ですね。
「顕在性の変様」というのは、意識の顕在性が段階性を持つという
文脈ではなかったでしょうか。その辺りのことをもう少し詳しく教えて
頂けますか。お願いします。

>>10

ハイデッガーには・・・言葉よりも先に手が出ました。
16エトムント・フッサール:2001/08/10(金) 03:47
私の思想を語る際には、ある程度時期的な区分を設けた方が良いかも知れません。
というのも、私は「論理学研究」以来、「イデーンT」に代表される中期、
また「デカルト的省察」や「形式的論理学と超越論的論理学」などに代表される後期、
また「危機」書や晩年の時間論などを含む晩期、という流れの中で、何度も思惟を重ね、
自分でも訳が分からなくなっていたからです。

ですから、ご質問のある方は、例えば、後期から晩期に見られる「地平志向性」とは何か、
とか、晩年の時間論に見られる現在化作用としての構成は、中期の構成理論といかなる関係に
あるのか、とか、そんなふうに時期、あるいは著作を明確に指示して頂けると非常に答え易いし
有難いです。もちろん、初歩的なご質問でも全然構いません。
私は
17詩人@アーロン:2001/08/10(金) 03:48
  ノ     ∧     /) ∧
  彡  ノW \从/V  W \   ミ
  (  ノ        |      ノ \)
  ∩V      、、 |       >V7
  (eLL/ ̄ ̄\/  L/ ̄ ̄\┘/3)
  (┗(      )⌒(      )┛/
   ~| \__/ |  \__/ |~     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    爻     < |  ;     爻    < 問題無い。すべて計画通りだ  みんな忘れてしまえ。
    ~爻     \_/  _, 爻~      \____________
     ~爻__/⌒ ̄ ̄ ̄~~ヽ_ 爻~
     /    ー ̄ ̄\_ ̄\
  _一‘     < ̄ ̄\\\J
<\       ー ̄ ̄ヽ_ヽJ   ̄\_
  \     _ニニニヽ )       ~\
   \  _/⌒|\ ヽ_~~ ~⌒\_
  __/~    V \_|     ~\_
18阿修羅無限大落とし:2001/08/10(金) 03:59
「後期フッサールの根本問題」スレの研究者さんが書き込みした内容
及び「後期フッサールの根本問題は歴史性にある」という主張に対し
どの様な見解を持っていますか?
(大ざっぱでイイっすよ)
19考える名無しさん:2001/08/10(金) 04:06
  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡<  俺様が2Chのフッサールだっちゅ〜の。ゴルァ!!!
 UU"""" U U    \_________
20素人:2001/08/10(金) 04:15
現象学って何か役に立つの?
21q:2001/08/10(金) 04:15
先生、レスありがとうございます。
先生は現象学的還元を理念ではないとお考えなのですね。
ちょっとそのへんがいい加減なぼくの頭では理解できないのですが
還元という発想(理念)が理念ではないということについて、もう
少し分かりやすく御教授してもらえますか?
それから“理念の衣”を取り除くのではではなく、その衣自体を研
究対象にすべきでは、というぼくの主張はどのようにお考えですか?
22考える名無しさん:2001/08/10(金) 04:49
先生、お会いできて光栄です。
青森まで来たかいがありました。
質問です。
「今日は西暦2001年8月10日です」
という命題は、ある無時間的なイデーの層で、今日という日をまっていたのでしょうか。
この命題は幾何学の定理と同じく「発見」されたものではなく、
可能的「真理」として待ち構えていたのでしょうか。
おなじ資格で?
できれば晩年の見解をお聞かせ下さい。
23考える名無しさん:2001/08/10(金) 04:53
先生頑張って下さい!
応援しています。
24エトムント・フッサール:2001/08/10(金) 06:00
>>15

in の接頭辞を見落としていました。非顕在性の変様ですね。

>>18

長文が多そうなので老眼には辛いですね。ただ、後期の問題群は
錯綜しておりますで、歴史性を特に根本問題と見なす解釈もあるでしょう。
というのも、歴史性は私が「デカルト的道」を断念さぜるを得なくなった
主要原因の一つですからね。但しそれが相互主観性や時間性の問題と密接に
連関付けられる限りですが。

