世界を理解するための方法論は心理学にしかない。

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1明晰な論理
悩んでる奴は何でも俺に聞いてみろ!出来る限り回答してやるぜ!
2考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:24
宇宙はなぜあるのですか?
3考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:30
人は何のために生きてるんですか?
4明晰な論理:2001/05/24(木) 02:40
 2へ。人間が主体となって再構成した「人間にとっての宇宙」は自明に存在します。
人間の感じることの出来る対象は、人間という独自の「種」の感覚器と脳によって制限されて
おり、その背後に「解釈以前の段階」としての世界が存在します。世界は人間にとっての言語を
介したイメージの体系であり、宇宙もその解釈例の一つです。
 宇宙論、サイエンス的な意味での「宇宙はなぜあるか」という問いには私は答える知識をもちません。


5考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:46
なんで人を殺しちゃいけないんですか?
6明晰な論理:2001/05/24(木) 02:52
 3へ「根源的な意味においては、人間の生きる目的は存在しません。」
 少し考えてみれば、誰しも人間は全くの偶然の選択によってに地球にという
惑星に生み出された生命であり、人間には何の使命も、目標も、課せられている
わけではありません。あらゆる存在、観念には、根元的には何の意味もありません。
存在だけがあって、認識する主体があらわれ、そうして初めて意味や観念が生じます。
ただ、生きる意味を自分で好き勝手に作り出すことは可能です。それはどんなものでも
かまいません。その存在を自分が認めるならば、他人が何を言おうと関係ありません。

7吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 02:54
ぱちぱちぱち〜
8考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:55
ヒトは何処へ行くのですか?
9考える名無しさん:2001/05/24(木) 02:58
きつい質問が続くな・・・
10考える名無しさん:2001/05/24(木) 03:02
弱肉強食という宇宙絶対普遍の法則に鬱なのですが、
これに対して心理学はなにか積極的な解釈を提供してくれますか?
11明晰な論理:2001/05/24(木) 03:04
 5さんへ。
 人間は二種類の世界を行ったり来たりして生きています。
一つは「協調して集団の構成員全員の現実我を保存する世界」。
もう一つは、「無制限ではないが、各自の幻想我の追求が認められた世界」です。
「人を殺す」という行為およびそれの喚起するイメージは、人の現実我の存在を不安定
にしうる「物語、意味、解釈」です。人間は自我をもっとも大切にしており、
あらゆるものの意味は「自我を安定化する」「自我を不安定、危機におとしいれる」
という二つの根元的意味(始源的意味)のどちらかに必ず解釈されます。そして
殺人はマクロレベルでは「後者」に解釈されるため、人間の世の中はそれを防止し、
集団の安全の保証を介して、各人の自我を安定化させています。
 
12明晰な論理:2001/05/24(木) 03:12
 8さんへ。
 集団的な現実我が保存される最大値をとるように(時代の制約を鑑みて、
そのうえで各人がもっとも幸せになれる形式を採用しながら)人間は生きていく
とおもいます。また、そのなかで、個人レベルではあらゆる私的な欲望の追求と
実現が行われるだろうとおもいます。意味を与えられることで、なされないことは
基本的に無いとおもいます。当分サイエンスは人間の手段であり、あらたなる時代における
欲望の起爆剤になりうるのではないかと思います。
 
13明晰な論理:2001/05/24(木) 03:15
 10さんへ
 つまりあなたは、世界の残酷な現実を前にして、自我の存在を脅かされ
その自我を安定化させる「意味」を何とか持ちたいと考えているわけですね。
1410:2001/05/24(木) 03:20
そうです。
淘汰されゆくものへの罪悪感に対してです。
15明晰な論理:2001/05/24(木) 03:31
 10さんへ。
 自分の自我を安定化させてくれる存在が失われていくことに対する寂寥感
は、さけることは出来ません。それはあなたの思い入れとは無関係です。
人間だけが時間を持ち、過去を追慕する存在である以上、何らかの存在、意味に
たいする悲しみと無力の念は、これを避けることは出来ません。
 しかし、どうして罪悪感があるのでしょうか?いわゆる「優しい」人なのでしょうか・・・
1610:2001/05/24(木) 03:40
いわゆる「優しい」人です。
どうやら私は宇宙が求める人材には適していないようで…
この感情は間違った物でしょうか?
17考える名無しさん:2001/05/24(木) 03:44
自然淘汰。
仏教やキリスト教では全く逆ですよね。末法だったり、世紀末だったり。
18明晰な論理:2001/05/24(木) 03:45
 間違っている、間違っていないをきめる根拠はありません。
それを正しいと思う人もいますし、否定する人もいます。
ただ、もしその考え方に疑問を感じているようであれば、
それが自分が「現代において快適に生活しうる為に(自我の安定を
得るために)適したシステムたりうるか」ということを再検証し、もっと
適した幻想の生きる意味を創案するのも手です。

りうるか」
 
19明晰な論理:2001/05/24(木) 03:48
 17さんへ。
 宗教における未来には、人間の幻想我のもつイメージが、様々に変形され、
投影されています。宗教によってバリエーションはありますが、宗教は人間にとって
多くの場合必要不可欠な、社会の補完装置です。
20いぬのめい:2001/05/24(木) 03:52
>根源的な意味においては、人間の生きる目的は存在しません
これについてなのですが
例えば、「はさみ」と言うのは人間が作り(創造)ました。
何の為に?
人間(創造した者)にとっては、「何か(紙とか)を切る為」に
生み出したわけですよ。(はさみが、何の為に存在したいかは別として)

この意味で、例えば、この宇宙の絶対法則の織り成す「運命」が
我々を存在させた「意図」即ち、役割(=目的)について
我々が〜の為に存在するんだ!という主張は別として
その・・・何と言うか・・・創造主?(何がこれに当たるのかは分からん)が
我々を存在させた意図と言うのは議論の余地があると思います。
其処に存在の価値(意味)をおくかどうかは、まあ、勝手ですがね。

