哲学は腹の足しにもならない。

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1考える名無しさん。
「百聞は一見にしかず」だと思う。
グダグダと考えるだけ時間の無駄だしウザイ。
「哲学」なんて「結果」には一生勝てない。
2考える名無しさん:2001/04/24(火) 03:58
本日の釣果…超弩級の阿呆一匹
1は2ちゃんから出て行け。
4考える名無しさん:2001/04/24(火) 04:56
アイス食べたい
5考える名無しさん:2001/04/24(火) 05:01
>>1
賛成!
だけど哲学なしの結果は意味がないと思う。
正しくは「百聞してから一見しろ」だと
思う。
1はきちんと結果出してんだろな。
いいか、アフォーは何やっても腹の足しにならん。
切れるヤツは哲学だろうと何だろうと結果を出す。
目線がひくいんだよ目線がよ。下ばっかり見るな。
7考える名無しさん:2001/04/24(火) 05:27
>>6はなにか結果だした?
>>7
輝け
9考える名無しさん:2001/04/24(火) 10:39
1は「しゃべり場」見てバカ高校生に影響受けたな。
10考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:25
哲学をやってる人は、ある決定的な何かが欠如している。
それは、理系的な物事の考え方。
ま、苦手らしいからしょうがないとは思うが。
そんなに難しくも無いと思うんだけどね。みなさんどうなの?
わざと数学の成績が悪いわけでもないんでしょ?
11考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:29
>>10
あくまで学校でだけど数学の成績は常にトップだった。
でも公理や公準を思考していたらいつのまにかここにいた。

きっと妥協の一言が致命的に欠けていたのだと思う。
12考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:56
哲学コンプレックスはほどほどに
10は絶対に自分は理系的な思考が出来ない(w 暗黙知。
14考える名無しさん:2001/04/24(火) 14:21
>>9
チョトワラタ。
15考える名無しさん。:2001/04/24(火) 19:17
3は2ちゃんから出て来るな。
16考える名無しさん:2001/04/24(火) 19:33
まぁ、頭で考えるだけっていうのも。
問題が。
1711の発言:2001/04/24(火) 19:53
>あくまで学校でだけど
まず自分を謙る
>数学の成績は常にトップだった。
ここで自慢がはいる。
>でも公理や公準を思考していたら
自分は他人とは違って物事を深く考えるということをアピール。
>いつのまにかここにいた。
自分では特別なことはしてないと思っていることをアピール。
>きっと妥協の一言が致命的に欠けていたのだと思う。
別に妥協することが欠けていても悪いことは無い(むしろ良い)が謙遜して
聞き手に先程の発言の歯に衣着させないようにすると共に
羨望を誘うと共に、やっぱり自慢。
していると思われ。。。
因みに自分は数学好きです。←先まわり
18考える名無しさん:2001/04/24(火) 20:01
>>17
俺は11ではないが、
悪いほうに11の発言を受け取るとして、君は1に対しどう答えるのか?
1911:2001/04/24(火) 20:10
>>17
幾何学の基礎づけが哲学の分野であることを知らない馬鹿がどれだけいるのか量っただけだよ

ゲーデルの不完全性定理にしろ、ヒルベルト・プログラムにしろ自然数論、集合論など
数学基礎論は哲学の分野に含まれるんだよ
ラッセルやカントールが有名だろ

もちろん数学好きなら知ってるよなぁ?
リーマン幾何学やガウスらの非ユークリド幾何学勉強して
何も疑わずに信じれるほど頭よくねーんだよ俺は!
2018:2001/04/24(火) 20:23
>>19
確かに君のいう通り数学的知識が必要なことは明らかだと思う。
プラトンの対話編でも幾何学について述べられているところがあったように記憶している
だが、ラッセルなどのいわゆる分析哲学と呼ばれる分野では高校数学以上の
知識が必要だとは思うが、それ以外はそこまで必要ないんじゃないか?
あと、俺は数学好きじゃないぞ。
21考える名無しさん:2001/04/24(火) 20:23
>>1
歴史をみてみろ。
偉大な科学者、偉大な芸術家、偉大な政治家など、優れた者は”思考”を発達しているだろ。
いくら君が哲学や思考を馬鹿にしてもこの”事実”には勝てやしない。
22考える名無しさん:2001/04/24(火) 20:28
>>21
イデオロギーが社会に対し大きく影響する例としては社会主義。
2321:2001/04/24(火) 20:32
>>22
意思疎通が出来ていない。
こちらの何に対して反論したいのか明確に書くように
2411:2001/04/24(火) 20:35
>>20
違う、違う、哲学に数学が必要なんじゃないの。
数学に哲学が必要だったの。
少なくとも俺にとってはね。
2522:2001/04/24(火) 20:38
すまん、ちょっと説明不足だった。1が考えることは必要ないと書いていて
22で「思考」の重要性を書いていたのでそうした「思考」が社会そのものを
変革する力となり得る、という例を書いた。だから22に反論でなく、賛成。
(僕はマルキストじゃないよ)
2618:2001/04/24(火) 20:44
>>24
では1に対しては反対ということでいいのか?
違ってたらスマソ。
2722:2001/04/24(火) 20:47
>>25
×22→○21。
2811:2001/04/24(火) 20:47
>>26
うん、1の本文には反対
題名は実にいいけどね。

2918:2001/04/24(火) 20:50
>>28
了解。
3010:2001/04/24(火) 21:17
こんばんは。波乱のもとである10です。
昼にレスを付けてから今までこのスレを見ていなかったのですが、
ここまで盛り上がっているとは思いませんでした。
11さんは数学の事良くご存知のようですけど、
「知っている」ことと「理解している」ことは違いますよね。
11さんに二つ質問があります。

1.11さんは数学を理解してます?
2.「リーマン幾何学やガウスらの非ユークリッド幾何学の勉強をして」何を疑いました?

ちなみに、別に煽ってる訳じゃないっすよ。
3111:2001/04/25(水) 13:17
>>30

>1.11さんは数学を理解してます?
さぁ?分かんないや。
大学までの試験レベルの問題なら解けるだろうけど
それが数学の理解とは程遠いものだとは思うね。
ただ無矛盾なら万事OKだとは思わないね。

>2.「リーマン幾何学やガウスらの非ユークリッド幾何学の勉強をして」何を疑いました?
最初は自分の感覚だったね。
勉強した後の言葉で言えば、「自明性」だ。
まるできつねにつまされたような感覚だった。
具体的に球を目の前に出されてもやはり分からなかったものだ。
結局は直線の定義が異なるということなのだろうが、
俺の頭の中でさえ描けない空間が幾何学として存在するというのも奇妙なことだった。
案外、他の人なら描けるのかもしれないね。

ところで点pを通って直線lに平行な直線は2本以上引けるの?引けないの?
328太郎:2001/04/25(水) 13:57
違う

哲学はもう答えが出ちゃてるから
やる必要なし!!

