語り得ぬものには沈黙しなければならない

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1考える名無しさん
 
2考える名無しさん:2001/07/22(日) 21:36
1が沈黙してどうする?
3考える名無しさん:2001/07/22(日) 21:36
ん〜
これは不覚にも思いつかなんだ
ニヤリしちゃったよ。
4考える名無しさん:2001/07/22(日) 21:41
下等生物がウザがられるのは、奴が
恐ろしくものわかりが悪いからだと思うんだ。
5名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 22:37
名スレ!
6考える名無しさん:2001/07/22(日) 22:43
これはうまい





   
7考える名無しさん:2001/07/22(日) 22:46


 
 
8ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:47
語り得ぬモノ・・
此を語る時
それは詩になるだろう・・・

あ〜え〜らやっちゃえ〜らやっちゃ
うんこちんちん!
9ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:49
ちんぽ!
10考える名無しさん:2001/07/22(日) 22:50
宇宙ヤバイ
超ひろい。
11ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:50
うんこ
12ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:51
10よ!!
おれいまそれ書こうと思ってた
やられた〜!
13ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:52
まんこ
14哲人:2001/07/22(日) 22:56
おまえらやめろって!
15考える名無しさん:2001/07/22(日) 22:57
静かにしろ!!!!!!!!!!!!
16ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 22:57
宇宙ヤバイ
超ひろい。 教、もしくは科学、いや若しくは宗教もしくは賃歩
着々とひろまっておるな・・・・フムフム。
17ぶ〜!!!:2001/07/22(日) 23:01
げへへへぢゅ〜を〜っ
しゅ〜っきょうぇ〜の」怖さはをしつてるくあい??
哲人28合もあへあへ〜
18哲人:2001/07/22(日) 23:02
やめろって!
19考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:13
皆さんは本や芸術作品、または他人の崇高な行為(今の時代では難しいかも…)など
に接して、言語化できないほどの感動に打たれたことがありますか?
私は生涯を賭して、他人に上述のような感動を与えるような人間に
なるために修養していきたいと思います。
マジレスカコワルイ、デスカ?
失礼しました。
20考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:14









21ぶうう:2001/07/22(日) 23:14
てへっ
とへっ
まひょっ
22哲人:2001/07/22(日) 23:17
>>19
かっこいいよ!
23考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:18
科学者なら分からないことは分からないというべき
何がわからないかを認識してこそ先に進める
24ぶうう:2001/07/22(日) 23:19
>皆さんは本や芸術作品、または他人の崇高な行為(今の時代では難しいかも…)など
>に接して、言語化できないほどの感動に打たれたことがありますか?
>私は生涯を賭して、他人に上述のような感動を与えるような人間に
>なるために修養していきたいと思います。
>マジレスカコワルイ、デスカ?
>失礼しました。
勝手な補足として「言語化」を「ある定型認識」と変えたい。
ブラボ〜〜〜!!
25考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:19
哲学って何に関して論じる学問なんですか?
26考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:22


 




  


 
27考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:22
何でも論じて良い学問です・・・。
28考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:25
カッコワルクナイデス。19サン。
29考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:25
何でも語れる=語る対象がはっきりしない。
哲学者は何も語ってはいけないのである。
30考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:31
何を語ってもよいが
>>29のように意味不明なことは
語らないように注意しよう。
31ぶうう:2001/07/22(日) 23:31
おもいっきり哲学して、そしてそれがうち砕かれたときに
ひとを感動せずにはいないでしょう。
さあ哲学せよ!そしてうち砕かれよ!
32考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:31
ヴィトゲンシュタインが言ってたね。誰でも知ってるか・・・。
33ぶうう:2001/07/22(日) 23:32
31日本語かなり変です・・  はい
すいません。
34考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:33
31さん、なんか自暴自棄ですな。
35ぶうう:2001/07/22(日) 23:35
>>32
そうなんだ
でもそういう言葉とかっていっぱいあるよね
なあんだ
同じ事考えてる人がいるんだって
さすが先人!
36考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:38
語り得ぬものって、人が感動した理由でしょ。ようするに。
哲学そのものを論じるのは、別スレじゃあないの?
37ぶうう:2001/07/22(日) 23:40
>>34
んなこたあない(たもり口調
だっておいら「実存(主義)」だぎゃー
38考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:41
ラムジー曰く「語り得ないものについては語り得ないのだし、口笛で吹くこともできない」
この人があと十年くらい長生きしていたら、後期ウィトゲンシュタインの哲学はどうなった
ろうか?
これこそ語り得ないことかもしれないが。
39ぶうう:2001/07/22(日) 23:42
>36
そっか
本末転倒っちゅうえばそうだな・・
40考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:44
38さん、あはは。その通り。
41考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:47
でもこのスレ、語り得ないで終わっていたら
その先続かないよ〜。もっと哲学エキスパートさん来て、来て。
教えて。
42ぶうう:2001/07/22(日) 23:50
>>38
そっか
サウンド(口笛)も出せないのか・・
(多くの場合)息をのむ・・
一切の行為は止むのか。
そして(所謂)ラムジー的「実存」とは・・
ケージを出さずにはおれない・
43考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:54
もうケージなんて過去の人でしょ。その時はかなりインパクトあったけど、
あれ(無音)はもう誰も真似できないね。ケージえらい!
44考える名無しさん:2001/07/22(日) 23:55
ぷうう=WIZ
45考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:03
ぷうう=WIZ ってホンとですか?
そんならもっと高度な話題をご提供くださいな。
46ぶうう:2001/07/23(月) 00:07
ケージが過去の人だって・・
まあファッションでCDはべらせてんだろうけど・・
「過去のひと」に「過去の人」ったってねえ・・
おれはケージなんてきいたことないよ。
47ぶうう:2001/07/23(月) 00:08
おまけに
行為自体は
まねする必要なし

