音楽思想

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1??
「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
を考えることで、
「「音楽」という概念」の捉え直しをめざします。

たとえば、
「こういった音に対しこんなすごい効果が対応する」
ことをみいだせば、
その「すごい効果」を音楽家が認識することで、
あたらしい音楽表現のあり方が広まります。

聴取上の効果、社会的効果、両方をあつかいます。
ただし、
「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
という語法に統一して、
明瞭な議論を目指しましょう。
2??:2001/07/26(木) 00:21
私から、問題提起します。すなわち、
「どのような音に対して、人間は感動をうけとる」
のでしょうか。
3考える名無しさん:2001/07/26(木) 00:29
フェティシズムについて考えた方がいいね。
4C-Life:2001/07/26(木) 00:34
>>1
難しいフリやね(w
「聴取上の効果」はワカラン人の方が多いんとちゃう?<俺だけ?
「社会効果」に絞れば割とオモロイかも知らん。
5??:2001/07/26(木) 00:36
>>3
ご意見ありがとうございます。
フェティシズムを考える事は、>>1 の図式の改変を要求します。
すなわち、
「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
は各個人のもつフェティシズムに左右される、
ということです。

フェティシズム:呪物的崇拝。盲目的信仰。
6考える名無しさん:2001/07/26(木) 00:37
>>2
「音」に感動する?
「音楽」に感動する?

「どのような音に対して、人間は感動をうけとる」
そもそもこの場合「音」と「音楽」の違いについて述べなければ。
フッサールの時間論とかあるけど、
??さんはどう考えてますか?
7??:2001/07/26(木) 00:42
>>4
ご意見に感謝いたします。

>「聴取上の効果」はワカラン人の方が多いんとちゃう?

つまり、
1,「どういった音に対しどういった聴取的効果が対応するか」
というその対応の仕方を客観的に確定できる記述法
2,聴取的効果を客観的に確定できる記述法
がむずかしいという側面があるのでは、ということです。

私から逆に。
「どういった音に対しどういった社会効果が対応するか」
という問いにしぼることはなぜおもしろいのですか?
8??:2001/07/26(木) 00:46
>>6
貴重なご意見をどうも。
私の言う「音」と「音楽」の違いはないです。
「音楽」に感動するメカニズムを考えるとき
「音」に感動するメカニズムで解こうとしているのですが、
いかがですか?
物理的には、音楽は音のあつまりなのですから。

それから、フッサールの時間論とはどういうものなのですか?
9??:2001/07/26(木) 00:56
>>6
補足。
「音」の組み合わせとしての「音楽」というとき、
1,「組み合わせ」による効果
2,音自体の効果
があるとおもいます。
このうち、2,だけかんがえるなら
>>3 さんのおっしゃるようにフェティシズム
が大きなキーワードとなるとおもわれます。
10考える名無しさん:2001/07/26(木) 02:22
>>9
1,「組み合わせ」による効果

これは音のゲシュタルト的運動について
人間がどのような単位で認識し得るか
ということとも多いに関係すると思われます。

2,音自体の効果

これは音響学的な観点も必要かと思われます。
つまり純正律から平均律へと移行していくプロセス
などと無関係ではないでしょう。
1110:2001/07/26(木) 02:26
さらに加えるべき要素として
聴者が音楽に接触する文脈も
多いに関係してきます。

つまり一定の効果を計測するならば
聴取条件をも限定して行く必要がある
ということです。
12??:2001/07/26(木) 02:29
>>10
ご意見たいへんありがとうございます。

できれば、あげないでいただきたいです。

「音のゲシュタルト的運動」という語はわかりますが、
もっとわかりやすい語で表現できますか?

>これは音のゲシュタルト的運動について
>人間がどのような単位で認識し得るか
>ということとも
こと「も」ということは、他に何があるでしょう。

純正律による効果は音自体の効果でしょうか?
13??:2001/07/26(木) 02:33
>>11
一定の効果を計測するつもりはありません。

まとめますと、
「どの人がどういう環境でどういう音を聴いたとき
どういう効果があるか」
と1の問いを拡張できます。
1410:2001/07/26(木) 02:52
>「音のゲシュタルト的運動」という語はわかりますが、
>もっとわかりやすい語で表現できますか?

つまりAmという和音を単に周波数の異なる
音の集合として認識しているわけではなくて、
記憶と共に潜在化した「かたまり」として
認識し得るのではないかと言うことです。
そこには言語的な「意味」さえも見出せるはずです。

>こと「も」ということは、他に何があるでしょう。

単に楽理的な音の配列への考察だけでなく、という意味です。

>純正律による効果は音自体の効果でしょうか?

倍音の効果です。
倍音による響きの美しさを追求した先人たちの
偉業にも目を向けるべきところはあるという意味です。
15考える名無しさん:2001/07/26(木) 03:03
>>14
レス大変ありがとうございます。

「音のゲシュタルト的運動」については
>記憶と共に潜在化した「かたまり」として
>認識する
とはどういうことですか?

>倍音による響きの美しさを追求した先人たちの
>偉業にも目を向けるべきところはあるという意味です。
そうですね。よくわかります。
私は、
「音自体の効果と組み合わせによる効果(=構造による効果)
を厳密にていぎすること」
がむずかしいとおもいます。
16??:2001/07/26(木) 03:04
>>15 ミス。14は私です。しかもあげてしまった。
1710:2001/07/26(木) 03:26
>>15
>記憶と共に潜在化した「かたまり」として認識する

今聴いているAmは既に聴いたことのあるAm(相対的でもいいが)
の記憶を呼び戻すことと共に認識するという意味です。
巷には音楽が溢れ返っているわけですから、
世の中でAmにどのような意味が付与されているか
ということへの考察が「組み合わせによる効果」
を解明する上で多いに役立つのではないかということです。


18??:2001/07/26(木) 03:28
このスレにお越しくださいました皆様へ。
私は、只今より本スレでの今日の結果をまとめましてから、
眠りに入ります。
私への意見・質問は私の起床後にお願い致します。
19??:2001/07/26(木) 03:29
>>17
ありがとうございます。参考にさせて頂きます。
もうねます。
2010:2001/07/26(木) 03:31
>>15
>「音自体の効果と組み合わせによる効果(=構造による効果)
>を厳密にていぎすること」がむずかしいとおもいます。

同感です。
和音や音階などというものは
倍音構成と密接に関与しています。
したがって実は倍音の問題と
音の配列の問題との厳密な境界線など
ないのではないかと思っています。
21??:2001/07/26(木) 03:33
このスレにお越しくださいました皆様へ。
私は、只今より本スレでの今日の結果をまとめましてから、
眠りに入ります。
私への意見・質問は私の起床後にお願い致します。
22??:2001/07/26(木) 08:06
皆様、おはようございます。7/26 の朝です。

昨日はさまざまなご意見をいただきまして、ありがとうございました。
予想以上の反応のため、すべてのご意見をまとめることは、
困難な状況にあります。
そこで、私は音楽哲学の基本となるであろう以下の観点を示します。

1,基本語句
音、効果、集合、対応、人、文脈、社会。

2,基本モデル
対応
音の集合―――――――→効果の集合

3,拡張モデル

音の集合―――――――→効果の集合
↑ ↑
人 文脈

すなわち、
「「音の集合、(聴く)人の集合、(聴く)文脈の集合」という対」と
「効果の集合」とが対応する、
というモデルが拡張モデルです。

4,議論の展開

基本モデルを中心に考え、
基本モデルでの「音の集合」と「効果の集合」
の2集合の対応のしかたを解明するために、
4−1,各集合内の要素の分類
4−2,各集合内の要素間の関係の明瞭な把握
の2点が大切となるでしょう。
23??:2001/07/26(木) 08:07
1,基本語句
音、効果、集合、対応、人、文脈、社会。

2,基本モデル
対応
音の集合―――――――→効果の集合
24??:2001/07/26(木) 08:08

3,拡張モデル

音の集合―――――――→効果の集合
↑ ↑
人 文脈

すなわち、
「「音の集合、(聴く)人の集合、(聴く)文脈の集合」という対」と
「効果の集合」とが対応する、
というモデルが拡張モデルです。

4,議論の展開

基本モデルを中心に考え、
基本モデルでの「音の集合」と「効果の集合」
の2集合の対応のしかたを解明するために、
4−1,各集合内の要素の分類
4−2,各集合内の要素間の関係の明瞭な把握
の2点が大切となるでしょう。
25??:2001/07/26(木) 08:11
皆様、上の >>23>>24 をお目通し願います。

このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。

私は昼頃まで戻ってこれませんが、
どうぞ議論をお続けになって下さい。
26考える名無しさん:2001/07/26(木) 14:20
>>25
なぜsage進行なの?
27考える名無しさん:2001/07/26(木) 14:22
AmをAmと聴取において同定する過程とは
純粋に「音」の「聴取」に還元できるものでは「ない」のではないか。
そもそも、AとCとEの三つの楽音を聴いているとき、
そこに意識の志向性による選択が関与しているのは明白だ。
(その耳に「雑音」はとどかなかったか? 聴いてないだけではないのか?
なぜそのようなマスキングが生じるのか?)
そして、聴取における個人偏差(これはわれわれが通常考えているより
ずっと個人差がある。最相葉月『絶対音感』に描かれていたように)は
音楽哲学においてどう普遍化されうるのか?

音楽による効果研究は、哲学であれ心理学であれ音響学であれ、
厳密に接近すればするほど、ある理念型による抽象モデルに近づく
ように思われる。
「その人の聴きたい音」しか説明できなくなる、と言い換えてもよい。
1「音楽」は「音」の集合である
2「音楽」は効果を持つ
3その効果は「音楽」の特定の要素に対応していつも特定のあり方をなす
この三つの命題が、ある特有の(必ずしも普遍的でない)前提に
依拠したものであることは明らかである。
2827:2001/07/26(木) 14:50
(承前)
命題1は、ゲシュタルトの特質(音楽は音の単なる集合以上の意味を持つ)
を見落とした命題である。それが「真」である人もいるかもしれないが
私には承服できない。
命題2は、「音楽」が「持つ」ということは何を意味しているか、が
曖昧である。音楽それ自体の中には「効果」は含まれない。「効果」とは
聴取者と音楽との関係性の関数である。それが「音楽」に持たれる、という
記述は何を意味するのか、分析哲学的な見地から検討する必要がある。
命題3は、ウィトゲンシュタインによって反駁されるだろう。「この効果」とは
何か? それは誰がどうやって指し示すことができるのか?
それは独語や思い違いとどのように異なって「事実」であるのか?

すなわち、「どういった音に対しどういった効果が対応するか」 という問いは
哲学的には、限定的かつ局所的な範囲にしか妥当しない答えしか
原理的に導き得ない、疑似問題に過ぎないのではないか。
そのように私は考えるが、如何か?>1
29??:2001/07/26(木) 15:44
先程戻りました。

>>27 >>28
詳しいご意見を頂きありがとうございます。

要するに、「疑似問題に過ぎないのではないか」
とおっしゃりたいわけですね。
これには、私も同意です。
とくに、
>音楽による効果研究は、哲学であれ心理学であれ音響学であれ、
>厳密に接近すればするほど、ある理念型による抽象モデルに近づく
>ように思われる。
>「その人の聴きたい音」しか説明できなくなる、と言い換えてもよい。
という考えには、深い問題をふくんでいます。

私は、
1,「音の集合」と「効果の集合」の対応
が普遍的であるばあいがある、と考えます。
「うまく構成された「音」」にたいしては確定的に「効果」が対応する、
とおもいます。
ある「音」の「効果」にたいして、その「効果」のすべてが確定的に対応する、
わけではないとおもいますが、
「うまく構成された「音」」にたいしては、その確定要素が多い
とおもいます。

2,「局所にだけある答え」を有効利用できるとおもいます。
目的が、
「「音」と「効果」の「普遍的対応」」をみつけることでなく、
「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」ことの発見にあるとすればです。
状況とは、聴く人、聴く文脈、をあわせたものです。
「「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」ことの発見」は、
音楽表現の可能性探求にとって有意義でしょう。

このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
30??:2001/07/26(木) 15:45
私は、
1,「音の集合」と「効果の集合」の対応
が普遍的であるばあいがある、と考えます。
「うまく構成された「音」」にたいしては確定的に「効果」が対応する、
とおもいます。
ある「音」の「効果」にたいして、その「効果」のすべてが確定的に対応する、
わけではないとおもいますが、
「うまく構成された「音」」にたいしては、その確定要素が多い
とおもいます。

2,「局所にだけある答え」を有効利用できるとおもいます。
目的が、
「「音」と「効果」の「普遍的対応」」をみつけることでなく、
「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」ことの発見にあるとすればです。
状況とは、聴く人、聴く文脈、をあわせたものです。
「「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」ことの発見」は、
音楽表現の可能性探求にとって有意義でしょう。

このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
31??:2001/07/26(木) 16:00
>>27
ささいなことですが、
私は、
「音楽は「音」の「集合」」という「「集合」という語の使用」
をしません。
「集合」とは、数学でのもので、
「要素の関係づけのないあつまり」の意味です。
したがって、
音楽は、「音」の「集合」でなく、「音」としてとらえます。

「効果」の定義にたいしては、複数の可能性があるでしょう。
3227:2001/07/26(木) 16:32
うーん、だから、
「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」
という、あなたの「発見」あるいは「事実の記述」自体が、
普遍妥当な記述とは成り得ない、ということを言ってるんです。
そりゃあ「特定の音を聴くと特定の効果が生じる」という
事実は存在するのかもしれません。しかし、その「効果」と「音」
との関係に、普遍妥当な記述を与えることは不可能である。
(つまり、あなたが発見した「効果」が、
わたしにも同時にあてはまる、ということは確認できない)
ということです。

いや、正確に言うなら、「音に対する生理的効果」については
さまざまな測定機器などを用いれば、普遍的な記述は可能でしょう。
(例えば、巨大な音量の音に対しては聴力が一時的に減少する効果が生じる、など)
しかし、「音楽」は、あなたも言う通り、
音の無秩序な集合ではなく、
意識や無意識に対して意味作用をおこなう記号体であります。
記号に対する、普遍妥当的「効果」を問うのは滑稽である。
記号は意味作用を行うが、
>うまく構成された「音」」にたいしては確定的に「効果」が対応する
ようなことは生じえない。
なぜなら、意味作用とはその定義上、第三の解釈項に常に開かれているからです。(すなわち、物理的因果性に還元できない)

あなたのように、
>「こういった音・状況に対しこんなすごい効果が対応する」ことの発見
に性急な態度は、
たとえていうなら、錬金術師や、永久機関の発明者に
似ています。
3327:2001/07/26(木) 16:38
すなわち、原理的な問題をないがしろにして
狭い範囲の疑似問題をもてあそぶことによって、
広い範囲の真の問題に解決を与えたと偽称する
あの永久機関の発明者たちに似ているように思うのです。

「うまく構成された」音という命題自体に
既に理論的負荷がかかっていることに、気づいて欲しい。

ウィトゲンシュタインの、後期の美学や音楽について言及した
いくつかのエッセイ(というか断片集)を
ご覧になることをおすすめします。
「私的な感覚」を「普遍的に」記述することは出来るか、という
問題を考えるために、
あなたの思考には、他者がありません。
34間違えました:2001/07/26(木) 16:40
ウィトゲンシュタインの、後期の美学や音楽について言及した
いくつかのエッセイ(というか断片集)を
「私的な感覚」を「普遍的に」記述することは出来るか、という
問題を考えるために、ご覧になることをおすすめします。

あなたの思考には、他者がありません。
35??:2001/07/26(木) 16:57
>>32
レスありがとうございました。

>意味作用とはその定義上、第三の解釈項に常に開かれているから
>うまく構成された「音」」にたいしては確定的に「効果」が対応する
>ようなことは生じえない。
ということですが、
その第三の解釈項を「うまく構成された音」の内部でつくる、
ということが可能なのではないでしょうか。
それだけでなく、
うまく構成された「音」」にたいしては確定的に「効果」が対応する 、
という現象は、
「解釈項」をつくること(自己定義)による、
のではないかとかんがえています。

>記号に対する、普遍妥当的「効果」を問うのは滑稽である。
「効果」を確定的に記述する方法はないでしょう。
それでも「効果」をあつかうならどうすればよいでしょう。
1つには、
「いくつかの「音」の「効果」を非意味論的に記述し、
すべての「音」どうしの関係を確定化し、
それらの関係を「いくつかの関係」の合成として擬似化し、
その「いくつかの関係」と「「効果」間の関係」を対応させる」
というボトムアップの手法があるでしょう。

このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
36??:2001/07/26(木) 17:07
>>33 27さん

ご意見ありがとうございます。
ご紹介頂いた本については、参考にします。

>すなわち、原理的な問題をないがしろにして
>狭い範囲の疑似問題をもてあそぶことによって、
>広い範囲の真の問題に解決を与えたと偽称する
>あの永久機関の発明者たちに似ているように思うのです。
>>30 で申しました通り、
目的は、必ずしも、
広い範囲の真の問題に解決を与えることに設定する
必要はないとおもいます。

>「うまく構成された」音という命題自体に
>既に理論的負荷がかかっていることに、気づいて欲しい。
よくわかりませんのでおたずねしますが、
そのことは、
「ある音に対して確定的に乞うかが対応する」
としてもですか?
37??:2001/07/26(木) 17:11
>>36 乞うか→効果
38??:2001/07/26(木) 17:40
私は一旦このスレからはなれますが、
ご意見などお待ちしております。
尚、このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
3927:2001/07/26(木) 21:10
>その第三の解釈項を「うまく構成された音」の内部でつくる、
>ということが可能なのではないでしょうか。

それは、音楽美学史上で言うところの、「自律音楽美学」の思想に
対応します。
すなわち、「全ての音が、それ自体によって存立根拠を与えられる」
と考える思想であり、
音楽史的には19世紀後半の西洋芸術音楽
(とりわけ室内楽)を規範として成立した音楽思想です。

当然、この考えかたは、ある特有の音楽にしか当てはまりませんし、
その音楽を、「全ての音をそれ自体に根拠を持つものとして聴く」
聴取のあり方によって支えられるものであります。
「聞き流し」や「レコードによって聴く」ことは、想定されていません。

「全ての音同士の関係を確定する」ことができる、という想定そのものが
すでに歴史的な限界を背負った考え方です。
われわれの聴取は、そのように「純粋」なものではありません。
あなたの聴取が純粋であったとしても。

>>「うまく構成された」音という命題自体に
>>既に理論的負荷がかかっていることに、気づいて欲しい。
>よくわかりませんのでおたずねしますが、
>そのことは、
>「ある音に対して確定的に乞うかが対応する」
>としてもですか?

「ある音」を聴くと、あなたの中に「P」という効果が生じたとします。
そしてその「P」は、「ある音」によって確実にくり返されるとします。
あなたはそのたび「P」という。
しかし、その「P」という「効果」は
「P」という名前でしか、わたしに伝えることができません。
わたしが「ある音」を聴いて感じる「効果」が「P」であるかどうか
どうやって「確定的」にわかるというのでしょう。
(聴覚神経の興奮などの生理的指標を基準とするならば
「P」の同一性は確定的に認証可能です。
しかし、それはその「効果」とは別のものではないでしょうか。
「効果」とは、聴覚神経の興奮に還元できるものではない。
もしそのようなものであるのならば、「効果」などと言わず
聴覚神経の興奮と呼べばすむことです。)
その聴覚神経の興奮を「効果」と呼ぶこと自体が既に、
「音楽を聴くときの効果は、生理的反応に還元できる」
という、あなたの理論的前提を示しています。
そのような暗黙の前提を指して、わたしは「理論的負荷がかかった命題」と
呼んだのです。

そのような暗黙の前提を明示しないままなされる議論は、
断じて「哲学 philo-sophy」ではない。
私はそう考えます。

>目的は、必ずしも、
>広い範囲の真の問題に解決を与えることに設定する
>必要はないとおもいます。

なぜですか? あなたの独我を満足させられる
リクツ付けがなされればよいのでしょうか?
わたしは、哲学と銘打つのである以上、
誰もが同じ道筋で普遍的に同意できる思考を
提示して欲しいと思います。
40??:2001/07/26(木) 22:11
みなさん、こんばんは。
>>39 27さん
的確なご指摘を頂き、ありがとうございます。

27さんは39の最初で大変重要なことを指摘なさいました。
つまり、
「すべての音はそれ自体により存立根拠を与えられる」壱
という考えです。これは、たしかに、歴史上の自律美学の思想に対応します。
ただ、
上の壱の考えはすべて歴史上の自律美学なのでしょうか。
すなわち、次に27さんが指摘下さった、
「全ての音をそれ自体により存立根拠をもつものとして聴く」
ことを必ず要求するのでしょうか。
あらゆる聴取に対し「音の集合」と「効果の集合」の確定的な「対応」
が生じるような作曲が1つの可能性として探求されることが必要
とおもいます。

つぎに、明示しますが、
>「音楽を聴くときの効果は、生理的反応に還元できる」
>という、あなたの理論的前提を示しています。
というとき、実際はそのような前提をもちいていない、
ということができます。
たとえば、私は
>聴覚神経の興奮を「効果」と呼ぶこと
をおこなっていません。

最後の段落です。
>なぜですか?
普遍的な答えはあります。それは狭い範囲での(条件付きの)「真理」
だとおもいます。
あるいくつかの条件をつければ、
あるいくつかの非生理的効果をねらうことが可能になります。
41フヘフヘフヘ:2001/07/26(木) 23:54
なんか音楽から離れてない?
42考える名無しさん:2001/07/27(金) 00:19
1はハンスリック主義者か
43考える名無しさん:2001/07/27(金) 00:20
>あらゆる聴取に対し「音の集合」と「効果の集合」の確定的な「対応」
>が生じるような作曲が1つの可能性として探求されることが必要
>とおもいます。

わたしは経験論者ですので(笑)
そのような「必要」は感じませんし、
そのような可能性の実在を信じる連中を「妄想屋」として
軽蔑するイデオロギーに染まっていることを自覚しております。
わたしが要求するのは、かような信仰を告白することではなく、
かような信仰を、(わたしをも含む蒙昧な連中を説得させうるような)
普遍性へと向けてたたき上げる論理的努力であります。
あなたの論議に、普遍性への「信仰」以外の
普遍性への具体的労力があるのならば、それを示していただきたい。

>「すべての音はそれ自体により存立根拠を与えられる」
という自律美学は、その意味で
普遍性を獲得することに失敗した思想に過ぎません。
それにしがみつくのはあなたの個人的な自由の範疇に属しますが
それがあなたのお気に入りだからといって、
「普遍的」な真理の座に着かせることは、
(少なくとも)わたしが反対することでしょう。

>つぎに、明示しますが、
以下。
聴覚神経の興奮云々の文言をあなたが述べているか否かは
ここでは問題ではありません。
(そもそも「あなた」とは、テキストの連鎖の中に
確固として存在しているのか?
それはテクストの戯れを「あなた」という
あるのかないのかわからない主体にむけて
編成させようとする権力作用に過ぎないのではないか?)
「実際はそのような前提をもちいていない」ことは、
「>聴覚神経の興奮を「効果」と呼ぶこと
をおこなってい」ないことによっては
証明されません。
それは単に、あなたの議論の甘さを示すに過ぎないのです。

>普遍的な答えはあります。それは狭い範囲での(条件付きの)「真理」
>だとおもいます。

条件付きの「真理」は、その条件を明示することなしには
「真理」を名乗ることはできないのではないでしょうか。
その「条件」を、できるかぎり具体的に、厳密に、
明示していただきたい。
その上で、その「条件」の元での
真理ゲームに参加するか否かを、私も決定したいと思います。

>41
音楽を「哲学する」ことに必要な議論は、
まだまだこんなものでは足りません。
44考える名無しさん:2001/07/27(金) 04:09
age
45??:2001/07/27(金) 05:01
皆さんおはようございます。

>>43
ご意見ありがとうございます。

問いを立てます。
1,「音楽表現において確定的なものはなんでしょう?」
2,「感動・その他の影響を音楽作品(ある構成された音)のみがあたえる
のはなぜでしょうか。」

さて、1,の問いの答えとして、
「音の波形のみが確定的に記述できる」
というのも十分もっともだとおもいます。
私が言う「条件つき真理」というのも、
「音の効果は、私が聞くという条件により「より」確定化される」
という程度の主張にすぎません。
もし、音の波形のみが確定的とすれば、
どのようにして音楽表現を哲学することができるでしょう?
(これは反語ではありません。前件に対してもです。)
46??:2001/07/27(金) 05:02
ご意見などお待ちしております。
尚、このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
47考える名無しさん:2001/07/27(金) 10:24
音楽作品における音って、多分に文化的、経済的諸関係に規定を受けている部分があるので
物理的な音響に還元し尽くせるものではないと思う。
48??:2001/07/27(金) 10:38
>>47
ご意見ありがとうございます。
>音楽作品における音って物理的な音響に還元し尽くせるものではないと思う。
はい、ごもっともです。
>>24 の拡張モデルにある通り、波形が基本にはちがいないのですが、
実際の効果に至るまでに、
聴く人、聴く文脈といったフィルターがかかるわけです。
49考える名無しさん:2001/07/27(金) 10:56
>>>24 の拡張モデルにある通り、波形が基本にはちがいないのですが、
>実際の効果に至るまでに、
>聴く人、聴く文脈といったフィルターがかかるわけです。

これはすでに予断だろ?
「音波」(あるいは「音楽それ自体」)を聴いている耳に
聴く文脈という外的要因が重なり合う、という
コミュニケーション・モデルが最初から前提されてる。
本当にそうなのか?
同じ音楽は、いつ聴いても同じ効果を及ぼすのか?
むしろ、主体の状態に影響を及ぼす
さまざまな記号作用の一つに過ぎず
それは、周囲の文脈との相互関係でその意味や作用は現象するのではないか?

