______恋愛を客観的に哲学できる?___

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1考えよ名無しさん
いつもの厨房スレではありません。

「愛」を「恋愛」に限った場合、あまり客観的な哲学があったとは思いません。
哲学者がほとんど男性だった上に、恋愛を経験すると思想も変化するからです。

いわば量子を扱うようなものですね。

それを客観的に哲学できる?
2考える名無しさん:2001/05/26(土) 07:05
もちろん、客観的だから「学」なんですが、それゆえ避けられてきた
テーマなのでしょう。最近の「なんでもアリ」哲学板だからやってみま
すか?
3考える名無しさん:2001/05/26(土) 08:53
ロマンが欲しいならゲーテを読みなさい。
恋愛を科学に持ちこむとつまらなくなるよ。


===========終了==============
4考える名無しさん:2001/05/26(土) 23:34

>>3
「恋愛に科学を」ではなく「恋愛を科学に」というのは面白い。

5吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 23:42
恋愛を語りたいなら別板に逝ってよし。
ロマン(文学板)からエログロまで、2chには何でも
揃っとるで。邪魔なスレは遠慮せい。
ワシ、3とは違う人間じゃけどもな。

★★★★★★★★★★★★★★終了★★★★★★★★★★★★★★★★
6>1:2001/05/26(土) 23:59
エーリッヒ・フロム『愛するということ』がいいかも。
哲学者も、恋愛について書いてます。

「客観的に哲学する」ってどういう意味か、まず説明してね。
7愛と死の名無しさん:2001/05/27(日) 00:37
恋愛=思考停止
よって哲学の対象にはならない。
はたがどうこういって結局そいつの問題だから
そいつ自身が哲学する事。
一般化は無理でしょ。
8名無しさん:2001/05/27(日) 01:50
失恋=思考再開。
ハァ?
恋愛中がいちばん頭つかうだろ?
どうやって相手落とそうか死にものぐるいじゃないか。
10考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:24
>>9
さうです。ソクラテスとアルキビアデス。
11吾輩は名無しである :2001/05/27(日) 02:34
>>9
恋愛に使う思考と哲学の思考は別物だろーが。ブサイクが!
それでもオンナ落としたことがあんのか?(藁

===========終了=============
恋愛と哲学は別腹です、ってか?
ずいぶん都合のいい解釈だな。
まぁ「客観的に」思考できるかどうかは問題だが。
13考える名無しさん:2001/05/27(日) 02:57
ある種の契約関係。意識的か無意識的かはともかく。
貨幣のやりとりとあまり変わらないでしょ。
14考える名無しさん:2001/05/27(日) 03:05
「家族の経済学」とかどーよ
15考える名無しさん:2001/05/27(日) 03:05
>>13
其れはどうでしょうか?
クロスウスキ−。生きた貨幣。
貨幣と似ているのではなくて「貨幣」が廃棄される領域。
契約関係イコール貨幣のやりとりではないでしょう。
1613:2001/05/27(日) 03:07
ん〜、じゃあ「何らかの価値をやりとりする関係」でどうか。
1713:2001/05/27(日) 03:11
不学ながら「生きた貨幣」についてはよく知らないので、
意図をくめてないかもしれませんが。
1814:2001/05/27(日) 03:26
実はわしもよくわからん。
恋愛にとって経済的条件は障害になるでしょ。
しかし経済的条件に縛られて恋愛を放棄するのは
恋愛の不純性を明かすばかりでしょ。
自分の「生活」を守ろうとして放棄される恋愛って中途半端。
ああ、哲学板でなにゆってののかね、俺。
19恋する器官なき身体:2001/05/27(日) 03:28
どれもこれも、恋愛を言い当てていない。
これは、詩や音楽の世界だ。
「論理的にも完全な精神美」に触れた時分かるんじゃない?
今器官なき身体は恋しているから、何も失わないし、奪われたりもしない。
価値説などもってのほか。
「結婚」にそれは当て嵌まるかもしれんが、それも形態がまちまちだから、
必ずしも普遍性を持たない。
そして何より問題なのは、この問題提起が<主観ー客観>の古典的な
二項対立図式になってること。
本当に現代を生きる気があるのか?
勿論、私はキリスト教徒だった事は未だかつてないし、これからもそう。
わーい、わーい、恋って、ス・テ・キ!キャッホー!!!
これこれ、馬鹿な事をさせないでよ。
今、器官なき身体は恋をしている。
しかし、絶対、あんなトコにはいかないぞ!!!
2018:2001/05/27(日) 03:31
わしは15。
14のひと、ごめん。
安ワイン飲んでまーす。
恋愛を経済関係から解放せよ。これ重要よ。
2113:2001/05/27(日) 03:34
14=13なので気にしないで。
いや、「生きた貨幣」調べてみたけど、ファンタスムだのシミュラークルだのつーのは、
結局主観から逃れられないっていう
認識論とか実在論的なとこに落ちちゃうような。違うのかな。
2213:2001/05/27(日) 03:35
いや、でもジコマンだけじゃなかなか恋愛できないっしょ。
できてりゃオッケーですけどね。
できないから経済に見えちゃうんで。
2313:2001/05/27(日) 03:41
> 今器官なき身体は恋しているから、何も失わないし、奪われたりもしない。
恋してる相手を失うってことは絶対にないの?
2415:2001/05/27(日) 03:58
失うことをつねに考えてしまうのが男の欠点かも。
失うことは必然である。
ゆえに考えないほうがよい?
酔いは深まるばかり。
2513:2001/05/27(日) 04:14
考えといたほうがダメージが少ない……ってのがいかんのか。

つーか、女のほうが経済的に考えてる気がする。わりと。
2613:2001/05/27(日) 04:15
某GOが「踊れ」と連呼するのは、一顧に値する、と思ったり。
27横からちょいと:2001/05/27(日) 04:35
あのさぁ、大昔から「恋は思案のほか」というてなや、
そもそも何がなんだか自分でもわけわからんうちに
恋に「落ちて」しまうやないけ。
本来恋は、頭脳ではなく下半身初発、というべき現象じゃわ。
「思案」のほか(外)なんやからね、
「思索とか思弁」なんちゅう精緻な頭脳労働の枠内に
ハマるはずがないやんけ。
すなわち、哲学は頭で、恋はチ○ポで、するもの、別腹。
なまじ頭で恋してみ、じきフラれるわ。知的というより
痴的にすらならんと成就はせんで、恋愛は。

2815:2001/05/27(日) 04:35
女は男を失っても子供が残ればよかったりする。
養育費を払ってくれれば。
なんだこりゃ。午前四時じゃしゃーないか?
全然哲学的じゃなくてごめん。
29考える名無しさん:2001/05/27(日) 04:38
>>28
哲学板だと思ったら、人生相談板だな、ハァ〜〜ッ。
30考える名無しさん:2001/05/27(日) 05:04
問題の設定を限定しないと解けない方程式になって
個々の人生相談になってしまうんだな。
どうしよう?
あたって砕けろ!
3127じゃけど:2001/05/27(日) 05:10
>>30
それそれ、それが「恋愛」の要諦じゃわ。
わかったやないけ。
哲学やない、いうことも、わかったやろ?
3230:2001/05/27(日) 05:17
>>31
自分の下半身対相手の頭脳って思ったら
なまじ考えるやつだったら引き気味になるよね。
そうか下半身対下半身ということか?
これは単純過ぎ?
3327じゃ:2001/05/27(日) 05:23
>>32
いやいや、その通りよ。
3427じゃ:2001/05/27(日) 05:27
>自分の下半身対相手の頭脳

ならば「恋愛」じゃない。相手は打算じゃい。
双方が同じ次元で、激しく引き合う(惹かれ合う)、
考える余裕もないほど。それが「恋愛」。それ以外は
ニセモノだ。
3513:2001/05/27(日) 05:38
>>34
じゃあだいたいニセモノだ。
3627じゃ:2001/05/27(日) 05:41
そうそう。自分も狂い、相手も同等に狂う、
恋愛の本質とはそういうもの。どっちかが「頭脳プレー」
しとるのは、みなニセモノ、擬似恋愛、という。
しかしほとんどはそれで自己満足しとるのよな。
だから、後で悲劇が起こる。
ちゃんと本物の恋愛をしいや。見極めてさ、萌えろ、
燃え尽きて死んでもいいや、と思うほどの恋愛、しろ〜〜!
37横レス:2001/05/27(日) 05:43
>34
感情の横溢には、浮世のあれこれって、なにも関係ないよね。
だから、恋愛って、実のところ、ほとんど体験できないように思う。
一度だけでも恋愛を成就させるなんてのは、僥倖としか思えない。
快感ってセクースだけじゃないっていうのって、すべて忘れて
熱中するほど好きな人がいなければ、絶対にわからないしさ。
そんときは、考えることなんて、無理。

