ベンヤミン

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1ななさん
について真面目に語ってるスレってないんですか? 
2考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:22
1がこのスレで語ってくれるそうです。
3考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:27
真面目って何
4考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:31
ないです
5考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:49
よろしい
6考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:51
何が?
7考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:57
真面目の定義がわからんこと
8考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:58
いまどき、写真におどろいたっつう論文読んでもねえ(プヒー
9考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:59
4は1のレスでは?
10考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:00
わかったことような事をぬかすなボケ
11考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:44
クソが
12考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:50
こわ〜い。品わる〜
13ベンヤミソ:2001/05/12(土) 23:52
オラオラかかってこんかい!
シュッシュッシュッ!
14考える名無しさん:2001/05/12(土) 23:58
なんか悪意が吹き荒れてるなあ 笑っちゃうけど、みんなお子チャ間 ぷぷ
1515:2001/05/13(日) 01:11
ベンヤミンはまだまだ面白い。
「パサージュ」がどうのこうのとか、ナマハンカな紹介が多かったのが
本当の読解の道を妨げてきた。だいたい、パサージュなんて、アーケード
商店街だっつうの。(←ベンヤミン批判ではなく、紹介の仕方の批判)

日本のアーケード商店街も、研究対象として面白いと思う。
16>>1:2001/05/13(日) 01:14
17考える名無しさん:2001/05/13(日) 01:47
都市論なんかで使われるベンヤミンよりも、
神/神々とか、天使(「かもしれなかった」、
敗者への視線、瓦礫拾い)とかの問題系のほうが
面白いと思うが。
つまり、最初期から「悲劇」までと、
最後期。
即物的な次元のことにかかわった途端に、馬脚を
あらわすと思うんだけど、このひと。
18考える名無しさん:2001/05/13(日) 04:51
zentai shugi tekina tokorowa aruyone Benjamin
19考える名無しさん:2001/05/13(日) 09:00
そうね、デリダ「法の力」あたりで言ってるよね。
まあデリダなんて引くまでもなく明らかか。
15氏は、ベンヤミンのパサージュ論自体が面白くないと言ってるの、
それとももっと面白いパサージュ論の読み方があると言ってるの?
20考える名無しさん:2001/05/13(日) 10:38
ここの120以下の部分で多少触れられています。興味のあるかたはどうぞ。
  ↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=988944107
21JPB:2001/05/13(日) 11:17
おいおい・・・触れた一人ですが、引用、解釈は学問的には何の根拠もない
のでそこんとこよろしくおねがいします。
22考える名無しさん:2001/05/13(日) 19:11
21は誰へのレス?19か?
で、三島もその手のことはよく言いますね。
しかし「法の力」の議論はおおかた正論だと思いますが、ぼくは。そのへんだれか異論とかないでしょうか。あったら教えてほしいところですが。
23OFW:2001/05/13(日) 20:36
>>18
 ベンヤミンが全体主義!?これは驚きです。
 どの辺からそう思われるのか、教えて欲しいな。
 少なくとも、全体主義のナチスドイツに追われた一人ですから。
24JPB:2001/05/13(日) 21:55
>>22
いえ・・・リンクはった>>20に対してです。
25吾輩は名無しである:2001/05/13(日) 23:27
ユダヤ神秘主義との関わりを、
肯定すべきか否定すべきかで
迷っています。
アドルノなんかは否定していた
んでしたか?
2622:2001/05/14(月) 05:19
JPG氏、大変失礼。申し訳なし。
そして25氏、それこそ解釈の揺れどころ。
2722:2001/05/14(月) 06:39
そしてJP「B」氏、あまりに度重なる失礼、
もはやなんとお詫びしてよいのやら…
JPGってゴルチエかっつーの(w
いや、おそらくベルモンドであろうことは
分かるんですよ、分かってたんですが…
とにかくおれ、ポルボウ逝き決定(涙
28考える名無しさん:2001/05/14(月) 08:00
へ〜い
べんじゃみん君登場〜
29考える名無しさん:2001/05/14(月) 10:18
伊東四郎?
30考える名無しさん:2001/05/14(月) 11:26
>>23
最近の、ベンヤミンについての欧米の論文読めばよくわかると思うよ。

31OFW:2001/05/14(月) 22:06
>>30
 サンクス、と言いたいが、欧米の論文を手軽に手にも入れられず、ネット検索
 で世界を飛び回って見たものの、結局ベンヤミンを全体主義とする論文は
 見つからなかった(逆の論調ばかり)・・・。
 できれば、簡単な紹介きぼーん。