そのような「音楽それ自体」の存在を疑わないモデルは
すでに「そのような聴取」しか取り扱えないのではないか?

そして、「波形が基本」「音楽それ自体が中心」といった前提を
不明瞭にしたまま、「普遍」として語る=騙ることによって
「ながら聞きはいけない」「イメージや言説に影響される聴取は間違いだ」といった
現実の聴取を規制するイデオロギー効果を生じさせているのではないか?

>2,「感動・その他の影響を音楽作品(ある構成された音)のみがあたえる
> のはなぜでしょうか。」

この命題が、事実を述べているのではなく、
特定の価値判断に依拠していることは明瞭である。
もしこの命題の真偽を問題にするのであるならば
「音楽作品(ある構成された音)のみが効果をあたえる」ということを
先に証明する必要がある。
50??:2001/07/27(金) 11:29
>>49
ご意見ありがとうございます。

>それは、周囲の文脈との相互関係でその意味や作用は現象するのではないか?
そうですね。そうイメージなさっても結構です。
それとも、この考えは私のモデルと相容れないものですか?

>「ながら聞きはいけない」「イメージや言説に影響される聴取は間違いだ」といった
>現実の聴取を規制するイデオロギー効果を生じさせているのではないか?
私は自律美学をある程度信仰してますが、それとは別に、
波形の基本性を語ったのです。
「音楽表現において確定的なものはなんでしょう?」
という問いは音楽哲学のむずかしさを示しています。

>「音楽作品(ある構成された音)のみが効果をあたえる」ということを
>先に証明する必要がある。
すみません、
2,「音楽作品(ある構成された音)のみがあたえる感動・その他の影響
が存在するのはなぜでしょうか。」
の間違いでした。
そのような証明は存在しないでしょう。
音楽作品のみが与える影響がないとすれば音楽表現の意義がうすまります。
すなわち、
音楽は音の作用の単純な集合・あるいは組み合わせにより作用を強めたもの、
ということになるからです。
また、もう一つの問題として、
3,「作曲家のこだわり、つまり、特定の音(・音の組み合わせ)がもつ効果
をみとめること、が存在する事実をどう確定的に哲学するか」
ということがあります。

>皆様へ
ご意見などお待ちしております。
尚、このスレは、できるだけsage進行でお願い致します。
51??:2001/07/27(金) 11:41
誤りがあったこともあり、これまでの音楽哲学上の問いをまとめます。

1,「音楽表現において確定的なものはなんでしょう?」
2,「音楽作品(ある構成された音)のみがあたえる感動・その他の影響
が存在するのはなぜでしょうか。」
この2,と関連したのが次の3,の問いです。
3,「作曲家のこだわり、つまり、特定の音(・音の組み合わせ)がもつ効果
をみとめること、が存在する事実をどう確定的に哲学するか」
52考える名無しさん:2001/07/27(金) 21:35
定期age
53??:2001/07/27(金) 21:42
>>52
もし、あなたがご存知なかったのであれば申し上げますが、
このスレは、できるだけsage進行で行っております。
何卒、ご了承のほどを。
54考える名無しさん:2001/07/27(金) 21:49
テイキアゲ
55アホっでーす!:2001/07/27(金) 22:18
音楽の物理面に関していうとですね、全ての哺乳類は、整数比が周波数の音を
聴くとキモチーということがageられマス
56フヘフヘフヘ:2001/07/27(金) 23:44
煽るつもりはさらさらないけど、>>1-10ぐらいまでチラッと読んでみたけど間違いがいっぱいあるよ。
57??:2001/07/28(土) 00:07
>>56
煽るつもりはないのでしたら、間違いについて教えてください。
58フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 00:36
まず一点。
学問が成り立つ為の決まりとして・・・
自分で勝手に言葉を作るのは混乱するから止めた方がいいよ。
「音=音楽」として使わない方がいいよ。
せめて音は音群に訂正した方がいいよ。
一応学問ではこういうことは禁止されてるんだよ。
59フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 00:56
>>9について一点。
>「音」の組み合わせとしての「音楽」というとき、
>1,「組み合わせ」による効果
>2,音自体の効果

ここ変じゃない?
60フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 01:04
他にも変な場所はあるけど上と似たようなことだから何度も指摘する必要を感じないからパスします。
61フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 01:11
>>11以降については今は眠いので読みません。そのうち読むかもしれません。
62??:2001/07/28(土) 01:17
>>61 フヘフヘフヘさん
ご批判ありがとうございます。
その >>11 以降にモデルや思想の改善可能性について私見を
のべましたので、よかったらお読み頂きたいです。
63フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 11:08
>>9
>「音」の組み合わせとしての「音楽」というとき、
>1,「組み合わせ」による効果
>2,音自体の効果

を詳しく説明してほしいんだけど。
もしも>>9のこの内容がおかしかったら、その後のもこれを基礎としてるっぽいので全部おかしいんで。
64フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 12:23
このスレの今までの議論を無視して問題提起します。

「人は音や音群をどのように認知・処理しているだろうか?」
65フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 12:39
>>64の「人は音や音群をどのように認知・処理しているだろうか?」
を提案した理由を以下に書きます。
そちらが提案した、”人を感動させる”ことについて探索する為には、
それよりもまず「入ってきた情報をどのように認知・処理しているか」を知らなければ達成できないです。
「認知・処理の後に、感動をいう現象が起こります。」

認知・処理に関して。。。
人は様々なスキーマ(=人に記憶されている情報の総称的概念で、機能的に一つの単位として働くもの)を持っています。
スキーマには、リズムのスキーマ、音階のスキーマ、様々なものがあります。
その概要を論じるのが先決だと感じます。
66フヘフヘフヘ:2001/07/28(土) 12:41
訂正

「認知・処理の後に、感動をいう現象が起こります。」

             ↓

「”認知・処理”の後に ”感動”という現象が起こります。」
67??:2001/07/28(土) 19:21
>>63-66 フヘフヘフヘさん
貴重なご意見に感謝します。

音の組み合わせ云々は、単なる作業仮説です。
1,組み合わせというのは、
「素材の特質に関わりない構造」
を想定しています。
2,音自体というのは、
「構造が認識されないレベルで、一部の和音・クラスター・単音など」
を想定しています。

この両者ははっきり区別できません。
たとえば、
「周波数解析によりわかる音群の構造(1,)で効果を解明する方法」と
「時間的ミクロまで掘り下げずに、「手元にある、構造のある音群」から効果を解明する方法」
とがあるでしょう。この2つの手法の内容はことなりますが、
はっきり区別されないとおもいます。

>>64 >>65
そうですね。効果を記述する方法が乏しいので、
このような構成的手法が有効でしょう。
68考える名無しさん:2001/07/28(土) 23:02
>1
で、結論は?
69??:2001/07/28(土) 23:38
>>68
結論を議論を通して探したいのです。
結論といっても「ゴール」はないでしょう。
70考える名無しさん:2001/07/29(日) 00:36
>>69
なんで君はいつもsage? もったいないage
71考える名無しさん:2001/07/29(日) 03:07
>>13の「どの人がどういう環境でどういう音を聴いたとき
どういう効果があるか」

場所による影響が大きい
駅で煩い出発音愕は不快にしかならない
実生活において人は音だけで反応していない
72考える名無しさん:2001/07/29(日) 03:44
??の議論には
明白な予見が背後に控えていて
それに適わない意見への理解力が足りないように思える。
それは39の言うような自律美学と
完全には重ならないかもしれないが
ある種の「構造」と感覚を一元的に把握する傾向に
寄りすぎているように映る。

まあ、音楽美学の主要な論者は誰もそんな傾向だから
既存の枠組みで音楽を論じるのであれば、その陥穽に陥ってしまうのも
やむを得ないのかもしれないが。

だが、もうすこし勉強してくれよ>??
オマエの言ってるようなことはこれまでの哲学史で死ぬほど繰り返されてきている。
このスレでやってる議論はその厳密さに欠けるコピーに過ぎない。
73??:2001/07/29(日) 05:31
>>71
ご意見ありがとうございます。
そうですね。同感です。

>>72
ご意見ありがとうございます。
はい、このスレを通して勉強します。
私は、
既存の枠組みから脱出すべきなのであれば脱出しやすいように、
わざと単純化した議論からスタートしたのです。
深入りして方向転換しづらくなることを恐れたのです。
74フヘフヘフヘ:2001/07/29(日) 12:53
>>67の??
>音の組み合わせ云々は、単なる作業仮説です。
>1,組み合わせというのは、
>「素材の特質に関わりない構造」
>を想定しています。
>2,音自体というのは、
>「構造が認識されないレベルで、一部の和音・クラスター・単音など」
>を想定しています。

意味がわかりません。
なぜ”一部の和音”が後者の分類に属するのですか。クラスターも和音の一種であるのにも関わらずなんで後者の分類に属するのですか。和音は組み合わせによって成り立っているものではないですか。

>「周波数解析によりわかる音群の構造(1,)で効果を解明する方法」と
>「時間的ミクロまで掘り下げずに、「手元にある、構造のある音群」から効果を解明する方法」

この例えがどのようにご自分の分類法に適応されているのかがわかりません。例えが2つ出されていますが、最初の例えは、前者の分類法に対応するのですか。その次の例えが、後者の分類法に対応するのですか。そうだというのなら、ますます文意が意味不明です。

>>73
>単純化した議論

どこが?非常に曖昧な分類法を選択して議論がスタートしています。ご自分でも「はっきりとは分類できない」と認めているように。それとご自分でご自分の分類法をきっちりと把握してますか。適当にしたまま話を進めてませんか。そう思えて仕方がなかったです。
75確認:2001/07/29(日) 13:07
ある音が人類に普遍的にある効果を持つわけではないのは??氏も
理解してるわけだよね?ナティエの『音楽記号学』でも書いてるけど。
76フヘフヘフヘ:2001/07/29(日) 13:23
>>75
>ある音が人類に普遍的にある効果を持つわけではないのは??氏も
>理解してるわけだよね?

その通りだと思う。それは様々な心理実験でも確かめられている。でも、ある程度の傾向はあると思うけど。
どんな種類の人類なのか、対象を定めないと議論はできないと思う。西洋音楽か、東洋音楽、インド音楽、など対象を定めないと話は出来ない。
77考える名無しさん:2001/07/29(日) 14:16
>>1
どういった本が売れるかを事前に考える
マーケットリサーチのようなアプローチと
創造することとは、お互いに相容れない性質のものである。

よって、このスレは根本で考え違いをしている
と思う。
78??:2001/07/29(日) 15:40
>>77
今からでかけるけど一言。
創造するってことが人によって違うわけで、
あなたにとっての創造が私にわかりませんので、
その「創造」をすばらしいこととして感じられません。
何かアイデアをお持ちなら遠慮なくおっしゃって下さい。
>>1 の問題意識は無視して結構です。

「私にとっての創造」の他の例。
「音楽がつたえるものはなにか?」
これさえも >>1 とかわりません。

構築と創造がちがうのはわかります。
79考える名無しさん:2001/07/29(日) 22:27
>>78
>創造するってことが人によって違う

何故そう言える?
80??:2001/07/29(日) 22:33
>>79
真の創造がないとします。
すると、ある人の「創造」は他の人の評価できまります。
人それぞれの創造をみとめることが大切なのですが、
私のもたない「創造」はすばらしいこととして感じられません。
何かアイデアをお持ちなら遠慮なくおっしゃって下さい。
81考える名無しさん:2001/07/29(日) 22:37
「??=ドキュソ」は確定。
82??:2001/07/29(日) 23:10
>>81
議論はつづけます。
>>74
>1,組み合わせというのは、
>「素材の特質に関わりない構造」
>を想定しています。
>2,音自体というのは、
>「構造が認識されないレベルで、一部の和音・クラスター・単音など」
>を想定しています。
<組み合わせという考えのむずかしさについて。>
和音はたしかに構造をもっています。
しかし、和音の構造を光に変換しても同じ効果はえられないです。
似た効果がえられる、という報告はありますが。
音だけがもつ作用がある、と判断できます。
これを、音自体がもつ効果とよびましょう。
一方、散開した和音の効果や
上記の似た効果がえられるという部分
は、波形を周波数解析した構造に対応しています。
これを組み合わせによる効果とよびましょう。
すべての音群の効果は、上の方法ではっきり分類できません。
それだけでなく、
すべての音群は、上の方法の分類の両方の効果をもちます。
83考える名無しさん:2001/07/30(月) 00:33
>一方、散開した和音の効果や
>上記の似た効果がえられるという部分
>は、波形を周波数解析した構造に対応しています。
>これを組み合わせによる効果とよびましょう。

だーかーらー、あんたの概念定義はいつも恣意的過ぎるんだよ。
「これを組み合わせによる効果と呼びましょう」なんて勝手に決めたって
しかたないだろ。
「効果」って何だよ? 何に対するどういう効果なのよ。
もう少し勉強してくれや。ツッカーカンドルとは言わないが
せめてハンスリックくらいを下敷きにして、
共有される概念基盤を確保しながら議論してくれ。
他人に共有されない手前勝手な議論は哲学ではない。
あんたの今の姿勢は妄想と変わらねえぞ。
84??:2001/07/30(月) 01:29
>>83
何かアイデアをお持ちなら遠慮なくおっしゃって下さい。

私の定義が共有されないものとすれば、それはこまったことです。
なぜなら、私は私の定義を共有され得るものとかんがえているからです。

そこで、語の定義について述べます。
>>22-24 をご覧ください。
>>74 で指摘されていることについてですが、
「単純な議論」と言ったときこのモデルをいいたかったのです。
このモデルが現在の私の考えの中心です。
このモデルの定義はあいまいです。厳密ではありませんが、
それは単純なためであり、
単純モデルでは明瞭な語句をつかっても厳密さを得ることができないでしょう。
もし、得られる方法がわかれば、私はモデルの変更をおこなうでしょう。

質問にお答えします。
>「効果」って何だよ? 何に対するどういう効果なのよ。
ものごとの意義は効果によってすべて説明されるとします。
効果がないと音楽は無意味です。
実際は音楽は効果を持つと考えられています。
効果のなかには作曲者の意匠による部分とそうでない部分とがあります。
これを両方とも効果と呼びましょう。
音楽とはなんでしょう?
作曲者の世間評価が作品評価に影響しているときもあります。
演奏者のパフォーマンスが演奏評価に影響しているときもあります。
とすると、これらの音楽評価の要因も音楽としてみとめることができます。
しかし、何でも音楽とみとめると音楽表現の本質がつかめないでしょう。
そこで、音楽は
「作者の意匠によるある音楽曲に関する行動の結果すべて」
とします。この意味での音楽を「音楽作品」と呼びましょう。
効果とは、音楽作品そのものですが、
あまりに末梢的結果は効果とよびません。
一方、社会的な意味での音楽になっていない段階(リハーサルなど)
の結果も効果と呼びません。
音楽とは聴取者への効果に還元できるものなのか?

また、聴取者の音楽作品への反応自体、周囲の世界のその作品、あるいは作曲者や、その他特定の音楽ジャンル、
音楽語法等々への評価(最も広い意味での)に規定されている部分のほうが大きいと思う。
倍音関係への生理的反応等(「自然」)によって基礎付け出来る部分は逆に少ないのでは
ならば逆に効果への言及は避けてあるタームにおける「音楽自体」について語るか、
(もちろんこれは実証主義的観点からすれば偽の問題だが、決して意味のないことではないと思う)
あるいは実証的アプローチで、これまたある文化圏、ある時代における効果や、語りを調べるしかないと思う
86??:2001/07/30(月) 05:57
おはようございます。

>>85 貴重なご意見ありがとうございます。

>音楽とは聴取者への効果に還元できるものなのか?
音楽作品を表現衝動の結果として考えますと、そこには作者の表現したい内容が
作品中に反映されているはずです。
これは、完全な反映ではないことが大半で、したがって聴取者は作者の表現したかった内容
にたどりつきにくいでしょう。
つまり、音楽作品を実際の聴取者への効果でなく内容で語る方法があります。
内容とは、音楽表現を考えるさいの1つのモデルを与えるもので、
「ある音楽作品に対して作者が行動する際にコミュニケーション結果として期待すること」
といえると思います。

>聴取者の音楽作品への反応自体、周囲の世界のその作品、あるいは作曲者や、その他特定の音楽ジャンル、
>音楽語法等々への評価(最も広い意味での)に規定されている部分のほうが大きいと
そうですね。流行の音楽の存在は音楽表現のこうした実状を示す例です。
聴取者の文化的コードにより内容の伝わり方が異なります。
ある文化を論じる方法もあるでしょう。
一方、文化的コードの記述法と
必要に応じて作者がコードを作る方法(自律美学)
を論じることもできるでしょう。

>効果への言及は避けてあるタームにおける「音楽自体」について語るか
どういう意味ですか?
87考える名無しさん:2001/07/30(月) 10:16
??はナティエの『音楽記号学』(春秋社)でもみっちり読んで出直せ。
創出面と中立レベルを同一視し、
それを享受面での恣意的な概念規定によって
独断的に論理化しているのに気づくべし。
このままのやり方で議論してても
いつまでたっても周囲に共有されないよ。

>音楽作品を表現衝動の結果として考えますと、そこには作者の表現したい内容が
>作品中に反映されているはずです。

たとえばこのへんとかね。
「表現衝動」の「反映」って何だよ? いまさらロマン主義じゃねえんだから(藁
88??:2001/07/30(月) 10:50
>>87
よくわかりませんが、何かアイデアをお持ちならおっしゃって下さい。

たとえば、
>創出面と中立レベルを同一視し、
>それを享受面での恣意的な概念規定によって
>独断的に論理化しているのに気づくべし。
これはどういう考え方ですか?

それから表現衝動は説明概念としても大切です。
表現衝動が大切になる作品が存在するからです。
逆に、作者の意匠のない作品を正当化することが
むずかしいとおもいます。

このスレを見ている人にわかるように
本の内容を説明頂けたらうれしいです。
89考える名無しさん:2001/07/30(月) 11:28
あのさ、雲母とか、巨像異性帯とかで検索してたら、
等広大とか、吸収大とかのサイトが出たわけ。
内容がメチャ難しかったけで、読まないよりはそれでも、
何となく、風〜ん、って読めるわけ。
あと、凄くためになるって、女子短大の先生のサイトにもその
好学態?だっけ、それが載っていたわけ、そう解説してあたの。
それで思ったの。
咲いてーって、猿のサイト。
学生の賞品テストは、中学生の夏休みの自由研究波。

教え子のHPとか、研究室のめんばーの書いた物みれば、
一目瞭然。指導教官の失。
そんで、キラルの胞は、凄いんだよ、顔つきからして違うのそうゆう
使徒達。
○○賞とか、もらってたりして、凄かった。
ああゆうの見てたら、何だか、もう家学でも何でもない誹謗中傷の
サイト相手にするの嫌になってきた。
で、人格に対する誹謗中傷っていうのは、家学的に反論できない紅し、
ジャン。ソレがイッソウ、怪しげだったわけ。何か死られてマズイことが
余程あるカンジ。
90??:2001/07/30(月) 11:43
>>88
「表現衝動」という表記を
「作者の選択した音楽内容」と改めます。
>>86の文章もこれでお読み下さい。

>>89
意味深ですが、議論の進行との関係を私が理解できないかぎり、
議論の進行に影響を与えることはできません。
91考える名無しさん:2001/07/30(月) 11:46
意味深ですが、議論の進行との関係を私が理解できないかぎり、
議論の進行に影響を与えることはできません。
92考える名無しさん:2001/07/30(月) 12:40
>このスレを見ている人にわかるように
>本の内容を説明頂けたらうれしいです。

オマエ以外の全員わかってんだよ。
分からず手前勝手な議論を振り回してるのはオマエだけ。分かる?

逆に
>表現衝動
って何だよ? 全員にわかるように説明してくれ。
93考える名無しさん:2001/07/30(月) 12:42
??は独善的だな。
「これを読め」といっても相手にしない。
共通の前提を構築しようとしない。
対話になってない。
やがて電波君に至る典型的姿勢。
94考える名無しさん:2001/07/30(月) 13:25
じゃ、放置ってことで。
95??:2001/07/30(月) 13:51
>>92
>分かる?
わかるよう努力します。

>説明してくれ。
「表現衝動」という表記は
「作者の選択した音楽内容」と改められています。>>90
ある音楽作品の内容とはその作品の効果の一部です。
まず「音楽作品」を定義し、その効果とほぼ等価なものとします。
「ほぼ」というのは作品の波形自体を効果とよばないからです。
この定義の流れは >>84 にしめされています。

>>93
要するに、「私の姿勢・議論が有効でない」ということでしょう。
論理的に納得させられれば改めますし、
そうでなくても理解に努めます。
96考える名無しさん:2001/07/30(月) 14:20
じゃ、放置ってことで。
97考える名無しさん:2001/07/30(月) 20:29
宇宙ヤバイさ〜ん。助けて〜。
98スマパン:2001/07/30(月) 22:21
>>94 >>96 シツコイ。 嫌なら見に来なければいいじゃん。
ロムって楽しんでる人もいるんだからイラヌ邪魔をするな。
第一、俺様に対して迷惑だっつーの。
99考える名無しさん:2001/07/31(火) 00:33
>>98
じゃテメエが生産的な貢献しろや。
当事者以外がいらねえ口はさむなよ。
無知の僻みか。けっ。
100考える名無しさん:2001/07/31(火) 03:35
>1
気にせず進行してきましょう。
101考える名無しさん:2001/07/31(火) 05:34
聴覚入力と聴取時の情動とにパタンがみいだせるか、てな話?

