1 :
ななし:
韓国、中国が「つくる会」の教科書の変更要求をしているが
ここにいる方はこれをどう見るか?
2 :
ななし:2001/05/31(木) 15:49
自分としては変更要求は妥当とも不当とも思っていない。
要するに韓国も中国も大国日本を恐れているのだと思う。
経済力や軍事力で正面から対抗できないが故に
教育の分野にダメージを与えて日本の教育を死に体に
させておきたいのだと思う。
国家戦略としてそういう戦略があってはならないとは言えないだろう。
3 :
こころ:2001/05/31(木) 16:12
虐殺を起こした兵士達の気持ちと、虐殺された人達の遺族の気持ちを両方考えてみよう。鬱だ・・・。
つくる会側がいう、
「韓国の研究レベルは低次元で、改定要求は
学問的にさえ疑問である」という言い分はホントウか?
5 :
ななし:2001/05/31(木) 16:24
このあいだの朝生のテーマがこれ。
朝生のインターネット投票の結果は8割が内政干渉との結果。
結果に焦ったテレ朝日上層部は結果を公表せず闇に葬り去った。
6 :
ななし:2001/05/31(木) 16:25
>>4 ある程度は本当らしい。
朝生では韓国側の人間もそれを認めていた。
文部省無くして、教科書を国が配給するの止めればOK.
各教師が、それぞれの力量で教育すれば問題無し。
テキストぐらい、いいものを自分でつくるか、探してこいよ。
予備校や塾じゃ当然だろ?ダメ教師は駆逐される。
アホな教育してたら、大学はそんな子供は採らないからね、マトモなとこは。
こんな痛くもないとこ、つつかれるより、アジア人の信用を回復して、
如何にしてアジアに車や電器製品買ってもらったり、金融の主導権を握る方が、
今の日本にとって、「100年の計」に関わるぞ、真剣に。
資源が何も無い、狭い島国なんだから。
検定って検閲じゃないって言ってる割には検閲だよね。
当たり前すぎて誰も言わないんだけど、
俺は厨房だから言っちゃう。
10 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 17:14
検定はかならずしも検閲とはいえない。
なぜなら検定不合格日本史は自由に出版できるから。
極端な話、検定不合格とは国語の教科書に
数学の内容が載っているから、みたいな
理由からということもできる。
教科書には向かないからだめというのは検閲とは限らない。
規制みたいなものと思えばいい。
俺は「つくる会」の主張も中韓の教科書も
どっちも基地外ナショナリズムだとおもうよ。
12 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 17:44
さすがこの板にはキティウヨもキティサヨもいないね。
13 :
こころ:2001/05/31(木) 17:49
グローバリゼーションにナショナリズムは邪魔だにゃー。ろっぽんぞー、だにゃー。ぶっ壊れたにゃー。
14 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 17:51
ちょっとまったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
つくる会の教科書が基地外ナショナリズムだと思う根拠を示せ!
読んでもいないくせに、勝手なことをいうんじゃない!!!
15 :
こころ:2001/05/31(木) 17:59
現代文明の課題は、狂信的な愛国心など、集団幻想を高めるエロスに対して自我(個)の優位を確立し、破壊的なタナトスを制御することにあるにゃー。本に書いてあったにゃー。まさしく、ろっぽんぞー、だにゃー。
16 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 18:01
国民というよりは、人間の意識においてナショナリズム要素ゼロ
というのが健全な状態なのかを問うてみたい。
17 :
こころ:2001/05/31(木) 18:13
人は一人じゃ生きられないにゃー。集団を形成しないと生きられないにゃー。しかし、集団に流されることが屡々あるにゃー。それがイケナイにゃー。バランスの問題だにゃー。ろっぽんぞー、だにゃー。
18 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 18:20
通常、ナショナリズムと
パトリオティズムを区別する。
前者は近代国家=国民の帝国的覇権へと趣く>帝国主義>軍国、戦争へ(あくまで理論的に。長期的視野
後者はその土地の文化慣習を愛するだけ。ただ、しばしばそれを守ると称しつつ前者と結合する。
16の意見は、パトリオティズムとして読むと肯定されうるが、その場合でもナショナリズムと結びつくや否や
反論が生じ来る。
ナショナリズムとかパトリオティズムとか
このあたりはかなりややこしいので、勉強しないとだめです。
まず、近代史の復習
ついでナショナリズムとナショナリズム批判の勉強をしないと、
そもそもナショナリズムの用語法をこんらんさせるだけになるよ。
でもま、そのような学習をしない、人類の歴史を知るという謙虚さを欠いた
連中が自分も物を話していいわけだね!と居直ってるわけだから、
議論もこうなってしまうのもむりはない。
戦後のしかるべき抑圧が一挙に取れたからねえ。
ソ連崩壊、マルクス主義敗北によって一挙に教養主義の重荷がとれて
はれてらくになった無教養が話し出したわけだから。
悲惨ですね。
ナショナリズムとパトリオティズムの定義
についての資料きぼんぬ
20 :
考える名無しさん:2001/05/31(木) 18:59
21 :
考える名無しさん:2001/06/01(金) 01:15
様々なメディアから情報を得られる現代では
教科書などあまり影響をもたらさないのでは?
22 :
名無しさん:2001/06/01(金) 01:21
子供心には活字で教科書でってのはかなりキクよ。
>22
そーだね。おれ、恥ずかしながら
最近まで南京での100人斬りとか
史実だと思ってたもん。
中高の先生から配られた資料とか
魔に受けてさ。
24 :
考える名無しさん:2001/06/01(金) 04:27
結構タイムリーなネタなのにレスつかないな。
だから哲学者は使えないって言われるんだよ。
25 :
かれおばな:2001/06/01(金) 04:30
>>21-
>>23 基本的には
>>22に同意。
まあ、洗脳教育を行ってる中国よりは、
日本の方が教科書のガキに対する影響は少ないと思うけどね。
俺らだって、どうせ大して教科書を眺めてなかったと思うし(ワラ
28 :
速報!!:2001/06/01(金) 16:38
29 :
速報!!:2001/06/01(金) 16:48
テレ朝はどうでるか?
>>22 >最近まで南京での100人斬りとか
>史実だと思ってたもん。
そうそう、世界に冠たるわが日本の軍隊が
あの広大な中国でたった100人ポッチしか
首を切れないなんていくらなんでも少なすぎる。
1000人は軽く切ってるさ。
一人3分として、一時間で20人、
一日八時間としたって、それでもう160人だ。
100人なんて一日仕事だぜ(笑)
ま、ドイツ人にかかっちゃあ、ガスで
3分間に何百人も処分できるだろうけど(笑)
ああ、でも今時の日本の若者は大量殺人なんて経験ないだろ。
せいぜいムカついて人殴り殺すくらいで。それじゃ効率が
悪くて仕方ないね。殺人は感情に駆られてするようなものじゃ
ない。あくまでビジネスとして冷徹に遂行するべきものだ。
その点、共産中国は内部で随分と経験を積んでいるようだね。
もし、再び日中戦争になったら日本は危ないんじゃないかね。
ちゃんと学校で、素早く簡単に人の首を切り落とす実習とか
やったほうがいいんじゃないかな(笑)
まあ、ガキもいろいろだよな。
自分にとって不快なことは絶対に認められない奴っているだろ。
ああいう奴には、教育なんてむり。だから教科書で何教えても意味ない(笑)
結局のところ、そういうバカは兵器として使うしかないんだよな。
ヘッドホンで「ニッポンバンザイ!!」と再三繰り返し聞かせ
とにかく人をぶっ殺すやり方だけゲームとして叩きこむ。
その代わり使えなくなったら即処分。バカはほかに転用できないからね。
ま、そういう実体が、理解できるようならバカじゃないってことだな。
扇動的な煽りのつもりか?プ
なんか、ノリがニュース速報板よりオゲレツになってきたな、、、
36 :
:2001/06/01(金) 21:39
37 :
:2001/06/01(金) 21:42
33もそうですが、
事実は事実として認める勇気をもちましょうよ。
あなたの挫折感は気の毒だけど。
韓国・中国は軍事的脅威だと思う。
事情はどうあれ国民感情というもので
事実をねじまげたり、正視することを避けようとしてる面があるようだ。
(独島問題とか「日本海」の呼称とかの議論は冷静さを欠いている)
だからこそ
同じような過ちを中韓が繰り返さぬために、日本は都合の悪いことも
事実だったならば認めるべきだ。
あのー、100人切り否定説について
何か悪意のこもったレスが続いたようですが、
本田勝一氏が言ってたような意味での
100人切りって、まったくのデマだったという話をよく聞きますし、
現在では中国に対してごく好意的なマスコミであっても
100人切りの話をすることはないようです。
もちろん、そんなこと十分ご承知の上で
たとえば
>>32さんはレスつけてるんですよね?
ネタだったら謝りますけど。
たった二人の軍人が
(しかも、司令部勤務で最前線には出ていなかった
可能性の強い軍人が)、
しかも軍刀だけで100人もの人間を切れるものかどうか、
常識的に考えたらすぐにわかると思うんですが。
剣道および居合を少しかじった私の乏しい経験から言っても、
また従軍経験のある私の剣道上の師匠の話を聞いても、
刀でふつうに切れるのは、どんな達人であっても
せいぜい5人までですよ。
40 :
39:2001/06/05(火) 01:04
ちょっと補足。
別に私は、日本軍による悪行がまったくなかったとは申しません。
ただ、これまでの歴史教科書に書かれていたもののなかには、
事実関係のかなり怪しいものも混じっていたということ、
また教科書に記載する内容としてそれらの記述は
けっして穏当なものではなかった、
ということだけが私の言いたいことです。
できる限り科学的な調査をして、日本軍のしでかした悪行に
然々のものがあった、ということが確認できたなら、
仮に「自虐的」であろうがなかろうが、
それは教科書にも記載すべきだと考えます。
まあ、経験者が次々と他界されている今日では、
また残った経験者も様様な理由で事実そのままを発言できる状況には
ない今日では、
科学的な調査を行うこと自体かなり難しくなっていると思いますが、
つまらぬODAなどに出費するくらいなら
日本政府が予算を出してできるだけ客観的な研究成果を
出そうと努力しても良いのではないでしょうか。
41 :
考える名無しさん:2001/06/05(火) 01:07
日本だろうが韓国だろうが中国だろうが
ナショナリズムには興味がない。
日本、韓国、朝鮮、中国などという概念は遠からず消える。
アウシュビッツは反独サヨクによるでっちあげだった!!!
ユダヤ人虐殺は無かった!!!
スターリンの共産主義と戦ったナチスのじっちゃんを悪く言うな!
自虐史観を排してナチスを正当に評価する新しい歴史教科書を採択しよう!
