男&女>性の超越って、どう思う?

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1猿捕
もう何年も前から、この問題だけが引っかかっていて、未だ堂々巡り。
宗教や神秘主義では、性エネルギーの瞑想的変容に向かうことで、
性超越を果たすみたいなことになっていて、その神秘的な説得力が
魅力的でもあるんだけど、自分自身の性衝動に問い合わせてみると、
どうしてもオンナでなきゃイヤだと抵抗感が大きいのです。で、一応
自分の衝動の方に信頼を置いて、オンナに向かって来たのですが、
その流れの中で、オトコであることや、オンナに対するそれまでの
認識が大きくぐらつき、オンナに対して何を求めているのかさえ混乱
してしまうことが増え、男女関係の本質に疑問を持ち始めたのです。
「もしかして、男と女の関係は単純じゃないのかも?」と。
それと、自分では思ってもみないオンナに性衝動を刺激されるかと
思えば、好きなはずの相手に衝動が起きなかったり、自分の中の折れ
合いも悪くなってしまう。なんだか、人生相談「性の悩み」みたいに
なってしまいましたが、心理学とか社会学とかのアプローチではなく、
哲学的に探ってみたいので、スレ立てさせてもらいました。
これだけは、いろんな考察や意見を聞いてみたいなと。もしかして、
性超越のメソッドは、こういう混乱を回避するためのものだったのか
な、とか。思考にも取り止めがなくなるわけで…。

それと、もしウザイ!ということなら、そう言ってくださいヨ。
引き上げますので…。
2考える名無しさん:2001/05/04(金) 18:36
なんでそんなこと気にするのかな?
毎日オナニーしてれば済むことじゃん。
そうすれば性衝動で悩むこともないでしょ。
3考える名無しさん:2001/05/04(金) 18:46
>>2
そりゃそうだ。
4考える名無しさん:2001/05/04(金) 19:03
謎の中国人
性超越
5MtFTG・CD:2001/05/04(金) 19:09
リアルでない。
切実感が感じられない。
テツガク的って言えば、空理空論通ると思わないでほしい。

男女間の本質ですって?
もっとマジメにやれーって感じ。

アタシのこの書込ちっとも哲学的ではないわよ。
わかってますともそんなこと。
プンプン。
6考える名無しさん:2001/05/04(金) 20:55
神秘主義では性エネルギーを意識の媒体である神経系
に作用させるニトロのようなものとみなしていて、そ
れは普通に言うセックスやジェンダーのことではない
んじゃないでしょうか?そして、どういう訳だかそれ
は、たとえば陰と陽というようなものと形式が一致し
ている為に、プラクティスの行程そのものを各々の派
が説く宇宙論のメタファーである、ともしているので
しょう、多分ね。

板違いですね・・・。
7考える名無しさん:2001/05/04(金) 21:04
>>2
激しく激しく同意!
8考える名無しさん:2001/05/04(金) 21:09
>>5
何だこの生き物。
9猿捕:2001/05/04(金) 22:19
>2-8
やっぱ、マスかいて凌いでいくしかないんですかね?(ぺこ
たぶん、性エネルギーの問題のように感じているんですが、
その衝動感覚に混乱が生じているようで、感情と衝動が
ちぐはくなのが、何かそれまで味わったことのない感じで、
性超越ということを意識すると、嫌悪感というか抵抗感の
方が強く浮上して、自分がどうのというより、「性超越」
という指向そのものが、人間として間違った指向なんじゃ
ないかという思いが強くなるわけです。そういうメソッド
が確立されているのにね。ま、この件になると混乱して、
整理できないので、要点がぼやけてしまいますが、
男女関係にも混乱が起き、嫌いなタイプだったはずなのに
気づくと好意みたいな感情を向けていたり、逆もあって。
また、急に接し方が分からなくなって、敬語で話し掛けて
たり、相手を認識する感覚も鈍い感じ。その中で性衝動が
関係性を無視して浮上すると言えばいいんでしょうか。
明らかにやってはいかん相手で、そんな対象でもない認識
しかなかった相手に衝動が向かったり、というわけです。
もちろん、理性が働くのですが…。で、思い始めたんですが、
何か本当の男と女の関係って、いろんな感情や社会性や自己
認識には関係なく、性衝動だけが担っているのかもしれない
ということを。つまり、こういうことが関心の主題なんです。
ふー。すみませんねぇ、これでけっこう戸惑っているんです。
10考える名無しさん:2001/05/04(金) 22:36
「エネルギー」ってのが所詮めたふぁだかんね。
別にほんとのとこはエネルギーじゃないもの。別に。
11吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 22:55
橋本治の本を読みなさい。
12考える名無しさん:2001/05/04(金) 23:01
「性衝動」そのものを疑うべき
13FtMTG・CD:2001/05/04(金) 23:06
あなたの混乱、それ精神分析の手法で考えた方がいいんじゃない。
哲学とか関係ない感じ。
あー、でも自己分析はしてかないとダメよね。
関心の主題って、なんか一般化とかするつもり?