音の組合せというのも結局は耳にはいるときには重なった1つの音なので、
音の組合せの構造があらかじめ与えられていると考えるよりも、
重なった音を聴者はどう体制化、構造化して認識するのかとアプローチしたほうがよいのでは。

それによって認識されるにあたってその音を特徴づけているのは何か
という語法はできてきそう。

でも、情動についても、どのような情動なのかとか類似度を表現できないと。
あるパタンの入力について現れる反応が同じなのか、とか評価できないのでは。
102考える名無しさん:2001/07/31(火) 05:37
        (\
         \\
          (\\
           \\\
           (\\\\
           (\\\\\
            \\ |||
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ⊂⊃
  ̄ ̄( ̄ ̄//// ̄\  ∧ ∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ̄(//// ̄\\( ゜Д゜) < らげェ名無しの裏に隠れてんな ゴルァ !!
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从へ从へへ从  ; ζ  | Γ从 | |;:.. |从Γ | |    \\ ∠___/|
    ( ⌒( ⌒ ) ζ | 从Γ | |.:;. |从Γζ.;"._ \\|ΓΓΓ| |
(   ⌒ ⌒  ⌒ );  | ΓΓ | |.;;::|ΓΓ | |  ( 从へ;: |从ΓΓ| |
 Σ( ⌒( ⌒ ) ζ  ( ( ) )⌒ ) ( 从へ从)_.;;:.;|Γ从Γ| |
 ( (( ( ⌒ )) )  从 Σ( ⌒(  从へ从) ∠___/|
Σ (( ( ⌒ )) ) )(( ⌒ ( 从へ从) .;".;:;|ΓΓΓ| |
 (( ⌒ ( ( ) )⌒ );:;   .;".;": ..;.;".;":|从ΓΓ| |
103??:2001/07/31(火) 08:17
おはようございます。

このようにして基本用語が一通り整備されましたが、
これらは皆さんと共有できるものかはわかりません。

そこで、>>1 からの問題意識とは別に
「音楽思想とは何か?」をかんがえましょう。
>>82の定義により作者から意匠が伝達される段階が
順に「創出レベル」「中立レベル」「感受レベル」
にあたるわけです。
この各レベルで、思想がどのように作用しているのでしょう?
あるいは、単に、
「思想の作用場所と作用内容と伝達容態」
についてです。
私は2日もどりませんが、
ご自由に議論下さい。
104考える名無しさん:2001/07/31(火) 09:23
バカ。記号学的三分法は「意匠が伝達される段階」ぢゃないって
ナティエ自身が何回も繰り返してるだろ?ちゃんと読んで矢印の
向きを確認してから偉そうにいいなさい。なにが「にあたるわけです。」だ。
105補足:2001/07/31(火) 09:26
創出レベル→中立レベル→享受レベル
ぢゃなくて
創出レベル→中立レベル←享受レベル

ってことね。この矢印の向きが理解できないから
音と効果の即対応みたいな貧弱な発想が生まれるわけ。
106??:2001/07/31(火) 09:38
>>105
即対応と相互作用は区別する、という事がわかりました。

>>102
これは、>>67 の下二行に私見があります。

>>103
音楽思想を考えてほしいです。
音楽美学哲学でなく音楽思想哲学のスレッドだからです。
よい例として、
グレン・グールド、ブーレーズ、ホセ・マサダ、
ショスターコヴィッチ(社会思想)
などが思い浮かびます。
107考える名無しさん:2001/07/31(火) 11:08
無知なのでわからなかったけど、
こうして読んでみると、このスレ意外と痛いね。
108考える名無しさん:2001/07/31(火) 11:30
??は確かにイタイ。
無知なヤツが陥りがちな
妄想を思想と言い張る厨房

妄想は確かに共有されにくいから
「独自の思想」なーんて
思い過ごしをこじらせたりするんだけどな。

こういう症例を見るにつけ、
アカデミックな哲学史教育によって
「これまで誰がどのようにその問題を考えてきたか」を
共有しながら哲学的に思考していくことの重要さが分かる。
(まあアカデミズムはアカデミズムでうざったいんだけど、
妄想君をつけあがらせるよりマシ)
109フヘフヘフヘ:2001/07/31(火) 22:51
やっと今月末が期限のレポートが終わりました。
2chから離れてました。レスします。

>和音はたしかに構造をもっています。
>しかし、和音の構造を光に変換しても同じ効果はえられないです。
>似た効果がえられる、という報告はありますが。

どうゆう報告ですか?誰の報告ですか?言いたい事がいまいち解らないので、参考文献をきっちりと示してください。

>1,組み合わせというのは、
>「素材の特質に関わりない構造」
>を想定しています。
>2,音自体というのは、
>「構造が認識されないレベルで、一部の和音・クラスター・単音など」
>を想定しています。

もう一度説明をお願いします。
「組み合わせ」の何ですか?「音自体」の何ですか?
言葉はきっちりと書いてほしいです。
110フヘフヘフヘ:2001/07/31(火) 22:56
>>106
>音楽美学哲学でなく音楽思想哲学

どう違うのか説明してください。言葉足らずで答えたなら、また聞きなおします。
111考える名無しさん:2001/07/31(火) 23:14
じゃ、??は放置ってことで。
112考える名無しさん:2001/07/31(火) 23:16
>音楽美学哲学でなく音楽思想哲学

俺もその両者、違いを知りたいね。
言葉遊びでないのであれば。
113菅原啓:2001/08/01(水) 09:19
夏厨参上。
114考える名無しさん:2001/08/01(水) 09:54
>>106
>即対応と相互作用は区別する、という事がわかりました。

全然わかっとらん。なんだよ「区別」、「相互作用」って。本読め。
読んでもないのに想像でレスするなボケ。ナティエ『音楽記号学』と
クック『音楽・創造・文化』。これおまえの夏休みの宿題。
115考える名無しさん:2001/08/01(水) 10:18
>クック『音楽・創造・文化』

『音楽・想像・文化』の誤り。
確かにこれはいい本だね。??に読めるかどうか(藁
116考える名無しさん:2001/08/02(木) 00:27
??逃げるなage

だいたいさー、この手の基礎がなってない厨房って
抽象的過ぎる問題設定しすぎなんだよね。
「音楽とは?」なんて誇大妄想かオマエ(藁
生産的な議論したいなら、厳密に範囲を区切って
(19世紀西洋芸術音楽とか、テクノとか、なんでもいいんだけど)
具体例と先行研究に依拠しながら議論していくのが筋ではないのかね。
知識が足りないから大上段に構えたがる。
「〜の哲学」を語りたがる厨房の悪い癖だ。
117考える名無しさん:2001/08/02(木) 00:35
そこまでけなさなくてもいいんじゃないの
言いたいことはよおくわかるが
118116:2001/08/02(木) 00:40
>117

や、おれはむかつくのよ。この手の連中に。
何らかのルサンチマンのせいだとは思うのだが(笑)
119考える名無しさん:2001/08/02(木) 00:42
??は言葉は丁寧だが、議論は乱暴。
120考える名無しさん:2001/08/02(木) 00:49
あんまり??を煽っちゃ駄目だよ。また哲学板を荒らされるよ。
121??:2001/08/02(木) 02:07
こんばんは。とても全てにレスできません。
>>119
はい、つねにより良い議論を目指します。
>>音楽思想哲学と音楽美学哲学について。
わかりにくい表現を改めます。
音楽思想とは、
「音楽作品の作者の創作基準・方針である思想」
のことです。
音楽美学は、音楽思想を扱いますが、その全体としては、
音楽についての普遍性全般をあつかいます。
122考える名無しさん:2001/08/02(木) 03:19
>>121
制作者が「よし!これで完成!」と決断するエンドポイントが
あるわけです。なぜそこで完成なのか。そもそも完成とは何か。
つまり穴をどこまで掘っていくのか、どこまで塔を積み上げていくのか、
というポイントそのものが音楽であると言えるかも知れません。

このことは同時にあなた自身のエンドポイントを確定しなければ
ならない、ということでもあります。
123??:2001/08/02(木) 04:34
>>109
>どうゆう報告ですか?誰の報告ですか?
参考文献が見つかりませんでしたので、私の言葉で説明を試みます。
音楽・映像・文学といったメディア間の違いに素材の違いがあります。
異なるメディアを用いても同じ表現が可能なら、アーティストは
1つのメディアにこだわる必要がないでしょう。
実際は音と光とで表現力は異なります。
同時に音と光とで同じことを表現できる時があります。
この同じことというのは、驚かせる事、といった生理的なものもあります。
同じことの表現には内部構造の共通性によることが多いです。
同義語など恣意的なコードによる似た表現は内部構造によりません。
内部構造の共通性は主観的に判断されます。
この「素材による「効果の変換同一性」」が成り立つ構造が
作品に存在する時、その効果をもって
「組み合わせによる効果」と呼びたかったのです。
和音による色彩感を映像で表現した例を本で読んだ事があります。
同時に人の感覚器やそれに対応した情報処理機構が五感でことなることによる、
各素材固有の効果をもって
「素材自体の効果」と呼びたかったのです。
124考える名無しさん:2001/08/02(木) 09:10
とりあえず「議論の範囲を西洋音楽観に縛られてる人々(日本人も含む)
に限る」とか、そういう前提をはっきりさせたほうが良いのではないかな。
125??:2001/08/02(木) 09:52
>>124
ありがとうございます。
では、仮に、
「西洋音楽の演奏家の思想」に限定します。
現代音楽は含めないとします。
要するに演奏家の目指すものやそれに関係する行動についてです。
私は演奏家が何を行っているのかうまく理解できません。
演奏家の著書・インタビューなどに演奏家のこだわり
がかかれています。そこで、
なぜこだわるのでしょう?
こだわりの発生メカニズムは?
といった疑問が私の内に生じました。
126??:2001/08/02(木) 09:54
とくに19C西洋音楽中心でお願いします。
127考える名無しさん:2001/08/02(木) 10:42
限定する対象は
「19世紀西洋音楽を現在演奏し聴取するわれわれ」でいいのか?
それとも「19世紀に当時の聴衆に向けて作品を作り上げた作曲家」なのか?
それとも、19世紀の作曲家と21世紀のわれわれとの間には
何の相違点もないのか? もしそうならばそれは何故そう言えるのか?

具体的に論じるなら対象をもっと厳密に規定してくれ。
そして、そこから派生してくる問題についてもしっかり答えるように。
128考える名無しさん:2001/08/02(木) 10:53
>音楽思想とは、
>「音楽作品の作者の創作基準・方針である思想」
>のことです。
>音楽美学は、音楽思想を扱いますが、その全体としては、
>音楽についての普遍性全般をあつかいます。

??は支離滅裂だが、あえて真意をくみ取ってやれば、
西洋音楽の作曲に関する作者論に焦点が当たってるんだろうね。
ナティエの図式でいう「創出レベル」。
で、実際の創作における抽象的な方針や指針を
「効果を上げる」という曖昧な基準に頼りつつうち立てようとしてるんだけど
「こうである」と「こうすべき」が区別されないまま
乱暴に手前勝手な用語定義をしながら、考えをふりまいてるから、
周囲からは妄想にしか見えないわけだ。

そうではなく、創出レベルのザハリッヒな記述をしたいのなら、やはり
「自分はこう思う」を論拠にするんではなくて
具体的な創出過程の規範分析を
順序立ててやるのがいいんではないかねえ。
先行研究や具体例、資料ってのは
哲学的研究にも必要不可欠なのだよ。
自分の頭で考えていればすむという話ではない。

ああ、なんだかうちのできの悪い
(その癖プライドだけは肥大している)
学生の論文指導のようだ(藁
129??:2001/08/02(木) 11:27
>>128
貴重なご意見ありがとうございます。今後の態度をもってレスとします。
>>127
「19C西洋音楽の現代の演奏者の思想」を扱いたいです。
この議論領域の限定によっては、
各演奏家が20,21Cにいることによる
なんらかの「音群の捉え方・感じ方の差異」
が問題となるとおもいます。
この差異を言葉で確定することは、
私の知識が十分であっても不可能だとおもいます。
おおまかな確定法ならあるでしょうから、
それを考えることが議論前提をこえて議論内容にもなるでしょう。
また、演奏家によるちがい、
とくに音楽文化の多様化によるものの存在は、
考えておく必要があるでしょう。

初めての方は>>125 を参照ください。
130考える名無しさん:2001/08/02(木) 11:36
>各演奏家が20,21Cにいることによる
>なんらかの「音群の捉え方・感じ方の差異」
>が問題となるとおもいます。

これを言語化するのが「不可能である」あるいは
「おおまかにしか確定できない」と??が考えるのであれば、
その問題を論じる資格は、??にはない。
どうも??の頭のなかには、「事象を確定する」言語使用を
かなりかたくなで一義的なものとしてイメージしているように思える
(だから手前勝手な「定義」が頻出するわけだ)
そうではなく、「感じ方」の言語化困難な質を
確実に指し示す言語使用のあり方を、これまでの音楽哲学の
語彙の中から探し出す必要があるのだが、
そのことについては??の興味はないらしい。
(ゆえに、ナティエもニコラス・クックも読みたがらないわけだ)

ロラン・バルトの『第三の意味』とか読んだことある?
??、これも読んでおけ。特に「声のきめ」。
音楽を議論するってことは、音楽と言語の接点を
常識的なところからずらしていく作業だということがよくわかる。

オマエのやってることは、常識に居座って
「何も確実に言えない」とだだをこねているに過ぎない。
聴く前に読め。「思想」だの「哲学」だのほざく前にな。
131??:2001/08/02(木) 12:18
>>130
ご意見に感謝します。
時代によるちがいと演奏家によるちがいが、>>129 では、
ばらばらではありません。
演奏家のことを考えているのです。
同時代の「演奏家によるちがい」の集合が
各時代によるちがいをつくるととらえられます。
そうとらえますと、
各演奏家の感性を確定することの方が簡単なので、
時代の風潮のよい確定法がなくても議論できます。
さて、演奏家の思想をかんがえていましたので、
感性といっても、
脳内の情報処理というレベルで考えることより、
各演奏家の音楽環境・その他の環境・興味・その他感性を記述する
文章などのレベルでかんがえる方が適切でしょう。
このレベルでの確定は
資料さえあれば可能です。
132考える名無しさん:2001/08/02(木) 12:57
>各演奏家の音楽環境・その他の環境・興味・その他感性を記述する
>文章などのレベルでかんがえる方が適切でしょう。

あまりに大雑把。14点。
そのような演奏家を規定する諸条件が、どのように
現象した音楽と結びついているのか、
そしてそれはどのような手段によって記述されるのか。
もっと詳細に述べよ。
133考える名無しさん:2001/08/02(木) 13:59
もう放置しようよ・・・
134考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:12
じゃ、??は放置ってことで。
135考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:22
粘着コワイコワイヒー
136考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:31
ゾマホン発見上げェイ!!!!!!!!!!





あげあげあげあげあげげげげげげげっげげげげg1!!!!!!!
137考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:32
アガッテネージャンカー、マジぶちぎれ!
138考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:33
>>131
なぜ作曲家ではなくて敢えて演奏家なの?
これは「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
というテーマからかけ離れ過ぎじゃない?
どちらかというと演技論とかの領域になってくるんじゃないかな。
139考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:48
>>138
??は何も考えてないんだよ。だから主題なんてズレまくり。
考えてるカッコしたいだけ。
良かったなーこれだけレスついて。
140考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:52
>>139
なんて下らない人間!
141考える名無しさん:2001/08/02(木) 14:53
って言うかゾマホン、氏ね
142??:2001/08/02(木) 16:48
>>132
演奏家の感性の記述法の例をあげます。
まず音楽外領域を説明します。
「暮らす場所」は、
各時期に演奏家が暮らしている場所のことです。一時的滞在や複数の生活場所の場合もあります。
「暮らす場所」は「属するカルチャー」「人間関係」「音楽との出会い」などに影響を与えます。
「属するカルチャー」は、
各時期に演奏家が属している集団的価値観のことです。属する楽団・学会・大学・師匠・社会思想などや
どの既存の価値体系に接続するか、などで、これら同士も肯定・否定しあいます。
「属するカルチャー」は「聴く音楽」「好きな音楽」「聞き流す音楽」「人間関係」
「演奏する音楽」「好きな演奏法」などに影響を与えます。
「人間関係」は、
師事している先生、知人、仕事仲間、友人、恋人、家族、他のアーティストなどとの関係です。
「人間関係」は「聴く音楽」「好きな音楽」「聞き流す音楽」「演奏する音楽」「好きな演奏法」
「演奏法」「好きな演奏法」「音楽との出会い」などに影響を与えます。
「音楽との出会い」は、偶然のものを指します。偶然出会った演奏・曲・録音物に限定します。
「音楽との出会い」は「人間関係」と同じ項目に影響を与えます。
143??:2001/08/02(木) 16:48
このようにして、音楽領域、つまり
「聴く音楽」「好きな音楽」「聞き流す音楽」「演奏する音楽」「好きな演奏法」
「演奏法」
などが形成され時間とともに更新されます。
この領域内でも作用が起きます。

このスレの流れでは演奏に演奏家を規定する何がどう結びつくかということが問題でした。
演奏には演奏家がコントロールする部分とそうでない部分とがあります。
非コントロール部はコントロール出来ないとはかぎりません。
非コントロール部は気分とくせによります。
気分はコンサート会場の雰囲気などその場によるものです。
非コントロール部のうち演奏家を規定するものによるものがくせです。
くせは身についた職人芸で通常意識的にコントロールされない部分です。
くせは前述の音楽領域のすべてに関係しますが、
「演奏法」のうちにはもともとくせが含まれます。
コントロール部は応変性のものをふくめた演奏法のことです。
応変性は、聴衆の性質・演奏家の気分にあわせて意識的に変えるもののことです。
コントロール部のうち演奏家を規定するものによるものは非応変性の演奏法です。
この狭義の演奏法はすべて「演奏法」のうちにふくまれます。
144??:2001/08/02(木) 16:49
「演奏法」は効果的な手法あるいはそれをねらったもののことで応変性の手法も含みます。
くせのうち効果のない単なるくせはこれに含みません。
くせ・非応変性の演奏法は「聴く音楽」「好きな音楽」「聞き流す音楽」
「演奏する音楽」「好きな演奏法」などに影響されます。
この部分の影響のあり方とメカニズムはよくわかりません。
145考える名無しさん:2001/08/02(木) 17:04
こういうのってもっと科学を下地に話した方がいいんじゃないの?
146考える名無しさん:2001/08/02(木) 17:08
少なくとも哲学の思考法じゃないね
147考える名無しさん:2001/08/02(木) 17:10
思いつくことを必死で列挙してるだけ。

>「「音楽」という概念」の捉え直しをめざします。

ていう威勢のいい野望は今いずこ。
148145:2001/08/02(木) 17:16
まあ??がやりたいことはなんとなくわかるんだけど。
いかんせん土台がねぇ。
149??:2001/08/02(木) 17:52
>少なくとも哲学の思考法じゃないね
どういうことですか?
哲学以外の思考法で有効な例はあるでしょうか?

>威勢のいい野望は今いずこ。
>>103 から話題変わってますが、主題からそんなにずれてますか?
150考える名無しさん:2001/08/02(木) 17:58
>>145についてはどう思います?>??
ここではフェチズムの話の方が合うような気がするんですが。
151考える名無しさん:2001/08/02(木) 18:00
卒論か?大風呂敷広げずに無難にまとめとけ。
152??:2001/08/02(木) 18:11
>>150
音楽家の方針を科学的に語る方法の例ってありますか?
思想ではないですがフェティシズムも科学で語れますか?
本当にお伺いしたいです。
153バッハヲタ:2001/08/02(木) 18:32
 19世紀ロマン主義を素材に考えると「創造性」やら「天才」やら
変な概念が出てきてややっこしくなる。こういう話題はバロックを
念頭に置いた方が話が分かりやすい。
 たとえば、バロック時代には音楽修辞法が発達し、figuraという
表現の型がいろいろ考案された(涙の音型とか十字架の音型とか)。
作曲家はそれに沿って作曲し、演奏家にとっても音楽修辞学は共通の
教養だったから、容易に作曲家の意図をくみ取ることができた。だから
おそらく「涙の音型」がでてくればそれらしく演奏したのだろう。これ以外
にも、和声の動きやリズムの取り方にも一定の決まり事があった。
 しかも興味深いことに、こうした記号がある特定の感情を引き起こすことが
可能である、とまじめに考えられていた。デカルトがこういう思想を批判したのは
有名だが、バロック期は一般的には音群や調性と情念の間の記号関係がまじめに論
じられていた。「調性格」はいまでも時々蒸し返されるけど。
 ??はこういうテーマを扱いたいならロマン主義ではなくてバロックを研究テーマに
した方がいい。
154考える名無しさん:2001/08/02(木) 19:13
バロックでも事情はいっしょ。音それ自体(音波)や音型(ゲシュタルト)に
どんな意味付与があっても結局その聴取(記号の解読)の段階においてそれらが
性格に伝達されることはない。
155バッハヲタ:2001/08/02(木) 19:15
>>154
ちゃんと読めよ。バロック期には「記号の解読」
段階で伝達される可能性が真面目に論じられていたということ。
156バッハヲタ:2001/08/02(木) 19:33
 このあたりの音楽事情は17世紀の普遍言語のプロジェクトと
軌を一にした発想ではないかな?つまり、人間にとって生得的・
本性的なエレメントがみいだされれば、それに基づいて普遍的な
音声表現の構築が可能であると・・・
 さらに、こうした音楽思想が可能になった当時の音楽家集団のあり方や
その育成方法などを調べて見るという社会学的なアプローチも
面白いんでないかい?
157バッハヲタ:2001/08/02(木) 20:36
 もう少し現代的なテーマなら「調性格」なんてどうよ。
平均律を採用していれば調性の違いは主音の違いであって、
調性による性格の違いはないはず。それにも関わらず、
「私は**調が好き」というし、作曲家は最初に調性を選択する。
 さらに、バロックのピッチは391だったり、415だったりするが
それで演奏すると理論的には調性そのものが変わってしまう。しかし、
なかには「ピッチが変わっても私にはニ長調はニ長調に聞こえる!!」
という人もいます(私自身は転調したときに「ああ、フラットが増えたな」
とか感じる程度ですが)。
ということは調性に固有の性格というのはあるのか?しかも短調が楽しげで
長調が悲しげに聞こえる人はいない以上、これは普遍的な記号となりえるのか?
それとも、これは経験(教育)の産物なのか?
158フヘフヘフヘ:2001/08/02(木) 23:18
何人かはもう気づいたと思うけど、
??を叩いたって何も学問的な答えは出てこないよ。
??を叩くだけ時間の無駄だと思うよ。
??の文を読んだ率直な感想でした。
159考える名無しさん:2001/08/02(木) 23:20
叩くではなくて、批判する!
160考える名無しさん:2001/08/02(木) 23:54
??ってモロに初学者じゃねーの?
あまり同じレベルで議論しようとせずに
教えを乞いながら考えの骨子を纏めれば?
片意地張ったって疲れるだけだよ。
161??:2001/08/03(金) 00:46
>>153-157 バッハヲタさん
貴重なご意見に感謝します。
バロックにそういったおもしろさがあったんですね。
普遍言語のプロジェクトってライプニッツ中心のものですか?
音楽修辞学は恣意的なコードなのでしょうが、
共有されると容易に作曲家の意図が汲み取れると。
恣意的なコードの可能性についての思想・研究には
どういうものがありますか?
調整格のように普遍言語とみなされうる対象には
どのようなものがあるでしょう?
もしそのようなものが存在しないとすれば、
音楽家の活動基準・方針はどこに求められているのでしょう?
162考える名無しさん:2001/08/03(金) 01:01
「?」記号ばかりだなー。
163??:2001/08/03(金) 08:11
>科学を下地に議論
音楽家の創造活動を科学的に説明しようとすると
さまざまな音楽のストリームを経験することによる
音群に対する認識の変化を説明する必要があるでしょう。
164考える名無しさん:2001/08/03(金) 10:40
>バッハオタさん
バロックの音楽修辞学は確かに面白いし
普遍言語とのエピステモロジックな共通性もあるような気もするけど
どうなんだろうね。既にシュトルム・ウント・ドランクの大波を経験して
自律音楽のイデオロギーにどっぷり浸かってしまったわれわれの「耳」は
その修辞学をどこまで「追体験」できるのでしょうか?
歴史的な音思考の体系は、どこまでわれわれの理解に及ぶものなのか、
といったことをぼんやり考えることがあります。
あるいは、そのようなバロックの「歴史的対象化」の視線こそが
19世紀的な自律美学の帰結なのではないか、とも。

