>>684 誤:同上228節補遺
正:『小論理学』228節補遺
(227節補遺も参照下さい。)
>>687 >個が具体的事物だとすれば個から普遍に進めば帰納に?
正確に言えば、分析/綜合の区別は主観が客観に向かう<認識>におけ
る方法上の種別であり、帰納/演繹の区別は主観内部での<推理>にお
ける種別です。
帰納(Induction)とは質の推理の成果である全称推理を媒介する
反省の推理です。帰納自体も類推(Analogy)に媒介されており、
普遍的本質<個物そのもの>の媒介的定立として、演繹(Deduction)
(ヘーゲルは「必然性の推理」と呼ぶ)の前提となるものです。
経験的な各個物の特性は実験的に調べられ、<すべての個物>への類推
により、そこに含まれる普遍的な本質が定立される。帰納は主観に対し
て、具体的経験の領域から反照的本質の領域へ向かうための架橋を提供
するものと言え、一方演繹(定言推理、仮言推理、選言推理)は主観が
総体的客観に向かうための架橋を提供するものと言えるでしょう。
>「経験 総合」「無経験 分析」が「演繹」「演繹的帰納」に?
認識の理念とは<客観>として即自的な向自有を向自的に定立すること
ですから、具体的な対象内容をカテゴリー形式の元に包摂する行為です。
認識主観は客観を概念、判断および推論形式により(カント以降の主観
的観念論における構成とは異なり)“再構成”する。それは分析→綜合
という方法(定義し、分類し、対象の客観性を証明すること)により、
直接的経験の対象が自己を媒介する客観的なものであることを明らかに
することです。
>>700-701(ねこさん)
>どのように「検証」すべきだとお考えでしょう?
労働価値説の検証の一つとして、現在の恐慌状態を挙げることができる。
テレビや新聞で「デフレギャップ」つまり供給過剰(需要過少)あるい
は「資産デフレ」として“説明”(実際は単なる現象記述)されている
この歴史的不景気の根本原因は、資本のあくなき価値増殖欲を支える労
働力の乱費(生産労働の極大化とそのコストの極小化)から来るわけ。
<恐慌>を資本主義経済の本質に基づく、その不可避的な帰結であると
説いたのはマルクスが最初であり、現在の経済学(○経含む)でも、そ
れを単なる均衡からの逸脱あるいは調整可能な一時的局面としてしか捉
えていない。失業者が身をもって恐慌の現実性を実証しても、「本質的
には恐慌などあり得ない」と反証され、単に「リストラ」(構造調整)
などと呼ばれてしまう。まことに反証不可能な“科学的”理論ですね。
>どのように我々の前に明らかにされるのでしょうか?
歴史の法則性の発見と唯物史観の形成史については、下記を参照。
エンゲルス『空想から科学へ』
ttp://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/kuso0.html >ガストン・バシュラール?
アルチュセールの<認識論的切断>は<問題論>(徴候論)と共に、
バシュラールに負う所が大であることは、本人も述べている通りです。
>労働価値説が検証(でも反証でもOK)を免れる理由
として「必然性の洞察」を挙げたのではなく、「徴候論的読み」とは、
直接性(自明性)から蓋然性(問題性)を経由した必然性への転回(確
証性)のプロセスであるということ、として挙げたのです。当然その確
信が正しいかどうかは、そこからの帰結を現実と照合する検証作業を必
要とするのであり、まさに『資本論』全体がその成果なのです。
>>702-703(ねこさん)
>霊魂が存在しそれらが祟るという理論?
確かに中世キリスト教神学は近代合理主義に匹敵する啓蒙性を示してい
た(『啓蒙の弁証法』)が、<霊魂の祟り>は余りにも気まぐれで、測
りがたい(予測しがたい)のも事実。それは解釈であり説明ではない。
>反証可能な言論のほうが、根拠として用いる際に確実性を有しており
1.「ここに机がある」
2.「宇宙人は実在する」
3.「私は自由な市民である」
4.「論理は実証(検証)可能である」
5.「批判的合理主義は反証可能である」
の中で、反証可能そして検証可能(両者は違う)な言論はどれでしょう?
>科学的の言葉の使い方
科学とは元々「学問」と同義語であり、専門化が進んで後、特に自然現
象を対象にして、その法則性の解明と第一原理からの法則の説明を目的
とした理性の営為を指して言う。理論一般の表徴としては、論理性、体
系性、客観性が挙げられるが、近代科学はその実践的な基盤としての技
術的な操作性が顕著です。この点から、狭義の「科学的」とは「説明的、
予測的、制御(操作)的」とほぼ同義です。一方、社会科学は人間社会
において<自由な主体>という非法則的な行動を行う対象を前にして、
科学的であるための基盤(対象の必然性)が自然科学のようには満たせ
ず、規範科学たらざるを得ないと言われるが、社会は自然の一部であり、
その物質的な基礎を明らかにすれば、規範の根拠も客観的に説明可能に
なる(例:生産労働に基づくコミュニケーションの自然史的性格)。
>科学的理論が現実を隠蔽するイデオロギーに過ぎない
「不合理な現実を合理的なものとして説明する科学的理論が」が正しい。