ポストモダンてなに?

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1考える名無しさん
ドゥルーズとがガタリとかボードリヤールって何?
なんなのこの人達?(激しく謎)

というかあんなものでマルクス主義のアンチテーゼ
に足ってるつもりなの?(いやマジで)

つーかマルクス勉強した奴であれに同調できる奴
っているの?(いやマジで)
2考える名無しさん:2001/04/29(日) 17:08
>>1
つか、マルクスとモダンの関係を教えてくれ。
3考える名無しさん:2001/04/29(日) 17:17
きゃははは
4考える名無しさん:2001/04/29(日) 19:27
工学的な意味でのモダニズムvsポストモダニズムという対立は、
「少品種大量生産を中心的前提とした設計理念」と
「多品種少量生産を前提とした設計理念」
の対立という具合に考えていい。

「少品種大量生産を前提とした設計理念」は、
工業技術を超えた未来派的美意識として社会全体に共有され、
「社会全体が流れ作業の工場のように機能的に再編成されるだろう」
という予感が常識になっていた。
フーリエの『産業的協同社会的新世界』には
そういう時代精神が良く表現されている。

マルクスの予言にもそういう時代精神が反映している。
――少品種大量生産の工業分野(重厚長大産業)では
一般に大量生産するほど単価が安くなるので、
大企業が小企業に勝ち、市場での経済競争は独占に変わる。
最終的には世界全体に唯一の究極の財閥だけが残るはずだ。
その次の段階として革命が起こり、社会主義が実現するだろう――

中国やソ連の集団農場はマルクスよりもフーリエの理念に近いが、
「工場をモデルにした社会再編成」は期待に反して万能ではなく、
少なくとも農業に関しては生産性を大きく落とした。

そのうちに、本家本元の工業分野でも
少品種大量生産のフォード工場モデルが万能ではないことが判り、
「工場をモデルにした社会再編成」
という未来イメージも社会通念ではなくなった。
「良くも悪くも管理社会こそが未来的なんだ」
という常識が無くなると、社会主義も「革新」の地位を失った。

「重厚長大産業こそが産業の中の産業であり、
 社会全体がこの分野の規範に基づいて再編成されてしまうだろう」
という時代精神と、社会主義は大雑把にリンクしている。

ただし、そういう意味での歴史的フェーズの違いと、
ドゥルーズやガタリの思想(?)とは、
大雑把な連想的関連すら持っていないので、
どういう意味で「ポストモダニズム」を名乗ったのか判らない。
誰か判る方がおられたら教えて欲しいと思う。
5考える名無しさん:2001/04/29(日) 19:43
ユニクロはモダンですか?
6考える名無しさん:2001/04/29(日) 19:43
無印はポストモダン?
7考える名無しさん:2001/04/29(日) 20:50
>>5 はい。
>>6 いいえ。
8名無し:2001/04/29(日) 23:31
>>4のように、モダンーポストモダンは、
「少品種大量生産」ー「他品種少量生産」に対応させるよりもむしろ、
「生産社会」−「消費社会」に対応させる方が妥当だろう。
ただし、消費社会といってももちろん生産がなくなるわけではないから、
それはあくまで消費が生産よりも重視される社会といった意味である。
9器官なき身体:2001/04/29(日) 23:53
>1
例えば、ポール・ヴィヴィリオが提起している「速度」「リアルタイム」
の問題や、ドゥボールの「スペクタクル」も、マルクスだけで解決出来
ないよ。
マルクスの生きた時代には、TVもインターネットもなかったからね。
いま、マルクスを読むことの意義はデカイけど、70年代を通過してきた
知識人たちの論を軽んじるなかれ、って感じだにゃ〜。
10考える名無しさん:2001/04/30(月) 00:51
うーん、わからん。
だってさ、ユニクロは種類が多いよ。
11考える名無しさん:2001/04/30(月) 01:25
種類が多くても、同じ物を大量に作るということでしょ?
それがモダン的。
ポストモダンつうのは、例えば地域限定の商品とか。
地酒とか地鶏とか。違う?
12考える名無しさん:2001/04/30(月) 07:34
例えば携帯電話を作る場合を考える。
「基本的な機能を邪魔しないように出来るだけ無駄を省いて安くしよう」
みたいな考え方をするのがモダニズム。
「おしゃれで可愛いストラップを付けられるようにしよう」とか
「凝った着メロを鳴らせるようにしよう」とかいうのがポストモダニズム。
13考える名無しさん:2001/04/30(月) 10:35
ちょっと違う
14よっちゃん:2001/04/30(月) 15:38
携帯など使わずにテレパシーで交信するのがポストモダニズム。
15考える名無しさん:2001/04/30(月) 17:12
プロボクシングはモダニズム。
贅肉をそぎ落とし、肉体を戦闘マシーンに作り上げるのが、
理想のボクサーになるための道。

プロレスはポストモダニズム。
理想のプロレスラーになるための唯一の道は無く、キャラで勝負。
「強さ」すら絶対ではなく、キャラの一要素に相対化されている。
16ようするに:2001/04/30(月) 17:16

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17考える名無しさん:2001/04/30(月) 19:52
ポストモダンとは近代以降の時代や社会のこと
近代以降の社会を論じた思想や哲学やデザインや科学など
近代知をも指す
18考える名無しさん:2001/04/30(月) 19:58
>>15
緩く同意!
19考える名無しさん:2001/05/01(火) 13:33
歴史区分じゃないよ。
実際、今はモダンなんだし。
20考える名無しさん:2001/05/01(火) 13:45
ポストモダンは飽くまで西洋の歴史把握に由来する概念だから、
西洋という地域に固有の現象と見なすべきだと思うよ。
大体、ドゥルーズとかデリダとか、日本人には必要ないじゃん。
江戸期の思想で足りてるよ。
21考える名無しさん:2001/05/01(火) 13:47
>>19

今はモダンなのか?
モダンは終ったからモダンと言われてるんだよ
22考える名無しさん:2001/05/01(火) 13:52
荻生徂徠とか、西洋人にして見ればポストモダニズム的思考を
有している人だよ。それなのに、今の日本人は、デリダや
ドゥルーズに忙しくて、自国の思想家を読む時間も能力も
ないんだよ。そういう日本の国情がヨーロッパの侵略であり、
ポストモダンがどうのこうの言うこと自体、もうヨーロッパに
踊らされているんだよ。
23考える名無しさん
人類史を通観すれば、ある特殊な個性を持った時期として、
18世紀後期〜21世紀前期の数百年を取り出すことができ、
それはつまり「白人の時代」「工業の時代」といった時代である。
世界総生産の中で白人諸国が占める比率・第二次産業が占める比率を
折れ線グラフとして表現すれば、上に凸の曲線になるが、
それを「時代が近代である度合い」と見なしていいだろう。
これは一方では、「漢とローマの時代」「イスラムと唐の時代」
「モンゴルの時代」……と並ぶ時代区分であり、より大きくは
「狩猟採集の時代」「農耕の時代」に続く時代区分でもある。

アメリカや日本でのポストモダンという語は、
ポスト工業化の他に文化的多元化という意味を持っており、
上記の意味での歴史的区分と大きく懸け離れてはいない。

しかしリオタールの言う意味では、モダン・ポストモダンは、
歴史的概念じゃなく文化人類学的概念になってしまう。
(この場合、モダンとは一神教的文化というような意味)
その場合、日本は歴史の最初からポストモダンであり続け、
そもそもモダンを経験したことがないことになる(笑)
そういう特殊なジャーゴンを使うと混乱するので、
できるだけ使わない方がいいと思う。