だから、1がいう「客観的に哲学」はありえない、と思う。
自分なりに周囲を考える余裕が出てきたときには、
昆虫の抜け殻のようなスカスカの感情しか残っていないしさぁ〜。
3830:2001/05/27(日) 05:44
うーん。それじゃ恋愛はせくーすに還元されるのか?
晩年のフーコーとか、なんとかせくーすを知によってコントロール
する方策を探っていた様な気がするが、あれは不毛な試みだったのかな〜?
むりやり哲板ぽくしてみたりして、、、
3927:2001/05/27(日) 05:58
>>37
そうそう。同意! でも「恋愛」はあるけんね、君も
いつなんどき「恋に落ちる」かもしれん。それは全く
予想もしない時に思いもかけない仕方でやってくるもんだ。
>>38
セクースとは言わん、エロスと言う。そこで、
初めて、タナトスと拮抗しうる。どや、哲学的に
なってきたやろ?
4027:2001/05/27(日) 06:01
ほんじゃ、ま、がんばってな!!
恋愛は議論とちゃう、実践やで!!
41考える名無しさん:2001/05/27(日) 06:03
これが客観かよw
42恋する名無しさん:2001/05/27(日) 06:04
人は恋をすると詩人になり、失恋すると哲学者になる。
4330:2001/05/27(日) 06:12
>>39
アホにつき合ってくれてありがとさんです。
狂気とエロス。プラトンのパイドロス。
これが哲学とはいわんが、哲学の正面玄関って気がする。
「予想もしない時に」。ドゥルーズのいう「遭遇」ですー!(はすみん経由。愛!)
アホ丸出し。すまそ。
44考える名無しさん:2001/05/27(日) 06:14
>>41
ちゃんとレス読めば? 恋愛と哲学は別腹、という話の
筋道じゃない。
45考える名無しさん:2001/05/27(日) 06:14
愛情の後には憎悪が待ってるよ
46吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 06:23
>>45
それはちがうね。「ニセモノの恋愛の後には」と言うべき。
47恋する器官なき身体:2001/05/27(日) 14:16
恋愛においても思想を突き抜けていかなくちゃならんし。
そして、相手に理解されず頓死したりする。
恋愛の対象を失ったら、あっさり死ねば良い。
48考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:18
自分自身は
49考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:22
ニセモノの恋愛ってなんだ。

おれは最近の恋愛至上主義の方が気になるが
50考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:23
愛至上主義はいいねー
51考える名無しさん:2001/05/27(日) 19:35
>>42
男は確かにそういう傾向がある。
しかし女は失恋してこそ詩人になるような気もするなあ。
52考えない名無しクン:2001/05/27(日) 21:25
一般的に、惚れた女には、**しようという気が起きにくいものだ。
最終的にはどうせ**するんだが、男という生き物は、どうも自分が
気に入ったものに妙に神聖な思い入れをいれたがるものらしい。

もっとも、中にはツワモノがいるもので、ある女に

「ホレそうなので、イッパツやらせてください!」

とのたまった奴がいるそうな。
ま、案ずるよりスるが易しってのは、
究極の男女関係のテツガクだわなぁ。
53考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:11
>>49
前からの話の続きみたいだ<ニセモノの恋愛>>12-43
54考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:40
>52
それです。
でも、そういうことが好きそうな人に惚れる。
なのに、純潔を求ようとして、うまくいかない。
中学の頃からそんな感じ、、、
で、また自爆っと。
55考えよ名無しさん:2001/05/28(月) 07:50

>>5 「邪魔スレは遠慮せい」確かに人生相談板になりかねないことはわかっては
いたんですが、あえてここに、と思ったので・・・。
>>6 フロムは読みました。確か「愛することは技術である」という結論で、だから
技術を習得することが必要だ、という考えに共感した覚えがあります(ちなみに、
技術=駆け引きではありません)。
>「客観的に哲学する」ってどういう意味か、まず説明してね。哲学板に来ると、
このへんからツッ込まれるので勉強になります(皮肉に非ず)。まあ、他の人も書いて
いた「客観的な思考を心がけて」という程度の意味なんですが。ツッ込みの意図は、
「いやしくも<哲学>という限りは客観的に決まってるだろ」ということだと思いま
すが、違うでしょうか? フロムのように心理学系の人ではなく「これは自己の体験
より普遍的な思考に重きを置いてなされている」と思われる哲学者の発言が知りたいと
思ったのですが。その後の議論を見てもわかる通り「恋愛」という単語が出ただけ
で、客観的、というより冷静に議論することさえ難しいように思われます。

確かに真の恋愛は思考停止状態であり、「失恋=思考再開」というのも大いにうな
づける結論ではありますが。あえてブレーキをかけた状態でアクセル踏んでみた
(思考してみたら)どうなるか、と。

56恋する器官なき身体:2001/05/28(月) 17:25
恋愛を噛み砕く快楽も良いが、本来、愛は詩的に表現するもんじゃないの?
マターリとタントラ・セク−スしてえな〜。
57考える名無しさん:2001/05/29(火) 07:14
>>56
詩的に表現するもの、というのはいいが、「恋愛」とか「性」とかいうと
すぐセックスを持ち出して思考停止するのはどうかな?
58恋する帰還なき死体:2001/05/29(火) 17:13

セックスって死に近づいてくようだよね。
愛だよ。詩だよ。うんうん。

>タントラ・セクース
座位で、入れたまんま擦らないで一時間くらいずっと見つめあってキスしてるの、いいよね。
セクースで思考停止したときにあらわれる体験、哲学の源泉なんだよね。
タダの欲望する諸機械厨房にはわからないだろうなぁ。
59考える名無しさん:2001/05/29(火) 17:36
>>54

うむ、純穴・・・じゃなかった純潔にコダわるのは、
やはり自己愛的じゃないかと思いますねえ。
もちろん、これは自分自身を省みて云ってるわけですよ。

>>57

肉体の交わり(どうもセックスというコトバは嫌いだ
英語なら単刀直入にファッ*というべし)を持ち出すのが
なぜ思考停止なのだ。貴様こそ勝手に不快感から思考停止
しとるじゃないか。え、どうなんだ?

60考える名無しさん:2001/05/29(火) 17:41
>>58

・・・とはいえ、コトの最中に思考するバカは居らんね。

まあ、哲学なんてもんは、「下手な考え休むに似たり」
というようなもので、畳の上で水練するとか、AVみて
センズリぶっこくみたいなもんだ。水泳は水の中でしか
できんし、アレと男女揃って出来ること。
61恋する帰還なき死体:2001/05/29(火) 18:28
>>60

いや、だから、コトの最中は前頭葉の働きを停止して、
あとで、その余韻を反芻しながら思考を始めるのです。
62:2001/05/30(水) 03:28
>>55
>「いやしくも<哲学>という限りは客観的に決まってるだろ」
客観的な思考が正しいとか、善であるとは限らないよ。
問いを問い直すのが哲学なだけ。

>フロムのように心理学系の人ではなく
精神分析は心理学じゃないよ。哲学でもないけど。

>「これは自己の体験より普遍的な思考に重きを置いてなされている」
>と思われる哲学者の発言が知りたい
哲学なら「そもそも普遍は可能か」から始める。

キルケゴールもショーペンハウエルも特殊な恋愛観の持ち主。
恋愛について書いた哲学者は他にもいるけど、思い浮かばない。
まだ読んでないけど、竹田青嗣『恋愛論』とかはどうかな?

>冷静に議論することさえ難しいように思われます。
議論のレベルを上げると、厨房たちも寄ってこなくなる。
63考えよ名無しさん:2001/05/30(水) 07:53

>>59
「恋愛」についてプラトニックに限定する気はないが、やはりそうロコツなセッ
クス論を出されると文脈違いに思われたからです。と、いうより、なぜそんなに
からんでくるのかわかりません。「思考停止ではなく、○○の理由でセックスは
重要だ」という議論にしてください。特別セックスを嫌悪しているわけでもない
し、体験がないわけでもありません(と、聞かれてもいないことを言ってる自分
もあまり「冷静」ではないような……)。

>>62 そうですね。特にキルケゴールあたりをみると、哲学者も所詮「恋愛にツブさ
れてる」という印象を受けてしまいます(あくまで印象ですが)。

「その体験中にはそれを客観視できない」というのが恋愛の属性なのかもしれない
ですが。
64考える名無しさん:2001/05/30(水) 09:50
>>63

>なぜそんなにからんでくるのかわかりません。

貴様、自分がからんでおいて、シラを切るか?。

>「思考停止ではなく、○○の理由でセックスは重要だ」
>という議論にしてください。

命令するな。

貴様、セックスはとるに足らぬものだといわれたら
金輪際しないか?しないならしないでも結構だが、
人にバカにされないために禁欲するくらいバカなことはないぞ。
65考える名無しさん:2001/05/30(水) 11:23
みんな、セクース時は頭が真っ白なの?頭がいっぱい?
私はいろんな種類の考え事が浮かんでくるよ。
韻文的にも散文的にも。
もちろん集中してエンジョイもする時はする。
だからわざわざ別物扱いするのはかえって不自然に思う。
(てゆうかもったいない。)
66>65:2001/05/30(水) 12:16
「韻文的に、はいろんな種類の考え事が浮かんでくる」
って、いったい、どんな状態を指してんの?(ワラ
67考える名無しさん:2001/05/30(水) 13:15
>みんな、セクース時は頭が真っ白なの?頭がいっぱい?