性衝動なんて、ある意味大したものじゃない。
性衝動なんかににんげん関係担えるわけないじゃん。
そんなの本当の男女関係でもなんでもない。

あなたが言ってる性超越とかも文面から判断しようと
しても、わけわかんないし。

あなたが性衝動とかって言ってるもの、ただの欲望でしょ。
あなたが自分で自分の欲望の志向性不充分にしか
把握できてないだけじゃん。

やっぱ自己分析に取り組んだ方がいいわよ。
14=13:2001/05/04(金) 23:08
なんか腹立つからハンドル間違えちゃったわ。
アタシ、MaletFemaleね、FtMは間違いよ。
15猿捕:2001/05/05(土) 01:19
>10
う〜ん? エネルギーがめたふぁというのが掴めません。

>12・13
つまり、自分の「性衝動」に信頼を置くな、という意味
ですね。

>性衝動なんて、ある意味大したものじゃない。
>性衝動なんかににんげん関係担えるわけないじゃん。
>そんなの本当の男女関係でもなんでもない。

ずっとこういう考えで来たし、男女関係もこのスタンス
で続けて来たわけです。でも、性衝動の混乱が起きると、
たちまち関係が変わって、見知らぬ人のような感じにな
って(お互いに)、縁がプチって切れてしまうような。
特に、問題とかもなく、ただ、突然のようにそうなる。
そして、性衝動の混乱が治まると、また、元に戻ったり。
そういうことがしばらく繰り返されて、ある日、全く
知らない人のような感じになって、本当に終わってしまう。
こういうことが、2人の相手で続けて起きて、それに伴って
他の人間関係も、ゴロっと変わってしまって、何か別人を
生きているような気分に襲われる時もあるわけです。
自分の周囲に起きるそういう変化を、食いとめる術がなく、
性衝動だけが、なにかあさっての方を向いていきり立って
いる感じ。もちろん、この欲望には行き場がないので、
自分で抑え込んで行くんですが…。
ただ、そうやって周囲の関係が変化した結果、状況が悪く
なったという感覚はなく、むしろ、何かこれで良かったの
かなぁ、と思えたり。だから、なおのことその性衝動への
関心が高まったわけです。
自分でも把握しがたいものとして。つまり、自分の中の
性衝動が、人間関係の変化に大きく関わったような印象。
性衝動そのものの混乱は自分で何とかできるんですが、
それによって起きた人間関係の変化が驚きだったのです。
その実感があったので、男女関係の本質にも関心を向け
ざるを得なくなって…。
ちょっと整理できるようになってきました。ありがとう。

あ、「性超越」のことは、混乱するので、別に整理します。

>14
なんか、イライラさせてしまうんでしょうね。
16マジレスなんだが:2001/05/05(土) 03:38
>>15
一度カウンセラーにかかったら?
17考える名無しさん:2001/05/05(土) 04:59
中国人の言う還精補脳に、ジャン・ジュネのような力動論
を載せることな可能か?というようなことなのでしょうか?
1817:2001/05/05(土) 05:04
>ジャン・ジュネ
だめだこりゃ。寝ます。
19biO:2001/05/05(土) 05:35
どうなんかな。
おいらは小学校はヘテロ(性欲無し)で
中2からホモ(性欲あり)になったなんだけど、
20過ぎに試しに女と2〜3回交えました。
この時がセクースは初体験で(男女ともちっと遅め)
そのときに明らかな快楽はあったし、
それでもへテロにはなれずに
いまだホモ活動を営んでおります。

性行為だけなら結構どっちもっていうひとはいますね。
敢えてそういう会話をしないだけで。
知り合いは昔そういう行為があった友達の結婚式の友人代表
を頼まれたそうで(御愁傷様、、、

どうなの?そのへんは。
科学的には脳内構造説が有力だけどね。
哲学的に、とはどういうことなのでしょうか。


まだ性欲の話で終わってて対象までは逝ってないのかな。
20考える名無しさん:2001/05/05(土) 05:47
>19 そうですね。
発生学的には人間のベースは女体で、発生時にY染色体がカラダと脳をオトコに
する様に誘導するんだけど、失敗するとオトコのカラダでオンナの脳とか、その
逆とかに、かなりの頻度でなっちゃうらしい。
ホモの脳を調べると明らかにこれが原因である確率が高いとのこと。
21MtFTG・CD:2001/05/05(土) 08:54
>>15
「欲望を抑え込む」みたいな構えが悪影響の根源って思う。

人は何者かになるしかないのね。
オトコとか、オンナとか、アタシみたいなオトコのふり
してるオンナとか。そのときに自分の欲望がどこを志向
してるのか、自分でよく納得しないとダメなの。
↑これって性欲の対象ってだけの意味とは違うわよ。

あなたの性衝動混乱してるのって、納得が不足してるからの
ように思えてならない。
失礼だけど、男女関係のイメーヂも世間の通念に則ってる
だけのように(文面からは)思えるのね。違う?