古楽研究者の方々のお仕事は常々尊敬はしているんですけど
その音楽観が現在の音楽環境や思考とどのような角度で関わるのか、といったことには
彼らはナイーヴ過ぎるようにいつも感じるところがありますもので。
165考える名無しさん:2001/08/03(金) 10:42
誤 >そのようなバロックの

正 >そのようなバロックへの
166バッハヲタ:2001/08/03(金) 11:35
もちろんご指摘のような「追体験の可能性」の問題は生じます。
だからこそ、
>>156
で書いたように、社会学的なアプローチも必要でしょうね。思想は
歴史的なものである、というのが思想史家の立場とすれば。
167バッハヲタ:2001/08/03(金) 11:50
>>161
 普遍言語はライプニッツの専売特許ではありません。17世紀には
しつこくあらわれる「夢」ですね。エーコがこのタイトルで何か書いていた
記憶があります(曖昧)。フーコーの『言葉と物』あたりをみても
参考になります。
 音楽修辞法は単なるコードでないと考えられていたところが面白い。
調性格も同様。しかしこれも18世紀の中頃になってくると反調性格論が
あらわれてくる。これはひとつに新しい美学の誕生、もうひとつに平均律
(均等調律)がぼちぼちあらわれだした、という理由があるんだと思う。
このあたりの事情の二次文献はいっぱいあるよ。一次文献なら有名なのは
マッテゾンか?かれは調性格をはじめ支持してたけど、途中で立場を変えたね。
 まあ、私の音楽は単に「ヲタ」なんで、後は専門家に聞いてね。
168??:2001/08/03(金) 14:53
>>167 バッハヲタさん
レス大変ありがとうございます。これを機会に普遍言語や調性格
周辺を勉強します。

ところで、
ピアノの弾き方の微妙な違いで曲のきこえ方がちがいます。
この微妙さを全曲通して一貫させる、とはどういうことでしょう?
この一貫性がピアニストの思想性と関連しているとおもわれます。
ピアニストは楽譜に従いながらどのような思想を表現できるでしょう?
皆様それぞれのご意見をお聞かせ願います。
169考える名無しさん:2001/08/03(金) 16:21
単音でもピッチによって聴こえがちがうのですから
調性によって印象がかわるのはむしろ自然に思えます。

また、楽器というハードウェアによる制約も
調性に特徴を与えます。
170??:2001/08/03(金) 16:33
調の間の連続性について考えるのもおもしろいでしょう。
調を分断してしかとらえられないピアニストは、
和音の各音のディナーミクが異なる曲を対処できるでしょうか?
171??:2001/08/03(金) 17:17
調を分断して弾くべき曲はいいでしょうが。

T7は主音のディナーミクが弱まるにつれて
(主音がマスクされて)Vになります。

ある調のいくつかの経過音などを強め音階上の音をよわめることで
べつの調に移行できます。

それから西洋音楽は12の音を必ずしも均等に用いません。
こういう音楽環境の中で作曲家は生活しています。
すると、作曲の作業基準も12音で偏ったものになります。
したがってピッチを変えても
「ある調として」作曲されたということはわかりうるのです。
この音はこういう使われかただからもとはラの音にちがいない、
とわかる可能性があります。
172考える名無しさん:2001/08/03(金) 18:10
調性の定義は?
173考える名無しさん:2001/08/03(金) 19:06
・・・いま何の話をしているのか簡潔に述べよ。
174WIZ:2001/08/03(金) 19:14
まぁ いい子といってるかもしれんのだが
いまいち名前を書かないのは どうもな・・・

話す気になれん
175考える名無しさん:2001/08/03(金) 19:28
>>174
夏バテか。
176WIZ:2001/08/03(金) 19:32
まぁいい 答えてやるか・・・

「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
安らぎ波長を知っているかい?

宇多田ひかるのビブラート波長は そうなんだぜ
177WIZ:2001/08/03(金) 19:32
他にもあるが 俺が全部言っちゃ面白くないな・・・
178フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 20:38
やったー今夜は花火だー終わったので書き込み。

このスレ、バッハオタが出てきてから話がさらに無茶無茶なってる。
このスレの目的って、音楽を理解することじゃなかったっけ?
今までよりもさらに学問的な答えから遠ざかっていくスレ・・・。
179フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 20:48
>>172
>調性の定義は?

たしか・・狭義では、主和音を軸とした音楽のシステム。
広義では、中心として感じられる音(=主音)を軸とした音楽のシステム。
180フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 20:55
>>176
1/fゆらぎ?
内容を詳しくしらんけど昔、知り合いがなんか言ってたような。
181考える名無しさん:2001/08/03(金) 21:16
「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
そうそう、元はこれなんでしょ。科学的アプローチはちゃんと
あると思うんだけど、、。
182フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 21:18
>「どういった音(音群)に対しどういった効果が対応するか」

これは実は最初からは論じるのには無理がある。
算数習わずに数学やるようなもの。
普通は、まず下のようなことを知り基礎を固めてから
「どういった音(音群)に対しどういった効果が対応するか」
を知ろうとする。


物理的な音
  ↓
人間の感覚器に受信された音
  ↓
人間の脳に知覚・認識された音
  ↓
そして音は人間の心理に影響を与える


物事は原理から知ろうとしないと話にならない。
183考える名無しさん:2001/08/03(金) 21:22
人間の感覚器に受信された音
  ↓
人間の脳に知覚・認識された音

そう。この部分が抜けてるから話ができないんじゃないのかな。
184フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 21:26
下の処理系には様々な特殊な性質がある。まずその性質を知らないと。
”特殊な性質の”例をあげれば、無限音階(だるいので説明しません。有名だから検索したらどっかに載ってると思う。)とか。物理的に鳴っている音と心理的に感じられた音が大きく違う一例。
他には物理的な音量が2倍になったら、人は2倍には感じないとかもあったり。
まあとにかく下の処理系の知ることが先決。

物理的な音
  ↓
人間の感覚器に受信された音
  ↓
人間の脳に知覚・認識された音
  ↓
そして音は人間の心理に影響を与える
185考える名無しさん:2001/08/03(金) 21:29
>>177
ううん!全部言っちゃって!
186フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 21:30
訂正。
>>184は文が一部変(”他には”がいらない)とか、まあ意味は通じると思うので。
187フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 21:54
要点だけ書いとく。

1、物理的に鳴っている音量と、人が感じる音量は比例しない。
2、音はグループ化されて感じられる。例えばドレミドレミドレミドレミドレミと音が鳴ればドレミで一つのグループ(=塊)として感じられ、ドレミのセットが繰り返されていると人は感じる。また、グループ化には今まで書いたようなミクロ的な見方もあれば、マクロ的にフレーズの相互関係、曲全体の相互関係などの見方もあり、実際人は様々な段階でグループ化をして音楽を聴いている。
3、グループ内にはアクセント音が存在し、アクセント音が主な音となり、アクセント音以外の音を統べる。
(アクセントについては非常に多種多様なんで簡単にだけ説明。リズム的なアクセント、音量的なアクセント、音色的なアクセントなど。)
4、音楽は人間にとって、階層的に認知されている。和声的にみれば主和音を中心とし、その下に属和音、下属和音など、さらに下に同一調内の他の和音、さらに下に他音階の和音。
リズム的にみれば、短い音符の次に長い音符が現れたら、それがリズム的には階層構造の上にある中心的な音であり、直前の短い音符などを属する)

いま思いついたことで重要なことです。
これは>>184などの処理系の

物理的な音
  ↓
人間の感覚器に受信された音
  ↓
人間の脳に知覚・認識された音

の特殊な性質について今まで学者さんが調べた結果でもあります。
つまり、外部で鳴っている音がそのまま感じれるではなくて、音は人間の特殊な性質に従って加工・変更されて感じられる。
その具体的な内容の説明でした。
 
188フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 22:07
>>187を理解するための前提として、ゲシュタルト認知原則を説明しとく。

以下はメイヤーっていう音楽学者が書いたこと。Meyerによる音楽へのゲシュタルト認知原則の運用であり、グループ化、アクセントに関する認知原則を立てた。ちなみに現在では下の4番目は間違っているのではないかと、問題視されています。
1、最初にグループ化されたパターンは継続されようとする。
2、時間の近接原理・・・・短い音が長い音にグループ化される。
3、強音が弱音をグループ化する。(強勢はグループの始めになりやすい。)
4、音高の近接原理・・・・音程の狭い方が広い方より一緒にグループ化されやすい。
5、同質の原理・・・・同一の和音、楽器(音色)はそれぞれ同一のグループを作る。
6、クレッシェンド、アゴーギクは終わりにアクセントのあるグループ意識を強める。
189フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 22:21
ついでに音楽に応用される前の、元祖のゲシュタルト認知原則を書いときます。

ゲシュタルト認知原則とは、心理学でいう群化(=グループ化)の要因について述べたもの。

a、近接の要因 近いものがまとまる。
b、類同の要因 同じ大きさ、色や形など同じ性質のものがまとまる。
c、閉合の要因 お互いに閉じあうものは、開かれているものよりもまとまる。
d、良い連続の要因 よい連続をもつものは一つの流れとして知覚される。
e、良い形の要因 対照的な図形や規則的な図形はまとまる。
f、共通運命の要因 運命を共にするもの、共に動くもの同士は、一つのまとまりとして知覚される。逆に周囲が動いている場合は共に止まっているもの同士がまとまりやすい。

心理学の基礎 培風館刊 から引用。
また群化の要因は他にもいくつかある。

群化がされるものほど知覚されやすい。つまり解りやすく飲みこみやすい。つまるところ、音楽においてはわかりやすいであります。逆に・・群化されにくいもの、つまり知覚されにくいものは、一部の芸術家肌さん音楽家のような、何を表現したいか意味不明音楽となります。
190考える名無しさん:2001/08/03(金) 23:01
先に複数の音があってそれが群化されて認識されるようないいかただが、
それよりも、鼓膜の振動としては重なった1つの波形である入力が
なぜ複数の音として弁別して認識できるのか、というメカニズムのほうが
聴覚の認識機構について考えるには重要ではなかろうか。
191フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 23:11
>>190
それもあるけど、書かなかった。
五線譜がないと説明できないなあって思ってたんで。
ホントはそれを書くのが一番最初だと思う。
人間には錯覚がいっぱいあるんで。音楽においても。
特殊な操作をすれば右耳から入ってきた音が左耳から入ってきたように錯覚させるのも可能だし。
やっぱ、群化の方が後に処理されるから、聴覚の認識機構をまず書かないと駄目かな。。。
代わりに書いて。嫌なら僕が書くけど。
192フヘフヘフヘ:2001/08/03(金) 23:11
あげ忘れ
193考える名無しさん:2001/08/03(金) 23:45
 このスレッド、堂々巡りだね。
194考える名無しさん:2001/08/04(土) 00:41
>五線譜がないと説明できないなあって思ってたんで。

聴覚に与えられた振動が五線譜のような記号システムに
分節されるまでの過程は、もはや「音→音楽 →音楽的意味(効果)」のような
線的な過程で把握できるものではないと思える。
音から音楽、音楽から効果への移行では
それぞれ、因果的な論理を辿ることが不可能な形での
意味論的次元の変異を経ているのではあるまいか?
ここでの議論は、音から音楽的効果までの過程を
安易に繋げられるとする、楽天的な前提がなされているように映る。
195フヘフヘフヘ:2001/08/04(土) 00:56
>>194
哲学板では詩を書かないで欲しいんだけど。
196考える名無しさん:2001/08/04(土) 00:58
>>195
哲学板では音楽心理学やんないで欲しいんだけど。
197考える名無しさん:2001/08/04(土) 00:59
>>195のメール欄は、ヒッヒッヒ・・・
198考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:02
>>195の頭の中は、匪ッ脾ッ悲ッ・・・
199考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:04
>>195
(プ
200考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:05
>>195
こいつも少しイタイな。
??ほどじゃないけれど。
201考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:13
>フヘフヘフヘ
いや、194は詩じゃないぞ。
それにオマエの主張に反論しているわけでもない。
ゲシュタルトとして把握された音楽を、実体的にとらえるのではなく、
どのような耳の作用によって、「音楽」が構成されているのか
という問い方をするべきだ、ということだ。
耳の作用には、オマエの言う生理的な作用もあれば
社会的言説的な作用もある。
後者を重視しすぎると構築主義やポストモダンのドツボにはまってしまうが
前者を重視しすぎれば生理学的決定論に陥ってしまう。

重要なのは、両者を対立関係に置かないまま、
耳の作用の総体を思考できる概念装置を編み出すことではないだろうか。
それこそ哲学の仕事だろう。
202考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:18
>>195
煽り方が上手いね。
203考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:19
>>202
オマエモナー
204考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:34
>>188

Meyerは美学系の研究者は普通マイヤーと呼ぶ。
キミ音楽教育系の人? 音楽療法(藁藁)とか好きなの?
道理で乳臭い議論と思ったわ(藁
205フヘフヘフヘ:2001/08/04(土) 01:45
>Meyerは美学系の研究者は普通マイヤーと呼ぶ。

メイヤーは別の人だったかもしれなかった。書いてるときに疑問に感じたから英語で書いた。呼び方忘れた。

>キミ音楽教育系の人? 音楽療法(藁藁)とか好きなの?
>道理で乳臭い議論と思ったわ(藁

音楽認知科学の本を読むと、君のような間違いを起こす人間がよくいるって書いてるよ。
確か「音は心の中で音楽になる」谷口高士著 北大路書房刊 っていう本の前書きにも書いてるよ。
前書きに、音楽療法の言葉を軽率に使う人への批判が書いてあったよ。君みたいな人への。
206考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:52
フヘフヘフヘ、キモい。
207tama:2001/08/04(土) 01:52
同感です。前提を確認にて、レベル・階層を了解しあって議論せねば相互エラーが発生してしまいます。
どこかに心理現象を含んでしまう限り、厳密には一般解不能であると思われます。
条件を捨象して、ある限定・制限された領域について語る限りにおいては生産的な
分析が可能となると思います。それが、構築知の性格であり、その宿阿(ニヒリズム)を自覚して
言葉をつむぐことが肝要であると思います。

音の認知・了解についての文化的・心理的領域については、幻想学がいくらでも語れる
と思いますので、より<身体>に近い所での物理的側面の方が了解しやすいのでは
ないのでしょうか(念のためですが、厳密には当然還元不能ですが、どちらかに重点を置かなければ
言葉をつむげない)。音の調性に関しては、平均率といっても当然和音をつくると周波数の比が
調性によって異なることなる(例えばハ長調のCとト長調のCは周波数の比が厳密に異なる)
ことからも説明できると思います。平均率という言葉は誤解を与える用語であり、厳密には平均ではないこと
に注意をしなくてはなりません。わたしの耳には、E、Aなどの和音・調性に物理的調和比がある
と考えています。(ここでの議論もどんな音楽を聴いても関心がないなどという、一般ピープルまで広げては
何の議論もできませんので、前提が必要ですが。)ピアノでいうと黒鍵中心に使った音楽は全く響きが異なります。
例えば、ドとソを同時に鳴らしてこれに響かせるためには、ミより少し振動数が小さい音が必要です。特に続楽器
演奏者はよく理解しるはずです。これらは物理的波長比の問題として説明できると思います。
また、超音波、重低音などの問題に関しても物理的な考察ができると思います。人間の聴音領域は20〜20000
Hzといわれていますが、個人差は大きいと思います。たとえばよく聞こえる音の領域が低音領域である
など。超音波が聞こえるなど。どんな音にも倍音として重低音や超音波が含まれています。
聴識がないからといって、身体的な物理的バイブレーターの効果(マッサージ)が存在するはずです。
音は空気という媒質を用いた振動現象であり、<身体的>には皮膚、内臓、脳などのマッサージ効果となっている
。心臓の周波数、呼吸の周波数、血液の循環の周波数、瞬きの周波数など振動現象が身体には
多くある。当然共鳴現象もどうようである。
キーについて最近は440より大きい演奏がおおくなってきた(欧米では近年その傾向がつよい)輸入盤CDは
キーが少し高い。同じ音のエネルギー(振幅の2乗などに比例)であっても周波数によって聞き取り
方が異なる。
オーケストラの重奏感については、複数のバイオリンなど同じ周波数で厳密には弾いていない。
それ故スペクトル(振動数に幅がある)が発生する。単音演奏よりもふくらみを聴く
理由である。などなどなどなど・・・・・・。

なるべく物理的・身体的現象をあつかっていったほうが、生産的ではないでしょうか。
(繰り返しになりますが、厳密には分節できないはずですが、言葉をつむぐ、知の建築物を
つくるという過程は、前提、条件捨象、議論レベル設定、重心の置き方など、いくらでも了解事項が必要
になるので通約、共訳がむずかしいですね。初期条件をしっかり了解しあいたいですね)
208考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:54
そもそも、音楽認知科学って哲学なのか?
このスレの議論はどんどん哲学からずれていっているように見えるが。
209考える名無しさん:2001/08/04(土) 01:59
音楽心理学って、演奏オタのノリと親和性あるんだよね。
「これこそ"正しい"演奏である」とかいった
美的経験に単一の真理性がないと知ると不安になって
そのことを見ないふりをするバカにフィットするディスクールだと思う。
それって単なるauthenticityの問題だっちゅうの。
妄想開陳するなら理系板逝けよな。
210考える名無しさん:2001/08/04(土) 02:05
音楽ネタはどうしていつも駄スレ化するのだろうか。考えられる理由:

1.音楽やってるヤツがバカ
2.音楽好きなヤツがバカ
3.クラオタがバカ
4.フヘフヘフヘが童貞
211考える名無しさん:2001/08/04(土) 02:10
>>210
5.210がバカ
212考える名無しさん:2001/08/04(土) 02:11
>>210

2と4が正解
213210:2001/08/04(土) 02:13
バカです。逝ってきます。
214211:2001/08/04(土) 02:14
>>213
あ、いいすぎたよ。ゴメンよ。
215考える名無しさん:2001/08/04(土) 02:17
6.214が気弱、妻子にも逃げられる甲斐性ナシ
216211:2001/08/04(土) 02:30
7.215がおせっかい。友人にもうざがられる協調性ナシ
ってのはどうすか? 脈絡ナシか。スマソ、逝って来まーす。
217考える名無しさん:2001/08/04(土) 04:42
>>176

>宇多田ひかるのビブラート波長

音程取るのがメチャメチャへたくそ

デジタルレコーディングして、ソフトでオートピッチあわせする、

不自然な感じになる。

ソフトでビブラートかける。

特徴的な歌声に聞こえる。

ウマー(ことえりなので半角カナ出せません)
218考える名無しさん:2001/08/04(土) 04:56
>>217
ファインダのえんぴつメニューから
環境設定パレット表示を選択して
入力タブの一番下にある半角カタカナ入力をするに
チェックをいれると入力できるぞ。
219??:2001/08/04(土) 04:59
>>207
ご意見ありがとうございます。どういった事を勉強すればいいか見えた気がします。

演奏のテンポの変化させ方は群化させ方のちがいだけで説明できるか考えています。

群化のあとの認知過程を考えようとすれば、これまで多数ご指摘がありましたように、
感受側の摂取してきた音楽文化別に大きく異なるのでしょうか?
具体例をお示し願います。
220考える名無しさん:2001/08/04(土) 09:56
>>190
>それよりも、鼓膜の振動としては重なった1つの波形である入力が
>なぜ複数の音として弁別して認識できるのか、というメカニズムのほうが
>聴覚の認識機構について考えるには重要ではなかろうか。

複数の物理的音響(同時)→1つの波形として入力→複数の音に弁別→グルーピング
ってこと?「入力」と「知覚」の違いは?
221考える名無しさん:2001/08/04(土) 10:09
>>217
ことえりでもダセルヨ
222ヲータ:2001/08/04(土) 18:17
>どういった音に対しどういった効果が対応するか

力学的にいえば、音が発生したら拡散して熱エネルギー等に変換されながら
減衰するでしょ。大きい音はエネルギーは大きい。小さい音はエネルギーは
小さい。おしまい。
223ヲータ:2001/08/04(土) 20:09
音楽思想、聴取上の効果というのは人が聴いていることが前提になるわけだよね。
それは音楽、脳科学、認知科学の分野かな。コード理論、聴覚ニューロンの発火、
1/fゆらぎ等の用語は使わないほうがいいの?あくまで哲学的な議論?
224??:2001/08/04(土) 22:34
>>223
やはり自然科学・認知科学の知見を使うほうがよいのでは、
とかんがえ始めています。
ある概念に対し発火する神経細胞によりその概念の認識がおこなわれることや
ニューロンの発火とヒトの感覚との関係などが
問題になるのでしょうか。
225考える名無しさん:2001/08/05(日) 00:11
晒し上げ!!!!!!!!!!
226考える名無しさん:2001/08/05(日) 02:11
ダブル晒し上げ!!!!!!!
227考える名無しさん:2001/08/05(日) 02:44
今日友達に聞いて2chにはじめて来たんだけど不毛なレスやってるなぁ。
互いのコンテクストの違いから生じる嫉妬、軽蔑、中傷・・・。
話しは全くかみ合ってないし、人の揚げ足ばっかとって喜んでる変態もいるし。
こんなんだから、音楽美学は「死んだ」と言われ、音楽学は「無用の学」と言われ、
音楽療法は「ミーハーな浅学」と言われ、音楽教育学は「バカの集団」なんて言われるのかな。
228考える名無しさん:2001/08/05(日) 02:48
トリプル晒し上げ!!!!!!!
229考える名無しさん:2001/08/05(日) 02:52
だから??を煽ったら駄目だよ。
また哲学板を荒らされるよ。
>>227のようにもうこのスレを荒らしだしているし。
晒しちゃ駄目です。
230考える名無しさん:2001/08/05(日) 03:20
179 名前:フヘフヘフヘ 投稿日:2001/08/03(金) 20:48
>>172
>>179
>>調性の定義は?

