1 :
おっはー:
法律の妥当性の根拠は、どこにあるのか??
立法者の意思では説明できないことはわかっているのですが
だからと言って国民主権原理の下、現在の国民の合理的意思
を探求するとすれば、現在の法律の文言が意味を失ってしまう
これはどのように考えたらよいのでしょうか???
私は頭がわるいのでこのような掲示板にくるべきではないのかも
しれないのですが、皆さんの知恵を貸してください。よろしくお願いします
2 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 01:52 ID:.vBKUP6I
>>1 司法試験にも合格できてない司試浪人厨房だけどお答えしよう。
法律において重要なのは文言のみでルールが決められているということだ。
それで、できるだけ解釈の余地の広くなく、かつ普遍的で妥当な法律が望ましい。
また、文言は単純で短い方がいい。
でないと、「律」と言った意味がない。
数学の公式や定理のように使い易くなければ、法律としては意味がない。
ここまで考えてくると、法律として望ましいのはできるだけ、文言だけを見て
誰もがその趣旨を理解でき、規範としての役割を果たせることだ。
一度、法律として発布され、施行されると、背後の趣旨、立法者の趣旨から
離陸してその法律の文言だけが独立して役割を果たすのが望ましい。
あたかも、数学の公式のようにそれだけ独立して無限なバリエーションで
役立つ利用ができれば良い法律だということになる。
なので、時代の要請に伴い、立法時の趣旨とは違う趣旨で同じ文言の法律が
利用されるような事態になってもそれはそれでいいのである。
憲法の判例でもあったよね。
>>1 そこが、民主主義の根幹をなすフィクションの部分です。
4 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 02:24 ID:gknys03g
究極的には憲法制定権力。
しかし、それはフィクション。
5 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 03:12 ID:wqluzd6A
「悪法」スレの9です。
>法律において重要なのは文言のみでルールが決められているということだ。
>それで、できるだけ解釈の余地の広くなく、かつ普遍的で妥当な法律が望ましい。
>また、文言は単純で短い方がいい。
む、そうでしょうか?それは大陸法的な考えだと思います。英米法(コモン・ロー)
では逆に普遍的なものを定めずに、判例を積み上げることで、ルールを作っています。
このへんについて詳しく知りたい時は、「法の臨界」第1巻の亀本氏の論文「法的思考
の根本問題-ルールとケース」を参考にしてみてください。
私見ですが、もし社会上の普遍的なものが、数学の公式のようにスパッと定められるの
かという問題があります。2さんは、普遍的なものは存在し、それを確定することは可能
とおかんがえなのですか?
また、妥当性の問題については「悪法」スレでも議論されてます。
参考にしてみてください(自分の意見がのってて気恥ずかしいが)
「悪法も法なり」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=991411500
6 :
5:2001/06/21(木) 03:14 ID:wqluzd6A
訂正
×もし社会上の普遍的なものが、数学の公式のようにスパッと定められるの
かという問題があります。
○社会上の普遍的なものが、数学の公式のようにスパッと定められるの
かという問題があります。
7 :
2:2001/06/21(木) 03:57 ID:.vBKUP6I
まったくの自己流の理解ですので一厨房の意見として聞き流して下さい。
自分は数学科卒で数学では生きていけないことを悟り、
司法試験の勉強を始めたどきゅそです。
法学部の講義も一度も受けたことがありません。
>それは大陸法的な考えだと思います。
大陸法というのはフランス、ドイツ系ということですよね。
フランスは数学、ドイツは哲学、現代物理学の本場ですよね。
自分は数学や物理学を大学では勉強してました。
無意識のうちにそちらの考え方になびいていたものと思われます。
憲法院や憲法裁判所の存在もそこらあたりの事情なんでしょうね。
>普遍的なものは存在し、それを確定することは可能とおかんがえなのですか?
そこまでは思ってはいないのですけど、やはり「法律」という形でコンパクト
にまとまっている以上は、普遍とまではいかないまでもある程度の汎用性は
あった方がいいのではないかと思っています。
でも、個人の価値観にもよるところが大きいとも思います。
とりあえず、チャレンジしてみてあとで失敗を是正するのが英米法。
初めから次善の策を可能な限り講じておくのが大陸法。
そんなイメージがあります。
悪法スレも読んでみます。
もうひとこと。
1さんに対する返答としては、恐らく1さんは、、、
法律の文言の解釈を国民の合理的意思に基づいて無限に(とまではいかないだろうけど)
解釈を許していくとわざわざコンパクトなルールを作る必要などはないのではないか?
それなら、問題が起こったときに、その都度、裁判をやればいいだけでわざわざ
初めから法律を作る必要はないんじゃないか?
こういう疑問を持たれたのではないかと思います。
私も法解釈学を学び始めの頃は、こんな恣意的な解釈はOKなのか、
と何度も思ったんですよ。
それで、その私なりの解が
>>2なんですよ。
それからもう一つ。
恐らく「契約」という概念も大事なのではないかと思う。
これは日本人には理解しがたいところじゃないだろうか。
契約において重要なのは契約の文言だけ。
日本人流の口約束じゃだめなんだ。
文言で誤解なく示されていないと契約文書は役に立たない。
恐らくユダヤ、キリスト教文化の影響なんだろうと思うけど、
文言における契約の可能性を追求していくのが欧米流の法律なんだと思う。
日本の法律は戦前はフランス、ドイツ、戦後はアメリカをモデルとしているので、
今、私たちが学習している法解釈学もそうなってしまうんだろう。
国家主権と国民主権の違いについて教えてください。
今日の法学はもちろん国民主権を前提にしてるのですよね。
戦前の帝国憲法は天皇主権。
では、国家主権って具体的に何を指しているんでしょう。
天皇機関説? その場合、憲法制定権ってどうなるんでしょ。
11 :
厨大生:2001/06/21(木) 09:08
法解釈学は科学では無い。
「れひとどぐまてぃーく」の「どぐまてぃーく」は、
聖書を解釈する学問、神学から採用された。
いわゆる解釈学とは語源も、性質も違う。
日本の法解釈学は社会「科学」たる為に、
長らくウェーバーでやってきた。
しかし、存在と当為を分ける事は厳密には不可能である。
あることと、なすべきことは分けて当然。
だけど、それは永遠に達成される事がない。
じゃあ、法解釈学はどういう方法を取れば、科学になるのか?