43 :
39:2001/06/05(火) 01:25
>41
あなたご自身がナショナリズムに興味をおもちであろうとそうでなかろうと、
事実問題としてナショナリズムは存在しますし、
また国家経営のためにナショナリズムを称揚するという
方途も依然として有効なようです。
日・韓・朝・中等々の国家という概念が遠からず消えるという予測を
立てる論者がいらっしゃるのも承知しているつもりですし、
ごく長期的に見れば趨勢がそういう方向に流れて行っても
不思議はないと思うのですが、
今のところ、ナショナリズムや国家への帰属意識を
まったく否定している国家は見受けられません。
多くの広島人が読売ジャイアンツより広島カープの方に親近感を覚えるように、
また支持政党にかかわらず多くの日本人がオリンピックや
サッカーのW杯では日本のナショナルチームを応援してしまうように、
ナショナリズムには純粋素朴な郷土愛と切り離せない部分も
含んでいるわけですし、それを全否定してしまうのはどうかと思います。
ごめんなさい。この板の住人でもないのに、
おかしな話をしてしまいました。
以下はROMに戻って、教科書問題について哲学的な見地からの
議論がなされるのを楽しみにしております。
44 :
名無しさん:2001/06/05(火) 02:05
素朴な愛国心なら、持っていない日本人はいないと思うよ。
ただ、それをどう表現するかは人や時代によって違う。
高度成長の頃まではオリンピックで日本を応援する人が圧倒的に多かった。
いまでもそんなに減ってないけど、表現の仕方がストレートじゃなくなった。
「うちの愚妻が・・・」というように日本人独特の照れがあると思う。
46 :
名無しさん:2001/06/05(火) 17:48
47 :
名無しさん:2001/06/05(火) 17:51
内政干渉 1192件 (52%)
もっと毅然とした態度を 54件 (2%)
訂正に応じる必要はない 274件 (12%)
まず自国の教科書を見直すべき 129件 (6%)
過去に捕われすぎ 27件 (1%)
感情的になりすぎ 98件 (4%)
要求を甘受すべき 84件 (4%)
当然の要求 242件 (10%)
その他 213件 (9%)
48 :
名無しさん:2001/06/05(火) 17:53
内政干渉だと思うか?をイエス・ノー・わからないで表すと・・
イエス(77%)
内政干渉 1192件 (52%)
もっと毅然とした態度を 54件 (2%)
訂正に応じる必要はない 274件 (12%)
まず自国の教科書を見直すべき 129件 (6%)
過去に捕われすぎ 27件 (1%)
感情的になりすぎ 98件 (4%)
ノー(14%)
要求を甘受すべき 84件 (4%)
当然の要求 242件 (10%)
わからない(9%)
その他 213件 (9%)
49 :
考える名無しさん:2001/06/05(火) 18:45
結論は、昔の日本人はアホだったということでいいですね。
目的を考えた議論にしないと厨房化するものなのか・・・
いえ、特に誰に向けたもんでもないですが。
要は、例えばだ、日本は悪いことはしてないから誇りをもとう、という
説だとすると、じゃ誇りを持ってどうすんの?ってとこに戻らんと。
「哲学する」っていうスレ名からして。
51 :
考える名無しさん:2001/06/06(水) 18:58
>30、32氏は、どうやら100人切りがどんな事件を指しているのかは知らず、
にもかかわらず100人切りが「事実」だったということだけはかたくなに
信じていたらしい。。。。
100人切りだけが問題じゃないってことは重々分かってるんですけどね、
30、32氏の言動を見ても、最低限の知識ももたずに勝手なことを言うのが
どんなに危険かってことは明白だと思うんすよ。
教科書問題を哲学するかどうかってレベルじゃまだなくて、
議論をするための予備知識をまずつける段階なのが今の哲板じゃないかな。
日本の哲学研究者は、政治にはコミットしないのが普通ですよね。
しかしフランスやイタリアでは、大学の哲学教師が
(日本でいうと赤旗や産経のような)ジャーナリズムに政治的な意見を
投書するのはごく当たり前のことです。
だから日本はダメなんだ、などと言うつもりはありません。
日本の場合だと京都学派への反省があったし、学生運動での挫折経験が
仏伊の場合より大きなダメージとなっているのかも知れないですし。
でも、哲学の立場から政治状況にコミットする人が、
もう少し増えてもいいんじゃないかとは思います。
(ただし、加藤周氏や梅原氏のようになのは勘弁してほしいけど)
哲学ヲタの政治オンチ?を是正するための議論の場のひとつとして、
このスレをあげておきます。
52 :
考える名無しさん:2001/06/07(木) 04:32
この問題については2つの論点を内包している様に思われます。
第一に教育対象に対する影響についてについての問題です。
これについては愛国教育の必要性を説く
中学生が真剣に血眼になって教科書を読むとは考えにくく
影響はあまりない様に思われます。(21さんの考えに同意)
愛国教育の必要性があると考えるならば
もっと他の施策が有効なのではないでしょうか。
第二は、この問題を教育するという行為を通して行われる
現日本社会における「常識」の表明と捉える場合です。
検定を通る=日本国政府の公式見解と短絡的に考えるならば
教科書記載の事件は政府の公式見解となり外交的な抵触が
起こってしかるべきと考えます。
しかし、この抵触を民族主義的要請と捉えるべきではなく
国益の確保を目的とした政治的要請と捉えるのが妥当と考えます。
しかしながら、検定=日本国の公式見解とは考えず
現日本社会における常識の表明と考えれば
これも民族主義的要請により抵触が起きるとおもいます。
そこで考えるのですが
教科書の記述法に問題があるのではないでしょうか。
各地でジャンケンの仕方に違いがあるように常識と言うものは
所属するグループによって違うもの。
そこで教科書に「という考えもあります。」といったように
各説を併記し、判断を読者に任せる方法で記述するのが
良いと考えます。それならば民族的要請による抵触は
教科書記載の各説に対象を変え,教科書に対する問題は
各説に対する問題へと移行しさらに緻密な議論が
展開されると思います。
歴史事件は各論的に論じられるべきと考えます。
多様性を
しかしながら、この論点が
誇りも持たんし軽蔑も感じない。
日本が嫌いじゃない(まあかなり好き)けど、
「やっぱり日本が一番だよネ!」に何気に行っちゃうのは嫌だ、
ってのは俺の気持ちなんだけど、これと同じようなことを、
2chで評判の悪い村上春樹も言ってた気がする。
畳と梅干しに無条件に帰着したくは無い、って感じで。
曖昧なんで、違ってたらスマソ。
ま、とりあえず事実と事実じゃないのはハッキリさせようや。
それが哲学じゃなかったとしても、
それが安易なナショナリズムに結びついたとしても、だよ。
ウソをウソのままで置いておくのは、
真理を求める哲学的姿勢じゃないでしょ。
だから、南京大虐殺が嘘っぱちだった、ってことを大いに広めた
小林よしのりは、その点での功績“は”、やっぱあると思う。
53です。
書いてから思ったけど、事実と認識は違うよなあ。
そこが難しいんだと思うけど。
人によって歴史の解釈は違って良いと思うんだが。
フビライや豊臣秀吉の、日本と韓国やモンゴルの歴史認識を統一しろ、
なんて意見はナンセンスなわけだけど、ある程度、
そのナンセンスさは歴史教科書問題にも当てはめられないかなあ?
やっぱ中国や韓国は自分の国が洗脳教育してるから、
作る会の教科書なんて使ったら日本がみんな右翼になる、
って中国や韓国はそう思ってるのかなあ?
俺は中国・韓国の必至さをそう理解してるんだけど、
みんなは、何でアソコまで必至なんだと思う?
55 :
考える名無しさん:2001/06/07(木) 12:53
日本のことに興味のある(日本帝国主義反対!派&発展をとげた先進国としての日本)
中国人、韓国人、朝鮮人は少ない。
反日教育を徹底化しても日本列島の存在すら殆どの人間は知らない、
知らないことに何か問題があるとも感じない。
ナショナリズムは大陸や半島では、日本のようには盛り上がらないのだ。
インターナショナリズムを標榜した共産主義による体制が結果としてナショナリズム
を担ぎ上げなければならない。
この問題は、歴史的、政治的問題ではなく、不況下にあえぐ日本人の
不安定な心理の問題に過ぎない。
56 :
考える名無しさん:2001/06/07(木) 15:40
>>55 >>55 >反日教育を徹底化しても日本列島の存在すら殆どの人間は知らない、
>知らないことに何か問題があるとも感じない。
ムチャクチャ書くな。中国朝鮮人はジャングル奥地の未開民か?
中国旅行してみろ。列車で向かい合わせに座った若いやつなんか二言目には「日本人は中国を侵略しておきながら謝罪もしてない。そのうえ今度は経済侵略して中国人民を搾取してる」というぜ。ネットで出会う中国人は必ず「卑劣な帝国主義者!」と罵倒してくる。深刻なな国家的貧窮によるナショナリズムが激しいのは中国北朝鮮の方だ。中国は報道規制で知られてないが、90年代後半から地方での大規模な暴動が続発している。ヤフー掲示板の中国関係でも覗いてもっと勉強してくれ。
歴史教科書問題@哲学板の良いとこ:
・煽り文句・差別表現が出てこない点
歴史教科書問題@哲学板の悪いとこ:
・全然「哲学」らしくない点
・基本的な知識ももってない人がいる点
・話がどこへ向かって進んでるのか見えにくい点
俺はもうちょっとROMるけど、
議論として実のあるのはハングル板や政治問題板かなぁと思う。
無法地帯と言いたいくらいに荒れてるのは確かだが、
妙に詳しい人が長大なレスをつけてたりして参考になる。
問題について詳しく知れば知るほど
中・韓の言い分がおかしく思えてくるってのが
個人的な感想だけど、これは俺の偏見かも。
58 :
ツキディデス:2001/06/08(金) 14:53
>1
具体的な事柄よりもまずは『戦史』トゥーキュディデースでも読んでみましょう。
相対的に考えること(対置的に考えること)について勉強になるはず。
彼等の振り回す目的を違えたような相対論との違いも見えてくるでしょう。
59 :
考える名無しさん:2001/06/08(金) 14:58
>>56 小林よしのりばっかり読んでいないで少しは現実を見てください。
中国の方々は日本に興味が無さ過ぎる、そういった齟齬から
合弁事業が成り立たないことが多いのです。
>>59 小林よしのりは知らん。彼は中国に詳しいのかい?
「中国の方々」なんて妙に気を使うところを見ると、大体君のスタンスは想像できるが、「中国朝鮮人は日本列島の存在さえろくに知らない」などとバカなことを言ってちゃ説得力ゼロ。中国の現状から目を逸らしちゃいかんよ。
61 :
57:2001/06/09(土) 01:05
>>59、
>>60 お二人さん、まあまあ。
うーんと、思うんだけど、
>>55(=59?)の論旨がはっきりしないのが
混乱の原因じゃないかな。
教科書問題を引き起こした原因は韓・中の、そして日本の
ナショナリズムにあると俺は思うんだけど、
>>60さんもそれには同意してくれるでしょ?
だとすると、問題とすべきは中国人がもってる対日知識の多寡ではなくて、
まさにナショナリズムなわけです。でも、
>>55さんは、
1.中国人の対日知識はごく乏しい
2.ナショナリズムは大陸や半島では、日本のようには盛り上がらないのだ
という二つの事柄をいっしょに述べちゃってるわけ。
1.を仮に認めるにしても、だからといって2.までが認められなくちゃ
ならないわけじゃ本来はないように思いまする。
俺は1.については55さんの言う意見をここでは仮に認めてもいい
(内心は「んなこたあねぇだろ」と思ってるけど)。
でも2.については、ソースを出されない限り容認できません。
63 :
考える名無しさん:2001/06/19(火) 00:31
なんとなくあげてみよう
「つくる会」系について考えたこと
別スレでも投稿したけど、よくみたらこっちのスレの方があってた…
結局彼等に関しての問題は、目的意識の相違だろう。
イデオロギー的な主張の手段としての歴史であって、
より正しく歴史を確立したいというのは、二の次。
目的としての歴史ではなく、手段としての歴史になってしまってる。
当人達は否定するだろうし、自覚もないかもしれないけれど。
書いてる内容(―「より正しい歴史」を目指すというならば、
古代から現代まであらゆる段階で彼等が敵対視している歴史的主張を否定ばかりせず
さらに「左」拠りの主張や解釈があってもおかしくはないはずだが、
古代から現代までその主張や解釈は一貫している。
イデオロギー的に自派と同調しないものたちが主張したことなら、1から10まで全部否定してしまう。
あのような姿勢は、特定の宗教がその教義や聖典に合うように歴史を解釈したり、
または同類のことだが、共産主義において歴史に倫理的なものを強く持ち込み解釈する、
それらに類似するといえる―)それを宣伝する手法、売り込む方法、(教科書の採択問題についての
働きがけやり口)等々を見ていると、どう考えても、イデオロギー的な主張が
先行していると映る。ああいう姿勢は、重複するけど、
問題を起こしている類の新興宗教団体が、
科学技術を自分たちの主張に都合の良いように解釈する姿勢や、
それらの自己の教義の布教活動にて散々指摘されているやり口などと
規模には相違があるにしても同質の類似行為。
大体が、(例えば中国や韓国に対しての彼等の姿勢について)
解釈や言論によって、相手を貶めて、自己を高く見せようとする姿勢の
何処に建設性があるというのだろうか。
自分たちの社会が停滞している鬱憤を八つ当たりしているに
過ぎないのではないだろうか。敵を故意につくって、
味方を団結させるっていうのは、まさにナショナリズムを煽る行為でしかない。
それに、(例えば韓国や中国の教科書について)
相手が誤っているからといって、それがイコール自己のやっていることの免罪になると考えるのも幼稚である。
相手も間違っているが、自己も間違っているということもあるからだ。
相手に対して批判的であるのは良いが、自己に対しての批判性がまるでない。
歴史は科学ではないと主張している、つまり主観性が排斥できないからだ、
これは別に歴史だけでなく、科学全般についていわていることなのだからここまでは、良いのだが
だからといって、何処までも主観的であって良いとか、積極的に主観的であるべきだなどということではない。
むしろ主観性は何処までも付きまとうからこそ、できるだけ客観“的”になるように計るべきであろう。
最低限、歴史特に戦争は対置的に考えていくことが必須のように思う。
とにかく彼等の(知識や主張内容ではなく、)目的意識やスタンスは上記に書いたような
姿勢であって、後ろ向きであるように思う。
ただ最も問題と思うのは彼等の存在自体ではない。
彼等と同類の存在など、いつの時代、何処の社会にもいるからだ。
問題なのは、彼等が容易に社会に受け入れられ行っていることだろう。
社会の状況が健全であれば、バランスが働いて、ある程度は是正されるであろうが、
現在はそうはなっていないように思う。
社会の状況が沈滞している時代にあの手の権威主義的で排他的な論法が蔓延しやすい
という歴史上の顕著な例を正に現在みているような気がする。
哲版なので一般論・抽象論に傾きがちになる
のは仕方ないのかもしれんけど、
作る会教科書のどの記述が
権威主義的で排他的な論法のなのか、
まずソースを出さなきゃダメだと思うよ
66 :
65:2001/06/25(月) 23:33
サゲをつけたまま書き込んでしまったが
別に他意はない。
よって仕切りなおしのアゲ。
67 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 13:15
>>65 哲板だからこそ具体論ではなく歴史記述の可能性/不可能性が話し合えると思われ。
具体論はもっと相応しい板があるはず。
また、せめてホワイト対ギンズブルグの歴史「叙述」論争は通っていないとまずいだろとも思われ。
欧州では今日本で起こっているような論争はすでに80年代に起こっていたから(ハーバーマスも参加したよ)
哲学版
新しい教科書読んでる奴ここは少ないだろう
左翼は買うまではせんでええが、立ち読みぐらいはせい
新しい公民の方なら哲学するぐらいのなんかネタはあんじゃないかな
69 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 19:16
あ、西部さんが監修かなんかをしてるってやつね
70 :
考える名無しさん:2001/06/26(火) 23:16
西尾がニーチェになりたかっただけでは?
71 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 05:15
>>67 なんかよくわからんが、どんなテキストを「哲学する」のであれ、
そのテキストをきっちり読み、批判や論評はテキストに
正確に則した実証的な態度で行うのが常識なんじゃないかな。
だからといって具体論をしろと言ってるわけじゃなくて、
例の教科書から歴史記述の可能性・不可能性を話し合うにしても、
まずはちゃんと教科書を読もうよ、と俺は思うね。
72 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 06:57
>>71 それだと歴史学の問題になって、わざわざここでやる必要はないのでは?