 こんなの見つけたが、少しは関係ありかな?
 ttp://www.flet.keio.ac.jp/~pcres/culture/review/stalin.html 
32JPB:2001/05/14(月) 23:09
私は歴史畑なので、ベンヤミンも歴史動力論、変革主体論の方から
しか読んでないです。哲学板では語る資格なしです。
で、一応私が読んだ最近のは、英米の文献なので、どうかなあ。

“Walter Benjamin Theoretical Questions”David S.Ferris編
Stanford University Press 1996 です。
あとは、レヴィナスとベンヤミンを比較したやつです。メモし忘れて
ます。スマソ。
33JPB:2001/05/14(月) 23:12
>>22さん

いえ、そんなに恐縮されなくても。こちらこそ、申し訳ないです。
34考える名無しさん:2001/05/15(火) 03:20
>23
全体主義的っていうか、ナチ的なのね。
「政治の美学化」とか言ってるけど、おまえの議論も
同じ誤謬を犯してるだろ、っていう。「暴力批判論」とかね。
それが核心だと思います。最近というよりもけっこう昔からあるテーマだとぼくじしんは受け取っていたのですが。一口に欧米っていってもアメリカとヨーロッパではベンヤミンの受容のされ方は著しく違うと思うし。
やっぱりまず『法の力』あたりがよいのでは?既出ですが。
35ななし:2001/05/15(火) 19:51
我々がシュミットの例外状況というのを逆用することができる、
というような意味でそう言うのならそう言える。
だが、だからといって、ベンヤミンがナチに相似の議論を展開しているということにはならない。
36考える名無しさん:2001/05/15(火) 20:06
いや、もちろんベンヤミンとナチが同じはずはないんだけど、
政治や社会の議論を神秘主義的な、ないし形而上学的な議論とあまりにも無媒介に接続してしまっている
点で、シュミットやらハイデガーやらと同じ危険性をベンヤミンの議論は抱えてしまってる、ってことでしょ。
そのベンヤミン批判は的確だと思うよ。
37考える名無しさん:2001/05/15(火) 20:07
まあシュミットは確信犯だけどね。
あ、おれ36です。
38考える名無しさん:2001/05/15(火) 20:44
ラヴィナス。ベンジャミン。
39OFW:2001/05/15(火) 23:37
>>34
>全体主義的っていうか、ナチ的なのね。
 なるほど、それなら言わんとする雰囲気は少しは分かります。
 ただ、やはりちょっと違うと思うな。近代合理主義に対するアンチという点で
 見ても、ナチの先祖返り的な古代主義と、ベンヤミンのメシア思想的な革命
 主義とは、ベクトルの向きが反対ではないでしょうか。
>やっぱりまず『法の力』あたりがよいのでは?
 デリダは止しましょう。相も変らずの「脱構築」ですか・・・。
 せめて、人倫ー法状態ー政治的国家ー類的世界史の諸段階を押さえた
 ダイナミックな議論が欲しい。
>>36
>政治や社会の議論を神秘主義的な、ないし形而上学的な議論とあまりに
>も無媒介に接続してしまっている
 確かにそれは言えると思いますが、凡俗の哲学者・知識人とは異なり、
 批評的精神の鋭さは、決して短絡的な同一視を許さない程のものでしょう。
 たとえば、ブルジョアジーの精神、ボルシェビズムの精神等を捉えるに際し
 て、精神の媒介性を見事に捉えていると、私は思います。
 また、ベンヤミンが重視した「親和力」(affinity)とは元々化学から出て
 いる概念であり、ヘーゲルやゲーテの弁証法でも、重要な位置を占めている、
 媒介性の一様態です。(現代思想は化学を軽視しているが)
 彼の限界は、やはり唯物論の不徹底じゃないかな。その点では、ブレヒトの
 「法の力」を蹴飛ばす程の<大衆性>の方が進んでいたように思われ。
40考える名無しさん:2001/05/16(水) 23:52
age
41考える名無しさん:2001/05/16(水) 23:53
haha@`misuttita age
4236:2001/05/17(木) 08:10
>>39
やや誤解を招いてしまったようです。ぼくの言ったことは、
「かれの唯物論には媒介性が無い」というような、アドルノ的な
批判ではありません。(根本的にはそこにたどり着くのかもしれませんが、
とりあえずは別です。)
ぼくの言ったのは、なんというかもっと単純な話です。
「無媒介な接続」とかいうよりも、「レベルの混同」と言ったほうがよかったかもしれない。つまり、近代においては、哲学的レベルの話と社会や政治のレベルの話は、一応区別するのが作法ですね。もしくは、原理論と状況論とも言える。(たとえば、「社民は欺瞞だ」とかいう議論は成り立つかもしれないけれど、だからといって「再分配を即刻止めろ」とか言うひとは馬鹿ですね。)
で、いわゆる彼の神秘主義的議論と、法論、政治論があまりに不用意に接続されていることが、ベンヤミンにおける「政治の美学化」ではないか、と思うわけです。
その点では、たとえ古代主義だろうとメシア主義だろうと、思考のありかたとしてはナチと同型ではないか、と。しかもベンヤミンは好んでそうしてる節がある。もちろん、だからベンヤミンは駄目だ、とかいうことを言う気は毛頭ありませんが…
ところで、逆に質問です…