一番分かり易いのは、そういう解釈とメルロ=ポンティあたりの解釈とを比較する
ことではないでしょうか。

>>19

残念ながら知りません。

>>20

私には分かりません。
ただ、現象学が諸学の根本に位置する「第一哲学」であることは確かです。

>>21

還元は方法論です。しかしそれが目指すものは、やはり一つの理念です。
還元を一種の自己省察と捉えて見れば分かりやすいでしょう。
自己省察は必当然的(疑う余地のない)明証としての「純粋自我」を目指すのですが、
この反省の対象としての純粋自我は、さしあたり「非十全的」なものです。
反省はこの十全的でないものを、十全的にもたらすようにするのです。
つまり、この場合は「純粋自我」が反省の対象極、あるいはテロス、
あるいは一種の「理念」として措定されているわけです。

但し還元に終わりはありません。還元はひたすら純粋自我に向かって続けられねば
なりません。それだからこそ、純粋自我は一種の「理念」と呼ばれるのです。
そして「第一哲学」のイデーも、この根源的明証としての「我あり」に基づいて
います。超越論的自我は、あらゆる人間的活動の根源に位置する一つのテロスなのです。

それから、「理念の衣」についてですが、私はこれを取り除かなければならない、と
主張しましたが、同時にこれを主題化することも決して忘れてはいません。
「危機」書のガリレイ批判が可能なのは、この自然主義的傾向を、まさに
自然主義的傾向として主題化したがためなのです。

「イデーンU」の領域構成論は・・・以後継続して仕上げられる事はなかったのですが、
この「理念の衣」自体の主題化を含んでいます。

その意味で、21 さんの問題意識は、まさに私の問題意識と同じなのです。
弟子の一人が教えてくれたのですが、このような科学批判を通じて、近代科学の意味
そのものを問う仕方は、ウィトゲンシュタインという人もやったそうです。
詳しくは知りませんが。
25エトムント・フッサール:2001/08/10(金) 06:00
>>22

難しい質問ですね・・・。
とりあえず、文節化してお答えしておきましょう。

まず、命題が「待っていた」というのはどういうことでしょうか。
その命題を言表する人間が、それをまさに命題として言表する瞬間を、
命題そのものが「待っていた」ということでしょうか。

私の超越論的現象学においては、世界内のあらゆる存在者・・・それは勿論、
このような命題も幾何学の定理も含まれるのですが・・・は、具体的な主観によって
構成されます。つまり、主観はその命題を「発見」するのではありません。
幾何学の命題をそのように見なすのはカントです。

私はあくまで、すべての対象は、それが理念的であろうと感性的であろうと、
主観により構成されるものと考えております。勿論、私のいう直観も、カントのいう
直観も、受容的な側面を持ってはいます。しかし私の考える直観は、あくまで能動的な
側面の方が強いのです。しかも私は、理念的対象を外界に帰したり、心理学的に内在させる
ような遣り方とは早くから訣別しています。理念的なものは、それ独自の与えられ方をする、
という点のみが、私にとっては肝心なのです。

理念的対象の構成については、晩年ではそれを「汎時間性」において捉えるようになりました。
私は晩年にあらゆる対象構成を時間化として考えました。内在的時間における根源的な自我の
自己構成から発して、すべての対象はこの根源的な「今」において呈示されるものとして
構成されるのです。感性的対象は、内在的時間の自己客観化を通じて、客観的時間において
把握される対象となっていますが、理念的対象も、「汎時間的」対象として、あくまで
時間の中で構成されるものなのです。

従って、「一つの可能的な真理として待ち構えている」といういかにも形而上学的な
言い回しは、私の現象学とはなかなかそりが合わないのです。
しかしこれは、私が形而上学を侮辱したということではありません。
私は真正の形而上学には敬意を払い、それこそが最高のものであると考えていますから。

>>23

応援ありがとうございます。
ハイデッガーなんかより私のものを読んでくださいね。
彼は私の現象学を大いに誤解していますから。
26考える名無しさん:2001/08/10(金) 09:02
蛭子さんと現象学についてどうお考えでしょうか
27201:2001/08/10(金) 19:33
愚問にていねいにお答えしていただき恐縮です....