73 :
:2001/06/27(水) 07:16
>>71 見くびらないでね。俺はちゃんと読んだよ。
74 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 10:09
つーか、67氏が実際に読んでるかどうかを
問題にしてるんじゃなくて、
65以来の流れでソースを出したほうがいいという
一般的な意見なんじゃないかな>73
つまり64氏みたいな話をするにはソースが必要だという。
違ってたらごめん。
俺もそう読んだんだが。
76 :
考える名無しさん:2001/06/27(水) 15:45
>>75 教科書を64氏みたいな視点で読んだってこと?
77 :
考える名無しさん:2001/06/28(木) 00:56
>>64 反「つくる会」側に対しての批判にしか見えない。
78 :
歴史学の人間ですが:2001/06/28(木) 02:10
79 :
>>77:2001/06/28(木) 15:14
同感。はじめてこの板にきた人間ですが、組織的に陰湿な行動をとっているのは
左派だよ。しかももし平和を訴えるのなら、全ての国の全ての行為に対して提言
するべき。こういう人って中国の悪事を言われると態度が豹変する。これはお・
か・し・い。つくる会は主張を示し、反対派は批判した。じゃあ反対派の主張っ
て何?自分達の主張教科書作れよ。何時も批判ばかり。哲学まで持ち出して。
80 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 15:35
>>79 やれやれ。。。
あのね、おれは64じゃないけどね、左派というか左翼というかマルキストだからいうけどね、中国の悪事を言われても態度が豹変したりしないよ。
あなたのいっているような奴って左派というよりも中国派なんじゃないの?
おれは「つくる会」の批判もすれば、韓国のベトナム戦争中の虐殺に関しても批判するし、中国のチベット弾圧も批判するよ。
つうか、ポストコロニアル状況下の左派はどのような形態であれナショナリズムであれば批判するのが一般的だと思うよ。
あなたのいうような左派を具体的に思い描くと社民党とその同伴者あたりかなという気がするけど、かれらは疚しい良心をもっているんだよね、きっと。
でも、哲学板の住民ならわかると思うけど、それはニーチェが徹底的に批判したものであってね。
まともな左派はそのレベルはクリアしていると思うよ。
81 :
>>80:2001/06/28(木) 15:44
79です。そーなんですか。てっきし社民党てきなのがサヨクだとオモテタ。
でも世の中であからさまに反対活動してる人間ってそういう人多いですよね。
あれはなぜ?
反対活動の反対活動をやってる人間って最近増えましたね。
ネット上だけかもしれないけど。
あれはなぜ?
83 :
>>82 :2001/06/28(木) 16:36
反作る会が作る会以上に胡散臭いから。
>>82 自分と似た行動はよく目に付くものでしょう。
運動してる人は反対側の運動を見つけると反対「運動」したくなる。
結局運動の繰り返し。
78の本で平田オリザがいっていた。
彼らの問い自体が無意味であることをいわなければならないって。
つまり戦争中と同じ様な「恫喝的な比喩(問い)」そのものをね。
86 :
うんざり:2001/06/28(木) 21:06
>そーなんですか。てっきし社民党てきなのがサヨクだとオモテタ。
最近の若い子は(最近とは限らないかもしれないが)、
なんで人に対して、ステレオタイプな党派のレッテルをはりたがるのかな?
貼ってる連中自身が、党派的な思考、何かに属してるという感覚が無いと不安だというのは
理解できなくも無いし、知らない相手を、まずは、既知の人のタイプに分類しといてから、
とりあえず、つきあってみる、というのも、わからないわけではない。
しかし、その、人に対する「カテゴリー」づけが、あまりに狭く貧困じゃないか?
人づきあいの経験が少なく浅いから、なんてよく言われるけど、(それはあまり大きな要因じゃないと思う)
なにか、とにかく何でもいいから、一つの「力のある」ものの下に群れたがっているような気がするのだが。
(これは国家神道や全共闘運動も同様で、いつの時代も同じようなもんだ、とも言えなくないが)
87 :
考える名無しさん:2001/06/28(木) 23:22
>>82 「作る会」は朝日・毎日系の大マスコミでは完璧な悪者だが、
ネット上では賛同を集めてる。
巨人はメディア上では「球界の盟主」だけど、
ネット社会ではアンチ巨人の方が圧倒的な多数派なのと
パラレルになってますな。
国民全体で見れば「作る会」寄りの意見や
巨人が大嫌いな人たちの声もたくさんあるんだけど、
これまではマスコミの偏向報道のために
その意見が公になることは少なかった。
しかしネットによってそういう声も検閲を受けずに
発表できるようになった、ということかな。
88 :
考える名無しさん:2001/06/29(金) 00:15
>>87 ネットでの意見が世間の意見かつーとそうじゃないでしょ。
声の大きい奴が勝つという論理とおんなじで、情熱のある
やつが目立つということだよ。
作る会よりの意見もそりゃ少ないとはいわんよ。
しかし君らには産経新聞もサピオも正論もその他利用している媒介あるじゃない。
人権批判とかしてるくせにそういうところで弱者ぶるなよ。
マスコミを利用して大衆に訴えかける行動をさんざんやってきたくせに、
一方でマスコミを偏向だとする発言は奇妙でダブスタだよ。
89 :
88:2001/06/29(金) 00:17
段落区切りをミス・・・
正解は↓
やつが目立つということだよ。
作る会よりの意見もそりゃ少ないとはいわんよ。
(ここで段落きる)
しかし君らには産経新聞もサピオも正論もその他利用している媒介あるじゃない。
90 :
反省中の64:2001/06/29(金) 00:21
書き込んだことを後悔しはじめている。
意を汲んでくださっている方もいらっしゃるが、
79氏のような方向に感じた方には、この版は素通りし一切書き込まず、
もっと貴方の主旨にあう版で好きなだけ議論に尽力されることを期待する。
そうでないとこちらの版の方々に御迷惑をお掛けする事になるから。
79タイプの書き込みを煽るような真似をしたことが申し訳ない。
91 :
>88:2001/06/29(金) 00:26
>一方でマスコミを偏向だとする発言は奇妙でダブスタだよ
いや、彼らにとっちゃ、産経やサピオ、正論などは、
偏向を正していく、大衆を導く「正しい」メディアなんだろ。
批判対象のマスコミの「例外」、他のマスコミも見習うべき「模範」なのさ。
「オレらも、こんなメディアばかりなら、マスコミ批判なんてしないよ」
と、言われるのかオチ。エリートによる一方通行のメディアだからマスコミ批判しているわけじゃない。
だからダブル・スタンダードだって批判はあたらないんじゃない?
>>90 反省することないよ。あなたの言ってることは丸っきりの正論だから。
79が場違いなだけ。
本人が白状してるように、右翼とか左翼とか、国家主義とは、マルキシズムとは、
といったことに対する知識もなければ知識を得ようとする意欲もない。
「つくる会」が教育に目をつけたのはある意味で鋭くて、実はだれも教科書
なんてちゃんと読んだことがないから、「今の歴史教科書は自虐史観で左翼
で北朝鮮と中国の味方だ」と煽れば、なるほどそうかと信じてしまう連中が
ある程度ついてくる。彼らにとっては、恣意的に注入された思想であっても、
あたかも自分で獲得したかのように思えるから、情熱を持って語るわけだね。
彼らの主張が案外受け入れられているのは、現代日本の経済的状況などより
手法の新しさによるのではないかと思う。
93 :
92:2001/06/29(金) 00:54
>>92の文章わかりにくかった。最初の「彼ら」=「信じてしまう連中」で、
あとの「彼ら」=「つくる会」。
付け加えるなら、比較的草の根っぽい活動からスタートしてるから、なんとなく
「権威」というものに反感を覚えてる層を掴みやすかったのかなとも思う。
94 :
教科書を作らない会:2001/06/29(金) 01:03
時代遅れなやつらは逝ってよし!
うーん。2chのなかではかなり穏健派の哲版でも、
この手の話題になると双方とも時々攻撃的な表現を
使っちゃうんだなあ。
96 :
考える名無しさん:2001/06/29(金) 04:33
64みたいな批判は「つくる会」より反「つくる会」に当てはまる方が多いから余り正論でもないでしょう。「つくる会」そのものの手法がどうなんて、さほど大した問題でもないと思うが。
97 :
考える名無しさん:2001/06/29(金) 05:31
朝日新聞 「憲法9条」で虚報
オランダのハーグで1999年5月開かれた平和市民会議で、「各国が日本の憲法9条を見習う」よう訴える文言を盛り込んだ文書が採択され「憲法の理念が世界の平和運動の共通の旗印として初めて前面に掲げられた」と、当時、朝日新聞は伝えていた。
この報道をきっかけに、護憲派は念願だった「9条の世界化」が実現したと活気づき、広島の平和宣言や総選挙の野党公約などでもハーグの”快挙”が取り上げられた。
しかし、本誌「RABタイムリー」が会議主催者に確認したところ、採択文書に憲法9条のくだりは一切なく、虚報だったことが明らかになった。
朝日新聞は、「基本十原則」というタイトルの文書に9条の文言が盛り込まれたとしている。主催者によると、そうしたタイトルをつけた文章が主催者発行のニュースレターの記事として掲載されたが、あくまで非公式なものだったという。会議関連の多数の文書や各国の主な報道を網羅したハーグ平和会議公式サイト(ホームページ)にも「9条」の文字はない。
ハーグで取材した朝日記者は記事にあった「基本十原則」を採択文書の一部と誤解して書き、本社サイドも確認の指示を出さなかったか、意図的に虚偽の事実が報道されたことになる。
http://www.rab-timely.net/sub/sub00003.htm ハーグ平和会議公式サイト
http://haguepeace.org The Hague Agenda for Peace and Justice for the 21st Century
http://haguepeace.org/appeals/english.html
98 :
考える名無しさん:2001/06/29(金) 21:53
>>97 の一個目のリンク行ってみましたが
> もともと、9条の理念を世界に広めようとのアイデアは、
>1993年の憲法記念日に、朝日新聞の社説が提言したものだった。
これは明らかな事実誤認ですね。
9条を世界に広めようというアイデアは大昔からありますし、
アメリカに「憲法9条の会」があって、
(代表・チャールズ・オー・バービー オハイオ州立大学教授)
湾岸戦争の頃、日本に「金だけ出すんじゃなくて兵力も出せ」
とアメリカのマスコミがしきりに喧伝し、
「日本には9条があるから戦力は出せない、しかも
その憲法に深くコミットしたのがアメリカだ」
ということを、(本当に)ただの一回も報道しなかったことを
強く批判していた。
ってことを朝日ジャーナルで読みましたよ。
とうぜん1993年よりずっと昔。
(わたし、そういう世代なんですよ)
99 :
新しい名無しさんをつくる会:2001/07/01(日) 01:28
>>1 私は左翼系の師匠から「君は左翼だ」と言われたことがあるが、
本音を言うと、隣国からの修正要求には猛反対。
「つくる会」の考え方には賛同しないけど、その教科書が
たとえ間違いだらけでも、どれほど偏っていたとしても、
それを政府や国家の判断で修正させるというのは、
言論の自由の弾圧になりかねない。
たとえば"jca.apc.org"の人たちに、
もっとマシな未来志向の教科書を作成してもらうようなことは、
ネットで見る限り、ちょっと期待できないところがカナしい。
いずれにしても、執筆者は立場上、
史実の正確性に関して責任をもつべきではあると思うけど、
「教科書にこう書いてあるんだから信じなさい」という教育こそが、
そもそも間違ってるんじゃないかな。
よくわからないこと
・ソースを出さずに議論するなというもっともな(俺から見て)意見を出すと
「それじゃあ別板みたいになってしまう」と反論する人。哲学だと
文献に基づかずかってな思弁(=妄想?)を繰り広げてもいいということか?
・左派と中国派を分けようとする
>>80の意見。サヨクの内部では昔から
「〜はホントのサヨクじゃない、俺たちこそが真のサヨクだ」
っていう争いが盛んで、またそれがサヨクのもつ胡散臭さを
いっそう高めてたっていうのが俺の認識なんだけど、
そんなつまらない(往々にして学問的では全くなく、
時代時代の政治状況や打算によってのみ決定されるような)
レッテル張り・暖簾争いに、
サヨクではない人にとって何の意味があるのかと思ってしまう。
>>80と中国派のどちらがホントのサヨクなのかは、
>>80たちの狭いサークルのなかで
かってに延々と議論してくれればよろしい。
>>79に反論することが(サヨク内部の下らん争いにとってのみならず)
歴史教科書問題にとっても重要なことであるのかどうか、
おれは疑問に思う。
101 :
neo円楽:2001/07/31(火) 15:51
カタカナで書くサヨクってのは
>>100で書かれた様な左翼内での争いの結果、
生まれてきた奇形左翼を指す言葉なんでしょ?