思春期の方たちが色んな音楽や本や映画を見れば
それでヨシ
今の時代は、それが自然と耳や眼にに入ってくる
現状だから何も問題なし
あとは個人の問題ナリ!!

いい時代になったね!!
3310:2001/04/25(水) 15:14
>>31
>ところで点pを通って直線lに平行な直線は2本以上引けるの?引けないの?

ユークリッド空間内で?
34考える名無しさん:2001/04/25(水) 15:28
>>11 道具主義でいいような。妥協できない?
非ユークリッド幾何における球とか双曲面とかはあくまでもモデルにすぎないんで、
そういう突き詰めた抽象化が数学の面白いところなのでは。

3511:2001/04/25(水) 15:29
>>33
>ユークリッド空間内で?

ユークリッド空間がすでに第5公準で「一本しか引けない」となっているわけだよね。
逆に非ユークリッドでは「2本以上引ける」。
リーマンなら「一本も引けない」。

結局は公準は定義でしかないということなのかね?

3610:2001/04/25(水) 16:46
>>35
公準って何?始めて聞いた。

>ユークリッド空間がすでに第5公準で「一本しか引けない」となっているわけだよね。

「なっている」というか、ユークリッド空間の定義から導き出せるぞ。
証明の仕方は、
条件を満たす直線が二本あったと仮定すると、一致する。

定義の仕方によって空間はそれぞれ全く異なるものになるわけだから、
それぞれの性質も自ずと変わってくるよね。
37考える名無しさん:2001/04/25(水) 16:47
サラリーマン幾何学?
38考える名無しさん:2001/04/25(水) 16:55
1の言っていることは正しい。
なぜならば、1のような超ドキュンにとって
まったくもって哲学は腹の足しにもならないからだ。
3910:2001/04/25(水) 17:03
>>37
そうです。
40考える名無しさん。:2001/04/25(水) 23:52
38の言っている事は正しい。
なぜならば、38の様に自分にとって痛い所を突いてくる相手を
すぐドキュン呼ばわりするのは非常に楽な事だからだ(藁
4111:2001/04/26(木) 00:33
>>36

平行線の公理(公準)は次の5つがある。

1、任意の点から任意の点へ直線を引けること。
2、有限直線を連続して一直線に延長すること。
3、任意の点と任意の距離で円をかくこと。
4、すべての直角は等しいこと。
5、一つの直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が二直角より小さいならば、この二直線を限りなく延長すると、二直角より小さな角のある側で交わること

第一公準から第四公準までは言葉の定義は置いといて、一切の定義を使用せず証明できる。

でも第5公準が定義にすぎないのだとしたら、「あたりまえ」のこの感覚も定義に過ぎないという感じ。

サッケーリは第5公準を定義でなく証明しようとしたらしい。
で、「点Pを通って直線Lに平行な直線は一本も引けない」は矛盾することを背理法から証明したそうだ。
でも「2本以上引ける」が矛盾することは証明できなかったらしい。

だからと言って引けるものがあるというのもなんとなくおかしいと直感が言うのだよ。
それを無視して進むことができなかった。ただそれだけだ。
42考える名無しさん:2001/04/26(木) 02:13
>>40
コピペにマジレス…
43考える名無しさん。:2001/04/26(木) 21:28
>>42
コピペのコピペにマジレス…
44考える名無しさん。:2001/04/27(金) 01:51
ハラヘリヘリハラ
45考える名無しさん:2001/04/27(金) 03:08
すいませーん、マジレスお願いしたいんですけど
1さんはこのようなスレッドを立てる事やレスを返す事は
時間の無駄と思わないのですか?
また、それは何故ですか?

時間の無駄だけどなんとなくやってるとかはなしですよ?
46考える名無しさん:2001/04/27(金) 17:58
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚
痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴
愚痴愚痴愚痴愚痴愚痴


47偽1:2001/04/27(金) 18:14
>>45
そんなアナタは、そんな時間にこんな糞スレ立てた1にマジレスを希望して
本当に来るかどうかもわからない返答を待っている事を
時間の無駄だと思わないのですか?
また、それは何故ですか?

余談だけど、「すいませーん」の「ー」の部分って妙にムカツク。
48目のつけ所が名無しさん:2001/04/27(金) 22:26
おにいちゃーん
49考える名無しさん:2001/04/28(土) 00:25
>>41 いや公準は証明するものではないのだが。
言葉の定義をせずに、そういった性質を仮定すると何が導かれるか、を考えるので。
だからこそ、日常の意味での直線とか点と乖離したものでも
仮定された性質さえ満たせば定理もすべて適用できるわけでしょう。
50考える名無しさん。:2001/04/28(土) 05:49
目を付けたレスには
そのレスの語句を使って返すしかできないのかい?
ん?つらい事があったら相談してみな。
ツンケンしてんなよ。
51考える名無しさん:2001/04/28(土) 10:22
>>49
それでは数学の体系がある無矛盾な体系でしかないということになるのではないか?
ならば数学も哲学と同じ、ただの自己満足の独り善がりの遊びだという批判に
返答する術を持たなくなるような気がする。
数学的思考もある仮定の上にしか成り立たないものだと言われるも同然なわけだ。
せめてそれが生得的なもの、カントの言うア・プリオリに根付くと思いたいのだよ。

そういった自分の意義みたいなものとくっついているからただの定義では納得できないわけだ。

52考える名無しさん。:2001/04/28(土) 11:34
でも、数学は役に立っているぞ。
5310:2001/04/28(土) 14:19
>>51
無矛盾な体系であると同時に、それゆえの利用価値がある。
例えば普段「数」をつかってる訳だけど、
数学的には「数」の定義は「無矛盾な体系」でしかない。
定義さえ誤解せず定義にそぐいさえしなければ、
誰でもどんな目的でも自由に使って良い。便利だよね。
54考える名無しさん:2001/04/28(土) 19:41
>>53
私はそこまで割り切れない。
現実に社会を生きていく上で高等数学の必要性をさほど感じないからだ。
使用するとしたら株などの経済関連ぐらいか?
非ユークリッドな世界などは物理学でも専門に扱わない限りまず使用しないだろう。

数学はただの大学に受かるための手段であって欲しくはないのだ。
もう少しこの人間の脳に根ざしたところがあるような気がするのだ。
5510:2001/04/28(土) 23:58
>>54
>現実に社会を生きていく上で高等数学の必要性をさほど感じないからだ。

