1 :
考える名無しさん:
なんかいいことあるんですか?
哲学は幸せをもたらすことが出来るのですか?
哲学は人以上のなにかになれるのですか?
まず、類似スレが立っているにも関わらずこのようなスレを建ててしまった事について何か釈明のようなものがあれば述べていただきたく存じます。
3 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 02:59
すいません。
4 :
.じゅぶないる:2001/07/28(土) 03:08
なぜ哲学なんて?
実をゆうと、ボクに有名な哲学者たちのゆってることが、
むずかしくってチンプンカンプンで、まるでさっぱりなとき
もあるよ。
いいことあるかって?そりゃモチロンだよ。みずから考え、幸せを
つかみとることができるだぜ?最高さ。素晴らしいね。
たとえ、自己完結の小さな真実であったとしてもね。
哲学、ってやつは「人以上のものになる」ためのものじゃなくって、
人間らしく生きるためのものなんだ、と思ったりするよ。
5 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 03:30
にんげんらしく?
だれからみて?
ちてきしょうがいしゃはにんげんでないの?
自分から見て。
>ちてきしょうがいしゃはにんげんでないの?
なんでじゃ?というより、まず話のつながりがわから
7 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 03:36
「人間らしさ」という考えに疑問をもった方には
ニーチェさんの「反哲学」コースを御用意しておりま〜す
フーコーさんのコースに進まれるのもよろしいでしょう
>>7 ニーチェなんて勧めても無駄だ。
当人が請け負ってもいない consistency を求めた挙句、こいつは言って
いることがおかしいとか、そうでなければ前期はどうで後期がどうとか整
序して自分の知りたいようにしか読まずに終わるのが関の山。
>>5 ニーチェだのフーコーだの読んでるのか読む気があるのかはしらないが
ゥおれの質問に答えキボーンだ!
9 :
.じゅぶないる:2001/07/28(土) 04:02
人間らしく生きる、とゆうことは、他人から
与えてもらうものではない。
自ら考え、勝ち取り掴み取るものだ。
この世に平等や魂などもありえない。
無慈悲で不条理でカミサマも不在だ。
何人であろうと、人間らしく生きたいのであれば、その権利を
自らの力で勝ち取るべきであろう。
無力な人達の理不尽な出来事を責めるのは、お門違いだよ。
カミサマにでも、祈るさ。
10 :
6:2001/07/28(土) 04:03
ところで4の人は
>にんげんらしく?
>だれからみて?
についてはなんと答えるのだろかね
11 :
6:2001/07/28(土) 04:05
1ぷんちがい
12 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 04:13
「人間らしさ」って、人間がもつ必然的否定性への肯定的評価のことかな?
13 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 04:38
>>9 そういう文脈で平等を使うのは、一定の規範的意味をそこに
含ませてしまうことにつながる場合があるから、気をつけたほうが
いいよ・・・
14 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 04:39
そもそも1が哲学を主体的に捉えてる段階で勘違いが
大きいような気が・・・
主体的に考えて良いじゃねぇかよ。
出発点は誰でもそこにあるんだから。
逆に言えば、それがないヤツはいい仕事なんて氏ねぇよ
16 :
5:2001/07/28(土) 14:58
>6
にんげんらしいかどうか思考が出来ないひとは、
にんげんらしくないのか?ということです。
ニーチェはちょっとだけよみました。ツァラトストラ。
それでこういう疑問が出来たわけです。
「超人」になることで、なにかいいことはあるのですか?
17 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 15:05
>>1 暇つぶしにパズルを解くようなもの。
でも若い人にとっては思考力を鍛えることになり
年配の人にとってはボケ防止の効果が期待できるので
無駄とはいえないと思う。
18 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 15:13
>>1 哲学をやってより自分になるんならやる価値があるです。
自分にとっての幸せが何かは問わなきゃいかんです。
19 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 15:25
>>17 同意。
今日の夕御飯のことを考えるより、
なぜ哲学をやるのか考えていた方が面白い。
ただの暇潰しだな。
20 :
5:2001/07/28(土) 15:30
>>17 数学みたいなものですか?
それならば、なぜあえて、明快な答えの出せない哲学を選びますか?
