りんりについてかんがえてます

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1代理いぬ
ぜんぜんかんがえがまとまりません
だれかしげきください

りんりがくしゃっていらないんじゃないだろうか
にんげんほんせいにしたがうことがただしいというこんきょはない
びょうどうのげんりはうそっぱち
どうとくってなんじゃらほい?
しゃかいけいやくなんてむすんでませーん
こうりしゅぎはにんげんをぶんせきするだけでおわる
せいめいりんりのげんばにりんりがくしゃはきよしたのか?

もんだいかいけつにひつようないちじてきぎむをていじするだけでことたりるならば
りんりがくしゃのやってきたことはぜんぶむだなんじゃないだろうか
さあ
どんどんみんなかんがえてかんがえて
2代理いぬ :2001/06/08(金) 18:43
読みにくい・・・。

>1
倫理学者って要らないんじゃないだろうか。
人間本性に従うことが正しいという根拠はない。
平等の原理は嘘っぱち。
道徳ってなんじゃらほい?
社会契約なんて結んでませーん。
功利主義は人間を分析するだけで終わる。
生命倫理の現場に倫理学者は寄与したのか?

問題解決に必要な、一時的義務を提示するだけで事足りるならば、
倫理学者のやってきたことは全部無駄なんじゃないだろうか。
3考える名無しさん:2001/06/08(金) 21:05
久方ぶりに見掛たと思ったらキツイ設問投げるね〜
ちょっと単純な突っ込みだけど、
倫理を希求する者が居ると言う事自体は否定しないの?
と言うか<社会性>なるものは無用の幻想?
4考える名無しさん:2001/06/08(金) 23:13
おめえはましこひでのりか?
5読者:2001/06/09(土) 01:01
りんねが、りんりについてかんがえます?
6考える名無しさん:2001/06/09(土) 01:10
倫理学者は必要だからいるのではなく自然に発生したのだ!!
7考える名無しさん:2001/06/09(土) 02:23
本当は別に必要じゃないんだろうがな
道徳なんかなんの根拠もねえじゃねえか無責任な知識人が言い出しちゃった
そういう人達と、道徳を守ろうとする人との間の対立が
倫理学なるものをうんだのじゃ(違うかな?)
8考える名無しさん:2001/06/09(土) 02:40
>問題解決に必要な、一時的義務を提示する

それがいまは難しいんだよ。昔は簡単だった。
昔は倫理学なんて、美学の亜種だったのさ。
9こーじー:2001/06/09(土) 02:43
>7
んなぁこたぁ〜ない。
一旦CMで〜す。
10哲学板啓蒙委員会:2001/06/09(土) 03:21
↑AAコピペしなので無効です。
11考える名無しさん:2001/06/11(月) 14:13
代理いぬは何処逝った?あげ
12代理いぬ:2001/06/11(月) 18:21
放置しちまった。

>3
>倫理を希求する者が居ると言う事自体は否定しないの?
>と言うか<社会性>なるものは無用の幻想?
(人間の根本性質としての)社会性は幻想だけれど、無用ではないでしょう。
ていうか、なきゃ困る。

>7
>本当は別に必要じゃないんだろうがな
>道徳なんかなんの根拠もねえじゃねえか無責任な知識人が言い出しちゃった
>そういう人達と、道徳を守ろうとする人との間の対立が
>倫理学なるものをうんだのじゃ(違うかな?)
必要だから道徳や倫理は自然に生まれたのだけど、
(ほとんど根拠というものとは無縁に)あるがままに社会の中にあるものを、
分析して基礎付けようとするときに難しさが生じるわけだな。

根拠がなくとも必要なものは必要。
だから、「根拠をつけないままでもいいじゃないか」とも言いたくなる。
しかし、いったん無根拠さを容認してしまうと、
社会が認めれば何でもO.K.ってことになりかねない。
そういうすべり坂を食い止めようと倫理学者たちはがんばっているわけだ。
13代理いぬ:2001/06/11(月) 18:28
>8
>>問題解決に必要な、一時的義務を提示する
>それがいまは難しいんだよ。昔は簡単だった。
>昔は倫理学なんて、美学の亜種だったのさ。
いや、脳死の判定法なんて倫理学的取り組みとは無縁に決められただろ?
倫理的問題を考慮すれば回りくどいことになる。
だから倫理学者はご遠慮願います・・・って風潮もあるらしい。
確かに、「今判断が必要!」という状況にあっては、
倫理的議論なんてやってる場合じゃないんだ。
社会的要求を満たすルール作り、それさえ可能であるのなら、
倫理的考慮はもはや不要であるとも言えなくもない。