確かに
>>100で言うように左翼内部の闘争についてはどうでも良いんだが、
サヨクってのは奇形と呼ばれるだけの問題を抱えてるのは確だからね。
自己認識の上でて確固とした自身の立ち位置が左派だと言うような人達とは
議論するだけの余地があるし、むしろ望んで積極的に意見を聞きたいとも思うよ。
サヨクってのはそもそも議論が成り立たない点を含めて「サヨク」って呼ばれてるんだから。
102 :
ジャコバイト:2001/07/31(火) 15:59
大東亜戦争の史的意義は日本が自ら主張せねば、どの国もわかるまい。
1.そもそもある集団(国家、党派、世論などなど)が同じ考えを持っているかのような
言い方をすることが、間違いである(意思主体は人間なので、構成員同志の相互の合意と
構成しないとだめ。同じ考えを持っている、だと合意という過程が抜け落ちる)とか、
2.ある集団・考え方についての意味付けが、その「ある集団」「考え方」に反対する側から
つけられた物である場合は、その意味付けについて検討する余地があることとか、
3.実証したことを根拠とした議論であっても、構成法がおかしければ
構成法がおかしい例としては、
日本の歴史・中国の歴史みたいに、国家単位の歴史があるように言うこと
(正しくは、日本という地域にかかわる歴史、など)や、
実証的証拠が無い場合には「なかった」のではなくて、「その点については
わからない」が正しいこと、
実証された事実と、事実に対して下す評価を切り離して考えるべきだが、
それができていない、など
容易に反論が可能である事、など、歴史と、歴史を論ずる人間のあり方を批判的に
考察していけばよいでしょう。そういう意味では抽象論であって構わないと思います。
104 :
考える名無しさん:2001/07/31(火) 23:37
テイラーなんかの共同体論者との絡みで
この問題を哲学的に語れる奴はいないのかな?おれは無理だけど。
あと、問題の教科書を実際に読み、また具体的な箇所をあげて
論じることのできる人以外には、西尾たちが「権威主義的」で「国家主義的」
だという資格はないと思うぞ。
もちろん、彼らの教科書が「正しい」(なんて幼稚な言い方をしてる奴らは
2chでもあんまりいないけど)と主張する資格もね。
おれは教科書は読んだ。
とくに文化財にかかわる記述で、「バロック美術にも匹敵する」とか、
「ミケランジェロに匹敵する」なんていう変な理屈があったり、
「国家意識」なんていう定義づけのよくわからん概念が
天武・持統朝に確立されたという話(p53)には首をかしげた。
歴史に詳しい人が見れば細かい傷はもっとあるんだろう。
しかし、主な問題になってる近現代の記述、たとえば朝鮮併合のくだりなんかは、
朝日新聞が煽ってるほどひどい記述だとはどうしても思えなかった。
サヨクでも左派でも何でもいいが、あの教科書がダメだと思ってる人は、
韓・中から出された訂正要求のレベルの低さについてはどう考えてるのかな?
105 :
考える名無しさん:2001/08/01(水) 00:05
修正要求どころか、教科書自体も読んでない奴が
ほとんどだろ、この板でも、
また中国韓国でデモをやってる連中の間でも。
106 :
考える名無しさん:2001/08/01(水) 00:16
私は本屋でぱらぱらと立ち読みした程度だけど、この教科書は反対派が批判している
点とは別のところでいろいろと難点がある。
>>104も指摘しているように、文化についての記述に変な点が多い。
なんでいちいち西洋文化を引き合いに出すかな〜?
また、単純ミスも多い。
たとえば、明治の鉄道国有化について1906年だと明示してあるが、これは法律が施行され
た年であって、実際に大部分の鉄道が国有化されたのは翌年だから、明らかに間違い。
執筆者も検定側も批判者も歴史観に関わる部分ばかり注目して、事実誤認を余り問題にして
いないようだが……。
たまたま話題になったし、市販本もでたから
そういう事実誤認が一般の人にも明らかになったわけだけど、
他の教科書でも間違いってたくさんあるよ。
俺は塾で中学生に歴史教えてた経験があるから知ってる。
ま、いちいち数え上げたことはないので単なる印象だけど、
作る会教科書の方がそういう間違いはちょっと多いかな、という感じはあるな。
岩波かどっかから、事実誤認を指摘した本も出たし、
HPでもそんなページあるけど(
http://wwwsic.nii.ac.jp/rekiken/list3.html)、
他の教科書もしばしばしでかしてるような単純な間違いを、
作る会教科書についてだけあげつらうのは
フェアじゃないな、という気はする。
108 :
106:2001/08/01(水) 00:34
>>107 いや、作る会許可書だけを批判したいんではないんだが、たまたま話題
になっていたので書いてみただけ。
中学教科書についてはあまり詳しくないけれど、私は数年前に高校で日
本史を教えていたから、歴史教科書に単純ミスが多いのはよく知っている。
ごめん。アンフェアだといったのは、岩波(?)や
前掲ホームページの作者についてです。
とくにあなたのことを言ったわけではありません。
作る会教科書をつぶすっていう目的がまずあって、
後づけの理由として重箱の隅をつついてるような印象があるですよね、、
彼らには。
私、実は中学社会と高校倫理の免許もってるんですが、
歴史の知識はあんまりありません。
106さんの方が歴史の知識は多いでしょうから、
107で挙げたHPはご存知でしたか?
感想を聞かせていただければ幸いです。
110 :
>107:2001/08/01(水) 01:47
リンク先が繋がっていない。自分のマシンだけかな。
日本と中国・韓国では「教科書の重み」が違う。
向こうは、自分たちが教科書を使って「反日教育」を叩き込んでいるから、
作る会の教科書で「反中・反韓教育」を叩き込まれる、と思い込んでいる。
しかし、教科書使ってない日本の社会科教師なんて腐るほどいるし、
生徒は生徒で社会の教科書なんてほとんど読んでない。
幸か不幸か、先生の授業プリントや塾の授業・参考書で「知識」を叩き込んでいる。
よって教科書くらいでは「ナショナリズム」も「反中・反韓」も叩き込まれない。
112 :
40:2001/08/01(水) 03:01
>>111 確かに。
西尾たちは「新しい教科書」ではなく、
例えば「新しいゲームソフト」をつくるべき
だったのかも知れない。
113 :
112:2001/08/01(水) 03:02
↑はこのスレの40ではないです。スマソ。
昔の家永裁判のときには、朝日・毎日や左翼政党は
検定制度そのものが検閲であり思想統制だって言ってたんだけど、今回の騒動では、
韓国からの誰かが言ってたが学問的レベルのきわめて低い修正意見を
検定制度のなかでちゃんと取り入れろ、って言ってるんだよなあ。
なんだろ、これ。
作る会もいかがわしいが、
それに反対する勢力だって相当にいかがわしいのでは?
>>110 クリップボードないしメモ帳経由でもいけない?
おれは大丈夫なんだけど。
116 :
考える名無しさん:2001/08/02(木) 02:18
ここは哲学板、つまり物事を一歩引いてメタレベルで見るところなんだから、
私としては、20年位前ならマイナーだったろう「作る会」の主張が、最近は割と流通しだしたのか、ということを論じたい。
日本史板で「731、南京虐殺を否定したがる奴の心理」ってスレがあったけど、事実関係を論じるスレになってしまった。
んで、ここでは「何で作る会の主張が正しいと思う人が増えたのか?」を考えてみたい。
やっぱり、好況のときは「日本=経済大国」ということで誇りがもてた→不況になって誇るものがなくなった→歴史に誇りを持ちたいという無意識的な欲望が起こる→そこで日本の歴史の痛いところは躍起になって隠蔽する
というプロセスなのかな?景気が良くなれば作る会もまたマイナー化?
117 :
考える名無しさん:2001/08/02(木) 03:52
>>116 単に景気がよくなるだけではダメ。
異常な円高によって、ジャパン・アズ・ナンバーワンの夢を再現しないと。
でも、それは不可能だな。
輸出依存型経済だから、長期間1人勝ちは出来ないし。
118 :
考える名無しさん:2001/08/02(木) 06:24
>>116 経済的に調子がいい時は経済大国であるという誇りが持てたけど、今それを
持つことはできないというところは同意。ただ、それが歴史に誇りを持ちたい
というところに直結してるというより、日本を経済的に追い詰めてるアメリカ、
または安い労働力で日本の産業を壊滅に追い込みつつある中国、半導体や造船
といったかつての日本の御家芸を奪った韓国に対する敵対心があって、そうし
た仮想的「外敵」に対する共同体的まとまりを作ろうとする運動なんじゃ
ないかな。そのために歴史を持ち出したと。
単に「日本は素晴らしい」と言ってるだけじゃなくて、「自虐」「反日」と
いった攻撃的な用語が彼らの運動に目立つところにそれを感じる。
119 :
ナナーシー:2001/08/02(木) 06:37
>>116 端的にいって、人間はやはり自責の念にはいつまでも耐えられないって
ことだと思うよ。
しかも、当時の記憶を残している世代が少なくなっているわけだから
尚更そうなんじゃないかな。
精神衛生的には健全なありかたとはいえるけど、やはり事実は事実で
変えることはできないし、歴史的な責任は背負わざるを得ないのは
致し方ないと思う。
116にある範囲で同意
経済状態が悪化して、社会が沈滞していく。
結果として、アイデンティティの担い手としての
ナショナリズムが高揚されていく…
(これも信じたがる側と、信じる者がでることで
得をするものがいるからだが)
(特に近代以降の)歴史上の顕著なパターンだ。
>>119 >やはり事実は事実で変えることはできないし、歴史的な責任は背負わざるを得ない
ただ、じゃあ俺らはいつまで責任を追う必要があるんでしょうな?
俺は戦後30年以上経ってから生まれたけど、やはり責任を追う必要があるんでしょうな?
じゃあ戦後100年後に生まれた子供は?
そうなると秀吉の朝鮮出兵も責任を追う必要があるんですか?
あなたはフビライの元寇には責任を取ってもらうわけ?
――と屁理屈を言いたくなってくる。
正直な話、俺らは、どのように責任を負えば良いんでしょう?
公の場で謝ってるし、金も支払ってるし、協定も結んでるのに、それは謝罪ではないの? 責任ではないの?
俺、作る会の気持ちも少しだけわかる。
よく言われるのが「やったことをやったと認識しろ」ってことだけど、
作る会は、まさにそこで反発してるんだから。
「やってないことまで、やったことにするな!」ってね。
>または安い労働力で日本の産業を壊滅に追い込みつつある中国、
産業が国家の枠内で成立しているという前提自体もう成立していないよ。
その安い労働力を利用している主体に、日本の産業が含まれていないのか?
>>122 そりゃそうだ。そういう被害者意識が日本国内の一部にあるってこと。
124 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 00:14
116だが、私としては自分と国家を二重写しにする思考は、やはり分からない。作る会の連中はみな国家公務員なのか? 確かに日本はネット環境でも韓国に差をつけられるし、結構追い込まれてるけど、それで自分のアイデンティティが揺らいだりするのって、私には理解できない。
「自責」とか「自虐」とか言うときの「自」だけど、私はこれも理解不能。
私は日本軍がやったことは徹底的に悪いことだと思うが、第2次大戦のときは生まれておらず、自分がやったことでないから、私には責任はないと思う。
日本軍や戦前の政府がやったことを自分のことと観念する作る会の主張は、根本のところで私には理解できない。
大日本帝国の継承国家たる日本国には責任があるが、私にはない。
ところで、作る会の連中とか福田和也は柄谷の「倫理21」の戦争責任論はどう評価するの?
125 :
196:2001/08/03(金) 00:19
>>124 西尾などは柄谷的倫理をニーチェ的な僧侶道徳
だと言って批判するんじゃない?
逆に西尾たちは未来に対しての責任はそう思ってるんだろう。
>>121 責任を負うという点に関しては、今の世代が、かかわりあえた時間に
おいておきたことだから、その世代と、大昔のころの話を類比することに
説得力がない、と言えるだろうな。
もともと、両方責任を負うべき話だが、片方は責任を負う主体がないから
仕方ないというだけだ、となるだろう。
あと、謝罪は求められたら単にすればいいとかいう問題ではないと
外国は考えるでしょう。例えば謝罪したのなら、とるべきでない行動を
とれば、お前ホントにわかってんの? って言う話になるでしょう。
最後の部分は正しいよ。作る会の主張には、それにとどまるわけでは
ない箇所があるから、反発をうけるのだけど、事実認識の部分についての
見解は、きちんと検討されてしかるべきだろう。
>>123 それはこの論点での結論じゃないよ。一部を全体にするような
発想があって、それについて述べていることへの批判なんだから。
>>124 同意。哲学板での論議としては、そこをきちんとおさえたいところ
だよね。
127 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 01:23
>>125 永井均のニーチェ論で「PHP的ニーチェ」と藁われてたのは西尾のこと?