因みに、10さん
>どうやら私は宇宙が求める人材には適していないようで…
これは大きな間違いですよ。
21>20:2001/05/24(木) 03:57
ハ学校大丈夫なのか?
22明晰な論理:2001/05/24(木) 03:59
 なんだか眠くなってきました・・・またきます。犬の明様
書き込み有り難う御座いました。また書き込みます。お肌があれちゃう・・・
23いぬのめい:2001/05/24(木) 04:01
>>21
なんかはらが痛くて目がさめてしまった・・・
しかも寝付けぬ・・・ぐるぐるいってるし
風邪でもひいたかな?
24明晰な論理:2001/05/24(木) 04:06
21さまへ。
 創造主は存在しません。集団の幻想我の一つの最適な投影形態でしかありません。
ただ、それを信仰することで、自我を安定化させる作用は大きいですから、多くの
人にとってそれは不可欠なものでしょう。お体を大切になされて下さいね。
25明晰な論理:2001/05/24(木) 04:07
 間違えました、恐縮です。
 23様お体をいたわって、です。
 21様もお休みなさい。
2617=21:2001/05/24(木) 04:15
>>23
なんだろうね。腹が減ったとか(w
たまーに学校サボると気分が清々しかったりしたな。学生時代。サボりすぎると蔚だけど。
>>24
創造主は存在しないと思う。ではないかな。
まあ不可知な事を持ち出すとキリがないけど。
 寝られない・・・・・・・・・・・・・(うつ)
28いぬのめい:2001/05/24(木) 04:33
あ、自分はここで
創造主=神とはしません。
因みに「母」でもないです。
その〜宗教的な意味ではなくて
この宇宙には「絶対法則」が認められます。
「光速度不変の法」や、「万有引力(空間湾曲)」等のものです。
これらは呼び名(表現)はどうでもいいし、
もしかしたら、間違っている(今現在の認識が)かも知れません。
でも、光速を超えられることが出来たとしても
其処にはそれを上回る「何かの法則」があって、
人間ごとき、いや、万物は、其処から抜け出ることは決してありません。
(抜け出ることがあった時、其の「例外」でさえ新しいの法の範疇に入る
→つまり、ただ、認識が足りていなかったということ)

我々の認識とは、常に「真実」を変えないし、この世のどんな詭弁を用いても
言葉ごときは「真実(過去とか)」を、決して変えることが出来ません。
「真実」は常に真実としてあって、それは確かに絶対であります。

この世には絶対法則が確かにある。
それを「神の法」と考えたら?(キリスト教等の宗教の言う「神」ではなく)

こうしてしまうと物理学が一種の宗教もどきになってしまいますが
よっぽど「神」の説明に、説得力があると思います。
そして、其の法を解く事によって、「神の意図(比喩的)」が、少し見えてくるのでは?
行き着く先が、目的とは限らないですけど・・・・
29明晰な論理:2001/05/24(木) 04:38
 返信したいけれど、もう眠くてだめ・・・目の前が真っ白になってきたよ・・・
30いぬのめい:2001/05/24(木) 04:41
返事はいつでも結構ですよ。
お休み下さい。
僕も寝なきゃ・・・
31考える名無しさん:2001/05/24(木) 05:04
>>28
とりあえず鈴木光司の「ループ」読もう。似たような話の小説でーす。
自分もこの世の法則が作為的だとは、感じてます。だからこそ、その法則を打ち破って神(創造主・製作者)にひとあわ吹かせたいです^^
3210:2001/05/24(木) 05:44
基本的に>>1さんは「創造主は存在しない、万物に目的はない、
解釈は自我を安定化させるためのものである」という立場なのですね?

しかし宇宙にはなにかしら性格と言えるような偏りがあります。
物理法則の性質やあるいはそこに備わる定数などです。
物理定数が今の一定の値を取らない限り人間は存在する可能性すら無かったし、
自然淘汰の法則もありえないものなのです。
このように我々が関与していないのに存在し一定の値を取る物理法則、定数から
創造主の存在、性格、そして彼(?)の意図するところが見えてきませんか?

私は客観的に観測できる自然科学の立場から世界を理解(解釈)していく者です。
自我の安定のための屁理屈で解釈するのではありません。
33考える名無しさん:2001/05/24(木) 07:48
その「彼」が作り出せるほど人間の脳が高度という
可能性は考えんのかね?
34明晰な論理:2001/05/24(木) 17:47
32さんへ
 たとえばカブトムシにはカブトムシの認識系(光、音、雌のサイン・・・)
馬には馬の認識系があるように、人間の認識系もあらかじめ制約を受けており
その範囲内でしか、人間はものごとの判断が出来ません。
 すべての生物が共通して行っていることは、その認識系を通じ、自分にとって
外部の現象が、「有益か」「危険か」と判別していることです。
その判断がその「種」のあらゆる行動に影響しています。
その判断は、すべての感情、行動、の根元的理由です。
つまり、すべての行動は「自分にとってどうか」という基準で判断されており、
それをわたしは「自我の安定」という言葉で言い換えているだけです。
わたしはただ、人間の心は単純なもので、常に一つの基準に従っているということを
言いたいだけです。 
 確かに宇宙は法則によって支配されています。しかし、それが絶対者(人間が想像した
にすぎない、人間を模した観念的存在)によって創られたと、どうして確信出来るでしょうか。
この問題には、いずれサイエンスが結論を出すでしょう。わたしは、否定の証明をすることは、
できませんが。
 33さんへ
 そうですね。
 いぬのめい様へ
 しかし、神の存在は民族や人種によってばらばら。観念であったり、マテリアルであったり、
万物であったり・・・そのような多種多様な傾向をもった不可思議な存在です。
 これはやはり、人間の心理が生み出した崇高な自己の集団的投影像の諸形態と言う認識
でとらえた方がわかりやすいと思います。(心理学は形而上学に過ぎないので、証明はできませんが。
35代理いぬ:2001/05/24(木) 17:57
>1
>悩んでる奴は何でも俺に聞いてみろ!出来る限り回答してやるぜ!
「出来る限り」ってとこが最高だな。
がんばれ。
365000:2001/05/24(木) 18:21
あなたは誰ですか?
37明晰な論理:2001/05/24(木) 19:04
代理いぬ様へ
 ありがとうございます。
 5000様へ
 誰だと思いますか?
38考える名無しさん:2001/05/24(木) 19:21
>>34
>たとえばカブトムシにはカブトムシの認識系(光、音、雌のサイン・・・)
馬には馬の認識系があるように、人間の認識系もあらかじめ制約を受けており
その範囲内でしか、人間はものごとの判断が出来ません。


この「考え」自体が人間の勝手なものだと思います
39三流理系:2001/05/24(木) 20:23
>>38
>この「考え」自体が人間の勝手なものだと思います
勝手であると思う(理由、論拠)が無いのは何で?
40考える名無しさん:2001/05/24(木) 20:48
人間は外界で知覚した情報をそのまま認識するのではありません。
人間は道具を用いることで本来知覚できない情報も認識可能ですし、
思考方法も客観的に認識できる因果律と論理に拠っています。