>>1」の話だけど、あなたが疑問をもったのは悪いこと
ではないと思います。けど、あなたが疑問をもったものは
男女間の本質でもなんでもない。そう思えるのね。
22=21:2001/05/05(土) 09:47
>>19
アタシは、軽度の性同一性障害です。
「軽度」って言うのは、自己診断だけど、例えば友達と比べても
性器不快の度合とかすごく軽いので軽度と思っています。
一応バイですけど。

>科学的には脳内構造説が有力だけどね。
>哲学的に、とはどういうことなのでしょうか。

つきなみですけど。家庭関係に起因すると思っています。
女装者やMtFTsの友達見廻して思うんですけど。
母親と確執抱えてる人、母親と相互依存関係にある人多いです。
父親と確執抱えてる人も多い。
けど、父親と依存関係にある人って少ないと思います。
生物学的♂にそんな父-息子関係レアだ、って言われるかもしれませんけど。
今の日本だと父親不在って感じの家庭関係は多いですよね。
MtFでそうゆう感じの父子関係の人すくないように感じています。
父親不在だから母親との確執とか相互依存になるのかもしれませんが。

FtMのみなさんのことはちょっとわからないんですけど。

ホモセクシュアルのみなさんはどうですか?
23猿捕:2001/05/05(土) 16:36
>19・20
根本的にこういう視点が欠落していました。貴重なレスありがとう。
なるほど、「性」の混乱のある意味で象徴的な部分ですよね。
脳内構造説というのも、ちょっとピンとくるところはあります。
「性衝動」が脳に及ぼす影響という点で…。記憶や認識という部分
に影響すると、確かに、関係認識力が鈍るか変わるかして、関係
相手に対して蓄積されてきたデータが読み込めないとか、可能性が
ありそうですね。

でも、性対象として男を意識したことは、これまで一度もありません。
生理的にも精神的にも拒絶反応の方が大きいです。
性衝動の対象は、常に女だし、セクスそのものに問題を感じている
ということもないです。ただ、相手によってセクスの中身が大きく
変わることはあります。SMにしかならない相手、ノーマルしかでき
ない相手、こちらが弱っている時にだけ興奮する相手、たぶんこれ
は母性愛的な感情刺激なんでしょうが…。つまり、女によって興奮
ポイントが違うというのは、よくわかりました。
その中でセクスの相性は、SM関係が一番良かったし(こちらがSです)
興奮や快感の度合いも一番高い。そのことも「知的追求」しました。
興奮と快感の理由は「擬似帰依」の状態から生じるんじゃないかと…。
つまり、「信仰」と「服従」が重要な快感要素になるわけです。
その擬似帰依状態になれば、激しいSMでなくても同じ興奮と快感は
得られる。そうなると、セクスの中身がその関係を象徴的に示す
ことになるのだろうか、と。

とりあえず、行為としてのセクスや、性欲への対処の仕方が
関心ではないというのが、分かってもらえてうれしいです。
24猿捕:2001/05/05(土) 16:38
>21・22

よいヒントをもらったので、自分でも随分整理できて
きました。
ちょっと定義の仕方が間違っていたということに
気づきました。
「性衝動の混乱」ではなくて、
「性衝動によって生じる脳の混乱」というのが
たぶん、正しい定義なんだろうと思います。
そうすると、自分が陥った混乱の意味も見えてきます。
確かに、「欲望を抑え込む」ことは脳の混乱を助長する
わけで、それを長時間、あるいは長期間続けることは、
それだけ、脳に与える影響も大きくなるということな
のかもしれません。
そして、これは今思ったのですが、恐らく「性超越の
メソッド」というのは、このようなことに関連してい
るのではないか、と。糸口が掴めてきました。


>つきなみですけど。家庭関係に起因すると思っています。
>女装者やMtFTsの友達見廻して思うんですけど。
>母親と確執抱えてる人、母親と相互依存関係にある人多いです。
>父親と確執抱えてる人も多い。
>けど、父親と依存関係にある人って少ないと思います。