厨房大学呆学部の僕はわかんないけどさ(逃げ)。
主観-客観図式の妥当性とかになると哲学につながる(かな)?
間主観性、超越論的主観、
云々を使うなりして考えようよ。
じゃなきゃ、哲学版に置いた意味なくない?
デリダの「法の力」を読んだ人とかの意見を聞きたい。
アルチュセールとか。
12 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 16:27
>>10 >国家主権と国民主権の違いについて教えてください。
けんぽーのきょーかしょをぼくのちゅーぼーなあたまであんきしたところによると、
国家主権…国家が、他の国家などの外部のものに対し、独立していること
国民主権…国内において、国民が最高の決定権限を持っていること
これ以上深い意味は知らんのですが、とりあえず国家主権と国民主権では
「主権」の意味が違っていると聞いたことがあります。
13 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 16:37
厨大生いいぞ!
もっと語ってくれ!
14 :
5:2001/06/22(金) 00:15
●2さん
あ、僕は文系ですが、法学部出身じゃないので安心してください(笑
>大陸法というのはフランス、ドイツ系ということですよね。
はいそうです。もうちょっと正確に言えば、ローマ法の影響を直接受けている地域
の法です。イギリスは、ローマ法の影響から免れ(全てというわけではない)ゲル
マン法による独自の法文化が発展しました。
まあ、日本の法秩序自体が大陸法的ですから、その影響をもろに受けてしまうのは
仕方がないですよね。ただ、実は英米法的な秩序が、日本の法秩序に入り込んで、大
陸法的法秩序とコンフリクトを起こしている部分はあります。例としては、刑法と
刑事訴訟法が(昔の大陸法的な刑事訴訟法では、裁判官が直接被告に質問をしていた)
いい例ですね。
>法律の文言の解釈を国民の合理的意思に基づいて無限に(とまではいかないだろうけど)
>解釈を許していくとわざわざコンパクトなルールを作る必要などはないのではないか?
>それなら、問題が起こったときに、その都度、裁判をやればいいだけでわざわざ
>初めから法律を作る必要はないんじゃないか?
>こういう疑問を持たれたのではないかと
う〜ん、これは難しい問題ですね。僕自身の考えとしては、結局のところ制定法の文言だけ
では、全ての社会事象を覆うことはできないのではないか?という立場です。法解釈は別に
恣意的なものを許しているわけではないが、問題は、特に法律で規定されてないものが、裁
判に持ち込まれる可能性が往々にしてある。その時に既存の法律を援用して、結論を作ってるから、回りから見れば屁理屈みた
いにみえるんでしょうね。
15 :
5:2001/06/22(金) 00:28
>恐らく「契約」という概念も大事なのではないかと思う。
>これは日本人には理解しがたいところじゃないだろうか。
>契約において重要なのは契約の文言だけ。
>日本人流の口約束じゃだめなんだ。
>文言で誤解なく示されていないと契約文書は役に立たない。
>恐らくユダヤ、キリスト教文化の影響なんだろうと思うけど、
>文言における契約の可能性を追求していくのが欧米流の法律なんだと思う。
>日本の法律は戦前はフランス、ドイツ、戦後はアメリカをモデルとしているので、
>今、私たちが学習している法解釈学もそうなってしまうんだろう。
「モーゼの十戒」ですか(笑?そうですね〜欧米では、もう何千年も昔から文書
による契約が文化として定着してたみたいですけど。日本はそもそも、「法律」そ
のものの考え自体が、実は馴染めないのではとか思っちゃいますね。実際、今ある
民法典や刑法典も、民衆自体の欲求から出来たというよりは、西欧に追い付くため
に政府が無理矢理導入したという経緯がありますから。
●10さん
>国家主権と国民主権の違いについて教えてください。
これは、12さんの説明に少し付け加えると、国内法と国際法のアクターの
違いとして考えると分かりやすいのではないでしょうか?国内法ではアク
ターが国民主権。国際法ではアクターが国家なので、国家主権。(もっとも、
国際法における「個人」の問題は今ホットな話題ですけどね)
16 :
5:2001/06/22(金) 00:44
●厨大生さん
>法解釈学は科学では無い。
>日本の法解釈学は社会「科学」たる為に、
>長らくウェーバーでやってきた。
>しかし、存在と当為を分ける事は厳密には不可能である。
>あることと、なすべきことは分けて当然。
>だけど、それは永遠に達成される事がない。
これは法解釈学に限らず、社会科学に「科学」を持ち込もうという動き
は今、ヒジョーに下火だと思います。理由は、自然科学の「科学」観そ
のものが今動揺しているからです。そもそも「科学・非科学」の境界
線自体が引けるかどうかかなり疑問符な状態な感じです。
詳しくはここで議論されてます。
「科学哲学・分析哲学を基礎から教えて」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=987628518 僕自身の考えとしては、法解釈学を含む社会科学は、他の方法論から援用するのでは
なく、独自の方法論を指向していかなければいけないとかんがえているのですが。
>じゃなきゃ、哲学版に置いた意味なくない?
う〜ん、法「哲学」的な問題だと思いますけど。もっとも、哲学的な問題とはなにか
という問題もはらんでますが。でも、現実問題として、やれあそこの予備校がどうだ
とか今後の身の振り方とか話している「司法試験板」ではこんな話できないでしょ?
>デリダの「法の力」を読んだ人とかの意見を聞きたい。
>アルチュセールとか。
僕は、英米哲学なら少しついていけますけど、おフランス現代思想は苦手
なので、他の人に聞いて下さい(笑
17 :
名無子21:2001/06/24(日) 19:45
デリダの「法の力」は、「脱構築→ニヒリズム」という批判に答えたもの。
脱構築=正義という図式を出す。「ウィ、ウィ」ばっかりいってる(レス
ポンス=返事、責任)。高橋哲哉読んだ方がわかりいいのかしらん?