だね
48考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:11
WIZはだまれ!
49ぶうう:2001/07/23(月) 00:13
wizて誰だよ
50考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:18
フランシス・ベーコンの絵なんか語り得ないな〜。
誰も語らんといて。
51考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:19
ちがった!
ごめん!
52ぶうう:2001/07/23(月) 00:22
モネもマネもダリもカンディンスキーもピカソもエッシャーも
だれも語り得ないな〜。
だっふんだ!
53考える名無しさん:2001/07/23(月) 00:28
なんのはなししてんの?
54考える名無しさん:2001/07/24(火) 00:26
沈黙には二種類ある。
一つは端的に黙り込むこと。
もう一つは何かについて語らないでおくこと。
語り得ないことについて沈黙するというのは後者に当たる。
だが、その沈黙はある意味で語りの一種である。
なぜなら、その沈黙は「について性」をもつから。
すると、ウィトゲンシュタインの立場は徹底していないように思われる。
その不徹底さを欠陥とみるか、それとも別の見方をとるかは自由だが。
55考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:09

 
56考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:12
沈黙してるのですね。
57考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:20
>>54
言語ゲームの導入によって語り得なさの質が変わったよ。
話し言葉、身体言語、芸術、宗教と
およそ人のなしえる全ての行為が言語ゲーム内に取り込まれたことによって、
言語ゲームの背後に何らかの実体を想定するということが不可能になった
つまり、そうした言語ゲーム内部で生きる限りは何の問題もないけど、
そうした生き方を対象化し、それをいわばメタ的に語るやり方はもはや無意味である。
5857:2001/07/25(水) 01:22
ごめん、これを言っておかねば。
>>57は永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』を読んだ上での
中期ウィトゲンシュタイン解釈のスケッチだよ。
59考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:26
ウィトの後期の哲学は楽しいなあ〜。
60考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:29
というか、ただ『ウィトゲンシュタイン入門』をまとめただけでは?
61考える名無しさん:2001/07/25(水) 01:32
>>60
ま、まとめただけでも別に良いじゃん。
62考えない名無しさん:2001/07/25(水) 20:50
そうだそうだ
63考える名無しさん:2001/07/25(水) 23:30
永井均はすごいなあ
64キェルケゴール:2001/07/25(水) 23:33
真に沈黙することの出来る者だけが、真に語ることが出来る。
真に語ることが出来る者だけが、真に行為することが出来る。
65Rage Against The Philosophy:2001/07/25(水) 23:35
言語ゲームって何よ?
66考える名無しさん:2001/07/25(水) 23:42
判断は事実上ただぶつぶつ言うことに帰着する。
67考える名無しさん:2001/07/25(水) 23:59
ルールのない将棋
68考える名無しさん:2001/07/26(木) 00:00
いや審判であり選手でもあるサッカーだろ。
69@名無し:2001/07/26(木) 00:14
命題:「語り得ぬものには沈黙しなければならない」
逆:「沈黙しなければならないものは語りえぬ」

これは偽じゃない?
「沈黙しなければならないものは『語らない』」ならわかるけど、
「語り得ない」ってできないんじゃなくて、語ることはできるけど、『沈黙しなければならない』というルールがあるからに過ぎないと思うんだけど?
実際私語禁止の授業でも語らないだけで、それを破って語ることできるしね。
沈黙しなければならなくとも、可能性、潜在性としては語れると思うんだけどね。
これって論理学的じゃない考えかな?
教えてちょ!
70考える名無しさん:2001/07/26(木) 00:17
論理学的な文を書くには、先ず集合論を学んだ方がいいと思うんだ。