「性」にまつわる問題の多くは、その親子関係に起因して
いるというのは、心理学でも言われていますね。
確かに、自分自身は父親との確執を抱えている一人です。
実際に、この親子間で生じる確執や依存関係の問題を解消
していくのは、とても難しいという実感を持っています。
ということで、ずっと「勘当」状態なんですが…。
それと、もうひとつ気になっているのが、依存関係つまり、
「帰依」のような関係です。「信仰」と「服従」という性質
のものなんですが、母親が子供にこの関係を強く求めること
は、ある種の性的な快感に通じているのではないか、と。
それが子供の「性」にも影響を及ぼすのではないか、と。
「性」の部分に強く関心を持つのも、このようなことを感じ
るからなんです。もちろん、自分自身の体験や実感が重要な
動機なんですが…。
25考える名無しさん:2001/05/05(土) 18:55
なにものかにならなくちゃいけない・・・か

判っちゃいるが解らんな・・
26MtFTG・CD:2001/05/05(土) 20:53
>>25
えっとね。こんな感じ、、、哲学的じゃないと思うんだけど。

吉本隆明の「対幻想論」からアタシ的に意味のあるとこだけ読み取ると、
「にんげんは乳幼児期に最初に恒常的に養育してくれた人と同性か、異
性かで性的自己同一性が決まる」って言われてるはずなのね。

もちろん「最初の恒常的養育者」の性的自己同一性の質に応じて被・養
育者の自己同一性の強固なもの/頑ななものになったり、柔軟なもの/
揺らぐものになったりするわけ。

で、アタシとかは生まれは♂だけど、ある時自分の可能性の内からオンナ
的なものを育ててこうと決めたわけね。
その過程では、養育者の人のオンナ性であるとか養育者の人の連れ合い
の人のオトコ性であるとかと対面しないといけなかったわけ。

父親が父性のすべてを体現してる、ってのも母親が母性のすべてを体現
してる、ってのも幻想なわけじゃん。
だからって社会のどこかに典型的な父性・母性があるってのもまた別種
の幻想だし。
結局自分の内から何かを引き出して器用仕事でもなんでも組み立てか
なきゃ生きてけない。

精神分析的だし、文芸批評的だし、哲学的でないと思うけど。
なんかそんな感じ。
27考える名無しさん:2001/05/05(土) 20:58
性同一性というよりもむしろ、自同律の不快(死語)なのでは?
28考える名無しさん:2001/05/05(土) 20:59
まあ、吉本なんかの方が訳の分からん哲学より「使える」んじゃない?
29考える名無しさん:2001/05/05(土) 21:01
決定不可能だの流動性だのわけわからんこと逝っていては生きていけないと。
乱暴にでもカテゴリを作らないと。。
30MtFTG・CD :2001/05/05(土) 21:39
>>27
うーん。そこまで一般化できるほど掘り下げてないんですよ(笑)。

やっぱ、思春期の性器不快とかシンドかったから(今は軽くなったん
ですけど)。意識がそっちに集中しちゃった(笑)。

性同一性のとこで、自分の態勢整えるので手いっぱいだった感じです。

ひとつの物語から別の物語にすがっただけかも、とか自分でも思うことあるんですけどね。
まー、そんなこといまさら言っててもしゃーないわよねー、って感じです。
3127:2001/05/05(土) 21:56
なるほど。“性”の呪縛が強かったということですか。
32考える名無しさん:2001/05/05(土) 22:10
性器不快ってどんな感じさ?
33MtFTG・CD :2001/05/05(土) 22:14
>>31
まぁ、そうです(笑)。

>>32
そんなプライヴェートなこと、こんなとこに書く気ないわよーだ(笑)。
だいたい、男性の人で性器不快の感じ、わかってくれる人少ないのよね。
よっぽど想像力豊かな人でないと。
34考える名無しさん:2001/05/05(土) 22:40
それはそうとその文体はどうにも面食らうな・・・
2ちゃんで見たい文体じゃない・・
35猿捕:2001/05/05(土) 23:45
>26

>父親が父性のすべてを体現してる、ってのも母親が母性のすべてを体現
>してる、ってのも幻想なわけじゃん。
>だからって社会のどこかに典型的な父性・母性があるってのもまた別種
>の幻想だし。
>結局自分の内から何かを引き出して器用仕事でもなんでも組み立てか
>なきゃ生きてけない。