それでも、倫理学の果たせる役目はあるのか?
14下等恥的生物を尽く抹殺する者:2001/06/11(月) 18:50
>>代理いぬ
倫理学者と言う言葉を聞く事から察するに
ついに倫理までもが哲学から分離されてしまったのか
これでとうとう哲学者は無用の頂点を極めるに至った訳だな
いらないのは最早倫理学ではなく哲学である
必要性を説くのであらば、哲学者はこの世のどこにもいられまい。
15・e・:2001/06/11(月) 23:39
とりあえずとっかかりの本を推薦。
ピーター・シンガー『生と死の倫理』(昭和堂)
加藤尚武『二十一世紀のエチカ』(未来社)
アメリカでは医療現場における倫理学者の力は意外と大きい。
日本は日本医師会の鉄壁のガードがあるのでなかなか発言しにくい。
16よく知らないんだけどさ、:2001/06/12(火) 00:06
人間様が十分に賢くなれば、「社会的要求を満たすルール」ってもの見えてくるとは思う。
でも、そこまで賢くないから「過半数」とかに頼ってルールを作っているのが現状。
でも、「過半数」は、結構危険な道具。刹那的で、状況さえ整えば何だってOK。

そこで、「現時点で社会に安定して受け入れられているルール」、もしくは
「歴史的に社会で安定して受け入れられてきたルール」を説明、汎用化する事により、
延長していろんな事柄に当てはめて(少し冷静に)判定するのが倫理学の
役目なんじゃないの?

そういう意味では、まだまだ取って代わる物がないと思うんだけど。
(根拠はどーでもイイ。)
17考える名無しさん:2001/06/12(火) 01:35
加藤尚武センセは、エネルギーの枯渇のおかげで、
いよいよ経済先行の時代は終わって、
倫理学におはちが回ってきたと思ってるようだけど?
18・e・:2001/06/12(火) 01:49
いや有限量のエネルギーの再配分をどうするかという
政治的文脈が露呈してくるから、政治・経済先行の趨勢は
益々強調されてくるんじゃないかな。
脳死の問題にしても、限られたベッド数をいかに効率よく運用されるかとか、
臓器移植にしたってその辺の「再配分」のコンテクストが背景にあるわけだし。
カント的な倫理学は例えばドイツだったらハンス・ヨナスが頑張ってるみたいだけど
世界的に見るならアメリカ型の功利主義のほうが圧倒的なんだわ。
19考える名無しさん:2001/06/12(火) 01:51
倫理学なんてファッションみたいなもんなければないで良いし
あればあるで面白い、面白ければいい
20・e・:2001/06/12(火) 01:55
社会契約論の背景にはやはり「個人主義」があるのね。
別に他人と契約なんぞ結びたくないが、それでも個人の
プライヴァシーというか、その辺の不可侵的領域を確保するためには
不当に危害を受けないという社会的規範を、他人と「しぶしぶ」結ばなければいけない。
そういう意味では倫理学は「問題をいかに処理するか」ということではなく
「いかに問題が起こらないようにするか」を考えてきた学問分野であって
直接的に倫理学者に助けを請うても仕方のない側面があると思われ。
21・e・:2001/06/12(火) 01:59
>>代理いぬ
 平等の原理に関して言えば周知のことだが
 人間全てが生得的に平等な状態であるべきだという「発生論的発想」は
 最近では殆どナンセンスだと考えられてる。
 要は「機会均等」という意味での平等であって
 そのための社会的条件を予見的に考えてゆく、というのが現在の倫理学の基本だと聞いてる。
 (これは20のレスとも重複するが)
2217:2001/06/12(火) 02:16
>>18 eさん
そ。そのとおりなんです。
ただし加藤センセは、政治を動かすものが、
経済ではなく、倫理先行になると考えてるみたい。
経済先行ではエネルギー問題が解決しないのは自明ということです。
で、ミルの功利主義を修正してなんとか
やってくしかないと思ってる…ように読めた。
とにかく、これからは倫理の時代じゃー、と思ってるようです。
ほんとのとこは、よくわかんないけど。
23・e・:2001/06/12(火) 02:28
>>22
 勿論そうなんですけどね
 現実問題として日本では倫理学者というか、
 そういう原理的な問題を扱っている学者に
 発言の機会そのものが少ないわけで、
 極論すれば、例えば環境問題について何か言いたいのなら
 学者じゃなくて文部科学省の官僚になるほうが早いわけで、
 もうこの辺はいかに政治的ポストを確保するかという
 胡散臭い話になるんだ。
 (現在例えば環境問題についての主導権を握ってるのは
 間違いなく大学の工学系とこれと結びついた企業体ですけど)
2422:2001/06/12(火) 02:35
なるほど。ニーズがあるはずなのに、
話を聴いてもらえないわけだ。
じゃあ、倫理学者がいらぬ存在だということこそ
自明なわけですね。
加藤センセがあんなこと書いたのは、
堺屋太一になるための根回し半分かも。
25・e・:2001/06/12(火) 02:40
どうかなぁ・・
アメリカ型の倫理学を日本に本格的に紹介したのは
千葉大学における加藤氏が初めてだって聞いてるし
そもそも日本では倫理学自体の歴史が浅いので
早くに見限るのも考えものだけどね。
26・e・:2001/06/12(火) 02:45
ただ思うのは、これからの倫理学はカヴァーすべき分野が広すぎるし
なにせ問題が問題なので、生物学や法哲学、自然科学等々を横断的に捉える
必要が出てくる。そんなこと個人では絶対に無理なので、哲学らしからぬ発想が
要求されると思われるけど。つまり「分業」ね。
この辺は大学制度に関わる問題だけど、スレとの趣旨がズレてきたのでここまで。
2724:2001/06/12(火) 02:50
アメリカが温暖化対策の取り決めを蹴っ飛ばした件など、
国際的に考えても、まだまだみたいですね。
代理いぬもあせってはいけません。
28代理いぬ:2001/06/12(火) 12:35
>15(・e・)
>アメリカでは医療現場における倫理学者の力は意外と大きい。
>日本は日本医師会の鉄壁のガードがあるのでなかなか発言しにくい。
そら、知らなんだ。