俺は。
71考える名無しさん:2001/07/26(木) 00:20
>>69
「語り得ぬ」というのは、素直に「語ることが論理的に不可能」と解釈
するのがいいように思います。
すると、「すべての事柄xについて、xについて語ることが不可能ならば、
xについて沈黙しなければならない」とパラフレーズできます。
この逆をとると「すべての事柄xについて、xについて沈黙しなければな
らないならば、xについて語ることが不可能である」すなわち、「沈黙し
なければならないものは語りえぬ」と同じです。
72ぱらどくす:2001/07/26(木) 00:24
カウンセラー「どういったことでお悩みですか?」
相談者「先生、私には悩みがないってことが悩みなんです。」
73考える名無しさん:2001/07/26(木) 02:03
だーーーーー XについてXが あーっと あーーーー
74変わった言語ゲーム:2001/07/26(木) 02:48
あなたは日本語を理解しますか?
75考える名無しさん:2001/07/26(木) 02:55
>>74
What did you say?
76考える名無しさん:2001/07/26(木) 03:00
>>74
いいえ
77考える名無しさん:2001/07/26(木) 03:21
どーでもいいが、いくら天才とは言え、「論理哲学論考」で、語り得ぬものを除いて全てを語ってるはずねーだろ、と思うのだが。


>>69

ヴィトゲンシュタインがそんな低レヴェルなところでつまずいてるはずはないので、69は自分で考えるように。
78考える名無しさん:2001/07/26(木) 03:24
ウィトゲンシュタインってバカっぽくない?
論理のみを追求して、謎はないって言ってんでしょ。
よくラッセルは付き合ったね!
79考える名無しさん:2001/07/26(木) 04:32
ラッセル馬鹿だし。
80考える名無しさん:2001/07/26(木) 04:44
ウィトゲンシュタインとかサルトルとかハイデガーとかデリダとか
ヒュームとかショーペンハウアーとかやってると、頭おかしくなってこない?
人生嫌にならない?
凄い哲学者である事は認めるけど、信奉するような哲学者じゃない
様な気が、本人も不幸せそうだし、ハイデガーなんて一歩間違えば
ナチスだよ、どうですかこれ。
81考える名無しさん:2001/07/26(木) 04:49
信奉しなければ別に良いではないか。
82考える名無しさん:2001/07/26(木) 04:53
>>81
でもこういう哲学者に限って信奉されてない?
83考える名無しさん:2001/07/26(木) 05:02

良くわからんときは黙ってろ

−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−
84考える名無しさん:2001/07/26(木) 05:11
>>83
それは逃げだよ!
85考える名無しさん:2001/07/26(木) 09:07
 
86考える名無しさん:2001/07/26(木) 09:37
だから信奉しなければいいだろ。
87WIZ:2001/07/26(木) 13:32
なんだか すばらしい言葉じゃないの >1
88考える名無しさん:2001/07/26(木) 20:44
うんうん、信奉しなければ良い。凄い哲学者だからって信奉する方が間違ってる。
89考える名無しさん:2001/07/30(月) 22:46
「凄い哲学者は信奉されるべき者である」というのは
文法的命題なのである。
従ってこの命題には通常の用法がないが、
ただこの命題を否定しようとする者に対してだけ
有効に働く。
90考える名無しさん:2001/08/24(金) 22:32
永井均ぜんぜんウィトを理解してないと思われ。
91考える名無しさん:2001/08/24(金) 22:59
>>69
あなたが誤訳を元に議論しているだけ。
‘Wovon man nicht sprechen kann, darueber muss man schweigen.'
の‘muss’は文法的には命令にも必然にも取れる。
しかし、論考の著者によれば、人は意思によって事実を変化せしめることができない。
しかるに、語ったり語るのを止めたりするのは、諸事態のうちからある事実をあらし
めることである。従って、それを人が意思によってなすことはできない。意思によって
なすこと(止めること)ができない事柄に、禁止をしても無意味である。従って、
この‘mussenn’は、命令でなく論理的必然(mussenn nichtなので、論理的不可能性)
を、あらわしている、と7番は解釈せねばならぬ。
よって
「語りえないことについては、人は沈黙せざるを得ない。」
と訳されるべきなのです。
92考える名無しさん:2001/08/24(金) 23:01
そいつと共にバカになれってことですか。
おまえだけなってろ、。
93考える名無しさん:2001/08/25(土) 00:07
>>91