全く同感です。
家庭というのは、ある種の共同幻想社会の縮図的パートを担って
いるわけで、その中に社会的要求がつめ込まれて行く。
つまり、子供が求める父性や母性ではなく、社会が求める父性や
母性が優先され、父親や母親はその幻想の傀儡となっていく。
子供はそういう発達段階の中で、「脳」の活性化を高めていくわ
けだけど、そこでたぶん性的(あるいは動物的)な感性との葛藤
が起きるのかもしれない。
親子というのは、そもそも「性的な繋がり」であって、決して
「社会的な繋がり」ではない。父親や母親が社会化された存在に
なっていくにつれて、子供もまた社会化していくか、あるいは、
反動的に度を越えた「性的繋がり」へと指向することもあるよう
に思う。どちらにしても、その状況を受け止め順応していく能力
として「脳」が活性化される。

>精神分析的だし、文芸批評的だし、哲学的でないと思うけど。

スレ1の前提としていた「哲学的な…」という部分を改めたいと
思います。それを「知性的な…」とか「理知的な…」ということで。
「哲学」という言葉は、すっかり「使い物」にならなくなっている
ようなので…。
36考える名無しさん:2001/05/05(土) 23:51
岸田秀でも読めば(w
37MtFTG・CD:2001/05/06(日) 09:47
>>34
悪いんだけど。この話題では、アタシ的ベーシックのこの文体でやらせてもらうわ。
ってゆーか「MtFTG」のハンドルでは、ベーシック文体でやらせてもらってます。
他のスレでは「考える名無しさん」とか言って、ジェンダーに即さないよそよそしい文体で書いてることもあるけど。

>>35
>子供が求める父性や母性ではなく、社会が求める父性や
>母性が優先され、父親や母親はその幻想の傀儡となっていく。

それって、今の日本でカナリ一般的に広がってる感覚だと思う。
だから哲学的な課題にもできるネタだと思うよ。
別に社会学的にといても、文芸批評的にといてもいいんだけど。

あなたは宗教実践的にとこうとしてるのかもしれないし。

ちなみに吉本隆明の『共同幻想論』では、共同幻想(=社会的共有)と対幻想(≒ファミリー・ロマンスの類)は倒立してる、って整理されてます。

>>36
岸田秀は強引な展開がSF小説みたいで笑えるんですけど。
猿捕くんは、なんかせっぱ詰まってる感じがして、アタシお勧めするの躊躇われるんですけど。どう思われます?

そう言えば、岸田秀と吉本隆明が大昔やった対談、結構くすぐり多かったですね。
岸田氏が空とぼけてる感じが微笑ましかったです(笑)。
38猿捕:2001/05/06(日) 18:21
>あなたは宗教実践的にとこうとしてるのかもしれないし

宗教実践的というか、ただ「実践的に」ということです。
哲学がその有効な手法になり得るのなら、哲学的に、宗教
が有効なら、宗教的に…。あるいは、全く別の手法がある
かもしれない。そういう意味で、「哲学」というものには
それほどこだわっていないというか…。
ある意味では、「哲学」とか「宗教」とか言うのも、共同
幻想の枠組みの中で、社会化された概念になってしまって
いるわけで、何やら複雑怪奇な認識論は、「哲学」という
カテゴリーに入れとけば、それで社会も落ち着く。神秘的
で怪しげな現象は「宗教」という括りで社会化してしまう。
そして、一旦、その社会化されたカテゴリーの中に収められ
てしまうと、それが「概念の牢獄」となって、そこから抜け
出すのに苦労する。
それと、「性同一性障害」や「精神分裂症」などというのも、
社会化された定義なわけで、社会の幻想にとって「異質」と
なるものを、「病気」というカテゴリーの中に収めることで
落ち着かせようとする。社会化というのは、「レッテル」の
ようなものですね。もちろん、ものごとを区別することは重
要なんだろうけど、そのレッテルを貼り替えることは許され
ないような…。
自分としては、性格的にその「レッテル」をそのまま信じる
わけにはいかないだけで、もっと本質的なところで物事を理
解しておきたいと思っているわけなんです。
「人間は何者かでなければならない」というのも社会化指向
ですよね。何者かであれば、共同幻想の中に「居場所」が確保
できる。何者でもないものに、その居場所を見つけるのは難し
いわけですから。
そういう疑問を突き詰めて、人間から社会化レッテルを外して
いって、最後に残ってくるのが「オスとメス」という性的な
要素なんだけど、それさえ、もしかして社会化レッテルだと
言う可能性もあるわけで…。一応、疑ってみているわけです
39考える名無しさん:2001/05/06(日) 19:15
>>38
聖中●教会へ行きなさい。(冗談ョ
4039:2001/05/06(日) 19:16
×:聖中●教会
○:聖●心協会
41さけ:2001/05/06(日) 20:03
こんにちは
一人で考えていてもらちがあかないので、
みんなで力を合わせましょう♪

食欲=個体保存、性欲=種保存
生きるための食欲が過ぎれば肥満になるので人はコントロールする。
同、性欲も超越するよりコントロールするべき。
同性同士のセックスは性錯誤。(無駄な行為)
性格に男女差はない。