後は、法の解釈(執行)が、創造にもなっているという両義性の繰り返し。
つまり、法を維持する暴力が、法を基礎づける暴力にもなっているというこ
と。
でも実際に読んだ方がはやいと思う。短いし。
18 :
名無し:2001/06/25(月) 01:15
このレスを読んでいて思うのは、
「妥当性」って言葉で何を意味するのかをはっきりさせることだと思う。
その上で、自分自身を省察することが重要だと思う。
19 :
考える名無しさん:2001/06/25(月) 23:41
法は脱構築可能。正義は脱構築不可能。なに、みかけほどすごいことを
いっているわけではない。正義とは物自体のようなものだというのだよ。
単純だが、奥が深い。
20 :
K2:2001/06/25(月) 23:58
>法律の妥当性の根拠は、どこにあるのか??
>立法者の意思では説明できないことはわかっているのですが
>だからと言って国民主権原理の下、現在の国民の合理的意思
>を探求するとすれば、現在の法律の文言が意味を失ってしまう
>これはどのように考えたらよいのでしょうか???
法律に妥当性は無いと思います。厳密に
妥当性を追求していけば刑法なんて非生産的な法律は
不要となることは自明ですし。
21 :
通りすがりの愚か者:2001/06/26(火) 00:28
法的安定性と具体的妥当性との間の駆け引き。
>>20 刑法が非生産的というのはなぜでしょうか?
罪刑法定主義の否定? それとも刑自体の否定?
22 :
K2:2001/06/26(火) 01:16
>20
そうです。後者です。
刑罰が犯罪抑止力になるかどうかはおいといて
刑罰は非生産的ですよね?
23 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:18
>>22 それは、反生産的な犯罪行為を抑制することを、君が非生産的と定義するかどうかによるのでは。
24 :
K2:2001/06/26(火) 01:23
間違って送ってしまった・・・
続き
どうせなら財産没収等の社会的・経済的制裁が
有効かつ生産的と思われます。
また、被害者感情のためにも刑罰は必要
というのはあまりにも野蛮です。
それなら死刑・懲役等でなく強制労働等
をさせるべきではないですか?
言っておきますが僕は刑法に賛成です。
ただ法律の論理的妥当性を追求すればこう↑なると
思っているだけです。
25 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:27
>23
刑罰が抑止力になるという論拠は?
極刑があるにもかかわらず他人の法益主体そのものを
消す輩はいるのですよ。
26 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:28
>>24 「財産没収等の社会的・経済的制裁」も基本的に刑であることには代わらないと思いますが。
死刑と懲役刑を対象に論じているのでしょうか?
23に続けますが、たとえばですね、
Aという食品を生産しているとしますね。
Aに虫が入るのを防止することは、生産的ですか、それとも非生産的ですか?
27 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:33
>死刑と懲役刑を対象に論じているのでしょうか
>26さんへ
もちろんそうです。
刑法に言う刑罰についてです。だから虫を防ぐことは
当然生産的、というか当然です。
28 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:46
>>25 そもそも極刑に処したら、その後は二度と犯罪は犯せません。
>>27 罰金刑と科料はどうなるのでしょうか?
虫を防ぐのが生産的なのに、犯罪を防ぐのが非生産的というのがわかりません。
結局、死刑・懲役刑は犯罪を抑止するかという話になるのでしょうか?
29 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:51
いや、犯罪を刑法的刑罰でなく
民法的刑罰で代用すればいいと言ってるだけです。
罰金刑・科料は安すぎます。
財産全部没収ぐらいじゃないと。
死刑にしなくても強制労働等で一生働かせれば
それはそれで生産的ではないですか?
30 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 01:56
>>29 民法的刑罰という概念はありません。
懲罰的賠償という概念なら米国にはありますが、刑罰ではありませんね。
行政罰的なものをイメージしているのでしょうか。
しかし、本質はあなたのいう刑法的刑罰であり、単にラベリングを回避しているに過ぎません。
強制労働があなたの結論のようですが、監視やアコモデーションのコストが、労働による生産価値よりも高い場合にはどうしますか?
罰金刑と科料については、引き上げればすむ話では。
31 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 02:00
一言で言えば全部金で解決したらいい。
という結論です。
長々といいましたが。
民法的刑罰といったのはそういう意味です。
32 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 02:06
>>31 金のない人はどうしますか?
犯罪を犯し放題ですか?
強制労働させるにしても、金がなく強制労働させられている受刑者は、犯罪を犯し放題ということになりますが。
33 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 02:08
それが問題なんですよね。
友達は医学の発展のために
マルタにすべきとか言うし。
34 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 02:12
35 :
名無し:2001/06/26(火) 02:25
何か、妥当性の問題とは全然別の話になってちゃったね。
36 :
猫:2001/06/26(火) 02:33
つまり一定の抑止効果と被害者の救済があればいいんであって、「社会的制裁、罪」といったものは
必要ないっつーことですかね。確かリバタリアンで似たような事書いてた人がいた気が。
37 :
猫:2001/06/26(火) 02:41
上のは森村進『自由はどこまで可能か』でした。
大雑把に言って民事的制裁一元論のメリット・デメリットはそれぞれ
メリット−被害者の救済を重視することが出来る
デメリット−抑止効果がさほど期待できない。金持ちは貧乏人よりも容易に不法行為が可能ということになるのではないか
という点が考えられます。
デメリットの是正方法として、その人の所得に応じて賠償額を算定するということが考えられますが、
不公平の謗りは免れないでしょう。
38 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 02:47
>>36 被害者の救済は誰が決めますか?
子供殺されて金で満足する親は少数派だが?
39 :
猫:2001/06/26(火) 02:53
>被害者の救済は誰が決めますか?
裁判所だと思われます。
>子供殺されて金で満足する親は少数派だが?
というより、どんな仕方でも満足することはありえないのではないかな、と。
おそらく、何だかんだいって死刑の満足度(という表現は嫌なものですが)は高いと思われますが、
死刑の求刑自体少ないし。
であれば、懲役であれば満足できるか。 これも満足するようなものではないと思われます。
だったら、せめて金だけでも被害者−の家族−に与えた方が救済になるのではないか、と。
勿論、それで満足するかどうかはべつですが。
40 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 12:35
>>39 では、死刑制度自体は存続ですね。
懲役刑については、強制労働に換えるということでしょうか?