「待つ」という比喩は、デリ田さんによる先生へのほめ殺し deconstruction?
にあったものです。
命題は Bedeutung というべきだったようです。
「円は四角い」という命題に触れつつ、
「意味は真理を待ち受けるそのかぎりにおいて
真理を待ち受けないのである」
と、先生を解釈しています。

デリ田さんは、先生の目的論的な<対象への関係>が
気にくわないみたいです。
つまり真理との一致を約束したうえでの直観形式(本質直観?)で、もちろん
>理念的対象を外界に帰したり、心理学的に内在させる
>ような遣り方
でないことは、現象学的還元の常識かと承知しております。

デリ田さんのこと、うざいですか?
28デリ田:2001/08/10(金) 20:00
わいがデリ田や。
習いたての関西弁でどないなむつかしい質問でも
答えたるわ。
227はん、ええことゆうとるな。感心してしもたがな。
エドはん、ちゃんときかなあかんで。
ほな、さいなら。
29デリ田:2001/08/10(金) 20:07
227は27のまちがいや。
わて、数字には弱いねん。
エドはん、わてのことがうざいんやて?
ほんまかいな。
聞かせてもらいまひょ?
3022:2001/08/10(金) 21:18
先生早くおでまし下さい。
イタコさんがんばって・・・

「意味は真理を待ち受けるそのかぎりにおいて
真理を待ち受けないのである」
をみる限り、
デリ田さんは、先生の仕事を、
真理を得るためのヤラセをする舞台を整えたくらいにしか
思ってないんですよ!

早く明快な反論を下さい。
彼は哲学を侮辱しています。

すいません。201=22です。わて、数字には弱いねん。
31ななし:2001/08/11(土) 16:55
現代の実証主義な学の概念に欠けていると危機書で仰られている
もの、「最高の究極的な問題」とは具体的にどういったものなのでしょう?
存在者全体の学といわれてもよくわからないのですが
32考える名無しさん:2001/08/11(土) 19:48
良スレあげ
33サントリーの「膳」はよろしい:2001/08/11(土) 20:00
すみませんね
私バカなんでね、ちょっとね、
わからないんですけどもね
超越論的主観ってなんなんですか
竹田青じ読んでも分からないんです
河合隼雄みたいに子供でも分かるような
言葉で教えていただけませんかね
34サントリーの「膳」はよろしい:2001/08/11(土) 20:12
お願いしますね
35考える名無しさん:2001/08/11(土) 20:20
>>33-34
フッサール氏は、ハイデッガー氏と違って、横柄じゃないですから、
きっと応じてくださると思いますよ(無責任)。

河合隼雄が例示されているのが、ちょっと気になるところでは
あるが・・・>>25
36agezou:2001/08/12(日) 02:03
37考える名無しさん:2001/08/19(日) 16:24
age
38考える名無しさん:2001/08/20(月) 22:33
還元って・・・
39考える名無しさん:2001/08/23(木) 20:36
なにか分かりにくいです。
初心者にお薦めの本とかありますか?
40考える名無しさん:2001/08/23(木) 20:38
たしか倉庫にも似たようなスレなかった?
41考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:03
ナイフの逸話ってネタだと思うんだけど、
ホントはどうなんですかフッサール先生?
42考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:06
43考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:08
内的時間流はアウグスティヌスを参考にされたんですか?
もし@よろしければ、貴方の時間論と感覚についての関連を説明していただければ。
44考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:24
>>42
ありがとうございます。
猿でもわかるフッサールなんとかっていうのありませんでしたか?
探してるんですけど、ないんです。
45考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:25
何度もすいません。。
46考える名無しさん:2001/08/23(木) 21:25
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、近所のワーナーマイカル行ったんです。ワーナーマイカル。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいなんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、映画の日、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、映画の日如きで普段来てないワーナーマイカルに来てんじゃねーよ、ボケが。
映画の日だよ、映画の日。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でワーナーマイカルか。おめでてーな。
よーしパパ3本見ちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、株主優待券やるからその席空けろと。
ワーナーマイカルってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
大作映画好き同士の喧嘩がいつ始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっとはいれたかと思ったら、前の奴が、ポケモンで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ポケモンなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、ポケモンで、だ。
お前は本当にポケモンを見たいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ポケモンって言いたいだけちゃうんかと。
大作映画通の俺から言わせてもらえば今、大作映画通の間での最新流行はやっぱり、ドクタードリトル2日本語吹き替え版、これだね。
ドクタードリトル2日本語吹き替え版。これが通のみ方。
ドクタードリトル2日本語吹き替え版ってのエディマーフィーの喋りはきけない。そん代わり声優江原正士。これ。
で、それにDENGEKI。これ最強。
しかしこれを見ると次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、オマエらは、千と千尋でも見てなさいってこった。
47考える名無しさん:2001/08/23(木) 22:00
エポケーとはなんですか?
48沈黙の名無し:2001/08/23(木) 22:02
ポケモン?
49考える名無しさん:2001/08/23(木) 22:07
危機も起源も現象学者にとっての都合の良い理念の独善性を不可避的にどうしても
はらんでしまう。
避けられないからこそ成立した書物であり、またそういう理念全く抜きでかかれた
として想像するに読めたものではないんじゃないでしょうか。
50考える名無しさん:2001/08/23(木) 22:09
話が進んでない(w
期待しているから、より道せずに書いてくれとはげましたつもりだったんだが、
私が悪いのか(w
まあ書いとけばレスくれると思いますので書いてみます。

