勤労道徳いらない。

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1考える名無しさん
働きたいやつだけ働け。
2考える名無しさん:2001/03/23(金) 19:20
こんな糞スレしか立てられないお前は即刻タンクトップと短パンに着替えて
公園で走って来い。ボケ。
日頃感じているストレスを忘れるほどに無心で走れ。ボケ。
5kmほど走った時、お前はある人物と出会う。ムロさん(自由人)だ。ボケ。
挨拶もそこそこに貴重な酒が振舞われる。絶対飲め。ボケ。
飲んだ者だけがムロさんの家(ムロハウス・ビニール)に招待されるんだからな。
ボケ。
そこでムロさんによるありがたい説教をうけろ。ボケ。
お前はそこで気付く。知らず知らずに涙が頬を伝っていることにな。ボケ。
お前はそこで気付く。自分がいかに愚かだったのかということにな。ボケ。
説教をうけたら、感謝の気持ちをこめてタバコを差し出せ。ボケ。
言葉は要らない。それがムロさん(フリーマン)への礼儀だ。ボケ。

ムロさんの言葉を噛み締めながら家まで走れ。ボケ。
大きくなって帰ってくるお前をここで待ってるぞ。
31:2001/03/23(金) 19:31
わかった。待っててくれ。
4考える名無しさん:2001/03/23(金) 19:44
>>1に同意。
5OFW:2001/03/23(金) 21:23
労働(Work)はまず、人間の必然(必要)として存在する。
それは個体の物質的な生存を維持するために、生活手段を生産しなければ
ならないという点において、人間に課せられた単純な自然的条件である。
そして古来より、人間は協働という形態で生産を営んできたが、それは圧倒
的な自然力の前では、明らかに個体の生産能力のみで個体を維持することは
不十分であることから来ている。
自然との交渉、それとの物質代謝過程において、個体は他の個体との関係に
入る。共同体とは、まずもって生産共同体として歴史に登場したのである。
そして、共同体の掟とは、互いに協力関係を結ばなければ、成員の生存が維
持できないという、自然的な厳然性として共同体の必然であったろう。
「自由な個人」などという虚構は、歴史のずっと後において誕生するのであ
り、産業革命と交易によって、社会的な生産力が飛躍的に増大した近代以降
のものである。それは、むしろ圧倒的な迄に緊密化した社会的分業の存在を
前提しており、商品と貨幣(一般的等価物)によって覆い隠された人間社会
の共同性を、否定的(他者化された)形態で主張する。実際、その内実は
所有としての所有(私有)によって保証された、排他的自己を称揚する利己
主義に過ぎず、アダム・スミスが説いた「自愛心」も、階級対立の中では、
他者の労働を私有化する(労働力商品の購買と使用)という、搾取関係の正
当化でしかない。
労働とは、それにより人間が類として自由になるための媒介であり、個人が
他者との協働の中で、具体的・現実的に自己になり、その成果のうちに具体
的普遍としての自己を対象化させる行為である。
市場における商品の売買によって利益を得ること、それは実際には他者の労
働の成果を我が物にするということであり、その根拠である類的・共同的労
働の蔑視であり、畢竟、労働者階級への敵対行為である。
現代の疎外された社会における勤労道徳の主張は、まずもって「働かざる資
本家は食うべからず」という点から始め、賃労働(労働力商品)の廃止へと
進むべきであろう。
ブスは車でいうと国産の小型車だ
手に入れやすいし維持費も掛からない
飽きても直ぐに乗り換えられる
道路の走り方を覚えるのに最適だ
見た目はあまりよろしくないが
何時か高級スポーツカーに乗れるようになるその日まで
ボクは恥を忍んで経験を積み続ける
7考える名無しさん:2001/03/23(金) 23:41
>>5

>他者の労働を私有化する(労働力商品の購買と使用)という、搾取関係の正
当化でしかない。

もう少し詳しく、商品としての労働/労働力と言う事ですか?
有産階級/無産階級、不変資本/可変資本、外在化・物象化・疎外
といった意味で仰ってるのですか?
8考える名無しさん:2001/03/23(金) 23:58
>>5
労働は自由への道と言うわけですか?
9考える名無しさん:2001/03/24(土) 00:14
>5
共産党の方ですか?
10名無しさんの主張:2001/03/24(土) 00:38
共産党の人々って労働者なのかのう…?
マルクス=大英博物館の紙魚=働かないオタク
11考える名無しさん:2001/03/24(土) 00:45
インターナショナルでも聴いて、奮起したまえ。
12考える名無しさん:2001/03/24(土) 01:58
OFW氏って、以前の現象学スレにも出てきて
文体に関する非難を浴びてたと思うんだけど、
そのときからマルクス主義者ってことを隠しはしなかったよ。

哲学板では数少ないコテハンの一人なんだから、
主義信条に関わる突っ込んでも仕方のないところは突っ込まずに、
もっと建設的な話をしようよ。
イヤだったら別にいいんだけど。
13OFW:2001/03/24(土) 10:54
>>7
>もう少し詳しく、商品としての労働/労働力と言う事ですか?
 賃労働は通常、労働力市場における使用者と労働者との間での自由な雇用
 契約による等価交換とされていますが、何と何を交換するのかを考えて見
 れば、それは“裸の労働力”の一定量を貨幣と交換するという点にあるこ
 とが分かるでしょう。賃労働者は“自由な”商品です。
>有産階級/無産階級、不変資本/可変資本、外在化・物象化・疎外
 まず、階級とは“生産手段の所有/非所有に基づく社会成員の区分”です。
 資本主義社会では、資本家階級と労働者階級が基底的・本質的な階級であ
 り、両者は弁証法的な対立関係に置かれています。そして、その他の階級、
 自営農民、自営業者、自由業等は中産階級と呼ばれ、不安定な動揺のうち
 にあるメンバーでしょう。財産の有無は結果であり、原因ではない。
 次に、「外在化」「物象化」「疎外」は相互に関連する概念ですが、
 外在化(外化)とは、可能的・潜在的な存在が現実的・顕在的になること。
 物象化とは、人と人との関係が物と物との関係として現象するという、近
 代特有の疎外の一種であり、資本主義社会の全体に及んでいる(例:貨幣
 物神、俗物性(スノッブ)、官僚主義、システム主義、業績主義)です。
 疎外とは、自己の本質の外化がその喪失として現象する、ということです。
 畢竟、それは労働(対象的な生産活動)の疎外に根拠を持っている。
>>8
>労働は自由への道と言うわけですか?
 そうですね。国会図書館のカウンターの上には、
 「真理は我らを自由にする」
 という標語が掲げられていますが、精神論としては正しい言葉も唯物論と
 しては、
 「労働は我らを自由にする」
 が正しい。もっとも、これはヒットラー・ナチが強制収容所の門の上に掲
 げたものと同じですが…。
14OFW:2001/03/24(土) 10:54
>>9
>共産党の方ですか?
 じぇんじぇん違います。日本共産党は共産主義政党ではありません(これ
 ホント)。精々社会民主主義の党でしょう。
>>10
>共産党の人々って労働者なのかのう…?
 一般党員はそうでしょうが、指導部は「職業政治家」でしょう。
>マルクス=大英博物館の紙魚=働かないオタク
 最近の風潮の受け売りではなく、自分で調べ、考えましょう。あなたが
 労働者(サラリーマン)あるいは将来の労働者である学生さんなら、自分
 がなにものであるかを正しく理解することは、実践的な課題です。
>>12
>もっと建設的な話をしようよ。
 そうですね。近代的な労働倫理については、何と言っても、西欧の国民精
 神の基調ともなっている、フランクリン、ジョン・ロック、アダム・スミ
 ス等のものが代表でしょう。
 フランクリンの13徳は、節制・勤勉・質素を精神的支柱とした、近代的
 市民(ブルジョア)の普遍的倫理であり、また国王や教会という不労所得
 者ではなく、労働と私有に基づく理性的で勤勉な市民が社会の主人公だと
 説くロックの哲学は、まさに近代精神そのものです。そこでは、私有の権
 限(根拠)が排他的な労働に置かれているが、おもしろいのは、交換(譲
 渡と取得)による富の蓄積を「黙契」(暗黙の契約)として正当化してい
 る点。それは資本主義的「私的所有」が決して正当な等価交換に基づく
 ものではなく、暗黙で間接的な強奪あるいは奴隷売買によるものだという
 ことを、恥ずかしながら、認めたわけ。言語一元主義ならば「私的言語の
 不可能性」と呼ぶ同じ事柄が、非言語的な労働における「所有の私秘性、
 交換の不可能性」であることが、ロックにおいて読み取れます。哲学者と
 違い、労働者はおしゃべりをせず、黙々と働く。それは殆ど語られること
 がないが、社会の唯物論的な基礎として、働くもの(現実的なもの)です。
15考える名無しさん:2001/03/24(土) 11:05
デリヘルやってるけど、思ったより稼げないよー。
店側と取り分が半々って納得いかないんだけど。
80分25000稼いで、取り分が13000って・・・。
やっぱり取られるのが嫌なら、自分でやるしかないんだよね・・・。
風俗嬢のみなさん、損してるって思わないですか?
16日本@名無史さん:2001/03/24(土) 11:32
風俗嬢は人間のクズ。
まともな人間ならいくらお金がなくてもできないはずだ。
17考える名無しさん:2001/03/24(土) 11:53
>16
ブス女と結婚した駄男発見!
18>15:2001/03/24(土) 11:55
哲学的解答では御座いませんが、
>>15
風俗サービス業に携る方が労働闘争に参加されるには、法的保護を前提とされなければならないでしょう。

欧州の様に売春業を課税対象として認可制を義務付け市民権を与えています。
日本の様な国では、個人の風俗営業行為は法的に認められていない為、風俗店の認可制になっています。
これは、組織を重んじる国柄とは言え暴力組織等の運営資金獲得の温床となってしまいます。
仮に個人営業の認可制にすると、この様な組織は従事者を縛り付ける事が
出来なくなり所謂、「ピンはね」が出来なくなり困るでしょう。
後は、暴力威嚇行為による所場代等に頼らざる得ず警察と戦う事になります。

普通の労働争議等は法整備等がしっかりし歴史もある為、利権の衝突回避のシステムが
出来ておりますが、仮に風俗営業従事者が労組等を組んで労働争議等やると、暴力団等と
直接に係争する事となり、警察等の国家権力の介在無くしては大変危険です。
また、女性差別問題とも絡み前途多難が予想されます。

今現在転職して収入を得られない場合を除き、店側と交渉して賃金等で改善が見込めず、
不満ならば転職をお薦めします。

出来れば法律板等で伺うのが良いと思われます。
19考える名無しさん:2001/03/24(土) 11:58
なんと今はVIP専用援交クラブをやってるそうだ。
売れっ子のAV女優などを政治家などのVIPなどに紹介しているらしい。1人6万円。
ソースは週刊現代。マジだったらぜひお願いしたい。
20:2001/03/24(土) 14:32
>>14
ありがとうございました。

次に雇用契約における、労働者/労働力の欺瞞性や、結果としての剰余価値の創造、
また、それらの価値が再生産の為の設備投資に転化されることによる疎外状況について
お話して欲しいのですが...
21nanasi:2001/03/24(土) 14:54
age
22考える名無しさん:2001/03/24(土) 20:19
>>1
レッド・フラッグでも唱って奮起したまえ。

マスコミ板にでも逝け。誇大妄想癖持ちの電波君。

24考える名無しさん:2001/03/24(土) 20:45
>>15,>>19
「PINKちゃんねる」から荒し出張、ご苦労様です。

>>OFW氏
せっかくOFW氏が登場されているので反論したいと思います。
理解は誤解の払拭により深まる。拙いですが、ご勘弁を。

歴史的自然史的に共同体が必然だとされていますが、では人間は
必ずしも共同体を必要とするのでしょうか?
個体からすれば共同体の目的は生存する為であり、精神発達過程
に必要な諸経験を得る為の場であり、自然との物質代謝過程で
必要とされる物である事は同意します。
ですが個人が必要とする諸条件と共同体が営まれる諸条件は必ず
しも一致しません。共同体がシステムとして機能しなければなら
ないのは個人が必要とするからで、それ以上でもそれ以下でも無
いと思うのです。果たして現実はその様ではありません。
私はこの点に、イデオロギーとしての共同体主義に欺瞞を感じる
のです。OFW氏が考えておられる労働者の共同体とはどの様なもの
ですか?
個体が生存する為に共同体があるのか、共同体が運命付けられた
(必然の)ものとして個体があるのか?
最も基本的な部分ですが私は別の可能性を考えてしまいます。
アナーキズムや個人主義では無く強大な暴力装置としての権力
構造を生まない緩やかな個人主義は氏の結論からブルジョワの
欺瞞であるとされてしまうのでしょうか?
別の可能性として科学技術が可能とする高度情報化社会でも同様
の理論展開が可能でしょうか?