セックスという言葉もヤだが、セクースはもっとヤだな。
ファックといえ。ファックと(笑)

そうだな。いろいろ考えとるぞ。三浅一深とか
こいつはクリ派かヴァギナ派かとか(笑)
今、一番の課題は、腰の動きを最少にして
快感を最大にする方法の追求かな?
68考える名無しさん :2001/05/30(水) 15:56
>>67
まじに問うてみるけどさ、そういうふうな「快感の追求」が「恋愛」の目的で
あり究極の形であると思って書いているのかな? だったら、相手はだれでも
いいんだね?

どうして「恋愛」とか「異性」というコトバを出すとみんなセックスに直結した
がるんだろう。「料理」ということばを聞いただけで「メシなんて満腹になりゃ
いいじゃないか」と言われている気がする。
69考える名無しさん:2001/05/30(水) 16:08
>>68

や、目的かどうかは知らんけど、やっぱりキモチいいほうがエエだろ。
で、純粋に快感を追求する観点からいえば、相手は選ぶ必要がある。
これは、物理的な理由もあり、又、心理的な理由もある。

ところで、セックスはイケばいいというようなものではないぞ。
同じイクにいても、イキかたというものがある。それが味というものだ。
どうせなら、料理も女性もおいしく頂きたいのだよ。わかるかな?
70考えよ名無しさん:2001/05/30(水) 16:53

恋愛を哲学として扱う困難の一つに個人的な思弁として完結しえない
ということがある。つまり、常に二人称で体験するものを三人称で記述
できるのか、といった事柄だ。

セックスについての論が虚しいのはその成果を独断的な言説に依るより
ない点にある。つまり独りよがりの自慢話を聞かされるに終始するしか
ないということだ(もしくは後悔話を)。それはおそらく、恋愛について
論じようとする場合も同じだ。貴重な素材をありがとう。

71考える名無しさん:2001/05/30(水) 19:53
なんかー、両極端の二人がいいあっこしてるだけみたいー。
ずーっとそこにいればってかんじー
72考える名無しさん:2001/05/30(水) 22:51
恋愛とかってあほなこと1点なあたまよっつども
73考える名無しさん:2001/05/30(水) 23:30
恋愛なんてものは存在しないのだ。
セックスのための効率的な手段が存在するのみである。
盲目の家畜共よ、幻想に躍らされよ
74考えよ名無しさん:2001/05/31(木) 00:22

>>73
それも立派に解釈のひとつだなあ、とは思っています。
では、セックスの存在しないところに恋愛は存在しないのでしょうか?
チャイコフスキーとメック夫人の「恋愛」は単なる変態行為だったので
しょうか?
おっと、指摘された通り「ロマン」を求めはじめている。
欲しいのは「恋愛という現象の存在意義」みたいなもの?
75考える名無しさん:2001/05/31(木) 00:34
我々は有性生殖と引き換えに不老不死を失った。
有性生殖に伴う恋愛という幻想を神秘化するのもその辺から来るのだろう。
76考えよ名無しさん:2001/05/31(木) 00:40

>>75
進化論を持ち出すのはあまり好きではないのですが……。
もしそれが恋愛の原点というのなら、なぜ恋愛に苦しみが存在するのか。
不老不死の補償だというのであれば、恋愛は喜びに満ちていなくてはな
らないではないですか。
恋愛に苦しむ「意義」がわからない。

77考える名無しさん:2001/05/31(木) 00:42
苦しみがないと喜びは感じられない。
何事も相対的なのだよ。
78考えよ名無しさん:2001/05/31(木) 00:44

>>77
「ナットク」(関根弘ふうに)。
79考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:01
オイオイ
それじゃあゲイについてはどう説明するんだい?
80考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:15
まぁまぁまぁ。
セクースはきもちよくて恋愛はそれを倍増させるスパイスってことでいいじゃないですか。
81考える名無しさん :2001/05/31(木) 07:07

>>80
さぞや簡単な人生を生きてるんでしょうな。

82考える名無しさん:2001/05/31(木) 11:07
結局、恋愛論は定義されないままだな。
だいたい、恋愛ってなんだよ。
気持ちが高ぶることか?セークスでお互い気持ちよくなることか?
マンネリって何?気持ちが高ぶってないと恋愛じゃないの?

ありふれてるかもしれんが恋なんて私的幻想我が何かをきっかけにして変化した状態で
その状態に慣れればおさまるもんだ。そして、その変化した幻想我が他者に自己投影してるに過ぎない。
つまり、全ては主体の心で始まり、終わる。恋とは個人の長い自慰行為だと思われる。

83考えよ名無しさん:2001/05/31(木) 23:24

>>82
大変納得のいく意見だと思います。
そういわれてしまうと反論もありません。
しかし、存在論は語れるでしょう。
なぜそんな、個人幻想の変化が普遍的に起こり、総じて愚かな行為であると
結論されながらなくならないのか?

理性的であることに耐えられない存在である人間が、種族保存の本能(に近いもの)
に基づく欲望を「利用」して自己の無限性を残すために使われているのではないか。

つまり、理性に制御されないことでのみその存在意義があるとすれば、論じること
そのものの虚しさに行き着くしかないのかも知れない。
「終了」が最も正しい結論だったのか・・・でも、続けます。

84恋する器官なき身体:2001/06/01(金) 01:45
恋愛を論ずるってのは、これまた優雅な遊びだな〜。
いまや幻想に生きていて、現実に帰って来たくないな〜。
っていうか、こんなにも愚かな事であると論述する私もいて、
しかし、その欲望に満たされ、尚且つそれを抑圧することが出来ない私もいる。
そして、絶望している。
う〜〜〜ん、ランボオ読もう。
85考える名無しさん:2001/06/01(金) 01:57
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』「恋に恋する」から

 恋愛に固有の倒錯を通じて、主体は、具体的対象ではなく
 恋愛そのものを愛することになる。
86考えよ名無しさん:2001/06/01(金) 07:31

>>85
「相手ではなく恋愛している自分を愛するようになる」という言い方と「恋愛そ
のものを愛する」という表現は微妙に違いますね。スタンダールの「結晶作用」
という言葉を読んだ時、中学生なりに納得した覚えがあります。

別に全体にテーマを限定するつもりはありませんが、私自身は「これだけ統一し
て<所詮自己愛さ>という結論が出ていながら」なぜ存在するのか、ということを
考えています。

>>84
そう、優雅な遊びなんです。苦しむほどのことはないし、苦しむのも多分、遊び、
生命の、存在の「遊び」なんですよ。
87+1:2001/06/01(金) 19:48
物理的形に依存する人間は悲しい。
確証の無い物の存在を否定し生きる事は虚しい。
では、その心は何の為そこに有ると言うのか。
その指の指し示す先に希望は有るのか。
私は、問いたい。

「愛」を信ぜよ。
「愛」を求め、全てを許し受け入れよ。
人は「愛」する為だけに、その存在がある。
「愛」を否定するは、「生きる」事を否定する事である。
「愛」の素晴らしさに、何故気付かない?
神は目に見える「エデン」を奪い
代わりに、内なる心の中に「エデン」を創造されたのだ。
唯一の楽園に辿り着く事を可能にする資格とは「愛」だ。
「愛」を手にした者のみ、「エデン」の鍵が手渡される。
「愛」とは良循環する幸福を言う。
決して終る事の無い感情、それが「愛」だ。
この世界で唯一の「永遠」と呼べるもの。
それが「愛」だ。

「愛」は乞うものでは無い。
「愛」とは与えるものだ。
与え、与えられるもの、その行為に自覚は存在しない。
自覚無く奪うものとも言えるだろう。

「愛」の前に嘘は無く、裸の心と成れるだろう。
皆、「愛」の前では純粋無垢な子供になれる。
力を誇示する必要も、飾り付ける必要も、仮面をかぶる必要も無い。
人は「愛」の前では自由に成れる。
本当の自由はここに有る。

「愛」を求めよ、争いを望まぬのなら。
「愛」を求めよ、「悪」なる感情は外から受けるものでは無い
「悪」とは内から発生するものである。
自分の中の「悪」を憎み、罪人を「愛」せ。
人類理想の繋がり、それが「愛」
「愛」こそが、人類を救う唯一の方法なのだ。

全人類に私は語り叫ぶ。 「愛」を求めよ!!「愛」こそ全てだ!!
88考えよ名無しさん:2001/06/01(金) 20:04

>>87
私も、他のスレでただただ「愛の無条件肯定」を叫んでました。
なぜなら、肯定する以外に存在理由がなさそうに思えたからです。

ひとつだけ。このスレは「恋愛」に限って立てたつもりです。
もっとも広義の愛は、賛美する以外に使い物にならない概念だと思う。
では「恋愛」はなぜ無条件に賛美できないのか? ここでも「錯覚だ」
というか「本能だ」というかしか意見が出ていないように思います。

87さんは、「恋愛」に限っても、同じように賛美できますか?


89考える名無しさん:2001/06/01(金) 20:32
>>88
まず「恋愛」の定義をしてください。
90名無しさん@ご利用は計画的に:2001/06/01(金) 21:24

>>89
あ、難しいな。フツーに「恋愛」じゃダメだよな。
「特定の個人が対象であること」くらいじゃないかな。性別は関係
ないかな。同時に複数、というのは含んでもいいけど、その複数と同時
に会いたい、というのは倒錯の領域だから除くかな。だから厳密に「同時」は除く。
91名無しさん@恋は計画的に:2001/06/02(土) 01:26
>>77
恋愛の苦しみは、仕事上の苦しみや病気の苦しみと同じ?