心理学と現象学は違う(厳密な学としての哲学)。心理学では科学や技術の経験
越えた必然性を語れないが、現象学はそれを語るためにある、というのがフッサ
ールの言う現象学の特権性です。(ハイデッガーは科学をヘーゲル的に馬鹿にし、
メルロ=ポンティは科学としての心理学になってるから明後日のほうに行ってる
が、フッサールの本来の意図としてはそこにある)
で、必然性の分かりやすい例として論理学や数学の場合でも、そこにおける経験
と非経験的なものと必然性の関係は深刻な問題です。
必然性についての哲学的問題は、2重であって、
ダメット「必然性の源泉は何か?われわれは、どのようにして必然性を認識する
のか?」
で、現在も熱く語られているそういった問題に対して(フッサールの同僚にヒル
ベルトがいたにしても)取り残されているわけです。
で、現象学は相互主観性を前提として語っていると思いますが、ギリシアから、
現在までの科学の歴史や実践の問題を相互主観性の地平で語りきれるでしょうか?
@実際に携わってる科学者や技術者にとって余計なお世話。
A必然性を言語の問題(他者と関わるならそうとらえるしかない)分析哲学から
みれば時代遅れの観念論。分析では科学とその必然性と権力の問題が熱くかたら
れていて、クワインにしてもぼろぼろに批判されながら議論されている、ネット
ワークで予定調和のような簡単なものではない。逆にフッサールは相互主観性の
地平で人間の理性が立ち上がり、それを現象学者が語れば、社会がうまくいくと
言ってるように見える。
B目的論の脱構築目指すなら、デリダで充分だし、科学史家の方にしてみれば、
充分な情報ももたない素人の発言。

そこいらへんどうですか、どうしても後期フッサールは真の理性と堕落した理性
比較してそれをわかる現象学者は偉いとアジってるようにしかみえないので、
教えてください。
デリダの現前の形而上学批判も、独我論で一人よがりの思想を語るということ
ではなく、善意に満ちて一般の事を語れる、あなたのことも私のことも語れる
はずたという構造を批判していると思いますので。
フッサールは花の色、形の本質を直観するといいますが、本質ではない、この
花が問題だと思われますので。
51考える名無しさん:2001/08/23(木) 22:22
@実際に携わってる科学者や技術者にとって余計なお世話。


A必然性を言語の問題(他者と関わるならそうとらえるしかない)分析哲学から
みれば時代遅れの観念論。分析では科学とその必然性と権力の問題が熱くかたら
れていて、クワインにしてもぼろぼろに批判されながら議論されている、ネット
ワークで予定調和のような簡単なものではない。逆にフッサールは相互主観性の
地平で人間の理性が立ち上がり、それを現象学者が語れば、社会がうまくいくと
言ってるように見える。


B目的論の脱構築目指すなら、デリダで充分だし、科学史家の方にしてみれば、
充分な情報ももたない素人の発言。
52考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:37
他者への転移へと開かれている無意識が声−意識に先行すると
東は分析し、現象学の「内省」を批判しています。現象学はそれに
どのように答えますか?
53考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:46
ソシュールについて
教えて下さい
54考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:49
研究者タン・・・かわいそう。
みんな苛めちゃダメだよ。

もう、戻れない。
信じてもいない「物語」に人生を費やす日々。
春の終わりに秋風が吹く。
涙なみだ・・・晴れ得ぬソラ。
研究者タン・・・かわいそう。
みんな苛めちゃダメだよ。