>たしか・・狭義では、主和音を軸とした音楽のシステム。

主和音は何によって規定されどのように軸として配置するの?

>広義では、中心として感じられる音(=主音)を軸とした音楽のシステム。

聴く側の感じ方の問題ね。
広義では、調性は主観的であるものだと考えていいんだよね。
231考える名無しさん:2001/08/05(日) 11:32
だれか220に答えてくれ・・・
232フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 15:55
>>207
>音の認知・了解についての文化的・心理的領域については、
>幻想学がいくらでも語れると思いますので、
>より<身体>に近い所での物理的側面の方が了解しやすいのではないのでしょうか
>(厳密には当然還元不能ですが、どちらかに重点を置かなければ 言葉をつむげない)。

「音の認知についての文化的・心理的領域に関して、幻想学が幾らでも語るか?」
についてだけど、
音認知の文化的・心理的側面を書く時は、それを証明する記述(データ、実験、論証など)も書くから、幻想的ではなくある信憑性は十分に保たれる。逆に、データも証明もない音認知の文化的・心理面に関する記述は、幻想的と言われても仕方が無い。
また、音認知の物理的側面についての書く時だけど、物理的音と心の中の音は大きく違う場合が多く、音は脳に入った途端に大きく変更・解釈・加工がなされるので、いくら”体に近いところ”と言っても扱うのに無理がある。

>音の調性に関しては、平均率といっても当然和音をつくると周波数の比が
>調性によって異なることなる
>(例えばハ長調のCとト長調のCは周波数の比が厳密に異なる)
>ことからも説明できると思います。
>平均率という言葉は誤解を与える用語であり、
>厳密には平均ではないことに注意をしなくてはなりません。

普通の人には音程がちょっとズレたぐらいわかんないよ。だから気にすることないと思う。
短一度(=半音1つ分)の周波数比(約1:1.06)よりもさらに小さい音程は一般人は聞き取れないよ。
絶対音感保持者の音程を掴む精度は知らないけど、平均率で分けられた鍵盤間の各音程を聞き分けるほど凄くないんと違う?

>わたしの耳には、E、Aなどの和音・調性に物理的調和比がある
>と考えています。(ここでの議論もどんな音楽を聴いても関心がないなどという、一般ピープルまで広げては
>何の議論もできませんので、前提が必要ですが。)ピアノでいうと黒鍵中心に使った音楽は全く響きが異なります。

ピアノだけど、白鍵と黒鍵は発音機構が違うし、それが原因でない?

>その後の文についてのレス
音認知の物理的な側面によって得られる答えもあるけど、それは一部だよ。
物理的側面によって得られる答えは、物理的側面と人間の感覚を対応したグラフを書く事ぐらいしか出来ないよ。
少なくとも音楽という多種多様で巨大なシステムを理解は出来ないよ。
例えば、群化のシステムは物理的側面では説明できない。心理的・文化的領域に立ち入らなければ。

ここまで書いてきてなんだけど、そもそも、
”より<身体>に近い所での物理的側面”
がいまいち内容が抽象的に感じるんだけど。
心理的側面と物理的側面が比較されてるけど、違いはなに?説明求む。
233フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 16:04
>>208
>そもそも、音楽認知科学って哲学なのか?
>このスレの議論はどんどん哲学からずれていっているように見えるが。

なんか哲学というものを勘違いしてます。
哲学という学問は、あらゆる学問の基礎学問であり、広域学問です。
つまり学問的な議論をする限り、哲学をしていることになります。哲学史学だけが哲学じゃないよ。
ところで、宗教哲学は宗教を出してきたら駄目ですか?そんなわきゃない。
ここは音楽を哲学するスレだから、音楽認知科学も出てくるし、音響学も出てくるだろうし、言語学も出てくる。
234フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 16:12
>>209
>音楽心理学って、演奏オタのノリと親和性あるんだよね。
>「これこそ"正しい"演奏である」とかいった
>美的経験に単一の真理性がないと知ると不安になって
>そのことを見ないふりをするバカにフィットするディスクールだと思う。

この文を読む限り、君は音楽心理学を知らないと思うし、演奏に対する科学的手法も知らないと思える。
音楽学は、決して正しい音楽を求めることはしない。
少しでも音楽学を知っていれば解ること。
235フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 16:26
>>219
>感受側の摂取してきた音楽文化別に大きく異なるのでしょうか?

そりゃ違う場合もあるよ。
ただし、群化の基本法則においては普遍的だと思う。
一度書いたけど、身に付けた記憶をスキーマといい、そのスキーマは文化、人によって程度はあるけど差異はある。
例えば人は音楽に規則的なパターンが存在することを知っており、
現代人は4拍子や2拍子系のリズムのスキーマを強く持っており、
明らかに3拍子以外考えられない音群じゃないなら、大抵は4拍子や2拍子として判断されます。
ワルツばっか聞いて育った人は、4拍子や2拍子のスキーマを強く持っている。

ところで、人によってスキーマが違うと書いたけど、
時代が同じで先進国なら、
”ひとそれぞれ” と断言するほど差異はない。
236フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 16:28
>>235は間違いなので訂正。

>>219
>感受側の摂取してきた音楽文化別に大きく異なるのでしょうか?

そりゃ違う場合もあるよ。
ただし、群化の基本法則においては普遍的だと思う。
一度書いたけど、身に付けた記憶をスキーマといい、そのスキーマは文化、人によって程度はあるけど差異はある。
例えば人は音楽に規則的なパターンが存在することを知っており、
現代人は4拍子や2拍子系のリズムのスキーマを強く持っており、
明らかに3拍子以外考えられない音群じゃないなら、大抵は4拍子や2拍子として判断されます。
ワルツばっか聞いて育った人は、4拍子や2拍子のスキーマを強く持ってない。

ところで、人によってスキーマが違うと書いたけど、
時代が同じで先進国なら、
”ひとそれぞれ” と断言するほど差異はない。
みんな同じような情報に触れてるから似たようなスキーマを身に付けています。
237フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 16:33
>>224
>ある概念に対し発火する神経細胞によりその概念の認識がおこなわれることや
>ニューロンの発火とヒトの感覚との関係などが
>問題になるのでしょうか。

原理を知ることは重要だけど、
人の脳は複雑すぎ解っていないことも多いので、ニューロンまで遡りぼり、立ち返って、音楽とニューロンを関連付けることを十分にはまだ出来ないよ。
それはこれからの脳科学の課題です。
238??:2001/08/05(日) 16:56
>>235−237
レス大変ありがとうございます。
知識を蓄積したあとにちゃんとレスします。
↓今ぼんやりとかんがえたこと。

群化されたあとはどのように処理されるかということを考える時
聴取する音楽ジャンルによってはどのように異なるのでしょうか?
群化のあとの認知過程についてのよい図書はないと聞きましたが
なんらかのこの領域の理論をつくる難しさはどこにあるのですか?
239フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 17:19
>>230
>主和音は何によって規定されどのように軸として配置するの?

音楽の階層構造においての、中心的な音によって規定されている部分は強くあると思う。

じゃあ、中心的な音はどのように規定されるか、だけど。。。
音楽の作曲本で強拍には和声構成音を使うこと。って書かれているのを作曲を勉強したことのある人は知ってると思う。
これは強拍が階層構造において中心的音響きを作りだす要素であるからだと思うし、

また、十二音技法をよく知らんけど、
12音技法は中心音を作り出さない処理をなされた作曲技法だったと思う。
たしかフレーズ内に同じ音を2回以上使わない。協和音程を使わないとか。そんなのあったと思う。
中心的な音や主和音や主音について知りたかったら、
中心的な音や主和音や主音を作り出さない音楽を目指した十二音技法について勉強すれば多いに役立つと思う。

>広義では、調性は主観的であるものだと考えていいんだよね。

あ、書き方悪かった。基本的には 広義、狭義とも調性っていうのは主観と思う。。
そもそも言葉というものは、現象・イメージを写し取ったものであって、現象・イメージがあってこそ、それを定義する言葉が生まれる、言葉が最初にあることはない。
だから調性っていうのも、音楽現象・音楽感覚などそういうのが現実的に存在し、それを言葉で名づけたものだから、調性の感じがあるものが、調性のある音楽だと思う。
240フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 17:41
>>236
補足説明。

>ところで、人によってスキーマが違うと書いたけど、
>時代が同じで先進国なら、
>”ひとそれぞれ” と断言するほど差異はない。
>みんな同じような情報に触れてるから似たようなスキーマを身に付けています。

と書いたけど、これは音楽のスキーマに限った事です。
音楽においては西洋音楽を基礎としたものが、世界的氾濫をし先進国の現代人は似たような音楽のスキーマと思っています。
あくまで似たようなスキーマであり全く同じじゃないです。
その証拠に外国で流行った曲は、別に日本人が聞いても多くの人がいい感じの曲に聞こえます。
241考える名無しさん:2001/08/05(日) 18:26
>フヘフヘフヘ
お前って意外に退屈な奴だったんだね。
古典的な図式をずらずら垂れ流すんじゃないの。
242考える名無しさん:2001/08/05(日) 18:45
>>241
音楽認知科学は近代的に生まれた科学。
243考える名無しさん:2001/08/05(日) 18:47
古典に突っ込まれたのか、あーあ
244フヘフヘフヘ:2001/08/05(日) 21:18
>>241
古典でも近代でもいいんと違う?
なんでそんなことにコダワルの?
必要なものを背景にしたらいいんと違う?
245考える名無しさん:2001/08/05(日) 23:19
久しぶりに見たら認知科学の話しになってた(笑。
この分野は私にとっては退屈で殆んど興味がなかったので、限りなく無知なんですよねー。
この際詳しい人教えてください。
音楽を聴く際、何らかの感情を生じたり情感的な言語と結びついたりすることは
良くあると思うんですが、その発生システムは現代の認知科学で
どのくらい明らかになってるんですか?(漠然として質問でゴメンナサイ
246考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:27
>>220
複数の音に弁別→グルーピングという段階的な処理ではなく
弁別および群化が同時になされながら
聴覚入力から構造化された情報が抽出され認識されると思われます。
247考える名無しさん:2001/08/06(月) 00:30
>>232
>普通の人には音程がちょっとズレたぐらいわかんないよ。だから気にすることないと思う。
>短一度(=半音1つ分)の周波数比(約1:1.06)よりもさらに小さい音程は一般人は聞き取れないよ。

そんなことじゃチューニングはできないよ。
248フヘフヘフヘ:2001/08/06(月) 10:53
>>247
チューニングと音楽を聴くということは違うよ。
249考える名無しさん:2001/08/06(月) 10:58
ここでの議論が役に立つのはずっと先だな
応用力があれば、実は今まで書いたことだけでも作曲に応用できます。
251考える名無しさん:2001/08/06(月) 12:10
>>248
誰も敬愛していないから、心配するには、及ばない。
252考える名無しさん:2001/08/06(月) 12:21
ここでの議論が役に立つのはずっと先だな
253考える名無しさん:2001/08/06(月) 12:32
人の文型を真似すんな。それぐらい自分で考えて身に付けろよ。
254考える名無しさん:2001/08/06(月) 12:45
>>246
じゃあ音響の知覚・認知を考えるときに

>それよりも、鼓膜の振動としては重なった1つの波形である入力が
>なぜ複数の音として弁別して認識できるのか、というメカニズムのほうが
>聴覚の認識機構について考えるには重要ではなかろうか。 @190

これは特に重要ではないのではないでしょうか。
255考える名無しさん:2001/08/06(月) 14:00
複数の音に弁別というところをクロースアップしたかったわけではなく、
弁別および群化が同時になされながら構造化された情報が抽出されるという
システムについて考えないと、ということです。

あらかじめ音が弁別されているようなモデルで考えては駄目ってことです。
256考える名無しさん:2001/08/06(月) 17:11
>>248
音楽を聴いていて誰もピッチのズレに気づかないようなら
チューニングは必要ないよね。
257考える名無しさん:2001/08/06(月) 17:29
チューニングは気づかないところでこそ役立つ
チューニング悪い不快な音を知ってる人
258ヲータ:2001/08/07(火) 08:24
>それよりも、鼓膜の振動としては重なった1つの波形である入力が
>なぜ複数の音として弁別して認識できるのか、というメカニズムのほうが
>聴覚の認識機構について考えるには重要ではなかろうか。

詳しくは知りませんが、知っているところを書いておきます。
鼓膜の振動は、つち骨、きぬた骨、あぶみ骨を経由し蝸牛管内に満
たされたリンパ液に伝わります。それが蝸牛管内で共鳴を起こし、
蝸牛管内にある有毛細胞を興奮させます。
各周波数に対応した有毛細胞の興奮は、ニューラルネットワークで
変換、圧縮処理されます。
この処理を大まかにいうと、周波数ごとのゆらぎ及び、等差数列に
なっている周波数と、そのフォルマントの情報に変換されて意識の
中に入ってきます。
この処理はさらに数回繰り返されます。
意識についてはうまく説明できないです。
259ヲータ:2001/08/07(火) 08:28
説明を付け足します。

ゆらぎとは時間軸上の変化といってもいいとおもいます。
聴覚に入った音はこのゆらぎの情報に変換されます。
 (あかさたなはまやらわ)
の声は、音声波形としては非常に小さな違いしかありま
せんが、認識することができるのも、この仕組みによる
ものです。
力学的、あるいは単純な法則によって発生した音は1/fゆ
らぎになります。
1/fとは音圧が周波数分の1になることです。
1/fゆらぎの音を聴くと、脳波のα波が強く出るらしいの
ですが、詳しいことはわからないようです。
260ヲータ:2001/08/07(火) 08:33
等差数列というのはその名のとおりですが、
たとえば、300ヘルツで楽器が鳴ったとします。
その中には2倍音3倍音4倍音… いくつも倍音が含まれて
います。
300ヘルツ、600ヘルツ、900ヘルツ、
1200ヘルツ… という具合。
聴覚に入ったこれらの音は、300ヘルツの差を音として認
識されます。
仮に、この楽器の音から300ヘルツの音のみを消去した
ものを聴いても、人間の耳にはやはり300ヘルツの音と認
識されます。
261ヲータ:2001/08/07(火) 08:37
フォルマントとは、倍音の中でも大きい倍音をいいます。
倍音のバランスによって、音源の大きさ、形、質感を想像しま
す。
また、音の回折効果によって、音源の方向、臨場感を認識しま
す。
聴覚の存在意義、最大の目的は、身の回りの物体、力学的なエ
ネルギーを知ることであり、聴覚は音声波形から重要な情報を
取り出して余分な情報を捨てています。
262フヘフヘフヘ:2001/08/07(火) 13:13
>>256
>音楽を聴いていて誰もピッチのズレに気づかないようなら
>チューニングは必要ないよね。

だからもう一度書くけど音楽を聴く事とチューニングは違うって。
平均律でギターで6弦に対して5弦を長3度でチューニングしてみろって。耳だけを頼りに。
おそらく狂うから。
音楽を聞いているときは正しい音程と比べて聞いてるわけじゃないから、ズレてもその違いには気づかない。
263考える名無しさん:2001/08/07(火) 17:41
チューニングはなんのためにするのでしょう?
ピッチがずれていると違和感があるからでは。

>平均律でギターで6弦に対して5弦を長3度でチューニングしてみろって。

1.6弦4フレットをおさえてうなりの生じないところでチューニング
2.6弦4フレットをおさえて弾いた音との比較
3.6弦を開放で弾いて比較
4.頭の中の絶対音に6弦5弦とも独立にあわせる

どれができてどれはできないと?

音楽を聴いているときは、
過去の出音や他のパートでいま鳴っている音との比較がなされています。

それとも単音を鳴らしてこれは何Hz?って当てられるかというレベルの話なのですか。
264ヲータ:2001/08/07(火) 21:04
聴覚は、ピッチがずれている場合に発生するうなりには敏感です。
265考える名無しさん:2001/08/07(火) 22:05
>>263
整ったピッチに違和感を覚えます。
つうか調性嫌い。
266フヘフヘフヘ:2001/08/07(火) 23:16
>>207のチューニングマニア
>音の調性に関しては、平均率といっても当然和音をつくると周波数の比が
>調性によって異なることなる
>(例えばハ長調のCとト長調のCは周波数の比が厳密に異なる)
>ことからも説明できると思います。
>平均率という言葉は誤解を与える用語であり、
>厳密には平均ではないことに注意をしなくてはなりません。

ところで君はナニヲ言ってる?
僕は平均律を1オクターブ内をすべて均等に12等分された音律と習ったけど?
説明を求む。
267考える名無しさん:2001/08/07(火) 23:34
>>266
確かに。純正率なら分かるが。
268考える名無しさん:2001/08/08(水) 09:26
>>255
しつこいようですが、

>複数の音に弁別というところをクロースアップしたかったわけではなく、
>弁別および群化が同時になされながら構造化された情報が抽出されるという
>システムについて考えないと、ということです。
>あらかじめ音が弁別されているようなモデルで考えては駄目ってことです。

「弁別・郡化」と「構造化された情報が抽出」の違いがよくわかりません。
後者はなにを指すのでしょうか。形式?シンタックス?
あと、一つの波形として音が入力されるとしても、生理的機能?によって
瞬間的に複数の音が弁別されるなら、「あらかじめ音が弁別されているようなモデル」
のどこが駄目なのでしょうか。ひとつの波形であることを強調する理由は?
269    :2001/08/08(水) 10:56
群化される段階では群同士の関係が未決定なのだよ。
270考える名無しさん:2001/08/15(水) 13:41
 さらしあげ
271カブ:2001/08/18(土) 14:59
>245
認知科学と「情動」の関連については詳しくしらないが、
結局「経験」ってことになる。それ以上は他分野って感じでは?
音楽による「感情・感動・情感」といったものに関しては、音そのものにも深くて大きな(隠されたる)要因があるにせよ、
その音にまつわる個々人の経験と関連しているだろう。
しかしながら大体において、情動はみなに共通な概念から引き出される。
これはもう単にポピュラリティーと環境の問題だな。

だから音群や音自体のみにその先験性(情動の要因)を求めても意味がないだろう。
音自体は一義的には情動とはなんら関係ない。(言い過ぎか・ま大槻教授風に・・)

音楽には、このスレのを見てもわかるが、数多の観点や要素がある。
主に音の協和性で感動する場合もあるれば
例えば「純正律教徒」とか・・(笑
主に、協和性に意味を無くしたようなセリー音楽の構造に感動する場合もあるだろう。
「構造派」とか(笑
272考える名無しさん:2001/08/18(土) 15:13
ってか1読むと
このスレッドの趣旨は「音楽思想」てより
ぶっちゃけると、実用的な作曲の語法・テクニックってことかな
273カブ:2001/08/18(土) 15:25
>私から、問題提起します。すなわち、
>「どのような音に対して、人間は感動をうけとる」
>のでしょうか。
音の
単純さと複雑さ
同じである事と異なる事
にひとは感動します
274カブ:2001/08/18(土) 15:47
「音」とか「音群」とか「楽曲」とか「音楽」って語も、土俵によって意味変わるね。
例えば音響・ノイズ系とかだったら「音(サウンド)」って「音楽」という語に近いもんになるし。
「音」で表現するぞって音楽だってある。
このスレでは色んなのが交錯してる。
音に関して、ピッチに関して、協和性に関して、構造に関してなど・・

認知や群論方面なんか出てるけど、だったら
>「どういった音に対しどういった社会的効果が対応するか」
これなんかは20世紀の音楽家たちなんかみれば色々解るんじゃない?
あっ19世紀限定だったっけ?
275考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:01
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
276考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:03
277考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:03
               
278考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:03
       
           
279考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:03
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
280考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:03
         
281考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:04
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
282考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:04
     
      
        
         
              
      
      
       
       
     
283考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:04
                 
284考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:04
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
285考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:33
>問いを立てます。
>1,「音楽表現において確定的なものはなんでしょう?」
>2,「感動・その他の影響を音楽作品(ある構成された音)のみがあたえる
>のはなぜでしょうか。」
1・特にありません
2.そんなこと無いと思います。
286考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:40
大体
効果効果なんていって、自分にナンにもないもんだからどうやったらうけるかしか
考えられない奴なんだろ
外にばっか気つかってないでなんか表現巣りゃいいんだよ。音楽なんて
287考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:44
阿部薫でもきけ
サックスの音でコップ破壊の効果
288コノスレは:2001/08/18(土) 16:47
1の自分のちっちゃなちっちゃな真偽を問わないような公理系の布教活動だと判明しました。
289考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:51
「音楽表現において確定的なものはなんでしょう?」
これは人に聞くことじゃないでしょう。そんなもんないし
そんなもん自分でかんがえることです。
「金くれ」っての同義です。
290考える名無しさん:2001/08/18(土) 16:54
>「集合」とは、数学でのもので、
>「要素の関係づけのないあつまり」の意味です。
包含される共通の抽象概念がないと、数学だって集合にならないよ
291考える名無しさん:2001/08/18(土) 17:06
まあたいがいのことはやり尽くされてる。
組み合わせだ構造だ
おれはメロトロンにバッハの楽節を入れ、その音をサンプリング音源にし、シンセで19平均律セリーで演奏する事をかんがえている。←アホ
292考える名無しさん:2001/08/18(土) 17:24

1にひとこと
あまえるな!
293考える名無しさん:2001/08/18(土) 17:41
結局
音楽で何が流行っているか、そして流行を追ってる人たちは自分の知ってる範囲で自分にとって
どういう人か。歌謡曲クラシック現代音楽ロック他問わず。それは自分の環境や経験
で判断するしかなく、個々人のバランス感覚による。
それをさしおいて音楽表現の確定的なものなんていわれてもねえ・・
せめてもっと自分の心開かなきゃその問いには誰も答えよう無いとおもうけど。
え、生まれははどこだあ?おっかさんげんきか?(笑
294考える名無しさん:2001/08/18(土) 20:07
1も1だが煽りのレベルもどうかな。
295考える名無しさん:2001/08/19(日) 00:14
そんなあなたのレベルはどうだ
296考える名無しさん:2001/08/19(日) 03:18
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
         
      
       