128 :
名無しさん:2001/08/03(金) 01:57
>>124 >国家と自分とを二重写しにする思考は、やはり分からない。
では、国家とはどのように成り立っているのだろうか。
国家と個人とは安易に切り離して考えられるものか。
国家というものは個人の意思とはどこか別の場所に存在するわけではない。
おそらく
>>124が国家というとき、政府などの公的機関を想定しているの
だろうが、それを運営している者も個人レベルに分解・還元されるし、
またそれは国民の意思を反映せずに決定されることはない。
だから、国家は個人の意思の反映としてあるのだし、それは社会契約説的に、
いわゆる「リヴァイアサン」として立ち現れる。
また、「自分がどうありたいか」と「実際に自分がどうあるか(どんな条件下に
あるか)」はいつも別ものであって、自分が思っている以上にわれわれは
深く国家に依存しているのであって(意識しないでいられるほど深いところで)、
実際に国家をアイデンティティの支えとし、その浮き沈みにより影響を受ける
者は多い(それは対外的なものと関わらないと分かりにくい)。
国家を個人のアナロジーで語ることは十分可能だと思うし、
そうでなければ、あなたが
>>116であげた仮説も成り立たない。
国家にたいして責任をもつ必要がない、という者は同時に、
個人は自分にたいして責任をもてない、と言うことも可能だろう。
責任というのは、つねに社会的であり、対外的なものなのだから。
>>128 >では、国家とはどのように成り立っているのだろうか。
>国家と個人とは安易に切り離して考えられるものか。
安易に結びつけることを批判しているのであって、彼は安易に
切り離しているわけではない。
ところで、結び付けているのは、観念である。
(実際国家と結びついているのは、国家を構成する要素のあるものと
結びついているのであって、国家そのものと結びついているのでは
ない)
この点観念によって結び付けられていることを、事実として結びついて
いると論ずるのはウソである。単純に、ウソをつくのはやめるべきである。
>国家というものは個人の意思とはどこか別の場所に存在するわけではない。
>おそらく
>>124が国家というとき、政府などの公的機関を想定しているの
>だろうが、それを運営している者も個人レベルに分解・還元されるし、
要素が還元されることは、論理的に理解すれば、国家が還元されたのでは
なくて、国家は個人の意思により、構成・維持されているというのが正しい。
>またそれは国民の意思を反映せずに決定されることはない。
>だから、国家は個人の意思の反映としてあるのだし、それは社会契約説的に、
>いわゆる「リヴァイアサン」として立ち現れる。
これはウソだろう。一般意思を支える意思は、専ら議会の意思。
メディアにより方向付けされた意思でもある。そういう論点があるのに
個人の意思と断じてしまうのは、詐欺的である。
>また、「自分がどうありたいか」と「実際に自分がどうあるか(どんな条件下に
>あるか)」はいつも別ものであって、自分が思っている以上にわれわれは
>深く国家に依存しているのであって(意識しないでいられるほど深いところで)、
>実際に国家をアイデンティティの支えとし、その浮き沈みにより影響を受ける
>者は多い(それは対外的なものと関わらないと分かりにくい)。
この問題は、文化・習俗・言語に内蔵されている思想などの問題であって、
国家の問題ではない。
>国家を個人のアナロジーで語ることは十分可能だと思うし、
可能であることと、許容できることは別だ。論点があるのを、
日本語のあいまいさでごまかすのは許されない。
>責任というのは、つねに社会的であり、対外的なものなのだから
これの名宛人は、国家ではなくて、国家のうちにある、ある機関への
責任だろう。分析的思考を意図的に排するのは危険である。
130 :
125:2001/08/03(金) 02:47
>>125 訂正です。
「逆に西尾たちは未来に対しての責任はそう思ってるんだろう。」
↓
「逆に西尾たちは未来に対しての責任はどう思ってるんだろう。」
でした。
>>127 間違いない!
131 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 02:56
>>127 >永井均のニーチェ論で「PHP的ニーチェ」と
>藁われてたのは西尾のこと?
僕も「ルサンチマンの哲学」読みましたけど
手塚富雄も小林秀雄も西尾と理解は変わらないと思います。
本当に永井の方が正しいのですか?
132 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 03:02
加藤典洋君が2、3日前の朝日新聞の夕刊に
国家と個人と世代について、彼がどう考えているのかが読み取れそうな
記事が掲載されていましたね。
無論朝日の記事なので、靖国参拝反対論なのですが。
133 :
わかりません:2001/08/03(金) 03:09
>128
そのとおりだと思います。私の人格と戦後とは切っても切り離せないものだと
歳を重ねるごとにますますそう思うようになってきました。
しかし、相手が中国と韓国というのはやはり問題だと思います。
日本の歴史教科書が問題だというのであれば、インドネシアやフィリピンや
タイや台湾やシンガポールやベトナムやマレーシアからも文句がきてもいいような
ものですが、そういう傾向はどうもないようですね。それと、それらの国々
は太平洋戦争のころ深く日本が戦争で関与したところですが、逆に中国や韓国
と比較して日本の評判は悪くない、いや中国や韓国の評判がそちらの国々では
悪いことの方が気になります。
これは単に気になるということで、これ以上議論は進められないですが、
処世術としていえるのは、相手の態度や行動にあわせた議論の仕方の方が、
逆に相手に何か伝わるものがあるんじゃないでしょうか。
逆に相手側の教科書を徹底的に攻撃してデモやストライキをやるとか、
環太平洋歴史教科書会議を主催して、問題を議論するテーブルを思いっきり
広く設定してしまうとか。案外ベトナムやシンガポールあたりでこれをやると、
問題は比較的簡単に収束してしまうかもしれないですね。これはちょっと皮肉です。
134 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 03:15
135 :
わかりません:2001/08/03(金) 03:49
>134
今読みましたが、私はこういう立場にはたちません。
国家と個人を結びつけているのは観念であるということですが、
実感としてわからない議論です。なんかわかんないですね。
わかんないというと、頭悪いんじゃボケといわれそうですが、
国家というのは抽象的なようですが、もっと具体的なものでも
あるような気がするんですね。
ひょっとすると国土や風土と国家制度との問題をごっちゃにしてい
るという主張ですか。
でも、わからない議論ですね。ちょっとファナティックすぎません?
136 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 04:04
>>135 国家という表象をすることに対応するのは、
日本という地域にある要素なわけだけど、
その要素を国家としてまとめて呼ぶのは、
そこの人間による観念によってなされるでしょう?
そういう意味です。
会社とかも、人と、ビルと、紙切れと、・・・で出来ているのであって、
それを会社と抽象するのは、人の観念でしょう?
>国家というのは抽象的なようですが、もっと具体的なものでも
>あるような気がするんですね
国家というのは抽象です。具体性があるのは、国家を構成する要素です。
>ひょっとすると国土や風土と国家制度との問題をごっちゃにしてい
>るという主張ですか。
そうではないです。上記は、いずれも抽象でしょう
(風土とかよばれるものに対応する、対象、人の解釈がある、
それを総合的にみて、風土と呼んでいるわけですから)。
抽象同士を関連付けるようなことをしていようがいまいが、
抽象を具体化するかどうかの問題とは関係がないですから。
ファナティックって狂信的って意味ですけど・・・。
どのへんがそうなんですか? 私は国家があるとか具体性があるとか
言うほうが余程狂信的なように思いますが。
137 :
名無しさん:2001/08/03(金) 04:04
>>129 では、あなたは「国民主権」についてはどう考えるかな?
権利ばかりを享受して、その内在的な義務は明文化されてないと
して切り捨てるかな。
もちろん、われわれは生まれた時点で日本国民として定められるわけで
あって、自らすすんでそれを選んだわけではない。
しかし、われわれが「個人」として存立できるのも、何らかの物理的
基盤があるからであって(国家憲法なり国際的な人権保障なり)、
それらなしにわれわれは「個人」ですらありえない。
あなたはそれら社会的な制度を「ウソ」として断ずるが、
それを一面ではもっともであるとしても、その「ウソ」をやりとりして
成り立っているのが社会である以上、それは「ウソ」を越えている。
ちなみに、もしあなたが中国なり韓国に訪れるとするならば、つまり対外的
な関係におかれたならば、あなたは一個人としてではなく、「日本人」として
の立場を要求されるだろう。そこでもあなたは個人としての立場を貫く
ことも可能だが、それではたんに相手にされなくなるだけだろう。
>>137 誰がレス返しているのかよくわかりませんが・・・。
まず、論点がずれてますよ。なんでいきなり主権論の話しにいくんですか?
まあ国家があるというような論者は、そういう論の運びがお好きなようですが。
>しかし、われわれが「個人」として存立できるのも、何らかの物理的
>基盤があるからであって(国家憲法なり国際的な人権保障なり)、
>それらなしにわれわれは「個人」ですらありえない。
個人の存立に不可欠な物理的基盤があることと、国家があることは、
同じではありません。
個人として存立できているのは、国家があるからではなくて、
国家という観念のもとに動く人がいるからです。
>あなたはそれら社会的な制度を「ウソ」として断ずるが、
>それを一面ではもっともであるとしても、その「ウソ」をやりとりして
>成り立っているのが社会である以上、それは「ウソ」を越えている
それをウソとわかってやるのと、ウソだと思わないでやっているのとでは、
全く内実が違います。
>ちなみに、もしあなたが中国なり韓国に訪れるとするならば、つまり対外的
>な関係におかれたならば、あなたは一個人としてではなく、「日本人」として
>の立場を要求されるだろう。そこでもあなたは個人としての立場を貫く
>ことも可能だが、それではたんに相手にされなくなるだけだろう
実際そうでしょうが、それは同じウソを信じ込まされている人たちが
そこにいるからです。
あと、相手にしてくれるかどうかは、日本人としてあるべきあり方を
守れば相手にしてもらえます。具体的に日本という観念に対応させて
向こうの方達が問題にしてくることに対して、日本という地域に生きて
いるものとして求められる認識でもって応対すれば、大丈夫でしょう。
そうすれば、彼らには、私が「日本人」としての立場を全うしている
ように「見えます」。
139 :
考える名無しさん:2001/08/03(金) 08:33
>>20の資料はでたらめじゃないか。なんなんだおい。
140 :
>わかりません:2001/08/03(金) 08:35
>処世術としていえるのは、相手の態度や行動にあわせた議論の仕方の方が、
>逆に相手に何か伝わるものがあるんじゃないでしょうか。
ちなみにあなたは、この議論の仕方をちゃんと対面状況でも実践しているのですか。
もし、実践しているのなら、あなたの議論の仕方に対する他人の評価も含めて
語っていただきたいと思う。
愛というのは結局カルト
外から見ると気狂い
しかも愛国心なるものは自己愛的なフェチだと思う
だからこの問題はカルト問題
142 :
わかりません:2001/08/04(土) 00:30
>誰がレス返しているのかよくわかりませんが・・・。
そのとおりですね。私は少なくとも、哲学板に書き込みするようになってから、
名前変えてませんが…。素性もある程度は明かしていますし、なに考えてるかも
しっかりここを見てるとわかるようにしています。たいしたことはちっとも言ってないけど…。
単なる馬鹿という話も大いにあります。
>140
聖人には聖人に対して、やくざにはやくざに対してというのが私のモットーですが、
わからないことには素直にわかりませんといつも言っています。かわいいやつなどと
いわれることもあります。やくざに対してもそうで、実際、みょうに気にいられたり
して困ることもあります。この歳になっても近所の神父様にお菓子もらったりします。
これが私の議論の仕方に対する他人の評価です。
これを私に聞いた以上、あなたには、ご自分の他人からの評価をここに率直に書き込んで、
それに対してレスをつけてもらうだけの覚悟はおありですか。あなたの、議論の仕方を
他人に率直に評価され、それがどのようなものであれ、受け入れる覚悟はおありですか。
私が見るに、あなたにはない。観念や抽象という言葉はお使いになるが、その言葉になに
ほどのものが込められているのか、私にはわかりません。これがあなたの議論に対する私
の評価です。
日韓、日中の教科書問題もそうです。私には韓国や中国が自分が何をいっているのか、
また、それに対してまともに反論したところで、結局のところ日本帝国主義の復活である
とか、歪曲された歴史観だとかいいます。ならば、あなた方の歴史観を開陳した上で、
それを第三者が見て、妥当なものであるのか否か、その評価を受け入れるだけの覚悟がお
ありかといいたい。私はないとみている。表にも出られないのなら、黙ってろという心境
です。ただし、両国に対して日本が悪いことをしたのは、過程はどうあれ事実です。きちん
と責任はとるべきです。もっとも、みょうな大人のずるさを私は持ち合わせないので、なぜ
なぜ、きちんと両国に謝らなかったのか、ここまで話がややこしくなったのか、
正直わかりません。こういう日本の態度は自国民として許せません。
143 :
:2001/08/04(土) 00:57
>なぜ、きちんと両国に謝らなかったのか、ここまで話がややこしくなったのか、
謝るっていう言葉の定義が分からんけど、
とりあえず、先の大戦で韓国・中国にあたえた被害については
国家賠償を行い、とくに韓国については
「今後いかなる形であれ請求権を主張しないでね」
って形の文面で条約を調印してるよ。
閣僚その他が「妄言」を繰り返すから話がややこしくなる、
という意見が時々出されるけど、いくら「妄言」があったからって、
戦争責任そのものについてはもう償ってるんだからしょーがない。
韓国にできることといえば、閣僚の個々の「妄言」に対して
損害賠償を請求することくらいかな。
でも、それが認められるのなら、日本人だって
韓国閣僚や韓国国定教科書での日本に対する「妄言」に
賠償を求めても良いと思うんだが。
144 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 03:43
>>143 韓国と日本は「対等」ではない。日本は韓国を植民地にしていた敗戦国で、
韓国には一方的に被害者になったという倫理的な優位性がある(と彼らは
思っているし、日本国内にもそういう立場がかなりある)。
韓国はそういう被害者意識を国家的アイデンティティの一つの基盤として
有しているし、それを政治的に利用しようという勢力が優勢なので、日本
が常に敵でなければならない。
韓国が被害者意識を捨てない限りこういう問題はなくならないってことだ。
縦令国際法上では解決した問題であってもね。日本と韓国だけじゃなくて、
フランスとアルジェリアなど、歴史認識の上で対立している旧宗主国と旧
植民地はあるが、そこでもやっぱりフランスがアルジェリアに対して行った
ことを反省してないと批難されてる。
植民地支配は悪である、というアプリオリな規定が覆されない限り、もしく
はミクロネシアの島々のように植民地支配の方がマシだったという経済的
現実が突きつけられない限り、韓国が日本に対してさまざまな事柄について
攻撃してくることは避けられない、という悲観的な見方だけどね。
145 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 03:47
韓国と日本は「対等」ではない。日本は韓国を植民地にしていた敗戦国で、
韓国には一方的に被害者になったという倫理的な優位性がある(と彼らは
思っているし、日本国内にもそういう立場がかなりある)。
国という区分で倫理の優位性を規定できるのかよ。なんだそれは?