受刑者側には大した差はもたらしませんが。
金が払えるまで奴隷にするっていう案もありえますなぁ。
41 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 12:49
では、身よりのない人間を殺した場合は、死刑の妥当性は無いわけだ。
42 :
ネタ:2001/06/26(火) 13:38
だから、国家による刑罰権の独占をやめ、仇討ちを復活させればよいの
ではないかと。
43 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 14:19
では、身よりのない人間を殺した場合は、だれも仇討ちに来ないから、無罪放免なわけだ。
44 :
廚:2001/06/26(火) 14:25
話をちょいと戻そうよ。
1、法の根拠について
憲法が最高法規だという事が憲法自体に書かれてるわけでしょ。
これの正当性の根拠はどう説明するわけ?
そっから日本の法律って始まってるでしょ、形式的には。
法律の文言だけからでは、説明できないでしょ?
一応それより上位の法は作れないってことになってるし、
上位法を作っても同じ問題が生ずる。
ロジカルタイピングで解決できないっしょ?
法律以外から根拠を持ち出すとすれば、
(例えば憲法改正能力とかね)
もちろんその事の正当性が問われるよね。
分析系哲学でも、フランス現代思想でもいいからさ、
このことについてはどう思う?
根拠がないけどうまくいってりゃいい、
ってのは思考停止じゃないの?
現実的な訴訟問題は英米法的な方法論で解決するかもしんないけど、
法の根拠とか言う時に、どう説明するわけ?
2、法解釈の方法論について
大筋においては5=16さんの言う通り。
しかし、社会科学も、やはり正しさを追求しなきゃならないと思う。
独自の方法論をとるにしても。
それが不可能でも、
科学であろうとする事を放棄するわけにはいかないと思うんだけど?
特に法においては
恣意的な運用というのは、なされてはならないわけでしょう。
それはどうやっても解消できないだろうけど。
もちろん自分で突っ込んどくけど、
正しさはない、だけど正しさを目指さなきゃならない、
っていうだけじゃ、何も言ってないのに等しい。
だから、20世紀以降の自然科学の方法論や
哲学の手法を(問題点も含めて)参考にしつつ、
どうしたらいいのか考えなきゃならないと思うけど、どう?
ん、結局言ってる事5=16とほぼ一緒か?
2の方はここで話すべき事かと言われるとあやしいので(スマソ)
1の法の根拠について、よろしく。
45 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 18:41
>1、法の根拠について
>憲法が最高法規だという事が憲法自体に書かれてるわけでしょ。
>これの正当性の根拠はどう説明するわけ?
ほーてつがくのこうぎをぼくのちゅーぼーなみみでききとったところによると、
H.ケルゼンという昔の偉い人は、根本規範というものを仮定するしかないと
言ったそうです。法は根本規範に従っていることにより妥当とされるが、根本
規範そのものは妥当とも妥当でないとも言えないとか。
これはやはり思考停止なのかなあ。
46 :
君たちね。:2001/06/26(火) 19:59
法学の内部では埒のあかないもんだいであることは確実だよ。
このような問題は、CLSの親玉、デリダにやはり登場ねがわないとね。
47 :
名無し:2001/06/26(火) 20:11
>>44 妥当性と正当性の問題は別だよ。
>>45 蹴る善は、根本規範は「かのように」だと言ったんだよ。
>妥当性と正当性の問題は別だよ。
詳しく説明きぼーん。
49 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 23:54
ルールって意味では、慣習でしょ。
法源は、慣習と条理。
50 :
名無し:2001/06/27(水) 00:47
>>48 説明すると長くなるので、
蹴る善読んでください、と言っておきます。
あと、佐藤節子もね。
51 :
猫:2001/06/27(水) 00:53
>妥当性と正当性の問題は別だよ
妥当性と実効性の区別ではないの?
52 :
名無し:2001/06/27(水) 01:47
>>51 いいえ、妥当性の正当性は別、です。
勿論、妥当性と実効性は別ですが。
53 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 01:48
とどのつまりSFCに哲学はない・・・
54 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 09:35
るーまん、といぷなー流のシステム論、
オートポイエーシスでぶった切るのはどうよ?
55 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 23:39
法学の内部では解決できないっつうの。
外部に立つには、デリダをもってくるほかないでしょ?
法について法学部でまにあふというのは、不当な特権意識でわ。
56 :
名無し:2001/06/28(木) 23:52
>>55 なぜ、デリダなの?
デリダで、徳川幕藩体制の法秩序について説明できるの?
教えてください(マジです)
age
58 :
考える名無しさん:2001/07/08(日) 10:37
>56
とにかく「法の力」を読んだらいかが。
法秩序が最終的には正当化できない暴力の上に築かれているのはたしか
でしょう。神とか天とかの普遍的原理にもとづくというのはフィクションに
すぎない。
59 :
考える名無しさん:2001/07/08(日) 11:01
ハートの議論を切るかたちで、この問題を扱っていたテクストが
ネット上で翻訳されていたような。
要するに、「法はまもらなければならない」という法は、
法自体には書かれていないにもかかわらず、つねにそこに
存在する。そのことをどう考えるか、ということだ。
60 :
名無子21:2001/07/08(日) 19:04
法の妥当の「根拠」=みんなが従うかどうか(長谷部恭男)。
柄谷行人がよく引く、「暗黙の跳躍」(だったかな?)と等価。
裏返せば、無根拠。
外部性について。外部にたつと、法の存在を観察することは可能か?
つまり、完全なる外部にいると、法であるか否かを判断できるのか?
例えば、法を理解するには、言語を媒介するが、媒介物たる言語に
法が内在的に書き込まれているとしたら?