面白い意見ですね。ちょっと詳しく聞きたい。

『論考』の7番のmussenが論理的必然性だったとして、そうすると、「語りえないことについて、人は論理必然的に沈黙するしかない」ということですね。
ところで、「語りえぬもの」が何を指しているかと言えば、一言で言えば「真偽判定できない命題(=無意味な命題)」でした。
その中でも、さらにウィトゲンシュタインにとって重要な意味を持つ命題と、本当に排除すべき擬似命題に分かれるのでしょうが、この際それは関係ありません。
重要なのは、現実に僕らは、その「無意味な命題」にを語ることができてしまう点だと思います。
たとえば、僕が「神は存在する」と口にするだけで、「語りえぬものについて語る」という事態は事実として成立するのではないでしょうか。
素朴な疑問ですが、どう思われますか?
94考える名無しさん:2001/08/25(土) 00:13
>「真偽判定できない命題(=無意味な命題)」
なるほど
さらに付け加えれば
真偽判定ができるかできないかが分からないものは語るに値するが
真偽判定ができないことが分かっているものは語るに値しないということか
95考える名無しさん:2001/08/25(土) 01:41
>>94
>真偽判定ができるかできないかが分からないものは語るに値するが
>真偽判定ができないことが分かっているものは語るに値しないということか
いや、真偽判定ができるかできないかが分からないものは語るに値するかどうかも
わからない、ということではないかな?
96考える名無しさん:2001/08/25(土) 01:44
>>95
真偽判定ができるかどうかを語ることは意味があると思うけど
その結果
真偽判定ができる →語るに値する
真偽判定ができない→語るに値しない
97考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:05
>>96 自己レス
真偽判定ができるかどうか       →語るに値する
真偽判定ができるかどうか分からないもの→結論は保留
ということかな
98考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:13
ルールがまるで理解できないのですが。
99考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:48
100考える名無しさん:01/08/26 12:57
>その「無意味な命題」にを語ることができてしまう点だと思います。
>たとえば、僕が「神は存在する」と口にするだけで、「語りえぬものについて語る」
>という事態は事実として成立するのではないでしょうか。
「語ったり」「語らなかったり」されるのは事態であり、その表現は命題です。
従って、無意味な擬似命題を語ることはできない、ということについての議論ですね。
事例(1)
「時間は甘い」という擬似命題を発話することはできるではないか。この問いについて
は、連続音声「ジーカーンーハ-アーマーイ」を発しているが、それは言語的意味を
持たず従って命題でない。ゆえに、命題を主張しているのではない。
事例(2)
「「倫理は美より高貴である」(という事)は言表不可能である」
ここでは「言表不可能であるは擬似命題「倫理は美より高貴である」に言及している
(命題内容にかかわらない)で使用(命題内容が機能する)してはいない、ので、そ
の点では問題ありません。

で、語りえぬものについて語る ように思われる事態は、『論考』の術語とその他の
テクニカル・タームに従うならば、語りえぬものについての擬似命題について、言及
しているのみであって、その事態を「語っている(sagen)」わけではないのです。

ということで、『論考』はその点では誤っていません。

ターム
101考える名無しさん:01/08/26 20:27 ID:l8Wb1P9o
>>94
『論考』の著者によれば、語りえない、従って記号化した場合擬似命題にしかならな
い(非命題)は、真偽判定ができないのではなく、真偽がないのです。
真偽判定ができない、という条件規定では、意味の検証原理が前提されない限り(そ
して『論考』においては意味の検証理論は明らかに採られていない)、真偽判定が
出来ないが有意味な命題は、存在しえます。そして『論考』においては、真偽判定
不能だが有意味な命題は語りえます。何故なら、語りえる条件は意味がある事であ
って、真偽判定が可能な事ではないからです。
102考える名無しさん:01/08/26 20:27 ID:fFw0i7VQ
test
103部外者:01/08/26 23:22 ID:/kysorVA
 スレッドの題名に惹かれてやって参りました。ようわからへんけど、ええ話が
いっぱいカキコされてますなァ。
 哲学はあんましようわからへんのですが、語らない(コミュニケートしない)ために
沈黙することもあるし、逆に意味のないことを喋りまくることもありますな。
せやけど、言葉になれへんもの、それに対応するシニフィアンのないもの(こない
言うてええんかどうかわかりませんけど)を無理矢理語ろうとすると、何言うて
るんかわからんようになりますな(支離滅裂)。わかってもらえへんけど、無理矢理
言うてたら、頭がおかしいということになるんでしょうな。それが嫌なら黙らんと
仕方がありませんな。そういうことですか。
 誰か、教えてくだされ。お願いしますわ。
104考える名無しさん:01/08/27 06:34 ID:lNx1TzhM
1はスレも立てなければなおよかった。
105考える名無しさん:01/08/28 01:51 ID:T2jSkO.6
>>100
要するに、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
とは
「語りえぬものについては、語りえない」
ということを言っているということか。
106考える名無しさん:01/08/28 23:13 ID:S958ODKA
「語る」ということはどういうことでしょうね。
「説明しえる」と同義ですか?
「沈黙によって語り得る」ということが可能かどうか
107考える名無しさん:01/08/28 23:45 ID:aggqN/iU
>106
>「語る」ということはどういうことでしょうね。「説明しえる」と同義ですか?
まったく違います。
「語ら」れる事実に対して写像を造ることが出来、写像された産物は論理像としての
命題である。従って、事実と論理構造がイソモルフィックなそのような命題を「の
べる」(もしくはむしろそのような命題が写像されかつ記号を伴って命題表現となさ
れる)その事です。