146 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 05:32
>>116 それは教科書的な図式。
現在の日本の右傾化は、外交のひ弱さ、公権力の弱さに起因している。
アメリカを公然と批判し、銀行という強者に容赦なく課税した
石原都知事が支持される理由とそのまま重なる。
147 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 05:46
>>144 なんで意識をもつ主体が国家なんだよ。
>>129の批判が意識している弊害の典型例だな、これ。
148 :
140:2001/08/04(土) 09:31
>142
私はね、教科書問題などで結構ゴタゴタしてる人間でしてね、
そういう現場にもし、あなたが来たら、どう議論するのか、もしくは
実際どう議論してるのか、知りたいと思ったわけ。
「聖人には聖人に対して、やくざにはやくざに対して」を
実践してるそうだけど、その態度は教科書の採用をめぐる議論でも可能ですか?
140も142もトゲトゲしい表現になってて、それは悪いね。
149は「140も148も」の間違い。
>>51 >100人切りがどんな事件を指しているのかは知らず、
>にもかかわらず100人切りが「事実」だったという
>ことだけはかたくなに信じていたらしい。。。。
なんかこういう殺し方って、日本人好みなんですかね?むふ(笑)
>刀でふつうに切れるのは、どんな達人であってもせいぜい5人まで
刀で人殺しなんて明治維新以前、産業革命以前ですわな(笑)
その点「毒ガス」は画期的ですわな。いや、それをいったら
核兵器はもっと素晴らしいか(笑)
152 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 11:41
教科書問題とか靖国問題って、
「一部のイッちゃってる人たちの暴走」
という気がする。
たとえていえば、スキンヘッドのネオナチ君みたいなもん(笑)
唯一問題なのは
「イッちゃってる人間が体制の人間だ」
ってことね。
本当はこういうイッちゃってる人間を
政治家として認めてはいかんのよね。
でもなんだかんだいって当選しちゃうのがフシギ。
153 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 11:52
逆に韓国とか中国って、そんなにアタマから
「日本人は鬼畜」(笑)とかいうのかね?
それはチョット信じらんないね。
日本にも韓国や中国から多数の留学生が来ますけど
そういう話はまったく出ないけどね。
韓国では日米戦争の後、朝鮮戦争があったし、
中国でも国共内戦とか文革とかいろいろあった。
彼等は日本人ほどノウテンキに自民族の素晴らしさ
なんて称揚したくないんじゃないかな?
それはあまりに胡散臭い。もちろん、愛国心は
あると思うけれども、それは日本のイッちゃってる
連中みたいにアタマからツマサキまでそう、とかいう
ものでは全然ないと思うよ。
154 :
140:2001/08/04(土) 11:53
(1)「君の言ってることは正論だけど、その通り行動できないよ」という他人からの評価を避け、
(2)職場を共にする議論相手達ともうまくやっていける方法はあるのだろうか。
とくにロジカル・シンキングより政治的感覚が判断根拠になりがちな教科書問題で。
>>153 中国や韓国のナショナリズムはかなり強いよ。
そして、それは反日という形を取ることで狂信的・盲目的になる。
156 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 14:20
とりあえず国家という主体で意識を語るのはやめろや。
157 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 14:40
>謝るっていう言葉の定義が分からんけど、
>とりあえず、先の大戦で韓国・中国にあたえた被害については
>国家賠償を行い、とくに韓国については
>「今後いかなる形であれ請求権を主張しないでね」
>って形の文面で条約を調印してるよ。
これは国家間では、損害賠償をしないという点に関しての反論にしかならない
だろう。それにこうした条約を支える事実認識が変更されれば、それについては
別途考察可能でしょう。この問題がそれにあたるかどうかは別として。
単に結果が日本(側)に都合がいいから、上のような段階で法律論をとなえている
ようにしか聞こえないよ。
158 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 16:01
>中国や韓国のナショナリズムはかなり強いよ。
被害妄想じゃない?
>そして、それは反日という形を取ることで狂信的・盲目的になる。
ああ、そういう被害妄想から、日本の「反反日」ナショナリストは
盲目的狂信家なのか。
一度、病院で診てもらうことをお薦めします。
159 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 16:44
>>158 日本の常識で中国韓国を見るなよ。
まだ「国家という主体」とやらが十分に機能してるのが中国と韓国なんだよ。
そーゆー目で見るのがナンセンスだってことは俺も同意したいが、
でも現実を無視するわけには逝かないよ。
それと病院がどうとか恥ずかしいことを言わないように。
ここは珍しく真面目なスレッドです。
てゆーか、真面目なスレッドにしていかなきゃならないと思う。
国家という主体を機能させているのは、人間の意識なんだから、
とりあえず国家という主体で意識を語るのはやめろや。
162 :
144:2001/08/04(土) 23:24
俺が「国家という主体が意識してる」と思ってるわけではない。観察してると
なにかしらそういった意識的まとまりを強調したい勢力が強いってこと。
倫理的優位性、ということにしても、韓国人は「俺達の国は倫理的に日本とい
う国に優っている」とわざとシンタリティを前面に出してるように見える。
国家の形態やイデオロギーを問わず、「愛国主義」ってのは個人を超えた国家
という一つのまとまりを目指すものであって、韓国や中国にもそれがある。
国という区分で倫理性を語れるのかよ、っていう当然の疑問というか反発は
ファナティックなナショナリズムの前では無力だったりするのではないか、
ということが言いたいんだけどね。
163 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 23:27
164 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 23:41
>>162 まず、国家という主体が意識していないのなら、「韓国人の大半は」と
のべるべきである。
倫理的優位性については、仮に韓国人がそういう主張をしているなら、
根拠があってそういう主張をしており、その根拠の部分が日本人の大半には
かけている、もしくは、日本人のある種の主張が、日本国内において、
さほどの反発をうけないことから、根拠がかけていることと同視して、
そういう結論をのべているのであろう。
日本という「国」と比較してどうこう述べているのでは、ないだろう。
仮に、君がいうような考え方を彼らが現段階でとっているとしても、
今上に述べたようなことを、きちんと日本のなすべき言動をとりつつ
説明すれば、必ず共通の理解に至れるはずである。
なぜなら、彼らは日本に対し、日本だから倫理的に〜である、と
考えているのではなく、日本が〜をしたから、日本は倫理的に〜である、
と考えているに違いないからである。
次に、何故、ファナティックなナショナリズムの前では
国という区分で倫理性を語ることへの反発が無力なのか?
それは単にファナティックなナショナリズムが暴力を含むものだから
だろうか?
もし、そうであれば、言明が暴力に対して無力だという一般論の話であって、
国という区分で倫理性をかたれることが無力だというわけではない。
ファナティックなナショナリズム(言説)も、より強力な暴力の前には、
潰え去るだろう。わけのわからない比較をして、議論を恣意的に無意味化
するのは、やめるべきである。
165 :
考える名無しさん:2001/08/04(土) 23:42
166 :
164:2001/08/04(土) 23:44
最後から3行目
より強力な暴力の前には→暴力の前には に変更
>>157 あなたが何を問題にしたいのか、よく分かりません。
とりあえず私は、
「両国に謝らなかった」という
>>142氏のご意見に対して、
氏の言わんとするところが仮に
条約上の賠償を行っていない、という趣旨であったとしたら
それは間違いだよ、と申し上げたまでです。
もちろん、お金のやり取りだけが謝罪の意をあらわすものではない、
というご意見もあるでしょうが、だからと言って
国家の間の取り決めに関しては謝罪はもう済んでいる(北朝鮮は別)
という事実には何ら変わりはありません。
先ほども申しましたが、私にはあなたが何を言いたいのか
よくわからないのですが、
いったいどういう「謝罪」の仕方をあなたは考えておられるのですか?
>>167(143)
>「今後いかなる形であれ請求権を主張しないでね」
>って形の文面で条約を調印してるよ。
まず、国家間の条約が、契約の原則にどの程度即したものかがわからないので、
正確な論議ができませんが、「今後いかなる形であれ、請求権を主張しないように」
という文面は、その文面を支えた事実認識(つまり損害についての認識)について、
大きな変更があったと証明された場合には、覆される場合はありえます。ですから、
そうした文面があるという理由だけでは、最近まで繰り返し損害賠償請求が
繰り返される事情の説明として、不十分「かもしれない」ということを述べたつもりです。
そこで完全に終わっている、とは、必ずしもいえない場合がある、ということです。
繰り返しますが、今回の事例がそれに当たると断定したわけではありません。
単に法律論として、その段階で当然にかたづくとみるのが間違いだとのべたまでです。
そして、それは日本側の立場に有利な結論だから、それでいいと考えているフシがある、
と思った旨をのべたまでです。
あと、あなたは、以下のように述べています
>閣僚その他が「妄言」を繰り返すから話がややこしくなる、
>という意見が時々出されるけど、いくら「妄言」があったからって、
>戦争責任そのものについてはもう償ってるんだからしょーがない。
これは損害賠償の支払の問題だけに帰着させて理解していい問題ではないでしょう。
妄言があれば、「法律論」としては認められなくても、不満が生じ、損害賠償を
再び請求したくなるのは、無理も無い話でしょう。
しょーがないで住むのは、あなたが日本人だからではなくて、日本側の立場でしか
この問題を考えていないからです。
あなたは、
>韓国にできることといえば、閣僚の個々の「妄言」に対して
>損害賠償を請求することくらいかな。
徹底して損害賠償の問題に帰着させたいようですが、戦争について謝罪する場合、
戦争を支えた思考の支えになるものを克服することも、そこに含めて理解されるのは
当然ですから、そういう考え方でのみ対応すればいいと言う問題ではないでしょう。
この部分でのあなたの考えは、間違っています。
>でも、それが認められるのなら、日本人だって
>韓国閣僚や韓国国定教科書での日本に対する「妄言」に
>賠償を求めても良いと思うんだが。
これは、論点外れです。ただ一応コメントしますと、
日本が侵略したという認知がなされている中で、韓国に対して、
侵略に関連した記述のことで、日本政府が損害賠償を請求するなどと
言い出せば、政治的に不利になるのは目に見えているとは思います。
道義的にも私は賛同出来ません(実際、道義的な観点からの批判を受けて、
政治的に不利になるでしょう)。あくまで、訂正要求にとどめるべきでしょう。
私から見ると、あなたは不当に日本に有利になるように考えているように見えます。
日韓基本条約の文面、日本史板に貼ってあったリンクで読んだのですが、
探しても見つかりませんでした。ですからソースは今のところありません。
>>143で「今後いかなる形であれ韓国側に請求権はない」という文言があったと
書きましたが、ソースがないわけですし、またあなたご自身も「韓国に請求権は
ある!」という説を強く唱えておられるわけでもないようですので、
とりあえず168の後半部分にだけレスをつけます。
・・・と思ったのですが、あなたのおっしゃること、やはりうまく読み取れません。
>これは損害賠償の支払の問題だけに帰着させて理解していい問題ではないでしょう。
>妄言があれば、「法律論」としては認められなくても、不満が生じ、損害賠償を
>再び請求したくなるのは、無理も無い話でしょう。
ここのお話って、いったいどういう具合に流れているのでしょうか。
日本側の「妄言」に対し、韓国側が謝罪を求めることはよくあることですが、
引用文中の一行目を読むと、「カネを払えば済むって問題じゃない」
という(もっともな)ご意見かと存じます。しかし二行目以降では「韓国がカネを要求するのも
無理はない」という趣旨になっているようで、私としては困惑してしまいます。
念のために申し上げますが、1945年以前の日韓関係については韓国がもはや
請求権をもっていないとしても、日本側の現在の「妄言」に対して韓国が賠償を求める
権利はあるんですよ。私はそれを否定しているわけではありません。
(つづく)
その次。
>韓国に対して、侵略に関連した記述のことで、
>日本政府が損害賠償を請求する
ってのは、分かりやすく具体例を挙げると、
かつての日本統治時代にも「良い」ことはあった、
だからその時代のことを悪くしか書かない韓国の歴史教科書に
損害賠償を請求する!!!
みたいな奴ですか?