もう、戻れない。
信じてもいない「物語」に人生を費やす日々。
春の終わりに秋風が吹く。
涙なみだ・・・晴れ得ぬソラ。
研究者タン・・・かわいそう。
みんな苛めちゃダメだよ。

もう、戻れない。
信じてもいない「物語」に人生を費やす日々。
春の終わりに秋風が吹く。
涙なみだ・・・晴れ得ぬソラ。
研究者タン・・・かわいそう。
みんな苛めちゃダメだよ。

もう、戻れない。
信じてもいない「物語」に人生を費やす日々。
春の終わりに秋風が吹く。
涙なみだ・・・晴れ得ぬソラ。
55考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:51
>>47
自分の偏見や先入観を
できるだけ取り除く事だよ
何事にも素直に見る態度ってトコかな?
56考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:55

で前に現象学が迂遠だと書いたのは、科学の危機や近代の諸問題を
考えるのに私のような初心者だとクワインやクーン、フーコーとか
に触発されることはありますが、インド人を切り捨てるようなフッ
サールからは、諸学の危機をがなりたて、自分に都合の良い解釈を
押し付けてる部分が強く、真性な目的論を触発されにくいとあくま
で私が感じるからです。
同じ目的論ならもっと、方法的にいろいろな物がありそれを生かし
ていけばいいと思います。

ですが、わざわざこのスレを立てた研究者さんは現象学の迂遠さを
乗り越えて一歩一歩、デリダよりもフーコーよりもクワインよりも
緻密な目的論を構成し、人々がその元で生きるにたるプログラムを
提示する覚悟なのでしょう。

すばらしいことです。影ながら応援させていただきます。
57考える名無しさん:2001/08/23(木) 23:56
安易に直観を振り回す、あるいはとらえられるという議論の危うさは
了解していただけると思います。で、フッサールが慎重にその種の素
朴さを避けながらも、であるからこそ、真性の目的論を提示すべく頑
張りかつ、その結果にもいろいろ問題があることは共通の理解だと思
います。
で、更にその上に真に諸学の危機に立ち向かえるような真性の議論を
打ち立てることがいかに大変か、困難か。
長い道のりであることを御理解いただいた上で頑張ってください。
58エトムント・フッサール:2001/08/24(金) 03:52
>>50

まず、私の言う「必然性」というのはですね、経験が意識の
流れの中で、一定の調和を保ちつつ進行している、それならば
そこには理性的な根拠がなければならない、というのが私の持論です。
私はそこに時間意識による自己の時間化という契機を見出しました。
これは同時に、超越論的自我と心理学的自我との相関関係を露呈する
ものでありました。私の現象学の核心は、このあらゆる経験の根底に存し、
経験そのものを合理的たらしめる、自我の時間化作用という根拠にあるのです。
それが即ち生き生きした現在としての超越論的自我であり、唯一現象学的還元を
免れ得る理性的な根拠であるのです。皆さんは、そしてデリダ氏もそうでしょうが、
私の生き生きした現在の中に存する、未来把持的な関心、或いは好奇心のうちに、
原初的な目的論を見出し、これを私の認識論、歴史記述の中に持ち込んで、
批判をなさっているように見えます。確かに、私の認識論は、志向と充実という、
明らかに目的論的な要素を持っております。歴史記述にしても、全近代哲学者の
志向的相関者としての「哲学」の歴史が、相互主観的に充実されていく過程として
描かれています。やっぱりフッサール現象学の根底には、きな臭い目的論がある。
だからこれはデリダ氏のような掛け言葉だらけの意味不明な文章を書くような
活きのいい「現代思想家」に批判されてしかるべきだし、超越論的事実性を
現存在の分析論に転換したハイデッガーの方が偉いじゃないですか、という訳です。

私の歴史記述や志向的分析論の中に、理性の目的論しか読み込めないというのは
残念な事です。大体、歴史家の歴史である事実的歴史とは異なる、内的歴史学を
提唱したにも拘らず、古代ギリシアという「事実」に頼らざるを得なかった心境を
露呈したのは、ほかでもないデリダ氏ではありませんか。
私のこの超越論的事実性のうちに、目的論を読み込んだのはあなた方の誤解です。
私はそこに、ある種の「出来事」を、世界との「出会い」を読み込んだだけです。
本質直観が重要なのではなくて、事実と本質との関係を根源的に規定する、
この超越論的な事実性こそが問題なのであり、この還元不可能なものを語る
現象学こそ、私が晩年に到達した地平であるのです。

私の思想は「乗り越えられた」と言われているようですが、
あなた方は乗り越えるだけの私の思想に対する理解力を本当に持っているのでしょうか。
デリダ氏の批判は、確かに首尾一貫性を持っておりますが、余りに調子に乗り過ぎて、
若気の至りかどうかは知らず、一方的に私を誤解する要素をもっているのは確かです。
私の「本質」や「理念」に対する考えは、時期的に変遷していくのですが、それを
「カント的理念」の一言で片付ける彼の粗暴な議論には本人として遺憾に思います。

現象学は弁証法的に進行するものです。しかしかといって、何か絶対知のようなものを
目指しているのではありません。ヘーゲルよりは寧ろ晩年のフィヒテに近いと言うべき
でしょう。
59エトムント・フッサール:2001/08/24(金) 03:55
最後の文章は・・・(途切れているので)

現象学は弁証法的に進行するものです。しかしかといって、何か絶対知のようなものを
目指しているのではありません。ヘーゲルよりは寧ろ晩年のフィヒテに近いと言うべき
でしょう。
60エトムント・フッサール:2001/08/24(金) 04:03
>>52

東さんという方は知りません。

なので、「他者への転移へと開かれている無意識が声−意識に先行する」
というのもよく分かりません。それは例えば、無意識が言語的に構造化されて
いるという、ラカン氏のような言い分なのでしょうか。
或いはデリダ氏の批判と織り交ぜてあるのでしょうか。

残念ながら、精神分析については別に何等語ることはありません。
61考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:30
無意識は認めない?
62考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:39
>>60 エトムントさん
ヘルトのフッサール批判には
どう思われましたか?
63考える名無しさん:2001/08/24(金) 05:11
もし禅を知っていたら、哲学はやめて京都あたりに
修行に行ったのではないですか?
フッサール先生は「危機書」でフロイトや無意識に触れてましたね。
かなり意識されてたんでしょ?ぐふふ。
65エトムント・フッサール:2001/08/25(土) 03:08
>>61 >>64

ええっと、私が「危機」書の中でフロイト流の無意識に言及していたのは事実です。
当時、私の周囲ではそのようなものが流行っておりましたから。
しかし、私の立場からすれば、心理学は志向的心理学として、あくまで超越論的
現象学との提携のもとに実施されねばならないのです。ですから、無意識を
認めないのではなくて、それは超越論的問題群に属する一分野として考慮されるべき
であると思うのです。

しかし、私が志向性の特徴を叙述する際に、「衝動心理学」という言葉を用いて、
意識の中に一種の欲動的な動きを洞察していたことは案外知られていないようです。
勿論、志向性は衝動心理学の領域で語られるべきものではありませんが、
私の志向的分析をただ目的論的に解釈する人達に対しては、良い薬になるのでは
ないでしょうか。

>>62

ヘルト氏の批判は非常に興味深いです。いずれお話できればよいのですが。

>>63

行ってないでしょう。
66 :2001/08/25(土) 04:32
↑フッサールさんは啓蒙家ですね(笑)
67考える名無しさん:2001/08/25(土) 04:34
楽しく読ませてもらっています。
頑張ってください >>フッサールさん
68考える名無しさん:2001/08/25(土) 05:32
>58
面白いですが、結局、神秘主義的に見えます。
主観で受け取る現前性、わかる奴にはわかるという構図は批判され
ても仕方ないのでは。科学にしろ数学にしろ。そしてその応用の権力
性は問われないといけないがあまりにもナイーブすぎる。
結局「他者(理性的でないもの)」を「理性」で排除していますね。
危機にしろ起源にしろ。
分析哲学の他者との言葉の規則イコール権力の問題から見ると神秘
主義ですね。


私自身は数学を無視してよりわけのわからない神秘主義的にいった
ハイデッガーの方がやばいかとは思いますが。
まあ彼の悪口でもりあがりますか。
厳密に語れない物語の方が実は目的論の排除を内にはらんでたと
思います。そのこととナチの問題は直結しています。
69エトムント・フッサール:2001/08/25(土) 07:17
神秘主義とは心外です。私は何も自分の直観理論を神秘的に展開した覚えは
ありません。私は単に、事象がありのままに与えられることに優位を置いただけです。
明証理論は決して「わかる奴にはわかる」などという独断論的見地から為されたものでなく、
我々の経験の理性的根拠を露呈するために為されたものなのです。
我々は根拠というものを、何等の前提も無しに語る必要があります。
何故なら、根拠はそれ自体、何者にも前提され得ないものだからです。
もしこの根拠を否定するとなると、我々は「理性」を放棄さぜるを得ません。
最近では、無根拠から出発するという怪しげな論調があるようですが、
それは懐疑主義の域を出ないものと私には思われます。