>>82
じゃあ、恋愛はどれも同じ?
92フーコー:2001/06/02(土) 02:33
1がいっているような愛や恋愛なる概念はたかだが200年ほど前に
市場経済とともに出来たイデオロジーに過ぎない。

今すこし、一歩引いた地平から見据えないとただの言葉あそびだ。
93コーフー:2001/06/02(土) 02:52
>>92
たしか柄谷もそう言ってた。
それでは、明治以前の日本人の恋愛はどのようなものだったのだろう。
94考える名無しさん:2001/06/02(土) 02:58
>>93
明治以前、というよりも室町や鎌倉あたりになると怪しくなる(藁

江戸期は鎖国してたものの近代的恋愛観に毒されていた
95こふー:2001/06/02(土) 03:43
>>94
んじゃ、柄谷に反論してみそ!

鎌倉や室町は庶民の生活がわからない。
96考える名無しさん:2001/06/02(土) 04:01
万葉の歌に現代の「遠距離恋愛」を読み込んだりするのは
単なるアナクロニスムでしょうか?
97考える名無しさん:2001/06/02(土) 05:11
「凡庸な解釈者達は、新しいと見なされたいかに多くの発見を、
古人の中に極めて明瞭に見て取るとることであろうか、そこへと
目をむけるべきだと指し示された今になって」
 カント『純粋理性の新たな批判は、その全てがより古い批判に
     よって不必要とされるはずだ、とする発見に関して』
98考えよ名無しさん:2001/06/02(土) 07:33

>>92
恋愛を題材にすると必ず出てくる議論。もちろん、その歴史的経緯を
たどるのも哲学的行為でしょう。ただ、たとえば「日本の政治形態は
古来から二重構造を持っていた」と分析したところで、現にある二重
構造の弊がのぞけないように、こういう分析こそ「言葉あそび」に堕
しかねない。ただ、あまりに実存的に論じすぎても88で行った通り、
「信仰表明」に終始しかねない。いろいろアリアリでいきましょう。

>>97
すいません「純粋理性の新たな批判は」とは「純粋理性による」なのか
「純粋理性に対しての」なのか、予備知識なしに判断できるものなので
しょうか? そして、どっち?

99名無しさん:2001/06/02(土) 07:43
>>96
別にアナクロじゃないよ。
ただ、古代的恋愛観は現代的恋愛観とは異なる点もあるというだけ。
古代じゃないけど、例えば江戸時代では不義密通とか、遊郭とか、
夜這いのコンテクストが重要。
100恋する器官なき身体:2001/06/03(日) 05:33
>いろいろアリアリでいきましょう。

とか、

> 予備知識なしに判断できるものなので
>しょうか? そして、どっち?

ってので、このスレのざっくばらんさを感じました。
というか、当初からざっくばらんでしたが。。。。
ちなみに、売春ならいくらでも歴史にころがってますね。
売春と恋愛の違いは、必ずしも対象からの見返りを求めなくなる
可能性のある方法、という部分では連結してますね。
101+1:2001/06/03(日) 08:48
「愛」の中でも、最も繋がりの強い関係
それが恋愛における「愛」と言える。

恋「愛」の定義。

自分よりも相手の幸福を望む事。
相手の喜びに、自分も喜びを感じる心を持つ事。

見返りを求める事は無い、無償それが「愛」
互い「愛」であるなら、求めずとも得るだろう。
全てを与え、全てを奪う事。

盲目で有る事。
自己の保身を捨て、生涯守り続ける事。

恋の機能は「愛」によって奪われる。
恋を望まぬ事。
「愛」ある相手意外に目を向けぬ事。

全てを許し、受け入れる事。
また、自分を戒める事。

「愛」は永遠。
終るのは「愛」では無い。
相手が死んだ後も「想い」は
変わらず、そこに有り続ける事。

以上、全ての事に自覚は無い。

知識としての「愛」を実行するのは「愛」では無い。
心が理解し自覚無く実行する、それが「愛」

これが恋「愛」における「愛」と言える。

「愛」の存在は有る。
心の存在を肯定するならば、「愛」もまた肯定せよ。
信じる事が「愛」を実体化させる。
「愛」とは、無いと言えば無い。
有ると言えば、有るに成る。
つまりは、心次第。
異端の動物人間のみが、内なる感情に気付いたのだ。
神の与えし「愛」に。
本能の鎖を断ち切るナイフ、それが「愛」だ。
102Oh, me!:2001/06/03(日) 14:28
 言語って悲しいね〜〜。
103考えず名無しさん:2001/06/03(日) 16:01
恋愛を経済的な思考で理解することを
「ドライだ」みたいに否定する意見があるが、
経済を「感情」と切り離して考えるのはちょっと短絡。
104考えず名無しさん:2001/06/03(日) 16:05
「恋愛」を、他の感情とか思考から分節するかどうかは
それこそ恣意的な問題なのではなかろうか。

で、昔はやっぱり他の感情(群?)と融合していたんだろうと思うが、
いまは分離していると考えるほうが多数派で「自然」であって。
いまさら、再び他の感情とひとくくりに扱うことはできるのか…?

>>102 激同意
105恋する器官なき身体:2001/06/03(日) 21:18
確かに恋愛を言語でややこしくしてるような気が。
恋愛を哲学しても、哲学の役には立つが、恋愛の役には立たない
ような気が。。。。。。
そもそもロジカルなもんじゃないし。
かといって、今時、詩を口ずさんでも引かれちゃうしな〜。
ああ、メディアに媒介されつくしてるな〜、恋愛。
106考える名無しさん:2001/06/04(月) 00:02
>>105
んなこたーわかってるんですよ。
どうも、恋愛というのは、信仰と哲学の中間(また哲学の定義が問題
になるだろうが)のような気がしてるんです。あと、男女間の観念の差
も気になるしね。
107考える名無しさん:2001/06/04(月) 07:50

>>+1 さんにひとつ聞きたい。
「恋」の否定ね。キレイ事でけっこうだ。キレイ事=理念ということかもしれん。
ところで、「あなたとはもう会いたくないの、電話もしないで」と言われた時、
つまり、相手との関係が絶たれても、その理念は生きるのかい? だって、その
愛は対象があってのものだろう? 対象との関係の絶たれたところでもその愛は
存在できるのかい? 自己滅却の愛はストーカーの愛と髪一重、いや、神一重かな。
108+1:2001/06/04(月) 15:35
>>107

「愛」とは「想う」事。
相手の幸せを1番に考え、望む事を言う。

従って、この場合の「関係の終りは「愛」の終りか?」
と言う問い掛け自体に、私は疑問を抱く。

彼氏・彼女と言う「繋がりの呼称」は儀式・形式に過ぎない。
その事と恋「愛」は、直接関係は無い。(間接的には有ると言える)

結婚を例に挙げよう。
結婚したから「愛」になれたか?
否、それだけでは「愛」とは呼べない。

形式・儀式など「愛」において必要無い。
もし、結婚しなければ「愛」に成らないと御思いなら
それは固定概念と言える。
実際、恋「愛」感情が無くとも結婚する事は出来る。

自己滅却の「愛」とストーカーは紙一重か?
ストーカーは「愛」とは言えない。
関係にしがみつくのは「愛」では無い。
関係への執着、それは恋だ。

もし「愛」ならば、遠く離れた場所で相手の幸せを「想う」事をする。
見限られ、離れても、「愛」はそこに有り続けるだろう。
「愛」とは永遠。
終る事の無い「想い」 それが「愛」だ。
109考えよ名無しさん:2001/06/05(火) 06:57

>ストーカーは「愛」とは言えない。
>関係にしがみつくのは「愛」では無い。
他のスレで俺がしてた主張と同じだな。
ホント反論の余地もねーなー。
どうやったらそんな境地に達せるのか、ご教授願いたいところだ。
背理的に、「なぜそういう<真の愛>が現実にみられない」のは何故だと思います?
納得できたら「入信」してもいいよ。つまり哲学することを捨てて信仰してもいい。

11082:2001/06/05(火) 10:58
>+1
貴方の言っていることは真理だ。古今東西聖人達が唱えたものそれはすなわち愛。
私はフロムの書を通してそれを確信した。彼の理論が全て正しいかはわからないが
彼が言う人間の能動的、生産的な自発性はまさに愛のことなのだ。そこには客体に対して
能動的な愛のみが存在する。宗教的に聞こえるかもしれないが、我々がそれぞれ愛を持った
個になることができた時、偽の宗教と愛、そして真理を見分けることができるだろう。