このアプローチの仕方でさえも>>1さんにとっては自我の安定
のためのものであり、なんら根拠の無い無意味な事なのでしょうか?
41明晰な論理:2001/05/24(木) 20:53
 38様へ
 あなたのおっしゃるとおり、勝手な考えです。
 現実を知るために有益な「論理」というものがあります。
 論理は現実を裁断するためのツールです。
 裁断され、分析された現実を再構成し、意見を創るのも「論理」です。
 最後に、その考え方を「信頼するかどうか」という問題が残されております。
 もし「信頼」すれば、その考え方は、その人にとっての行動規範になります。
 これが「思想」や「哲学(日常的な会話レベルで用いられる)」、「生き方」
 とよばれるものです。
 何がいいたいのかというと、何かを無条件に「信じて」はじめて自己の哲学が
 うまれるということです。はじめにいくつかの「公理」を無条件で定めてはじ
 めて、数学の世界が描けるのと同じ理屈です。
 私たちは皆何かを「無条件に信じて」自分の論理を組み立て、無意識にせよ、
 意識的にせよ、生き方の規範としている筈です。
 38様が指摘された意見はサイエンスの知識の部分なので、もちろん書物から
 見聞きした内容で、私が直接証明したものではありません。
 考えてみると、人から聞いたり、教示されたり、書物で教化されたり、学校で
 習ったりすることの多くを、私たちは無条件に信仰しています。
 わたしの考え方において、無条件に信仰していまっている「知識」について
 再検証を迫られたとき、私はどうしようもありません。
 私の証明できる知識など、微々たるものでしょう。ただ、論理に基づいた自分なりの
 意見を生み出すことは出来ます。それはある意味で非常に脆い、空想の城というげき
 ものかもしれません。(どんな知識人でもこういう意味での弱さはある筈です。)
 39様へ
 私も聞きたいです。

 
42考える名無しさん :2001/05/24(木) 20:53
杞憂
43明晰な論理:2001/05/24(木) 21:12
 40様へ
意見1*人間は外界で知覚した情報をそのまま認識するのではありません。
回答*その通りですね、一度感覚してから、脳でイメージを再構成している筈です。

意見2*人間は道具を用いることで本来知覚できない情報も認識可能ですし、
    思考方法も客観的に認識できる因果律と論理に拠っています。
    このアプローチの仕方でさえも>>1さんにとっては自我の安定
    のためのものであり、なんら根拠の無い無意味な事なのでしょうか?
回答*サイエンスの知識については、これが日常生活に深く浸透しているため、無条件
   に正しいと信仰しています。しかし、人間の行動のいくつかには、「そうも言え
   るけども必ずしもそれでなくてもよい」というものが、往々にして存在します。
   そのようなものは、もし自分にとって有害であれば、必ずしも信じなくてもよいと
   私は思います。それは、ひとつの現実のとりうる可能性でしかなく、他者の幻想の
   具現化にしかすぎません。ただ、事実が発生するとき、そこには法則があります。
   というか、あるように、人間には見えてしまいます。これを誰の目にも明らかなように
   理論化したものがサイエンスだとおもいます。それは無意味なものと言えば無意味ですが
   人間の行動と認識系に適した意味の体系だから、「無意味、幻想」である度合いが少し
   ちがいます。ただ、私たちが科学をツールとして使うとき、それは「自我の安定と幻想我の
   追求」という方向性に規定されてしまうのは、やむを得ないことだと思います。
  
 杞憂さまへ
 しかし、人は死ぬまで悩み続ける存在ではないでしょうか・・・
44杞憂さま:2001/05/24(木) 21:16
別に虚無主義って訳じゃないので、僕の事は特に気にしないで欲しいんだにゃー。
ただ単に>>38>>40に向かっての一言レスなんだにゃー。
45考える名無しさん:2001/05/24(木) 21:18
ではピタゴラスの定理でさえも絶対的ではなく
ただ人間にはそう見えてるだけなのですか?
46考える名無しさん:2001/05/24(木) 22:12
なぜ生物は認識できる存在として生まれてきたのですか?
47考える名無しさん:2001/05/24(木) 23:09
人間の本質的なものとは何だと思われますか?

人間の認識範囲に脳の限界があるので、この世界にある「色」というものも、
その範囲でしか人間は認識できない。客観性も人間の脳の主観でしか測れない。
なら真実の客観性から見た、この世界の色とは?
4838:2001/05/24(木) 23:11
>>39
根拠といわれても答えられる程の知識、思考力が著しく乏しいので
ただなんとなくです。ひとつ気になるのは
>人間の認識系もあらかじめ制約を受けており
>その範囲内でしか、人間はものごとの判断が出来ません。
制約を受けていうと、制約をうけていない状態があるような
感じを受けます、しかしそのような状態を想定できるのでしょうか?
>>41
論理というのは例えば分裂病の人には通じないのではないでしょうか?
49明晰な論理:2001/05/24(木) 23:57
 44さま
 了解しました。
 45様へ
 ピタゴラスの定理は疑いようがありませんが。それを「信じる」かどうかは
また別次元の話だと思います。
 46様へ
 生物進化の系譜をたどって見ると、最初はアメーバのような単純な接近
、回避の段階から始まって、環界の情報を読みとって、それに反応を返す
存在がすこしずつあらわれてきます。
生物進化を長い目でとらえてみると、次第に環境に対するコミュニケーション
のレベルが多様化してきていることに気付きます。なぜ生まれたかという問題
はサイエンスの証明すること(もしくは推論すること)なので私には答えようが
ありませんが、不思議なことだと思います。
 47様へ
 真実の客観性というものを仮定したとしても、それはいったいどのようなものになるか
人間の発想の延長上にしかそれは存在していないのではまいのでしょうか。
 たとえば、人間の目で見ることの出来る光の波長の範囲は決まっています。
 また、聞くことの出来る音の振動数にも限界があります。
 4、5、6段階レベルでの複雑な論理展開を瞬間的に展開することは出来ません。
 このような制約を超えて、今ある五感と脳の機能の、無限大の向上がもたらす感覚
について、考えているのでしょうか。もしくは、人間の今あることばでは
表現しきれない(もちろん言語の持っている意味の不確定性というものを
考慮したうえで)感覚について述べられているのでしょうか。
 真実の客観性というような言い方は、想像しがたいものがありますね。
そのようなものは存在しないのではないでしょうか。
 48(38)様へ
 制約を受けていない状態をさまざまに考えることが出来ますが、推論でしかありません。
 1いまある能力がもっと向上した状態。(耳目の鋭敏化、高次論理の瞬間的展開、複雑な
  立体の全面的想像など)
 2いわゆる第6感、7感というものの発達。(全くあたらしい感覚の拾得)
 3言葉では言えない展開。
 などです。何かオカルトがかってきますが、人間がさらに進化したら、なにか別の機能を
 身につけることができるのかもしれませんね。
 分裂病の人がその論理を信仰(肯定)しているのであれば、通じます。彼の言っていることは
一見荒唐無稽のように聞こえても、彼のなかでは正当なロジックです。これは私たちの空想が他者に
往々にして受け入れられないのと同じです。
 