それとも明快な答えがだせないから選ぶのですか?
もっと、れっきとした理由はありませんか?
本当に単なるひま潰しですか?
?がおおくてすいません。
21 :
17:2001/07/28(土) 15:43
>>20 5さん
かつて「数学の天才」と言われた人が
「数学はつまらない」といって
囲碁に夢中になったそうです。
曰く「囲碁は完全に極めることができないから面白い」
22 :
5:2001/07/28(土) 16:01
>>21 ありがとうございます。
それでは、なぜ極められないものを求めますか?
囲碁は、(人間の脳では整理しきれない)数学的な勝敗への
理論が程度あると思います。つまり、完全なパターンが存在し、それを
追求しているに過ぎないと思います。
それともほんとうは、哲学な真理とかはどうでもよくて、
人間の脳が、活動をもとめているだけ、ということだけなんでしょうか?
23 :
17:2001/07/28(土) 16:05
>>22 5さん
>それともほんとうは、哲学な真理とかはどうでもよくて、
人それぞれではないでしょうか
>人間の脳が、活動をもとめているだけ、ということだけなんでしょうか?
とにかく「考えることが楽しい」というのは
この板に来ている人の多くが感じていると思いますよ。
24 :
5:2001/07/28(土) 16:22
25 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 16:43
>>24 「解明すること」、「極めること」には、
「楽しい」を凌駕するほどの必然性があると
なぜいえるのだろうか?
26 :
奇怪のからだ:2001/07/28(土) 16:47
極める事はたのしいよ
極めたものがいない時は
27 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 16:55
哲学・宗教が無意味って言ったらどっかの団体から怒られちゃいそ。
哲学・宗教とかは有史が誕生した時から積み重ねてきたもので、
そこから法律や道徳など礎となる部分を色濃く受け継いできたんじゃないの?
もし将来、科学で全てが解明することが可能ならば、
一刻も早くその時が迎えられる事を切に願ってます。
28 :
5:2001/07/28(土) 17:16
哲学が、「解明すること」、「極めること」が本当に出来ると?
つまり、出来るかも知れない、なのか、最初から出来ないと
分かっていて哲学を学んでおられるのか?ということです。
29 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 17:29
>哲学が、「解明すること」、「極めること」が本当に出来ると?
無理ではないでしょうか。
人類が誕生して未だに誰も「哲学」を解明できていないのですから。
皆、自分が納得のいく考えを求める手段として哲学を学んでいるのでは?
そもそも、哲学を白か黒かなんて求める物ではないと思います。
30 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 17:33
>>29 >誰も「哲学」を解明
抽象的なことは言わないように
31 :
考える名無しさん:2001/07/28(土) 17:37
哲学がどうかは知らんが宗教なんかには何かを解明するはできなくて、
「そういうことにしておく」ぐらいのことしかできないんじゃないの?
32 :
5:2001/07/28(土) 17:44
>皆、自分が納得のいく考えを求める手段として哲学を学んでいるのでは?
そもそも、哲学を白か黒かなんて求める物ではないと思います。
納得のいく答えは、哲学によって出ると思いますか?
そこが疑問なんです。極める、では語弊があったかもしれません。
結局のところ、31さんのように、「そういうことにしておく」
ことが納得につながるのでしょうか?