二ーチェ、キリスト、ブッタ、マイスターエッグハルト、鈴木大拙、宮沢賢治、エトセトラ
彼らの叫びをもう一度聞こう。彼らの哲学が例え矛盾していたとしても、真実は揺るぎない。
そう、現代の愛は愛ではない。自慰行為に過ぎない。
111考える名無しさん:2001/06/05(火) 11:34
不生禅
「≪哲学≫と≪行い≫とをどこで区別するかは、時によると六箇敷こともある。
 両者とも同じ問題を取り扱ふが、一には知に傾き一は体験を重んずる、一は概念的
分析を主とせんとするが、一は直感的表現を好む。それで盤珪の不生禅も自ら直感的
な文字で云ひあらわされて居る。行いの最も特異な点は、
全てが慈悲を推進力・展開力として居るところである。それで盤珪も自ら得たところを
何とかして、出来るなら、自分ほどの苦労なしに、人々にも得させたいと思うたのである。」
112考える名無しさん:2001/06/05(火) 12:45
話ひろげるのは別にいいんだけどね、「恋愛」から離れすぎないでね。
>>111みたいな自己満足もでてきちゃうからね。人生相談板から離れた
と思ったらこれだもんな。両極端なんだよ。
113絶望する器官なきドキューソ:2001/06/06(水) 01:09
個人的欲望の正当化作用が何故か普遍性をもってる。
114+1:2001/06/06(水) 08:12
>>109

人は、多くの物を欲する。
物に囲まれ、一時の幸福を楽しむ。
欲しい物は、なんでも手に入る。(人間さえも、物と捉える。)
無くなれば、また新しい物を。
その繰り返し。
一時的幸福を数珠繋ぎし、自分を慰める。

そして、人は勘違いする。
「金が全ての幸福に繋がっている」と。

解り易い幸福に執着する人間。
物理的・形に依存する人間。
「愛」を求めずとも幸福を得る事を知る人間。

だから「愛」を必要としない。
「愛」を求めようとしない。

しかし、その幸福は永遠では無い。
常に失う恐怖を、となりに感じているはず。
物は、いずれ壊れる。
そして、人は「奪う」事をする。
他人を踏み台に、自分の利益を求める。
その、幻の様な幸福を永遠に得る為に。

しかし、それは不可能だ。

>「なぜそういう<真の愛>が現実にみられない」

それは、自己「愛」に帰結する人間が多い事にある。
エゴ「本能」の鎖に繋がれ、操られ
そこから抜け出そうともせず
目先の簡易幸福ばかりを求める為だろう。

無償の「与える心」を持たぬ限り
「愛」には決して辿り着けはしない。

永遠の幸福、「愛」は有ると言うのに
その事に気付かない人間は悲しい。
115+1:2001/06/06(水) 08:12
>>110

>現代の愛は愛ではない。自慰行為に過ぎない。

現代の「愛」における全ての行為が自慰行為。
つまり「自己満足」
「自分が気持ち良くなりたいから、人に尽くす」
つまり計算の上で行為。

それは自覚が生じる。
従って「愛」とは呼べない。
それは恋だ。

「愛」とは、求めずとも得る事を言う。
自己の満足は結果論に過ぎない。

「愛」における行為に自覚は無い。
相手を「想う」 ただ純粋に「想う」事がかたちとなる。
それは、おかしいくらい単純な構造なのだ。
そこに計算は無く、「自己満足」を得ようとする心の存在は無い。

与えた上で、何かしら与える。
また、そこにも(返す側にも)自覚は無い。
恋「愛」における「愛」とは、互いに幸せを願う事。
「与えられれば与える」 「ギヴ・アンド・テイク」 では無く
互い「与え」続ける関係を「愛」と言う。

>>109
>「なぜそういう<真の愛>が現実にみられない」

恋を「愛」だと勘違いする現代の人間。
それも、また、原因の一つだろう。
116考えよ名無しさん:2001/06/06(水) 18:47
>>114、115
個人的には大変共感できるご意見だと思います。
ただ、このスレのテーマを「恋愛」とした理由のひとつに「自分自身を対象として
巻き込んだ」という含みがありました。理念としての「愛」を論じられると明解な
答えが出すぎると思う。別に個人の告白しろというのではありませんが、発言者自身
はこの考えを実践「できて」いるのでしょうか。
「すべての恋愛は<愛>の実現であるべきである」ということなら、その実現のために
は何が・・・と問うのは哲学の問いでは「ない」か。
わかりました。ご意見ご立派、ではお次、としか言いようがないですね。

117考える名無しさん:2001/06/06(水) 22:08
相対主義
二人の経済学者が道で出会った。
「最近奥さんはどうだい?」
「比較対象がないと答えられない」
118+1:2001/06/07(木) 19:49
>>116

私は知識として語る事をしない。
全ては体験、心との対話により得たもの。

「愛」とは、自然発生する感情では無い。
極まった「想い」、それを「愛」と呼ぶ。

恋「愛」とは、互いの「想い」により成り立つもの。
信じ、疑わず、偽らず、純粋な「想い」である事。
それが「愛」を存在させる。
その為には、自己の利益を求める心を(必要以上の物欲を)
捨てる事が必要である。

あなたが思うところ(>>114 >>115)のレスは
理想論に思えるのだろう。
実社会において、軽い関係を断つ事は、確かに容易では無い。
しかし、それこそが「愛」を得る方法なのだ。

>その実現のためには何が

「想い」と言えよう。

恋「愛」は「愛」に成り得る。

結果、恋「愛」関係に(互い想う事に)ならずとも
「愛」は続く。
「想い」は永遠に残る。
それが、「想い」を極めると言う事。

その「想い」が前提になければ
「愛」に成る事は難しい。
恋を繰り返す結果となるだろう。
119匿名:2001/06/08(金) 04:09
上げ!
120考える名無しさん:2001/06/08(金) 19:57
すまぬが、「客観的な哲学」って何?

自然哲学かなんかか?
121考えよ名無しさん:2001/06/09(土) 00:39

>>120
またひっかかられちった。「客観的な哲学」という表現がそんなに気にくわない
のか、矛盾してるのか? ちっと丁寧に教えてよ。

+1さんへの答えはその後ね。

122考える名無しさん:2001/06/09(土) 01:02
>>120,121
がいしゅつ。

投稿数が100程度のスレにも目を通さない厨房が最近増えてきたな。
123提供:名無しさん:2001/06/09(土) 02:04
結局
自己愛の強い人間がいかに自分を理想的に演出するかが「恋に悩む
自分」なんじゃないかと思う。
124名無しさん:2001/06/09(土) 02:13
終了。終了終了。終了。終了終了。終了終了。
終了終了。終了終了終了。終了終了。終了終了。
終了終了。終了終了。終了終了。終了終了。終了終了。終了。終了終了。終了終了。
終了終了。終了終了終了。終了終了。終了終了。
終了終了。終了終了。終了終了。終了

125考える名無しさん:2001/06/09(土) 02:20
2ちゃんみたいな童貞ヒッキーの巣窟で恋愛を語るのは
無理と思われ。
126+1:2001/06/09(土) 14:31
>>123

美化しよう、正当化しようとする心。
それは自分の「想い」に醜さを感じる為。

利己的な感情を隠す行為。

それは「愛」とは言えない。
「愛」なる言葉は、恋を着飾る為にあるのでは無い。

「愛」とは、自分を誠実に差し出す事。
嘘は無く、仮面を脱ぎ捨て、裸の心で相手と接する事。
偽る必要は無い。

「心の解放」 即ち「自由」
それが「愛」。
127考える名無しさん:2001/06/09(土) 15:15
>>123
自己愛とはナルシズムのことではない。ナルシズムとは自己を知らない、
愛せない人間が、自己の中に留まり、客体に対して無償の愛を求める行為である。
彼はまだ、母親と臍の緒で繋がっている胎児であり、世界のあらゆるものと
自分との間に明確な差異を感じていない。彼は幼児のように泣く行為が自己救済だと
考えており、それに客体が答えなければ強い怒りを感じ、攻撃的な行動に出る。
 それに対し自己愛を持つ人間とは、他者を愛し、人類を愛し、世界を愛し同時に
自己を愛している。彼は自分を真に知っており、自分の穢れていることをも知っている。
しかし、穢れは少しずつ変化し、自己の生がそういうものを取り込んで成長してきた。
その経験が自己愛の証となり、他者にもそういったものが備わっていることを彼は知っている。
彼は哲学を持っている。しかし、精神の発展は決して哲学に先行せず、知性は精進によって
もたらされた。彼は他を愛するが故にもう恋に陥ることはないだろう。なぜなら、
恋はナルシズムの段階のものであり、それも精進の内のひとつではあるが、彼にとってはもう戻ることのない行為であるからである。


128名無しさん@まいぺ〜す:2001/06/09(土) 15:59
…このスレと言わず この板は 悪電波の巣窟ですな。(・д・;)
129吾輩は名無しである:2001/06/09(土) 18:25
電波じゃないのだが。128のような人が世の中を埋め尽くしているのは事実。
もうここら辺にしときましょう。
130考えよ名無しさん:2001/06/10(日) 06:36

+1、さんは「ぽく」見えるけど、悪電波ではなく、比較的論理的に説を展開して
いると思いますよ。まあ、電波の人にも自分の論理は通ってるんでしょうが。
ただ、「恋」を否定して「愛」論にツッこんでますからな。また別スレで「愛」を
立てたヤツもいるので、そっちにも書いてやれば? ってカンジです。

「恋愛」について「客観的に」「哲学」できる? と「 」内の定義がすべて厳密で
ないとのご指摘をいただいるようですが、「哲学」はムリとしても、「恋愛」は、
フツーにいわれる恋愛、定義すれば、「思春期以後に始まる、男女の性差を意識して
起こる、性的欲求を含んだ相手を独占したいという感情」くらい? 定義も含めて話
を聞きたかったんですが。よって、+1さんの論は「恋愛卒業後の愛」ですね。