50考える名無しさん:2001/05/25(金) 00:28
>>1さんの論理でいくと、個人の思考は自分が信じることのでき満足
できるものであれば、たとえ自己矛盾をおこしていても構わないと
言う事になりますね。

これは個人一般にとっては都合のよい考え方であっても、社会全般に
適用すれば争いの絶えない混沌とした世界になると思うのですが
どうでしょう?
51玲子:2001/05/25(金) 01:28
がんばって!1さん!応援しています。
52明晰な論理:2001/05/25(金) 01:42
 50さんへ
 個人の抱く幻想、理想はそもそも最初からばらばらの空想であって
そのために社会は乱れ、戦争が勃発するのです。社会は必然的に混迷
する運命にあるのです。それが良い、悪いと言う判断は個人の価値観
で、それとは別に社会は必然的に変転、混乱します。だからこそ、人間は
言語を介してコミュニケーションを行い、共同幻想を「現実」と認めて
生きなければなりません。
 個人の思想は自己矛盾しようがしまいが、自我良い形で社会的に安定すれば、
人間は幸せに生きることができます。自己矛盾していていいかどうかは、個人の
信条の問題であり、他人のことだから、その人が納得していればそれでいい話です。
 完全な理想社会というものはありませんし、あったとしても、特定の人間の思想に
裏打ちされた幻想にしかすぎないのですから、集団全体の内に、必ず反抗者、革命家
があらわれます。そうして、社会は様々な人間の幻想の欲望のベクトルによって、様々な
変転をあたえられ、自分自身を日々激しく変化させているのです。
53明晰な論理:2001/05/25(金) 03:14
 おやすみなさいませ。
54考える名無しさん:2001/05/25(金) 03:27
1の意見は心理学というより観念論というべきだな。
「意味の否定」を意味づけようとしている。
55考える名無しさん:2001/05/25(金) 03:36
心理学は科学ではないってレクター博士も言ってたね。
56石丸:2001/05/25(金) 03:37
 そうかしらねえ。わからないよ。
57明晰な論理:2001/05/25(金) 03:39
 55様へ
 その通りですね。宗教と同じものです。確実な根拠が無いんですね
 54様へ
 何もかも否定しようと言うわけではないです。
58明晰な論理:2001/05/25(金) 03:41
 鳩山郁子好きなひといますか?
明晰な論理といいながら1の言う論理の基盤は脆弱なものだ。
1はまず命題を改めるべきだ。つまり
「人間が意思し表象する限りでの世界の理解のための方法論は心理学である」と。
なぜなら1は世界を、言語を介してイメージ化され象徴化された限りでの表象連合と考えているからだ。
とすると、上のテーゼはごくあたりまえのことを反復しているにすぎない。
それは「人間の心理を理解する方法論は心理学である」という単純な確認にすぎないからだ。
ここで1はあやうい立場にある。
本来この立場を貫徹するなら、世界そのものについては不可知論的立場しかとれない。
当然「価値」や「目的」などの有意味な記号は、表象された限りでの世界にしか妥当しないのであるから
これを実在の世界へと適用する(6のレス)のはカテゴリー・ミステイクの危険を冒すことである。
だから1の立場で言えば、絶対的な価値や客観的な真理は「ある」とも「ない」ともいえないし
そもそも発言すら禁止されている。
他方でもしこの「相互主観的な幻想が自己外化された」世界にたいし、何か積極的な提言をしようとすれば
それは先にいったカテゴリー・ミステイクの危険をおかすことにる。
「世界に価値はない」というニヒリズムもまた、ひとつの価値にすぎない。

よって1がここにスレを立てること自体が無意味。
さらに1のいう幻想論に疑問がある。
言語により象徴化された世界が第一の所与であるなら、それははじめから公共性をもった
共同幻想であると考えるのが妥当ではないか。人間はそれぞれ個人が独自の欲望や物語を生産できるほど
器用な存在ではない。欲望のベクトルは常に社会との相対的関係にある。
だからいざとなったら「個人の信念の勝手でしょ」という結論も、いうまでもなく不十分である。
なぜなら個々の欲望が公共性により文節化されているのであれば、これを肯定することは
同様に社会的文脈をもたざるをえないならである。
個人の価値観はいやおうなしに他者との相対的関係に組み込まれる。
このことを過小評価するとしたら、それは価値観というものの政治性をあまりに無視した幼稚な説明というしかない。
だいたいこの手の議論はプラグマティックな価値相対主義なんだよね。
世界が人間にとって有用に理解できるのであれば、そのためのツールはなんだっていいじゃん!みたいな。
そのくせ心理学にしか方法論を求めない1は提言の論理的矛盾に気づかないヴァカ。
ごめん、いいすぎた。
63考える名無しさん:2001/05/25(金) 06:49
煽っちゃいかんよ。冷静さを欠いたら話にならへん。
64考える名無しさん:2001/05/25(金) 07:45
すごいデンパを感じる...
65考える名無しさん:2001/05/25(金) 10:39
らげ、夕べはフッサール新スレで噛みつかれて機嫌悪かったらしいね。
66マジレスキボンヌ>1:2001/05/25(金) 10:49
朝のテレビ占いやコンビニの占いって本当に鬱陶しいです。

ああいう情報を幼い頃から聞かされた子供達って、
どうなっちゃうんでしょうかね。無料の育児製品を供与された
子供達が大人になったとき、無料製品から流れるメッセージの声にしたがって、
その会社の製品を積極的に購入するっていう星新一のショートショートとか、
思い出しちゃいます。ばかばかしいと思いつつも、ちと危惧してます。

シンボル環境が強制するものって何? 心理学的に教えて下さい。
67考える名無しさん :2001/05/25(金) 12:28
魔法のように効いてる薬のCMが、ちっとばかし催眠効果を持ち出してるらしい。
薬を飲めば大丈夫、みたいな。
68玲子:2001/05/25(金) 19:07
 鬱。
69玲子:2001/05/25(金) 19:07
 鬱。
70考える名無しさん:2001/05/25(金) 19:12
催眠術にかかり易い人間とそうでない人間がいるようですが、
それはどういう人間のどういう違いから来るものなのでしょうか?
そもそも催眠術とは心理学の中でどういう位置付けをされているのでしょうか?
71吾輩は名無しである:2001/05/25(金) 20:54
すごいねこのスレ。ここまで読むのに苦労した。
普通こういうスレ立てると叩かれまくると思うんだけど、1さんはよくやってるよ。
72考える名無しさん :2001/05/25(金) 21:00
>>70
集中力があって、あまり物事を分析しようとせず…。
あと一つは忘れた。