内部が外部によって規定され、内部/外部の二項対立は厳密には維持
できない。これは初期デリダの問題意識。
他の言葉に言い換えると、メタレベルがオブジェクトレベルに侵入し
てしまっていること。
盛山和夫的に「説名項」「被説明項」の区別を維持するか。
62 :
61:2001/07/08(日) 19:11
スマソ
63 :
名無子21:2001/07/08(日) 19:17
天狗ではなく、本をそのまま引用している「痛い」人間です。
64 :
考える名無しさん:2001/07/08(日) 20:10
そういやNAMも資本主義の「外側」とか、
かなりイタイこと言ってたな(ワラ
65 :
C-Life:2001/07/08(日) 21:14
>>64 確かに、南無吉が頻繁に言う「外部」という言葉は相当に胡散臭い。
それは、彼らが立っている、また、立とうとしている外部とやらが
「内部」と対置させない限りには決して浮かび上がってこない代物だからだ。
と言えば、「絶対外部を指向せねば」なんて言い出す厨房が出てくるんだけど、
それは南無吉の憎む国家以上に幻想極まりないものだ。
66 :
南無吉:2001/07/08(日) 21:24
>>65 おいおい、「外部」とは阪神タイガースのことだっつーの。
難しく考えるな、ヴォケ!!
67 :
考える名無しさん:2001/07/08(日) 22:09
犯罪者の脳って一般人と違って抑制がききにくいんでしょ?
68 :
名無子21:2001/07/08(日) 23:01
60は、端的に外部に依拠できないことをいったもの。
「キリスト」にすがりたいなら、別ですが。勝てない
「阪神タイガース」でもいい。そういった方向に水を差
すのも野暮かな、と。
69 :
5:2001/07/08(日) 23:35
知らない間にこのスレ盛りあがってたのですね〜。
>>47 僕も妥当性と正当性の概念の違い、よくわかりませんね。長くてもいいから解説
してほしい(個人的には、今の状態は書き逃げに等しいと思う)
>>60 では、あなた自身が、法律に従って行動している理由はなんですか?
(もしかして、法律に従って行動してないかもしれないが、、)
僕の立場については、今や下の方に沈んでる「悪法」スレを参照に。
でも、やっぱりデリダ読んだ方がいいかしらん?一応、CLSについては少し
読んでるんだけどね。
70 :
名無し:2001/07/08(日) 23:56
>>69 読むなら、Kelsen Hart Raz Ross位でしょう。
デリダなんて知らない。
71 :
名無子21:2001/07/09(月) 00:28
まず、単純に法の妥当の根拠は、個人が法に従っている理由
とは切り離されると思われること。それゆえ、私が法に従う理
由を述べても大した意味はないでしょう。
60の解答はトートロジー的、それゆえ、無根拠といったの
です。
個人でもいろいろな理由がある。刑法199条がなくても、
多くの人は殺人はしないでしょう(私もしたくない)。この
とき、法に従うか以前に、そうしたくない理由がある(私は
自分の道徳・血を見るのが嫌・平穏無事・けんかに弱い→逆
に殺される等々の理由です)。私は法の逆らうほどの根性の
ある人間ではありません(単なる屁たれ)。
他方、その法律さえなければしたいことがあるでしょう。
法に服従する理由は、否定的サンクション・肯定的サンクショ
ンなどなどいろいろとある。
これらの理由を、一般化できない。
この問題は、人はなぜ権威に従うのか、という問題と重なる
ので、ジョゼフ・ラズ、ないしそれを引用した長谷部恭男など
読むのが良いでしょう(英会話教師の例が出てくる)。ハート
もいいかな。
CLSは、マルクス主義的流れが混じったもの・構造主義的
なもの・ポスト構造主義的なものといろいろあります(知って
いると思うけど)。マルクス主義的流れを入れるのは、微妙だ
けど。
このポスト構造主義の流れとくっつくのが、デリダだろう。
現象学批判・ラカン批判など興味なければ、本格的に読む必
要はないと思う。『法の力』『デリダ(高橋哲哉)』で十分。
東浩紀が定式化した第2期のデリダは、「正義」の問題とど
う結びつくか、という論点は無視した上での回答です。
72 :
名無子21:2001/07/09(月) 00:30
もう70が回答してくれてますね。余分だったようです。
73 :
猫:2001/07/09(月) 00:51
>名無子21さん
>長谷部恭男など 読むのが良いでしょう(英会話教師の例が出てくる)。
『比較不能な価値の迷路』あたりですよね、おそらく。
私もあの本面白かったです。けど、なんか少しずれてるような気が。
長谷部さんの議論が典型的に当てはまるのは、どちらでもいいがどちらかに決まっていないと
困る問題、つまり調整問題であって、なぜ殺人をしてはいけないのか、というような問題には相応しくないような気が。
その辺わかってて、法の権威性の一端を示すだけのつもりで長谷部さんを挙げたんだったら申し訳ないです。
74 :
5:2001/07/09(月) 00:56
>読むなら、Kelsen Hart Raz Ross位でしょう。
う〜んと、そういう一般的な法哲学者たちじゃなくて、CLSにどれだけ
デリダが影響をあたえているかという点を知るために読んでおく必要が
あるのかなという文脈でした。ここは説明不足でしたね。
>単純に法の妥当の根拠は、個人が法に従っている理由
>とは切り離されると思われること。それゆえ、私が法に従う理
>由を述べても大した意味はないでしょう
そうでしょうか?一般論や抽象論を導く上では、個人的な体験や経験
は大切な足掛かりになると思います。
>これらの理由を、一般化できない。
そもそも、僕の持論としては、全ての社会的事象は一般化できないと思います(笑
むしろ、社会科学上の概念はフレーム、もしくは物指しとしてみる必要が
あるのではないか?
