としか思えない!
2 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 14:38
なんで?
責任が無いから。
4 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 14:48
なんで責任がないと言えるの?
唯一絶対の存在ならば、責任を持つ対称すら
無いから。
6 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 14:54
なるほど。
だったら別に神に文句を言う筋合いもないわけだ。
神が絶対で、われわれが神に関われない以上は。
もう、悩むなよ。
終了しちゃうぞ。
文句は言ってない「神は無責任だ」という、
認識をもって、人間は生きるべきということ。
8 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 15:05
9 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 15:06
>7
気持ちはわからんではないが
なんか気負いを感じるんだよな。
この気負いの正体はいったいなんだろ?
10 :
1:2001/05/03(木) 15:09
11 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 15:10
つーことは「唯一絶対の存在」
っていうアホらしい認識も持たなくちゃいけないと、、、
くだらねーな。
12 :
1:2001/05/03(木) 15:13
そういった、くだらねえ人間の羨望が、
「唯一絶対」=神の存在を作りあげたんでは?
13 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 15:17
だから、それはこのスレを作ったお前だろ。
14 :
1:2001/05/03(木) 15:19
じゃ、俺は神?
15 :
考える名無しさん:2001/05/03(木) 15:24
>そういった、くだらねえ人間の羨望が、
>「唯一絶対」=神の存在を作りあげたんでは?
お前も言ってる「くだらねえ人間」。OK?
16 :
1:2001/05/03(木) 15:29
OK!
17 :
15:2001/05/03(木) 15:35
見直したyo!
18 :
1:2001/05/03(木) 15:40
なんか、すっきりしたぞ!
19 :
?:2001/05/03(木) 15:58
なんだ、もうおしまい?
20 :
?:2001/05/03(木) 16:05
神もなあ、哲学者さえ作んなきゃバレなかったのに。
ま、神ちゅーても
固定の神なんて存在せーへんな
流動、流動
つーか
>>1 は神に責任おしつけてるよーな
つーか、もうスレ終わってるようなんで sageとく
>>1 の悩みも解決したよーだし
22 :
1:2001/05/04(金) 01:13
>>21 じゃ、聞くけど、
神って、責任感あんのかな?
23 :
21:2001/05/04(金) 01:36
>>22 >>1 神は責任感とかを持っているような物(者?)ではないと私は思いますけど
責任感持ってない=無責任ってことではないよ
そもそも責任が存在しない・・・・・と思う
24 :
1:2001/05/04(金) 02:04
神に対して何かを期待するから、
裏切られる。
期待する存在でもない。
そのことを「無責任」と呼んでおるんです。
「無罪」に近いかもしれない。
25 :
無礼講:2001/05/04(金) 02:07
>期待する存在でもない。
では期待しなければいいんでは・・・・・
それは無責任ってゆうのかな・・・・・
うん、「無罪」に近いかも
26 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 02:18
というか、神に感情はあるのか?
意思自体あるのかどうかさえ怪しい。
27 :
1:2001/05/04(金) 02:33
少なくとも、人間的な「感情」や「意志」は
ない存在に対して、期待を抱くことが無意味。
28 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 02:35
まんこ
29 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 02:36
>>27 それは「神は存在しない」といっているのに限りなく近い気がする。
30 :
1:2001/05/04(金) 03:38
唯一絶対の存在が「神」ならば、
人間の期待の集約的「神」は、存在しない。
31 :
神:2001/05/04(金) 03:46
「神」の定義をしてください
レヴィナスの言う「絶対的他者」なのか
ウィトゲンシュタインの言う「語りエヌ存在」なのか
デリダのいう「決定不可能性」なのか
キリスト教的存在なのか
閉鎖的システムなのか
責任は「誰」に対しての「どんな」責任であり
「如何なる」権利(=可能性、or能力)に包摂されるのか
説明してください
32 :
1:2001/05/04(金) 04:15
>>31 難しい〜
神の定義?誰々の言うってのはやめようよ。
とにかく、「唯一絶対」それだけ。
責任は、その存在責任。
31さんは「神」と名乗ってるぐらいだから、
もっとうまく言えるでしょ!