>16(よく知らないんだけどさ、)
>そこで、「現時点で社会に安定して受け入れられているルール」、もしくは
>「歴史的に社会で安定して受け入れられてきたルール」を説明、汎用化する事により、
>延長していろんな事柄に当てはめて(少し冷静に)判定するのが倫理学の役目なんじゃないの?
「社会に安定して受け入れられているルール」っていうのは伝統や慣習ってやつだね。
伝統や慣習に従うことを良しとする考え方もあるんだけれど、
そういった伝統・慣習の力自体が弱まってきているし、
「伝統・慣習だから」という根拠は今の社会では通用しないでしょう。
(電車のマナーとかさー)
それに、そういった異文化同士での伝統・慣習の衝突それ自体が問題となっている場合もあるし。
(globalわっしょい!)

>そういう意味では、まだまだ取って代わる物がないと思うんだけど。
そう思える一方で、この手の問題は倫理学者が解決すべき(あるいは解決可能な)ものでないとも思える。
例えば、異文化の衝突などは、いくら倫理学者が頭をひねっても感情・感覚の溝は埋まらないし、
たいていの場合、時間だけが解決の方法となり得る。
社会的な問題は、結局、社会の総意というものが生まれてはじめて解決するものじゃないだろうか。
倫理学者が出張って、調停して、「はー、みんなすっきり!」
なーんてことが過去にあったっけ?
29代理いぬ:2001/06/12(火) 12:57
>17
>加藤尚武センセは、エネルギーの枯渇のおかげで、
>いよいよ経済先行の時代は終わって、
>倫理学におはちが回ってきたと思ってるようだけど?
そら、知らなんだ。
確かにエネルギーが枯渇すれば、「さあ、みんなで考えましょう」ってことになりそうだが、
実際は、代替エネルギーの開発なんかが問題の焦点になって、
倫理学的見地というものが重用されるとも思えないなあ。

>18(・e・)
>いや有限量のエネルギーの再配分をどうするかという
>政治的文脈が露呈してくるから、政治・経済先行の趨勢は
>益々強調されてくるんじゃないかな。
そうだよねえ。