『論考』においては「説明」という概念は入りこむ余地を持ちません。
108考える名無しさん:01/08/28 23:46 ID:aggqN/iU
『論考』においては「説明」という概念は入りこむ余地を持ちません。

これはいいすぎでした。ある意味では「説明」Erklaerungは重要な機能を
担わされています。
109考える名無しさん:01/08/28 23:59 ID:yyqkcAII
>>93
 7番論理的不可能性説を補強します。
Vorwort第2パラグラフに於いて『論考』の著者は以下のように述べています。
‘Was sich ueberhaupt sagen laesst, laesst sich klar sagen; und wovon
man nicht reden kann, darueber muss man schweigen.'(「凡そ語られ得るものは、
明確に語られ得る。そして、陳述(reden)し得ぬものについては、人は沈黙mussあ
る。)
ここで、前半分は疑いなく可能性について述べており、前半と後半がついになっていることも
明らかでしょう。従って、序の当該部分の後半部は論理的可能性の対概念としての
論理的不可能性について述べている、と解されてしかるべきです。
 そして後半部はredenとsprechenの違いはあるものの、7番と言われていることに
違いがあるとは思えません。従って、7番のmussenも論理的不可能性と捉えられる
可きだ、という論証も存在します。
110考える名無しさん:01/08/29 00:12 ID:7Qj/l75g
己で悟るべきこともあるのだから
騙りまくるだけでも能がないんじゃないの
111考える名無しさん:01/08/29 00:19 ID:18x4P5g.
>>109
すると、『論考』の最後の一文は、
〜◇P→□〜P
ということでしょうか?
(「〜」は否定、「◇P」は「Pが可能である」、「□P」は「必然的に
Pである」という意味だとします)
もしそうだとすると、通常の様相論理の体系では「P」がなんであれ、上
の式が成立するので、ウィトゲンシュタインは相当些末なことを言ってい
るような気がします。
もちろん、彼がそんなつまらない事を言ったはずはないからこの解釈は間
違いだ、などと主張するつもりはありません。
112考える名無しさん:01/08/29 02:10 ID:hmRL8Y7c
>>111
語ることの否定は沈黙とは限らない.
113考える名無しさん:01/08/29 02:37 ID:lksyRyoM
>111
ヰトゲンシュタインの(特に『論考』でのやり口一般からして)語る気になっている
(彼にとっては瑣末な)事を記述して、実はそれより遥かに重要だと思っていること
を示唆する、という手口を勘案すると
(1)瑣末な事を述べている(論理的必然)ことによって、沈黙することの重要さ・あ
あるいは価値観を訴えている(こちらはsollen)
(2)当時の哲学的状況からして、ヰ氏の哲学観からすれば誤謬である「擬似問題への
議論」を議論として門前払いする(ことによって、議論でない世界の相違として気づかせる)
事を意図している
というヰ氏の戦術だとすれば、一見トリヴィアルに見えて実は重要なことではないか、と思
います。ただ、従来の解釈は、文面上の表面的主張を飛び越えて、いきなりヰ氏の価値
観を7番に読み込んでいる点で誤謬である、というのが私の理解です。
114考える名無しさん:01/09/03 01:52 ID:cXHq.8Us
ところで論理哲学論考ってどの翻訳がお勧めでしょうか?
大修館全集(奥雅博訳),法政大学出版局(藤本隆志訳),
中央公論新社(山元一郎訳),産業図書(黒崎宏訳,読解),
平凡社(黒田亘,抄訳)と色々あるようで….
115名無しさん@一周年:01/09/03 03:39 ID:ro/duS6E
afe
116いぬ:01/09/03 22:37 ID:gvRur9V2
くろさきさんのがよかった。意訳も多いけど、文章がよみやすいと思った。
117考える名無しさん:01/09/03 23:37 ID:PcL7C0cc
とりあえず、ざっと流して読むなら、山元訳でいいのではないでしょうか?
「世界の名著」なら古本屋に転がっているし、最近出た版(赤い装丁の本)
は、今のところいちばん入手しやすいし。
これからずっとウィトゲンシュタインにつき合っていくつもりになら、東西
両横綱(東が黒崎氏、西が奥氏)の著作は嫌でも読むことになるので、まず
は御大の訳語に馴染んでおくのもいいかもしれません。
118ファ派:01/09/04 00:12 ID:c3QM5E0Q
 ニーチェの哲学は、現状打破の哲学です。
 キリスト教を否定し、神は死んだと述べました。
 神の死の宣言は、当時のキリスト教関係者を激怒させ、強い反発と攻撃が行われました。
 ニーチェがなぜ宗教を否定したのかというと、宗教は後ろ向きのもので、現実の日常生活から逃亡していると考えたのです。
 それが正しいかどうかはわかりませんが、イメージは伝わります。