297考える名無しさん:2001/08/20(月) 02:27
見事な駄スレ完成
298考える名無しさん:2001/08/20(月) 13:22
おっかさんげんきか?
299考える名無しさん:2001/08/20(月) 21:56
>>298
ああ。
300考える名無しさん:2001/08/20(月) 23:46
サウンドは命に関わるので、非常に発達している。
三次元処理で、どの方向から天敵が襲ってきても
気づけるようになっている。非常に微妙で繊細な気配も察知できる。
そういう潜在能力の土台にして
、音楽を発達させてきた人類の能力は宇宙でも有数のものらしい。
ここ数十年来の傾向として、処理速度向上が挙げられると思います。
、聞くこと、譜面通りの演奏、
さらにはリアルタイムの作曲、アドリブも行う。
301??:2001/08/21(火) 00:38
このスレの反応は大きいようです。
>>292 が参考になります。
私が妄想上で構築物を描いたので、それに対し(こういってよければ)閉塞感を
多くの人に与えたのでしょう。
音楽表現の確定性について私はうまく語れないです。
音楽によって感情が誘発されます。
この内的作用は外部から観察できないかも知れませんが
それでも意義を持ちます。
特定の作品についてではなく
ある個人の音楽聴取の歴史をかんがえますと、
そこには意味の構築がみられます。
ある知覚が他の知覚の解釈項になるということです。
この構築のよい一部分(パズルのピース)として
ある作品がある個人に働けばいいのです。
以上の考えで何か問題ありますか?あるいは大した主張ではないですか?
302考える名無しさん:2001/08/21(火) 00:59
>>301
>音楽によって感情が誘発されます。
俺はされない。
感傷を求める人間にはそういう効果が出るかもしれんが。
303??:2001/08/21(火) 01:19
>>302
曲解すれば私の感情という語の意味があいまいなのですね。
音楽により何かを受け取るのは確かと思います。
それは301の後半の説明でいう意味構築の各過程での
意味経験にあると思います。
今こう感受したことが過去経験との関連で分析されるということです。
感情というのは各時点の構築の偏りに対応します。
偏ったコードは、対象を対象と独立的に解釈するのです。
言い換えれば、ある音群に対するあらゆる解釈が可能な事をかんがえますと、
それらの解釈は対象だけに依存しません。
その独立性を人の感情とみなすことも出来ます。
304??:2001/08/21(火) 01:24
その独立性を→その独立性およびその結果を

かたよったコードにより感傷が起こされた時
そのコードも感傷自体も感情とみなしうるということです。
私のかたよった語法です。
305考える名無しさん:2001/08/21(火) 02:32
>>268
>「弁別・郡化」と「構造化された情報が抽出」の違いがよくわかりません。

ここではほぼ同じことを指しているといっていいでしょう。
ただし、弁別→群化ではなぜいけないかというと、
特定の成分を群化することによって弁別する、という機構があるからです。

>あと、一つの波形として音が入力されるとしても、生理的機能?によって
>瞬間的に複数の音が弁別されるなら

同一の入力に対して、生理的機能によって一意に弁別された解が求まるわけではありません。
精神の状態、注意の向け方によって、抽出された情報、入力の弁別のされ方が異なってくるのです。
306考える名無しさん:2001/08/21(火) 03:53
それとも哲学は西洋の文化に過ぎず、
日本には哲学なんて何の関係もないってこと?
でも私から見れば、そんな文化論や社会学的考察の方が
西洋の受け売りだと思います。
そうやって循環論法になってしまうのは、不毛だから、
メタ批判は単なる独断論だと思います。
これは2番についての話です。
307考える名無しさん:2001/08/21(火) 14:57
久々にみると回答があってよかった。

>精神の状態、注意の向け方によって、抽出された情報、入力の弁別のされ方が
>異なってくるのです。

なるほどね。納得。
308 :2001/08/22(水) 01:45
  
309考える名無しさん:01/08/31 01:43 ID:Rt6PcH4U
>>306
ガキ様のりっぱなご意見ですな(藁
良く勉強なさっててとても偉そうです。偉いかどうかは神ぞ知る。
310考える名無しさん:01/08/31 02:20 ID:dsciRV4o
音のパラメーター音高・音色・強弱・持続ってみんな等価なんですか?
311考える名無しさん:01/08/31 04:00 ID:Kutc/tgg
音楽思想といっても、作曲技法に関わる思想、社会思想、表現されている真理についての思想、自然秩序についての思想、などで異なってくるのではないか。
312考える名無しさん:01/08/31 04:28 ID:5vWKvBIg
良スレじゃないの。
>>27あたりからしばらく続く議論はここが2chの哲学板とは思えなくさせる。
sageつつも消えないで欲しいなぁ。
あと>>1の目的は、実践的な音楽の語法に関する議論(音楽理論)っぽいけど
それはそれでこの板によくあるロック・ポップス感想発表系スレなどに
比べれば、十分面白いと思うよ。
313考える名無しさん:01/08/31 13:06 ID:NWWHzaLY
どこが良スレなんだよバ〜カ
314考える名無しさん:01/08/31 18:12 ID:kB8EA3Bw
良スレではないけど大変おもしろかったよ。
1の問題から離れてもっといろんな立場の意見を見たかった。
315考える名無しさん:01/09/02 05:36 ID:S9.hTqF.
1が偏狭に過ぎるんだよな。
もう少し広い視野持ったヤツが別スレ建てるべき。
せっかくの意見が1のつまらない議論に収束されちまうのはうんざり。
316314:01/09/02 08:25 ID:cP5JNN4w
>>315

>もう少し広い視野持ったヤツが別スレ建てるべき。
広い視野の人なんていないよ、音楽で。
このスレで続ければいいんじゃ?
>せっかくの意見が1のつまらない議論に収束されちまうのはうんざり。
1はマジレスを装った煽りと思うが。
317考える名無しさん:01/09/02 08:41 ID:6/iH4ReI
itteyopsisisisisisisisis
318考える名無しさん:01/09/02 14:19 ID:WkDgqKME
いいから310に答えろ
319 312:01/09/02 16:37 ID:Yrndkofo
>>313
まあ良スレというのは違うかもしれんが。
優良な書き込みは多いぞ。>>39とか、あと後半に続く認知の議論とか。
少なくとも他のスレじゃ全くってほどないじゃん。
まあ1が「こういった音に対しこんなすごい効果が対応する」なんてずさんな
言葉から始めてるし、そりゃまともに議論が続くわけないんだけど。
>もう少し広い視野持ったヤツが別スレ建てるべき。
逆じゃないの?むしろ問題を限定した局所的議論にするべきじゃない。
広い視野って結局はこのスレと同じようになんでもあり状態になると思う。
320フヘフヘフヘ:01/09/02 20:28 ID:mL.vd4co
>音のパラメーター音高・音色・強弱・持続ってみんな等価なんですか?

なわけない。
321考える名無しさん:01/09/02 21:07 ID:Wv8pO8ls
あ〜もうウザイウザイ。

>>320
じゃ、どのように等価でないのか?セリー楽派のミスは?
322フヘフヘフヘ:01/09/02 21:44 ID:NcJAOkXg
答えろって騒いでたから、答えてあげたのに。
一体君は何が望みだ?
323考える名無しさん:01/09/02 22:00 ID:Wv8pO8ls
319がウザイなとおもって。
324考える名無しさん:01/09/02 23:55 ID:tTzAirO2
ダウンタウンの「笑い」というのは、究極的には「自己言及的な規定性」と
いう表現でもって要約されるであろう。枢要な課題として看做されがちなで
ある判断主観者による文脈の適格な把握は、厳密には文脈の集合を定義域と
した実数値関数Fによって表される。つまり、ここでの実数は外的規律からは
掣肘され得ない文脈の絶対的強度を示しており、実践と価値判断の間の緊張
関係を余す所無く伝えるものとみて差し支えない。ただ、この定式に従うと
客観的存在を認めた途端、審美的評価が単なる偏差値的な尺度でもって計量
されるという弱点は先ず認める。しかし、覚識態の普遍性を勘案すれば異義申し立ての余地は殆ど消滅の途を辿るように予想される。以上、非常に簡潔に私見を披露したが、コメントや反論のある方よろしくお願いします。
325考える名無しさん:01/09/03 01:46 ID:lu4lARNU
>>324

莫迦。
326フヘフヘフヘ:01/09/03 16:11 ID:Kz/ZGEYw
>>324
>コメントや反論のある方よろしくお願いします。

コメントや反論がほしいなら、日常漢字を使って文章は書いてください。おわり。
327考える名無しさん:01/09/03 17:43 ID:9O15xeFM
たいていの人は貯金をしたり保険に加入したりと、将来の不安に
備えた行動を取りますが、これはなぜでしょう?
例えば今日の100円と明日の100円では今日の方が価値があります。
人には寿命がありこれは銀行では利子が発生することでも明らか。
しかしなぜか多くの人は長期的な人生設計が行うわけで。
なぜでしょう?これは単にバランスの問題なのでしょうか?
もしそうならそのバランスに関する合理的な根拠があるのか?
金銭的な事に限らずここに潜む問題を考えてみませんか。

注)私は刹那的で堕落した生き方が正しいと主張したいわけでは
なく、単にこの問題を哲学的に考察してみたいだけです。
こう生きるべきだ、という趣旨のみの書き込みはご遠慮下さい。
328考える名無しさん:01/09/03 20:30 ID:kXy2jHBs

動物もすぐに食べれない餌は隠して貯蔵しておきます。
動物の生命存続に関する知恵です。
329考える名無しさん:01/09/03 21:05 ID:9O15xeFM
過去とは確定的な事態。
未来とは不確定的な事態。
因果関係における原因と結果は、ある時点における二者間の作用から生まれる。
このとき、一方が他方に対して確定性を帯びて現れることが、原因と結果とを分ける。
330考える名無しさん:01/09/03 23:12 ID:86FTI2No
哲学板のクラオタってどこに消えた?age
331考える名無しさん:01/09/03 23:15 ID:9O15xeFM
なるべく簡潔に自分の言葉で言え!        
332考える名無しさん:01/09/04 00:27 ID:YOSHxzVs
音楽は不思議。
なぜに快感なのか?
333考える名無しさん:01/09/04 00:29 ID:c3QM5E0Q
>>332
ヰトゲンシュタインの(特に『論考』でのやり口一般からして)語る気になっている
(彼にとっては瑣末な)事を記述して、実はそれより遥かに重要だと思っていること
を示唆する、という手口を勘案すると
(1)瑣末な事を述べている(論理的必然)ことによって、沈黙することの重要さ・あ
あるいは価値観を訴えている(こちらはsollen)
(2)当時の哲学的状況からして、ヰ氏の哲学観からすれば誤謬である「擬似問題への
議論」を議論として門前払いする(ことによって、議論でない世界の相違として気づかせる)
事を意図している
というヰ氏の戦術だとすれば、一見トリヴィアルに見えて実は重要なことではないか、と思
います。ただ、従来の解釈は、文面上の表面的主張を飛び越えて、いきなりヰ氏の価値
観を7番に読み込んでいる点で誤謬である、というのが私の理解です。
334考える名無しさん:01/09/04 00:29 ID:YOSHxzVs
動物のうめき声は感情をストレートに表現している。
音楽は直接的に感情を喚起する働きがある。
335考える名無しさん:01/09/04 00:31 ID:YOSHxzVs
一定のリズムの刻み、特に4ビートは
は胎内の記憶、生命のリズムを表現している。
336考える名無しさん:01/09/04 02:31 ID:wzpaZkUU
>>326

324はちゃんと常用漢字で論じてるだろ。
しかしそれでも意味不明だが。

>>327

オマエ救いようのない莫迦だなあ。
逝っていいよ。さあ。ほら。
337フヘフヘフヘ:01/09/04 03:46 ID:xSP2xr6g
>>336
>324はちゃんと常用漢字で論じてるだろ。

こっちは常用漢字とは言っていない。あえて日常漢字と言った。
以下は、あえて日常漢字と言った理由。
常用漢字であったとしても、滅多に使われていない漢字も多い。
だから、常用漢字の中にみんなが知らない漢字も多い。
だから、他人に読んで欲しいなら、日常的に使われている漢字で書いて欲しいと僕は>>324へお願いした。

>>324
>枢要・看做・掣肘・覚識態
この全ての漢字・言葉を読むことができ、そして全ての漢字・言葉の意味が解る人間はごく一部だろう。
著者によって好まれる漢字・言葉があり、枢要・看做・掣肘・覚識態などは、>>324が読む本ではよく使われているのだろう。筒井康隆が形骸という漢字・言葉をよく使うように。
自分が好きな著者の本で良く使われる漢字・言葉を使うんじゃなくて、読んで欲しいなら一般に使われる漢字・言葉を使いましょう。

>>326で僕はこのようなことを簡潔に書いたわけです。おわり。
338考える名無しさん:01/09/04 11:45 ID:UWHZ.Ewc
クラシック聴いてるとポップスが粗末にきこえる。
ポップス聴いてるとクラシックが粗末にきこえる。
では、
ベートーヴェン聴いてるとモーツァルト粗末に聞こえない
私は深く聴けていない?

理系が感覚的という事で哲学を退けるのもわかる。
339考える名無しさん:01/09/04 22:46 ID:0Gw6u48w
>>338
それは生の音を聴かずに、CDばーっか聴いてるヒトに良く見受けられる
発言です。

>ベートーヴェン聴いてるとモーツァルト粗末に聞こえない
>私は深く聴けていない?
ってなにさ? ワカラン。
Beeを聴いてるとMo「が」粗末で聞こえないって事?
(聴くと聞くを使い分けてる事を深読みすれば)

そうであれば、嗜好の問題であろう。
340にいなな(本物):01/09/04 22:49 ID:c3QM5E0Q
>>339
たいていの人は貯金をしたり保険に加入したりと、将来の不安に
備えた行動を取りますが、これはなぜでしょう?
例えば今日の100円と明日の100円では今日の方が価値があります。
人には寿命がありこれは銀行では利子が発生することでも明らか。
しかしなぜか多くの人は長期的な人生設計が行うわけで。
なぜでしょう?これは単にバランスの問題なのでしょうか?
もしそうならそのバランスに関する合理的な根拠があるのか?
金銭的な事に限らずここに潜む問題を考えてみませんか。

注)私は刹那的で堕落した生き方が正しいと主張したいわけでは
なく、単にこの問題を哲学的に考察してみたいだけです。
こう生きるべきだ、という趣旨のみの書き込みはご遠慮下さい。
341考える名無しさん:01/09/05 01:59 ID:Uxqim3oc
「にいなな(本物) は氏ね」
以外の書き込みはご遠慮下さい。
342にいなな(本物) は氏ね:01/09/05 17:30 ID:N3yUSlFY
私は元駒場の学生で、ちょうど中沢ナントカというのを、西部が
佐藤誠三郎なんかと一緒に引っ張り込もうとしたじきにキャンパス
におりました。その後本郷に行っても、駒場の社会思想と関係したとこ
に進んだので、彼のしたことすべて知っています。西部たちがしたこと
はたん的にルール違反です。
ところが、彼はマスコミ扱いがうまいーいまもそうだけどーので、
あたかも自分たちが正義を体現しているようにふるまいました。
それに飛びついたマスコミもばかでした。
私は西部の思想にはとやかく言いませんが、つまり彼は偽善者でした。
私の言いたいのはそういうこと。たまたまここで西部が話題になってた
ので。
343にいなな(本物) は氏ね:01/09/05 17:42 ID:z/lmTaOs
http://www.ddanzi.com/ddanziilbo/bbs/cwb-data/data/FtvBBS/vavy.jpg
こんにちは。親愛なるあなたが全面的にこの有害なものを根絶する事に協力することを望みます。
あなたが行く国−日本に関する情報で、まぎれもなく事実です。
脅えないでください!
「これは日本の最もホットな食べ物です...」
「日本では、病院から高い頻度でバーベキュー用の死んだ赤ん坊あるいは胎児を10000円から12000円で買うことができます。」
赤ん坊...何とひどい国なのでしょう!!
世界の人々がこの惨状を見て、この惨状に対してアクションをする人を集める為に、できるだけ多くの人々へこのメッセージを転送してください。
これは人類の為のものです、そして私たち、世界の人々は、この悪習を根絶するために手に手をとりあいましょう。
このアクションは終了しません。
私だけでは言葉さえ言うことが不可能です。
したがって、親愛なるあなたが可能な限りこのメッセージを広げるを望みます。
344考える名無しさん:01/09/05 20:09 ID:TOqnHe6g
おまえら
島村抱月の音楽美についての論文でも読んでなさい
345考える名無しさん:01/09/05 20:32 ID:F1whmQJk
音楽は音と音の間にあるのではないか.
音と音の関係が音楽であって,音自体に魅力は無いでしょう.

音楽を音の集合体であるかのように考え,音自体に魅力を求める
というのは,それ自体が間違っているように思う.
346考える名無しさん:01/09/05 21:30 ID:9PwhGa.M
>>345
音自体を考えても考えなくても音楽は楽しめるんじゃない?
347にいなな(本物) は氏ね:01/09/05 21:58 ID:N3yUSlFY
ポルノ全般にいえることだが、
善悪はともかくとして、
「ポルノは下品でなければならない」
という強迫観念からだれも抜け出せないのはどういうわけだ?
上品にしろとはいわないが、
「エロ」が主目的で、「下品でなければエロくない」ってわけでもないだろ。
視聴者を萎えさせてまで執拗に下品にしなければならない必然性が理解できない。
348にいなな(本物) は氏ね:01/09/05 21:59 ID:N3yUSlFY
それは生の音を聴かずに、CDばーっか聴いてるヒトに良く見受けられる
発言です。

おまえら
島村抱月の音楽美についての論文でも読んでなさい
音楽は音と音の間にあるのではないか.
音と音の関係が音楽であって,音自体に魅力は無いでしょう.

音楽を音の集合体であるかのように考え,音自体に魅力を求める
というのは,それ自体が間違っているように思う.
349にいなな(本物) は氏ね:01/09/06 00:17 ID:1w3uZlDo
>音楽は音と音の間にあるのではないか.
>音と音の関係が音楽であって,音自体に魅力は無いでしょう.

でも、「関係」だけでは音楽は聴覚に現象しないし、
「声の肌理」(ロラン・バルト)もまた音楽的感覚の重要な一部ではありますまいか?
「音と音の間」ばかりを気にする近代音楽思想にあらがって
ジョン・ケージは「音それ自体を聴け」と煽ったのではなかったか?

音楽って一言でいうけど、通約不能な程に多様なんだよ。現実は。
350にいなな(本物) は氏ね:01/09/06 13:19 ID:3Fh04aOk
>>348

>それは生の音を聴かずに、CDばーっか聴いてるヒトに良く見受けられる
>発言です。

「生の音」という概念自体が、録音メディアによって初めて可能になった
(それ以前は、音の現前は時空間的な拘束の元にあったし
それ以外の現前はありえなかった。)
以上、「生の音」の優先性をアプリオリとするのはおかしい。
正確には、録音メディアの登場によって、
音楽の存在論的地位に変容が生じた、と考えるべきでは?

どこでもいつでも繰り返し聴ける、という状況の成立が、
「音自体の魅力」を前景化した、とは考えられないだろうか。
そうであれば、「音自体には魅力がない」と断じるのは
ドグマティックな主張に過ぎない。
351にいなな(本物) は氏ね :01/09/07 00:19
主観的な「聞こえ」をどうこねくり回しても
音楽の聴取に関する「一般的な」記述には到達できないであろう。
338のようなよくある素人の「感想」をいくら積み重ねたところで
哲学になるわけではない。
また339のように「嗜好」(趣味tasteの意か?)に還元してことたれりとするのではなく
その「嗜好」の一般的構造を思考してこそ、音楽哲学の名に値しよう。
ようするにオマエらみんな莫迦。
352にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 00:25
説明しようのない事実があるかないか、という問題は、そもそもどうやったら説明
したことになるのかがはっきりしていないと答えられない。

もう一つ、未来に説明可能となる見込みがあるとしても、今の手持ちの知識によっ
ては「説明しようがない」といえる場合があるだろうから、説明「可能性」の射程
をどの程度広くとるかによっても答えは違ってくるだろう。
35375@Rageファン:01/09/07 00:28
しかし、滅多にないがその曲を聴いたとき何か
高揚というか、なにかが広域的な広がりや、
自分の何か(本意みたいな物に)気がつくことが有るが
あれはなんであろうか・・
354考える名無しさん:01/09/07 00:28
マーラーの交響曲1から9までを聞けば、

音楽思想というものがあるし、彼の精神の遍歴も聞き取れると思ふ。
355にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 00:41
少し煽ると食いつきが良くなるな(藁

>>352
「説明可能性」の定義による問題だと思う。
俺はプラグマティズム的に「みんなが納得すれば説明完了」の立場を採るが
貴方の不可知論(形而上学を内包した懐疑主義?)からすればそれは
「説明された」ことにはならないだろう。
それだったらこのスレのように、「音楽の効果」とかいった
個別の問題に暫定的であれ、答えを出すことが不可能になる。
(あるいは何を主張しても論理的に真となる)

>>353
貴方の耳に与えられる効果も、貴方の耳の歴史を背負ったものであって
決して「透明な」ものではないのですよ。
あと、聴覚に与えられる意味作用は
容易に他の感覚や観念と連合し、「不純な」意味生成へと展開します。

>>354
俺はまったく聞き取れなかった。
もしマーラーに「音楽思想」とやらがあり、
交響曲を聴いてそれが聞き取れるのであるならば、
それがどういうものであるか、説明して欲しい。
(俺にはそれが聞き取れず、貴方には何故それが聞き取れるのか、その理由も含めて)
35675@Rageファン:01/09/07 00:55
煽られたと言うよりもここの板は人があまり居なくてのう・・

まあ、言わんとしてる事も分かるが・・・
一時的にリンクして、それと一体感を感じ違う視点での
感覚や視点を一時体験し「こんなものもあるのか・・」と
広げる意味では有用な感じもするが。
357にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 00:59
>>356

ただ、その「一体感」を過剰に意味付けしてしまうと
「ベートーベンは神だ」「音楽は否定的ユートピアへと通じる道なのだ」とかいった
ドイツ系妄想「テツガク」への地獄の一本道が待っているので
極力避けた方がよいのではありますまいか。

もちろん、まっとうな哲学的思索が目的なのではなく、
実存的高揚感を得るための手段としてなら、否定はしませんが
そのような言説は巷にあまりにも溢れすぎてて食傷気味。
35875@Rageファン:01/09/07 01:10
うむむ、卑小な例であるが、私の昔の友人がロックオタだったらしく
ある時私との会話中に「ジミ・ヘンは神様だよ!!」
と、のたまった。その時私は「何を言ってるか!!!ただの人間ではないか」
と何故かはらわた煮え繰り返って、青筋立ててたが(口には出さない)
そんな、感じなんでしょうな。
あまりにも、言葉の意味というか感覚の違う人間と会話する場合。
359にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 01:17
>>358

いや、俺もジミヘンは神様だと思うが(笑)
それは論理的記述としての「ジミヘン=神様」を主張しているわけではなく、
日常言語における隠喩的指示として機能してるわけで、言い換えれば
「ジミヘンは神と比肩しうるくらい素晴らしいロック・ミュージシャンだと
自分は感じる」
という文の真偽に帰着できるわけだろ?
ロジックのタイプ分けができれば何も怒る必要はない
(まあ敢えて怒ってみせることの効能は俺も承知しているつもりだが)。

ただ、哲学的な議論の文脈で、隠喩ではなく真偽を伴う記述として
「ベートーベンは神だと思う」ではなく
「ベートーベンはあの素晴らしい交響曲を作曲したから
神と同様の創造性を発揮している」と真顔で主張されたら
(ロマン主義の連中はみんなほざいてるんだよ。信じられないことに)
頭を振って「駄目だこりゃ」と嘆くしかないでしょ。