まあ、それはいいとして、僕が一番聞きたかったのは、
神や社会契約などのフィクションを持ち出してまで、なぜこれまでの思想家た
ちは法の妥当性を根拠づけようとしたのか?そこまで、法の支配する社会秩序とは完璧
なのか?というところらへんです。
だからこそ
>この問題は、人はなぜ権威に従うのか
あなたが法の権威に従う理由が聞きたかった。
75 :
猫:2001/07/09(月) 00:56
>法に服従する理由は、否定的サンクション・肯定的サンクショ
ンなどなどいろいろとある。 これらの理由を、一般化できない。
あ、こういう書きかたしてたのか。ちゃんと読んでなかった。
73は蛇足でした。すみません。
76 :
名無子21:2001/07/09(月) 02:56
私が、法に服従する理由は71の括弧書きでいろいろ書いたはず。
もちろんこれが私が法に従う理由の全部ではないです。
列挙不足という点のみならず、私が私の行動を観察できない点も
ある。ある種のドクサ(色眼鏡)が無意識のうちに法に従わせる理
由となってもいるのでしょう(それはあるのかすら私にはわからな
い)。
法の妥当の根拠と個人が従う理由の区別への異議ですが、「妥当」
の概念による食い違いのような気がします。「妥当」はしばしば、価
値的に「妥当」ということにひきつけられているような気がしますが、
個人的にはそれは「正当性」の問題であると思います。
では、妥当と正当を分けるのはなにか?はっきり区別できるのは
既に示された調整問題状況だと思います。このときには正当性は無
関係でしょう。
他方、妥当と正当は密接に関係していると思います。つまり、法
に正当性がある(と思われている)、それゆえ従うということもあ
る。それが集合すれば、妥当につながる。この点は「理由」探しに
も一定の意味がある。
しかし、現代社会の複雑性という紋切り型(すみません)を想定
すれば、妥当と正当との区別できる状況のほうが強い。それゆえ、
まずは分けて考えるべき(当為)ということです。
この点から言えば、なぜ人を殺してはいけないか、は正当性の問
題になると思います。したがって、長谷部の本を妥当の問題と絡め
てあげたのは少し不正確だったかなと反省します。
さらに言えば、私の「妥当」の概念そのものに既に解答のしこみ
が入っていたといえるかもしれません。
でも、そうはいいながら上で示された数々の見解には同意する点
も多いです。また、自分の理解をより深めてくださったので感謝す
る次第です。
今日はもう寝ます。
77 :
猫:2001/07/09(月) 11:17
ちと提案です。
無用な混乱を減らすため、言葉のとりあえず操作的な定義を行いませんか?
この手の専門用語は結構複雑なので。ホセ・ヨンパルトもこの問題にページさいてましたし。
とりあえず私の定義。
・妥当性
ある法規がある法体系の一部であるということ。もしくはある法体系が、
ある国家において、有効な法体系である、と認められる所以(法の妥当根拠)
「効力」とほぼ同義。
ちなみにここのスレタイトルだと、特定の法規範の妥当性の根拠なのか、
法体系の妥当根拠なのか良くわかりませんね(笑
・実効性
ある法(体系)が特定地域において遵守されていること
原則として実効性と妥当性(効力)は無関係(いわゆる事実の規範力はともかくとして)
・正当性
法が内容上、適切なものであると認められること。
76で使われている正当性はこういうものだと思います。
これと次に挙げる正統性という言葉の使い方は異論があると思いますが。
・正統性
ある法規が適切な由来、由緒を有していること。
もしくは、ある法規が、人々に服従を要求する理由(いわゆる正統性危機、
という言葉はこういう使い方だと思う。ただ、これだと正当性と区別できない気が)
有斐閣『法律学小事典』の「正統性」の項を見ると、ある法秩序が正統な権威に由来すること、
そこから近代西洋においては正統性の根拠は民衆の支持であるほかないがゆえに、
民衆が権力に服従する理由を正統性と呼ぶ、という政治学用語が誕生した、とありますね。
78 :
名無子21:2001/07/09(月) 14:04
となると、問題は法体系とは何か?ということになるのか。しかも
日本において、ということになるのか。ややこしい問題に首を突っ込
んでしまいそうだ。
77の定義と照らすと、60で示した解答は、法体系を認定するのは誰
かと言う問いを立てた上で、それは日本の皆さんと解答することとい
うように再定位できるのかな。
加えて、皆がいかなる基準に従って法体系であると認定しているのか、という
問いには、基準なんて決定できないというのが60になる。
79 :
考える名無しさん:2001/07/09(月) 21:00
>原則として実効性と妥当性(効力)は無関係
これどういうことですか?
法規範が遵守されていることと、
法規範が効力をもっていることは関係ないのですか?
80 :
考える名無しさん:2001/07/09(月) 21:05
>>79 関係なくはないけれども、別概念でしょう。
一般に賄賂がおこなわれているにもかかわらず、
それをとりしまる法律は整備されている、
というような場合。
それはそうと、『日本人の法意識』っていう、
岩波新書かなにかの本があったな。
あれ、どうですか? ちょっと古い本だったと記憶するけど。
法意識っていう問題は今の議論にからんできますよね?
81 :
猫:2001/07/09(月) 23:30
>79さん
>法規範が遵守されていることと、
法規範が効力をもっていることは関係ないのですか?
基本的には、関係ないと思ってくれていいです。80さんの書いているように。
但し、法「体系」の実効性と法規範の効力は関係あると思うけど。
>80さん
>法意識っていう問題は今の議論にからんできますよね?
川島ですね。
うーん、法意識の話は純粋に事実の問題だから、今の話とはやや絡みにくいかなあ。
82 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:10
>>81 遵守されているいないという問題は、事実の問題ではないでしょうか。
それと、もうひとつ、ついでに質問。
罰則のない規則というのがありますね。
歩行者は道の右側を歩け、とか。
そういうものにしたところで、法である以上は、効力をもっている、
と考えるべきなんですよね?
つまり、「守れ」という命令が、条文に書かれていなくても
暗黙のうちに必ず存在している、という意味で。
これのことをデリダは「enforceability」と呼んでますが
(って、デリダが呼んだわけじゃないと思いますが、
私はデリダしか知らないので……)。
それとも、効力というのは、また別問題ですか?
フランス語では、現行法のことを droit en vigueur と言いますが、
その en vigueur という状態のことですか?