僕の理論は科学的ではないので、
以下、同意できる部分のみ、しんじてくださいm(。。)m

クローン技術の進化で、男同士でも
子供を持つことが出来る。
つまり、性は自己ではなく機能。
ではどこが男女か? 性器である、脳(精神)ではない。
性ホルモンの脳への影響は微小であると考えます。

時々思うこと自分の中の女性的な部分、
やりたいことやる。感情的、社会に自己アピールをする、女は凹受身
自分の中の男性的な部分、
するべき事をする。理性的、社会のために行動する、、、男は凸能動

男が女を選ぶ時、こう認識するべきでは?
女=望む自己自身の投影、凸、上げ、目的地
また女からの視点は?
男=自分の社会的基準、地位凹下げ、住処

性格の合う相手で選ぶ時、
それはより高度な選択の仕方。
腹が減るから食べるではなく、
これが好きだからたべる。
結婚を考えた場合、この選択方法は疑問をはらむ
なぜならば結婚は性が生み出したから。

男女とは?社会が創りだしたシステムである。
社会に挑戦するのが男、社会を受け入れるのが女
全体で存在する(一人では生きていけない)人間の「業、関数、群のシステム」
42MtFTG・CD:2001/05/06(日) 20:17
>>41
ナンセンス。
論旨も不明瞭。
一例:
>同性同士のセックスは性錯誤。(無駄な行為)
異性同士の性行為にだって無駄な行為はありえる。

>性格に男女差はない。
充分疑わしい。
43MtFTG・CD:2001/05/06(日) 20:35
>>38
猿捕くんの文章読んでて思ったんだけど。
失礼だろうけど「社会」のイメージがなぜか平板、って思った。あなたの文章の特徴よね。
なぜ、そーゆーイメーヂが獲得されたのかは、アタシにはわかんないけど。

>「レッテル」をそのまま信じるわけにはいかないだけで、もっと本質的なところで物事を理解しておきたい

それはよいことだと思います。
ただ、自分一人でやろうとすると大変すぎるし、迷い易いわよ。

哲学には拘りがないってお話だから。
一案、文化人類学と社会人類学をやってみるといいと思うな。
後、古風な社会学とか、今風の社会学はお勧めしません。
44猿捕:2001/05/06(日) 22:36
>失礼だろうけど「社会」のイメージがなぜか平板、って思った。あなたの文>章の特徴よね。

これはたぶん、自分が物事を「断定的」に捉えるのを避けているか
らかもしれません。
「社会」とか「共同幻想」と言ったって、それは常に「ゆらいで」
いるわけで、ある瞬間に何かが断定できたとしても、次の瞬間には
微妙なズレが生じていたりする。ま、こういう「ゆらぎ」を追いか
け「固定化」させようとすることそのものが「虚しい」と言えば虚
しいわけですが…。
そういう意味では、「生」そのものが「動的」なものであり、自分
自身も「ゆらぎ」の中に居て、固定化させ得るものではない。社会
という大きな「ゆらぎ」と、個としての「ゆらぎ」との間に生じる
摩擦が衝動力となってアクションを起こさせる。あるいは個々のゆ
らぎの間に生じる摩擦もしかりです。
基本的にはこう理解しているつもりです。

「社会のイメージが平板」というのは、厚みがないという意味です
よね? それとも広がり?
45MtFTG・CD:2001/05/06(日) 22:46
>>44
不愉快かもしれないけど、率直に言うわね。

一面的ってニュアンスです。
厚みがないに近いけど。

社会ってもっと重層性のある構造態として捉えた方がいいと思うな。
個と社会制度の間にもいろいろな層があるでしょ。
46猿捕:2001/05/07(月) 03:58
>45

不愉快じゃないですよ。気にしないで。

たぶん、社会そのものに対する執着力というのが希薄な
せいもある。今は余り関心の対象になっていない。
自分に何がしかの影響を及ぼすものに反応する程度で。
執着しているのは「生き延びる」ということに関してのみ
です。

>自分一人でやろうとすると大変すぎるし、迷い易いわよ。

既に痛い目にあってます。
「矛盾」というやっかいもののせいで…。
「自分」という存在性そのものが、「死角」を生み出す
ということに気づくまで、迷路の住人でした。
言いかえれば、自分の「影」を消そうと必死にもがく
ようなもの。自分が消えれば、「影」も消えるというこ
とにハタと気づくわけだけど、それは絶望的な理解なんで
すね。
「人は自分が否定しているものに、向かって行く」
「賢くなろうとすればするほど、自分の愚かさに気づかされる」