全く当てはまらんかったのは幸か不幸か。
73明晰な論理:2001/05/26(土) 01:19
RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY様へ
御意見*明晰な論理といいながら1の言う論理の基盤は脆弱なものだ。
    1はまず命題を改めるべきだ。つまり「人間が意思し表象する
    限りでの世界の理解のための方法論は心理学である」と。
返信*ちょっと過激なスレッドの文面になっています。これは間違いでした。
   世界を理解するための学問は確かに沢山あります。ただ、世界がもし人間の
   意志や表象を外れたところで人間に受けとめられるとしたら、それはどのような
   方法を介するものになるのでしょうか。私は、全てが脳の機能を(つまり心を)
   介して理解されるものだと思っています。だから、理解する装置である心の特性を
   分析の糸口とすれば、複雑な世界のカオスも簡明に見えてくるのでは・・・と考えて
   いるものにすぎません。心理学は、そのためには大変便利な道具だと思っています。

御意見*なぜなら1は世界を、言語を介してイメージ化され象徴化された限りでの
    表象連合と考えているからだ。とすると、上のテーゼはごくあたりまえの
    ことを反復しているにすぎない。それは「人間の心理を理解する方法論は心理学である」という単純な確認にすぎないからだ。
返信*ここは全く同意します。世界は心が再構成したイメージの集合体だと考えています。

御意見*ここで1はあやうい立場にある。本来この立場を貫徹するなら、
    世界そのものについては不可知論的立場しかとれない。当然「価値」
    や「目的」などの有意味な記号は、表象された限りでの世界にしか
    妥当しないのであるから、これを実在の世界へと適用する(6のレス)
    のはカテゴリー・ミステイクの危険を冒すことである。だから1の立場
    で言えば、絶対的な価値や客観的な真理は「ある」とも「ない」とも
    いえないしそもそも発言すら禁止されている。他方でもしこの「相互
    主観的な幻想が自己外化された」世界にたいし、何か積極的な提言を
    しようとすればそれは先にいったカテゴリー・ミステイクの危険をお
    かすことにる。「世界に価値はない」というニヒリズムもまた、ひと
    つの価値にすぎない。
返信*私は世界に絶対的な価値は無いと考えています。しかし、人間が生きる
   うえでは、何かの価値を「絶対(自分にとってだけの)」として選択し、
   各人が生きていけばいいのではないかと思っています。
   だから6のレスは私自身が選択した「哲学」を述べているということになるの
   だと思います。(つまり私自身が選んだ自分にとっての真理)
   人間の肉体の制約、心理の制約という二段階のレベルで、人間は
   世界を解釈する規制、制限、取り決めを受けているのではないかと思います。
   真理には個人差があり、個体差があり、そもそも本当の真理は存在しないと
   思います。(これすらも幻想とすればならば、たしかに不可知論です。)
   わたしの考え方は、基本的に不可知論で、その上に相対主義が乗っかっているのかも
   しれません。
御意見*よって1がここにスレを立てること自体が無意味。
返信*無意味ということは無いと思いますけど。

74明晰な論理:2001/05/26(土) 01:37

RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY様へ
御意見*言語により象徴化された世界が第一の所与であるなら、
    それははじめから公共性をもった共同幻想であると考えるのが
    妥当ではないか。人間はそれぞれ個人が独自の欲望や物語を
    生産できるほど器用な存在ではない。
    欲望のベクトルは常に社会との相対的関係にある。
返信*しかし、人間は一人でいるとき、勝手な空想にふけっています。
   「どうして人を殺しちゃだめなんだ」「こんな世の中やってられない」
   「私は馬を一本と数えたいのに、世の中では一頭、二頭と数えている・・・
    やってられないよ」など・・・とにかく主張と不満で渦巻いているのが
    個人の心理状態だと思います。
    私は、人間の各自ばらばらの私的幻想を一部分共同化したものが、共同幻想だと
    思います。だから、共同幻想が先にあって個人が無条件にそれに従って生きるのでは
    なく、私的幻想があってこそ、(ばらばらの空想があってこそ)共同幻想があり、
    共同体や社会があるのだと思います。もし共同幻想に最初から完全に支配されているとしたら、
    それは誰が創ったものなのでしょうか。それは変化しないものなのでしょうか。
    そういではないと思います。そもそもそれでは、この共同幻想に対してストレスや、
    憤懣を感じる理由が見つかりません。人間はバラバラの空想を持たざるを得ない存在だと
    思いますけれど。
つっこみどころ満載の君のレスだけど
とりあえず周囲の反応を見よう。
ただひとつ。
ばらばらの幻想が最初の所与だとするなら、個人ばらばらに象徴体系を持つ、という結論がでる。
君は私的言語の可能性についてどう思う?
76明晰な論理:2001/05/26(土) 01:49
御意見*欲望のベクトルは常に社会との相対的関係にある。
返信*これは正しいと思います。

御意見*だからいざとなったら「個人の信念の勝手でしょ」という結論も
    、いうまでもなく不十分である。なぜなら個々の欲望が公共性に
    より文節化されているのであれば、これを肯定することは同様に
    社会的文脈をもたざるをえないならである。個人の価値観はいや
    おうなしに他者との相対的関係に組み込まれる。このことを過小
    評価するとしたら、それは価値観というものの政治性をあまりに
    無視した幼稚な説明というしかない。
返信*きっとrageさんは高潔な理想主義者なんでしょうね。僕は個人の
   私的幻想の妥協点が自動的に共同幻想の姿をきめると思っているものです。
   人間は勝手気ままな存在で、共同幻想によってどうにか制約を受け、社会が
   成立しているのだと考えています。
   僕は建前としては公共性や価値観の政治性は、大切だと公言する人間ですけれど
   (きっとそれは自我を安定させる(いい人、高潔な人を演出して)方法にしか過ぎない
   のだと思っています。)kれども、私的には、そんなことどうでもいいです。
   「好きな異性にいたずらをしてやりたい」とか、「隣の家に爆弾をしかけて
   爆発させたらおもしろいだろうな」なんてふと考えたりもします。
   醜く、恐ろしい欲望の奔流のなかに生きている存在です。
   