それなら、両方カヴァーするはずですよね。
83 :
猫:2001/07/10(火) 00:27
>82さん
>遵守されているいないという問題は、事実の問題ではないでしょうか。
そうですね。「今の話」というのは実効性の話だったのでしょうかね。
私は法の妥当性の根拠の話だと思ってたので、関係ない、と書いたのですが。
>つまり、「守れ」という命令が、条文に書かれていなくても
暗黙のうちに必ず存在している、という意味で。
これは法哲学では、行為規範と裁判(裁決)規範の違い、という形で議論されています。
例えば、「殺人を行ったものは死刑とする」という形で条文が規定されている。
日本のほとんどの話は、このように一定の要件に対して一定の効果が課されるという形で規定されています。
で、このような条文が行為規範−「人を殺すな」−が含まれているのかどうかは面倒な問題だったりします。
極端な見解では、法は裁判官にのみ向けられているのであって−「人を殺したものは死刑にせよ」−
人を殺すな、という行為規範は不必要なもの、とするものもありますが。
つまり、この法規は裏を返せば、死刑にされる覚悟があるならば人を殺してよい、と規定している、とか。。
84 :
猫:2001/07/10(火) 00:31
で、この問題と効力の問題はあんまし関係ないと思います。
効力とは、「人を殺したものは死刑とする」という法規範がなぜ有効な法規範とみなされるのか、
という問いに対する答えです。それは例えば、正当−正当とは何か?−な立法府が
正当な手続きに基づいて法制定したから、だったり、殺人を禁じる法は内容上正しいから、
というものだったりします。
85 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:39
ありがとうございます。
いずれにしても、法は、「これこれの文が法として存在する」という事実がある
だけで、すでになんらかの効力をもっていると思うのですが。少なくとも、その
ような信仰がなければ、法体系というものは存続しないように思います。ここで、
効力というのは、殺してはいけない、とか、殺した者は死刑にせよ、とかいうこ
とではなくて、その文章が法である(つまり、何かを誰かに制度的に命ずる)と
いうほどの意味です。どうでしょう。
86 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:40
85ですが、この議論は、必ずしも、国家が定めるものに限りません。
87 :
猫:2001/07/10(火) 00:40
>フランス語では、現行法のことを droit en vigueur
申し訳ない、フランス語まったくわからないので。
droitが法ということぐらいはわかるんだけど(笑 vigueurが何にあたるのか。
現行法ってどんなものですか?いわゆる実定法と同じものですかね?
88 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:45
現行法というのは、施行されている法律のことです。
たとえば、大日本帝国憲法は、現在では en vigueur ではありません。
89 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 00:46
あるいは、日本国憲法は、フランスでは、en vigueur ではありません。
90 :
猫:2001/07/10(火) 00:47
>いずれにしても、法は、「これこれの文が法として存在する」という事実がある
だけで、すでになんらかの効力をもっていると思うのですが。
上げ足取りっぽくて申し訳ないですが。
うーん、法は事実として存在するものではないと思います。
人を殺してはいけない、という法規は事実としては存在しない。
ある意味では私たちの頭の中にあるだけというか。
つまり「規範」ですね。
それとも、これこれの文は法であると「我々が」考えている、という事実でしょうか。
>ここで、 効力というのは〜その文章が法である
これはその通りだと思います。
例えば、私が「何々は法である」といったからといってそれが法になるわけではない。
逆にいえば、誰が「何々は法である」といったらその言葉は法になるのか、ということですね。
その基準を、効力のあるものとないものを確認するための基準と言えるかもしれません。
91 :
猫:2001/07/10(火) 00:55
>88さん
>現行法というのは、施行されている法律のことです。
それなら効力といってもいいのかなあ。フランス語のニュアンスは
わからんからうかつなことはいえないけど(笑
つまり、ある法規がA国では効力を有していて、B国では有していない、と。
また、その法規がなぜA国では効力を有しているのか。
これは何でか、というのを探求するのが、法の妥当根拠という問題ですね。
92 :
デムパ:2001/07/10(火) 08:40
全体社会はいくつもの機能的に分化したシステムから成り立っている。
作動の冗長性の削減の為に高度にシステムは分化する。
システムはシステムのみることのできないものをみることはできない。
システムが継続的に作動する事によってのみシステムはシステムたりうる。
システムの根拠はシステムの作動にしかない。
システムはシステム以外のものを環境と認定する。
人間は環境であり、システムではない。
システムは環境なしには存在しえない。
また、あるシステムが他のシステムの代わりをする事はできない。
政治は政治システムに、経済は経済システムによるのみである。
法システムは合法/違法という2元コードによってのみ作動する。
法システムはあらゆる事象に対し合法/違法を認定する。
法システムにおいて法の妥当性もまたこのコードによってのみ決定される。
法は常に妥当である。法の根拠は法にしかない。法は常に合法である。
法システムを他のシステムが観察する事はできる。
他のシステムの作動の一環として。
しかし、それは法システムの作動とは関係がない。
法の妥当性は法によってのみ決定される。
例えば、政治システムや学的システムは法システムの作動を観察する。
しかし、政治システムは政治システム固有のコードで作動するのであり、
法システムの合法/違法コードとそのコードは相容れない。
ケルゼン的根本規範を想定しても、そもそも
「存在と当為を峻別せよ」というテーゼ自体が当為命題である、
というパラドクスに行き着く。
法の妥当性の根拠を、階層的にとらえるべきではない。
法の妥当性の根拠は、法にしかないが、
憲法及び、根本規範がその最上位に位置するのではない。
仮に階層モデルを採るなら、ドイツ憲法改正の手続きが、
最も下位の法たる議院規則によって阻まれる事を説明できないであろう。
93 :
考える名無しさん:2001/07/10(火) 23:42
シュミットの問題に行き着くわけだね、けっきょく。
主権者の規定の問題と、法の権威とか憲法制定権力の問題とかは同じ問題だ。