そろそろ、しあわせを求めてみます。
いろいろ助言、ありがとう。
では。
47考える名無しさん:2001/05/07(月) 06:16
>>41
あげぞこ。薄っぺらい。

>>44
詭弁。

どちらも若そう、もしくは馬鹿。
48考える名無しさん:2001/05/07(月) 08:45
>>46
まだしあわせなんていうの?
49猿捕@とーてもポール:2001/05/07(月) 15:25
>47
以後、自覚しときます。ありがとう。

>48
だめ?
50考える名無しさん:2001/05/07(月) 19:46
>>49
「だめ?」とか他人(ひと)に聞きなさんな(藁)。
51猿捕@とーてもポール:2001/05/07(月) 21:50
(藁)にもすがる(藁)。
52さけ:2001/05/08(火) 07:22
>42
こんにちは
>一例:
>同性同士のセックスは性錯誤。(無駄な行為)
>異性同士の性行為にだって無駄な行為はありえる。

子作りの為にするのが真の性行為であり、
異性、同性同士でする無駄な行為は贋の性行為である。
性行為といより娯楽である。
53考える名無しさん:2001/05/08(火) 10:44
>>52
優生学でも社会学でもないのだから
性行為と生殖行為くらい区別したまえ。

きみが言う「贋の性行為」は娯楽である場合もあれば、共同態において文化的価値を担っている場合もある。
対人関係において、心理的価値を担う場合もある(流行語で言えば“癒し”など)。
「贋の性行為」などという断定は恣意的であり、無価値。

54猿捕@とーてもポール:2001/05/08(火) 11:35
>52

これは実感だけど、「子供を作ろう」という動機でセクスする
のは、たぶん違う。
セクスがしたくて「した」結果として、子供が出来てしまう。
因果を倒立させるとややこしくなるだけ。
だから、どのようなセクスにも正当性がある。
むしろ、人間はその「結果」に対する調整能力を獲得したこと
で、セクスの多様性を手にしたと考えるべきかも。
同性同士というのは、実感がないのでコメントできないけど…。
55猿捕@とーてもポール:2001/05/08(火) 11:39
補足:
どのようなセクスにも→一応、レイプとは除く合意性のもの
56MtFTG・CD:2001/05/08(火) 12:30
>>52
んじゃ、バースコントロールしたセックスも、みんな「贋」なのね。

へんけぇ〜ん。
へりくつぅ。
くっだらなぁ〜い。
57さけ:2001/05/08(火) 14:15
僕はただこういいたかった。
子供を作らない、又は
子供を作る
同じセックスでも意味が違う。
この点で同性のセックスと異性のセックスは分けれる。OK?
58MtFTG・CD:2001/05/08(火) 14:43
>>57
OKなわけないじゃん。
あんたバカ?

子供を作る為のセックス/子供を作らないセックス、それの意味が違うってのは、仮によい事にしてみましょう。
アタシはそんな違い、大した意味無いと思ってるけどね。
あなたがそう考えるのは、あなたの勝手。

けど、異性間でも子供を作らないセックスは、同性間のセックスと意味変わらないってことになるじゃない。

今時、子作りのためだけにセックスする異性夫婦の方が、少なくともこの国じゃぁ少ないじゃん。
そんなこと新生児出生率とかの統計観ればわかるじゃん。

だから、異性間のセックスと同性間のセックスの間に、あなたがつけようとしてる区別は、恣意的とか言われてんのよ。

「恣意的」ってお上品な言葉よね(ワラ
分かり易く言えば「勝手気侭」な区別ってこと。
もっと分かり易く言えば、「ヘ理屈」。

わかったかなぁ?
59さけ:2001/05/08(火) 17:16
はは そうだね
MtFTG・CDさんは正しいよ。^^
これは「へ理屈」。
でもね、こう思うんだ。
セックスをするときに、もし心を感じなければ子供は悲しいものになる。
食べるときに食べ物に対して
快楽としてしか感じられず、
食べ物が生を意味せずただの物質となり、
物が物とだけしか感じられなくなった時、
生の美しさは永遠に失われてしまう・・
生きることの意味について考えてみな
60MtFTG・CD:2001/05/08(火) 17:29
>>59
あのさ、ここ哲学の板なのね。
アタシは自分が書いてる事哲学的ではない事わきまえてるけど、一応根拠挙げてるわけ。

アタシはTransGenderistとして生きる意味探求してるわよん。
オンナとして生きる手応えならいつも感じてるしね。

根拠も挙げない奴に「生きることの意味について考えてみな」とかごたく並べられる筋合いございませんわ。
偉そうな説教たれるんだったら、コギャルのマイポエムみたいなタワゴト書いてんじゃないわよ。
まったく。
ちゃんとした根拠挙げてちょうだいな。

あぁん、同性愛板くるかぁ? こらぁ。
61さけ:2001/05/08(火) 17:38
なぜMtFTG・CDは自分の子供を作るんだ?
快楽の為?遺伝子に書かれてるから?
世間一般の目を気にして?

