953 :
考える名無しさん:02/04/02 16:58
ヴァカだから
954 :
考える名無しさん:02/04/02 17:14
1よ。
もうちょと待って1000ゲト競争に参加するんだ。
そんなもん何回も参加した? だったらもう一度参加するんだ。何度も何度も何度も何度も参加するんだ。
そうしたら分かるかもしれんし、わからんかもしれんが、
確実に言えることは、その努力はある空間の電磁場の変化として
確実に世界に影響を与えるということだ。
Change the world.
955 :
考える名無しさん:02/04/02 17:16
956 :
考える名無しさん:02/04/02 20:12
苦労は買ってでもしろ!
生きてる意義がみつかる
957 :
考える名無しさん:02/04/02 20:25
考える意志より 本能の方が強いと思うのだが
958 :
考える名無しさん:02/04/02 20:37
人は死ぬ為に努力をするのではない。
なんか面白いからがんばっちゃうみたいな
960 :
考える名無しさん:02/04/02 20:43
長く生きたほうが勝ちだと教わるから。
教えのまま生きてればいいのに・・
暇だから
死ぬのが分かっているからといって何もしないということにはならんよ。
でもそういう空しさを覚えることは、中学生くらいの時にはあったろ?
それはどうしてか。
そういう空しさは、人間存在には不可避的に圧し掛かってくるものと思われ。
人間が他者との共同なくして生きられない存在であるとは、そういうことだと思われ。
「生の意味」なんてものをことさら意識してしまう、生き物としてはまったく無駄な倒錯こそが、人間の人間足る尊厳なんだけど。
ヴィトゲンシュタインが、『論考』で命題の意味と意義を分けて考えたけど、
それと同様な比喩で言ってみれば、存在し続ける(生き続ける)限り(あるいは死んでからも)人生の意味は(どんなに貧しいものであっても)生まれるに決まっているけど、意義を実現できるかどうかは(有意義なものとなるかどうか)難しいと思う。
『論考』じゃ、命題の意義は言語空間の全体との関係の中で決定されるとされていたけど、人生の意義も、やはり世界全体との関係の中で決定される。
「意義」とはつまり関係の中に於ける相対する価値のこと。「意味」とは微妙に違うものだと思われ。
無意義な人生は、世界との関係の希薄さの中であえぐことになる。何故あえぐのか。
ヴィトゲンシュタインに絡めて言えば、後期の「言語ゲーム」な言語観にしたがえば、
世界はまた違って見えてくるのかもしれないが。
超越論的な視座を想定せずに、現に生きられる具体的な「言語ゲーム」。
>963
要するに、自分に対して、不遇感や存在の希薄さを感じないで済む状態を維持できれば良いんだと思うよ。
>>965 マトメたつもりになって悦に入ってるん?
馬鹿じゃないの?
なぜ「不遇感」や「存在の希薄さ」を覚えるかということの方が問題の本質。
その「不遇感」や「存在の希薄さ」の解消が如何なる仕方でもたらされるかは、人によって違ってくる。
具体的な問題のありかは、自己内部の心理的条件のうちにもあろうし、取り巻く社会的条件の中にもあろうし、この世界の構成要素そのものの問題でもあるのかもしれない。
飛躍して言えば、「哲学」的思弁は、その"病"を創造的な"遊び"に変革もし得る。
……いや、これは言い過ぎかな。
生きている間じゃないと努力できないからじゃないですか。
生きてるから努力ができるんじゃないですか。
最も根底にあるのは種の繁栄。
様々な環境変化が起きても種が存続できるように、DNAが個体にバラツキ
を与え、種全体で対応しているのだと考えました。
明日死ぬ奴も2年後死ぬ奴も47年後死ぬ奴も
最期は消えてなくなるってことじゃん。。。。。
エントロピーの増大が波動のように広がっていて、
波の底にエントロピーが減少する部分ができて、それが恒星とか惑星とか
それが哲学的命題として存在し続ける。
果たしてあなたが話している空間にタナトスは存在するのか?
心理学って全然ダメなんですけど。
「タナトス」って、正確に言うと、どういう概念?
死への性向?
970 :
考える名無しさん:02/04/03 08:18
>>945 >あの世で豊かな暮らしができるように。
>プラトンは10倍の効率といったが。
ってどういうことですか?
教えてくださいまし。
>966
自分の考えを書き込んだまでさ。いちいち噛み付くな、どぶねずみ君。
972 :
考える名無しさん:02/04/03 14:35
>1よ。
いまわかったぞ。
人間が努力するのは、どぶねずみに噛み付かれるとトテモむかつくからだ。
>1
いつか死ぬために努力してはいけないの?
974 :
考える名無しさん:02/04/03 14:45
永遠に生きられるのなら努力などする必要があるのだろうか?
975 :
考える名無しさん:02/04/03 14:48
努力してませんが何か?
976 :
竹脇ムーガ:02/04/03 15:01
>1
死んだら無意味になることを無意味にならないかのように
続けているということは自分は死なないと信じていることを
意味するのだが これが合理的判断と矛盾するという事実を
自覚せずに済むために無意識上のバッファーが働いているのです。
血と文化を受け継ぐため。
978 :
考える名無しさん:02/04/03 15:12
「かのように」だすな。
やがて死ぬであろうことは確実なのであるが、
だからといって直ちに死ぬ確率は小さい。
明日も生きているであろうし、
来年もおそらく生きているであろう。
そのような確率の世界でわれわれは
生きているであろう明日に賭けなんらかの
努力をして生きているのであろう。
979 :
考える名無しさん:02/04/03 15:17
人間だけが生きようと努力(意図)して生きているように思えることがあるんだが、
どうなんだろう?