哲学やるんならちゃんと哲学やってくれよ。
360考える名無しさん:01/09/07 01:19
re:マーラー
音楽そのものを言語によって説明することほど野暮なことはないだろう。
なぜならば音楽でしか表現し得ないものを、作曲家は目指したのだから。
聴覚野は極めて原初的な器官であって、平衡、時間感覚、振動、リズムという
生物が外部環境を知るための基本的な情報を感知制御している。横に言語野が広がる。
精神の通底部分を担っているとも言え、それゆえ優れた音楽は高い精神性をも表現できる。

>俺にはそれが聞き取れず -音楽に対する感性が鈍いんだろう。
>貴方には何故それが聞き取れるのか -音楽に対する感性が355より鋭いんだろう。
361にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 01:25
>>360
>音楽そのものを言語によって説明することほど野暮なことはないだろう。

じゃあテメエ黙ってな(藁
エセ科学混じりの形而上学聞いてるとヘドが出んだよ。
逝けやゴルァ
テメエの鼾声だか陥穽だか慣性だか知らねえが、後生大事に抱えてやがれ。
ただし、黙ってな。哲学に二度と首突っ込むなクソボケ。
362考える名無しさん:01/09/07 01:29
>360

こいつは酷いな。本物のバカだ(w
361、あまりイジメてやるなよ。
ここまでくるとカワイソウだ。

>精神の通底部分を担っているとも言え、それゆえ優れた音楽は高い精神性をも表現できる。

このフレーズにノックアウトだね!
「優れた音楽は高い精神性をも表現できる」だって! ぷっ!
363考える名無しさん:01/09/07 01:33
re:361
ワーグナー>ニーチェ シラー>ベートーベン モーツアルト>ゲーテ
哲学は多く音楽とリンクしている。

上記を見るとやはり感性は悪そうだな。知性にまで及ばないことを祈る。
364にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 01:40
>>363

野暮なヤツだねえ(藁
言葉で説明してやがらあ。
そんな言行不一致を恥じない「感性」とやらなら、
あいにく俺には不要だわ。すまねえな。黙ってろやクズが。

てめえニーチェでもシラーでもゲーテでも、
それぞれ音楽について何ほざいてるか知って言ってんの?
妄言のオンパレードだぜ。
いまどき美学者か文学者くらいしか引用しねえよ。無知。
36575@Rageファン:01/09/07 01:43
いや、しかしのう361
私なんかでも正直レベルの高い三味線や太鼓の音などを
聞くと確かに何かとても真摯な感覚を覚えるのも体験上確かなのだ。
(単純な音色で悪いが・・他にもあるのだが・・)
確か、クラシックなどはf分の1の揺らぎとか言う
精神上心地良しとされるリズムも含んでいるそうだが
だからと言って、全て素晴らしいとはいえずマーラーでも
「凄い」と思えるものと「退屈だ」となるものもある。

PS
ジミ・ヘンは私にとっては永遠にただの人間である。
366考える名無しさん:01/09/07 01:45
re:364

阿呆をおちょくると真剣に怒って楽しいね。

またね。(^^♪
367 :01/09/07 01:51
まず、異なる聴覚入力なのになぜ同じ音に聴こえるのかを解明しないといけません。
368にいなな(本物) は氏ね:01/09/07 01:57
>>366

おう。永遠にバイバイ。次は相手のレベルを見て喧嘩売れよ。

>>365

「f分の1の揺らぎ」が「素晴らしい音楽」という感覚に繋がる…
といった類の議論は、俺はどうにもうさんくさく思える。
それは、音楽の意味作用を、聴覚における生理量に還元しうる、
とする観念が背後にあるわけだけど、
それは例えてみれば、「良い画布を用いた絵」「良い絵の具を用いた絵」=「素晴らしい絵」とする短絡と同値なんじゃなかろうか。

もちろん、「f分の1の揺らぎ」という観念=イデオロギー自体が、
音楽聴取における意味作用に及ぼす影響もあるだろう。
「この音楽は f分の1の揺らぎですよー。癒しますよー」てな
暗示効果、というか。

であるから、音楽聴取における「耳に与えられた感覚」を絶対視する哲学は、どうも信用できない。というかうさんくさい。
観念論的音楽美学の90%はその類だ。ヘーゲルとか(まああれはあれで当時の芸術イデオロギーのドキュメントとして一級品だと思うけど)。

同様に、俺が「ジミヘンはやはり神だ」と強弁するなら、それは哲学として「おかしい」のだ。
哲学が扱うのは感覚の背後に隠された意味や思想、価値ではなく、感覚それ自体が構成される構造を一般的に示す作業ではないか。
369/:01/09/07 02:04
絵画にたとえるならば、絵の具の塊がこのような色を感じさせるのはなぜか、という疑問。
370考える名無しさん:01/09/07 02:52
観念論的でない音楽美学があるの?

369の疑問は身体的な問題のような気がするけど、哲学の範囲内?
371 :01/09/07 02:58
身体的というか認知科学は哲学の範囲内では。
372考える名無しさん:01/09/07 03:06
音楽の認知っていうと限定された領域に聞こえるけど、認知され方に差はあれ、
他の多くの領域での認知現象と同じ事が起きているんじゃない?
>>369 のような絵画との比較を通してそういった基本構造が明らかになると思う。
たとえば、群化は基本的な認知作用といえる。
373考える名無しさん:01/09/07 04:42
みなさん凄いこと考えてるんですね
374考える名無しさん:01/09/07 05:21
酒飲むと10倍ぐらい良い曲に聞こえる。
375 :01/09/07 08:41
車運転しながら聞くと10倍くらい良い曲にきこえる。
376考える名無しさん:01/09/07 09:12
>>370

分析美学的音楽美学(キーヴィ、グッドマンなど)
現象学的音楽美学(インガルデン、ブルレなど。これが観念論と言われればたしかにその傾向はあるだろうが、「精神を表現する音楽」云々といった妄言からはほど遠い。エネルゲイアについては…あれは美学じゃなくて楽曲分析の前提をなす形而上学と思う)
心理学的音楽美学(ニコラス・クック?)
社会学的音楽美学(ゾフィア・リッサなど)
記号論的音楽美学(ナティエ、リュウェなど)
観念史主義(造語だが。近年の注目株のリディア・ゲーア)

たくさんある。
むしろ現代的な議論では観念論色の濃い音楽美学の方が珍しい。
377考える名無しさん:01/09/07 12:56
音自体ではないくて、
人間には音の調和と
同化したい願望があるんじゃないんですか。
ボクはむしろ調和の中にこそ
音楽の効果の原因を探れると思います。
378考える名無しさん:01/09/07 18:35
感性情報処理や人工知能研究者の文章を読む事をお勧めします。
たとえば、知性は名詞・動詞と関係し、感性は形容詞と関係している、という観点があります。

もはや、音楽美学が音楽工学の先端的研究に寄与しなくなっています。
少なくとも私はそうした寄与を存じ上げません。(細かい寄与は考えないとする。)
だからといって音楽美学が無用なのではなく、それはそれで独自の有用さがありますし、
ここで強調したいのは、音楽美学の音楽工学への寄与の可能性についてです。
このスレにはまだ工学的話題は少ないようなので強調しますが、
音楽工学において今まさに必要なのは新しい音楽美学ではないでしょうか。
逆に言えば、音楽工学を見据えて音楽美学する事も大切でありましょう。
379考える名無しさん:01/09/07 19:09
>>377
作品秩序と作品外の解釈項という二者中心の観点が
音楽を考える際の有力な切り口じゃない?
380考える名無しさん:01/09/07 19:12
>>379
しかし、作品秩序に含まれる要素の範囲を
どこまでと定めるかによって
作品外の解釈項と作品内的要素の区分は
しばしば確定しがたくなってしまうのではないでしょうか。
例えば、特定の奏者による特徴ある音色は
その作品の秩序に関与するか? といったふうに。
381考える名無しさん:01/09/07 19:24
ぼくは全く初学者です。
どこまで作品秩序の範囲とするかが確定しがたいのはわかります。
教えて欲しいのは、作品秩序と解釈項が一致する時についてです。
そんな例があるとは信じられないんですが。
382考える名無しさん:01/09/07 22:07
>>379
音も音自体ではなくて音と作品の調和のなかに
聴取上の効果があると思われます。
しかし、音自体にも快、不快があると思います。
それは単に人間のみみに快いか不快かであって、
つまり快い波長かそうでないかだと思います。
音楽とはレベルの違う議論です。
383 :01/09/07 22:10
>367
基本的な疑問の1つに、「同じ音」とは何か?というものがあります。
384考える名無しさん:01/09/07 22:11
>>382
ちょっと379との関連を説明してくれる?
385 :01/09/07 22:12
>382
音楽というのはまさに、人間の耳に快い音かどうか、ということではないの?
386考える名無しさん:01/09/07 22:21
>>383 差異と同一をア・プリオリなものとして、
別に与えられた要素間の差異・同一によって意味を
説明するアプローチがあります。
つまり要素間の差のみによって意味を構成するのです。
私はこれに賛成しかねますが。
387考える名無しさん:01/09/07 22:24
>>385 不快なのに消費されている音楽があるが、
聴いている人は消費行為自体を楽しんでいて
音楽を楽しんでいるのではない、というのに対し、
消費行為であってもそれが快なら良いという反論が成り立つ。
388考える名無しさん:01/09/08 00:39
>>386
言ってることがさっぱりわかんねえ。
もっと丁寧な説明きぼん バカですまないが
389考える名無しさん:01/09/08 02:17
>>388 分かりにくい表現でした。
現象が、いくつかの要素とそれらの間の類似とだけで説明できる
とする考えです。作品秩序を説明するには、こういったアプローチも
あるかと思います。
類似は類似しているかいないかのデジタル値で表されるのではありません。
その表し方はさまさまざまです。例えば、2値で表す場合(二種の類似を
導入する場合など)があります。
この考えは、確か中世哲学だったような。

この考えはどうみても音楽哲学には使えないと思います。
切り口としては面白いですが、音群の間の関係を明瞭に
言う事ができる場合が皆無である以上受け入れ難いのです。
もっともこの考えの音楽哲学への適用は聞いた事ないですが。
390考える名無しさん:01/09/08 02:33
389はクリプキの意味論のモデルなどと同じ系統のものと
考えればわかりやすいかも知れません。
クリプキとはまるで無関係ですが、モデルが扱っている事
が非常に似ている。意味を構成しようとする切り口の模索
という点で。
音楽と少しはなれすぎてしまったようです。
けど、音楽秩序を記述するモデルというのも
あまり聞いた事がありません。
391考える名無しさん:01/09/08 12:37
>>389,390
ぜんぜんわかんない。日本語しゃべってください。

観念論的音楽美学って?ハンスリック?ダールハウス?

とりあえず音・音楽の快・不快の問題を中立レベルに求めるのは
もうやめようね。
392考える名無しさん:01/09/08 12:59
俺は知識ないから参加できないけどなかなか面白いぞ。頑張れ!
393考える名無しさん:01/09/08 15:16
>>391
同意。
このスレの全員、ナティエ『音楽記号学』読んでやり直し。
読書会でもやるか。
394考える名無しさん:01/09/08 18:50
>>393 やってくれるとありがたい。私は賛成。

>とりあえず音・音楽の快・不快の問題を中立レベルに求めるのは
>もうやめようね。
作品秩序と解釈項により音楽現象が説明できると思うけど。
ま、いいや。読書会あるならその中で解決すると思うので。
395.:01/09/08 19:27
>389
>383 でいっているのは要素間の類似ではなくて、現象間の類似・同一のことではないでしょうか。

本来なら、その場その時刻にその脳の状態で聴く、というのは唯一の体験ですし、
鼓膜の振動も聴覚神経の電位変動も異なるにもかかわらず、なぜ同じ音を聴いていると認識されるのか。

同一の音と認識されるための条件とは何なのでしょう?
396考える名無しさん:01/09/09 01:49
>>同一の音と認識されるための条件とは何なのでしょう?

分析美学では、結局そのような問いは「疑似問題」ってことで匙を投げてる。
グッドマンは「慣習の守り」に帰着させちゃうし、
マルゴリスは「同一性なんてどうでもいいじゃねえか馬鹿野郎(意訳)」とキレてる模様。
要するに、その問いが設定される文脈によって、「何が同一か」は
様々に変わりうるということだ。

それでも、音楽における同一性の問題系は(たとえばパクリを巡る議論などで)
プラグマティックな関心をかきたててやまないのが現実。
むしろ、「何が同一性の基盤か?」を問うのではなく、
「なぜ音楽において同一性が問題になるのか? それはいかなる時なのか?」を問うた方が
哲学的には興味深い問題設定になるのではないだろうか。

ナティエもどちらかというと、記号学的三分法の体系性をアピールするのに御執心で
解釈項の範囲を限定して疑似問題化を回避する戦略のようだね。大陸哲学だなあ。
397心脳問題(13) ◆FyoH59Do :01/09/09 01:55
@一度に2隻しか繋いで渡せない。
Aその時は性能の悪い船の時間がかかる。
つまり、1時間かかる船と8時間かかる船と一緒に渡ると
8時間かかるということ。
B戻り時間も計算します。つまり、1と4で渡って1で戻ると4時間+1時間で5時
間となります。
上記に仮定した「現実」「-1現実」「-2現実」以外の現実は存在するのか?
存在と言う概念ですでに「-2現実」である。
ライプニッツのモナドロジーとも共通してるんじゃないかな。
モナドは形而上学的な存在だけど、脳は生理学に裏打ちされた物質というところが違うけど。 物語は「作り話として語られる」という特徴を持っているが、歴史記述にはそのよう
な特徴があるだろうか?
ちなみに爵位は男爵だったかな?子爵だったかな? 恣意的・便宜的だから。
であるから、音楽聴取における「耳に与えられた感覚」を絶対視する哲学は、どうも信用できない。というかうさんくさい。
構成した複数の因果経過のうち、その時期の社会状況に重大な変化を
知覚情報を意識に渡す際に、コード化して渡す。
脳はこのコード化の信号処理をやっているだけ。
コードを受け取った意識が感触を認識する。
ニューロンネットワークの一部は信号の処理のデータパスで、
宇宙の外なんて誰も判らないかもしれない
しかしよく宇宙は 「限りなき有限」という表現をされるように
及ぼしたと考えられる事柄を時代の区分としているわけでしょ?
つまり、どこに重要性を認めるかによって、時代区分は変わったりする
わけなんだよ。問題は、ここは「あった」んじゃなくて、
観念論的音楽美学の90%はその類だ。ヘーゲルとか(まああれはあれで当時の芸術イデオロギーのドキュメントとして一級品だと思うけど)。
九鬼の奥さんて、不倫(姦通)して精神病院送りにされたんだっけ?
よくエレベータで遭遇します。学食でも。
氏はドローリとした食べ物がお好きなようです。      
カレーとかシチューとか八宝菜とか。
398.:01/09/09 07:05
確かに異なる人間の各クオリアが同一であるか、という問題はここで深入りしてもしかたがないでしょう。

しかしそれ以前に、同一の人間が2つの音を聴いたときにその2つの音をその個人のなかで同じ音と認識するか、
というシチュエーションでの疑問があります。

たとえばピッチ検出の機構についてすら、よくわかりません。
同じ高さの音と判断するための条件とは何か、というのはこの機構に近づくために要る問題ではないでしょうか。

mp3のような聴覚特性にのっとった不可逆圧縮を設計する場合には、
どの情報を間引いても聴取上の同一性が保たれるか、との視点が必要に思えるのですが。
399考える名無しさん:01/09/09 15:06
>>398
『絶対音感』読め。
人間の音認知能力は絶望的なまでに相互通約不可能であることが
よくわかる。
聴取上の同一性は、音の側の問題というより、個々の主観の感知能力の状況に
依存するのではなかろうか。
それを実験室的状況で「検証」したところで、
たまさか存在する自分がそれを「聞き取れる」のか、疑問に感じる。

まあ、認知科学の発展には非常に期待はしているが、
(世界内での音認知現象に関する、一例を提供してくれるという意味で)
認知科学の主張だけで音楽聴取に関わる問題が解決できるとはとうてい思えない。

哲学の立場としては、認知科学から得られた事象を踏まえて、
問いの立て方の角度を変える努力をしなければならないのでは、と思う。
400考える名無しさん:01/09/09 19:48
やっとわかった。わたしの緑色とあなたの緑色は同じかっていう
やつね。つまんねー。音楽固有の問題じゃねーじゃん。
401考える名無しさん:01/09/09 20:25
原子核がα線を放出する現象をα崩壊といいます。α線は放射線で、
原子核がα崩壊を起こしたときに発生する。α線粒子はヘリウム原子核。
もちろん宇宙が崩壊するわけ無いぞ。
これらは測定技術の問題ではなく、自然の法則なのである。それゆえ「原理」と呼ばれている。
問題はこの不確定原理を神秘性の根元のようにいいかげんなことをいうエセ解釈が多いことだ。
不覚訂正原理は「世界は予測できない」という証拠と思われ勝ちでであるが、実際はその逆だ。この原理は青土の高い観測を行うための秘策なのである。
そう、AB間の距離を広く取るほど正確になる。
だが、速度を測定している間、車は何処にあるのだろう?
AとBの間のどこかだ。
例えば、A点とB点間を走る自動車をストップウォッチで測るとしよう。
A点のいる観測者がまず車が目の前を通り過ぎるときにストップウォッチを押す。
次にB点のいる観測者が車が通り過ぎる瞬間にストップウォッチを押す。
このABの距離が分かっていれば、2つのストップウォッチの差を計算すれば、速度が分かる。
しかし、ストップウォッチは真に通り過ぎる瞬間に押せるか?
実際にはいろいろ誤差がでてしまう。
では速度計算の誤差を極小にする工夫は?
では、そのどこかを極力正確に知るには?
AとBの距離が短いほど、精度が高くなる。
この交換条件はなにも量子の成果に関わらず、観測問題に関わる典型的ジレンマだ。
位置と運動量は「相補的」に変化しうる。
原子の運動量と位置は同時に計れないとしたもの。
粒子の位置を測定する為には波長の短い粒子で測定しなければならない。したがって測定波の粒子の運動にぶつかり、観測対象の粒子ははじきとばされてしまい位置は測定できない。
逆に粒子の運動量を正確に測定しようとすると、波長の長い波をつかわなければならないが、今度は位置が正確につかめないというというもの。
ハイゼンベルグが仮定したのは「粒子の位置と運動量の両方を正確に知るのは、根本的に限界がある」ということだった。
その限界が「プランク定数」と呼ばれる量子力学の基本定数であり、実験の予測結果に限界を設けることになる。
原子の異なる状態における量子遷移は特定のエネルギーを持つ光子を放出する。同じ遷移が起これば、全く同じエネルギーを持つ光子が放出されることが予測される。つまりハイゼンベルグの不確定性原理は世界をより確定できるものにしたのである。
実際には車自身に速度計と距離計がついていれば、問題は解決される。
しかし、粒子に計器を搭載し、それを直接観測することは不可能だ。観測技術の限界がある。
微視的世界の量子物理学が不確定性を免れぬことから、決定論的因果律が崩壊したかにも語られるが、むしろ巨視的世界で成立」している通念を押し通すことのできぬ微視的世界が見出されたという認識が重要だろう。
402考える名無しさん:01/09/10 05:36
きみたち、クラシック板にでも逝って
無視されてなさい
403考える名無しさん :01/09/10 10:48
厳密に言えば、音楽思想をコトバで表現しようとすることは誤りである。
404考える名無しさん:01/09/11 00:14
>>402
きっと、猫連扱いされる事請合いでしょう。
405考える名無しさん:01/09/11 18:56
>>403
オマエの無根拠な断定はぜんぜん厳密じゃねーぞ(藁
406考える名無しさん:01/09/11 18:56
だめだね。
407ERU:01/09/13 10:42
>>399 ふーむ。相互通訳不能、そうなんでしょうか。

>>403 音は、音でしか表せない、というのも正しそうなんですが、
音を波形表示する方法や記譜する方法は、音を表している、というのも正しそう。
表現関係は一種の同型関係ともいえるからです。

さて、一音楽家としての意見を述べてみます。
良い音楽は良い融合・調和により作られていると思います。
悪い音楽はまとまりがないから悪いのでしょう。
音の融合は音の出会いにより作られます。
融合はせめぎあいではなく調和です。
せめぎあいは音響学的マスキングや心理的な注意の反らしなど、調和とはいえません。
せめぎあった音は、注意を向けさせ、失望させます。
実体性の成長は調和の上に行われ、快適な音楽はこの方向に多く存在するのです。
調和の前には、新たな同一性を根拠に音が止揚するのです。
人間の同一性の円環走査が流れ易い場を、調和ある音楽は創り出します。
2音源は、発音タイミングが同じになるなど要因を伴えば、調和します。
良い音楽とは調和の認知的断面なのでしょう。
どのような意見・批判がでるのか楽しみです。
この板だと少しは明快な道筋が得られると思っています。
408考える名無しさん:01/09/13 11:33
>良い音楽は良い融合・調和により作られていると思います。
>悪い音楽はまとまりがないから悪いのでしょう。

・・・助けてくれ〜(ワラ
409考える名無しさん:01/09/13 13:57
「良い・悪い」音楽と、物理的な音の調和関係は
そんなに単純に対応してないんだってば。
ブルガリアン・ヴォイスでもガムランでもいいし
ノイズであふれたハードコアパンクでもいい。
それらの音楽は「良い音楽」ではありえないのか?
あまりに偏狭な西洋中心主義。
410ERU:01/09/13 20:42
>>409
お手柔らかに〜。言いたい事はなんとなくわかります。
でも、「物理的な音の調和関係」なんて言葉言ってません。
単に調和なのです。物理的な調和ってよくわからないです。
批判されたのでむきになってしまいますが、
確かに偏狭な考えです(私は西洋の肩を持った覚えはないのですが)。
しかも、普遍的な考えを提示したつもりでもないのです。
だから、しばらく考えてみたけど、全ての良い音楽(ガムランにせよ)は
良い融合により作られているという考えにも揺るぎありません。
調和ということの捉えかたをはっきりさせておきます。
調和というのは一つの雰囲気の下にあることによる共通性です。
決して重なり合いによる共通性ではありません。
雰囲気をはずす要因が少しでも入っていればすぐ不快な曲となります。
411では:01/09/13 22:46
その「雰囲気」が何によってどう構築されているか
(認識論的には、「なぜそれを『良い雰囲気と感じるのか』」)
を、哲学的に根拠づけるべきでは?