子供を作らなければお金も浮くし、
なにも進んで苦労することないじゃないか?
いつか死ぬとき、自分の人生を振り返るだろ?
いつか死ぬ自分は、意味の無い物なのか?

人生について考え、自分なりの意味を見つけな
これが私の意見。
62さけ:2001/05/08(火) 17:51
>根拠も挙げない奴に「生きることの意味について考えてみな」とかごたく並べられる筋合いございませんわ。
いつか死ぬだろ?
人生、意味あるのか?ってこと。

だからセックスなりなんなりに理屈つけて、
意味を探してるわけですョ。
63考える名無しさん:2001/05/08(火) 18:04
>>61
誰もきみの独断意見などには興味ないわけです。
意見には、確実な論拠と論証が求められているだけのこと。

論証・論証抜きで、意見を書きたいなら、「メンタルヘルス」板か「心と宗教」板にでも行きたまえ。
64MtFTG・CD:2001/05/08(火) 18:19
アタシは何かの為のセックスなんて合目的的行為しないわよーだ。

セックスするときはその行為自体が目的なの。

だからあなたの言うような理屈をつけたセックスはしてませんわ。
65猿捕@とーてもポール:2001/05/08(火) 21:13
ところで、どこからどこまでを「セックス」って言うんだろ?
最近のトレンドで、生フェラ後っくん、なんてのもあるわけ
だから。
挿入中出しだけをセックスと定義するなら、確かに生殖行為
という意識は高まるわけだけど。
でも、そこで定義外になる行為については論点外の扱いにも
なる。
セックスを論議するのに、まず、定義からはじめないといけ
ないという現状も、興味深いなぁ。
66MtFTG・CD:2001/05/08(火) 21:28
うん。猿浦くんの言う通り。

その辺もシイテキなわけよ(ワラ

常識や通念を疑うのがテツガクなのにねー(ワラワラ

つまんない常識に、あぐらかいただけのお説なんてアタシ退屈だわ。
67猿捕@とーてもポール:2001/05/09(水) 02:00
常識かぁ…。
現実社会を生きて行くには、けっこう便利な道具かもしれない
けれど、「探求」にとっては一番のやっかいものですね。
植村直巳がマッキンレーに挑戦するときに、
長い竹竿を2本腰にぶら下げたわけだけど、無茶苦茶カッコ悪い
わけですよ、見た目に。何かカッコいい冒険家のイメージとは
ほど遠く、街中とか歩いたら明らかに嘲笑を浴びせられる。
でも、どんな近代的でスマートな道具よりも、その竹竿が命を
守ってくれるということが分かって、他の探検家たちの必需装備
になったとか。「探求」もよく似たもので、腰から竹竿をぶら下
げるようなカッコ悪さを許容できないと、時には命を落とすこと
もある。そんな植村直巳でさえ、生還できなかったのは残念なん
だけど、貴重な教訓だけは残して逝ってくれた。
探求者にとって「自殺」は「遭難」と同義語のようなもの。
街中を闊歩するには、やはり、アルマーニとかがいいんだけど…。
68さけ:2001/05/09(水) 08:01
う〜む
糞は糞でしかなかった。
69MtFTG・CD:2001/05/09(水) 09:53
>>68
あらん。開き直っての棄て台詞?
はいはい、どうぞ、お帰りはあちらですわよん。
70猿捕@とーてもポール
ということで、このスレも終了します。
自分の探求テーマの糸口も掴めてきましたので、あとは
また生きて行く中で理解を深めていこうかと。
いや、正直なところ、とても参考になりました。
特に、MtFTG・CDさん、ありがとう。哲学うんぬんという
よりも、人間として実感を共有できている部分があるなぁ、と。
知識や言葉ではなく、なかなか表現できないものを感じ取る
能力も人間には備わっているのですから…。
探求者というのはワガママなもので、今、自分が関心を向けて
いること以外は、余り興味が持てないものです。
「たまご焼き」が食べたいと思ったら、もう、それしかない。
ステーキや刺身や、どんな特上の料理であれ、たまご焼きに
比べたら、どれも同じで食欲をそそるものにはならない。
「性超越」というテーマにも、自分なりの理解がはじまり、
ずいぶん気分が爽やかになりました。
「超越」というのは、「こだわらない精神」だと。
男や女やセックスや禁欲や、そういうものにこだわらず。
肯定も否定もしないで、流れの中で受け止めて行く。
そういうことだと…。