>世界的に見るならアメリカ型の功利主義のほうが圧倒的なんだわ。
世界の動きに功利的側面が強くあることは確かだけど、
しかし、実際の社会に功利主義者はほとんどいないし、
功利主義によって社会が動いていることもほとんどないだろう。
というのも、本当に功利主義と功利主義者によって社会が動いているのなら、
この世の中はもうちょっと良い社会であるだろうからね。
いったい、本気で多数の幸福を考慮して自分を犠牲にするやつが何人いる?
世の中を動かしているのは功利主義ではなくて単なる功利、
快楽主義がせいぜいではないか。
30考える名無しさん:2001/06/12(火) 13:01
レベルの低い議論だね、きみたち。

しかも臭い。

死ねば?
31代理いぬ:2001/06/12(火) 13:45
>20(・e・)
>社会契約論の背景には・・・
確かに、社会契約はそれが正しいから自然発生したわけではない。
しかし、今の社会状況を見るにつけ、「社会契約は正当」という論理を、
我々は"あえて"持たねばならないのではないだろうか。
権力を譲渡して、飼い犬になることを正当だとする論理を認めなければ、
極端な個人主義を黙らせることはできないように思われる。

犯罪者への報復は司法にゆだねる。
その手の泣き寝入りの仕方を"正しい"と言えるような論理を、
我々が持たなくてはならないほどに、
人間の精神は疲弊してしまったように思えてならない。

>21(・e・)
>人間全てが生得的に平等な状態であるべきだという「発生論的発想」は
>最近では殆どナンセンスだと考えられてる。
1で書いた平等の原理の「うそっぱち」とは、その意味にあらず。
機会と権利の平等も含め、ともかく「我々は平等」と言うときの、
"我々"ということにうそがあると言いたかったのだ。
現に、障害者は権利においてある種の優遇を受けている。

このような、権利を与えられるべき集団の枠組みの作り方には、たいして根拠がない。
どうしてある種の高等哺乳類には権利がなく、
重度の障害者には権利があるのか、誰も疑わない。
(ピーター・シンガーは疑ってるけど)
どのような存在に権利を与えるにせよ、
その枠組みに確固とした正当性があるということはないだろう。
都合の良い枠組みで与えられる平等さであるのなら、
はじめから「平等の原理」などと言うべきではないのだ。
32代理いぬ:2001/06/12(火) 14:11
>23(・e・)
>極論すれば、例えば環境問題について何か言いたいのなら
>学者じゃなくて文部科学省の官僚になるほうが早いわけで、
>もうこの辺はいかに政治的ポストを確保するかという
>胡散臭い話になるんだ。
そうなんだよねー。
イタタタタタタ・・・。\(>x<)/

だからさあ、倫理学者なんて要らない(かもしれない)わけ。
哲学者が要らないのと同じく。
つまるところ、もはや"倫理"それ自体だとか、
"哲学"それ自体だとかだけを研究する人間では、
問題を解決できないし、必要ないってこと。
それに、科学者や医者などの現場の専門家が、
倫理学(哲学)の素養を身につけることは難しくないが、逆は割と大変だし。

・・・倫理学者や哲学者は居場所がなくなってきてるよねえ。

>27(24)
>アメリカが温暖化対策の取り決めを蹴っ飛ばした件など、
>国際的に考えても、まだまだみたいですね。
アメリカの標榜する功利主義の都合良さ。
それとも、アメリカの倫理学者のがんばりが足りないのか?!

確かに、その点を取れば、アドバイザとしての倫理学者の役目はありそうだね。
功利や資本的な結論におちいりがちの"現場"にあって、
それに反した、より長期的なスパンに基づいたアドバイスをおこなう人。
でも、やっぱり問題解決を長引かせるので煙たがられる上に、
単純に利益を抑制する意見が予想されるので敬遠されそう。
カカカ。
33代理いぬ:2001/06/14(木) 20:00
    _____
   (〃___ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ◯(っ´∀`)◯ < ラブミー・・・
  》\ フVフ/》   \_____
  巛 |⌒I、│巛
   (_) ノ
      ∪


    | | | |
    _____
    (〃___ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (っ´∀`)っ < テンダー!
   / フVフ\   \_____
  ○ |⌒I、│○
  Σ(_) ノ巛
   スタッ!    _____
    (〃___ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (っ´∀`)っ < ・・・・・・
   / フVフ\   \_____
  ○ |⌒I、│○
  巛(_) ノ巛