>批評的精神の鋭さは、決して短絡的な同一視を許さない
これは、何と何との同一視を許さないということでしょうか?
また、ベンヤミンは親和力(姻戚/関係)(Verwandtschaft)をむしろ批判の対象としていたのではなかったですか?
あと、横レスで申し訳ないのですが、

>せめて、人倫ー法状態ー政治的国家ー類的世界史の諸段階を押さえた
>ダイナミックな議論が欲しい。
このようなヘーゲル法論的な契機をベンヤミンに読み込むことは、ぼくには極めて難しいように思われるのですが…。なにしろ、法にしろ国家にしろ、ベンヤミンは廃棄を要求していますから。
ぼくとしては、ベンヤミンの可能性の中心(ぷぷぅ)はいっそのこと哲学的議論にのみ求められるべきだ、とかいう立場もありうると思うんですが、日本では(「歴史哲学テーゼ」はともかく)やはりCS系に使いやすい議論のほうが人気ありますね。
43OFW:2001/05/18(金) 06:38
>>42(36さん)
>思考のありかたとしてはナチと同型ではないか、と。
 まあ、ベンヤミンが戦後まで生き残って、ナチのホロコースト的な
 <死の美学>と自己の思想の違いを明確にしたら、良かったかな・・・。
 育ちの良さが弱さになっているのか、どうも生活感がないのは確かですね。
 少し外れますが、「唯物論に媒介性がない」とはまさにアドルノ自身に向け
 るべき批判でしょう。
>これは、何と何との同一視を許さないということでしょうか?
 たとえばハイデガーのようにドイツ「第三帝国」を自己の理念とを安易に
 同一視しなかっただろう、といった点です。
 (その点では、ハイデガーは余程ナイーブな厨房だったと言える)
>親和力(姻戚/関係)(Verwandtschaft)
 『ゲーテの親和力(Affinitat)』 の方です。<原史>の概念やアレゴリー
 とも結びつく人間の幼児的・神話的思考の有り様とも言えるのではない
 でしょうか。ネット検索で、ウィトゲンシュタインと関連させている論文を
 見つけました。(余り詳しくないが)
 ttp://www.uchicago.edu/research/jnl-crit-inq/v25/
 v25n2.cavell.html#ref-material
>ヘーゲル法論的な契機をベンヤミンに読み込むこと
 と言うより、デリダに対しての反論でして、デリダのヘーゲルに対する
 浅薄な”脱構築的”批判は法哲学に関しても余り深いものではない、
 ということです。
>ベンヤミンの可能性
 確かに哲学的にもっと取り上げてしかるべきでしょうね。
 私の好きな言葉の一つは、他スレでも引用しましたが、
 「弁証法とは歴史の風を受けて進む帆のようなものだ」
 です。これは、ソクラテスの
 「人間はロゴスという小舟に乗って大海に繰り出す」
 という言葉と、美しい<親和性>を示している。
44考える名無しさん:2001/05/18(金) 09:45
>>43
アドルノは、政治に関心があったわけではないし無媒介な唯物論ではないと思うけど・・
浅読みには注意が必要だね。
45OFW:2001/05/19(土) 02:11
>>44
 唯物論をどう理解するかによりますが、総じてフランクフルト学派が唯物論
 的な指向性を持っていたことは言えるでしょう。それは主観重視の西欧哲
 学の中にあって、客観的な実体性に対する反省を保持していた。しかしな
 がら、マルクス流の唯物論は変容され、そのポジティブ(能動的、積極的)
 な契機は失われていったと思いますね。アドルノの『否定弁証法』を読む
 限り、「媒介性なき」つまり「否定の否定」のない抽象的な否定に止まって
 いる。確かにもはや唯物論とは呼べない程です。・・・
 これが私の「浅読み」の結果としての感想ですが、誤読でしょうか?
 (このスレはアドルノ論ではないので、あまり深入りしませんが、唯物論が
 足りないのは、現代哲学全般の特徴であり、大いに遺憾だと思う次第。)
え〜と質問です。
アドルノはフロイト的戦略も使っているようじゃないですか?
実は人間を動かしているのは理念とか論理みたいな抽象的なものではなく
人間の欲望みたいな心的事実だ、と。
フロイトは唯心論ですか?
もしそうならアドルノは唯物論と唯心論とを並立的に扱ったんですか?
47考える名無しさん:2001/05/19(土) 05:38
>>46
他スレのほうがいいんでないかい?
アドルノ関係のスレあるし。
48OFW:2001/05/19(土) 20:53
>>46(らげさん)
(大分雰囲気が変わったな・・・)
>実は人間を動かしているのは理念とか論理みたいな抽象的なものでは
>なく人間の欲望みたいな心的事実だ、と。
 社会学者としてのアドルノは、<権威主義的>家族や現代社会の分析等を
 批判理論的に行ったわけで、単なる欲望ではなく、その社会的有り様を
 問題にしていたのでしょう。
>フロイトは唯心論ですか?
 とんでもない。唯物論の立場に立つ科学者です。
>もしそうならアドルノは唯物論と唯心論とを並立的に扱ったんですか?
 と言うより、不徹底だということです。ユダヤ的・東洋的な偶像破壊精神は
 良いが、「哲学者」という自己の立場は破壊しないインテリ、かな。
・・・閑話休題。本題に戻るとして、
ベンヤミンと言えばアレゴリーと来るわけですが、アレゴリー(寓喩)はフロ
イト的な文脈でも出てくる。典型的な例として、確か『夢判断』の中に、
「老夫婦が、互いに相手の持っている蝋燭の火を吹き消そうとしても、なか
なか消えず、それがおかしくてたまらない。」という夢の話が紹介されてい
る。フロイトは、この夢はとても「傷ましいもの」と解釈しています。つまり
<蝋燭の火>は「命」の象徴(寓喩)であり、<火を吹き消す>とは「死」
を意味すると言う。そして<おかしくて>とは「悲しくて」の反語(アイロ
ニー)として、人生の終りをむしろほがらかに昇華させたい願望と読む。
ベンヤミンは、ボードレールと共に、<パリ>の中に「近代の死(廃虚)」
を見た。それは「ブルジョアジー(資本の人格化)の夢」としての物化
(過去化)した精神が支配する世界であり、商品は生きた人間を不断に誘惑
し、増殖する<死>という所でしょうか。(唯物論的な一解釈)
4936:2001/05/20(日) 01:21
>>43(OFW氏)
ちょっと急いでいるので(こんな夜中に)、雑レスで失礼しますが、