 現代社会をニヒリズムの時代であるとし、プラトンの主張も否定しました。
 真なる存在はないとし、真理は嘘だというのです。
 存在のニヒリズムと、価値のニヒリズムがあり、生きていることに目標がない、世界にも、歴史にも意味がないとか、いろいろ述べています。
 ニーチェが述べたいことは良くわかりませんが、現代的といえば現代的です。
 伝統的形而上学と、近代的形而上学がどう違うのかわかりませんが、要するに難しいということです。
 キリスト教は崩壊してしまったとニーチェは述べていますが、この人が生きていたのは大昔です。
 そのことを考えると、今のキリスト教は、もう化石常態か、痕跡すらも残っていないことになります。
 しかしどうもこの無意味説には納得がいきません。
 何でも否定すれば、いかにも賢いかのように見えますが、実際は怠け者の負け犬の遠吠えに聞こえるのです。
 絶望して悲しい顔をしていれば、周囲から同情を集められるという、詐欺師の芝居のような感じがします。
 ニーチェが哲学の分野で何度も登場してくるのは、現代的な感じがするからでしょうが、ニーチェが正しいとは言えません。
 むしろ大失敗をした見本として、間違った思想家の墓標として、見せしめとなっているような気がします。
 これは哲学の罠であり、哲学を腐敗させている根本原因で、あらゆるものを否定し、あらゆるものを批判し、悩む顔つきだけで世間をだますという誤解を生みました。
 哲学も文学ではなくて、科学であるべきで、単なる言葉遊びの朝廷貴族の娯楽ではいけません。
 ブルジョア階級の怠惰なごまかしで終わってはいけないのです。
119考える名無しさん:01/09/04 00:12 ID:c3QM5E0Q
すると、『論考』の最後の一文は、
〜◇P→□〜P
ということでしょうか?
(「〜」は否定、「◇P」は「Pが可能である」、「□P」は「必然的に
Pである」という意味だとします)
もしそうだとすると、通常の様相論理の体系では「P」がなんであれ、上
の式が成立するので、ウィトゲンシュタインは相当些末なことを言ってい
るような気がします。
もちろん、彼がそんなつまらない事を言ったはずはないからこの解釈は間
違いだ、などと主張するつもりはありません。
120考える名無しさん:01/09/04 00:12 ID:c3QM5E0Q
>>94
 7番論理的不可能性説を補強します。
Vorwort第2パラグラフに於いて『論考』の著者は以下のように述べています。
‘Was sich ueberhaupt sagen laesst, laesst sich klar sagen; und wovon
man nicht reden kann, darueber muss man schweigen.'(「凡そ語られ得るものは、
明確に語られ得る。そして、陳述(reden)し得ぬものについては、人は沈黙mussあ
る。)
ここで、前半分は疑いなく可能性について述べており、前半と後半がついになっていることも
明らかでしょう。従って、序の当該部分の後半部は論理的可能性の対概念としての
論理的不可能性について述べている、と解されてしかるべきです。
 そして後半部はredenとsprechenの違いはあるものの、7番と言われていることに
違いがあるとは思えません。従って、7番のmussenも論理的不可能性と捉えられる
可きだ、という論証も存在します。
121考える名無しさん:01/09/04 00:13 ID:c3QM5E0Q
 スレッドの題名に惹かれてやって参りました。ようわからへんけど、ええ話が
いっぱいカキコされてますなァ。
 哲学はあんましようわからへんのですが、語らない(コミュニケートしない)ために
沈黙することもあるし、逆に意味のないことを喋りまくることもありますな。
せやけど、言葉になれへんもの、それに対応するシニフィアンのないもの(こない
言うてええんかどうかわかりませんけど)を無理矢理語ろうとすると、何言うて
るんかわからんようになりますな(支離滅裂)。わかってもらえへんけど、無理矢理
言うてたら、頭がおかしいということになるんでしょうな。それが嫌なら黙らんと
仕方がありませんな。そういうことですか。
 誰か、教えてくだされ。お願いしますわ。         
122考える名無しさん:01/09/04 00:13 ID:c3QM5E0Q
>>104
『論考』の著者によれば、語りえない、従って記号化した場合擬似命題にしかならな
い(非命題)は、真偽判定ができないのではなく、真偽がないのです。
真偽判定ができない、という条件規定では、意味の検証原理が前提されない限り(そ
して『論考』においては意味の検証理論は明らかに採られていない)、真偽判定が
出来ないが有意味な命題は、存在しえます。そして『論考』においては、真偽判定
不能だが有意味な命題は語りえます。何故なら、語りえる条件は意味がある事であ
って、真偽判定が可能な事ではないからです。
123考える名無しさん:01/09/04 00:27 ID:c3QM5E0Q
皆さんにちょっと聞きたいんですけど・・・