他の方の質問の邪魔になりそうなので、一段落したら教えて下さい。

自分の考えが無いから質問で煽って間を持たせようってんだな。

頭の悪い奴の考えそうな事だ。
26OFW:2001/03/24(土) 20:58
>>16
>風俗嬢は人間のクズ。
 それは言い過ぎだ!
 確かに、カネでは売買できないもの、してはならないものがある、とは
 倫理的な言明ですが、貨幣、資本という物象的な力の前では、すべての
 人間はモノでしかない。
 「資本家とは資本の人格化に過ぎない」(マルクス)
 サラリーマンと風俗嬢の違いは、見かけ程大きくはないでしょう。
>>20(7)
 いわゆるマルクス経済学的な議論については、下記サイト(石塚良次氏)
 を参照下さい。とても良くまとまった講義要綱です。
 http://www.senshu-u.ac.jp/~the0393/99/lec/met1_14.htm

 但し、労働の“哲学的な”意義といった点に関しては、労働者自身が自ら
 の存在の根拠を反省し、自分達こそが歴史と世界の主人であることの自覚
 が重要でしょうね。
 「哲学は労働者階級を止揚せずには自己を止揚できない」(マルクス)。
27>25:2001/03/24(土) 21:07
おやっ!
読んで理解している様な口ぶり。
わざわざレス付けるとは、何か意見でも御有りですか?
他の板の住民を名乗る方よ。
28考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:12
>>25
キミ、
「(●´Д`●)リュシスたん萌え〜」
だろ。
29考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:15
そもそも労働とは何だ?
勤労なしに一生を全うする世界は考えられないか。
30考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:17

働けよ駄男が。
31考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:23
>>30
キミ、
「(●´Д`●)リュシスたん萌え〜」
だろ。
32考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:25
今村仁司萌え〜。
3320:2001/03/24(土) 21:59
>>26OFWさん
レス感謝します。
ご紹介のサイト拝見させていただきましたが、労働経済学的な観が強いように思えます。
あれではゼロサム関係にマルクスを収斂させてるのではないのでしょうか?
そうではなく、商品論によって発見された価値の源泉としての時間や
これを梃子に展開されるマルクスの弁証法を語って欲しいのですよ。
煽りでもなんでもありません。これは非常に重要なことだと思います。
34OFW:2001/03/24(土) 23:10
>>24
>人間は必ずしも共同体を必要とするのでしょうか?
 必要でしょうね。個体としての人間とは類としての人間の現存在であり、
 それは、人類全体の内容・成果が個人において“実現” しているという
 ことです。
>個人が必要とする諸条件と共同体が営まれる諸条件は必ずしも一致しませ
>ん。
 それはその通りであり、永遠に“一致”はしないでしょう。しかし、諸個
 人は共同体において生まれ、主体として共同体を発展させ、そして次代に
 それを伝える。個人と共に共同体も発展するのです。具体的普遍とはその
 ことを言い、諸個人間のコミュニケーションが弁証法的な統一の条件です。
>共同体がシステムとして機能しなければなら ないのは個人が必要とする
>からで、それ以上でもそれ以下でも無い
 それは個人と共同体との関係を外的なものとみる、近代特有の考え方です。
 近代的個人が自由な主体として振舞えるのも、実際には生きるために必要
 な商品が市場に存在するからであり、一般的等価物としての貨幣を所有し
 ているおかげ。そのため、個人は社会から自立して生きているという錯覚
 が生じ、社会は単なる必要物を提供する便宜的なもの、と表象される。
 それは“give and take”という利己主義的な社会観です。その結果、逆に
 社会の方はシステムという全体的・物象的な存在として、個人に対して超
 越的なものとして迫り、全体主義的な非合理主義となって復讐を遂げた。
 また人間社会の機能主義は、いわゆる社会システム論といった物象的・官
 僚主義的な発想を生み、個人をますますアトム化した手段にしてしまう。
35OFW:2001/03/24(土) 23:10
>>24(つづき)
>労働者の共同体とはどの様なもの ですか?
 「個人の解放は社会の解放なしにあり得ない」という言葉があります。
 現在でも労働者は(分業という形態での)共同体を形成している。ただし
 それは、市場という転倒した現実により隠され、無秩序な自然状態に置か
 れているわけですが。それを自覚的なものにすることは、社会のすべての
 物質的・精神的な豊かさを、諸個人の協働的・創造的な働きの成果として
 享受することになるでしょう。そのためには、労働者間の連帯が不可欠で
 あり、そこから「我々は一つである」との類的な自覚が生まれるでしょう。
 たとえば、国家主義者はそれを言うが、国家とは幻想的実体として種的な
 存在でしかない。「全体は存在しない」のです。
>個体が生存する為に共同体があるのか、共同体が運命付けられた (必然
>の)ものとして個体があるのか?
 「必然とは盲目である。それは自己を知らず、外的な運命として個人を
 突然襲う」(ヘーゲル)。必然性と言っても、外的な必然性と内的な必然
 性があります。内的な必然とは、類的な本質を自己のものとして生きる
 個人の魂、とでも言えるが、それは別名「客観的精神」と呼ばれます。
 (近代人の偶然的自由にはこの手の“大いなる精神”は理解不可能?)
>緩やかな個人主義は氏の結論からブルジョワの 欺瞞であるとされて
>しまうのでしょうか?
 山崎正和流ですか?「緩やかな」という感性的な表現には、「現実的な」
 との表現を対置すべきかな。繰り返しますが、全体主義は共産主義とは
 無縁の観念論ですが、近代的な個人主義も抽象的な観念論です。
>科学技術が可能とする高度情報化社会でも同様 の理論展開が可能でしょ
>うか?
 たとえば、“嫌な”労働はすべてロボットがこなし、人間は個人として自
 由(暇時間)を満喫できる理想社会が到来したとして、人間は何をするの
 でしょう?労働の必要とは、労働以外の余暇に向かうのではなく、労働
 (仕事)を内的な生命欲求の自由な発現にすることでしょう。
36OFW:2001/03/24(土) 23:23
>>33(20)
>商品論によって発見された価値の源泉としての時間やこれを梃子に展開
>されるマルクスの弁証法
 労働価値説ですか。哲学板で何回かカキコしたが、あっと言う間に沈んで
 しまいました。さしあたり、経済板での議論を参照下さい。
 http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=eco&key=977618388
 質問は改めてお願いします。ちょと、疲れた…。
37考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:21
社畜になったら、いつ歯医者に行けばいいのだろうか。
時間なんて無いだろうし。
社畜は嫌です。

社畜になったら、いつ寝るんでしょうか。
時間なんて無いだろうし。

社畜になったら、いつ飯を食うんだろうか
時間も金も無いだろうし

社畜になったら、いつ音楽を聴くのだろう。
社畜になったら、いつ本を読むのだろう
社畜になったら、いつ絵を描くのだろう
社畜になったら、いつ笑うのだろう
社畜になったら、いつ泣くのだろう
社畜になったら、いつ2ちゃんできるのだろう
社畜になったら、もう人間には戻れないのだろうか

社畜は嫌です
38考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:36
>>33
社会に出る前から、あなたが列挙したことをろくに
やっていないようなひとがあなたの言う社畜になるわけです。
39考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:41
歯医者っつーのがリアルだな。あれって一回で治せんもんかね。次はいつ来ますかだのなんだの。
む!深夜営業の歯医者ってかなり儲かるかも。
40考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:42
この世に不要な労働がないことを祈りたい。
41考える名無しさん:2001/03/25(日) 01:46
社畜上等。
貯めるだけ貯めたらまた大学行く。
卒業してまた貯める。
一生これ。
42OFW:2001/03/25(日) 09:48
>>37
>社畜になったら、いつ歯医者に行けばいいのだろうか。
 場所にもよりますが、会社の近くの歯医者の予約をとって、30分〜1時
 間位、勤務時間中に抜け出すことは、大体皆やっている。
 (勤務時間中の私用外出扱い、あるいは会社も大目に見る)
>社畜になったら、いつ寝るんでしょうか。
 以前よりも平均労働時間は減少しているが、中小企業の状況は相変わらず
 ヒドイもの。月間残業時間が50時間を超えると、帰宅時間は9時以降
 になる。通勤時間はむしろ伸びている。
>社畜になったら、いつ飯を食うんだろうか
 朝飯を抜く人は多い。社員食堂がない場合は、昼は弁当(自前、仕出し、
 コンビニ)か街の飲食店を使うがやたら集中して混む。飲み屋で晩飯を済
 ます御仁も少なくない。カップヌードルやパンは残業時には必需品かな…。
>社畜になったら、いつ音楽を聴くのだろう。
 ウォークマンの登場以来、深夜残業中のリスニングも技術的には可能です。
>社畜になったら、いつ本を読むのだろう
 サラリーマンは余り本を読まない。スポーツ紙、経済新聞、「これからの
 ビジネスは○○しかない」といった時流もの、あとは通俗小説位、かな。
>社畜になったら、いつ絵を描くのだろう
 何の絵?大企業には絵画クラブなど各種同好会はあります。
>社畜になったら、いつ笑うのだろう
 営業上はいつも大声で笑っている。
>社畜になったら、いつ泣くのだろう
 “女の子”も最近は泣かないなぁ。無表情人間が増えた。
>社畜になったら、いつ2ちゃんできるのだろう
 勤務時間中に私的にインターネットを使うことは、禁止です。
 (余り守られていないようで、会社も監視を強化している)
>社畜になったら、もう人間には戻れないのだろうか
 “会社人間”が定年を迎えた場合、何が残っているかな?
43考える名無しさん:2001/03/25(日) 10:27
>>40
不要な労働ばっかし
消費社会って欲望喚起システムじゃん
4433:2001/03/25(日) 12:43
>>36OFWさん
なるほど、
貴方と宇野、広松、岩井らとの相違点が分かりました。
確かに彼らの見解は変ですよね。
45考える名無しさん:2001/03/25(日) 18:14
>>37
社蓄ってさ、仕事以外に興味のあることがほとんど無い人なんだよ。
社蓄から仕事をとったら何にも残らないし、誰にも相手にされない。
かわいそうな人たちです。ここに書き込んでるような人は、社蓄に
なろうと思ってもなれません。多分。
46考える名無しさん:2001/03/25(日) 19:34
(゚Д゚) (゚Д゚)
(゚Д゚)  (゚Д゚)   (゚Д゚)(゚Д゚)(゚Д゚) ???????
(゚Д゚) (゚Д゚) (゚Д゚) ?? ??
(゚Д゚)   (゚Д゚)  (゚Д゚)(゚Д゚)    ??
(゚Д゚) (゚Д゚) (゚Д゚) ??
(゚Д゚) (゚Д゚)  (゚Д゚) ??
(゚Д゚) (゚Д゚) (゚Д゚)
(゚Д゚) (゚Д゚) (゚Д゚) ??
47考える名無しさん:2001/03/25(日) 19:47
48OFW:2001/03/25(日) 21:56
>>45
(横レス失礼)
>社蓄ってさ、仕事以外に興味のあることがほとんど無い人なんだよ。
 と言うより、会社と自分を一体化させて、会社の仕事以外に興味を持たな
 い会社従業員のことでしょうね。仕事一般について言えば、四六時中、
 音楽のことしか考えない作曲家もいるから。ただし、すべてのサラリー
 マンは「賃金奴隷」だと言う事を忘れずに。
>社蓄から仕事をとったら何にも残らないし、誰にも相手にされない。
 日本は会社社会ですから、自営業や自由業(芸能人、プロスポーツ選手、
 著述家等)を除けば、個人には全く社会的な信用がない。サラリーマンは
 名刺の肩書きがすべてであり、まさに、裸の労働力しかもたない境遇にあ
 る。某革新政党が「市民と労働者の連帯を!」と言うように、サラリーマ
 ン(賃労働者)は、実質的には市民(ブルジョア)ではないのです。
49考える名無しさん:2001/03/25(日) 22:18
無言でまじめに働いている人って何か悟っている気がする。
覚悟を決めてるっつーか。
ここに書き込んでるやつはただのヘタレ。
50名無し:2001/03/25(日) 22:31
このスレ面白い(特に>>37 >>41 >>42 ドキュンなんで解かり易いのが好き(笑