で、実践者の実感を離れて、
外部から論理的に考えるならば、
「良い雰囲気の調和」を根拠づける普遍的な基盤は存在しないように
思えるのです。

もちろん、現象学的な知覚がそのような「雰囲気の調和」として
与えられるのは十分分かりますよ
(音楽を楽しめる人ならば誰でも分かることでしょう、そのような感覚は)
しかし、それが主観を離れ間主観的な文脈に置かれたとき、
通約不能なまでに多種多様な「雰囲気の調和の仕方」が
さまざまにヘゲモニーを争っているのが現実なのではないでしょうか。
「調和」という概念でその事態を指し示すことが無意味と思える程に。
412久保田慶一:01/09/13 22:49
白石美雪って処女なの。
413ERU:01/09/14 00:15
>>411
よくわかりました。哲学では難しい事を扱うんですね。
根拠づけを考えた事はありますがわかりません。
以下の事を考えています。
調和(雰囲気の統一)した音は、どのような構造になっているのでしょう。
単純な例では、周波数が整数比の音は互いに調和しやすいです。
他には、終止感を与えるコードの流れというのを使えば、
まとまった楽節を作ることが出来ます。
しかし、これでは調和全般を扱うのには程遠いのでしょう。
414_:01/09/14 01:36
本当に調和した周波数比だと1つの音に聞えてしまい、和声感は損なわれる。
415ERU:01/09/14 02:00
>>414 1個と2個という自然数の堅固さをやぶり、
1個でも2個でもあるものが調和なのかも知れない。
個が全に解消するといってもパーフェクトに出来ちゃえば、
全が一になってしまう、というのと同じ事でしょう。
416考える名無しさん:01/09/14 13:30
ていうかお前まずなにが「よい」のかを定義してみろよ。=快? 笑止。
417考える名無しさん:01/09/14 14:11
>>416

土屋賢二「猫とロボットとモーツァルト」でも読んで出直してきな。
すぐに「定義定義」と騒ぐのは低能厨房の悪いクセだな。
418ERU:01/09/14 22:52
>>416 そのような満足のいく定義があるのなら教えて欲しいくらいですが。
定義しなくても伝わるようにも思います。
良い音楽は良い調和により作られていると言ったので、
良いとは良い調和がある事だ、とは言えないのですね。
良い音楽という実体があってそれが良い調和により作られているっていう。
わかります?
だからその実体性を根拠付けしなくてはならないんですね。
どう考えても調和が音楽の基本だと思うんですが。
私の「良い」はあらゆう意味を含めてのもので、
そのあらゆる意味の総体としての「良い」は、
調和という事で基本は説明できると言いたかったんです。

あまり定義をする習慣はないもので、演奏や作曲でも
そんな必要なしにできると思うのですが、
度々、定義の曖昧さにはっとさせられます。
だからといって音楽家同士の会話ですぐ定義を求めると
相手の貴重な話を聞くチャンスを逃してしまいますよ。
419考える名無しさん:01/09/19 00:07
アホか。要は定義できないんだろ?なにが「良い調和」だ。エコロジー系か?(ワラ

>良い音楽という実体があってそれが良い調和により作られているっていう。
>わかります?

全然わからん。たぶん理解できるのはおまえだけ。

>どう考えても調和が音楽の基本だと思うんですが。
>私の「良い」はあらゆう意味を含めてのもので、
>そのあらゆる意味の総体としての「良い」は、
>調和という事で基本は説明できると言いたかったんです。

つまりお前の「よい」の定義は「調和」なんだろ?
そのチョーワの意味は全く不明だが(ワラ

>あまり定義をする習慣はないもので、演奏や作曲でも
>そんな必要なしにできると思うのですが、
>度々、定義の曖昧さにはっとさせられます。
>だからといって音楽家同士の会話ですぐ定義を求めると
>相手の貴重な話を聞くチャンスを逃してしまいますよ。

あ〜ムカつく。ドキュンの援護うけたからって調子にのってんじゃねえよ!
「よい」とか連発されても、それがどういう意味で使われてるのか説明されなきゃ
意味無し議論になるだろっての。「あまり定義をする習慣がない」?バカじゃん。
死んでよし。ていうか自分で「貴重な話」とかいってんじゃねえよ(ワラ。死ね。
「猫とロボットとモーツァルト」? 読んでたけど、あれがど〜したの?
音楽関係ってクソが多くて困るよ。だれか代わりに叩けよコイツラ。
420ERU:01/09/19 19:55
少しも歓迎されてないようで悲しいし、有意義な答えも見つかりません。
帰ります。
最後にこの板の人々に。哲学の意見でなくて悪いですが。
語法は一言で表せるものでなく沢山の例を通して悟られるべきものなので、
すぐに定義を求めるのは酷というものですよ。
421考える名無しさん:01/09/20 00:40
帰れ!!厨房が(ゲラゲラ。

さらしアゲ
422417:01/09/20 20:43
>「よい」とか連発されても、

このスレ、それほど「よい」連発してるかなあ?
それはオマエの誤読だと思うぞ。
418は確かに音楽家ドキューソに過ぎないのだが
「よい」という語が適用される際の内在的なルールを(主観の側から)記述してるだけのことで
語の定義=使用を観察するための一つの例に過ぎないだろ?
(「私にとって」と繰り返し限定してるし)
議論のレベルが違うんだよ。それを手前勝手に混同して
アツク萌えてるドキューゾ=419も自由に逝ってよいぞ。
423考える名無しさん:01/09/20 20:50
アホか。俺が叩いてるのはチョーワ君とオマエでこのスレではない。
この時点でオマエの誤読(ワラ 「私にとって」の議論をここでする必要は?
・・・てゆ〜か、「良い音楽は調和からなります」だよ?(ワラ
論外。論外を示すために、じゃ、まず「良い」を定義してみろ
と突きつけたまで。で?土屋の本がどうしたのかナ?(ワラ
424考える名無しさん:01/09/20 21:06
哀れな423にアッラーの慈悲がありますように。

でさ、オマエ、叩く以外になにか生産的な議論できんの?
「論外」が頻出するのを見ると、
よほど理解力に恵まれないお方のようにお見受けするが。

土屋の本も読めなかったか。そーかよしよし。泣くなよ。
425考える名無しさん:01/09/20 21:09
少なくとも423がイチヴァンドキュソに見えるーーー♪
426考える名無しさん:01/09/20 21:26
>>424
論外が頻出?理解力に恵まれない? ハハ、なに言ってんのこいつ。
てゆうか、もういいや。音楽関係ってバカの巣窟なんだね。
だれが土屋の本、読めなかったっていったの?俺は、土屋の本読め
とかいうオマエに、読んでるけどそれがどうした?って聞いてる
んだけど。はやく答えろよ。もう一度聞くよ?土屋の本がどうしたの?
なんで俺が土屋の本も読めなかったってことになるの?半泣き?
オマエこそ非生産的じゃん(爆 アッラーの慈悲・・・(サブイ

>>425
ジサクジエーン 哀れすぎてなにもいえん。

だれか代わりに厨房の相手してやって。
427425:01/09/20 21:56
おれは、424他じゃないよ。あと、文体に着目してドキュソと
いったんだよね。
428考える名無しさん:01/09/21 14:30
426は最近では珍しい正調ドキュソだね。
ある意味貴重な存在。大事にしよう。
429考える名無しさん:01/09/21 15:01
ハイハイ。自作自演はもういいって。煽り方も厨房丸出し。
だれがどう読んでも424と425がドキュンじゃん(w
こんな奴に

>土屋賢二「猫とロボットとモーツァルト」でも読んで出直してきな。
>すぐに「定義定義」と騒ぐのは低能厨房の悪いクセだな。

とか言われたとはね。「文体に着目して」とか(w。「着目」だよ?
お前のほうが貴重だ。ま、カワイソウだから追い込むのはこの辺にしてやるよ。
430考える名無しさん:01/09/21 15:31
>>429
すべてが自作自演に見える独我論厨房発見。
431考える名無しさん:01/09/21 15:35
ハイハイ。自作自演はもういいって。煽り方も厨房丸出し。
だれがどう読んでも426と429がドキュンじゃん(w
こんな奴に

>半泣き?
>オマエこそ非生産的じゃん(爆

とか言われたとはね。「論外を示す」とか(w。「論外」だよ?
お前のほうが貴重だ。ま、カワイソウだから追い込むのはこの辺にしてやるよ。
432考える名無しさん:01/09/21 15:42
ハイハイ。自作自演はもういいって。煽り方も厨房丸出し。
だれがどう読んでも433がドキュンじゃん(w
こんな奴に

>「よい」とか連発されても、それがどういう意味で使われてるのか説明されなきゃ
>意味無し議論になるだろっての。

とか言われたとはね。「ていうかお前まずなにが「よい」のかを定義してみろよ。=快? 笑止。」とか(w。「定義」だよ?
お前のほうが貴重だ。ま、カワイソウだから追い込むのはこの辺にしてやるよ。
433考える名無しさん:01/09/21 15:51
>だれがどう読んでも433がドキュンじゃん(w

(゚∇゚)誰か呼んだ?
434考える名無しさん:01/09/21 16:36
ハイハイ。自作自演はもういいって。煽り方も厨房丸出し。
だれがどう読んでも439がドキュンじゃん(w
こんな奴に

>グローヴァニゼイションやアメリカナイゼイションと、アメリカニズムという単語の意味は全然違います。
>今日のあなたの近況は、こういった水準で、読むに耐えない。

とか言われたとはね。「他人の言葉の些細な揚げ足取りをして、何か意義のある活動をしたような気になる愚か者が増えて困る。」とか(w。「意義」だよ?
お前のほうが貴重だ。ま、カワイソウだから追い込むのはこの辺にしてやるよ。
435考える名無しさん:01/09/21 17:40
このスレ、面白そうなのでROMってましたが、少し議論が、生理学的なミクロ的
(情報処理の方法、大脳の認知的アプローチ)、マクロ的(音(倍音、周波数
 、音階、和音、機能的和声、演奏方法、演奏論)までたちいって議論されているので
だいぶ混乱してきたな、と思いました。
 ここらで、暗黙知の考え方を導入したいと思います。
 まず、1さんの投げかけですが。

>「どういった音に対しどういった効果が対応するか」
>を考えることで、
>「「音楽」という概念」の捉え直しをめざします。

当たり前ですが、音は音楽のエレメントでしかありません。よく、DTM板で論じられている
音の嗜好などは、受け取った読者がミーハーならば、「この音を使えば最新鋭の音楽が作れる」
この音でこのコード進行ならば、受けられる。」との妄想を抱くでしょうし、本気で好きならば
フェチズムや某有名ミュージシャンガ使用しているとの、擬似共同体の意識を持つことでしょう。
(ここら変が、へんなところだと思います。)
各音楽ジャンルにはお約束事みたいなものがあって、この進行がかっこいいとの、いわば音列の
構成にある一定のパターンがあることは周知の事実だと思います。
1さんのどういった音に対し、どういった効果が対応するのか。」という議論は、煽るつもりは
さらさらありませんが、ある音に反応するといったようなパブロフの犬の実験である程度結論が
出ていると思います。
もし、そのような音があるとすれば、その音だけを聞いてれば快感を得るような、きわめて
単純な信号の送受信の関係となってしまいます。
そこで、議論として「音」と「音楽」は切り離して考えるべきだと思います。
詩に直せば、この韻律、この使用している語感のみでよい詩が出来るといった、ある意味人間を
馬鹿にしている結論になってしますと思います。(これは、単純な自動作曲ソフトで作り出された
音楽に、人間はすべて肯定ができるかと考えてみればすぐ答えが出るはずです。)

また、”しかも興味深いことに、こうした記号がある特定の感情を引き起こすことが
可能である、とまじめに考えられていた。デカルトがこういう思想を批判したのは
有名だが、バロック期は一般的には音群や調性と情念の間の記号関係がまじめに論
じられていた。”とありましたが、これはオスカー・ワイルドが和音に色彩を当てはめたように
これも、今の聴衆が聞いたら納得は出来るところはあるけどそれだけじゃないやろ。と疑問がだれも
感じると思います。たとえば,Amが”赤”を連想させるといっても、万人がそうか??と首をひねる
ものだと思います。音階とはその時代で好まれた様式の産物であり、現在でもいきつつづけているのは
人間の生理をくすぐる要素があったからだと思います。(あくまでも音そのものでなく。)
436考える名無しさん:01/09/21 17:41
続きです。

長くなりましたが、音と音楽は上位制御と下位制御の考え方で説明できると思います。すなわち
音楽は、音色、音高、音律の3要素の法則性によって規定されており(あくまでも、古典的な
和声学の考え方ですが。)その意味では音楽は音や音列の法則性で規定されており、あくまでも
作品がこの世界に現出されるには、これらの法則性をないがしろにすることが出来きません。
これを無視すると(敢えて無視する作品もありますが・・・。)すべては、無秩序さの増大
不必要なエントロピーが拡大されるだけの、文字通り無意味な雑音にしか聞こえないわけです。
また、音の制御レベルでは次ぎにどういった展開がなされるのかが不確定であり、これは「音楽」
のレベルでの制御ではないかと思います。また、さらには音楽という作品が人間にどのように作用
するかという命題には、聴衆が持っている背景や動機、さらには快楽に思えるゲシュタルトがこの
範疇にあり、これによりどういう感銘を受けるかというのは、他人ではある程度予測できても、
完全に共有は無理だと思うからです。(個人の嗜好が違うように。)
わかりやすい問題としては、いわゆるBGMがすべての人に有効かといえばそうでないと、はっきり
いえるものではないでしょうか。

よって、音楽に対する決定論的な解決は見出されないのではないかと思います。
もし、仮に1さんの原理が有効であるならば、それは、人工知能レベルや、生物の習性の利用上では
大いに考慮されることだと思いますが、音の制御システムをそのまま上位のシステムの説明に使うのは
物理的には、量子論で車の速度を計算しなさいという、まどろこしさを感じさせるものだと思います。
(決して煽りではないのでごめんね。)


>「こういった音に対しこんなすごい効果が対応する」ことをみいだせば、その「すごい効果」を音楽家が
>認識することで、あたらしい音楽表現のあり方が広まります。

うーん、これは永遠に答えがでないでしょう。ある音楽の解釈には一定の方法論が確立しているようですが
グレングールドのように一度作品を再構築して別の魅力を引き出すことに成功している例もあるので、
一概に絶対的な効果や解釈は見当たらないと思います。

最後に独り言ですが、音楽は音楽自体だけで成立されており、言葉とかの解釈は不要だと、ストラビンスキー
がいってましたが、これはほとんど音楽の神話であると思います。
音楽は、劇場社会であるこの世の詩であり、情念の発露であるからだと思うからです。
けっして、記号論的なミクロの制御では語れない、生物の不思議ではないかと思います。

2CHで久しぶりまじめに書いてしました。長文ごめんなさい。1さんこれでよいです
437考える名無しさん:01/09/21 17:43
>>435
フェチズムってなんだ?
438考える名無しさん:01/09/21 17:55
>>435 >>436
知りもしない用語を無理に使うから、おかしくなるんだよ。
439考える名無しさん:01/09/21 18:01
>437
つたない説明ですんません。
フェチズムは嗜癖的な執着心を指すと思っていましたが。

最近の音楽だと、ミニマム的な手法を持ったリズムだけの恩恵や特定の
音(卑近な例でいえば、テクノのバスドラにはROLANDのTB808がよいとか、MINMOOGのようなアナログシンセ音がすき。)とかの流行の
音楽に見られるような嗜好性です。(これは雑誌等が煽っている一種のCF
見たいな物ですが)これらの音が気持ちよいと半ば本気で言っている人たち
のことを指してます。(きわめて限定的な使い方ですみません。)
繰り返しには、ある種の快楽が潜んでいることは見とめますが、しつこいのは飽きます。(個人的ですが。)
440考える名無しさん:01/09/21 18:03
>>437
「がいしゅつ」みたいなものだYo!
きっと。
441考える名無しさん:01/09/21 18:07
>>437
彼がどういうページを見ているかよくわかる。
http://www.google.com/search?q=%83t%83F%83%60%83Y%83%80&hl=ja&lr=
442フヘフヘフヘ:01/09/21 20:17
まだこのスレやってた。
ひとまず、>>345.346に「解りにくい表現を使って、煙に巻くな。」と言いたい。

単音は、ある程度は独立した効果を持っている。
また、他の要素との関係によって生じる効果もある。
前者だけではないし、後者だけでもない。両者を把握してこそ音楽理解に繋がる。
443考える名無しさん:01/09/21 20:22
>>442

オマエ何様のつもり?
444フヘフヘフヘ:01/09/21 20:23
間違い。

>>345.346 → >>435.436
445フヘフヘフヘ:01/09/21 20:25
>>443
>オマエ何様のつもり?

少なくとも君よりは音楽の仕組みに詳しい人のつもり。
446考える名無しさん:01/09/21 21:25
>>442
うんなことたーわかっとる。
当たり前のことを、ありがたいお言葉のようにさらすな。
447フヘフヘフヘ:01/09/21 21:48
>>446
君に言ってない。うざいから向こう行って。
君は分かっているかもしれんけど、分かってない奴がいるから書いてんだよ。
誰か知りたければ、過去ログよんで。
448考える名無しさん:01/09/21 22:25
>>447
それって>>435->>436のこと?
449考える名無しさん:01/09/22 00:01
「論外を示す」←ハァ?だれも言ってないってこんなの。
括弧の使い方も知らないドキュンの退治がうやむやになって
気分わりー。もうこんな奴相手にしても仕方ないけど、チョーワ君とか
土屋バカみたいな低脳厨房っていまのうちに潰しておかないと社会の
迷惑なんだよな。結局、土屋の本読めとか言った本人が読んでないようだし(ワラ
それがバレたからって分かりやすい自作自演とか幼稚な煽りとか始めるし。
全くとんでもないガキだな。どうせまたこれ読んでつまんないレスつける
んだろうけど、もうお前を相手にする暇ないからこれで終わりな。今度は
お前のレベルに合った相手に暇つぶししてろよ。
450考える名無しさん:01/09/23 13:41
メロディ作る時のこうでなくてこうっていう基準あるけど、
なぜ作曲者はその音を捨てたかって思う。メロディをちょっと
変えれば良くなるのに、その潜在性っていうのかな、そういうのを
完全に捨てるような行為を見てると実にいまいましい。それ以外にも、
メロディって大きな文脈次第で聞こえが変わるのに、一面的にだめなメロディ
って決めることはだめだってこともいえるんじゃないか。
451考える名無しさん:01/09/27 07:03
        ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′  ̄ ̄( ゚Д゚)< マターリ マターリ
  UU ̄ ̄ U U  \_____________
452考える名無しさん:01/10/03 04:03
良スレにつきアゲ
453考える名無しさん:01/10/08 04:25
ワーグナーを聞きながら。
454考える名無しさん:01/10/08 04:41
僕はコルトレーンのMY FAVORITE THINGS聴いてます。
455考える名無しさん:01/10/12 22:34
クセナキスの思想は何やらすごいらしいですが、みなさん哲学的背景などご存知ですか?
456考える名無しさん:01/10/12 23:08
クセナキスの自然観が音楽に反映されているらしいですが?
457考える名無しさん:01/10/12 23:51
>>450

メロディーは一気に流れるがごとく湧き出てくる場合が多く、
クリエイトした後に浄化作用が働いて、精神的に完結してしまう、
ってケースが多々あると感じます。だから、あえて手直ししない。
書道のような。
それと、部品を集めてというよりは、全体の流れが構成音が
決まってるので、部分を変えると、少しチグハグになることが多いです。
もちろん、フレーズ単位(数小節単位)ならば、さほど違和感ないですが。
458考える名無しさん:01/10/12 23:54
>>453

その曲、なぜか初夏のイメージで聞きます。
少しけだるいけど爽やかな気分になれる。
459考える名無しさん:01/10/13 00:21
糞スレあげるなボケ
460Iridium:01/10/13 00:49
>>459
定義のほうよろしく。
461考える名無しさん:01/10/13 01:19
>>460
ハァ?
462音大中退:01/10/13 13:13
音形説だの神秘主義だの音響心理だのやってみたが
結局音楽も言語の一種であって世界共通の音楽解釈など
ないという結論に達してしまった
つまり音を追求していくと言語以前の快感原則=本能の問題になる
クスリでもやったほうが早道だ
俺はもう考えるのをやめた
463b:01/11/09 11:36
「結局音楽も言語の一種であって世界共通の音楽解釈などない」
という先件が
「音楽解釈などやってもムダ」
という後件に帰着するのはなぜだろうね。論理的にヘンじゃん。
「世界共通」の解釈以外は意義がないという、この普遍主義。

音楽について語る欲望には、なぜこのようなプラトニズムが蔓延するのだろう。
むしろそのことの方が(音楽そのものよりも)重要ではないだろうか。
464考える名無しさん:01/11/09 12:06
音って「物」なんですよ。
音には具体的な形がある。物体です。
これは物体か、そうでないかをどのように区別し得るか、
そして果たして明確に区別でき得るか、などの命題に関係してくる。
「物体は触れることができが、音には触れることができないではないか」
などという反論などは最早意味がない。
音は人間が「(振動として)触れる」から認識できる、あるいは認識できていると想像し得る。
ていうか、そもそも聴覚と視覚、あるいは触覚などが各々分離可能なものなのか。
各々の器官は独立しており、ゆえに独立して語ることが可能だと言えるのか。
お前らそこらへんどうお考えになりますか?
465クボタ:01/11/09 12:27
白石美雪は不器用だった
俺が教えてやろう
466yhu:01/11/09 12:30
>>464
音は言語ほど明瞭に分節されてないんですよ。
だからいくら音を(物理的に)認識したところで
それは言語では(一義的には)記述しえない。
そのために音楽哲学はさまざまな(アクロバティックともいえる)
語り方を開発してきてんだよ。
それも知らずに暢気になにか分かった気になってめでたい限りですなあ。
音が物?じゃあピタゴラス以降の西洋音楽思想史はどうなるよ?
共感覚?だからそれがどうした?寝言は寝て言え。
467考える名無しさん:01/11/09 12:41
>>466
アクロバティックになる必要などないってことだよ。
音自体が言語なのではなくて、音以外の事物を言語化するのと同じ行為として
音を言語化できると言ってるんだよ。
音が物でないとすれば、この世に「物」など存在しないことになるよ。
ていうかお前、虚無主義者ですか?
468 :01/11/09 14:02
またアフォがいた>467
469考える名無しさん:01/11/25 21:25
age
470考える名無しさん:01/11/26 00:21
>>467
言語化と表現するからまずいのでは?
意思疎通の(精神疎通)の言語以外のひとつのツールという
表現のほうが正しいのではないですか?
471考える名無しさん:01/11/26 00:40
お初です。いきなり辛口になりますが、ビ-トルズってあの時代
全てやり尽くしちゃったバンドなのね。ロックと管弦楽との融合、
またはオ-ケストラとの。「ヘルタ-・スケルタ-」でのヘヴィメタへの発芽。
「サ-ジェント〜」は初のコンセプトアルバムなんて事で評価高いけど、
なんのことはない、自分らをパロってあんな傑作アルバム作っちまったのよ。
全てのアプロ-チは全部、ビ-トルズが試みてる訳。だからこそ、その後の
ア-チストは苦しいんだよね。だって、やること全てがビ-トルズの焼き増しに
なっちまうんだから。音楽やってる連中は「ビ-トルズ」という存在から決して
逃がれられないし、「ビ-トルズの影響なんて受けてない」などと抜かす
音楽家いたら、そいつは最終学歴幼稚園卒やろね。
「LET IT BE」「YESTURDAY」?あんなのビ-トルズの中じゃ屁にもかからん
曲に過ぎないよ。ま、それらが名曲だと思うんなら、それはそれで幸せなの
でしょな。音楽の教科書にも乗ってるようだし。中学レベルで留まるか?
472マイケル・ナイマソ:01/11/26 01:14
>>471
へ?

君、実験音楽と前衛音楽の区別わかる?
コーネリアス・カーデューの再発聞いてから出直したら?
473考える名無しさん:01/11/26 01:59
>>472
コピペだよ、マジレス厳禁ね♪
474考える名無しさん
フヘ^3は 真性デンパです。相手にしないように。