77明晰な論理:2001/05/26(土) 01:54
御意見*
だいたいこの手の議論はプラグマティックな価値相対主義なんだよね。
世界が人間にとって有用に理解できるのであれば、そのためのツールは
なんだっていいじゃん!みたいな。そのくせ心理学にしか方法論を求め
ない1は提言の論理的矛盾に気づかないヴァカ。
返信*その通りですね。あんなスレッドの文面をつくれば、こう言われても
   しかたがありません。
78考える名無しさん:2001/05/26(土) 01:58
心理学では解決できない。という意見はたまに聞くので面白いスレだと
思いました。
79明晰な論理:2001/05/26(土) 02:00
66さま
御意見*シンボル環境が強制するものって何?
返信*世界はそもそもシンボル環境、意味の洪水だと思います。
   当該のシンボルが自分の私的幻想と合致しているようであれば、    
   人はこれをうけいれるでしょうし、そうでなかったら、無視するでしょう。
   人間は、この意味では完全に非先天的な存在だと思います。
   同じように教育しても、個人差が必ずでてくるように。


80明晰な論理:2001/05/26(土) 02:03
70様御意見*催眠術にかかり易い人間とそうでない人間がいるようですが、
       それはどういう人間のどういう違いから来るものなのでしょうか?
       そもそも催眠術とは心理学の中でどういう位置付けをされている
       のでしょうか?
返信*わかりません。私はあまり知識の無い人間です。(鬱)
81バリア=:2001/05/26(土) 02:05
 人間関係を円滑にする方法とは?
82考える名無しさん:2001/05/26(土) 03:05
どうでもいいが、自己満足のためにここを
潰そうとするなよ。
だから哲学板はレベルが低いといわれるからな。
83バロン:2001/05/26(土) 03:11
 男爵は常に高貴であるべきだ。ははは。
84考える名無しさん:2001/05/26(土) 03:14
キャットキラー(ネオ麦)はどうして1000番ゲット
できなかったのでしょうか。
85明晰な論理:2001/05/26(土) 03:36
 81様
 相手の自我を安定化させる振る舞いを常に心がけておれば、貴方は
 たいてい相手の人から好かれます。ちょっと考えれば簡単なことです。
 自分の自我を肥大させすぎなければ良いのです。
 84様
 タイミングを逃したからですよ。
86HR33:2001/05/26(土) 04:01
2ちゃんねるにアクセスし始めて半月。中毒になるし(さびしがりなもので)
睡眠時間も減っているし、結局不毛な馴れ合いと中傷だけ、もうやめようと
思っていたんだけど、何でも使いようですね。
意義のある仕事をしている人にやっと会えた。一気に読むのちょっとしんど
かったけど、1さんの答えは自分と世界に対して見方をクリアにしていくた
めのいわば処方箋として、自分にはとても気持ちのいいものに思われます。
月並みな言い方ですけど、がんばってください。

で、これは俺の「御意見」です。
なぜ、この心〔自我)はあるのでしょう。
(俺の心はこんなにも毎日、一秒ごと、不安を感じたり悩んだり、喜んだりぼーっとしたりする。
俺っていったい何なのかな、とか、不思議だな、とか思う。
その「思う」ってことも不思議だったりする。
世界が心[言葉、認識]の投影なら、実体というか、起点みたいなものがある
はず。俺のなぜ?はいつもここにつきあたります。)

答えじゃなくてもいいです。
明晰な論理さんはどう思われますか。

もうお休みになってると思います。
俺も寝ることにします。
お休みなさい。

P.S.鳩山郁子ってだれですか?
87考える名無しさん:2001/05/26(土) 04:07
漫画家
88考える名無しさん:2001/05/26(土) 10:19
貴方は誰ですか?名前を聞けばわかる人でしょうか?

1さんへの質問
貴方は、人間の本能についてどう考えていますか?
89考える名無しさん:2001/05/26(土) 10:25
>>88
そんな大した人じゃないでしょう。
文章は優れているけども、どうも彼の主張は自然科学
や政治性を軽く捉えすぎています。
90考える名無しさん:2001/05/26(土) 10:35
>>88
玲子=石丸=バリア==バロン=明晰な論理
91考える名無しさん:2001/05/26(土) 10:41
人間の進化は偶然でしょうか、それとも必然でしょうか?
なにがそうさせたのでしょうか?
92考える名無しさん :2001/05/26(土) 12:21
1は今の所まともなのに、ココぞとばかりに寒い質問が飛び交うスレ。
93考える名無しさん:2001/05/26(土) 14:04
>>84

ネオキャットキラーはGOだったんだよ。
94高卒:2001/05/26(土) 15:25
1は、質問に対して「自分のレベル」で回答してるよね。
質問者のレベルに合わせたパフォーマティブな回答じゃないと
質問者の役に立たないんじゃないの。
まあ、何かの演習のつもりで答えていて、自分の為にやってるんなら構わないけど。

あと、1はコンスタティブで答えているから
政治云々の話は的外れでしょ。
ゆるやかな保守層が大半の日本社会は、1の様な哲学をもった人間が社会システムを担っているから
信用に足る訳で、イデオロギーもってる人間に任せたら不安でしょーがないよ。


質問:寒い質問が飛び交うのは何故だと思いますか?(スレのトレンドを分析してください)
95考える名無しさん :2001/05/26(土) 18:09
>>94
1が「何でも」とか言う>本当に「何でも」質問してくる>1、真面目に答える>
>実はマジ質問だったりする>いぬのめいが電波を飛ばす>1、真面目に答える>
>やっぱりマジ質問だったりする>ラゲが1に噛み付く>1、真面目に答える>
>1、安く見られる>質問者のレベルが下がる。
96考える名無しさん:2001/05/26(土) 20:17
明晰VSらげの対立は、
方法論的個人主義と方法論的集合主義の対立にそーとーすると思われ。
社会(象徴形式)は個人の部分的意思の総和であるか、部分の総和を超えた、
全体としての実在なのか。社会学では、よくある話だよん。
ウェーバーVSデュルケーム。いまだに決着ついてない。
97考える名無しさん:2001/05/27(日) 01:33
RAGE氏はただ彼の欲望としてつっこみのためのつっこみを入れ、それに明晰氏
はスレッドのホストとして対応している、だけのことに見えるがなあ。
終わり無く疑問と議論をたてつづけようとするRAGE氏と、物事を不可知論の枠
の中で整理していこうとする明晰氏とでは目的そのものが違うので平行線にな
るのは当たり前。
あと、質問者に哲学素人がいるのは必ずしも悪いことではないと思うが。
ベタな現実レベルの事象(人間関係云々といったような)に対応できない哲学
などいらないのでは?
バカばっか。
99考える名無し:2001/05/27(日) 03:06
統計とってそこからどれだけずれがあるかとかを調べてる心理学はインチキです。
ついでに社会学&経済学もなー
100高卒:2001/05/27(日) 03:48
RAGE氏は盛り上げようとして、つっこんでるだけ。
厨房大好きと思われ。