しかし、韓国側からの日本への「妄言」といったとき、私の念頭にあったのは
「日本は韓半島からの渡来人(だけ!)が建てた国だ」
「日本は明治維新まではずっと韓国を手本にしてきた」
式のものです。
一般化していうと、こうした文化の起源についての「妄言」に抗議をしても
「道義的に」まずい、ということにはならないと思うのですが。。。。
>日本の常識で中国韓国を見るなよ。
>まだ「国家という主体」とやらが十分に機能してるのが中国と韓国なんだよ。
君の常識でモノを見るなよ。「国家という主体」?そんなもんないさ。
中国や韓国の政府の力が、日本よりも大きいというならともかく。
>そーゆー目で見るのがナンセンスだってことは俺も同意したいが、
>でも現実を無視するわけには逝かないよ。
君のいう現実が虚妄でありナンセンスなんだよ。
君、中国や韓国で世論調査したのか?してないだろ。
ウソなんだよ。君の信じていることは。
>韓国人「俺達の国は倫理的に日本という国に優っている」
悪事を働く機会がなかったからといって
悪事を働く意志がなかったとはいえない。
それだけのこと。
>君、中国や韓国で世論調査したのか?してないだろ。
>ウソなんだよ。君の信じていることは。
キミも世論調査なんてしてないじゃないかよぅ ウエーン
174 :
わかりません:2001/08/05(日) 17:38
>148
そうですか。最前線の方ですね。
可能だと思います。どうしたらよいかはご自身でお考えください。
謝るについて
両国の国民感情がいかなるものかは別として、国際法上の議論より、
相手に謝罪の意が届いたかどうかということなんではないでしょうか。
事実として謝罪したとしても、相手に不満を持たせたり、逆につけあがら
せたりすることがないよう、かなり慎重な態度で謝罪するべきだったでしょう。
もっとも、被害者に対して加害者が謝罪するのは至難の業ですし、ここに法的
手続きを持って謝罪を形式化するという知恵が働くにせよ、もう少し積極的な
働きかけの方途があったと思います。対外的戦略の不明がここでも露呈してい
ると思います。中国とはまだ何とかやっとこうまくいったと思いますが韓国
とはへたくそでしたね、無為無策に近い。韓国との関係は、極めて倒錯した
関係ですから(日本があまりにM過ぎる)、ここは(SMだけに)ビシッと劇場的
・演劇的な外交が必要だと思います。
蛇足ですが、中国と国交回復にこぎつけた田中首相は、かなりのツワモノだっ
たのでしょう(多分すごいS)、この点では改めてすごい人だったと思います。
175 :
考える名無しさん:2001/08/07(火) 01:39
116,124,127だが、あまり反論する気も起こらないけど、みんな、倫社や政経の参考書をチョコッと見て書き込むんじゃなく、少しは考えてから書いてはどうかと言いたい。
個人が国家に先立つのは社会思想のイロハだろうが。人類史の90%以上のあいだ、国家なんてものはなかったが、ちゃんと人類は存続した。戦後直後は日本だって無政府状態だったが、それでもなんとか大部分の国民は生きのびた。私はしばらく東南アジアの某国に住んでいたが、あの国なんて、国家に寄生して生きている一部の層を除く大部分の国民にとってはまさに国家なんてないほうがましで、むしろ国家があるにもかかわらず結構みんな暮らしている。
それから、一人でいるときと二人でいるときでは行動のあり方はぜんぜん違うし、学校なり会社なり国家機構なりの一員としての行動と個人としての行動は、これまた次元が全く異なる。我々がある組織の中で行動するときには、我々はまず、組織から期待された役割にそって行動しなければならない。したがって、組織と個人は次元が異なるのであり、組織を個人に還元することはできない。何でこんなことをいまさら哲学板で言わねばならないのか?
>>128 >国家を個人のアナロジーで語ることは十分可能だと思うし、
>そうでなければ、あなたが
>>116であげた仮説も成り立たない。
私の反論は以上の通りだが、なぜ私の仮説が「成り立たない」のか、ちょっと説明してほしい。
ところで、柄谷はどこかでホッブスについて論じてなかったっけ?「戦前の思考」で、ハイエクとカール・シュミットにからめて触れてたのは確認したけど。
>>133 >日本の歴史教科書が問題だというのであれば、インドネシアやフィリピンや
>タイや台湾やシンガポールやベトナムやマレーシアからも文句がきてもいいような
>ものですが、そういう傾向はどうもないようですね。
これは、まず第1に、情報量の違い。東アジアと東南アジアでは、日本に関する情報は量・質ともに雲泥の差がある。第2に、国内が大揺れで、それどころじゃないという事情。第3に、特にインドネシアとベトナムだが、在日大使館や外務省が、「最大の援助国との関係をまずくしないように」との配慮から、この問題にはあえて触れないようにしている。
>いや中国や韓国の評判がそちらの国々では
>悪いことの方が気になります。
そうなの?具体的には?
176 :
考える名無しさん:2001/08/07(火) 01:41
175の続き。
>>137 >ちなみに、もしあなたが中国なり韓国に訪れるとするならば、つまり対外的
>な関係におかれたならば、あなたは一個人としてではなく、「日本人」として
>の立場を要求されるだろう。そこでもあなたは個人としての立場を貫く
>ことも可能だが、それではたんに相手にされなくなるだけだろう。
137氏は中国なり韓国なりに行ったことはあるのだろうか?この文は自分の体験に立って書いているのか?「日本人」としての立場って、具体的には?
私が東南アジア某国に暮らしていたときはもちろん、住むにはビザがいるし外国人登録証はいつも持っていたし、まさに国家の物質性を思い知らされた。円の相場にも一喜一憂したが、しかし、別に円が下落しても私のアイデンティティが揺らぐわけもなく、その国の人びととつきあうにあたっても、なにか特別な「日本人」としての立場など要求されはしなかった。もちろん、日本占領期のことはみんな「ひどいことをされた」と思っているが、別にそれだからといって、目の前にいる個々の日本人について悪い感情を抱いているわけではない。具体的な付き合いの場面で大事なのは個人の資質。
それにしても、「俺は日本を愛するからこそ、作る会みたいな自慰的で都合の悪いことはペテンで押し通す連中は許せない。悪いことはきちんと反省する、正直で品位のある国にしなければならない」という愛国者はおらんのか?私にはやはり国家と私の間の距離感を埋めることはできないが、そういう愛国者には、納得はしないが共感はする。
国益とか言いながら自己満足しか考えてない産経や作る会はともかく、実際に政治に携わる小泉とかが中国・韓国との関係を重視せず、リアルな国益を省みないのはいかにもやばい。これじゃ景気回復どころじゃない。そろそろ本気でどこか移住先を探したほうがよいかも。
・・・・・ここ 全部読んで見ようかな・・・・
178 :
128および137の者:2001/08/07(火) 06:55
>>175 おれが言いたいのは「個人」は「国家」との対概念であり、きわめて社会的な概念
であるということ。「国家」がなければ、それに対応する「個人」もない。
だからそれが存在する前の時代は、まあ「ヒト」が存在したとしか言いようがない。
>なぜ私の仮説が「成り立たない」のか、ちょっと説明してほしい。
あらためて確認すると、それは、「国家と個人と二重写しにする考えが分からない」
とのあなたの発言を受けてのものです。
そして
>>116の結末部に、作る会の主張が生まれた経緯における心理的プロセスへの
推論が立てられている。これは言うまでもなく、組織が個人に還元されている。
そこで国家にもう一度立ち返るならば、たとえ国家にしろその意思決定の内実は
基本的にその仮説で説明されたのと同様のプロセスにもとづいている。
あなたの言い方だと、「国家」がなにか個人と切り離された自己完結的な機構と
思っているのではないかと見受けられてしまう。
また、国家も何らかの意思決定をする以上、それは「法人格」のような一種の人格
とみなせるのであり、そこにおける個人はいわば意識であり、無意識的欲望といえる。
>>176 それについては、上でも述べたように、国家は個人に擬えられる、という前提のもとに
立っている。たんなる経験上のものではない。あなたの経験にしろ、たまたまその国の
ひとが国勢レベルの問題に疎かっただけかもしれないのだから。
だから、この問題については、わかりやすくこう考えてもらいたい。
かりに日本と中国・韓国の立場が逆だったとしたら。
たとえば訪日した中・韓人にたいしてわれわれ日本人は彼我の国の国際関係をもって
応対することができるだろう。むしろ日本人ならばそうしてしまうのではないか。
あと念のために言っておくと、私は国家を個人になぞらえてみることで、それを
正当化してるのではなく、むしろその逆で、その本質的なあり方を明確にしなければ
ことの解決はありえないと思っているのであり、つくる会的な国家観には批判的なの
である。ただ、つくる会的なひとたちと同じくらい、あるいはそれ以上に怖いのは、
国家と必要以上に距離をおこうとすることで結果的に国家の言うがままになってしまう
人たちであり、それはマジョリティであるだけに一定の潜勢力をもってしまうことである。
179 :
128および137の者:2001/08/07(火) 19:00
180 :
128および137の者:2001/08/07(火) 19:32
>>178の補足(国家と個人について)
歴史的にみても「個人」は「国家」に対するいわばアンチテーゼとして生じた
のであり、国家とその内部の人間との軋轢がその者に「個人」を意識させる。
おそらく国家が存在する前には人類は「群れ」のなかで暮らしていたはずだし、
かりに孤独に暮らす者がいたとしても彼に「個人」という概念はあろうはずがない。
個人が個人として生活できるためには、市場経済なり一定の社会の整備が不可欠
である。
ゆえに「個人」が「国家」に先立つというのは端的な誤りであり、現在の状況を
古代にまで遡って当てはめる遠近法的な倒錯である。
さらに言うと、「個人」を「国家」の対抗軸として据えることはできない。
個人は国家につねに内属しているのであり、もしそうするならば、それはある会社の
ライバルを競合他社ではなく、その会社の社員として想定するようなものである。
かりに国家に個人を対抗させることができたとしよう。しかし、そのとき、そこで言う
「個人」は現実から離れた幻想であり観念でしかないものになっているのである。
現今の世界では、われわれのベースになっているのは紛れもなく「国家」であり、
それを否定することはできない。亡命したり外国に移住するとしてもそれはよその
「国家」に移るにすぎない。これがわれわれの「条件」である。
この「条件」にどう対応するあ。逃げることが出来ないとしたら、利用し、自分のもの
にするしかないのではないか。
181 :
考える名無しさん:2001/08/07(火) 19:45
182 :
しゃぶ:2001/08/07(火) 19:49
183 :
:2001/08/07(火) 20:07
買ったとみなしてよさそうだな
>>170 念頭においていたのが、そういう内容であれば、損害賠償の請求という話には
ならないのは、自明だと思うんですが。請求主体は日本なんですか?
日本政府が無い頃の話なのに?
>>143 >でも、それが認められるのなら、日本人だって
>韓国閣僚や韓国国定教科書での日本に対する「妄言」に
>賠償を求めても良いと思うんだが。
>>169 >これは損害賠償の支払の問題だけに帰着させて理解していい問題ではないでしょう。
>妄言があれば、「法律論」としては認められなくても、不満が生じ、損害賠償を
>再び請求したくなるのは、無理も無い話でしょう。
>ここのお話って、いったいどういう具合に流れているのでしょうか。
>日本側の「妄言」に対し、韓国側が謝罪を求めることはよくあることですが、
>引用文中の一行目を読むと、「カネを払えば済むって問題じゃない」
>という(もっともな)ご意見かと存じます。しかし二行目以降では「韓国がカネを要求するのも
>無理はない」という趣旨になっているようで、私としては困惑してしまいます。
>念のために申し上げますが、1945年以前の日韓関係については韓国がもはや
>請求権をもっていないとしても、日本側の現在の「妄言」に対して韓国が賠償を求める
>権利はあるんですよ。私はそれを否定しているわけではありません。
あの・・・妄言を吐くと言うことは、以前の事柄について謝罪したのに、それについて
反省していないと取られるようなマネをしているということですよね?
普通謝った相手が、謝ったことについて、反省していないような言動をすれば、
許すとしたことを撤回したいと考えるのは、心情としては十分考えられることだと
思うんですが・・・。なんでこんな当たり前なことまで説明しなければわからないんでしょうか?
185 :
考える名無しさん:2001/08/08(水) 00:00
116,124,127,175,176だが、
>>178 >おれが言いたいのは「個人」は「国家」との対概念であり、
「個人」の対概念は共同体だろう。共同体の外にいるのが個人だ。ギリシャのソフィスト、孔子のころの諸子百家、仏陀の時代の六師外道、みな個人だ。それに、128では社会契約説に触れているが、社会契約説こそ個人が社会に先立つという主張の典型だし、ホッブスの理屈では国家が形成されたら個人は自然権を国家に委譲しちゃうんだから、ホッブスによれば国家ができちゃえばそれはもう個人に還元できないはず。178は何が言いたいんだ?
>そして
>>116の結末部に、作る会の主張が生まれた経緯における心理的プロセスへの
>推論が立てられている。これは言うまでもなく、組織が個人に還元されている。
ちゃんと読めばわかると思うが、私が問題にしたのは
>んで、ここでは「何で作る会の主張が正しいと思う人が増えたのか?」を考えてみたい。
ということ。作る会の主張が正しいと思う個人の心理を問うているのであり、個人に焦点を当てている。
>それについては、上でも述べたように、国家は個人に擬えられる、という前提のもとに
>立っている。たんなる経験上のものではない。
そんなことだと思った。ことは他者にかかわることだから、まず178は他者に出会う体験をしたほうがいいぞ。自分の頭の中だけで考えていても他者はとらえられない。自分が頭で考えていた前提や思い込みを、思っても見なかった角度から不意打ちするのが他者だからだ。まずは中国語とか朝鮮語とか、とにかく日本語以外の言語を勉強して、外国の掲示板に書き込んで見るのをお勧めする。
>あなたの経験にしろ、たまたまその国の
>ひとが国勢レベルの問題に疎かっただけかもしれないのだから。
どこの国の人でも、普通の人は国政レベルの問題に疎いもんだけど。178は「国政レベルの問題」に疎くない人だけと付き合うつもりなのか?