書いてて「相手を独占したい」という部分に違和感があった。独占=束縛というのも
本質でない気はするんだけど。少なくとも「自分が相手にとって唯一の存在でありた
い」ということは間違いないと思う。それは、自分が世界で独自な存在であることを
他者に「保証してもらう」もしくは「補償してもらう」ということであると思う。
そのためには相手はそれ補償できほどの権威でなくてはならず、その権威の根拠が
いわゆる客観的な「魅力」(ああ、もう客観的=一般に通用する、くらいか)である
ことが「多い」。ただし、その根拠は人によって違うし、相手によってまったく違って
くることがある・・・(未完)。

131そりゃそうだ:2001/06/10(日) 11:13
132考える名無しさん:2001/06/10(日) 12:21
オエマモナ〜

133考えよ名無しさん:2001/06/10(日) 22:50

自己批判みたいなものなんだけどさ。「自分を世界で唯一の存在にする権威としての
相手からの承認としての愛」・・・「あなたなしでは生きてゆけない」と、言わせたり
自分が思ったりするヤツなんだけど。これはフロムも言ってる通り「それは人命救助で
あって愛ではない」と思うし、+1さんみたいなのは恋愛の属性のひとつであろう
「相互作用」というものにまったく考えが至らない。「人命救助でない恋愛」とは?

134考えたよ名無しさん:2001/06/11(月) 00:08
恋、は単なる誤解。転移。あっというまに目が覚める。
愛、は仮面を外した者同志のあいだで交わされる、会話やセックス
などの交流。二人の関係のプロセス全体であり、いま一瞬のエロス
の溶け合いでもある。
135考えた?名無しさん:2001/06/11(月) 00:18

>>134
つまり愛は相互交流(intercourse)だってことだな。ふんふん、欲しい
答えに近づいたかな。では、相互でなく、一方的に「愛する」ことは可能
かどうか……。

136考えたよ名無しさん:2001/06/11(月) 00:27
>>135

可能。セクースのない愛。対話による愛。所有できないのが、苦悩。
苦悩するときには、自分にたちもどること。

137考えたよ名無しさん:2001/06/11(月) 00:28
ひとりしか愛せないわけじゃない。
138考えたよ名無しさん:2001/06/11(月) 00:29
しかし、ひとりのもとへたちもどる。
139下等恥的生物を尽く抹殺する者:2001/06/11(月) 00:45
115 名前:いぬのめい 投稿日:2001/06/07(木) 17:52
>>112
愛とは、まあ冷たい言い方だとは思いますが
「対象に己の精神を移行している状態」が、愛がある状態だと思います。
一度移行したものは、滅多に移り変わりませんし、其の対象が一つとは限りません。
母が身を呈して子を助け、死にました。
それは、母の愛が、子供にあったと考えられます。
母にとって重要なのは「自分の体」より、子の生存なのです。
それは、母の「精神」の比重が、既に「自分の体(命)」より
「子の命」により多く移行していたと考えられます。
母は、子を助けたのではない。自分の精神を助けたのです。
ほとんどの人間は自分の「身」に、一番多く精神の比重がかかっていますが
そうでもない場合もあるのです。
自分より、他人に己の精神の比重が多くかかっているとき
人は、其の人を愛しているのです。
もちろん対象は「名誉」「誇り」「物」である事もありえます。
又、複数の場合もあります。
人は、己の精神の為に生きている。
最優先は、己の精神の生存なのです。


あの本も読まず、理論もへちまもないリアル工房いぬのめいが一番まともな事を逝っているのは滑稽だ
愚かな糞犬以下である本の引用しか出来ん下等恥的インコ共は尽く消えてね(藁藁藁藁
140下等恥的生物を尽く抹殺する者:2001/06/11(月) 00:47
妄想ザルどもは動物園版へ逝け
141考える名無しさん:2001/06/12(火) 05:11
sage
142考える名無しさん:2001/06/14(木) 08:14
恋愛を客観的に語って何になるんだ?
何考えてんだ、ここの1は?
客観的に言っちゃったら、全部自己愛だよ。
ただ、ちちくりあってるだけにしか見えん。
端から見て滑稽でも、本人はそれを愛だと思うなら、それは愛だろ?
信じて駄目なら、それまで終了おつかれさん。
それが恋。
愛とは、外野がウダウダ語ることじゃない。
当事者(主観として)が語ることだ。
143考える名無しさん:2001/06/14(木) 13:19
>>142
このとき、まだ彼はシンジツの愛を知らないままでいたのだった・・・
144名無しさん@ご利用は計画的に:2001/06/15(金) 07:06

>>142
いや、主観で語りたくないから、というか、客観視したいから立てたワケで。
溺れそうな人間が泳ぎ方を客観的に考え直しても救われないとは思うんだけどね。
145考える名無しさん:2001/06/18(月) 23:59
本当に愛している相手ならレイプしてもいいのかな?
いや、いいわけはないんだよ、いいわけはないんだけれども。
時に単なる欲望でなく、真に壁を乗り越えるための方法としての発動もありか、
と思ってしまうことがあるんだよ。忌憚のない意見を。いや、悪いのはわかってるから。
146薔薇子:2001/06/19(火) 00:03
精神的な愛情と肉体的な愛情は別では?
147名無しさんの主張:2001/06/19(火) 00:09
>146 肉体的な愛情?ん?
148スーさん:2001/06/19(火) 05:28
>>145
「愛」とは、全てを与える事。
たとえ、見返りが無くとも不満は無く
ただ相手の幸せを望む事。
無償、それが「愛」
自分では無く、相手の幸福が自分の「喜び」に繋がる。

もし「愛」であるなら、相手を傷付けうようなど
想像もしないだろう。

>>146
「恐怖による支配」「同意無き略奪」
独占欲、物欲、利己的行為=恋

肉体に依存する「愛」など無い。
「愛」とは、全てに向けられる「想い」
相手の存在全てを「愛」しく「想う」と言う事。

極まった「想い」 それを「愛」と言う。
149+1:2001/06/19(火) 05:30
>>148

別板のクッキーが残ってた・・・。
150総括者:2001/06/19(火) 12:45
>>139それは恋だってこのスレのラディカリスト達が言ってんでしょーが
愛はある程度深く恋愛に入っていかないと文化人に理屈でいってもわからないと
思われ、わかる人はだいたい共通のことをいってるからそれが人間の最後に
辿り付くものではないかと思われる。無償の愛は体験者にしかわからない。
頭が良くてもわからない。以上
151考えよ名無しさん:2001/06/20(水) 07:51

もう・・・また「愛」に関するスレッドが立った。そりゃ、私だってそのスレッド
乱立の一翼を担ってるんだから文句はいえないよ。だけど、「愛ってなんですか」と
聞けば自分を支配している(あるいは存在させている)愛について考えた気になって
安心するという態度がミエミエです。

私が「恋愛」に限ったのはそういう思考停止に陥らないため、というつもりだったんですが。
固定ハンの弊に恐れますが無責任にならないように答えます。

>>+1 さん、恋愛を愛と区別しないのは相変わらず。そこへの道を理想一本槍なのも
あいかわらず。「肉体に依存する愛などない」・・・たとえば誰かに会う、会える、
会いたい、と考える時に早くなる動悸をなんととらえるのでしょう? 哲学板で理想
を語るのは全くけっこうですし、人生相談板じゃないんですが、そこまで二元論的に
語られると・・・。

>>150 「たち」の中に私はいれないでね。

>>145 謝罪します。私の自作自演です。「レイプ」という言葉は悪すぎるので取り下げ
ます。何なら削除してもいいくらいです。ごめんなさいごめんなさい。
152gai :2001/06/20(水) 09:37
korituseyo
153考える名無しさん:2001/06/20(水) 09:58
151ってなんか最悪・・
154+1:2001/06/20(水) 10:28
>>151

理想論ではない。

全ては結果論。
私は「愛」に辿り着いた者が見る世界をレスしている。

心のままに。
自覚なく、「想う」事を極めた結果
永遠持続の幸福(良循環する幸福)となるのだ。

「愛」における幸福とは何か?
それは、相手が存在する奇跡を「喜ぶ」心。

物理的・形(肉体)に「喜ぶ」のでは無い。
その事も含めた存在全てを「愛」しく「想う」心。
その心を「愛」と呼ぶのだ。

「愛」しい相手が
自分と同じ「世界」に「生きている」「生きていた」と言う事実。
その事が、無限の幸福を生む。

肉体が滅びた後も
「愛」が消えずに残るのは、この為と言える。

(ちなみに、これは恋「愛」における「愛」のかたちである)
155考える名無しさん:2001/06/20(水) 10:39
>>154
誰の受け売り?どこで読んだの?
「愛」なんてほんとに存在すると思ってる?
だからエゴイストが悪者呼ばわりされるんだ。
156考える名無しさん:2001/06/20(水) 11:28
>>153
自作自演はここでは一番嫌われるよね。
だから懺悔したんだけど・・・ダメか・・・。
157+1:2001/06/20(水) 12:18
>>155

