キェルケゴール

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1名無し:2001/07/19(木) 03:44
キェルケゴールの著作物に出てくる反省とはどういう意味なのでしょうか?
最近死に至る病を読み出したのですが、分かりません。
2考える名無しさん:2001/07/19(木) 03:58
すべては明日だ
3考える名無しさん:2001/07/19(木) 16:09
文面ださなきゃ答えられん。
4(T_T):2001/07/20(金) 16:48
よく考え分別のあること
5考える名無しさん:2001/07/27(金) 01:11
絶望して自己自身であろうと欲しない場合と又欲する場合ついて、
分かり易く説明してくんろ?
6考える名無しさん:2001/07/27(金) 04:05
その前にまず絶望が死に至るということから始めないか?
そもそもキルケゴールがいう「死」とは私達が知る「死」
とは違うニュアンスで語られてる。教義上の「死」を理解
するところから逝かないと最初っからわけわからんよこれ。
7考える名無しさん:2001/07/27(金) 04:27
何を読めばいいの?
一番良い訳で教えて下さい。
8考える名無しさん:2001/07/27(金) 15:51
>>6
永遠なる死というものがキルケゴールがいう「死」ではないのでしょうか?
つまり肉体的な死をもって終わらない死こそが
キルケゴールがいうところの絶望という名の死では?

というか僕もあまり訳分からないのですが・・・
9斉藤守:2001/07/27(金) 15:55
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10考える名無しさん:2001/07/27(金) 16:15
>>6
そこから出発して、つまり真実の「死」とは人間精神の解放
であり「死」してなお「死」ぬことができない人間精神をもって
生きることが「死に至る病」ということでいいのか?

結局、現代人(当時の西洋社会)の人間精神の病を体系的に
述べているのが「死に至る病」。でもこれ読んでると、
絶望の形態が今の日本人にそのまま当てはまっていて、
なかなか面白い。
11マリーアントワネット:2001/07/27(金) 18:35
>>10
どうして人ごとみたいに
「なかなか面白い」なんて言えるんですか?
じゃあ本当のあなたの哲学は違うところにあるんですね。
それをおっしゃって下さい。
12マリーアントワネット:2001/07/27(金) 18:37
キルケゴールを哲学史の中に位置づけて
それで安心して、何かを分かったように語るのは
違うと思います。
1310:2001/07/28(土) 00:07
>>11
ただ個人的な感想を言っただけでなんで突っかかってくんの?
俺偉そうにいってるか?

>じゃあ本当のあなたの哲学は違うところにあるんですね。
それをおっしゃって下さい。

僕の考え方ってのをここでいえって?何についてさ?
そんなこと言うよりもっとキルケゴールの議論進めようよ。
僕もそんなに頭はよくないけど議論進めるうちに互いに理解が深まれば
それでいいんじゃない?
14考える名無しさん:2001/07/28(土) 00:36
よくわからんのは可能性と必然性のところだな。

第一部、三、この病の諸形態
「自由は可能性と必然性との2つの範疇における弁証法的なもの」

自由ってのは無限と有限の統合から形成されている自己のことで、
これは世間的な価値に重きを置いた精神を脱した時の状態だと思うんだけど
自己が自由になった時、可能性と必然性が生じるというとこがイマイチ
わからん。
15考える名無しさん:2001/07/28(土) 00:57
自由とは可能性と必然性という相容れないものの絶え間ない闘争

うちにのみ存在するというということ。
だから世間的な価値=必然性にのみに価値をおくことから脱することだけでなく、
想像の世界=可能性だけに価値を置くことから脱することも含まれる。
16考える名無しさん:2001/07/28(土) 01:00
へー
やっぱきるけたんてすごいね感心
17考える名無しさん:2001/07/28(土) 01:31
確かに、>>11は唐突に怒りだしているような印象を受けるなあ。
18考える名無しさん:2001/07/28(土) 01:45
こわいよ >マリーアントワネット
19考える名無しさん:2001/08/01(水) 23:22
キェルケの愛を買ったんだけどさ、どうかな。 読了の人感想をプリーズ
20考える名無しさん:2001/08/01(水) 23:25
マリーは厨房、相手すんな
21考える名無しさん:2001/08/05(日) 17:12
age
22考える名無しさん:01/08/30 08:02 ID:gU/Vm2gw
age
23考える名無しさん:01/09/13 15:55
昨日、町を散歩していると、路上にキルケゴールが倒れていました。
危うく馬車が轢くところでした。
そこで、私は絶望というものを知りました。
24考える名無しさん:01/09/14 11:55
埴谷雄高の「自同律の不快」という文句とも関係ありそうだな。
漏れはキリスト信者でないからわからんが、
信心深いキリスト者が絶望と言う罪に直面するときに、
キリストによる贖罪も無効になり、
自己自身について考えようが、考えまいが、
また自己矛盾(罪)に陥る、
そのプロセスが「死にいたる病」ということだろう。
25三流:01/09/24 06:44
キェルケゴールの死にいたる病は岩波文庫の
邦訳されたものを読みました。他のあれかこ
れかなどを読もうとしたらどれを選ぶべきで
すか?
26考える名無しさん:01/09/24 11:05
死に至る病は、岩波訳より、白水社の松浪+飯島訳の方が平易でした。
27考える名無しさん:01/09/24 20:51
死に至る病、一読後、これで終わり?って感じでした。何度も読む必要があるな。反復もうーんって感じ。
俺的には哲学的断片が面白かった。後書読みたいね。でも白水社のは絶版だし。最近出た創言社のは高いし、いいとこの教えて下さい。
28考える名無しさん:01/10/02 02:28
前に挫折した『不安の概念』読みます。読後、また報告させてください。ここで約束しとかないと、又挫折しそうなので。。。
29単独者さん:01/10/05 05:43
卒論あげ。
30ルイ:01/10/05 05:52
 神をしんじられなくなって唯物論的に考えたら世界に先はないって感じで絶望して死んじゃった?んなかんじかねぇ
31考える名無しさん:01/10/05 09:44
キルケゴールおれも期待した。でも意味なかった。なんにも。さあ数学しよ。
32考える名無しさん:01/10/08 04:11
反復って、
 ・振った
 ・後悔した
というだけの話じゃないの?
3327:01/10/08 13:48
反復は、ヨブ記との関わりでの反復の意義や私のギリシャ哲学の素養不足やらで完全に解ったと言うには、程遠いので読後に「うーん」となってしまうんです。
でも成る程、概略はそういうことで、話の展開としては難しいわけじゃぁ無かったんですね。
3428:01/10/19 22:36
うっ!ダメだ。仕事から帰ってくると、テレビ見たり、ネットしてみたり。。。
社会人でユックリ読書できるのは、夕食後2〜3時間なのだが。
その気になればすぐ読めるのに、全然、本と向き合おうとしない俺…。
35考える名無しさん:01/10/29 00:49
がんば
36考える名無しさん
この人にも世界を救うヒントの1つがあるような気がします。