>たとえば訪日した中・韓人にたいしてわれわれ日本人は彼我の国の国際関係をもって
>応対することができるだろう。むしろ日本人ならばそうしてしまうのではないか。
どうも、留学生や出稼ぎに来てる人とかと付き合ったこともないみたいだね。外国の話をすると、まず「その国は親日か反日か?」って聞くのがいるけど、178もそういう人なんだろう。「食い物はうまいのか?」とか「気候はどうか?」とか、他に聞くことはいっぱいあるだろうが。
>>146 >それは教科書的な図式。
>現在の日本の右傾化は、外交のひ弱さ、公権力の弱さに起因している。
>アメリカを公然と批判し、銀行という強者に容赦なく課税した
>石原都知事が支持される理由とそのまま重なる。
よくわからないんで、もう少し詳しく説明してください。
186 :
考える名無しさん:2001/08/08(水) 00:11
私は初めてここに書き込みます。
>>180 広辞苑には、「個人」についてこう書いてある。
「国家または社会集団に対して、それを構成する個々別々の人。単一の人。
一個人。私人。」
辞書の文句にこだわるわけではないが、確かに国家に対する概念としての個人
は認められる概念である。しかし、それだけではない。社会集団とは、家族で
あり、会社であり、学校であり、地域社会であり、国家であり、世界でありう
る。現実に、それぞれの社会集団の中には一対一、一対多、多対多の軋轢があ
り、それらはその中に「個人」を認められない「群れ」でありうるはずもない。
国家とはその実、社会集団としての立場は、意思を代表するという意味、高次
の総体であるという意味においては、非常に優位性のあるものとして考えられ
ているが、それは単に相対的に意義が大きいだけであって、国家だけが絶対的
に社会集団として意義のあるものでありえるはずがない。
187 :
考える名無しさん:2001/08/08(水) 00:16
扶桑社の雑誌に村上龍の表紙が…
>>184 >普通謝った相手が、謝ったことについて、反省していないような言動をすれば、
>許すとしたことを撤回したいと考えるのは、心情としては十分考えられることだと
>思うんですが・・・。
たぶんそうだろうと思ってましたが、やはりこれですか。。。
謝った、謝ってない、云々の子供じみた水掛け論を防ぐ上でも、
日韓基本条約のことを持ち出してみたのですが
(ソースがない以上はあまり説得力がありませんが)
うーんとですね、感情論ではあなた(や韓国の人)の言うこと
は分からなくもないんですけどね、
たとえば日本側のどんな点が反省してない、と思われるんですかね。
論点はいろいろありそうですが、
教科書問題のスレですので、できれば例の教科書に
そくして指摘していただければ幸いです。
あと、カネは出すべきなんですか、そうじゃないんですか?
また、日本側に求められてる謝罪って、いったいどんな風なものなんですか?
なんか、哲学板らしからぬ論争(?)ですので、何とか
哲学的な話に持っていこうと思うのですが、以前も書いたとおり
(私、実は
>>104でもあります)
私にはできそうにありませんので、あなたの方から振っていただければ
私も勉強させていただきます。
書き忘れたので追加。
「損害賠償」云々の件ですが、
文化の捏造であっても、やろうと思えば告訴はできますよ。
「精神的苦痛を受けた」等々の理由づけをすればいいわけですから。
かつての戦争にかかわる問題なら裁判になるけど、
それ以外の文化面の紛争については裁判にならない、
というのはちょっとどうかと思われますです。
190 :
128および137の者あらためgt;gt;179-180:2001/08/12(日) 03:46
つくる会の事務所を襲撃する事件があったね。
いくらそれに批判的だからといって、
ああいった暴力による絶対化(対話の無化)はちょっとね。
>>186 (遅レスで申し訳ないが、それだけ本腰をすえて考えていた。)
「個人」というのは、やはり社会的な概念であるということが言いたいんだけど、
それは、ただ社会集団の軋轢だけによる意識によっては生まれないんだよね。
それだと単に否定的なものでしかないから。
おれは、「個人」というのをもっと積極的なものであり、かつ社会的に認知された
ひとつの「層」として考えている。
だから「個人」というのは、まったく文字通りの個人ではないわけ。
どこかの歴史的時点で社会的規模による意識変革およびその普遍化を経る必要があるし、
また、「個人」の層を形成・維持するには、目には見えない横の連帯がなければならない。
まず、これがポイント。
さらに、それだけ一定の社会的規模をそなえた層である「個人」が確立されるためには、
そのアンチ対象としてそれ相応の規模をもったものが前提されなければならない。
その対象こそがほかでもない「国家」であり、歴史的にみても「個人」は
市民革命なり、近代化をとおして形成された概念であるというわけである。
歴史事実を書いた奴が自主的に
修正したというが、
間違ったものを認めた行政は処分しないのかね。
全く可笑しな政府だな。
外国人は皆馬鹿にするよ。
192 :
考える名無しさん:2001/08/13(月) 07:43
agetoke
なんで処分するんだよ。馬鹿じゃねぇの?
それなら扶桑社以外の教科書も間違いを指摘されたが、
それも処分されるのか?
194 :
考える名無しさん:2001/08/15(水) 01:58
だからどこの記述が「間違ったもの」だったんだよ
>>191 ソースも挙げずに間違った、なんて表現使うなよ。
根拠を示せ、といわれると「ここは事実関係を論じる板じゃないから」
とかわすのが教科書問題@哲学板の伝統だったように覚えてます。
>>189 国家が精神的苦痛を受けるというのは主張としていれられないと思うぞ。
197 :
考える名無しさん:2001/08/19(日) 03:10
>>195 それがほんとだったらひどいな、と思って読み返してみたら
ほんとにそうだった。根拠を挙げてるのには教科書賛成派
(というより反対派のことが嫌いな人?)が多かったかな
>>196 別に日本政府が訴訟を起こさなくても
ドラえもんの作者や全国おすし屋さん連盟が訴訟すれば
勝つのでは?
反対に、韓国政府が日本政府に訴訟を起こした、
なんて話も聞いたことがない。
韓国でさえ(ワラ そこまでおろかではないのに、
日本政府がお株を奪ってまでヒステリックにならなくても....
なんか勘違いしてない?
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
208 :
考える名無しさん:2001/08/19(日) 03:16
死ね死ね死ね氏ね
これが噂のサイバーテロか、と思った人、
たぶん違うぞ。この時点で哲板全体に嵐が出没している模様。
おれ、韓国のことは大嫌いだけど、へんな風に勘違いされるのも
ちょっとかわいそうになったので。
210 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 01:28
185だが、この内容のスレにテロをかけるのは、どう考えても韓国じゃないだろ。
それにしても議論が盛り上がらないな。そろそろ潮時か・・・
俺としては、「なぜ作る会みたいのがのしてきたのか、その社会心理学的原因」について考えたいのだけど。
211 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 01:39
>なぜ作る会みたいのがのしてきたのか、その社会心理学的原因
不況のせい、というのは短絡的すぎるかな。
212 :
西尾:2001/08/25(土) 01:57
冷戦終結後、10年の歳月が経過し、
戦後民主主義の欺瞞と誤謬が人々の心を捉えたから。
213 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:06
214 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:06
戦後民主主義が完璧なものでなかったことは認めるが、「つくる会」の
論調はちょっと自虐的にすぎるように思う。
我々日本人は、もっと戦後の歴史に誇りを持つべきだ。
215 :
213:2001/08/25(土) 02:10
216 :
213:2001/08/25(土) 02:12
>>214 でも民主主義を誇りとの関連で理解するのって変じゃないですか?
217 :
西尾:2001/08/25(土) 02:22
幻想の中へ逆戻りするな。
あらゆる思想は常に現実の場で実用性を試されねばならぬ。
政治・外交・国際経済。
リアリズムに徹して生きた実務家の努力は
どれほど認められても足りないということはない。
だが彼らが幻想の中で生きる青白い学者の理論に
引きずられるのは如何なる訳だろうか?
戦後民主主義の原理で動いた結果、日本がいかなる国益を得たか?
NOTHING!
その事実を直視せよ。
西尾さんだったらこんなこと言うでしょうな。
218 :
考える名無しさん:2001/08/25(土) 02:35
>>217 そもそもある原理にしたがって行動するというのは、意識のレベルでの
話だから、常にそうした行動は幻想に基づいた行動と言い得るね。
幻想だけの人間云々と言う話は、まあ例えであって、現実には、
「実用性を試す機会に多くかかわっていない」というだけの話だね。
ところで実用性を試したことっていうのは、単に試しただけなんじゃないの?
ところで、戦後民主主義の原理というのは、何かな?
民主主義を標榜するものが、国益を主題にして話をするのは、
いまいち整合的でないようにも思えるが?
219 :
214:2001/08/25(土) 02:36
>>216 アメリカから押しつけられた憲法と民主主義を咀嚼して柔軟に運用し、
異様な速さで戦後復興を成し遂げ、さらに経済的に発展した、という
歴史に誇りをもて……というのではダメ?
>>217 確かに、そう言いそう。あの人、アジが好きだから。
220 :
213:2001/08/25(土) 02:45
>>219 民主主義は議論をつくすことと、制度を整備することで
結果を待つ態度であって、誇りで維持するものではないでしょう。
それに普通の人間が民主主義の意味を理解しているとは私には
思えません。未だに民主主義は自由主義のためにある手段である
点を理解していない人が多いです。個人主義の意味を理解していない
人間もかなり多いです。それは例えば要求を「わがまま」と呼んだり
するあり方に端的に表れています。
あとアメリカから押し付けられたとか言うけど、憲法・法律なんて
大多数の国民からすれば常に押し付けられたものでしょう。
同じ国民のうちの、一部の人たちによって。
ところで日本人の利害にかなうかどうかという点では、
自国人が制定したほうがありがたいなんてことは、
(特に戦後間もなくの段階では)必ずしも言えないでしょう。
むしろ一般の日本人にとっては、憲法はありがたいものだったのでは?
100万円やるよって欲しくも無いのに、「押し付けられた」場合、
それを押し付けられたとは、普通言わないでしょう?
経済的に発展したという点については、いろいろ疑義がありますが・・・。
その過程の中でのいろいろな出来事を考えると。公害と、それへの対処とか。
221 :
213:2001/08/25(土) 02:56
一応民主主義は維持すべきという隠された前提に即して、
220を述べましたが、民主主義とか大げさなことを言わずとも、
きちんとした議論をする機会を確保すること、議論をする能力を
つけること、議論を評価する力をつけること、を大切にしていく
ことが大切だ、ということです。そうした考え方を推し進めていけば、
民主主義的にならざるをえません(私は、民主主義について、
議会制民主主義に限定したような理解をしていません)。
222 :
213:2001/08/25(土) 02:57
大切にしていくことが大切だ
大切にすべきだ ・・・・に訂正します。失礼しました。
223 :
214:2001/08/25(土) 03:04
>>220 >民主主義は議論をつくすことと、制度を整備することで
>結果を待つ態度であって、誇りで維持するものではないでしょう。
確かにその通りだけど、民主主義を採用することが「誇りの喪失」で
あるかのような論調を見ると、逆のことを言ってみたくなるわけだな、
これが。
>未だに民主主義は自由主義のためにある手段である
>点を理解していない人が多いです。
私も理解していない。民主主義は政治的な意思決定の手段であり、事実
として自由主義を保証することはあっても、それと目的-手段の関係に
立つものだとは思わない。
>100万円やるよって欲しくも無いのに、「押し付けられた」場合、
>それを押し付けられたとは、普通言わないでしょう?
いや、それでもやはり「押し付けられた」と言うだろう。
問題は、日本国憲法が押し付けられたかどうかではなくて(憲法制定の
経過をみるとアメリカ主導であることに疑問の余地はない)、「日本国
憲法は押し付けられた憲法だ。ゆえに、この憲法を捨てて自主憲法を制
定しなければならない」という論法のほうにある。この論法の背景には
「押し付けられた憲法のもとでは、日本人は誇りをもつことができない」
という暗黙の前提があると思われるが、果たして「日本人としての誇り」
なるものは、そう単純なものなのか?と疑問に感じる。で、
>>219のよ
うなことを言ったわけだ。
224 :
213:
>>223 なるほど、よくわかります。全体的に見て、そういう説明もアリだと
思います。
>民主主義は議論をつくすことと、制度を整備することで
>結果を待つ態度であって、誇りで維持するものではないでしょう。
>確かにその通りだけど、民主主義を採用することが「誇りの喪失」で
>あるかのような論調を見ると、逆のことを言ってみたくなるわけだな、
>これが。
私は、端的にそんなことは誇りに関係ないと思っているわけです。
(反論しているわけではないです)
>未だに民主主義は自由主義のためにある手段である点を
>理解していない人が多いです。
>私も理解していない。民主主義は政治的な意思決定の手段であり、
>事実として自由主義を保証することはあっても、それと目的-手段の
>関係に立つものだとは思わない。
自由主義が目的である点については、疑問を感じますか?
それだと全く話しがかみあわないことになるのですが、
私は自由主義というのは、ようは制限に民主主義的な規制がかかること
くらいにイメージしてます(あくまでイメージです)。
民主主義は、手続き的な部分の公正さを確保するための「機構」にも
求められます。そういう意味で、政治的な意思決定というような
限定的な理解をするのは、私としては好ましくない気がします。
ただ、結局のところ、このあたりは民主主義についての議論として
扱わなくてもいいところですし、
>>214さんが、うえに述べたような
必要性を理解していないとは到底思われないので、とやかく言う気は
ありません。
>100万円やるよって欲しくも無いのに、「押し付けられた」場合、
>それを押し付けられたとは、普通言わないでしょう?
>いや、それでもやはり「押し付けられた」と言うだろう。
ん・・・そうですか? ありがたくないものだから、押し付けられたと
言うと思うんですが(押し付け憲法論の因果関連は逆ですけどね)。
私が主体として意識しているのが、一般国民だという点について
意識されてますか? 国が意識主体であるかのようなイメージを
持つから、押し付けられたという風に考えるのだと思いますけど・・・。
普通の法律のときとのアナロジーで、公平に考えるなら、
日本国憲法が押し付けだったというのは、妙な話ではないですか?
ただ、
>問題は、日本国憲法が押し付けられたかどうかではなくて(憲法制定の
>経過をみるとアメリカ主導であることに疑問の余地はない)、「日本国
>憲法は押し付けられた憲法だ。ゆえに、この憲法を捨てて自主憲法を制
>定しなければならない」という論法のほうにある。この論法の背景には
>「押し付けられた憲法のもとでは、日本人は誇りをもつことができない」
>という暗黙の前提があると思われるが、果たして「日本人としての誇り」
>なるものは、そう単純なものなのか?と疑問に感じる。で、
>>219のよ
>うなことを言ったわけだ。
この部分には、同意です。