私は知識として語る事をしない。
全ては体験、心との対話により得たもの。

簡潔に述べよう。

「愛」とは
「無い」と言えば 無いもの
「有る」と言えば 有るもの

「愛」とは信じる事である。

人は「愛」する為 生まれ来たのだ。
158考える名無しさん:2001/06/20(水) 14:17
>>157
あなたは、愛という言葉をパフォーマティブなものとして
捉えていらっしゃるのでしょうか。
的外れでしょうか?
159+1:2001/06/20(水) 15:03
>>158

「愛」なる言葉は
心(想い)の名称である。

「喜び」「怒り」と同様に
心を表す言葉。
関係を表す言葉では無い。

従って、「愛」を感じるのは
必ず「後」と言える。

何故なら
「愛」になろうとして、相手を「想う」のが「愛」では無く
純粋、且つ無自覚に相手の幸福を望む心(想い)を
「愛」と呼ぶからだ。

つまり
「 「愛」になった 」ではなく「 「愛」であった 」
と、後で気付くもの。
それを「愛」と呼ぶ。

>>157のレスは
「愛」であるにも関わらず、「愛」など無いと言うのなら
それでも構わないと言う事。

「愛」なる言葉そのものに、何ら力は無い。
重要は「心」と言う事だ。

「愛」を否定するは心を否定する事。

「心」を(「愛」を)否定するは悲しい。
永遠の幸福を感じる心
「愛」は有ると言うのに。
160+1:2001/06/20(水) 15:27
>>159

訂正

>「愛」を否定するは心を否定する事。

「愛」そのものの存在を否定する事は
心を否定する事。
161考えよ名無しさん:2001/06/25(月) 00:18

しばらくこないうちに完全に下がってしまった。
だいたい、なんだって「客観的に」考えたかったのだろう>自分。
けっきょく「主観的にしか」捉えられないてのが結論なのかい。
だから哲学者にはロクな恋愛した人がいないのか?

おっと、アオリではないよ。偉大な哲学者、どいつもこいつも恋愛にブチ当たると
混乱してる気がしてね。キルケゴールだけじゃないよ、きっと。
162考えよ名無しさん :2001/06/25(月) 21:21
+1さんは相変わらず「愛」の一元論だけど、「恋愛」に限ってね。
あの二度と感じたくないような焦燥感や喪失感なしに「恋愛」はないと思うんだけど、
すべての「恋愛」が広義の「愛」に吸収されていくべきものなら、現在の形の恋愛に
は何のイミがあるのか。そして、ただ相手の幸せを願うだけが真の愛だというのなら、
その愛が特定の相手である必要があるのか。ないなら恋愛を超然して聖人になるしか
ないのではないか。
テレビの「恋愛」を作り出そうとする番組みてると、マジで吐きそうになる。お前
らほんとにそれでいいのか? いや、お前ら「恋愛」という本能に生きる動物か?
ってね。情欲の虜になってるなんて思わないよ。ただただ恋愛によって他のすべて
の問題に報われようとする餓鬼に見えるんだよ。そろそろホンネか?>おれ
163+1:2001/06/26(火) 07:09
>>162

>現在の形の恋愛には何のイミがあるのか。

私も今現在、暗中模索の段階だ。
まだまだ自分の「愛」の認識は足りていないと感じる。

今だ漠然としたところが残る。

特に私は、近くに「愛」する相手がいないから
不安になるのだと思う。
この「想い」が本当に「愛」であるのかを。

私にとって「論ずる」事は
確認なのだ。

逆説(否定)と戦う為、私は「愛」を論じている。

この「想い」が本物である事を証明する
その日まで
私は戦おうと思う。

>マジで吐きそうになる

同意しよう。
164考えよ名無しさん:2001/06/28(木) 09:19

変だな、同意されても嬉しくないぞ。
正直、外国へ行ったことのないもの同士が「ロシアの大地はすばらしい」と言って
るカンジだ。
所詮客観的になるれるのは「外国人」だけなのかも知れない。
自分がなぜこのスレを立てたか。それは客観的になりたかったからに違いない。
そしてだんだん客観的になって(冷めはじめて)論じることに意味を感じなくな
ってしまったんだ。

でも、終了はしない。
165考えよ名無しさん :2001/07/07(土) 13:39
age
166考える名無しさん:2001/07/07(土) 15:58
大澤真幸 著 『恋愛の不可能性について』読んでみ
167千人の仙人:2001/07/07(土) 16:59
 簡単にやってみます。
 [定義]
 恋・・・特定の異性との密接なる関係を望み、特定の異性の独占を欲すること。
 愛・・・恋+特別なる関係+相互理解
 仮にここから始めてみます。恋愛の恋は最初に3つに分類されると思います。
 恋-A・・・ある男性がある女性に恋をし、その女性は男性に興味がない。
 恋-B・・・ある女性がある男性に恋をし、その男性は女性に興味がない。
 恋-C・・・ある男女が互いに恋をしている。
 恋-A、Bは共に片思いの状態です。恋-Cは両思いの状態です。
 恋-A、Bは共に男女のいずれかが異性に「尋常ならざる興味」を持っている状態です。
そして恋-Cは男女の両方が異性に「尋常ならざる興味」を持っている状態です。
何故「尋常ならざる興味」なのか、これと対比するものに「尋常なる興味」を挙げて
みます。そうすると友人関係との違いが自ずから出てきます。(手抜き)
 「尋常ならざる興味」はやがて相手のことを知ろうとする「熱狂的なる知的好奇心を
伴う関心」へと人間を駆り立てます。ここで理性は感性に負けるか、観念的理性から
実践的理性への転換を試みる訳です。
 ここでは観念的理性から実践的理性への転換が行われたと仮定します。すると
実践的理性は相手と近付こう、という「密接なる関係」を築こうという努力をします。
ここでもまた手抜きですが、「密接ならざる関係」と対比させます。
 さて、「密接なる関係」を築く間、観念的理性と実践的理性との葛藤が起こります。
このとき実践的理性は「通常なる興味」、「通常なる関心」、「通常なる関係」を望む
ものとします。(また手抜き)
 そしてこの葛藤の後、実践的理性が観念的理性に負けた場合に観念的理性は
「独占欲」を新しく登場させます。これもまた「非独占欲」と対比させます。
(手抜き) これを以って恋の証明を終えます。   (休憩)
 さて、愛ですが、これは「心を受ける」という「愛」という漢字の持つ性質に則り
一方的な恋の行動の後に生じるものとします。これもまた手抜きですが、「愛の後に恋
ありき」とする人はいないことを以って証明とします。
 そして恋が「密接なる関係」と「独占欲」を維持してきた結果、恋は二人の間に
「特別なる関係」をもたらします。そして「特別なる関係」が安定化の道を辿る結果
観念的理性に負けていた実践的理性が久し振りに力を得てきます。そして実践的理性
の登場により、他の関係では見られない形の「相互理解」が生まれてきます。
 これを以って「愛・・・恋+特別なる関係+相互理解」の証明とします。
 簡単ですが以上です。客観化されていますでしょうか?
168考える名無しさん:2001/07/07(土) 23:54
みんな恋に恋してるだけじゃないの?
169考える名無しさん:2001/07/07(土) 23:56
恋に恋して自己満足してるのが1番健全である。
170考える名無しさん:2001/07/08(日) 01:55
>>167
わかりやすい。君なかなかおもしろいよ。
恋のところは納得。恋の一面的な部分をよく表してる。
相互理解のところをもうちょっと突き進めて聞かせてよ。
実践的理性の登場は「相互理解」に通じるのだろうか?
171考える名無しさん:2001/07/08(日) 04:54
脳内麻薬を出すために
人は生まれてきたのだ
172考える名無しさん:2001/07/08(日) 08:03
>>167
「観念的理性」と「実践的理性」の使い方、これでいいの?
もうちょっとくだいていうと、どういうカンジ?

>>171
おれ、こういう思考停止が一番キライなんだよな。「だから何なんだよ」。
173考える名無しさん:2001/07/08(日) 09:12
>「観念的理性」と「実践的理性」の使い方

一般的には使われない用語。こいつが勝手に使ってる言葉と思われる。
少なくともカントの実践理性とは、全く関係無い、としか言いようがない。
あんまり真に受けないように。
174千人の仙人:2001/07/08(日) 12:09
>>173,>>172
仰る通り、私の造語です。
狭義では、
「観念的理性」=表象と表象とを結合して認識たらしめるもの
「実践的理性」=表象と意志とを結合して行為たらしめるもの
と定義して勝手に使っておりました。
 短時間で書き、手抜きだらけですし、プロの著作でもありませんので
真に受ける人はあまりいないと思いましたが、軽率でした。
 哲学者(書)をそのまま踏襲したものでもありませんし、真剣に読む
価値はありません。
 従って批判する程の価値もありませんので哲学@2chの皆様は適当
に読み流してください。
 すみませんでした。
175考えよ名無しさん:2001/07/08(日) 22:47
>>174
まあ、こんなことで謝ってたら2ちゃんねるは謝罪の海になっちまうよ。
173みたいに批判することは批判して、別に何を寄与することもなく去っていく
よりはいいよね。
「恋愛を客観的に哲学できる?」というタイトルを考える時、「哲学する」という
行為をどう捉えていたんだろう。
「自分の恋愛状態を客観的に見たい」という願望だったと思う。やがて、少しいろ
いろなものが沈静化すると、自然と客観的にもなってくる。哲学を自己を自己たら
しめているものについて見つめなおす行為であるとすれば、恋愛は間違いなくその
契機として大いなるものに違いない。
176考える名無しさん:2001/07/08(日) 23:02
>>174
面白いですね。
しかし、なぜ人はある特定の人に「尋常ならざる興味」を抱くのでしょう?
177考える名無しさん :2001/07/10(火) 20:15
age
178考える名無しさん:2001/07/26(木) 22:19