アリストテレス以来、第一哲学は「アルケー」を探求する学でありました。
アルケーとは、あらゆるものの根拠となる第一原因であり、我々の知識に理性的根拠を
齎すものです。これはギリシア哲学の開闢以来、紆余曲折を経て、私の現象学に
到達しました。現代では、この第一原因、即ち哲学の根本課題であるアルケーそのものを
否定する論調があり、ギリシア哲学をさえ正しく理解する道を阻害しているように
思えてなりません。アルケーは原初においては客観的に考えられていましたが、
それは近代に至って主観の意識へと移され、全世界の根底に存する純粋自我へと還元されて
行きました。私はこの過程を目的論的に考察したのですが、それは後からのプログラム的な
解釈に過ぎず、私の本来の分析の中では、もっと違った事態が生じていたのです。

それは私の世界論の一端に現れており、世界分析の途上で抗い難く考慮されねば
ならなかったものです。確かに、私は世界の根元的受動性の中に、恒常的に機能する自我の
能動性を取り入れざるを得ませんでした。しかしそれを語る現象学が、もはや「不可能」で
あることも薄々気づいておりました。ここに現象学の限界があるのであって、
私の思想を正しく理解しようと思うのならば、この限界に付き合って欲しいと思うのです。
私の思想は果して「乗り越えられた」のでしょうか。

現代の分析哲学家の業績はよく分りませんが、私には彼等の方が余程「理性的」に見えます。
彼等の多くは、言語分析の途上で右往左往しているだけであり、言語の本質を考慮しようと
しません。この言語の根底にある言語の本質こそが重要であるのに、彼等は表面に現れた
ものだけに注目し、本質そのものを否定する事によって、皮相な議論に陥っているのかも
知れません。本来の問いは「言語とは何であるのか」であるのにも拘らず、彼等の問いは、
言語の存在様態を問うに止まっているようです。

それから、私は理性で他者を排除しているのではありません。
私にとってはすべてが理性的であるのです。理性的でないものは、理性の志向的変様として
語られます。
70エトムント・フッサール:2001/08/25(土) 07:23
ちなみに私は、飽く迄「言語以前」のものを重視するのです。
いままさに言語が出でんとする瞬間の、その言語以前の瞬間が
肝要なのであって、これは私の出来の悪い弟子であるハイデッガー
とも相通ずるところがあるでしょう。
71考える名無しさん:2001/08/25(土) 10:01
出でーん
72考える名無しさん:2001/08/25(土) 13:21
フッサールさん。ぜひ書きこんでください。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=998565294&ls=50
73考える名無しさん:2001/08/25(土) 13:36
>>70
語りえぬものについては沈黙しなければならない。

生きてる間に自分のいない世界を想像することはできない。
自分が消滅した世界を想像しても、それを想像する自分がいる。
つまり死とは夢の中で起きた後の現実世界を想像するようなもの。
それが不可能なのと同様、どこまでいってもそれは錯覚。
とにかく落ち着いて死について哲学的に理詰めで考えてみるべき。
もちろん謎・不思議は残るが、それは普通の意味の恐怖ではない。
そして当初の深刻な恐怖は減少あるいは消滅する。


なぁ〜んつって。
駄レス過多だし哲板っぽいマジレスを書いてみたがどうよ(ワラ
74考える名無しさん:01/08/31 02:15 ID:uPkBylMI
age
75考える名無しさん:01/08/31 03:24 ID:jsT96F.6
ふっさーる先生!先生が考える「言語」とは何なのでありますか!?

また言語と数学の関連性についてはどうお考えですか?
76匿名希望:01/08/31 16:45 ID:8axBbNBg
フッサ−ルって誰ですか?
77考える名無しさん:01/08/31 16:49 ID:hAosqrx.
                    