だから「人生に挫折」なんていう観念をもつんじゃないかなあ、なんて。
980 :
考える名無しさん:02/04/03 15:22
人間は生きることに目的を付加しようとするね。
目的なしには生きられないのかもしれないが、
その目的の失敗が生きることの失敗に結びつき、
単なる目的上の挫折が生きることそのものの否定、
すなわち自殺に結びつくこともある。
981 :
考える名無しさん:02/04/03 15:23
目的=目標
982 :
考える名無しさん:02/04/03 18:05
店はいつか潰れるのに、なぜ開くのか?と思ったことはある。
983 :
考える名無しさん:02/04/05 16:24
ガキのとき、「片づけなさい」と親に怒られて
「どうせまた出すんだから片づけなくたっていいじゃないか」と口ごたえしたら
「じゃあどうせうんちになって出るんだからあんたは何にも食べないのね」
と言われた。
もしかしたら「人はどうせいつか死ぬのになんで生まれてくる(生まれていく)のか」
という問いには意味があるのかも知れない。
しかしその問いは、今現に生きている我々にとっては無縁の問いだ。
984 :
考える名無しさん:02/04/05 18:25
985 :
考える名無しさん:02/04/05 20:32
>>984 我々は、ここに生まれてくる前に
そういう問いを尋ねられることは
なかったから
そしていつかどこかに生まれていくことがあるとすれば
その前にそういうことを尋ねられることも
恐らくないであろうから
986 :
考える名無しさん:02/04/05 20:36
子孫を残さないとか。
ボウヤだからさ
>>985 はい、はい、なるほど。
ということは、いつか死ぬことは確実だから、
いつか死ぬのに・・・と考えるのは有益が無いってことですね。
でもさ、もし、人はどうせいつか死ぬのになんで努力しないといけないか?
に対する問いに、結論が出るとすれば、
1.努力を放棄する。
2.死ぬ
3.
>>1は、努力をしないといけないという切迫観念にとらわれている。
よって、それを取り除けばよい。
っていうふうに、色々と実利的な選択をしていくことが出来るよ!
989 :
考える名無しさん:02/04/05 21:56
努力するかしないかは自由だしね
990 :
考える名無しさん:02/04/05 22:14
いつかは死ぬって、死ぬのはとても後の事だと思う。
だから、どうせ死ぬんだからって普通は思えはしないと思うけど。
991 :
考える名無しさん:02/04/05 22:17
>死ぬのはとても後
990はそう思うんだろうけどさ。
それは年齢と状況によるんだよね。
992 :
考える名無しさん:02/04/05 22:20
札束で頬を叩くためだ。
993 :
考える名無しさん:02/04/05 22:54
1よ
まだ見てるか
ちゃんと1000取りに競争に
参加するんだぞ
994 :
考える名無しさん:02/04/06 01:36
確かに死んだらそれっきりだと思う。
たとえば自分は今まで20年間生きてきたけれど、最近死んだらもうそれまでだと思う。
自分が死んだ後の世界、というのは見れないし、おそらく意識というのも完全に消えてしまうものだと思う。
しかし死んだらどうなるのか、というのは誰にも分からないことなので、これは考えても仕方が無い。
そもそも、生きる理由とか、死ぬ理由とかは人間や他の生物には与えられすらしていないものかもしれないし、地球だってなんで宇宙に存在しているのかも分からない。
こうして2チャンネルに書きこみしていることにもとくに衝動に駆られているわけでもないし、他人のために書きこんでいるわけでもない。
もしかしたら、すべての出来事とかは理由というものが無いのかもしれない。だからなんで生きてるのかとかは考えても仕方ない。
年を取るたびに、一年間がとても短いように思えるんだけど、そのせいか死というものがだんだん身近に感じられるようになってきた。
でもそれは、人の死とかいうものではなくて、もっと漠然に、何かが消滅する、ということについて。例えば地球はいつか消滅するそうだ。
よって、その上にすんでいる人間も、築き上げてきた文明もすべていつかは消滅する。だからこれらを発展させる理由も、文化や伝統を重んじ、記録し、守っていく必要も別に無い。
というわけで、全てが空しい。
楽しいから生きているんだ、とか割り切って考えたりもしたが、むしろそういう風に無理やり思い込むことによって、生きる理由付けをしているんじゃないかと、さらに悩む。
しかし、特に死ぬ理由も無いので、寿命を削りながら生きている。今の考え方は、人生の中で生きるというのは、何か生きた証を残していくことだと思う。
子供を生んで家族を作ったり、物を作ったり、発明をしたり、お金をもうけたりする。しかしそれらは全て、人によって認知されて証明される証であって、人が消滅する未来があるというのを分かっていると、なんとなく無駄なことのように思える。
でも、今すぐ死にたいとは思わない。ナイフとかで手首を切りつけたり、首をつったりするのは辛そうなので、あと、自分はまだ何かまだやりたいことがあるような気がする。
最近、他人はどうかは知らないけれど、自分は欲望とか目標とかの達成のために生きることにしようと考えた。
やりたいことがこれといってまだあるわけではないけど、色々な出来事を起そうと思えば起せる環境にはいると思うので。
それに、死んだとしても、もしかしたら生まれ変わって、他の色んな人生を楽しめるかもしれない。だからとりあえず人生まっとうしようかなと思う。
995 :
考える名無しさん:02/04/06 01:38
答えは簡単さ
まったく努力しないのも苦痛だからさ
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
人生は無意味な意味付けの連続である。。
意味が反証され無意味に・・・。。。
無意味が反証され(有)意味に・・・・。。。。
そして時間は過ぎ去り、人生は儚く幕を閉じる。
終了。
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1001:
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