1は宗教板に逝ったのかな。
10166:2001/05/27(日) 04:52
66です。

1さん、どうもレスありがとうございます。

御意見*シンボル環境が強制するものって何?
返信*世界はそもそもシンボル環境、意味の洪水だと思います。
   当該のシンボルが自分の私的幻想と合致しているようであれば、   
   人はこれをうけいれるでしょうし、そうでなかったら、無視するでしょう。
   人間は、この意味では完全に非先天的な存在だと思います。
   同じように教育しても、個人差が必ずでてくるように。

メディアやコンビにでばら撒かれている12サインのシンボル、それに伴う言説の問題を、メディアリテラシーの問題と近似しているが、しかしシンボルのレベルで働くがゆえに、はるかに深い問題として、長い間捉えていました。

メディアリテラシーは、メディアから与えられた情報空間を、情報空間として意識して相対化するための体験学習だ、と私は捉えています。つまりメディアが意図的に作成されたものであることを、ビデオ編集や、雑誌の編集という<現場>として、12歳から19歳あたり(うろおぼえ)までに、大人たちによって作られた学習環境で擬似的に体験することです。

自分は、メディアリテラシーという言葉を知るまでは、概念を<構築された情報空間>という、妙な感じで抽象化した捉え方しかできず、ある時期から自分なりに相対化して遮断したメディアの漠とした影響力を、それに気が付いていない他者に具体的に伝達することが、かなり困難でした。しかし、<メディリテラシー>という具体的な言葉で説明すれば、自分が言わんとしていることは、友人たちには簡単に理解してもらえます。

つまり、情報を(自分の信じることとして、信じる限りにおいて)、きわめて具体的に伝達すれば、明晰な理解が可能になるが、逆に伝達しなければ、自分の友人たる<他者>は意識の暗闇の中にとどまってしまう。

ここで面白いのは、99年のアメリカのメディアリテラシーの現場では、その年齢域を越えてしまった人は、積極的にはメディアリテラシーの対象とはならない、ということ。自分の子供がその教育を受けた場合のみ、親が対象となる、ということ。つまり、「知ること」はそれまでの信念が壊れることだ、ということをはっきりと自覚した上で、信念体系が壊れてもやり直しが十分可能な年齢域だけを慎重にターゲットとしているのです。

こういう現実に直面すると、人間は、1さんがおっしゃるように、受け入れる意味を私的幻想レベルで無自覚に決定していく非先天的な存在ではなく、生後すぐに刷り込まれていく情報環境、シンボル環境を、いかにして具体的に相対化していくかという作業がカギとなるような、きわめて具体的な<コミュニケーション><教育>の結果としての創作物・・・に思えます。

そうならば、自分が危惧しているように、12サインなどのシンボルを生育環境として刷り込まれてしまっている人たちは、そのシンボルを、メディアと同じように、作られたモノとして論理的に相対化できるなにがしかの教育を受けない限り、存在そのものがシンボリック・システムに飲み込まれて、本人は気が付かないが、象徴政治のレベルで動かされてしまう、という結論は、間違ったモノとは思えないのですが・・・。

(シンボルと象徴をほぼ同じ意味で使っています)。
102安重根:2001/05/27(日) 05:11
おはようございます、厨房です。
みなさまお楽しみのところ大変恐縮ですが、質問があります。
「世界はすばらしい」と思えるようになるにはどうすればよいで
しょうか?薬打たなきゃダメですか?
103高卒:2001/05/27(日) 06:04
>>101
フxaシsトのかほりがしる。
104明晰な論理:2001/05/27(日) 21:55
 こんにちは。数学VCの勉強が忙しくてなかなか返信出来なくてすいません。また
書きます。
105安重根 :2001/05/27(日) 23:23
早速質問!
今世の中では「ポジティブシンキング」なるものが流行していますが、
なんであんな単純な、電波とも言えるようなものが金科玉条として流通
しているのでしょか?局地的には、代理宗教みたいなんですけど・・
106考える名無しさん:2001/05/27(日) 23:35
なんだ。工房だったのか…。
かつてのハイデガー先生のような方を期待して
真摯な悩みを訴えたのに。
経験に裏打されていない妄想に真理はないと思われ。
107考える名無しさん:2001/05/28(月) 00:24
>106
それだけで他人の度量を決めつける君に
人の経験値を云々する資格はないと思われ。
108高卒:2001/05/28(月) 03:37
すわ、1は高校生なのか、頭イイ!
すごいや、キミ。

質問:(A)哲学は終了していると思いますか?(個々人の認識に還元せずに回答)
   (B)世界観の共有化が不能ならば、どの様な社会形態を描き得ますか?
      国内レベル、世界レベルで分けて記述してください。
109考える名無しさん:2001/05/28(月) 04:17
>>108
そんなこと聞いてもしょうがないような・・・
110高卒:2001/05/28(月) 05:15
>>109
どんな学問にも終わりは訪れます。
時代時代で終わった学問は再定義され、再生します。

哲学が終焉するならば、再生の方法を探る
その方向性が僕と同一であるかどうか、知りたかったのです。
111考える名無しさん:2001/05/28(月) 07:21
>108
(B)については1はこのスレの中ですでに見解を出していると思うぞ。
112明晰な論理:2001/05/29(火) 02:05
御意見*なぜ、この心〔自我)はあるのでしょう。
(俺の心はこんなにも毎日、一秒ごと、不安を感じたり悩んだり、喜んだりぼーっとしたりする。
俺っていったい何なのかな、とか、不思議だな、とか思う。
その「思う」ってことも不思議だったりする。
世界が心[言葉、認識]の投影なら、実体というか、起点みたいなものがある
はず。俺のなぜ?はいつもここにつきあたります。)

返信*心臓の機能が血流を循環させることであるように、心は単なる脳の機能の一部で
   しかないと思います。「心」という言葉には「自我の存在」や「自己」という
   含みがありますから、崇高で、スピリチュアルで、摩訶不思議な観念的存在だと
   捉える人は多いと思います。しかし、僕は人間の心理の動きは基本的には自我の安定
   と幻想我の高揚という二つの尺度にしか依存していないと考える者なので、人間心理に
   崇高性や、至高性を感じたことはありません。誰しも人間の心は非常に簡明な原理に
   よって動いていると考えています。(機能は複雑ですが)
   心は感覚の統合体だと思います。地球上の生命をマクロな視点で見渡してみると、
   実に様々な、外界の知覚方法があることを思い知らされます。たとえば、犬の鼻は人間の
   何千倍も良いと言われています。コウモリは、人間の聞くことのできない高い波長の
   音の反射を聞き分け、暗闇でも(視覚に頼らなくても)自由に飛行することができます。
   体温が高くなりすぎるのを防ぐために、日陰しか飛ばない蝶。特定の臭いにだけ反応する
   蛾の群。彼らは独自の外界知覚システムによって、自分にとって必要な情報だけを明晰に
   分別し、独自の世界像をもっています。どんなに下等な原始生物でも、「何かを知覚し」
   「必要ならば、それに対する反応、行動を返す」という原則を守っているように思えます。
   生物が高等になればなるほど、一般的に生体システムは複雑になり、感覚は分化して、様々な
   情報を読みとることができます。これは、高等生物ほど対応しなければならないシチュエーションが
   多く、より多くの情報を外界から必要とするからだと思います。人間は他の哺乳類に比べ前頭葉
   が以上に発達しており、そのために、比較的高次の脳機能を持っています。
   あらゆる生物のもっている感覚の統合像(心)が、極度に発達した生物が人間だと考えてはどうでしょうか。
   生物には、いらない(使わない)能力エネルギーの無駄として削り、必要な能力をより発達させる(進化レベル、
   個体レベルで)機能があります。歴史を紐解くと、先天的な障害で腕のない人々のなかには、
   足でオーケストラの指揮をしたり、トランペットを自由に吹きこなしたりする者がいます。人間はその
   一生において、その肉体と精神を訓練によって、信じられないほどドラスチックに変化させることができます。
   様々なスポーツみれば、いかに人間の肉体が様々な進化を遂げうるのかという可能性すら感じます。
   もし、環境の制約によって、生きるために過剰なストレスがある生物群にかかれば、機能や肉体、感覚器は
   適応のため、変化する可能性があります。
   様々な感覚の統語体としての世界像(生物の原始的心)が、たゆまぬ訓練と必要性によって、かくまで明晰化
   実用化されたと考えてはおかしいでしょうか。
  
                                        
  

感覚器は確か、最初は一つの統合対で
113明晰な論理:2001/05/29(火) 02:11
hr33様へ
追記・鳩山郁子は漫画家です。「がろ」なんかに書いていたひとです。
   作品には「月に開く襟」「スパングル」なんかがあります。
   あまり男の人向けではないと思います。
   女性向けかもしれません。
114明晰な論理:2001/05/29(火) 02:12
つっこみどころ満載の君のレスだけど
とりあえず周囲の反応を見よう。
ただひとつ。
ばらばらの幻想が最初の所与だとするなら、個人ばらばらに象徴体系を持つ、という結論がでる。
君は私的言語の可能性についてどう思う?
 この質問についても書きます。あまり時間がないので、また暇なときにでもおじゃまします。


115:2001/05/30(水) 00:33
孤立せよ・・・!
116考える名無しさん:2001/06/01(金) 12:45
世界を理解したら、その後どうなる?
1はどう生きていくの?
117考える名無しさん:2001/06/01(金) 15:47
人に聞いて解決する悩みなんてしょうもないブー
118考える名無しさん:2001/06/01(金) 22:18
世界は自分を理解するために存在していると考えるが、
これはただの自己中だろうか?
119電波様:2001/06/02(土) 01:01
心理学はたぶん脳科学と合体して、そして現在の心理学はなくなるよ
120田中洸人:2001/06/02(土) 20:02
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422
量子力学がきわめて「人間的」な物理学であることがわかります。
121考える名無しさん:2001/06/02(土) 21:07
>明晰な論理
なんでそういう妄想に囚われるんだか…。
哲学やったことないのでは?
122考える名無しさん :2001/06/02(土) 21:21
>>121
やたら偉そうなお前よりはマシだろうね。
123考える名無しさん:2001/06/02(土) 21:26
120は荒らしです
12486:2001/06/05(火) 06:20
>1
まず自己批判からはじめるよ。
俺はあなたに対して、自分が精神的安定を得るための
手軽な慰めを期待していたに過ぎなかった。
感情的にいろんなことで悩んでいたからね。
ぐだぐだと悩み事めいた書き方したから、
質問の意図が伝わってなかったね。
あなたの時間無意味に奪ったこと謝るよ。ごめんな。

改めて自分に向かって問いを立て直していこう。
世界に意味は無い。
お前がここに生きてることの意味も、あらかじめ、無い。
(情けねえがしょうがねえ。
 お前は今日、身を持って現実を知った。)
一切の存在に「意味」はない。
「問う」ということもひとつの心の働きに過ぎない。
問いはどこにも突き当たらずに、ただ「ここ」に即事として差し戻される。

ワオ、なんてスバらしき意味なし阿呆位置

俺は俺の感情=心のシステムについての解説を求めているのではなかったのだよ。
世界は存在する。
「わたし」はたえず語りかけている。「わたし」が言葉の拠り合わせに過ぎないとしても、
「これ」は語りかけているところのなにかによって存在させられている。
01が存在している。
存在する<なんじゃいこりゃ?????

哲学なんてクソ学問の言葉、使いたくもないけど、これ「個疑闘」ってやつすか?
でも、もう答えいらないです。質問取り下げます。
「存在も捨てたもんじゃないと思えるような、価値を作ることのほうが
この存在のよい使い道だ。」という方向を俺は選択します。
とりあえず家帰って寝ますわ。
2ちゃんにカキコなんかしてないで仕事探さんとな。
よいしょと。氏なへんでよかった。

ひとつあなたに言いたいことがあるとすれば、
「せいぜいクソ明晰な論理で理解しまくって小器用に意味無しクソ世界を逝きやがれ!!」
ということぐらいです。
グッドラック、じゃな。
125みかわけんじ
>>124
あ〜ら、そうかしら、ふ〜ん、そおなのぉ、
意味しかなくてよ
ちがぁうわよ、な〜にいってんのよ、
たのしむのもらぁくじゃないわよっていってんのよぅ、
なぁ〜によっ、ふふっ、なまけちゃぁだめよ、ふふ
>>1
そぉんなことより、わぁたしがききたいのはあれよ、
わぁたしのせかいはすばらしぃわよ、そうよ、あぁたりまえじゃないのよ、
えぇ〜、あぁなたのせかいはしらないわよっ、な〜にいってんのよ、
こぉこからがほんだいなのよ、
「わたしとあなたがおなじせかいにすんでるか」ってことなのよぅ、
そぉよ〜、きぃいてるのよぉ、ど〜なのよっ、
あたしのことばわぁかるでしょ、ちぃがうわよ、
ももいじゃないわよ、なぁんでかおりがでてくんのよぅ、
いぃ〜わねぇ、おぼえてらっしゃいよぉ、