宗教、哲学と言うと、すぐに対として科学を持ち出す輩がいるね。
「恐らくこの人達は科学を定義出来ない」に500カノッサ
人生哲学人間あぶり出しスレッド
35 :
考える名無しさん:2001/07/29(日) 14:22
みんな死ぬのが怖いから。
36 :
名無し:2001/07/29(日) 17:30
哲学がなかったらコンピューターさえ生まれてない
37 :
インターフィロソフィー :2001/07/29(日) 17:39
哲学は「概念の創造」であります。
美の創造者が芸術家であるように、
音の創造者が音楽家であるように、
言葉の創造者が作家であるように、
われわれ哲学を志す者は新しい概念を創造し、世に問うのです。
38 :
考える名無しさん:2001/07/29(日) 18:12
哲学を始める理由は人それぞれ。
40 :
考える名無しさん:2001/07/29(日) 18:33
41 :
gfre:2001/08/25(土) 00:27
ニーチェの哲学によれば、まさに弱肉強食の局地とでも言えるように、弱いものは死ねというのが基本だった。
しかし、それではあまりにもひどすぎる。
何もかも無意味として否定することは間違っているし、神は死んだという発言も許しがたい冒涜だ。
ニヒリニズムというものにはどうもいかさま的な胡散臭いところがあり、斜に構えて世間を冷たく見ているようで、実は存在感を示したいという魂胆が伺える。
いかにもあらゆることを知り尽くしているかのように芝居をしている道化のようだ。
このように哲学者といってもほとんどは、自殺したり、発狂したり、間違った理論を表明していることが多く、それほど恐れてはいけない。
ただしもっと奥深いところは、なかなかわかりにくいようだ。
そんなあなたにとある作家の言葉を送ろう。
「私はニーチェを読む。彼を読むのに必要な善意を以って」
43 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 00:34
自己の美意識がそうさせる
44 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 00:35
41はなあ・・・
41をあまり責めてはいけない
46 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 11:17
こういうスレ、いつまでも立つんだろうな。
>>1 要は謎や不思議を感じて、それを考えるのが哲学なの。
そして論理的限界はあるにせよ、どんな前提価値も問題にできる。
仮説の積み重ねの自然科学だって、根っこには哲学的問題がある。
もちろん誰もがやらなくてもいいし、良い人間になれるわけでもない。
つまり理由は、自分の中のもやもやした不思議をうめたいから。
逆に聞こえの良いカッコつけた理由なら、知を愛しているから。
>>37 >われわれ哲学を志す者は新しい概念を創造し、世に問うのです。
そう?世に問うのが重要なのは思想家や革命家や政治家とかじゃないの。
世に受け入れられるのは、結果的なことで、二の次でしょ。
例えば
>>41の?な意見もニーチェにとっては何の意味がない(俺にもない)。
そして世界解釈の正否にかかわらず、ニーチェには哲学する意味があったはず。
47 :
考える名無しさん:01/09/09 01:18
結局のところ、おもしろいから。
48 :
考える名無しさん:01/09/09 04:58
多かれ少なかれ誰でも「自分について」「自分とは何か」
って考えてると思いますよ?
別に難しい本を読んだり勉強するのが哲学じゃないから。
「哲学とは何か?」を研究するのが哲学であって
常に自分と向き合って色々考えることが「哲学する」こと。
哲学と思想史研究は全くの別物。
49 :
考える名無しさん:01/09/09 05:11
好きだから.面白いから。
50 :
ただの通行人A:01/09/09 15:26
ついでに聞くと
何故にこの2ちゃんねるに来るのか?
も合わせて聞きたいなぁ
>>48 最後の1行だけ同意。
後は乱暴すぎ。
「〜するのが哲学じゃない」「〜するのが哲学であって」って、なんでそう決めつけられるの?
52 :
考える名無しさん:01/09/09 15:56
違うだろ、嘘つくなよ。
虚栄からだろ、ただそれだけじゃねーか、その他は言葉であと付け
してるだけだろ。
素直になれよ。
虚栄もまた真なり。
あと付けもまた真なり。
なぜ「素直」にならなければいけないのか?
というより、なぜ「素直」(=純粋、無垢?)を我々は尊ぶのか?
哲学は宗教でない、芸術でないetc…といえる。
>>1-1000の皆さん。詳しくは、「哲学の教科書」と「哲学実技のすすめ」と「哲学者とは何か」を全て読んでみてください。値段の安い順に読むのが合理的です。
たとえば街のホストのあんちゃん(の服装)など見ていると、「素直」に「虚栄心」を発露しているなあと思うが。
そこら辺はどうなのだろう。
56 :
考える名無しさん:01/09/09 16:19
もうごたくはいい。
虚栄に立脚した趣味に決定。
んなアホな。
58 :
考える名無しさん:01/09/09 16:34
わざわざ難しい言葉を作り上げるのは、虚栄心によるモノ以外にない。
だから虚栄で何か問題あるの?
60 :
考える名無しさん:01/09/09 16:38
いやっ、ないんだけど、なぜ哲学なんてやるんですなんてスレが立ってるから
レスしたんだけど。