>『ゲーテの親和力(Affinitat)』 の方です。

あれ?ぼくもゲーテ親和力論の話をしていたつもりだったのですが…
親和力論の原題はGoethes Wahlverwandtschaftenですよね?
ベンヤミンがAffinitatなる概念をインテンシヴに用いてる箇所をぼくは
恥ずかしながら全く知らないのですが、どこなんでしょうか?ではまた…
50OFW
>>49(36さん)
>親和力論の原題はGoethes Wahlverwandtschaftenですよね?
 少し外しましたね・・・失礼。(ドイツ語は苦手)。
英訳ではGoethe's Elective Affinitiesとなっているのに引きずられて
 しまった。読み返してみて、下記の文章を確認しました(勝手に引用)。

 「つまり、「親和力」(フェアヴァントシャフト)という言葉それ自体が
 すでに、きわめて近い人間の結びつきを価値および根拠の両面から言い表
 わす、考えうる限り最も純粋な言葉なのである。そして、婚姻関係におい
 てもこの言葉は充分強力であって、その文字通りの意味がその隠喩的な意
 味ともなる。この言葉(Verwandtschaft)が、選択(Wahl)という語を
 付加される(Wahlverwandtschaft)ことによって強化されることはあり
 えないし、またとりわけ、そうした親縁性(フェアヴァントシャフト)の
 もつ精神的なものが選択(ヴァール)に根拠をもつというわけでもない。」
(『ベンヤミン・コレクションT』(ちくま学芸文庫)p160)

 つまり元々の日本語訳がおかしい。正しい題名は「ゲーテの『選択的親和
 力』」でしょうね。そうでないと上記の文の意味が通じなくなる。
 私は、化学的な親和力→選択的親和力とは、無機的自然と有機的自然
 (生命)の中間に位置する<客観的関係>の一段階である、というヘーゲ
 ルの議論を踏まえて、神話的(いや親和的)に考えてみました。ヘーゲル
 は『精神哲学』の中で、まさに当時の化学者に向けたゲーテの諷刺詩を
 引用しています。

 この辺の議論を膨らませると、ヴィトゲンシュタインの<家族的類似性>
 の概念にも繋がってきそうですが・・・。