33 :
真理:2001/05/04(金) 04:30
>>31 神は常に「わたし」に対しての責任であり権利であり存在である。
「わたしが きょう あなたを生んだ
わたしに 求めよ 」 聖書・詩編
それが、全て。一切であり、究極。決定であり絶対。
34 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 04:38
>1
でもやっぱ、もうちょっと詰めないと。
とりあえず多神教は抜き?
あと、31氏の議論だと神というか超越性一般の話に
なっちゃうけど、そういう話ではないんでしょ?
スピノザとかイスラム教とかだと、
全ては神によって予め決められてるから、
責任もなにもあるはずがない。
感情とか意志の話にしても、
それは宗教によって千差万別でしょ。
35 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 04:42
これはくだらないですねェ
もう、やめましょう。
36 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 04:44
でも、もうちょっと厳密にやれば
けっこう面白くなるかもと思うんだけど。
37 :
1:2001/05/04(金) 04:49
神と人間との、しっかりとしたつながりはない。
だから、お互い無責任でいられる。
38 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 04:54
人間が神を作り出した。
その理由を述べよ。
39 :
猿捕:2001/05/04(金) 05:15
「神」という概念が、人間にとって魅力的であることが、問題なんじゃ
ないかな。「無責任」という定義そのものに、既にある種のバイヤスが
かかっているわけで…。
40 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 06:12
>>39 同意。
神は、人間にはどうしようも無いことを
何とかしてくれるなにかという存在として
夢想されたってことでしょう、その前提が無意識にあるから、
「無責任」という言葉が出てくる。
つまり、神は責任転嫁の終着駅というか、
責任のゴミ箱というか、そういうものなんじゃないでしょうか。
41 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 06:22
人間を作ったのはまんこだよ。
わかりきったこと聞くな。
42 :
考える名無しさん:2001/05/04(金) 11:57
あー、ここで言っている神さんつーのは、造物主なり宇宙の
主催者なりの神なのか、それとも救いやご利益をくれる神な
のか、このスレの1も良く整理出来ていないのでは?
前者が何故か後者になっちまうのが、『神』という呼び名の
通弊のように思いますが・・・。
43 :
無礼講:2001/05/04(金) 12:01
神はいろいろか
44 :
1:2001/05/04(金) 12:22
ここは、哲板だとわかっています。
当然、ご利益をくれるほうではありません。
そして、いろいろのほうでもなく、
「唯一絶対」の存在者の認識です。
45 :
無礼講:2001/05/04(金) 12:38
それが哲学的神?認識論?
46 :
1:2001/05/04(金) 13:07
人間の道徳的意識の要請からの存在では満足できないし、
自然の秩序の合目的性から、その設計者としての存在も
不満が残る。
遡って、第一原因、自己原因からの推理がシンプルだ。
したがって、「宇宙論的証明」ってことに位置するのかな?
47 :
いぬのめい:2001/05/04(金) 13:23
>自然の秩序の合目的性
唯一の「創造者としての神」の存在の「(一応?)半論理半感覚的根拠」は
ここにある。
即ち「万有引力」や、「光速度不変の法」を「神の法=絶対の法」として
考え、其処に神を見出すわけだが、
はっきり言って「それって(信用に足る)根拠に値しない」んだよね。
だから科学は今、神を相手にしない。(というか相手に出来ない→机上の空論)
「スレのタイトル」は、子供がウルトラマンを語るのに変わりがない。
(だって根拠のない戯言だから)。
どう思う?
48 :
無礼講:2001/05/04(金) 13:34
研究方法においても神は無視?
49 :
1:2001/05/04(金) 13:37
>>47 >子供がウルトラマンを語るのに変わりがない。
まさにその通り!
人間が神を語ることは、そんなもの。
しかし、子供は成長する。
ウルトラマンは成長しない。(たぶん)
人間の、神の観念は多様な進化と発展があり、
哲学はそれぞれの場合に神観念との対決を試みてきた。
それらすべてが「根拠のない虚言」と言ってしまえば
それまで。エポケーですか?
50 :
無礼講:2001/05/04(金) 13:38
エポケー?
51 :
猿捕:2001/05/04(金) 15:26
>50
なんか、いい感じですね。潤滑油のような独特の反応で。
そう思うの、オイラだけなのかなぁ…。
52 :
1:2001/05/04(金) 15:29
神の解釈の結論、到達点はあるんだろうか?