最近の社会動向を見てると、>>37のひとが言ったみたいな、
学校→会社→貯金→学校→会社→貯金→学校→会社→貯金→∞
ってループはマジ一般化しそうです(アメリカなんかじゃ現にそうなってる)
「生涯学習」か「自己投資」かなんか知らんが、「一生勉強し続けなければならない」
(この末尾の「ねばならない」ってのが重要)社会ってそんないいモンか、はたして?
オレはヤだなぁ、激しく(笑
5145:2001/03/25(日) 23:03
>>48
サラリーマンがブルジョアでないのはよく分かるよ。なれるもんなら
ブルジョアになりたい。

>>49
まじめにやるのと社蓄になるのは違うような気がするけどな。
個がないんだよ。彼らには。

>>50
「ねばならない」ではなくて、ただ単に勉強するのが好きなんだと思う。
52考える名無しさん:2001/03/25(日) 23:04
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
個がないんだよ。彼らには。
53名無し:2001/03/25(日) 23:37
>>51
○生涯学習(?)問題
いや、結婚してガキつくってそいつらに教育を授けて家を買って年老いた
両親の面倒を見て自分や家族の突然の病気や事故にも備えて、っていう
確かにある程度の水準はクリアーしてるかもしれないけど、ごく普通
の生活≠しようとするだけで、そういう、生涯学習のループ≠ノハマ
らなきゃならなくなってきてるような気がするんだよ。
ま、確かに、結婚もしない、親の面倒も見る気がない、で勉強が好きで
学校行きまくり、収入の大部分は学費に消える、みたいなひともいるけど
ね。

あ、あと>>49は、何事かを悟って、覚悟を決めて、無言で真面目に働いて
欲しいです。自分が(笑
しかし哲学板にこんなバカがいるとはねぇ。
5449:2001/03/25(日) 23:55
オマエモナー。欲しかった。
5545:2001/03/26(月) 00:11
>>53
なるほど。納得しました。勉強が好きでも家族がいると
大変そうですね。
56OFW:2001/03/26(月) 00:18
>>50
>「生涯学習」か「自己投資」かなんか知らんが
 「労働力の質」を常に高めることは、技術革新や産業構造の変化に対応し
 て自己の商品価値を維持するために、ますます必要となるでしょう。
 倫理学風に言えば、勤勉=勤労と勉強がより普遍的に重要になる、かな。
 日本での問題は、実業界からのニーズに対して、大学などが受け皿になれ
 るだけのレベルがないこと、企業側の雇用慣習が追いついていないこと。
 USAでも、上昇型キャリア・コースに乗れるのは圧倒的に少数であり、
 巨大な貧富の格差の存在は、出発点での多数の諦めを生んでいるのでは?
>オレはヤだなぁ、激しく
 まぁ、昨今のフリータばやりも、企業側のアウトソーシングや臨時雇用化
 の流れに応じた受動的なものですから、決して安定してはいないでしょう。
 バブル期以降、日本人は遊ぶことを覚えてしまったので、かっての勤勉・
 質素という精神的な富を食いつぶしてしまった様ですね。
>>51(45)
>ブルジョアになりたい。
 名言ですが、ジャパニーズ・ドリームの可能性は、ジャンボ宝くじの確率
 位かな。ITバブルもあっという間にはじけたのは、雇用拡大に結びつか
 なかった(情報産業の“付加価値”はもともと少ないから、する筈もない)
 からで、期待は幻想でしかなかった。
 …あと、「個がない」のはその通りですが、現在の風潮は「自己中」が増
  えたことで、それは「非社会化」と呼ばれ、個人の社会的な自立とは異
  なるでしょう。
57考える名無しさん:2001/03/26(月) 00:33
>>56 さんに、激しく同意!
58名無し:2001/03/26(月) 01:18
>>56 OFW様
>>出発点での多数の諦めを生んでいるのでは?
でしょうね。そして日本もそうなり、エリートとドキュン(思えばコレ
も暗示的な言葉だ)の分化は異種族≠ニ言っていいほどに進み、
社会規範は弛緩し、治安は悪化するのでしょうね。
ヤだなぁ。
>>日本人は遊ぶことを覚えてしまったので、
>>かっての勤勉・質素という精神的な富を食いつぶしてしまった様ですね。
激しく同意!!
ワタシャ生まれついての怠け者だけれども(笑
それにしょせん上記の美点は、困窮に追い立てられていればこそ″「窮
の記憶が生々しければこそ、ですよね。バブルももちろんですが困窮の
記憶が完全に薄れたいまとなっては使用期限切れ≠ノなるのは理の当然
のような気がします、非常に深く。

しかしOFWさんは適確、かつ適整ですナ。そんなあなたに
2ch哲学板の賢者
の称号を授けましょう(←なんの権利で?!(笑
59考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:25
労働は社会への言い訳。
おれは言い訳嫌い。
だから引きこもる。
60考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:39
ワタシャだって。(藁
61考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:49
ですナだって。(藁
62考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:50
そんなあなたにだって(藁
63考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:51
←なんの権利で?!(笑 (藁
64名無し:2001/03/26(月) 03:53
OFWさんはNAMについてはどのような見解をおもちですか。
もしNAMスレにカキコんでるのならばそちらをよみますが。
私にはあれは唯物論から逃げようとする運動にみえ、それは無理なこと
だと思うのですが。
65考える名無しさん:2001/03/26(月) 04:01
社畜になったら、思索するゆとりをもてるんだろうか???
日常の生活はある程度時間をやりくりすればなんとかなるが・・
66OFW:2001/03/26(月) 22:58
>>58
>バブルももちろんですが困窮の記憶が完全に薄れたいまとなっては
>使用期限切れ≠ノなるのは理の当然のような気がします
 確かにそれは正しい。倫理はいつも時代に適応した人間関係の有り様を表
 現するから、使い捨て時代に「モノを大切にする心」をいくら説いても、
 それだけでは無理でしょう。そこで「モノと心の関係は如何なるものか?」
 という根拠への問いが必要になる。根拠とは心とモノの同一性のことです。
 その方法は弁証法的唯物論と呼ばれ、モノが溢れる中でそれが決して与え
 られた豊かさではなく、生み出された豊かさであることを教えてくれる。
 心ある人間がモノを求め、労働によってそれを生み出したのだ、という認
 識が、大事なのは労働であり、労働なしには豊かにはならないことを教え
 る。ところで、これだけモノが豊かな世界の中で、労働は決して豊かでは
 ない、という事に気が付く。それは「疎外された労働」と呼ばれる賃労働
 の姿です。
>>59
>労働は社会への言い訳。
 珍しい意見ですね。もう少し内容を教えて欲しいな。
>>64
>OFWさんはNAMについてはどのような見解をおもちですか。
 経済板でも聞かれたのですが、はっきり言って、関心ありません。
 大体、何で不買運動なの?
>私にはあれは唯物論から逃げようとする運動にみえ、それは無理なこと
>だと思うのですが。
 そうですね。マルクスに好意的な知識人でも唯物論者は稀です。その証拠
 は、労働および労働者に無関心なこと。
>>65
>社畜になったら、思索するゆとりをもてるんだろうか???
 全活動力が売上・利益に向かって動員されるから、余暇時間にはそこから
 の逃避として、精神を無思考状態に置かざるを得ないでしょう。
67考える名無しさん:2001/03/27(火) 00:39
豊かであるべきなのだろうか。
労働によってしか生産されないのだろうか。
68考える名無しさん:2001/03/27(火) 01:55
労働にも良い悪いってのがあるんだろうね。
具体的にはどんな労働だろう。
69考える名無しさん:2001/03/27(火) 02:42
会社に自分の夢まで託してる人って、なんかかなりイタイ・・・
70匿名匿住所:2001/03/27(火) 07:15
「起業してあんとるぷるなぁになるンだ!!」とか思ってるヤツもイタいよ。
71考える名無しさん:2001/03/27(火) 08:37
日本人の第一外国語がドイツ語だった頃の名残だね>アントレプレナー
72匿名匿住所:2001/03/27(火) 12:47
いや、最近またハヤってるんだよ。ソレはフランス語の英語読みとして
みたいだけど。
73考える名無しさん:2001/03/27(火) 13:29
KSDをケーエスデーと呼ぶのはおかしいとかドキュソな事言ってる女アナウンサーが居たな
オウム大好き放送局ことTBSに。
ワイドショーで司会やってる男性の芸能人も一緒になって騒いでたが。
74考える名無しさん:2001/03/27(火) 13:33
追い詰められると誤字脱字を指摘し始める奴がいるが、その類だな。
75名無し:2001/03/27(火) 15:12
>>59
名セリフですナ。
<<だから〜>>以降の部分をイロイロ取り替えてオレも使おう(笑
>>66
OKFさんの意図とはいささか(いささか以上に?)食い違っているとは思うのですが、
「モノを大切にしよう」ということを説明しようとするだけでこれだけの論≠
立てねばならない世の中になったのだな、という感想を持ちました。
(そういうことを説明しなければならなくなっているということも、以前と比べれば
瞠目すべき変化であるわけですが)
なんというか、抽象的な概念(言語)を操作する能力が、いままでになく多くの人間
に求められるような世の中になってきている、といいますか、みんなが所謂インテリ≠ノ
ならなきゃならない世の中になってきている、といいますかね。
で、それと前述の、「一生学校に通わなきゃならない世の中」という話とは、結び
つかないものでもないのではないかな、などと考えましたです。
76考える名無しさん:2001/03/27(火) 15:58
働かなくても飯が食える奴を働かす謂れはないだろ。
ただ、親は子供が働いてくれた方が生活が楽になるので助かるな。
ただ、働かないのはいいとして端に迷惑をかけるのは良くないんだろうな。
77名無しさん:2001/03/27(火) 17:06
↑深く同意。特にココ↓
>働かなくても飯が食える奴を働かす謂れはないだろ。
78考える名無しさん:2001/03/27(火) 18:04
>働かなくても飯が食える奴を働かす謂れはないだろ。
同意。
本当に職が必要な人にとってはそうだろうなあ。
でも親が金があっても働きたい人はいるはず。
そういう人間は起業すべきなのか?
79考える名無しさん:2001/03/27(火) 18:18
>でも親が金があっても働きたい人はいるはず。
こういう動機のほうが健全な気がする。(藁
80OFW:2001/03/27(火) 21:56
>>76
>働かなくても飯が食える奴を働かす謂れはないだろ。
 何故「働かなくても飯が食える」のか考えて見よう。
 1.他人に養って貰っている。
 2.お金をたくさん持っている。
 3.手を伸ばせば何でも採れる楽園に住んでいる。
 の3通りが考えられる。3番目は夢みたいな話だから、除外するとして、
 1の場合、他人としては、
  親、配偶者、パトロン、子供(老親の場合)、社会(生活扶助)
 等が考えられるが、それらの人達自身も働いていない場合としては、上記
 の2の場合しかない。結局、お金を持っていることが、働かないでも生活
 できるためのポイントだと分かる。(これ、分かりきったこと)
 しかし、お金自体は食えないから、それで買うべき商品こそが重要。そし
 て、それは他人が働いて生産したもの、でしょう。
>ただ、働かないのはいいとして端に迷惑をかけるのは良くないんだろうな。
 どんな人も他人の働きに依存している。それが社会というものです。
 働かないでも生活できるのは、他人の働きによってその人の生活物資を
 “無償で”賄っている、ということ。これが答でしょう。
 これには謂れ(=正当な根拠)があるのかな?
81考える名無しさん:2001/03/28(水) 03:24
sage
82考える名無しさん:2001/03/28(水) 22:52
 >これには謂れ(=正当な根拠)があるのかな?

能力があって働かない人間には“寄生”といった批判も有効でしょう。
ただ、予め能力のない人間はどうなるのでしょう?
「能力に応じて働き、必要に応じて取得」といった言説が
暴力的響きを持って迫ってくるように思えるのですが....