高等数学も使いようによっちゃあ使えるよ。

>もう少しこの人間の脳に根ざしたところがあるような気がするのだ。

数学という学問の成り立ち方と、構成方法、応用例から明らかのように、
数学は人間の脳に根ざしたところであると思うんだけど。
一見ただの無矛盾な体系のように見えるが、
それは数学の構成(記述)の仕方によるものでない?
構成の仕方については、>>53レスを見れば納得できると思う。
ちょっと想像力と発想力を持ってして数学について考えてみれば、空論でないことは明らかだと感じると思う。
もちろん見方によっては空論とも言える。
56>1:2001/04/29(日) 01:19
思いこみでスレ立てるな。以上
57考える名無しさん:2001/04/29(日) 11:15
誰も1の発言を否定できないのか?
58火星に帰ります:2001/04/29(日) 12:10
>>1
結果か、哲学(今の場合の言葉の使い方では「結果を推測すること」)ではどっちが勝つかという問題ですか?
ところでいろいろな場面を想定してみてください。
すると、
結果の方が有用なときもあれば、
哲学(=結果を推測すること)の方が有用なときもあります。

結果が出てくる前に結果を知らないといけない場合がありすぎるから
哲学(=結果を推測すること)をしているのじゃないですか?

1がそのようなことを言うということは、1は天気予報とかは必要がないと言うのですか?
必要でしょう。だから哲学(結果を予測すること)も必要じゃないですか?
59考える名無しさん:2001/04/29(日) 13:08
結果なんか予想できますかね?
やっぱり完全にはできないでしょう?
結果を予想できるなんて言ってしまうのは自己欺瞞です。
哲学がなにか処世術みたいに語られてますがそういう
ものじゃないと思います。
だから1の言う様に、哲学なんて必要ない人には必要ないでしょう。
そんなこと考える暇もないくらいに、日々の生活に追われている
人からしたら哲学なんて絵空事に思えても仕方ない様な気がします・・
だからといって、哲学の歴史的な功績をバカにはしてません。
あったま良い人が一生懸命がんばって 僕等のようなあんま
賢くない人に教えて下さいな なんかさっぱりわからない言葉
が乱立してて小難しい雰囲気があるので
60考える名無しさん:2001/04/29(日) 13:28
現代数学はあまり役に立っていないかもしれないが、
少なくとも論理的で無矛盾を目指してはいるし、そのために多くの
数学的ツールを「発明」しある程度成功している。

これに対し現代哲学は論理的なの?無矛盾?
まともな哲学的ツールを考えて成功している?
見かけはあまり役に立たない点だけは類似しているが
内容は全然違うよ。
61火星に帰ります:2001/04/29(日) 13:47
>>59-60
哲学って言葉をごちゃごちゃに使ってしまってる。
1の文での意味での「哲学」っていう言葉は
「結果」の反対語としての「哲学」、
つまり、哲学=先を予測して考える という意味。

だから今の場合は、哲学=先を予測して考える と定義して話を進める必要があると思う。
62火星に帰ります:2001/04/29(日) 13:51
ほんとのことを言うと
1の言葉の使い方が悪いんだけど。

>「百聞は一見にしかず」だと思う。
>グダグダと考えるだけ時間の無駄だしウザイ。
>「哲学(予測 に訂正)」なんて「結果」には一生勝てない。

っていう文章の方が適切なんだけど。
問題提議に曖昧な言葉を使うとその後の論議が混乱する。
63考える名無しさん。:2001/04/29(日) 15:06
>結果なんか予想できますかね?
>やっぱり完全にはできないでしょう?


つまり、90%台や数%台の正確さで当たる(はずれる)
予測でも無意味だって事ですか?
100%じゃなければ駄目なんですかね。

それから、頭わるいって貴方、わからないからわからない
ってんじゃ頭悪い良い以前の問題だぞ。。
64いちご姫:2001/04/29(日) 15:09
>>1
腹の足しにしている人たちは沢山いますよ。哲学の教官とか在野の哲学研究者・エッ
セイストの一部は、それで食っているほどに。
あと、「百見は一読にしかず」って言葉知ってる?

>>1,61
予測を問題にする「哲学」なんてあるのでしょうか?あっても少数派。
むしろ、(物理等の)自然科学(の一部)の仕事は予測だから、「物理学などは結
果に勝てない」(ま、当たり前の話しで、だからどうした、と自然科学者にいわれ
そうですが)という方が多少なりとも、生産的な議論をできる、と思うのですが・・・・

>>60
>少なくとも論理的で無矛盾を目指してはいるし、そのために多くの
>数学的ツールを「発明」しある程度成功している。
>これに対し現代哲学は論理的なの?無矛盾?

どうなのでしょうか?非論理的なことも矛盾に満ちたことも、それを目標としている
哲学分野は少ないと思いますが。但し、論理的であることそれ自体の内容やその必要
性がしばしば問われる、というだけでも、数学と哲学の間には大きな相違がある、と
思います。

>>52
哲学も精神分析や心理学の役に立っています。コンピュータ・サイエンスの役にもた
っています。(だからどうした、という気はするが)
65火星に帰ります:2001/04/29(日) 15:30
>>64のいちご
1の文章を見て。
あと、少数派とか多数派は全く関係がない。
今の場合に関係があるのならきちんと説明して。絶対にできはしないはず。
1の文章を理解してそして1のレスをつけないと会話って成り立たないんじゃない?
君は1と同じテーブルの上で話をしているつもりかもしれないけど
一人だけ違う話をしてる。

まず、1の文章をよくみること。

1は哲学を批判したくて不適切な場所に無理矢理に哲学っていう言葉を使っている。
その1のミスを把握しないことには会話なんてできない。
66火星に帰ります:2001/04/29(日) 15:41
もう一度>>62のコピペ
>「百聞は一見にしかず」だと思う。
>グダグダと考えるだけ時間の無駄だしウザイ。
>「哲学(→予測 に訂正)」なんて「結果」には一生勝てない。

っていう文章の方が適切なんだけど。
問題提議に曖昧な言葉を使うとその後の論議が混乱する。

つまり1は”哲学(学問の一分野としての哲学)”を批判しているのではなくて、
”未来を予測して考えること”を批判しているのです。
67考える名無しさん:2001/04/29(日) 16:36
ヒトはパンのみに生きるにアラズ
68いちご姫:2001/04/29(日) 17:43
>>65
1の文章を見て。
あと、少数派とか多数派は全く関係がない。
今の場合に関係があるのならきちんと説明して。絶対にできはしないは
ず。

 私は、火星に帰りますさんが61で解釈なされたように、1.さんの
「哲学」という語は「先を予測して考える」という意味として使っている
と考えます。(その解釈への参照として、1とあわせて61を記入した)
その上で、哲学=予測の学というのは過ち、もしくは、そのような理解の
もとに哲学を行っている人はごく少数派だから、そのような特殊なもしく
は超少数派の用法・理解に基づいて哲学の内容評価を行うのは誤謬かせい
ぜいのところ偏狭な営みに過ぎず、妥当とは言えない、というのが64
で述べようとした意図だったのですが。 「その1のミスを把握しないこ
とには会話なんてできない」というそのミス(1氏における哲学という
語の理解の不適切性)を私は指摘したつもりです。(語の使用の適・不適
,妥当・不当の論拠としてそれに従って使用する者の多数・少数をあげる
ことに問題がある,とは(雑駁な論の限り)私には思えません。

69いちご姫:2001/04/29(日) 17:50
あなたは、1.の語「哲学」に1.により付与された意味を確定し、とり
あえずそれに従って論を進めようとした。
>>65,66
私は、1.の語「哲学」に1.により付与された意味が通常から逸脱して
いる(誤っている)ことを指摘し、それ故、1.氏によるそれ以下の批判
が哲学に妥当するものではない(自然科学に妥当するもの)事を論じよう
とした。
それだけのことではないですか?
70いちご姫:2001/04/29(日) 17:51
>>69
ゴメンナサイ
参照記号部分(>>65,66)は全文の冒頭に置かれるべきものでした。
71火星に帰ります:2001/04/29(日) 19:15
>いちご

>1の文章を見て。
>あと、少数派とか多数派は全く関係がない。
>今の場合に関係があるのならきちんと説明して。絶対にできはしないは
>ず。
こちらには説明できない。
関係がある場合はどのように関係があるかを説明することはできるが、関係がないものは関係ないのだから説明することは容易でない。
また、こちらが思う正解はすでに示した。

あとは、君のようなことをすると議論の混乱を招く。

1は言葉の使い方が変だった。それでその話は終わり。
そして正しい表現で話を進める。哲学の定義についてクドクド話を始める必要はない。

論理には必ず結論が用意されています。
そして結論を出す為に問題を解くのではないですか?
数学の問題を解くように。

論議するときは出来る限り横道にそれないこと。これは論議するための大切な技術の一つです。
72いぬのめい:2001/04/29(日) 20:39
あ、火星の兄ちゃんとイチゴの姉ちゃんだ。
73いちご姫:2001/04/29(日) 21:11
>>71
そして正しい表現で話を進める。哲学の定義についてクドクド話を始め
る必要はない。

 1.氏が、「哲学」について議論をしようとしている、と解するか、
「予測についての学」について議論をしている、と解するのか、何れを
採るか、という問題です。
 多くの場合、通念と異なる意味内容を流布している語に与えている場合、
特にそうしてその語の対象を批判吟味している場合、まずその語の通例の
意味を提示する、というのは、議論上のありふれた手法ではないですか?

 あなたの議論の運び方はたとえて言えば
「美学は貨幣の運用を扱う学問だから、政治家は美学を然々・・・・」と主張する
人に対し、「もし美学が貨幣の運用を扱う学問だったら、政治家は美学を
斯く斯く・・・・」と応答しているようなものです。誤りではないが、普通な
ら、「美学は、貨幣の運用を扱う学問ではなく、美を扱う学問である。貨幣の
運用を扱うのは経済学である」というように応答するのではないですか?
これは形式論理の問題ではなく、議論の慣習(よりはもう少し拘束力が強
いが)・手法の問題です。

>論理には必ず結論が用意されています。
>そして結論を出す為に問題を解くのではないですか?
>数学の問題を解くように。
論理には、とおっしゃられるが、形式論理の構築は別として、日常の議
論においては、数学の問題を解くようには、一義的かつ確定的には必ず
しも問題は解けません。一つには複数の応対のし方が可能な故に。他には
日常言語においては概念はニ値性を有さず、推移律が成り立たないが故に。
 
74考える名無しさん:2001/04/29(日) 21:37
おお、姫と火星が争ってる。でもあまり、有益な議論とは言えないような。。
火星に帰りますさんが、1の作った(と思われる)レールで話を進めようとし
たのに対して、姫が横槍を入れたので、しどろもどろになったという感じで
すな。火星に帰りますさんの言いたいこともわかるが、哲学=予測の学で議
論を運ぶにはさすがに哲学の範囲が狭すぎるだろう。

余談ですが、僕自身は、哲学は役に立つかどうかといことでなく、損得に関係なく
どうしようもなく惹きつけられてしまうからやるのだと思います。
75いちご姫:2001/04/29(日) 21:49
>>74
1.氏否定という大筋において、火星氏も私も変わりないので、「有益な議論とは
いえない」代物からは私はここで手をひきます。

ただ、「哲学=予測の学で議論を運ぶにはさすがに哲学の範囲が狭すぎる」のでは
なく、(火星氏は1.氏の暗黙の定義を明示化なさって使っていらっしゃるので関
係ないでしょうが)ほぼ、哲学は「予測の学」の補集合の部分集合(数学などは哲
学でないから)でしょう。
76火星に帰ります:2001/04/29(日) 22:04
>いちご
僕は小さい頃から誰かと話し合う環境に恵まれていたから、こんなことを書くんだけど、
経験的にいつも話がむちゃくちゃになるときには法則があったんです。
一つは言葉の意味が曖昧なとき。(1がこれをやっています)
もう一つは、横道に話がそれるとき。
だから論議するときにはこの2つを特に嫌うんです。

1は”哲学”という言葉を使ったのが不適切だった。
だから本当は”哲学”という言葉を使わずにこのスレは論議がなされるはずだったんです。

1はミスを犯したのは判っていることなのだから、そのミスについてこれ以上話し合う意味がありますか?
その先に話を進めたいのですが。
その先に進めたら結論なんて一瞬で出るテーマです。
じゃあこのスレは終ってしまうけど。
7710:2001/04/29(日) 23:16
>>75
>哲学は「予測の学」の補集合の部分集合(数学などは哲
>学でないから)でしょう。

この論理をいじくると、次の二つの命題が得られます。
1.数学は「予測の学」の部分集合
2.哲学と「予測の学」との共通部分はない。

これらの二つの命題はちょっと間違ってません?
もし、どちらか一方でも間違ってるとしたら、
いちご姫さんのおっしゃる事は偽ですよね。
(∵背理法により自明)
7810:2001/04/29(日) 23:17
あ、すいません。
「ほぼ」って書いてましたね。見落としました。
従って上の文章は空論です。
79考える名無しさん:2001/04/29(日) 23:21
いや1は結局うだうだいっても「結果」(現にこうなったと言う事実にはかなわない)
っていう程度の意味でいったんじゃない
80いちご姫:2001/04/29(日) 23:26
>>77
なぜ、「この論理をいじくると、次の二つの命題が得られます。
1.数学は「予測の学」の部分集合 」がでるの?
私がオオボケなのかしら?

数学などは、哲学ではない、かつ、予測の学ではない
と75で書いた筈なのですが
ここからでるのは、
「数学は予測の学と共通部分はない、かつ数学は哲学ではない」の筈な
のですが・・・・
8110:2001/04/29(日) 23:39
>>80
だって、いちご姫さん、
>哲学は「予測の学」の補集合の部分集合でしょう。
の理由として、
>数学などは哲学でないから
って言ったじゃん。
「数学などは哲学ではない」が、十分な理由を持って、
「哲学は「予測の学」の補集合の部分集合でしょう。」を結論付けるためには、
「数学は「予測の学」の部分集合である」必要があるでしょ。
8210:2001/04/29(日) 23:42
あ、間違った。
8310:2001/04/29(日) 23:43
ところで、数学と予測の学との共通部分はないんでしょうか?
84ぷちとまと:2001/04/29(日) 23:45
あ、やっぱりそう誤解されている

数学は「予測の学」の補集合に属する
哲学も「予測の学の」補集合に属する
しかし、数学は哲学ではない
よって、数学は「予測の学」の補集合の(哲学とは異なる)部分集合である
です
8510:2001/04/29(日) 23:46
>>84
なるほど、見事に誤解しました。
ごめんね>いちご姫さん
86いちご姫:2001/04/29(日) 23:54
>>83
純粋数学では勿論ないでしょう。(っていうか、解釈を離れた公理系に
予測しえる事態の関係しようがないです。)
応用数学では、どの応用によるかなのかもしれないですが、私はその分
野を全く知りません。
古典数学の例えばエウクレイデスにしても予測とは関係ないでしょうね。
然々の形状の土地は斯く斯くの面積である(筈だ)、といったエジプト
の幾何学に遡ればようやく予測に似てくるかもしれないけど、それが予
測である為には、計算結果と事実が相違した場合、後者が採用される(
計算もしくは幾何学が修正される)のでなければならない。詳しいことは
数学史家に聞かねばわからないですが、おそらくエジプト幾何学でもも
っと規範性を有していたのではないでしょうか。
8710:2001/04/29(日) 23:55
単に「部分集合である」を結論付けるための理由だったわけですね。
ありがとう>ぷちとまと
88能有りさん:2001/04/30(月) 00:01
>1に激しく同意。なぜなら彼等には哲学する創造性がないから...
過去の先人達の哲学を暗唱してるだけで、自分の言葉ではないのだ。
身にしみて、身を持って初めて哲学する意味があるのに彼等はまるで
自分が発見したかのように、専門用語を使った長文をかくだけ...
善い人間はこれっぽっちもいない。自惚れてもしようがないよね。。。
8910:2001/04/30(月) 00:05
>>86
もちろん事実にはかないません。
でも、数学の定理とは、仮定を満たしたものは必ず成り立つという「主張」ですよね。
したがって、定理の仮定を満たしたものはすべて予測可能ですよ。そして、それは必ず事実となります。
まあ、定理の仮定を満たす状況は現実的にはなかなかありませんがね。
そこで、近似の概念や、確率論の理論や、数学の理論を利用した物理学・工学等、
が役立つのではないでしょうか。
すなわち、上記のような方法で予測をするためには、純粋数学が必要であると思います。
こういう理由で、「数学と予測の学問との共通部分がある」と結論付けてもいいんじゃないかなと思います。
どう?
9010:2001/04/30(月) 00:07
あ、>>89においての「上記のような方法で予測」っていうのは、
近似の概念や、確率論の理論や、数学の理論を利用した物理学・工学等、
を利用した予測って事ね。
91能有りさん:2001/04/30(月) 00:13
>>89-90

はいはい、
あなたは立派!天才!大拍手、パチパチパチパチパチ…
スレッド違いでも自我を通そうとする頑固さ、それが
君が哲学した結果なんだよ。今の自分を見つめろよ!(藁
9210:2001/04/30(月) 00:17
>>91
やっぱりそう思う?立派??
たしかにスレ違いだな。反省。
93器官なき身体:2001/04/30(月) 00:19
「哲学は全く報われない仕事。」ってたしか、ヴィトゲンシュタイン
がいってたっけな。
94考える名無しさん:2001/04/30(月) 00:31
>>88

哲学を研究しているものが過去の先人の業績を知識として把握しなければ
いけないのは、過去の先人が既に議論していることを繰り返さないため
、またはそれに上乗せした議論をしなければいけないからでしょう。

ただ、あなたの言うように哲学研究者は、哲学者と哲学評論家に分かれ、後者
の方が多いのが現状だと思います。

でも、目的(この場合、自分の問題意識)と手段(この場合、知識)を取り違える
のは、何も哲学に限ったことではなく、現実世界でも多々あることだと思うんだが
なあ。
95考える名無しさん:2001/04/30(月) 00:32
ちょっと本題と外れて済みませんがついでに聞いちゃいます。

>>86 いちご姫様
> 詳しいことは数学史家に聞かねばわからないですが、おそらくエジプト幾何学でも
もっと規範性を有していたのではないでしょうか。

ここで言う規範性とはnormativenessのこと?
哲学における規範性というのが今一つよく分からないんですが
単に「規準を確立しようとする性質」というような意味で良いんでしょうか?
それとも誰かの用法とかで哲学固有の意味合いがあるんでしょうか?
96いちご姫:2001/04/30(月) 00:44
>>95
>単に「規準を確立しようとする性質」というような意味で良いんでし
>ょうか?
全く違います。

規範性は規則性と対立する用語で、「良い・悪い」を裁き得る性質のこ
とです。だいぶ眠いので、例で書いてみます。

火星の軌道を予測した時、事実が予測と違っていたら、予測かその予測
が基づいたデータや仮説かが修正されますね。こちらは規則性。

対して、犯罪が起こった時、それを禁止する法律は、犯罪が起こったから
といって修正されるのではなく、事実である犯罪が悪であると、そして、
犯罪者を処罰へと、裁きますね。こちらが規範性。

(広義での)ルールと事実とが食い違った時に、ルールと事実との何れが
誤りである、と考えられるか、で規則性と規範性がわかれます。
9795:2001/04/30(月) 01:02
>>96
どもありがと。
ということはエジプト幾何学には現実から離れた
幾何学の体系そのものの正しさという考えが現われているということかな?
それで食い違うと現実の方が悪いと。
98考える名無しさん:2001/05/01(火) 10:22
>>97
まったくだよな。
この板(恐らく、ちょっと哲学かじった程度の学部レベルの人間が多いだろうが)
は、あり得ない話を変に確信して話を進める傾向があるな。
たまに、最初に持った確信について、真実味を検証する事もあるが、
検証の仕方が幼稚。ほとんど主観。しかも矛盾だらけ。
どうなってんの?これが哲学??
99中村雅俊:2001/05/01(火) 12:00
哲学は黄昏と戯れる事
元より空腹を満たす類のものでは無い
10098:2001/05/01(火) 12:05
>>99
ほらな、これも主観だろ?
101>100:2001/05/01(火) 12:09
「ほらな、これも主観だろ?」も主観だろ?
102考える名無しさん:2001/05/01(火) 12:57
>>100
って言うか、99はコピペだし(w
んな事も見抜けない98=100に哲学を語る資格無し(w
103いちご姫:2001/05/01(火) 14:32
>>97
おそらく、エジプトの幾何学には、すでに、日常的現実を理論が裁断す
る、という数学の性質が現れているのではないか、と私は思っています。
(なお、数学の抽象度が高まると、裁断すらしない、日常的現実から完
全に独立な理論が成立し、それが純粋数学なのですが。――エウクレイ
デスはそこには達していない。幾何学をその域に高めたのはヒルベルト、
だそうです。)
104いちご姫:2001/05/01(火) 15:03
>>95
あと、規範性云々は少なくともここの文脈では通常normativenessをで
はなくnormativityを使う、と思います。
10595:2001/05/01(火) 15:42
>>96
>>103
>>104
なるほろ、めもめも。
素人はこういうちょっとしたことに躓くので助かります。
でもnormativityは
普通の辞書には載ってないですね(電子辞書は便利じゃ)。
やっぱり哲学用語辞典か何かあったほうがいいのかなー。
106哲学の先生:2001/05/01(火) 17:45
ごめんなさい。
哲学で腹を足してます。
女房も養ってます、哲学で。(藁
107考える名無しさん:2001/05/01(火) 19:17
〜結〜
1081だけど:2001/05/01(火) 21:23
>>106
それがアナタの結果なんでしょうね。
皆様お疲れ様でした。
ところで…
109考える名無しさん:2001/05/02(水) 00:41

哲学板になんだかスレが多く立てられる気がするのは、この「1」みたいに
テキトーな思いつきでも↑のようにマジメに議論してくれる人がいるからだろうね。

人の庭に小石を投げ込むのが趣味のヤツが、たまたま射撃訓練場を見つけて、
小石投げるとパンパン撃ってくるから面白くって仕方ないってカンジかな。

あ、バカにしてるわけじゃないんです。哲学をする(射撃をする)人には、面白
半分に投げ入れられた小石を撃ち抜くのもよい訓練かと思うので。

哲学科出身だけど哲学専攻じゃなかった私の言語感覚でいえば「哲学」と「結果」
を対比させた時点で「ただのイタズラ小石」とわかる。それを定義しなおして(お
そらく1、はその定義がすでに理解不能)真剣に議論している、と見えます。

昔、クラスでイジメられっ子が「哲学テッちゃん」と呼ばれていた(別にその子は
哲学とか、本が好きとか、そういうタイプではなかった、ただ、何考えてるのかわ
かりにくいタイプだった程度だった)。結局、「プロレゴーメナ」という単語を聞
いたこともない人々には、哲学はそういう対象なのだろう。ちょっと悲しく、ちょ
っとオカシイねえ。

110考える名無しさん:2001/05/02(水) 05:11
>>109
余裕アル発言でなにより。

哲学って結果どうこうじゃなくて、
頭の良い人が自分自身の人生の苦悩とと現象との間を
知性、言葉で埋めようとする行為そのものだと思う。
結果、人類の普遍的な疑問にもぶつかって体系化できましたー、みたいな。
それを茶化す心理がよーわからん。
きっと哲学がよくわからないんだろうね。
頭が悪いか、もしくは自己の問題から目を頑なに逸らすひと。
自分に目を向けなくても生きてけるならそれでいいじゃないか。
こちとら苦しくてやってんだい。
それをわかっとくれよ。
111考える名無しさん:2001/05/02(水) 08:19
>>110
え? これはワタシに向けた発言? 「茶化す」というのはワタシの発言
について言ってるの? 「哲学がよくわからないんだろうね」とか表現
しているから、かなり批判的なんだろうね。

もし「1」に向けての発言ならワタシの勘違いだけど、哲学を射撃にたと
えられたくらいで腹立ててるんなら、おかしいと思うよ。

112いぬのめい:2001/05/02(水) 08:24
>>111
いや、1にでしょう。
と言うかはらの足しにするために哲学やらないって。
113111:2001/05/02(水) 08:33
>>112
だとしたらごめんなさい。
ちょっと誤解される発言だったかな、と思って。

はらの足しにならない哲学をやる人も腹が減るというのが悲劇であり
価値でもありますね。
114考える名無しさん:2001/05/02(水) 08:45
哲学が無くても生きてゆける。
腹が減っては生きてゆけない。
腹が減ったら何か食べようか。
食べられるものと食べられないものがある。
どうしてそれが分かるのかな。
それは思考を働かせてるから。
それって哲学ではないのかな?
115考える名無しさん:2001/05/02(水) 09:20
>>110
哲学のどこが頭使ってんだよ!
理系>>>>>>哲学
さよなら。
ということで、僕は哲学科の修士終了後、
アメリカの物理科に留学します。
でも、哲学やって頭錆びたからな。やってけるかな。
116いぬのめい:2001/05/02(水) 09:44
>>115
哲学は「認識学」であって、ものの見方、
即ち今まで気に求めていなかった石ころが
本当は宝石だったと言う発見をしていくのが本道なんだよ。
だからその意味で、科学、物理学、倫理その他もろもろの
「全ての学問」を統括する(分かっていて初めてできる)のが「哲学」なんだよ。

哲学は、「理系」も「文系」もその中に含み
昔は学問とは「哲学」の事であって、対して他を「雑学」と呼んだ。
頭がさびた?
化学、物理、社会学・・・きっとあなたは全ての学問を究めたんだね。
未だかつてない天才!弟子になりたいなぁ。
117いぬのめい:2001/05/02(水) 10:16
>>116
気に求めていなかった→気にも留めていなかった
118考える名無しさん:2001/05/02(水) 16:40
>>116
>「全ての学問」を統括する(分かっていて初めてできる)のが「哲学」なんだよ。

おめえら「全ての学問」を「分かって」ねえじゃん。
したがって、君達は哲学ができない。(w
自爆しましたね。さようなら。
119能有りさん:2001/05/02(水) 23:04
哲学から宗教に進むなら、分かるる気がする。ひろさちやさんの様に...
東大の哲学科を卒業して、出家するとか宗教へ入る踏み台に使うなら...
でも、ただ哲学って思考の繰り返しを延々とやっていたってしようがないと
思う。結局、思考は過去のコピーにすぎないって事にもう気づいてもいいと
思うのだけれど...みなさん、J・クリシュナムルティ―って知っていますか?
彼もシュタイナーと同じく哲学のほうで、分類されていたりするのだけれど...
特に日本の哲学者って嘘っぽい。町○さんとか、頼むから何とかしてくれや!!
120名無しさん:2001/05/02(水) 23:58
>>115
逆ならまだ分かるが・・・。
はっきり言ってやってけないです。
121考える名無しさん:2001/05/03(木) 03:48
数学は実生活上でほとんど役にたたないが、
ロジカルに思考する能力を養う。
哲学も、そういう役割を担っている。

もし、人類が食料とエネルギーをほとんどただで
入手可能となり、一日の労働時間が3時間になったら、
余った時間の内2時間は瞑想と哲学に費やす法律を作りたい。
122_:2001/05/03(木) 03:58
 精神安定上、哲学の追求が役立つ人間もいます。
 生きていく上で、哲学は必要です。
>>121
 ギリシャ時代に哲学、数学が発展したのは、
 奴隷制によるところが大きかったはずです。
 生きていく上で必要な労働をする必要がなくなった人達が、
 娯楽の一種として始めたのが数学であり、哲学なのでしょう。
123121:2001/05/03(木) 03:59
>>119
意識のスペクトルを上げるのに、思考を止める訓練が重要。
他方、環境適応能力向上のため(食料、エネルギー、エコロジー)、
ロジカルな思考も必要で、バランスが重要と思います。
従来は、圧倒的に後者偏重ですが。
124121:2001/05/03(木) 04:15
>>122
娯楽に同意。しかも御利益として、ニューロンネットワークが
活性化され、賢くなって、しかも長生きになる。
お金もそんなにかからないし。
125110:2001/05/03(木) 04:49
>>111
もちろん1にです。
改行前の台詞だけあなたに宛てたものであります。

>>115
あなたにのっての錆が、誰かにとっての武器でもあります。
126110(汗:2001/05/03(木) 04:49
正:あなたにとって
127能有りさん:2001/05/03(木) 09:13
>>121>>123

日常でも「観想」という方法で、瞑想はできます。ひたすら自分の意識に流れる
恐れや嫉妬、憎しみそれらをただ見つめろ!と...。そうすれば、それはたちど
ころに消えていくだろうって...マントラを唱えながら仕事をするのも、
自我に囚われない一種の手段だと思うけれど...。日常でもできますよ。(藁
もし人が考えることをしなければ苦しみを感じないでしょう。不安も感じない
し快楽も感じないでしょう。かの有名なフランス人は「我は考える、故に我在
り」と言ったけど、それは間違いです。「我は考える、故に恐怖心をもつ」と。
まさに私達は考える事で不安感を持つのです。恐れは思考の産物で不安は思考
そのもの。問題は、人生を思考なしに、不安なしに経験することができるか?
ということ。恐怖心とはすべて過去において得た人生経験の結果です。私達は
過去を見ます。私達は過去の総計です。私達の存在はすべて、自分について
知っている事、生命について知っている事、人生に対処することを可能にしあ
らゆる経験、これらはすべて思考の結果です。それと>>119の文、訂正というか
修正したいです。誤解を生みそうなので...
J・クリシュナムルティー、シュタイナーの後に、特に日本の…って書いたので、
同じに批判しているようですが、前者は尊敬しています。後者は「糞」です!
128考える名無しさん:2001/05/03(木) 12:24
何で哲学科って文系なの?
数学も使わないし、遺伝子の研究や、脳の研究もせず、何が分かるんだ?
以外に君達が悪戦苦闘して、足りない頭で考え追求している事も、
理系では最早解決されてる場合もあるぞ。
もちろん理系でもまだ解決してないものもあるし、未完成な理論もある。
ただ、、、。もう一度言う。
なぜ、数学や、理系的手段を使わんのだ??
「答え」:文系で頭悪いから使えないんだもん
(w
129考える名無しさん:2001/05/03(木) 14:03

射撃の比喩の者です。ほうぼう勘違いゴメソ。

>>128
これって、けっこう一般的な感想かもしれない。
けど、ちょっと文系コンプレックスが見え隠れするよね。
何を必死に理系に上位を主張してるんだろう。
これって「どんな学問をやっても、原爆落としたら死ぬだろ」といってるような
もんだよね。
原爆落とすかどうかを決めるのは人間の決断であって、その決断を「理系的」
方法で導き出せるのかね?

わりと公平にものを言ってるつもりだが。

130名無しさん:2001/05/03(木) 14:53
>なぜ、数学や、理系的手段を使わんのだ??

理系的手段で解に近づくような問題は
陳腐なものばかりです。

まあ、必要であればつかいますし、
数学者であり哲学者という人は珍しくありませんが。

(君のにとっての哲学の定義またはイメージって何?
デカルトあたり?藁)
131考える名無しさん:2001/05/03(木) 14:59
理系だけど、129に共感。
しかし、18世紀のフランス啓蒙時代や19世紀前半のドイツ観念論の頃に比べて、
現在の哲学が見えにくくなっているのも現実。
手段の差異については、語弊があるかもしれんが階層の違いだと思うが。
132オイオイ!:2001/05/03(木) 15:59
>>129
>けど、ちょっと文系コンプレックスが見え隠れするよね。

理系がなぜ文系にコンプレックス??

>>130
>理系的手段で解に近づくような問題は
>陳腐なものばかりです。

それは、君達が間違った使い方をしているからじゃない?
文系が使う理系的手段の使い方はものすごく安易。
極端な例:
「身長と体重の関係は比例っぽいから比例の式にあてはめてみよう!よし出たこれが解。
でも現実と違うなあ。やっぱこれが数学の限界かな?」
↑オイオイ!
そして、「私は数学もできる。なぜならば、高校の時、数学が得意だったから。
しかし、数学はあまりに現実社会と合致しない。私は理系の限界を知っている」と言う。
↑オイオイ!
133_:2001/05/03(木) 16:44
>>128@`132
 過去レスを見ましょう。似たような問いが出ています。
 >>11-41@`>>49-55

 >>130は少々暴論だとは思いますが…。
 世界を理解する上でのプロセスの違いというものでしょう。
 アインシュタインの相対性理論は知っていますよね?

 『すべて、あらゆる観測には、観測者の主観が介入する』

 よって、絶対的観測は存在せず、すべて相対的観測である、と。
 理系的観測のプロセスは多角的に観測する事で、
 文型的観測のプロセスは観測者である、自分自身の主観を理解することで、
 より、絶対的観測に近づこうとするものでは無いでしょうか?

 ついでに。
 最先端分野の学者には、哲学が必須であるというのが実情です。
 医療分野、遺伝子工学分野なんかは特に。
 科学者にもやはりモラルが要求される時代なのですよ…。
134考える名無しさん:2001/05/03(木) 17:17
>>128
理学的手段に於ける存在的事実への精神外的接近に於ける認識構成は、畢竟、外化したる精神の疎外的自己構成に他ならず、精神そのものの自己反省における内反的揚棄に依る自己充足的存在構成としての認識即実在としての学を構成するに至らぬ。かるが故に、絶対的精神の学としての根源学に於いては、按ずるに、理学的被限定性の内に且つその内にのみ存立する所の学的手法に安んじて依拠しつつの精神の外化の具現にやすらう事を敢えて拒絶するのである。
135オイオイ!:2001/05/03(木) 18:05
>>133
>『すべて、あらゆる観測には、観測者の主観が介入する』

これが相対性理論の君の解釈?君こそ相対性理論知ってる?

>ついでに。
>最先端分野の学者には、哲学が必須であるというのが実情です。
>医療分野、遺伝子工学分野なんかは特に。
>科学者にもやはりモラルが要求される時代なのですよ…。

うん。これは認める。重要。
ただ、分かってると思うけど、哲学が科学技術の発展を促進してる訳ではないよ。
むしろ抑制している。
しかし、この抑制は大事だ。
俺も倫理を無視して科学技術を無意識に発展させることは良くないと思う。
136オイオイ!:2001/05/03(木) 18:08
>>134
オイオイ!
理系的手段を誤解してますなあ。>>132を読め!お前はその部類の文系だ。
必要に応じて理系的手段も使いことに心がけよう。頑張れ!!
137名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 18:10
>>135
小さいとき僕もそう思っていました。哲学(文系)が科学を健全な方向に誘導してくれるものだと。
でも、なぜ人を殺してはいけないのですか?スレなんか見てると嘘っぱちなんだなぁと思う。
138オイオイ!:2001/05/03(木) 18:15
>>137
哲学と倫理と読み分けてもう一度読んで見てくれ。
139名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 18:21
>>138
あっレスどうも。137です。小さいときの感想を述べただけで、今は文系が科学を健全な
方向に誘導してくれるなんて幻想持っていません。
まぁ、理系対文系のような不毛な議論が起きるのも、理系が文系にそー言った点を期待している
からだと思います。余談ですね。

哲学と倫理を分けないと駄目だって事はこの板読むようになって解りました。
140_:2001/05/03(木) 18:34
>>135
 暴論…でしたか。
 一番印象に残ったのが確かそんな内容でしたので…。

>>139
 何が『良い事』で何が『悪い事』と判断するのが倫理学、
 『良い事』とは、何か。『悪い事』とは何か。
 善悪という概念が相対的である事を知るのが哲学なのでしょうね。
141考える名無しさん:2001/05/03(木) 22:42
>>140
相対的な視点を持つことは素晴らしいが
そこからさらに一歩踏み込んで人間的な視野での思考を展開することが大事

倫理学は哲学とは異なると言われるが、広い意味では哲学の中に含まれるものだ。
142名無しさんの主張:2001/05/03(木) 23:01
どう大事?
143名無し:2001/05/03(木) 23:03
現実から離れたところで抽象的になされた思考(哲学)も
現実におとしこまれなければ(倫理)、それこそ
何の役にも立たない。
そう考えると、むしろ倫理が哲学を内包してるといってもよい。
倫理はわれわれの根源的な動機に関わる。
144無礼講:2001/05/03(木) 23:05
そんなこといってるから、理想から遠くなるんだよ
145考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:07
哲学やってる奴って真理を追究するとか言ってるけど
哲学やってる奴の真理ってたいがい根本で間違ってる事が多い
んで根本で間違ってる真理をもとに思考を始める上、
あらゆる学問分野についての結果を引用するが、
大概誤解が激しかったり、なぜその結論を得たか(プロセス)が大事なのに、
結果だけを重宝し、後に誤爆する。例:>>140
146_:2001/05/04(金) 00:18
>>145
 反省。しかし、そんなに間違ってたかね…?
147考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:22
結論もプロセスも大事だっつーの。
148_:2001/05/04(金) 00:24
>>143
 あ〜。
 ちなみに私は哲学はタダの暇つぶしとしか捕らえていないので…。
 哲学の発祥がそもそもそんなですし…。
 哲学というのは何かの役に立てるための学問という気はしませんが…。
 倫理学を真面目に考えるのは、哲学に飽きてからで結構です。
149無礼講:2001/05/04(金) 00:27
倫理か
150考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:29
>>148
そんなに暇なの?
151無礼講:2001/05/04(金) 00:30
暇をつくろう
152_:2001/05/04(金) 00:31
>>150
 今のところは。
153考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:32
>>148
ということは「哲学は暇人の暇つぶし」ということになりません?
154考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:33
結論:哲学は暇人の暇つぶし
155_:2001/05/04(金) 00:34
>>154
 同意。
 腹の足しにはなりませんが、暇つぶしにはなりますね。
156無礼講:2001/05/04(金) 00:34
所詮人は皆究極的には暇。
157考える名無しさん:2001/05/04(金) 00:35
>>148
148さんは>>1のスレ名を肯定するという事ですか?
158_:2001/05/04(金) 00:36
>>157
えぇ。思考でお腹がふくれりゃ誰も苦労しないでしょうね。
159_:2001/05/04(金) 00:38
 あ〜。補足です。
 時間の無駄かどうかは哲学をする自分自身次第です。
 思索の結果、何か得るものがあったなら、ソレは決して無駄ではないかと。
160無礼講:2001/05/04(金) 00:41
無駄ではない
161能有りさん:2001/05/04(金) 01:21
>>153
「哲学は暇人の暇つぶし」 激しく同意!
162考える名無しさん。:2001/05/04(金) 02:19
まあ、逆にいえば
時間の無駄だから哲学できる
この時点で無駄にはならんけど
163無し:2001/05/04(金) 06:16
>>144
その理想って何じゃ。具体的にでも抽象的にでも言ってみてくれ。
164無礼講:2001/05/04(金) 08:37
みんな満足
165考える名無しさん:2001/05/04(金) 20:56
あんまり難しい事考え過ぎてたら、
最後は宗教とかに行き着きませんか?
166考える名無しさん
>>1
全面的に同意