>112さんが短くまとめてますけど、「それに向かって態度を
取れないものに対する態度」こそが<他者>に対する態度だ、っていう話、
全然分からなくないですか?

文字面通り取れば、つまり<他者>に対してどんな態度もとれない、って
ことでしょ? たとえそれが独我論的態度であるにせよ、<他者>に対して
何らかの態度をとってるうちは、「それに向かって態度を取れないものに
対する態度」にはなりえないんだし、何の態度をとることもやめちゃたら、
それはもう<他者>に対する「態度」ではありえない。

独我論から始めて他者を開示して、んでまた独我論に戻ってくるのはよく
わかるんだけど、永井さんの書き方では初めの独我論より後の独我論の方が
発展してるような感じじゃない? <他者>を踏まえた独我論みたいな。
でも実際独我論は<他者>を消去して初めて成り立つんであって、結局永井さん
の言ってることは、当たり前か間違ってるかどっちかなんじゃないかな。
124考える名無しさん:01/09/04 00:28 ID:c3QM5E0Q
>>112
すると、『論考』の最後の一文は、
〜◇P→□〜P
ということでしょうか?
(「〜」は否定、「◇P」は「Pが可能である」、「□P」は「必然的に
Pである」という意味だとします)
もしそうだとすると、通常の様相論理の体系では「P」がなんであれ、上
の式が成立するので、ウィトゲンシュタインは相当些末なことを言ってい
るような気がします。
もちろん、彼がそんなつまらない事を言ったはずはないからこの解釈は間
違いだ、などと主張するつもりはありません。
125考える名無しさん:01/09/04 00:29 ID:c3QM5E0Q
>>99
ヰトゲンシュタインの(特に『論考』でのやり口一般からして)語る気になっている
(彼にとっては瑣末な)事を記述して、実はそれより遥かに重要だと思っていること
を示唆する、という手口を勘案すると
(1)瑣末な事を述べている(論理的必然)ことによって、沈黙することの重要さ・あ
あるいは価値観を訴えている(こちらはsollen)
(2)当時の哲学的状況からして、ヰ氏の哲学観からすれば誤謬である「擬似問題への
議論」を議論として門前払いする(ことによって、議論でない世界の相違として気づかせる)
事を意図している
というヰ氏の戦術だとすれば、一見トリヴィアルに見えて実は重要なことではないか、と思
います。ただ、従来の解釈は、文面上の表面的主張を飛び越えて、いきなりヰ氏の価値
観を7番に読み込んでいる点で誤謬である、というのが私の理解です。
126114:01/09/04 02:24 ID:0brNLAP2
>118-125
ふーん,こういう荒らし方もあるのね.