最近、ずっとつぶやき続けている「この世に愛は存在するのか」と。

この「愛」は自分にとって狭義の愛である。ある特定の相手についての「愛」で
ある。そして、その存在を考えるのではなく、実践によって存在ならしめている
ところである。
客観的に考えるのではなく、その生成に携わる時、愛の本質が見えてくると思う。
実存主義ではなく、能動主義である。
179考える名無しさん:2001/07/27(金) 01:51
愛だといっても結局は自分のことを好いてもらいたいが為の自己満足の感情は大きいと思われ。情けは人の為ならず。結論は出ないと思われ
180考える名無しさん:2001/07/27(金) 01:56
情けは人の為ならず

これ使い方がまちがいです。たぶん。
情けは人のためならず、いずれまわりまわってきて自分のためとなる、が本義。
奉仕活動に伴いがちなたんなる安易な自己満足的感情のことではないよ。
181考える名無しさん:2001/07/27(金) 02:07
>>180が正しい<情けは人のためならず
182考える名無しさん:2001/07/27(金) 22:41

いや、オレだって、いろいろ間違えてることはあるけどさ、
「情けは人のためならず」の使い方を間違うやつって、ホントにバカみたいに
見えるのは、オレだけ? こんな簡単なことわざ、どういうキッカケで間違う
んだろう。
183へっぽこ:2001/07/27(金) 22:56
客観的に哲学することを求めているが、
ここに書き込みすることで、
その意見はその書いた人の主観的な意見になるものと
思われる。
184考える名無しさん:2001/07/27(金) 22:56
さすがへっぽこ
185.じゅぶないる:2001/07/28(土) 02:28
『恋』とは、条件付きの幻想であり、
『愛』とは、無条件で互いを受け入れ、ともに一つの魂を共有する
とゆうことである。
186考える名無しさん:2001/07/28(土) 03:56
>>185
>『恋』とは、条件付きの幻想であり、
でいう「条件」とはどんな条件なのでしょうか?
187.じゅぶないる:2001/07/28(土) 04:11
1カメ。ルックス。
2カメ。ノリ。
3カメ。価値観(アイデンティティ)。
4カメ。包容力。
5カメ。将来性。
188考える名無しさん:2001/07/28(土) 06:29
そもそも、恋愛を主題にする以前に、
哲学は客観的に扱えるとはどういうことかを総論として
明らかにしておくべきなのでは?

考察の際には、用法にしたがうのではなくて、要請を論証して
用法を規定するように考えるように・・・
189agezou:2001/08/09(木) 18:28
1人で見る夢はただの夢
でも、2人で見る夢は現実(リアリティ)    ヨーコ・オノ

一方的な恋愛感情は錯覚というか「非現実的」なモノ。
双方向的な恋愛感情は「現実的」なモノ。

実際には恋愛は「現実そのもの」ではないのだろう。
恋愛は2人の人間がお互いにお互いのことを好きだと、信じているのだと思う。
そこに客観的な根拠はない。
ただ、お互いに信じるということは、何故か現実的なモノに感じられるのでしょうね。

人は寂しいのだと思います。同意されることを望んでいるのです。
190考える名無しさん:2001/08/09(木) 18:32
>>189
それは一昔前の価値観
今が楽しけりゃーって人が多いYo!
信じるなんて関係ないね!
191阿修羅無限大落とし:2001/08/09(木) 18:55
>>190に一票。
192考える名無しさん:2001/08/09(木) 19:24
>>189>>190ともによし。
ていうか、これらを往還してる。
193aeyhtdxgezy:2001/08/09(木) 20:24
194考える名無しさん:2001/08/18(土) 03:38
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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195考える名無しさん:2001/08/18(土) 07:19
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね  
196考えよ名無しさん:01/09/25 00:43

ひゃー。
まだこのスレ、倉庫に行ってなかったんだ。哲学板ってゴミスレ連発かと
思ってたけど、要するに書き込み全体がすくないんだろうね。
最近いろんな学者の恋愛について読んだんだけどさ。やっぱり恋愛してる
間ってろくな著作がないみてーなのな(ただし、女性は書いてるんだよ)。

男女の間で恋愛の占める比重や位置は互いに理解不能なくらいに違って
いると思われます。
で、
両者に納得いくような恋愛についての観念を求めたいと思ったのだが…。

結局、象の体に寄生している虫は象がどんな形の動物なのか、知ることは
できないし知る必要もなく、ただ生きるために厚い皮膚に嘴管を突きたてて
血を吸うことしかできないのかも。
彼らに「君が恩恵を被っている象とはどんな動物だ」と問うてみれば、
「耳だ」「手だ」「足だ」「腹だ」「背だ」……などという答えは高級
な方で、「でかい」「くらい」「動く」「皮が厚い」「時々水をかぶる」
という程度の答えしか返ってこないだろう。

でも、あきらめない。恋愛を支配するには恋愛を理解しなくてはならない。
197考える名無しさん:01/10/08 03:52
>恋愛を支配するには恋愛を理解しなくてはならない。

結局支配したいの?

http://choco.2ch.net/furin/index.html
の方が、そういう目的なら勉強になると思うけれどね。
198厨房xxx:01/10/09 22:38
本能→求める
理性→与える

一方のみでは成立しないのが恋愛。

本能のみ→性的な欲。自己の幸福を願う。
理性のみ→隣人愛。対象の幸福を願う(無償の愛)。

この両方が混在しているために人は恋愛に悩むのでは。
199考える名無しさん:01/10/09 23:26
>>197
いや、そうなんだけどさ。
「支配」したいのは恋愛の相手じゃないんだよ。
恋愛そものものさ。
でも、ちょっとその板見てみる。
200吾輩は名無しである:01/10/10 01:59
この世で愛は体感するものじゃない。
理屈ぬきなんだよ。
一度体験したら二度と忘れないものだよ。
理想論でなくメルロ・ポンティに同意するな〜。
体験者として。
201考える名無しさん:01/10/10 04:28
>>197
いや、それは分かっていたんだけれど。
支配できない(=自分じゃ制御できない)感じが醍醐味なんじゃないの?と思ったので。

あの板を見ていると、逆に観念的な部分もあるんだけれど、リアリストになれます…
202考える名無しさん:01/10/10 06:15
いま『饗宴』のエロスについて考えてるんだけどさ、
エロスとフィリアの違いについて少しわかった気がするよ…。
203考える名無しさん:01/10/12 15:09
何も学ぶことのない恋愛は、究極の暇つぶし
204Iridium:01/10/13 01:26
恋愛=性欲じゃないの?
205考える名無しさん:01/10/13 01:27
自分はリアリストであり、幻想に惑わされていないと思い込む人間の一番つまらない答。
206考える名無しさん:01/10/13 01:30
恋愛→感情
感情は本来主観的なものなので客観的に説明できない。
なぜなら客観化した時点で主観性をうしなっているから。
せいぜい具体例をあげる事ができるにすぎない。
207   :01/10/13 06:15
1の頭の程度が知れるような糞スレだな。
208考える名無しさん:01/11/01 21:55
>>196
原始仏教?
支配したいなら、恋愛に対する執着から離れなきゃ(・∀・)!!
209通りすがり ◆66lkQmK2 :01/11/03 15:22
少なくとも哲学板なのだから、だれか、200もレスがつくまえに
交通整理をしてください

普遍的な愛(アガペー)から自己愛までごちゃごちゃに語っても仕方ない
でしょ?

生物愛  生命体全般に対する愛情、原始的な宗教感情として広く観察される
     生物としての共生感
人類愛  人類全体に対する類的な共感を背景とする愛情
性愛   男女異性間の性的な関係を前提とする愛情
     和解の性を背景とすれば恋愛、支配の性を背景とすれば夫婦愛
     夫婦愛が敷衍されたものが家族愛
自己愛  生物としての自己(個体)保存本能を背景にする愛情

少なくとも恋愛を語る場合は、性愛、性的当事者能力、社会的な関係調整
手段への生殖行動の転用(家族、子)、孤独(哲学的な用語としての)が
出てこないと論議が組み立ちません
>>209

>少なくとも恋愛を語る場合は、性愛、性的当事者能力、社会的な関係調整
>手段への生殖行動の転用(家族、子)、孤独(哲学的な用語としての)が
>出てこないと論議が組み立ちません
で、何?
交通整理するのが目的じゃないと思うな〜。
211Iridium:01/11/23 01:38
>>205
う〜ん、そんなことないけどな。
恋愛には非常に痛手を蒙っているけどね。
でも、どうも恋愛の気持ちは理性的とは思われないんだが…。
>>211
恋愛=性欲を主張する気?
どうも年齢的にかなりお若い方の意見であるように思いますが。