    _____
   (〃___ノ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ○(っ´∀`)○ < 自分であげる悲しさ
 / \ フVフ/ \ \_____
 |あ  |⌒I、│げ  |
 |___(_) ノ____|
34考える名無しさん:2001/06/14(木) 20:02
荒らすなよ、代理いぬ。
35考える名無しさん:2001/06/14(木) 21:48
>機会と権利の平等も含め、ともかく「我々は平等」と言うときの、
>"我々"ということにうそがあると言いたかったのだ。

>都合の良い枠組みで与えられる平等さであるのなら、
>はじめから「平等の原理」などと言うべきではないのだ。


経済学者のセンによると、人間は互いに異なった存在であるために、
異なった変数によって平等を評価すると多様な結果が導かれるとし、
そして、一つの変数を基準にして平等を求めることは、
他の変数における平等の要求と衝突する可能性が十分あり、
他の変数に関して平等主義でないかもしれないとしています。

また「人間の平等」という強力なレトリックは、
このような多様性から注意をそらしてしまう傾向があるとしています。
36考える名無しさん:2001/06/14(木) 21:50
37代理いぬ:2001/06/14(木) 22:16
>35
>経済学者のセンによると、人間は互いに異なった存在であるために、
>異なった変数によって平等を評価すると多様な結果が導かれるとし、
>そして、一つの変数を基準にして平等を求めることは、
>他の変数における平等の要求と衝突する可能性が十分あり、
>他の変数に関して平等主義でないかもしれないとしています。
言ってることがわからん。
すまんにゃー。

そういや、
>29(代理いぬ)
>快楽主義がせいぜいではないか。
は、リコ主義に訂正。
ま、どーでもいいさね。
38考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:03
>>37
例えば、学校教育は生徒全員に、平等に行われなければならないから、
全員が理解できるように、教育の水準を出来が悪い生徒に合わせるとします。
そうすると生徒全員が理解出来ることになります。
でもそれにより教育水準が下がることになり、
出来が悪い生徒にとっては、学習効果で有利になりますが、
出来が良い生徒にとっては、自分の学習効果で不利になり、
生徒全員に対し、学習効果において不平等が起こることになります。
>>35はこういうことだと思います。
39考える名無しさん:2001/06/14(木) 23:05
あと、平等を主張したとしても、
自分が競争で不利な時なら、弱者の保護と結果の平等を主張し、
自分が競争で有利な時なら、競争の自由と機会の平等を主張する、
ダブルスタンダードを適用するならば、
自分に有利な不平等を平等だと正当化出来ることになると思います。
40代理いぬ:2001/06/14(木) 23:39
>38
>39
ふーん。
なるほど。
そこから状況を数値化して分析するのが経済学なのかな。

でもさ、物理学が条件を理想化するのと、
経済学が条件を理想化するのとでは大きな隔たりがあると思うんだな。
物理学が、理想化された条件の元でならかなりの精度を得られる一方で、
経済学は"人間の思惑"という、絶対的に隠れたパラメータを抱えざるを得ないもんな。
勿論、互いが常に有利を画策するという条件のもとでなら、
ゲーム理論みたいな分析の方法があるかもしれないけど、現実は、
互いが絶対的に有利を希求していない場合がほとんどだしねー。

あらゆる思惑が交錯することによってのみ新しい倫理規則が決まるのか、
それとも正しい原理によって正しい倫理規則を導き出せるのか。
後者はすごく不利に思えるけど、伝統や、
特定の宗教の教義によって円滑に営まれる社会が多数あるのもまた事実。
41考える名無しさん:2001/06/15(金) 00:07
代理いぬとかいうアフォ逝ってよし
42代理いぬ:2001/06/15(金) 00:09
それでは(今日の)最後に、
なぞなぞをだしていきます!

「とりはとりでもかべにあるとりはなーんだ?」

それじゃあ、おやすみなさーい。
43考える名無しさん:2001/06/15(金) 00:15
>現実は、互いが絶対的に有利を希求していない場合がほとん
>どだしねー。

でも、そういう定式化をしている論文もあるよ(今は思い出せ
ませんが)。つまり、相対的な有利さを求めるというやつね。
まぁ、教科書じゃああんまり取り上げられないけど、厚生経
済学や効用理論に興味ある人は知ってるんじゃないかな。
44考える名無しさん:2001/06/15(金) 00:23
>>42
てめえが焼き鳥になるってことだよ、ゴルァ(゚Д゚)
45考える名無しさん:2001/06/15(金) 00:27
>>44
かゆうま
46(゚Д゚)ハァ? :2001/06/15(金) 00:36
>>44

(゚Д゚)ハァ?