83考える名無しさん:2001/03/28(水) 23:05
生産する行為が労働なのか
金銭を稼ぐ行為なのか
趣味的な活動で生産されるものもあるだろうし
84考える名無しさん:2001/03/28(水) 23:11
>ただ、予め能力のない人間はどうなるのでしょう?
そういう人間はドン・ガバチョだ。
85OFW:2001/03/28(水) 23:25
>>82
>予め能力のない人間はどうなるのでしょう?
 「予め能力がない」とは先天的な障害あるいは幼児等の場合でしょうか?
 その場合は当然、障害に応じて持てる力を発揮すれば良い、あるいは保護
 されるべき状態でしょう。能力=可能性ですから、誰もが自らの可能性を
 追求し、その追求には限りがなく、予め決まってはいないでしょう。
>「能力に応じて働き、必要に応じて取得」といった言説が暴力的響きを
>持って迫ってくるように思えるのですが....
 とても驚きのご意見です。むしろ、能力がない人はその人なりに働き、
 かと言って、生活や欲求の必要に応じて十分に享受することができる、
 というのは実質的な平等(社会が相互扶助的になっている)の主張であり、
 形式的には不平等(能力の差が取得の差とは無関係である)であることを
 主張する言葉です。(どこが暴力的なのだろう?)
 身体的・精神的に働くことができないなら、働かなくても良いのは当然で
 しょう。しかし、働くことは本来、個人の一つの社会的な欲求であるはず。
 現在の疎外された社会では、事情はまったく逆であり、働くことは苦役で
 あり、強制労働でしかないでしょうが。
86考える名無しさん:2001/03/29(木) 00:05
>「予め能力がない」とは先天的な障害あるいは幼児等の場合でしょうか?
そうです。
> 能力=可能性
「労働力」くらいのものです。
>実質的な平等(社会が相互扶助的になっている)の主張であり
私としては、労働の分業化→労働者の単能化→工業化・大規模化によって
労働日における必要労働時間が限りなく平準化され、その結果として労働者の
平等と団結が生まれると思ってましたから、逆に言えば“労働”といった
運動(=闘争)過程において前述の社会的マイノリティーが疎外される(運動から)のかも
と思って申し上げたまでです。
>働くことは本来、個人の一つの社会的な欲求であるはず。
労働によって社会化されると思いますが。


8786:2001/03/29(木) 00:08
忘れてました。82=86です。
88考える名無しさん:2001/03/29(木) 00:14
             |     |    |    |
               |ー |   l ー-  l
       /⌒ヽ   |    |   l     l
       l   l    |    |  |  0   |
        |   l   | ー-  |  l⌒) - l             うふふ、若いわね
        .|  -‐|    |    |   | 丿   |    /⌒ヽ         (⌒Y⌒Y⌒)
      |   |    |    |  |ノ     l   |    ヽ        \__/__
         l    _!   |    !__,! ‐  一 |   l     ヽ、     ../     \\
     /⌒ヽ l ‐ \  |, ノ⌒) ()     l    〉-‐  l     / ⌒   ⌒ \ \
     l〉   )ヽ、   ヽノ (ノO (ノ  (つ ヽ、 | ノ)  |     | (・)  (・)   \ ⌒ )
   /  人 ヽ、        (⌒)      ヽノ (ノ  |     |  ⊂      9)   )
   l     ヽ、\,        )丿 / ノ/ o     l     |  ___   | )
    ヽ  ノ \,/     /  (ノ       () ヽ  l      \ \_/   /
     \    /        /     (⌒ヽ    | ..     \____/
      ヽ、       /  /   l      しノ      |        /    \
       ヽ、  /   /     |           l      ⊂ (     ( つ
        ヽ、          l          /         /⌒ _)
         ヽ、            |          /          { ノヘ
          ヽ          l        /           し  `J Ξ≡3

   「最低だ…………  オレって………………  サザエなんかで…………」
89OFW:2001/03/30(金) 03:56
>>83
>生産する行為が労働なのか 金銭を稼ぐ行為なのか
 「労働の哲学者」である内山節氏が「働く」と「稼ぐ」の違いについて
 述べています。(『自然と労働』他)。彼は非マルクス的な立場ですが。
 また、エンゲルスも「労働」という言葉の二義性(WorkとLabor)
 について言及している。
>趣味的な活動で生産されるものもあるだろうし
 無論、そうですね。労働一般と資本主義下での労働(賃労働)との区別が
 重要でしょう。
>> 86(82)
>労働の分業化→労働者の単能化→工業化・大規模化によって 労働日に
>おける必要労働時間が限りなく平準化され
 “固定した”分業や、資本間の競争および労働運動がもたらす労働時間
 の平準化は、必ずしも
>その結果として労働者の平等と団結が生まれる
 とは限らないでしょう。むしろ、労働格差(労働貴族と単純労働者の分化)
 が進行しているのが、現状と言える。
>逆に言えば“労働”といった 運動(=闘争)過程において前述の社会的
>マイノリティーが疎外される(運動から)のかも
 いわゆる先進国では、労働運動は労働組合運動でしかなく、賃労働の廃棄
 にまで踏み込んでいない。それは“疎外された”労働を前提している。
 社会的マイノリティとは疎外された社会が作り出した結果であり、その
 解放のためには、社会自体(生産関係)の止揚が必要です。たとえば、
 「障害者の社会的参加」とは正しいが、それはブルジョア社会の枠内では
 制限された範囲(人権、形式的平等等のブルジョア的権利)でしか達成で
 きないでしょう。何より資本主義的「経済の論理」はすべてに優先してし
 まう。
9086:2001/03/30(金) 22:53
>89
レス感謝します。

>労働格差(労働貴族と単純労働者の分化)が進行しているのが、現状と言える。
そうですね。ただ、それは資本主義の問題でしょうか?
>いわゆる先進国では、労働運動は労働組合運動でしかなく
どちらかと言えば社会民主主義即ち修正資本主義の問題でしょう。
>それはブルジョア社会の枠内では 制限された範囲
要するに、労働運動が国家の枠組みの中に封じ込められた結果でしょう。
ただ、そんなに肯定できるのでしょうか?
貴方もご存知だと思いますが、私のいわんとしている事はドイツの安楽死や
北欧福祉国家の“間引き”の事実ですよ。
あと、ダーウイニズム的決定論や国家社会主義、これらに対する懸念です。
その為には慎重に論を進めないと,,,,
91OFW:2001/03/31(土) 04:50
>>90(82)
>どちらかと言えば社会民主主義即ち修正資本主義の問題でしょう。
>労働運動が国家の枠組みの中に封じ込められた結果でしょう。
 資本主義が政治経済的に修正資本主義に変容したことと、労働運動が
 「体制の補完機能」を果たすようになったこととは、同じ事柄でしょう。
 一方において社会主義の要素を取り込み「福祉厚生」を考慮することが、
 他方でそれに呼応した「労働者の体制内化および階層化」を促進する。
 またフォーディズム(「労働者を消費者として囲い込め」)の成功もある。
>ただ、そんなに肯定できるのでしょうか?
 社会民主主義をですか?それは余り肯定できないでしょう。
 また、労働者に依拠することの肯定如何ということなら、それはむしろ、
 労働者自身の否定の否定(現状の自己を否定すること)の問題でしょう。
>ドイツの安楽死や 北欧福祉国家の“間引き”の事実
 安楽死の是非とか、不労高齢者の処遇に関して言えば、それは結局社会の
 在り方に繋がる。安楽死は、個人の尊厳の問題と言われるように、個人が
 社会的・精神的主体として如何に尊重されるかという点で、個人の社会的
 内実と深く結びつく。つまり、生物学的生存が必ずしも人間的生存ではな
 く、同時に個人の生存が必ずしも当該個人の孤立した生存ではない、とい
 う点です。その矛盾は社会の解放(個人の社会化)と共に、たとえば宗教
 の止揚といった点と共に、止揚されていくと思います。
 また、高齢者が「労働能力のない個人」という理由で社会から疎外される
 のは、極めて資本主義的な経済原則に基づくものであり、生きている人は
 それ自体で働く者(主体)であることは、経済を超えた内実を持ちます。
>ダーウイニズム的決定論や国家社会主義、これらに対する懸念です。
 いわゆる社会有機体論や国家社会主義(形容矛盾!)は共産主義とは無縁。
 社会を、個人を超えた“超越的な実体”(社会システム論も同様)とみな
 すことは幻想であり、諸個人の関係性の中にしか社会は存在しない。かっ
 てのナチズムやスターリン主義(国家資本主義)的全体主義とは正反対の
 個人の社会化こそが必要です。
92考える名無しさん:2001/03/31(土) 15:51
>いわゆる社会有機体論や国家社会主義(形容矛盾!)は
>共産主義とは無縁。
>社会を、個人を超えた“超越的な実体”(社会システム論も同様)
>とみなすことは幻想であり、
>諸個人の関係性の中にしか社会は存在しない。

OFWさんの考える共産主義がどういうものかよくわからないけど・・・

「社会を、個人を超えた“超越的な実体”(社会システム論も同様)とみなす」
→従来の、集中管理型のシステム。
「諸個人の関係性の中にしか社会は存在しない」
→自律分散型システム{システム全体を統合する管理機構を持たず、
システムを構成する各要素が(個、サブシステム)が、
自律的に行動しながら、強調、競合的に行動しあい、
全体として任務を達成する(秩序を形成または維持する)システム}。
というのは、どうでしょう?

あと市場原理などの競争原理の問題と自律分散型システムの意義ですが、
沖野教郎著、「生物型生産システム(朝倉書店)」によると、
「アメリカやヨーロッパはシステムの意思決定を競争原理に基づいて行ってきた。
すなわち、いくつかの異なる意見があるとき、
それらを競争させ、勝者に決定する方法である。
入札や投票がその勝負の決定を行う方法として用いられてきた。
この方法は動的環境に対応する為に適した方法ではない。
本来争わなくてもよいところに争いを持ち込んで
無駄に時間と労力を浪費することは無い。
秩序あるシステムにおいて協調して役割を分担し、
安定したシステムを志向する方向に意思決定原理を転換するべきである。
ここでも生物(ここでは生物内組織での協調)にその範を求めることが出来る。」
らしいです。

生物型生産システムは主に、
「酵素は、場において分散して存在する。多数の酵素が連繋をとりながら、
(生体内)全体をコントロールしていると考えられる」をメタファー対象にしています。

生物型生産システムは、生産システムや会社全体のシステムであり、
社会のシステムではないけど、
「システムが与えられた要求に対応する方式は・・・
・・生物型システムは各要素(部分)が同じ(階層の)レベルで対応し、
その結果が集積され、全体の対応となるボトムアップである。」なので、
その結果の集積を社会の階層まで上げるように発想すれば、
ある程度、社会にも応用可能だと思います。

作者が関係している生物型生産システムのページ。
http://www.ims.mstc.or.jp/project/project_end/95002/95002_3-3_contents.html
93考える名無しさん:2001/03/31(土) 16:24
>>92
「→自律分散型システム{・・・
・・自律的に行動しながら、強調、競合的に行動しあい、 」 → ×

「→自律分散型システム{・・・
・・自律的に行動しながら、協調、競合的に行動しあい、 」 → ○
94考える名無しさん:2001/03/31(土) 21:05
働かなくても健康で文化的な生活ができるはず。
働けばさらに文化的になるはずだと思うが実際は違う。
なぜそうなってしまうのだろうか?
9590:2001/03/31(土) 22:42
>>91
亀レススマソ(仕事で疲れていたものですから)

>社会民主主義をですか?それは余り肯定できないでしょう。
社民主義というか福祉国家です(同語反復めくのですが)。
社会権に根ざした行政国家は、
なるほど、ある程度の貧困を救済し、19世紀的ブルジョア思想の弱点を
克服したかのように見えます。が、そのことは取りも直さず、行政の私的部門への恒常的介入や
国家間(社会主義国家!)の対立を生起させたのです。
マルクスの思想においてこういった社民主義的要素は無いのですが(だから、プルードン主義に対する批判が展開された)
自称“マルクス主義者”に称揚されるケースがあるので申し上げた次第です。
福祉国家において経済循環が円滑に行われてる場合には社会的弱者の救済も行われるのですが、
一旦、当該経済体制が危急に瀕した場合には真っ先に切って捨てられるのはこれらの階層です(ドイツ・北欧などはその好例でしょう)
その際にどういった言説が流布するのか?その言説とマルクスの思想とを区別する必要があるのではないでしょうか?
>ナチズムやスターリン主義(国家資本主義)的全体主義とは正反対の 個人の社会化こそが必要です。
全く同感です。ただ、ナチズムやスターリズムのメカニズムと
共産制のメカニズムの違いがわからないのですよ(マルクスの著作にも具体的指摘はない)
問題の核心は関係論や時間論にあり、その解釈如何によっては前述の抑圧的体制に頽落する惧れがあると
思ったから、何遍も拙論を言上してるのです。


96OFW:2001/04/01(日) 10:10
>>92
>システムを構成する各要素が(個、サブシステム)が、自律的に行動しな
>がら、強調、競合的に行動しあい、全体として任務を達成する(秩序を形
>成または維持する)システム}。
 社会は確かに一つのシステムとして捉え得るが、本質的にシステム以上の
 存在であること、を忘れないことです。パーソンズおよびルーマンの社会
 システム論も、生物学のアナロジーとして出発したが、行為からコミュニ
 ケーションへとその機能的要素の内容をシフトさせてきている。
>本来争わなくてもよいところに争いを持ち込んで
>無駄に時間と労力を浪費することは無い。
 まったくその通りであり、私企業が私的利益を追求することは、社会に
 とっては時間と労力を浪費することであり、“経済的”とは呼べない。
>ここでも生物(ここでは生物内組織での協調)にその範を求めることが出
>来る。
 企業内の生産システムと生物体システムの本質的な相違点は、後者では
 自律的な自己調節機能が即自的にのみ存在している点です。全体(個体)
 がその実在的要素(器官、細胞、細胞内器官)に対して、“見えざる手”
 として働き、器官の自律的機能は外部パラメータ(体温、水分等)の下
 で、相互に媒介し合う多くの反応サイクルとして自動的に制御されている。
 一方、生産システムでは、目標は外部から与えられ、部分間の関連とその
 リズムによる調整は綿密に計画されなくてはならない。そこでは、常に意
 志的な働きとコミュニケーションが重要な要素になる。
>>94
>働かなくても健康で文化的な生活ができるはず。
 衣食住の用を満たす財があり余る社会がきたならば、労働(仕事)の意義
 も現在とは全く異なるものになるでしょう。好きな仕事をするとは、人間
 の社会的・精神的・類的な自己を表現することでしょう。
97OFW:2001/04/01(日) 10:12
>>95(90)
>その言説とマルクスの思想とを区別する必要がある
 全く同感です。「福祉切捨て反対!」とは正しいが、「福祉を切捨てざるを
 得ない福祉国家自体の廃止を!」が真実でしょうね。
>ナチズムやスターリズムのメカニズムと共産制のメカニズムの違いがわか
>らないのですよ(マルクスの著作にも具体的指摘はない)
 まず、賃労働の有無が根本的に異なるのです。そして、そのことを突き詰
 めた場合、誰が生産手段を握っているのか、そして階級発生の必然性とそ
 の止揚の条件に関する認識が進むでしょう。個人とは類的な存在(具体的
 普遍)であり、全体が存在するとは種的(特殊的)な立場に止まること。
>問題の核心は関係論や時間論にあり、その解釈如何によっては前述の抑圧
>的体制に頽落する惧れがある
 抽象的には正しいと思います。「閉じた関係」vs「開かれた関係」、
 「過去の決定」vs「未来の非決定」等の対立を具体的・弁証法的に詰め
 ることは、マスクス主義の理解(社会の本質論)にとって重要でしょう。
 ヘーゲルも言うように、「現実性」(働き)の概念とは本質力自身の現象
 として自己を生み出すもの、のことです。
 …実際、マルクス主義を唱える論者や活動家が、未来社会の具体的な姿を
 云々しないことは、現実的な運動家として実践的には正しいが、その理念
 的な内容が誤解され、展望を失っている現在、将来の社会が如何に運営さ
 れるかという点について、もっと理論的に議論されてしかるべきだと思い
 ます。構想力の欠如は、実践的な情熱にも影響する。
98考えない名無しさん:2001/04/02(月) 00:09
>>1
勤労道徳というタトルはおかしいと思います。
勤労は道徳ではありません。勤勉とも違います。
99>98:2001/04/02(月) 04:41
厨房
100OFW:2001/04/03(火) 00:26
>>98
 (横レス失礼)
>勤労は道徳ではありません。勤勉とも違います。
 まあ、道徳かどうかはともかく、憲法では日本国民の権利および義務で
 あるとされていますね。
 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」(第27条第1項)
 ところで、義務を果たさない人がいる場合、何故、憲法違反とはならない
 のかな?
 1.果たしたくても、果たせない?
 (労働能力のない人、非自発的失業者等の場合)
 2.果たしたくないから、果たさない?
  (1さんの様に、個人の自由権を絶対的だとする主張)
 3.「勤労」の解釈により、たとえば資本家として直接労働して
  いない人も、「金勘定」という勤労義務を果たしていると言える。
  (現在の主流的な法解釈かな?)
 さて、憲法自身は何と言う?
 「憲法とは、畢竟、妥協の産物である」(ヘーゲル)

 『工場日記』を書いたシモーヌ・ヴェイユのスレが、たまたま上がって
 いるので、ついでながら彼女の言葉(正確ではない)から…。
 「権利とは相対的なものですが、義務は絶対的なものです」
 「過酷な労働に痛めつけられた私は、この自分が、もはや乗合バスにも
  乗ってはいけない程、価値のない人間(非国民?)であるかのような
  感情に襲われました。」
101考える名無しさん:2001/04/03(火) 02:08
OFW氏に反論したいんだが、取っ掛かりすらつかめん。
自己分析が足りんのかな?何か私の心情に引っ掛かるんだけど。。。

少なくとも全体主義批判の矛先が、個人やシステム論に行く事はしたくない。
統合的理念の落とし穴が何処かにあるのだけれど。。。
誰かOFW氏に渡り合える者は居無いのか―――!(叫
102考える名無しさん:2001/04/03(火) 21:05
うーん。
「文句も言わず一生懸命働くことはいいこと」みたいなのってやだ。
労働は賃金を得るためにするわけでそれ以外に生き甲斐みたいな価値を
置くことは資本家の思うつぼなのでは?
そしてそういう価値観が親から子へ受け継がれ再生産を繰り返す。
なんだかなあ。
103OFW:2001/04/05(木) 00:19
>>101
>OFW氏に反論したいんだが、取っ掛かりすらつかめん。
 反論は大歓迎です。何でも取っ掛かりになると思う。
>少なくとも全体主義批判の矛先が、個人やシステム論に行く事
 私の説明不足でしょうが、個人=近代的個人か、具体的普遍(ヘーゲル)
 としての個人か、で全然異なるという点。また、社会システム論が何故
 問題なのか、はもっと詳しく説明が要るでしょうね。
>統合的理念の落とし穴
 私は理念が統合的だとは思っていない。むしろ自由な運動というイメージ
 の方が強いな。
>>102
>労働は賃金を得るためにするわけで
 現在の資本主義下の労働(賃労働)はその通りですから、
>それ以外に生き甲斐みたいな価値を置くことは
 資本主義の下では、すべて欺瞞となり、その結果
>資本家の思うつぼ
 となるのはその通りですね。ところが、最近の企業研修や就職情報誌など
 では「会社のためではなく、自己実現の欲求を満たすために仕事をしろ」
 などと煽られているのが現状です。
>そしてそういう価値観が親から子へ受け継がれ再生産を繰り返す。
 資本とは「過去の労働が対象化されたもの」ですから、賃労働自体が、
 資本関係と共に、その価値観を再生産しているわけです。
 しかし、労働(仕事)には、歴史貫通的な積極的な意義がある、という事
 を忘れないことが重要です。そして、その肯定的な面は資本主義下におい
 ても、労働現場では生きている。仕事仲間と協働して成果を上げる、とい
 う労働の社会的・人間的な面は、労働者自身が何よりも密かな誇りとして
 いる点です。その矛盾した姿を捉えること(否定の否定)が肝要。
104考える名無しさん:2001/04/05(木) 00:54
どうも論点が複雑で明快になっていないので元にもどすが、
そもそも勤労道徳なるものは明治維新、富国強兵いらいのものでしょ。
江戸時代は寿命もみじかかったから、あくせく生き急ぐこともなかった。

「過労死」最もばかげた死に方だろう。
名声、財産より自分自身が一番重要。

日本も右肩上がりは終焉したのだから違う価値観、哲学を摸索すべき。
105考える名無しさん:2001/04/06(金) 03:22
>そもそも勤労道徳なるものは明治維新、富国強兵いらいのものでしょ。
そうなんだよな。
マターリ生きたいよ。
106考える名無しさん:2001/04/06(金) 03:39
誰にも求められない人間の妄言だな。
107考える名無しさん:2001/04/06(金) 03:59
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
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108考える名無しさん:2001/04/06(金) 04:01
不毛・・・ハアハア・・・毛がないから丸見え・・
109考える名無しさん:2001/04/07(土) 19:23
>>97(OFW)
>そこでは、常に意志的な働きとコミュニケーションが重要な要素になる。

中央による統制と、個々の間の協調の能力について。
中央が個々の集まりを社会全体に統制するとします。
この場合、社会内の動きが秩序立っているほど、
個々は社会環境に対し協調しやすくなり、
その動きが無秩序なほど、それらは社会環境に対し協調し難くなります。
対し、社会内の動きを秩序だてる為、個々の活動の制限を大きくするほど、
社会環境の状況や自分の内的欲求に対し、
生活で適した行為を選ぶ為の選択の幅が狭くなり、
それらの活動の制限を小さくするほど、それらの状況や欲求に対し、
その選択の幅が広くなります。

でもこの場合、個々の間の協調する能力が低いと、
その分、社会内の動きを秩序立っている必要が出てくると思いますが、
その協調する能力が高いほど、
その分、それを秩序立てる必要はなくなると思います。
個々の間の自律したコミュニケーションの能力が低いと、
その協調する能力は低くなると思いますし、
個々の間の自律したコミュニケーションの能力が高いほど、
その協調する能力は高くなると思います。

そして、コンピューターやそれによる通信の技術を利用することによって、
個々の間の自律したコミュニケーションの能力を、
飛躍的に高めることが出来ると思います。

110考える名無しさん:2001/04/07(土) 20:04
>>109
>>97 、(OFW)   」 → ×
>>96 、(OFWさん) 」 → ○
111考える名無しさん:2001/04/08(日) 03:22
>>109の続き。
「社会内の動きが秩序立っているほど、個々は社会環境に対し協調しやすくなり」
対し「個々の活動の制限を大きくするほど、社会環境の状況や自分の内的欲求に
対し、生活で適した行為を選ぶ為の選択の幅が狭くなり、」の例。

社員は9時から17時まで出社していなければならない決まり。
この場合、ただみんながこの決まりさえ守れば、みんなは一緒に仕事が出来る。
でも、社員個人の側のスケジュールの都合を無視することになる。

「その動きが無秩序なほど、それらは社会環境に対し協調し難くなります。」
対し「それらの活動の制限を小さくするほど、それらの状況や欲求に対し、
その選択の幅が広くなります。」の例。

個人の住宅を建てる場合、棟梁は多数の職人の段取りを組まなければならない。
でも職人側も、多数の現場を持ち、スケジュールがある。
それに対し、それぞれの都合を聞き合せて、スケジュールを調整し、
こちらの住宅を建てるスケジュールが作られる。
この場合、職人側のスケジュールの都合を尊重できる。
でも、こちらにとっては、それぞれの職人の都合に影響されるため、
複雑なスケジュール調整が必要になる。
112考える名無しさん:2001/04/08(日) 04:07
>>111の続き。
「社員は9時から17時まで出社していなければならない決まり」の例については、
フレックスタイムを導入するなどして、「個々の活動の制限」を小さくしない限り、
社員個人の側にスケジュールの都合を与えることは出来ないと思います。

でも「個人の住宅を建てる場合、」の例については、
「社会内の動きを秩序だてる為、個々の活動の制限を大きくする」としなくても、
「個々の間の自律したコミュニケーションの能力が高いほど、 」
スケジュール調整がうまく出来ると思います。
113考える名無しさん:2001/04/08(日) 17:45
>>OFWさん
個々の集まりを社会の秩序にまとまるには、
そのようにまとめる為の仕組みや制度が必要になります。

「労働者の共同体とはどの様なものですか?」に対し、OFWさんは、
「現在でも労働者は(分業という形態での)共同体を形成している。」と
答えてますが、
でも、「ただしそれは、市場という転倒した現実により隠され、
無秩序な自然状態に置かれているわけですが。・・・ 」と
企業のあり方を否定してますし、
それ以前に、資本家を否定しています。
また「国家とは幻想的実体として種的な存在でしかない。
「全体は存在しない」のです。」と、否定しています。

なので、労働者の共同体を、何の仕組みや制度によって、
共同体にまとめるのか疑問に思います。

原始共同体(拡大家族や、部族社会)には、集団をまとめるものとして、
血縁、年功序列や年齢集団の制度、ビッグマンの権威やなどあります。
共産主義の共同体が原始共同体を発展させたであるとするのなら
(共同体:マルクス主義で、近代の私的所有社会以前に存在するとされる社会。
(三省堂 大辞林 第二版 ))、
現代の共産主義の共同体には、集団をまとめるものとして、
どのようなものがあるのでしょうか?
114考える名無しさん:2001/04/08(日) 19:48
ないだろう
1900年当時のマスメディアの形態ならば
国家的規模の集団に対し単一の軸を与えられただろうけど
今じゃね
115OFW:2001/04/08(日) 20:20
>>104
>そもそも勤労道徳なるものは明治維新、富国強兵いらいのものでしょ。
 あからさまに「労働は美徳だ」と言う道徳は、日本が近代世界の仲間入り
 をして国富を蓄積するために、資本主義的な労働を必要としたためでしょ
 う。しかし一部の働かない階級を除き、働く事自体は人間の自明のあり方
 として古来から肯定されていたでしょう。
>「過労死」最もばかげた死に方だろう。
 そのばかげた事が現実であり、何故死ぬまで働いてしまうのか、が問題。
 「自己の名声のため」あるいは「会社のため」という理由はむしろ少なく、
 「家族や同僚に負担がかかり、ここで止めるわけにいかない」あるいは
 「責任ある仕事に対していい加減なことはできない」という、それ自体
 は高邁な理由のためではないかな。
>>109
>個々の間の自律したコミュニケーションの能力が高いほど、その協調する
>能力は高くなると思います。
 その通りでしょう。自律は協調と統合される。
>コンピューターやそれによる通信の技術を利用することによって、個々の
>間の自律したコミュニケーションの能力を、飛躍的に高めることが出来る
 技術的にはその通りですが、問題は制度的な部分でしょうね。
>>112
>フレックスタイムを導入するなどして
 時間の問題こそが労働の鍵です。それは社会経済的な事柄ですから、社会
 全体が生産労働の相互調整をいかに合理的に成し遂げるかが、課題です。
 フレックスタイム制がなかなか普及しないのは、「時は金なり」が先にあ
 るから。
116OFW:2001/04/08(日) 20:21
>>113
>共産主義の共同体が原始共同体を発展させた
 ものではなく、その止揚(現状の否定としての復活)というべきでしょう。
>(共同体:マルクス主義で、近代の私的所有社会以前に存在するとされる
>社会。(三省堂 大辞林 第二版 ))、
 ちょと違うな。この説明なら「伝統的共同体」が正しい。共同体
(Commune)とはむしろマルクスが「ついに発見された」と呼んだ、
 パリ・コミューンのものに近いでしょう。
>現代の共産主義の共同体には、集団をまとめるものとして、どのような
>ものがあるのでしょうか?
 「現代の共産主義の共同体」が旧ソ連、現中国等を指しているなら、
 それらは国家資本主義の国家であり、共産主義の共同体ではない。
 また、理論的なモデルを指しているなら、具体的な点は労働者自身が
 考えるべき課題である、としか言えないが、要点は、
 社会経済的な面では、生産手段の共有に基づく直接生産者の生産協働体
 がまとめる。それは、社会的分業の全部門に亘って、(財・サービス)
 生産の計画・実行・監視・改善(PDCA)の合理的なマネジメントを
 行う主体です。要は、単に「自分達で自分達の社会を運営する」組識です。
 (当然、生産手段の私有に基づく賃労働、貨幣、商品は廃止です。)
 政治的な面では、上記の生産協同体自体の直接民主制による組識が調整機
 関として働くべきでしょう。それは固定した指導部・官僚組識vs一般大
 衆の関係ではなく、行政事務は成員全員が交替制で当たるべきでしょう。
 (代議制議会と官僚制行政機関が形成する現状の政治的国家は廃止です。)
 近代社会をまとめているのは法ですが、当然ながら物理的な力、つまり
 警察がその裏付けとしてある。人倫から法状態への移行は近代の利己的個
 人の実存を支えているわけですが、法の止揚として人倫の復活が現実のも
 のとなるでしょう。
117考える名無しさん:2001/04/08(日) 20:50
>>116
最後の問題への返答は、
まさにNAMそのものではないか。
118OFW:2001/04/09(月) 23:44
>>117
>最後の問題への返答は、まさにNAMそのものではないか
 さぁ、どうでしょうか。私はそうは思わない。
 労働者の協働体(Commune)を言うことなく、抽象的個人の連合
 (Association)を言う。・・・これは言葉の問題ではない。
 類的な統一を言うことなく、個別的な結合を言う。
 生産関係の変革を言うことなく、不買運動を言う。
 貨幣の廃止を言うことなく、地域通貨を言う。
 国家の廃止を言うことなく、それへの抵抗を言う。
 唯物論的な必然性を言うことなく、倫理的・恣意的な自由を言う。
 労働者階級に依拠せずに、何が「可能なるコミュニズム」なのでしょう?
119考える名無しさん:2001/04/09(月) 23:57
う〜ん別にNAM賛同者じゃないけど
>>118
労働者の協慟体とは?
類的な統一とは?
生産関係の変革はNAMも主張してるのでは?
貨幣を廃止できるの?
国家の廃止とは?
唯物論的な必然性とは?
労働者階級に依拠するとは?
120OFW:2001/04/11(水) 00:25
>>119
>労働者の協慟体とは?
 現代社会は既に全面的な分業体制による生産活動により維持されている。
 すべての生産財と生活財は相互に緊密に関連する生産部門で生産され、
 市場を介して流通している。そこでは、利潤原理に基づく私企業が主体と
 なって生産・流通・分配が営まれているわけですが、その主体を生産現場
 で直接生産に従事している労働者の手に返還し、協働的な労働に基づく、
 本来の共同的で階級のない人間社会を復興しよう、というのが共産主義の
 理念であり、現実の実践の最終目標です。
>類的な統一とは?
 人間が類的な本質存在だということは、「人類は一つである」ということ。
 類(具体的な普遍性)−種(自由な特殊性)−個(現実的な主体性)とは
 諸個人が自然的な被規定性の中にあって、社会を形成することにより、
 現実的に自由な共同存在だということを、概念的・弁証法的に表現している。
>生産関係の変革はNAMも主張してるのでは?
 NAM公式サイトの文章を読む限り、階級的立場が希薄ですね。
 「非資本制的な生産と消費のアソシエーション」とは、局地的な生産協同
 組合程度のイメージですが、全面的な生産関係の変革ではなさそう。
 「消費者としての労働者」とは、要するに消費者でしょう?
>貨幣を廃止できるの?
 貨幣とは何か、を理解すれば、廃止は必然的です。
>国家の廃止とは?
>唯物論的な必然性とは?
>労働者階級に依拠するとは?
 マルクス、エンゲルス、レーニンのすべての言説に共通する基本的な思想
 であり、共産主義の原理原則(ABC)です。
121考えた名無しさん:2001/04/11(水) 02:32
社会演劇論を思い出しました。
サルは人まねをすることは出来るが、猿自身を演技することは出来ないと。
大衆社会を形成する人は何物ではないからこそ、OFWさんがいわれる
きわめて自由な商品(この場合社会を構成する有機的パーツとでもいうべきで
しょうか。)を演じることが出来るのではないでしょうか。
わたしは、システム的よりそのメタファーであるプロセス的発展に興味を持ってい
ます。
仕事論の疑問ですが、さまざまな職業の人たちが自分の仕事内容に対する一種の
物的なエロスや一体感を感じているのは、果たして資本というシステムから与え
られた麻薬でしょうか。
また、芸術活動とは、独り立ちするまではパトロンが必要な、資本が生み出した
あだ花の美しい果実なのでしょうか。
現代は仕事という人間の生存に関することに高度のシステム(欠陥が多いですが)
的なネットワークで人間を絡めて巨大な有機体を出現させようとしています。
わたしたちは個人の生きがいや福祉を巨大なシステムに依存していますが、
このシステムは簡素な生き方をただの憧れに昇華させようとしているのではないで
しょうか。情報(これは本来の意味ではないと思っていますが)にまみれて、人より
よりいい生活を、より効率的にとさまざまな選択を迫られています。
わたしは共同体への憧れはありますが、すべての人が肉体の重さと精神の苦悩を
克己して昇華しなければ、現実世界に出現するのはやはり難しいと思います。
共同体を構成する構成員には現実の死の匂いが払底されていること、もしくは
明るいスローガンに打ち出された空虚さを感じているわけです。
(そういうのは、旧ソ連、中国の例であって本来の共産主義ではないと反論される
でしょうか。)
最初に戻りますが、人は何物ではない。何物ではないからこそ胚細胞のような
プロセスを踏んで成長するのは必然のこと。何ものではないという絶望からこそ
唯一の意識あるものとして、周りの存在への愛を感じられるのではないでしょうか。
人間は悩むように出来ているというハイデカーの言葉は悪い冗談としておきたいです
が、ここのところはOFWさんはどう考えられているのでしょうか。
ご感想賜ります。
122考える名無しさん:2001/04/12(木) 00:06
>>120
>本来の共同的で階級のない人間社会を復興しよう
何故「本来」などと言えるのか?いわゆる疎外論?
>貨幣とは何か、を理解すれば、廃止は必然的です。
ずばり、貨幣とはなんですか?廃止は必然的なのに何故廃止されないのですか?
みんなが貨幣とは何か理解していないから?廃止したら物々交換ですか?
国家の廃止とは具体的にどのような状況になったらいうのですか?
123OFW:2001/04/12(木) 00:29
>>121
>サルは人まねをすることは出来るが、猿自身を演技することは出来ない
 まったくその通りですね。人間は彼自身を無限に演じることができる存在
 です。「自由な特殊性」とは無限の変様の中に自己を写すこと。
>大衆社会を形成する人は何物ではないからこそ、…きわめて自由な商品
>…を演じることが出来るのではないでしょうか。
 その通りです。<世人>は無限の質料として、それ自身が匿名的な労働力
 商品の在庫を形成している。豊かな形相はすべて彼らが生み出す<商品>
 の側に移行しているが。
>果たして資本というシステムから与えられた麻薬でしょうか。
 必ずしもそうではないでしょう。自己の<作品>に対して愛着をもつのは、
 古来からのものであり、それは対象的活動(それは自己対象化活動でもあ
 る)としての労働のもつ本質的な契機です。しかし、それがフェティシズ
 ム的な偏執になるのは、資本主義的モノ化のなせる自己疎外と言えるでし
 ょう。モノに対して偏愛をもつとは、<所有愛>という自己愛の変形と言
 える(例:ピグマリオン、“驚異の”サカキバラ、貨幣愛)。
>また、芸術活動とは、独り立ちするまではパトロンが必要な、資本が生み
>出したあだ花の美しい果実なのでしょうか。
 何故、芸術が自立できないか。それは、即物的な世界の“彼岸”に美的形
 象を立てるからではないか。物質(質料)の中にある無限の形象を捉える
 こと、つまり、現実の働きの中に理念的な光を見ること、が必要なのでは。
>このシステムは簡素な生き方をただの憧れに昇華させようとしている
 「昇華」というより、<見果てぬ夢>の再生産でしょうね。それは始めか
 ら逸らされ、商品に向かうように仕組まれている。
>すべての人が肉体の重さと精神の苦悩を克己して昇華しなければ、現実
>世界に出現するのはやはり難しいと思います。
 「かくめいとはそれぞれの人の回心がなければ、成就しないものです」
 (太宰治)…だったかな。まさに精神の転回が必要です。
124OFW:2001/04/12(木) 00:31
>>121(つづき)
>共同体を構成する構成員には現実の死の匂いが払底されている
 共同体は個を超えて生きるが、個は類の現存在なのです。
 個の中にある類を具体的普遍と言います。それは全体の中に埋没する個と
 は正反対のものであり、それは多くの個の相互反照として一つの生命です。
>明るいスローガンに打ち出された空虚さ
 それは現代の<自由・民主・平和>社会のこと?「影のない社会」とは
 健康な狂気そのものでしょう。
>何ものではないという絶望
 「絶望」という表現は特徴的ですね。<無>とは反面、自由です。
>人間は悩むように出来ている
 自然的な規定性を<質>と言いますが、「質は悩みである」(ヤコブ・
 ベーメ)と言われるように、人間は質的な実存の開示性として、悩まざる
 を得ない。しかしその忘却(逃避)として、<量>的なマス(世人)に
 頽落する。
 「意識は存在に憑かれている」(マルクス)と言われるように、人間は
 物質的な身体を持つが故に、モノに執着する(悩む)意識ですが、また
 身体によりこの世界に現存在し、対象的な活動を営む(働くことのできる)
 現実的な存在です。仕事により、教養を積み、人間は何ものかになる。
125考える名無しさん:2001/04/12(木) 00:59
欲望があるから人間は働くのであって、その原理に基づく資本主義
はとても理にかなっていると思います。OFWさんが考えるような理想
の社会は、人間に欲望がある限り構築するのは無理ではないかと思
います。
126>125:2001/04/12(木) 01:49
「共産主義社会を作りたいという欲望」もあるんじゃないの?
マルクスはまさにその欲望に付き動かされて『資本論』という
膨大な書物を書いたのでは?
あるいは資本主義を破壊したいという欲望とかさ。


127柄谷'NAM'行人:2001/04/12(木) 02:21
剰余価値がゼロになれば資本は消滅するのだ!
そのためには資本制商品を買わないことが必要なのだ!
だから不買運動をやるのだ!
(得意の断定口調)
128ヨシフ:2001/04/12(木) 20:32
仕事は自己実現なんじゃない?
勤勉の行き過ぎも馬鹿馬鹿しいけど、なにもしなかったり真摯に向かうものが無いのも、虚しい人生だろうよ。
129考える名無しさん:2001/04/13(金) 11:13
働けど働けど暮らし楽にならざるような社会であったら、
働かざれば死すのみであるので、イヤでも働かざるを得ないと思われ。
そうなれば、勤労「道徳」へったくれなど言っておられなくなるものと思われ。
130OFW:2001/04/14(土) 18:16
>>122
>何故「本来」などと言えるのか?いわゆる疎外論?
 「本来性」とは本質性であると同時に始源性ですから、「社会の本質」を
 認識するためには、歴史的社会の根源に関する、唯物論的かつ弁証法的
 な考察が必要です。本来あったのものに“成る”ことは「未来への帰還」
 (トニー・ネグリ)とも言えるかな。
>ずばり、貨幣とはなんですか?
 貨幣の第一の定義は「商品交換における一般的等価物」です。それは経済
 的価値の一つの現象形態であり、その正しい理解のためには価値に関する
 本質論的な考察が必要です。(マルクス『資本論』の最初の章)
 私も2chで貨幣に関して4、5回はカキコしており、下記を参照下さい。
 「すべて貨幣価値に換算できます。」
 http://mentai.2ch.net/philo/kako/958/958032643.html (79は私です)
 >>36にも挙げた
 「岩井克人の『貨幣論』は正しいのか」
>廃止は必然的なのに何故廃止されないのですか?
 商品経済社会では貨幣が必要物なのは生産手段が私有化されているため。
>みんなが貨幣とは何か理解していないから?
 世の経済学者も含めて、殆ど理解されていないですね。
>廃止したら物々交換ですか?
 再分配が主要な形態でしょうね。交換は私的所有を前提にしている。
>国家の廃止とは具体的にどのような状況になったらいうのですか?
 国家とは何か。それは古代から、階級対立のある社会には必然的に登場
 した。階級対立を廃止することが、国家の廃止そのものになります。
131OFW:2001/04/14(土) 18:18
>>125
>欲望があるから人間は働くのであって
 人間の欲望(Desire)は単に動物的なものではなく、社会的な変容
 を受けている。特に資本主義社会では、「モノに憑かれた欲望」として、
 それ自体が疎外されている。それはむしろ欲望の不断の駆り立てであり、
 資本の価値増殖欲の補完物でしかない。欲望があるから資本は働かない。
>>128
>仕事は自己実現なんじゃない?
 本来はそうですが、賃労働(労働力商品が行う仕事)は自己喪失です。
>>129
>そうなれば、勤労「道徳」へったくれなど言っておられなくなる
 勤労道徳を持ち出すのは、多くの場合、自分は働かずに他人を自分のため
 に働かせる者だと言うことです。それは一つのマインド・コントロールで
 す。労働は人間の必然であり、内的な欲求として、自然なものでしょう。
132考える名無しさん:2001/04/14(土) 21:16
労働は人間にとって自然なことかもしれないが、
しかし、労働のしすぎ不自然だと思います。
だから、マルクスは長時間労働が当たり前の資本主義に
替えて、自由時間の拡大を共産主義のメルクマールに据えた
のだと思います、『グルントリセ』などで。
労働は自然との物質代謝として、人類の生存には不可欠な要素ですが、
しかし、過剰な労働は自然を浪費し、自然の再生産を不可能にしてしまう。
資本主義とは自然(資源)の浪費をその特徴にしているが、それはある意味、
自然との物質代謝(つまり労働)を過剰に活用しているとも言えます。
つまり資本家は自然を加工する労働の力を過剰に信頼している、とも言えます。
だから、資本主義を批判することは逆に労働を活用しすぎるいわば「労働主義」への
批判をもふくまなければならないと思います。
その点むしろ共産主義とは人間が自然との物質代謝を行いすぎないよう自由時間を拡大し、
労働を制限するという側面をもつものだと思います。
そして、そのことは労働者の内なる自然(つまり身体)を保全することにもなる。


133訂正>132:2001/04/14(土) 21:21
「労働のしすぎ不自然」を
「労働のしすぎは不自然」に訂正
134考える名無しさん:2001/04/15(日) 04:55
>>131(OFWさん)
勤労道徳は資本家が労働者に強いる所謂「剰余労働」を正当化し、美化するイデオロギー
ということですね。


135中間:2001/04/15(日) 12:42
>>134

勤労道徳はイデオロギーというより暗黙の了解だろ。
そうしといたほうが何かといいという意味で。

いまは仕事しないほうがいい。
やればやるほど報われない。特に男は。
市場原理も、無理をしても報われるという前提がなければ、
誰も市場に参加すらしないはず。無理をしても報われないんじゃあ
やってらんないでしょう。昔だったら、一揆だな。こんな状況じゃ。
136考える名無しさん:2001/04/15(日) 12:50
>>130
「本来性」については本来はどうであるとか考える必要はないと
私は考えます(むしろ害があるとさえ思う)
「貨幣」についてはとてもややこしい問題だと思いますが
>その正しい理解のためには価値に関する本質論的な考察が必要です。
これはその通りだと思います
>商品経済社会では貨幣が必要物なのは生産手段が私有化されているため。
良く分かりません
>再分配が主要な形態でしょうね。交換は私的所有を前提にしている。
再分配は「誰」が「誰」にするのですか?
「本来的」な再分配ではないかもしれないですが国家は再分配システムなんじゃないでしょうか?
私的所有の反対概念は何ですか?
自分の身体の私的所有も良くないのでしょうか?
>階級対立を廃止することが、国家の廃止そのものになります。
階級対立の廃止はどうすればできるのでしょうか?


137考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:32
>>116(OFW氏)
>それは固定した指導部・官僚組識vs一般大衆の関係ではなく、
>行政事務は成員全員が交替制で当たるべきでしょう。

でも、政策の決定運営の担当を、交代制やくじ引きで選ぶやり方は、
その担当の選任を平等にすることであって、
政策の決定運営を平等にするこことは別だと思います。
そして、政策にとっては、
その担当の選任の平等より、政策の決定運営の平等の方が、
大事だと思います。
138考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:42
>>137の続き。
政策の決定運営について、
社会のそれぞれの立場が自分達の意見を政治に反映させようとして、
社会や、政策の決定運営する立場などに
社会的な圧力を掛けることで起きる、合法的な政治闘争を、
元にしてされることをなるべく防ぎ、
社会の個人にとっての福利を成員全員に平等かつ高めることを、
元にしてするには、
私は、その政治闘争と政策の決定運営とをるなるべく切り離し、
政策の決定運営で、成員個人と政策の運営決定の担当者との間に、
その政治闘争の代わりに、調査−調査に基づく意思決定の仕組みを置き、
そしてその政治闘争の結果ではなく、調査−調査に基づく意思決定で、
政策を支配すればいいと思います。

これは、人間に自然に備わっている社会秩序を発生させる働きを、
人工的に社会秩序を設計実施するやり方に、取り替えることだと思います。
でも、人間に自然に備わっている社会秩序を発生させる働きは、
人間が社会秩序を発生させる源泉になると思うので、
それを超えて、社会秩序を作ることは出来ないと思います。
この場合、政策の決定運営と、その担当者の選任とを分離し、
政策の決定運営に対し、調査−調査に基づく意思決定を利用し、
その担当者の選任に対し、議員やリーダーについては今まで通り、
その政治闘争(その自然な社会秩序を発生させるやり方)を、
選挙や投票の制度によって成員個人*多数の要求が反映されるように
コントロールして、利用すればいいと思います。
139考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:43
>>138の続き。
調査−調査に基づく意思決定とは、
調査:成員個人*成員全員、 に対する調査。
調査に基づく意思決定:その調査に基づき、成員個人にとっての福利を、
成員全員に平等かつ高めることを評価基準に、
理想的な社会を設計し、それによって実施したものを運営すること。
(でも全体の効用を高めることと、福利の平等とは矛盾しますし、
平等の基準と別の平等の基準との対立など、問題があると思います。
この政策のメタの意思決定については、最終的には、
その政治闘争で自然に決定されるしかないと思います。)
140考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:56
>>139の続き。
その調査の仕方ですが、
「コンピューターやそれによる通信の技術を利用することによって」、
その能力を飛躍的に上げられると思います。
調査での、一人一人の、質問する側と回答する側との遣り取りや、
成員全員の回答の、回収と加工やまとめを、
その技術で高速化、自動化するためには、
例えば、回答や質問を記述する為の専用のプログラム言語(例えば、
システムダイナミックスのシミュレーションなら、DYNAMOなど)を作り、
また、調査での、質問する側と答える側との関係に対応して、
その専用の言語を通じて、質問と回答とを遣り取りし、回答をまとめるための、
サーバーとクライアントの環境をインターネット上に構築し、
質問する側と回答する側は、その言語と環境を利用すればいいと思います。
調査の仕方に対する疑問、質問に対しては「ヘルプ」のデータベースを、
ネット上に構築し、それを主にして対応すればいいと思います。
141OFW:2001/04/16(月) 20:57
>>136
>良く分かりません
 ある生産物が商品として交換されるための条件は何でしょう?
 当然、それが生産者の所有物だからですね。
 生産物の所有権は何に基づくか?
 通常、生産手段の所有者が生産物の所有権を持つ、とされます。
 そして、他人の持ち物を取得するための方法としては、
 奪うか、タダで貰うか、等価物と交換するか、しかない。
 第3の場合、交換の量的な比率が問題になる。それが貨幣の機能です。
>再分配は「誰」が「誰」にするのですか?
 共有物については、<類的>我々が<個的>我々にする、と言える。
>国家は再分配システムなんじゃないでしょうか?
 階級社会の存続を計るために、福祉国家が一定の所有の移転を行うと
 いう点では、その通りです。
>私的所有の反対概念は何ですか?
 口頭試問のようですね…。<社会成員全員による共有>です。
 「所有とは生産手段に対する関係である」(マルクス)
>自分の身体の私的所有も良くないのでしょうか?
 他者に譲渡不可能なものは所有することはできません。身体が所有対象で
 ある場合、それは常に「他者の身体」(人身売買等)です。「体を売る」
 とは所有の移転ではなく、一定時間自己を他者の性的意思の下に置くこと。
>階級対立の廃止はどうすればできるのでしょうか?
 生産手段の私有を廃止して共有化すること、が第一でしょう。
142OFW:2001/04/16(月) 20:59
>>137-140
>政策にとっては、その担当の選任の平等より、政策の決定運営の平等の方
>が、大事
 政策内容が全成員により受け入れられることは、成員間の利害対立が少な
 くなれば成る程、容易になるでしょう。
>政治闘争の代わりに、調査−調査に基づく意思決定の仕組み
 政治闘争は集団的利害の対立から生まれる。公共的な意思の形成にとって、
 成員に対する啓蒙的で、開かれた理性的コミュニケーションが重要だとい
 うことでしょうね。
>政策の決定運営と、その担当者の選任とを分離し、
 広い意味で立法と行政の分離が固定化されると、官僚支配の温床になる。
>議員やリーダーについては今まで通り、…選挙や投票の制度によって成員
>個人*多数の要求が反映されるようにコントロールして、利用
 今までの「形式的民主主義」の欠陥は、職業政治家と一般大衆の固定的な
 分離により、殆どの成員が実質的には単なる受動的な「票数」でしかなか
 ったことにも現れている。如何に全員が意思決定プロセスに実質的な参加
 ができるか、がポイントでしょう。支配の交替制とは、人間の無差別性、
 <支配の無>に向けた現実的な方法でしょう。
>理想的な社会を設計し
 設計の前に、概念と構想が必要ですね。理想的な社会の具体的イメージは?
>平等の基準と別の平等の基準との対立
 平等とは「単に存在するだけで、実質的効力のない区別」でしょう。
>「コンピューターやそれによる通信の技術を利用することによって」、
 そうですね。現在のITレベルでも、社会活動の各方面において、分散
 的意思−統合的決定とそのフィードバックあるいは時間変動に対する機動
 的な活動調整、等を実現する可能性はかなり高いと思う。
 ただ、忘れてならないことは、精神的なコミュニケーション能力こそが
 決定的なものだということです。
143考える名無しさん:2001/04/16(月) 21:03
こんな板消えてしまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
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144考える名無しさん:2001/04/16(月) 21:06
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(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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9 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/04/16(月) 19:43
精神科逝け。
145考える名無しさん:2001/04/19(木) 00:15
>>136
<類的>我々とは誰ですか?
貨幣を廃止した場合の再分配とは何を再分配するのですか?
生産手段の共有化とは具体的には?
146OFW:2001/04/19(木) 21:47
>>145
><類的>我々とは誰ですか?
 すべての個人は類的な存在ですから、分かち難い統一の下にある訳です。
 それが社会という現実的な関係性の実質的な内容です。
>貨幣を廃止した場合の再分配とは何を再分配するのですか?
 1貨幣なしに、社会的な労働力の各生産部門への配分をどのように行うの
  か?
 2貨幣なしに、生産物の分配をどのように行うのか?
 これらの課題が具体的に解決されて、初めて社会主義も現実的になる。
 現在、生産物は商品として市場における交換によって、社会成員間に分配
 されていますが、一般的等価物としての貨幣(人間の類的な労働の疎外形
 態)がそれを可能にしているわけです。それを廃止するとは、生産物が直
 接生産者の私有ではなく、社会全体の共有であるという原理を立てること。
 そして、個々の生産とその成果の取得との間の比例関係(等価交換、価値
 法則)を廃止することです。
>生産手段の共有化とは具体的には?
 生産手段は、
  1労働対象としての土地、原材料等
  2労働手段としての施設、機械等の設備、道具、燃料等
 に大別されます。現在の私有制では、自営業における小生産者を除き、
 企業主や国家官僚という、働くことのない所有者(階級的代理人を含む)
 の気まぐれな意思がそれらの使用法を決定し、直接生産者である労働者に
 指令して生産活動を運営しているわけですが、それらの実際の使用を直接
 生産者の共同意思の下に置くことが、共有の現実的な意義です。
147遅れてきた青年:2001/04/20(金) 01:00
最近、本気で「生きがい」というものの喪失に苦悩しています。
学生だった頃は、「生きがいの喪失」なんて恥ずかしい青春談義だと
逆に高笑いだったのですが、実際、社会に出て働いてみると、
自己喪失感というものを日を追うごとに強くしています。
それはおそらく「労働力を売る」という行為に伴う何かなのでしょう。
つまり、自分の内的能力たる労働力を外的な貨幣尺度(例えば月給いくらという具合に)
で測定されることに伴う何かが原因なのでしょう。
それは内面を疎外し外化することは同時に内面性の喪失として
現れるという疎外論的な事態だと私には思われます。
自分の内面(ポテンシャル)が外的な価値尺度つまり貨幣の一定額と等置されるという
ことは、内面性の喪失と同値なので、これはなんとも苦痛です。
故に、労働力(内面性)の商品化(外化、貨幣化)は苦痛以外のなにものでもない。
少なくとも、内面性の喪失(労働力の商品化)が私にとっては自己喪失であり、それ故
生きがいの喪失として現れるからです。
この苦痛はもはや「消費による自己快復」という消費社会論的な対処法では
処理しきれない位、自分のなかでは増大しています。
故に、こうなった以上、もはや労働力の商品化の廃棄という
方向性でしか自分の自己喪失感を打破できないのでは、と思っています。
故に、私は労働力の商品化の破棄を説くマルクス理論に共感を覚えますね。