(神の存在が在ると仮定して)
神も責任も、人間の創造物であり、
恣意的な、あるいは便宜上要請されるもので、
自明なものではない。
だから、
>>7も恣意的な選択でしかない。
―――――――― 終 了 ――――――――
僕って宗教やってないけど
宗教信仰してる人って心のきれいな人も多くて好き。(カルトは別)
昔からあったやつとか特にね。(礼が出来てるジャン)
(去年の夏休みに「神」の存在の有無についてディベートの練習を兼ねて
乗り込んだもんで・・・)、自分は自分だよねぇ。(あんまり自分の考えを押し付けるのは
ヒットら〜だし)
55 :
1:2001/05/04(金) 15:52
53は無責任だ!
56 :
15:2001/05/04(金) 17:50
>>1 よし!
53は無責任だ!で1は攻めていけ。
話をより具体的に持っていけそうだ。
57 :
1:2001/05/05(土) 16:43
58 :
考える名無しさん:2001/05/05(土) 19:55
第一原因であり、質料でり、場でもあり、又、それらの相互作用
そのものでもあるようなもの、と
>>1さんは捕らえているのかな。
59 :
1:2001/05/05(土) 20:14
60 :
58:2001/05/05(土) 20:24
61 :
1:2001/05/05(土) 23:03
「実無限」の意味を教えてくだされ。
62 :
58:2001/05/05(土) 23:23
>>61 無限論では、或る線分に無限個の点が既にある、とみなす
立場と、あるのは無限に分割できるという可能性のみだ、
とする立場とがあるそうですが、前者にとっての<無限そ
のもの>というような意味です。
63 :
考える名無しさん:2001/05/05(土) 23:26
はあぼきは後者だと考えるねぇ〜
64 :
1:2001/05/05(土) 23:28
ちょっと、考える時間をくだされ。
65 :
考える名無しさん:2001/05/06(日) 13:18
汎神論的、というか仏教的には、この宇宙そのものが阿弥陀如来のことなんだよね。
それで人間は宇宙を外部から認識することはできないし、
内部から観察するとしたら部分が全体を把握することなんて原理的に不可能。
どちらにしろ、神の摂理(もしくは縁起の法)というのは人間の物差し、
つまり人間にとっての善悪の基準を超越してるし、
人間の物差しで「神は無責任だ」といっても始まらないんじゃないかな。
そういう人知を超えた存在だからこそ、逆に絶対的な「慈悲」を持つんだろうと思う。
66 :
58:2001/05/06(日) 16:50
実無限はちょっと飛ばしすぎでしたか。
では、「無責任」を「無限定の」と置き換える事は
どうでしょうか?
67 :
1:2001/05/07(月) 01:45
それなら、わかる!
68 :
58:2001/05/07(月) 20:20
>>67 「無限定の」ってどのような事態なのだと思いますか?
69 :
1:2001/05/08(火) 01:42
決められない、
つかみ所のない、
言い様のない、
得たいのしれない、
ってなことっても、表現できない、
「無限定」って言葉でもあてはまったりも
はまらなかったりも、
するともしないとも…。
あんた、意地悪だね。
70 :
58:2001/05/08(火) 02:10
>>69 >あんた、意地悪だね。
そいつはどうも。(笑
では、意地悪ついでに、仮に「無限定」と呼ぶことに
して、そこから想起されるものを論理的に考えてみる
ことは可能でしょうか?
71 :
53:2001/05/08(火) 02:58
> 第一原因であり、質料でり、場でもあり、又、それらの相互作用
> そのものでもあるようなもの
と神を定義して、それを「無責任だ」としたところで
神に別な定義(とまで行かない認識も含む)を与え、
それを信じてる人には届かないでしょう。
「浮遊するシニフィアン」だとか「語りえぬもの」みたいなものは、
俺自身も「信じて」はいるが、それが「神」か? と言われると、
相対主義的にならざるを得ない(どっちでもいいとしか言えない)。
卑怯かもしれないが。
72 :
考える名無しさん:2001/05/08(火) 03:52
人間ごときが、神を定義するだなんて・・・・。
不遜な行為とは思わないのか?>神を信じる者
あーくだんねー。お前ら単なる暇人じゃねーか? くだんねー。
74 :
考える名無しさん: