2chらー版「憂国放談」

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1考える名無しさん
哲学板のみなさん、誤記源いかがですか。
諸氏の不快、失敬、深い洞察を生かして、
日本の時事問題について大いに語り尽くしませんか。
AAさんやTAさんよりも過激に舌鋒鋭く
しゃべり散らかしてみまそゆ。

まずは「日本の政治」についてです、どうぞ。
2考える名無しさん:2001/04/14(土) 14:27
蓮実■ 日本の政治を語る前に、その存在とその表象の手前にあって
なお、我々のまなざしを覆い被さるものをみつめていたい。
すなわち、日本の政治を語るにはまずもって世界資本主義の趨勢というものがあり、
その中ではじめて「日本」「政治」を位置付け、再定義しなくてはなるまい。
浅田■ いや、蓮実さんのおっしゃることもわかりますが、そこからはじめるとぼくの二の舞になるかとおもいます。
日本ではそうしたモダンな自己批判と自己純化の徹底の果てのポストモダンな身振りは
しばしば意味をなしません。むしろ、混沌としたものがやはり混沌として
いるという結論に至りつくばかりです。ならばむしろ近代とはこうだったのだからという教科書的な確認をし、
その内容との比較において、現在の政党政治とその腐敗ぶりとを打つべきではないか。先人の果たした仕事に対し
どう振る舞うべきかをもう一度考え直すべきではないか、その意味では現在の自民党はあまりになまくらでもう目も当てられないんですけどね。
柄谷■ 浅田くんは自民党ばっかりみてないでさ、たまにはNAMもみてよ。
浅田■ いや、柄谷さんそれは誤解であって、
田中■ 浅田さんはいつも東さんをみてるから(笑
浅田■ そう(笑)でもアイツ、呼んでもぜんぜん対談やインタヴューにこないなんてね。あれだけ人のこと批判しておきながら
そりゃないよね。ま、ぼくも少し言い過ぎたきらいもあって、(笑
柄谷■ あずまんはなぜNAMに入らないのか、それが目下NYでの話題なんだけどね。
    
3考える名無しさん:2001/04/14(土) 17:31
>>1
柄谷と浅田のなれ合いに蓮實が絡んでこないあたり、
けっこう再現度が高いですね、ワラタ。
4考える名無しさん:2001/04/14(土) 18:23
>>1
「TA」は「TY(田中康夫)」の誤り。失霊。
5考える名無しさん:2001/04/14(土) 18:37
>>2
いまはもう柄谷&蓮実が対談することはないのかな。
柄谷が映画を論じたとき「記憶」や「引用」などくだらない、あれが
日本映画をダメにしたなんて、蓮実のことを暗に批難してたもんな。
柄谷がNAMを始めたのには、蓮実が総長になったのも少なからず
その動機になってると思う。それに、田中知事や石原都知事にも触発されたのでは。
ともに文学やってた連中が揃って社会的地位のあるポストについたもんな。


6ぷはは:2001/04/15(日) 01:24
2>面白いので続けてきぼーん。
7考える名無しさん:2001/04/19(木) 11:34
支那人亜細亜的恥部!
支那馬鹿、糞!
極悪非道帝国主義支那西蔵占拠大虐殺
支那人去地獄、断回線乞首吊!
支那鬼子!支那人、男者男色、女者淫売、須之人肉食愛好国民。
支那人「屠殺」人間、之為食其人肉。
支那畜強欲無法者。全世界的敵。
中華人民共和国是二十世紀最大的悪性国家。
歴代主席都是全世界人民的敵人。
江沢民、他就是中共狗種、日本正義人士イ門大家一起来干他娘!
日本人民、台湾人民団結起来一起攻打中国大陸!
解放西蔵、新彊維吾尓的人民!
8考える名無しさん:2001/04/19(木) 12:57
だから蓮實
9島用雅彦(青二才):2001/04/22(日) 23:31
>>5
>柄谷がNAMを始めたのには、蓮実が総長になったのも少なからず
その動機になってると思う。
そうかもしれないですね。
でも,柄谷が南無してるのは,高い地位を得たいっって理由からじゃないと思い
増田明美。
10:2001/04/23(月) 03:43
>>7

柄谷は原理に遡行する。普遍的な真理をさぐる。
そして畢竟、超越論的なものに辿りついた。
ニーチェは「知への意思」は「権力への意思」だということを言ったけど、
そのテーゼは柄谷の知へ情熱のありかをもまた説明する。
権力志向の強さこそが、彼をして現実的におかれる権力関係を超えさしめ、
「絶対的な」権力、絶対的な地位を求めさせる。
知のレベルでの勝利する者は、現実の力関係に左右されずに常に君臨しつづけることができるのだから。
過去の実例をみても、宗教者(この場合「真理」または「知」を握る権力者)
の方が為政者よりも上位にすえられていた歴史的事実もある。
もちろん、その権力性があくまでも「知」のレベルに収まっているならば
何も問題ないが、それが実際に社会的影響をもつ運動として立ち現れてきたならば、
われわれは上のような認識を念頭に、うけとめた方がいいと思うのである。

以上が、柄谷に必ずしも当てはまるかどうかは別に、
「知」と「権力(志向)」との関係性の問題をちょっと言いたかった。
11RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 03:51
ニーチェなんかを偉そうに出すところがオヤジ丸出しだな。
あ〜ハズカシイ。
12考える名無しさん:2001/04/23(月) 03:52
放談→呆談

シノーポリさんの御冥福をお祈りします
13考える名無しさん:2001/04/23(月) 04:14
>>11
最近、あちこちのスレで見かけるが、
鉄板でお前みたいな運動をしても何の効力もないよ。
論理に怒り(感情)を対置させるのはありふれてるし、
その対立の構図も哲学は先取りしている。
もう一度戦略を立て直してから来い。
14RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 04:17

哲学に自己同一性を求めちゃうあたりがお子様だね。

悪いたぁ申しませんが。
>>13
 ぷぷ。それは違うよ。
 怒りこそ論理なのだ。坊ちゃんには分からんと思うが。
 それと5にたいしてひとこと言う。
 超越論的だろうが原理的だろうが、そんな机上の権力なんぞダニも殺せない。
 知のレベルの権力なぞ哀れなものだ。ハイデガーを見ろ。
 まさかカラータニはいまどき哲人政治をするつもりじゃあるないね。
 この先NAMがどれほど大きくなるか分からんが
 日本を変えたいと思うなら最初から既存の政治システムのポストをねらったほうが話は早くないのか?
 衆議院でも立候補したほおうがよろしいのじゃないのか?

 ホンモノとニセの判別もつかない13は言うまでもなく俺の視界にはいない
16RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 04:39
日本は江戸時代から全く変わってとか言う電波さんが出てくるのは仕方ない事なんでしょうが
自分に都合の悪い変化を無視したり、懐古が増長して過去と現実を勝手に重ねてみたり。
はっきり言ってマスコミの餌を超える存在じゃありませんね。
同時にその存在が同レベルか、それ以上に愚かな人の餌であり巣であるってのも終わってます。
>>16
 おいおい俺を煽るんじゃねーのか急にマヂレスだな?
 お前のマヂレスなんぞ中身ねーし誰も聞きたくねーよ。

 ほれ、さっさと荒らせよ?
 お前の得意なコピペでな。ぶぶぶ。
18RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 04:45
まだ眠い。
19考える名無しさん:2001/04/24(火) 04:25
RAGEなんとかってお前ら二種類いるのかよ。
どうでもいいけどもっと面白いことしろよ。
20考える名無しさん:2001/04/24(火) 06:02
>怒りこそ論理なのだ。
かっこいい!
・・バカだけど
21考える名無しさん:2001/04/24(火) 18:15
小泉純一郎が新しい自民党の総裁に選出されたが、
現時点では評価出来ない。
22>21:2001/04/24(火) 18:35
まあ100日程度は評価は控えたいが、
現状においては、「現時点では評価出来ない」に賛成
23考える名無しさん:2001/04/26(木) 23:33
浅田 小泉純一郎が自民党総裁選で圧勝したね。でも小泉が急に人気者になってしまうなんてなんな            んだろうね。一般大衆は自民党がけしからんと思っている。現にけしからん。しかしその大衆感情に乗っかって、田中真紀子まで利用した人気取りに走るってのは、最悪のポピュリズムだと思うよ。逆説的だけど橋本派がこういうやり方を「ヒットラー的である」と言ったのは、ある種正しい(笑)。もちろん橋本派が一番悪いんだけど。ところが、マス・メディアはほとんど小泉人気に便乗してるでしょ?信じられない。

田中 拍手喝采の皆様は靖国神社の公式参拝を公言しているオッサンだというのを見過ごしているのかよ。まあ僕も2ちゃんねるでヒットラーであるなんて批判されてるけどね(笑)。

浅田 田中さんは、しなやか個人の連帯でしょ。小泉は大衆迎合だからね。

田中 小泉って若年層にも人気があるんだろ。元X−JAPANのメンバーが横須賀出身で小泉もファンなんだってさ。

浅田 小泉もJ-POP頼りのJナショナリズムなんだね。
24考える名無しさん:2001/05/02(水) 18:51
>>23
GQの?真似?
25考える名無しさん:2001/05/03(木) 18:36
浅田■ 柄谷さんのエッセイが現在確実に読めるのはここ、ナムのホームページだけなんですね。
http://www.nam21.org/にある「孤立を求めて連帯を恐れず(T)」
http://www.nam-homepage.f2s.com/namfiles/essay-k2.htmが最新ですけれど
ちょっとお伺いしたいことがあるんです。いいですか?
柄谷■ ぼくが浅田くんからの頼みごとで断わったことってある?でも、今は忙しいからまた今度にしてよ。
ぼくがここでいいたかったことは、特に、「孤立を求めない者が、どうして連帯できよう。連帯を軽蔑するような奴らは、
本当は、孤立を恐れているだけなのだ。その証拠に、連帯しない代わりに、彼らは群れたがるのだ。」というぶぶぶ。
重要なことは、ただ一つ、NAMは自己という力能を各自が持ち寄り発芽させる場所であるということです。日本ではとくにですけど、
まあどこでも事情は似たようなものだが、プロジェクトを提案し賛成し運営するという、はじめの一歩は
表面的には「浮く」「孤立する」ように見受けられるわけです。基本的土壌が、なにもしないできないことの同盟関係だからです。
だから、表面的には各自が新しい群れ方をそれと知らず主張しあうことで自立的だ、自立的な個人の集団だ!とかって
威張りあっていることにより、その実、群れているわけです。日本では特に、こうしたねじれが絶えず問題化する。
しかし、私たちはこうしたくだらない問題に足をすくわれてはいけない。そんなひまなどないのだから。
ねじれも、群れも、どうでもいい。ようはそんな問題を魔に受けることなく、プロジェクトを推進する条件をしずかに
構築し準備すればいい、それだけのことだ、だから、あのエッセイはさほど真に受けなくていいです。これまでずっといってきたいつもの愚痴ですから。
ただ、種ティルナーの理論を吟味してるとなかなかどうして、事態をうまく整理して説明できるんじゃないかと思ったわけですよ。
こういう言葉による概念上の腑分けをさせたらぼくは天下一ですから。しかし、話はわかった、じゃあどうすればいいのだ?などときかれると、
ぼくだって「ううん」というよりない。批評だけ読んでいて作品を作れるとか、実践ができるようになるとか思い込んでる
馬鹿はほっとくわけです。
浅田くんふうにいえば、群れるのかそれとも孤立するのか、自律か他律か、連帯か群れや馴れ合いか、といった対立は
よくよくみておかないとそのいずれを意識的に選んでも結果としてはその逆になってることも多いわけだから、
「かってにすれば?」となるわけ。
浅田■ ええ。そうかもしれません、いずれにせよ、唯物論ていうのはそういうことなんで、つねにすでに思ったようにあるわけでは、ないかもしれない、と。
だから、あるものがあるとして、そのものがおかれているシチュエーションだとか、文脈だとかそういう場所とその性質を
たえず吟味しつつ、複眼的に--つまりボケつつ突っ込みつつ--ふるまわないと、これた”!と思ったやり方がその逆の効果を
担うこともありうるんで、注意しなくてはいけない。といって、あまり注意しすぎると無限に注意することになりまるで動けなくなるから、
ほどほどにしておかなくてはいけない。価値や貨幣を論じる仕方にしてもマルクスのように、絶えず文脈などの場所をわきまえつつ
その理論を--理論、まあ、フィルターというか色眼鏡ですけど--価値形態論と労働価値説とを使い分けることにもなる。
どんな理論も長短あるんで、ある事柄がよく見える理論であればあるほど些細な、しかし無視できない事柄を見過ごすことにもなる。
そういうことに気づかなくてはいけない。教科書では、貨幣なら貨幣を説明するいわば唯一の理論はこれまではこうだった、
しかしあれの登場以降、これになった、しかし現在ではそれも否定され、、、という具合に変遷振りを描く。しかし、こういう、
時代ごとの支配的な、唯一の理論なるものがあるとする想定は、知に関する把握と理解と整理には長けていても
政治的実践にとってはつねに邪魔なものなんですね。だから、そのことを学習者はつねに肝に銘じておく必要があると
そういわれつづけてきました。そして、それはとても困難でもあるといわれつづけてきた。なんだかんだで、その時代時代を
制する理論はまぶしいくらい美しく、反面で抑圧的ですからね。なかなか器用に振る舞うことを許してくれない。
ですから、柄谷さんがある意味で、何度か転回なさってきたこの軌跡をふりかえるだけでも、学習者としてはかなり参考になるんです。

26考える名無しさん:2001/05/03(木) 18:46
柄谷■ ぼくも自分でそう思うよりも群れてるかもしれないが、そんなことを認めると
ぼくが切断--抑圧してきた連中が嬉々としてかまってくんになってなんかいってくるし、どうせ群れてしまうだろうから、
それは公式には認めない。我々は断固として群れない。群れたこともない。それだけです。
27名無しの感想:2001/05/03(木) 19:42
>>25@`26
浅田さんが自己の資質を「学習者」と自己規定してるのが、なんか感じ入る
ものがあったし、また柄谷さんはここで紹介されてるエッセイで、
バラバラの個人を逆説も駆使しながらなんとか取り込もうとしてるのかな
と思った。80年代から90年代をとおしていったんバラバラに解体されて
しまったものを再編成しなければならない厄介さを痛感してるのではないか。
長年のツケを支払うのは大変だと思います(おれもおれ固有のツケを抱えてる)。
28sage:2001/05/21(月) 23:48
NAM柄谷は蓮実や田中というよりFSF及びGNUの
リチャード・ストールマンを意識してると思うなり。
Linuxの話もしてるし。でも使ってはなさそうね。
29考える名無しさん
Emacs萌え
age