47考える名無しさん:2001/06/15(金) 03:35
>代理いぬ
はと時計でどう?

随分と偏向した様な気がするが、気のせいかな?
昔に比べて哲板退屈?それとも哲学に興味が失せた?
48中西:2001/06/15(金) 07:40
代理犬さん。だれの代理?さて最初に倫理についての刺激がほしいということだったんだが、
私は科学としての倫理学というのを考えたことがあってね。
基本命題を一言するとこう“一羽の鷲の上には善悪はないが、群れなすサルの中には善悪がある。”
わかるかなあ、進化論的な倫理学なんだけど。一応論文は自分のHPに出してあるんだけどね。
ちょっとスピノザ風で演繹的すぎるけどね。まあもしよかったら“刺激”にはなると思うよ。
http://www29.freeweb.ne.jp/novel/ramtha/

49考える名無しさん:2001/06/15(金) 19:32
素人ながら申し訳ないですが、チョト質問
>>2
>問題解決に必要な、一時的義務を提示するだけで事足りるならば、
>倫理学者のやってきたことは全部無駄なんじゃないだろうか。

つまり倫理学というのは、もっと長い期間、100年や200年
ぐらいでは揺らぐことの無い、普遍的な道徳の基盤を考える学問なんですか?
50>49中西:2001/06/16(土) 07:07
失礼ながら横から口をはさましてもらうとね、一時的義務の提示も倫理学者の仕事だと思うし。
(あるいはそれが理想的過ぎるということであれば、少なくとも倫理学的判断とは言えると思うけど。)
何より普遍的な道徳的基盤を考えることが倫理学者の真骨頂だと思う。
他のところでも見かけたけど考える名無しさんは面白いね。ところでまるちょん倶楽部掲示板でコピーを発表してた人と同一人物?
51考える名無しさん:2001/06/16(土) 11:40
>>50
「考える名無し」っていうのは、
匿名のデフォルトです。
名前欄に何も入れないとこうなるのであって、
誰か一人のコテハンというわけではありませぬ。
52考える名無しさん:2001/06/16(土) 19:20
>>42
タペストリーでどうだ!
53考える名無しさん:2001/06/22(金) 00:40
一時的義務ね。
それも倫理学者の仕事なら
ここ最近、彼らはほとんど仕事をしていないと俺はいいたい
代理いぬ、好き
なぞなぞの答え教えて〜〜〜〜
55代理いぬ:2001/06/25(月) 20:24
>52
はい、タペストリー正解ね。
(52ダイナモ差し上げます。大事に使ってください)

宿題で首が回らなくなったりする今日この頃、
皆さんいかがお過ごしでしょうか、代理いぬです。
2ch見ている場合ではありません。
でも見ます。
分身の術を会得する物理的可能性を計算するのは無駄でしょうか?
きっと無駄でしょうね。
誰がそんなことを言うのですか?
お腹が空いてきました。
後ほどまた会いましょう。
代理いぬです。
代理いぬでした。

ある人に言わせれば、哲学が倫理学を含むのではなく、倫理学が哲学を含むのだと。
なるほど、哲学の祖をソクラテスに求めるのならば、彼の行っていたことは確かに倫理学で、
我々にとって最も重要な問題とは、人と人の関わりについて考えることなのだ。
我々の意識の起源を社会的知性にとるならば、
そもそも我々の意識とは人間相互の社会的関係に秀でるために要求されたものであり、
倫理について頭を悩ませることは、全き人間本性に沿う自然なことである。(←この辺乱暴)
56考える名無しさん:2001/06/25(月) 20:51
GOは貴様だったのか!?
殺す。。。
57代理いぬ:2001/06/25(月) 23:05
>56
>GOは貴様だったのか!?
>殺す。。。
なぜ殺すのか、なぜ殺さねばならないのか、その倫理的な裏付けについて考えてみよう。
っていうか、考えている場合ではない代理いぬでした。

いそいそ・・・。
58代理いぬ:2001/06/25(月) 23:10
言っとくけど、GOは私じゃないからね。
GOが荒らしていた頃にすら立ち会っていないんだから。

GOによる荒らし行為は存在しない。
それらは間主観的な認識の総合が生み出した虚構である。

いそいそ・・・。
59考える名無しさん:2001/06/25(月) 23:12
まあ冗談でしょ。
2chの殺すは。
なんかこの人はかわいいな〜