あほ
あほ
102 :
名無し:2001/07/11(水) 01:20
103 :
考える名無しさん:2001/07/11(水) 06:11
>主権者の規定の問題と、法の権威とか憲法制定権力の問題
詳しく説明きぼーん。
104 :
考える名無しさん:2001/07/11(水) 12:47
ちゅーぼーなおもいつきですみませんが、仮に、日本国憲法上の改正手続に全く従わず、
しかし国民の過半数(とか3/4とか全員とか)の賛成を得て、「新日本国憲法」なる
ものが作られ、国政がそれにしたがって行われた場合、どうなるんでしょう。
形式的には、「新日本国憲法」なるものは妥当性を欠くのかなあ、と。
105 :
考える名無しさん:2001/07/12(木) 00:29
クーデタのばあいがそうでしょう。
憲法制定権力がはたらくわけですね、そのばあいは。
革命もそう。
107 :
名無し:2001/07/12(木) 00:59
>>104 >>77のスレから、答えは出るかと思うが。
ケルゼンを読むと良いと思います。
ケルゼンが難しい(入手を含め)なら、
長尾龍一『法哲学入門』が読みやすくていいですよ。
108 :
108:2001/07/13(金) 00:28
ネグリ『構成的権力』
長い
109 :
考える名無しさん:2001/07/13(金) 01:57
age
110 :
考える名無しさん:2001/07/13(金) 09:50
111 :
考える名無しさん:2001/07/17(火) 21:08
age
ただageんじゃなくなんか書けやゴルァ
個人的には好きなスレだ
113 :
考える名無しさん:2001/08/08(水) 23:20
倉庫行き回避
114 :
考える名無しさん:2001/08/18(土) 03:37
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
115 :
考える名無しさん:01/09/03 16:14 ID:N1dPYP5U
尾高朝雄『法の窮極に在るもの』(有斐閣)を一読すべきと思われ。
116 :
考える名無しさん:01/09/03 17:52 ID:9O15xeFM
>この時、周囲の社会的な関係を見て、自分が「有利に」〜
その自分に「有利」というのが不思議ではないかと。
平均寿命(あるいはそれ以上)を生きる為の設計の行う「有利さ」とは、
いったいどう導き出されているのか、というか。
確かに今すぐ死んでしまうことに明確なメリットはないでしょう。
しかし五十年後に死ぬメリットとはなにか?あるいは十年後ならどうか。
本能的に死にたくないと感じるにせよ、いずれ死んでしまうことぐらい子供
でも分かることだし、どこでバランスがとられるのかが不思議というか。
三年で死ぬことを計算に入れた設計も可能だし(その方が無駄がないとも
言える)、お金の価値は目減りしていく以上、したいことを我慢せず行う人生
というのも合理的と言えるような、言えないような(続く)。
117 :
考える名無しさん:01/09/03 17:53 ID:9O15xeFM
>1さん
>遵守されているいないという問題は、事実の問題ではないでしょうか。
そうですね。「今の話」というのは実効性の話だったのでしょうかね。
私は法の妥当性の根拠の話だと思ってたので、関係ない、と書いたのですが。
>つまり、「守れ」という命令が、条文に書かれていなくても
暗黙のうちに必ず存在している、という意味で。
これは法哲学では、行為規範と裁判(裁決)規範の違い、という形で議論されています。
例えば、「殺人を行ったものは死刑とする」という形で条文が規定されている。
日本のほとんどの話は、このように一定の要件に対して一定の効果が課されるという形で規定されています。
で、このような条文が行為規範−「人を殺すな」−が含まれているのかどうかは面倒な問題だったりします。
極端な見解では、法は裁判官にのみ向けられているのであって−「人を殺したものは死刑にせよ」−
人を殺すな、という行為規範は不必要なもの、とするものもありますが。
つまり、この法規は裏を返せば、死刑にされる覚悟があるならば人を殺してよい、と規定している、とか。。
118 :
考える名無しさん:01/09/03 17:53 ID:9O15xeFM
>>2 遵守されているいないという問題は、事実の問題ではないでしょうか。
それと、もうひとつ、ついでに質問。
罰則のない規則というのがありますね。
歩行者は道の右側を歩け、とか。
そういうものにしたところで、法である以上は、効力をもっている、
と考えるべきなんですよね?
つまり、「守れ」という命令が、条文に書かれていなくても
暗黙のうちに必ず存在している、という意味で。
これのことをデリダは「enforceability」と呼んでますが
(って、デリダが呼んだわけじゃないと思いますが、
私はデリダしか知らないので……)。
それとも、効力というのは、また別問題ですか?
フランス語では、現行法のことを droit en vigueur と言いますが、
その en vigueur という状態のことですか?
それなら、両方カヴァーするはずですよね。
119 :
考える名無しさん:01/09/03 21:11 ID:9O15xeFM
えう・・・寝てましたです>自分。この板にしてはかなり速いペースでレスつきましたねー。
寝なきゃよかったなぁ。くそぅ。そうですね、ちょっぴり食傷気味です(微笑)
このスレ最初見た時煽り入ってる?とか思ったのですが。
悪だっていうのに納得できないから納得できるように説明してくれ!(好意的解釈)
ならわかるんですけどね。
先日同じ話題で議論したばかりなので、原因とか理由を考慮せずに
中絶は悪!って言ってる人を見ると「共和党?」とか思ったりしてる自分に17元(何
日本は母体保護を名目に中絶を(期間限定で)認めていますが、
欧米では女性の権利として位置付けられていたはず・・・
想定している状況で、争点が変わると思われ。
120 :
考える名無しさん:01/09/03 21:23 ID:9O15xeFM
友達の名言に「結論出すな」って言うのがある。論理的に考えると
矛盾している言葉だ。(その言葉自体結論出してるだろ?)
でも宇宙的に見ると動いている言葉だよね。
分かってない人は思考が固定している。いくら賢い人でも
考えがある地点で止まっている。
かと言って分かってしまうと常に瞑想していないといけない。
何故かって上でも言ったように真理は動的だから。
そして宇宙に逝ってしまう。しかし人の価値観なんてその人
次第なので、その人はそれで良いんだ。
つまり生活は正常に営もうとしたら分かってない必要があるんだ。
121 :
あしべ:
結論というのが虚構(フィクション)に過ぎないとしても
分かってない必要がある、というのは言い過ぎだとおもう。
できる範囲では分かるように努めながらも、なおかつそれが
結論ではなかろうという認識を併せ持つということではないか。