>>116 >>117
ありがとうございます.
実は黒田訳のウィトゲンシュタインセレクションは持っていて
割と読みやすいように感じたのですが
何せ抄訳だし原文に当たるほどドイツ語が読めるわけでもないので
ちゃんと持っておくならどれがいいかなあと思ってきいてみました.
ご意見を合わせると黒崎訳がよさそうですね.
でも括弧が多くてちょっと読みにくそう(w
127ななし:01/09/04 16:32 ID:A0qCxmi6
あげ!
128考える名無しさん:01/09/04 21:42 ID:Tg2ktE3w
>>126
個人的には藤本氏のが「日本語としてかっこいい」と思う。
最後の部分が泣ける・・・
129にいなな(本物):01/09/04 21:53 ID:c3QM5E0Q
 スレッドの題名に惹かれてやって参りました。ようわからへんけど、ええ話が
いっぱいカキコされてますなァ。
 哲学はあんましようわからへんのですが、語らない(コミュニケートしない)ために
沈黙することもあるし、逆に意味のないことを喋りまくることもありますな。
せやけど、言葉になれへんもの、それに対応するシニフィアンのないもの(こない
言うてええんかどうかわかりませんけど)を無理矢理語ろうとすると、何言うて
るんかわからんようになりますな(支離滅裂)。わかってもらえへんけど、無理矢理
言うてたら、頭がおかしいということになるんでしょうな。それが嫌なら黙らんと
仕方がありませんな。そういうことですか。
 誰か、教えてくだされ。お願いしますわ。
130にいなな(本物):01/09/04 21:54 ID:c3QM5E0Q
>>199
ヰトゲンシュタインの(特に『論考』でのやり口一般からして)語る気になっている
(彼にとっては瑣末な)事を記述して、実はそれより遥かに重要だと思っていること
を示唆する、という手口を勘案すると
(1)瑣末な事を述べている(論理的必然)ことによって、沈黙することの重要さ・あ
あるいは価値観を訴えている(こちらはsollen)
(2)当時の哲学的状況からして、ヰ氏の哲学観からすれば誤謬である「擬似問題への
議論」を議論として門前払いする(ことによって、議論でない世界の相違として気づかせる)
事を意図している
というヰ氏の戦術だとすれば、一見トリヴィアルに見えて実は重要なことではないか、と思
います。ただ、従来の解釈は、文面上の表面的主張を飛び越えて、いきなりヰ氏の価値
観を7番に読み込んでいる点で誤謬である、というのが私の理解です。
131114:01/09/05 01:47 ID:6EtxXoxg
>>128
日本語として読みやすいのは素人にとってはありがたいですね.
今日,山元訳を立ち読みしてきましたがこれも割とこなれた日本語のようでした.
正確さ(誤訳の少なさ)についてはどうなのかな?
132二酉 ◆DmVdvcks :01/09/05 11:50 ID:N3yUSlFY
オナニーをさせられたり、汗臭いオマンコを顔に押し付けられたり、
汗でぬれたタオルや下着を口の中に押し込まれたり、
足をなめさせられ踏まれたりします。当然、騎乗位でセック
スもやらされます。何人の汗臭い女に犯され、
何回も愛液や唾液を吹きかけられます。犯された男の人は何度もいかされ
て愛液と自分の精液と先輩の唾液でべとべとになり、声をあげて泣きます。
童貞の人は恐怖で顔が引きつっていました。土下座されても泣かれても
痛がっても、勃起してはセックスして、射精したらまんこや足を
なめさせたり、乳首を愛撫し感じさせたりフェラで無理やり立たせます。
133考える名無しさん:01/09/06 02:07 ID:TlmuFIkA
あんげ
134胡蝶:01/09/06 03:12 ID:goXQIRvo



  知るものは言わず。 言うものは知らず。
135考える名無しさん:01/09/06 03:20 ID:yQB2/ZeA
何もしないことは
何もしないことをしているのであって
あらゆる可能性を孕んでいるわけではない
白紙の答案は0点である
136いぬ:01/09/07 13:21
0は100倍しても0だもんね。すごい数字だ。
でもテストじゃ0点じゃ。
やっぱし1点でもとっとこうか…
137考える名無しさん:01/09/08 01:56
 
138考える名無しさん:01/09/08 20:34
>>114
 初心者にとっつきやすくかつ割に正確なのは山元訳でした(訳注の使い勝手がよい)。
が、敷衍がいれられた黒崎訳が出た現在、後者の方が一般読者向けでしょうね。
139nanasi:01/09/08 20:50
ヴィトゲンシュタイン辞典は学部のレポート書くのにはぴったり。
読み物としても面白い。
140考える名無しさん:01/09/20 11:27
141考える名無しさん:01/10/08 02:14
ウィットゲンシュタインスレで出ていた質問について、これだけ論じられている過去スレがあったんですね。

で、なんで「ねばならない」が定訳になってしまったのだろう?
英訳を参照したため?
142考える名無しさん:01/10/22 18:42
0は存在しない。
143考える名無しさん