78考える名無しさん:01/09/01 17:31 ID:6uX99zJQ
>いままさに言語が出でんとする瞬間の、その言語以前の瞬間が
そこのところで、声と現象で、批判がでたと思うが。結局、純粋に始原を求めてる
と見せて、実際は論者の論じたいように構成してると。
別にそのこと自体は批判されるべきではないが、科学史なり分析哲学なり権力分析
なりの成果無視して現象学者が特権的にいい成果あげられるという根拠を示してく
れないと駄目。
独断論の神秘主義との批判は防げない。その文脈で目的論が叩かれる。
実際、フッサールやハイデッガーの著作に人種主義的予断は満ちている。
デリダの場合、自分の言葉遊びを正当化するためユダヤ人のくせに、フッサールを
叩いてハイデッガー評価を宙吊りに保つと狡猾だが。
79考える名無しさん:01/09/11 07:40
あげ
80考える名無しさん:01/09/14 05:41
たたきあげ
81考える名無しさん:01/09/29 02:58
age
82考える名無しさん:01/09/29 03:01
これのことでしたか。
どうもです。
83考える名無しさん:01/09/29 03:11
いやこのスレのはコピペなんですよ。
84考える名無しさん:01/09/29 03:22
過去ログの後期フッサールスレとかが元。
85弁証法的理性批判放棄:01/10/01 13:14
86考える名無しさん:01/10/17 02:37
フッサール先生!

生活世界って何ですか?
87考える名無しさん:01/10/17 02:45
問いが漠然としずきているよ
88考える名無しさん:01/11/05 18:07
age
89マルティン:01/11/05 19:11
おれ、オマエの優秀な弟子、ハイデッガーだけど。
『存在と時間』読んだ?感想聞かせてよ。
90ギコ・フッサール:01/11/07 23:41
        ∫
   ∧,,∧ ∬       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ミ,,゚Д゚ノ,っ━~  < 2chでフッサールとは俺のこと。何でも俺に聞けゴルァ!
_と~,,,  ~,,,ノ_. ∀  \________
    .ミ,,,/~),  .| ┷┳━
 ̄ ̄ ̄ .し'J ̄ ̄|... ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   .┻
91ああくだらん。:01/11/08 00:10
日本語うまいですね。
フッセルと言われるとどんな感じですか?
岩波文庫に入った感想は。
最後に。げんしょうがくって、なにが減るんです?
92考える名無しさん:01/11/10 02:13
とりあえずあげ
93現存在009:01/11/10 02:17
>>91
フッセルル、はいかがですか?
94ゆう:01/11/12 20:32
フッサールを理解するんじゃなくって、
フッサールの考えたことを理解してみようよ、まず。
95考える名無しさん:01/11/13 23:58
恐らく9,21,22はジサクジエン。
チンポのよくやる手だな。
96考える名無しさん:01/11/14 00:29
>>95
ん? だったらよけいチンポは有能だということにしかならんと思うが?
97考える名無しさん:01/11/14 00:53
>>96
得意分野のみに応えるスタンスを取ってるんだろ?
というか、半分放置だったからな(w
98考える名無しさん:01/11/14 01:21
ぜーフェルト草稿で還元を思いついたというのが、あなたの記憶違いだったということは覚えてますか?
99考える名無しさん:01/11/14 01:30
>>97-98
チンポ!
100100:01/11/14 01:36
   _ρ_
  / ⊥ \
  |____|
  ‖∧ ∧¶  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ( ゚Д゚)/ < 亜季にゃのおっぱいでパイズリしたいにゃ〜!
   /  /    \_____________
  〈  (
  ∫ヽ__)
    U U
  | ̄ ̄ ̄ ̄|
  \__人__/
101考える名無しさん:01/11/14 02:01
30
102考える名無しさん:01/11/14 22:48
先生、初心者ですがぜひお教えください。
時間を構成する意識の分析と、ノエシスーノエマという観点
からの意識分析とはどのように関係しているのですか?
つまり、中期の語著作において時間意識の占めるウエイトは
どれほどのものなのでしょうか?
「1+1=2」を直観しているとき、そこに時間意識は関与している
のでしょうか?
103考える名無しさん:01/11/14 22:49
×語著作→○御著作
このスレに投稿している諸君へ

チンポ太郎は最近フッサールには飽き飽きしています。
よってこのスレは破棄されます。だってもうフッサールを語る元気はないもん。
>>102 時間意識とノエシス・ノエマとの関連はヘルトのものを参照して下さい。
彼らしく物凄く分かり易く解説してたよ。