148考える名無しさん:2001/04/20(金) 01:43
〜 マズローの欲求五段階説 〜

マズローはこの欲求五段階説で、
人間の欲求は5段階のピラミッドのようになっていて、欲求は底辺から始まり、
1段階目の欲求が満たされると、1つ上の欲求を目指すというのです。
その内容は、1)生理的欲求2)安全の欲求3)親和の欲求4)自我の欲求5)自己実現の欲求です。
1・2は人間が生きる上での根源的な欲求、食欲や性欲及び俗にいう物欲・金銭欲です。
3の親和の欲求とは他人と関りたい、他者と同じようにしたい、集団に帰属したいという欲求で、
4の自我の欲求とは自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求のこと。
そして5の自己実現の欲求とは、自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を追求する欲求なのです。

149RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/20(金) 01:47
おいおい多分ネタだとおもうけどよ
思い上がるのもいいかげんにしろよ。
貨幣や言語のような社会的単位に還元されないもんに
価値なんてねーんだよこの負け犬め。
何が内面性の喪失だボケおおかた仕事にいきづまったんだろ?
面白みのない仕事をやてるのも、それを選択したのも
全てお前の「内面」からの必然的結果だろ?いまさら外的事情を対象化するなよヒヨワ。
150考える名無しさん:2001/04/20(金) 02:10
放置。
151考える名無しさん:2001/04/20(金) 02:24
>>149
つーか、そもそも貨幣や言語といった社会的単位に
「内面」を還元しつくすことは不可能ということ
では?
例えばカントが可視的な外的現象に還元しつくせない
「物自体」を見いだしたが、「内面」とはまさにその「物自体」
と同じ存在様式をしていると・・・
152RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/20(金) 02:28
そんなにデリケートな話かよ。
つーか要するに「内面でメシがくえるか!!」

このひとことに尽きるわ。
153名無しである:2001/04/20(金) 19:32
このすれ玉石混交だけど、だからこそ面白い。あげ
154OFW:2001/04/21(土) 06:30
ようやく接続できた。
>>148
>〜 マズローの欲求五段階説 〜
 企業の管理職研修で必ず出てくるのが、これと「ジョハリの窓」ですね。
 (自衛隊演習への特別参加はもう無くなってきたようだが。)
 マズローはさすがに「自己実現も結局の所、企業業績=貨幣に還元される」
 とは言わなかっただろう。
>>149(Rage Against The Philosophyさん)
>面白みのない仕事をやてるのも、それを選択したのも全てお前の「内面」
>からの必然的結果だろ?
 「職業選択の自由」とは、多くの者にとって賃労働者になる自由以外の
 ものではない。それは資本主義社会の必然的結果であり、内面は関係無い。
>>152 (Rage Against The Philosophyさん)
>「内面でメシがくえるか!!」
 その通り!その唯物論を徹底しよう!
 くれぐれも
 「この豊かな社会で、メシが食えなくなるのは何故か?」(失業者)
 という問いに
 「おまえの能力がなかったからだ」
 などと、内面的な道徳話にすり変えないように。
155名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 06:55
>>149
逆だろ?
内面を社会に還元するために、社会が生まれ、言語が生まれ、貨幣が生まれたんだろ?
頭悪すぎ。
156名無しさん@1周年:2001/04/21(土) 07:33
>>149
155です。ごめん半分しか読んでいなかった。
馬鹿でごめん。
157RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/22(日) 03:42
ハァ?ふざけんな俺のレス嫁よバカヤロウそもそも「内面」なんてさもデリケートで
ナイーヴなイデオロギーこそが社会から生成してきたものではないか、てことを俺はいいたいわけ。


などというツッコミを入れようと思ったがやめとく。
反省しているしね。
158考える名無しさん:2001/04/22(日) 04:09
つ〜か、RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY
ってなんでこう勘違いのドキュンなの??
死ね。
159考える名無しさん:2001/04/22(日) 18:42
>>146
>すべての個人は類的な存在ですから、分かち難い統一の下にある訳です。
>生産物が直接生産者の私有ではなく、社会全体の共有であるという原理を立てること。
これはつまり通俗にいえば「人類皆兄弟、生産物もみんなのもの」ということですか?
そして、生産手段も
>それらの実際の使用を直接生産者の共同意思の下に置くことが、共有の現実的な意義です。
となる。この場合、誰がどの生産物を得るのか、誰がどの労働をするのか
どのようにきめるのでしょう?「共同意志」?
160名無しさん:2001/04/22(日) 20:15
相変わらず不明瞭なやりとりが続いている。

問題は
勤労道徳いらない。か、勤労道徳はいる。かだ。

争点を明確にして論争せよ。
161考える名無しさん:2001/04/22(日) 21:33
笑点でも見て昇天してろ(わら
162OFW:2001/04/22(日) 21:52
>>159
>「人類皆兄弟、生産物もみんなのもの」ということですか?
 通俗的に言えば、その通り。さて、人類を一つの家族とみる思想は通俗
 的にも結構多いでしょうが、殆どは「国家」(国という家)になってしま
 う。国家とは幻想の共同体であり、イデオロギーです。それは観念的な
 倒錯ですが、何故そうなるのか。<兄弟>というのはあくまで喩えであり、
 成る程、生物学的にはヒトは確かに共通の祖先から派生したのでしょうが、
 それを社会的な存在にそのまま敷衍することはできない。つまり、<類>
 とは普遍であり、国家は<種>であり、特殊ですから、国家を普遍的人類
 の上位には置くのは論理的にもカテゴリーエラーだということです。
 ウィトゲンシュタイン流に言えば「家族的類似」が存在するのであって、
 実体的家族が存在するのではない、ということです。実体的なものは労働
 による生産共同体でしょう。
>この場合、誰がどの生産物を得るのか、誰がどの労働をするのか どのよ
>うにきめるのでしょう?
 1まず、誰が社会の生産活動を運営するのか、が先ですね。
 それは労働現場で直接生産・サービス活動に携わっている労働者自身の組
 識でしょう。そして、技術的な点から言えば、生産と分配の調整を計画的に
 行うことは、現在の生産力水準と情報技術レベルでも、十分可能だと言う
 ことは、確かでしょう。
 生産は<社会的需要>の予測に基づく生産計画の立案から始まる。それは
 現在でも、電気、水道、ガス等の基礎的インフラについて、企業が行って
 いることです。各種生活財(最終消費財)の需要予測は、現在は無政府的
 な市場に委ねられているが、生産者と消費者とのコミュニケーション化
 (受注生産化)により、大幅に計画化できるでしょう。そして生産財につ
 いては、最終消費財の生産量を元にした産業連関分析(投入算出量分析)
 を適用できる。これらの計画は、各生産部門にどれだけの資源を投下すれ
 ば良いか、そして社会の総労働力の必要な配分を決めるでしょう。
163OFW:2001/04/22(日) 21:53
>>159 (つづき)
 2労働力の配分を如何に行うか
 それは、労働者自身が決める。その場合利己的個人の「職業選択の自由」
 という立場からみると、上記の<必要労働>の概念は「必要に応じて働く
 こと」であり、一見「勤労道徳」の押し付けに見えるでしょう。しかし、
 社会的連帯、類(私達は同じ社会の一員である)の立場から見れば、諸個
 人の自己欲求だということです。それは理念的な<具体的普遍>の立場で
 あり、たとえば「高齢化社会では介護労働が必要」なら、「介護労働をし
 たい」という欲求は社会的なものですね。今は「3K職場はいやだ」かな?

>>160
>問題は 勤労道徳いらない。か、勤労道徳はいる。かだ。
 その通り。しかし○×式の設問は哲学には馴染まない。その根拠、真理は
 何かという点にまで遡及し、問題を敷衍的に論じることも必要です。
 全否定でも全肯定でもない、<止揚>が重要だということ。
164考える名無しさん:2001/04/22(日) 21:56
分からないと言う能力が無い人なんですね
カワイソウ
165考える名無しさん:2001/04/22(日) 23:41
>>162
>技術的な点から言えば、生産と分配の調整を計画的に行うことは、
>現在の生産力水準と情報技術レベルでも、十分可能だと言うことは、確かでしょう。
これはその通りでしょう、しかし
>生産は<社会的需要>の予測に基づく生産計画の立案から始まる。それは
>現在でも、電気、水道、ガス等の基礎的インフラについて、企業が行って
>いることです。各種生活財(最終消費財)の需要予測は、現在は無政府的
>な市場に委ねられているが、生産者と消費者とのコミュニケーション化
>(受注生産化)により、大幅に計画化できるでしょう。
これは貨幣を廃止した場合、自分にどれだけ必要か歯止めが効かない
(例えば電気代を気にして節約するということがない)
それとも「人類皆兄弟」だからみんなちゃんと自省するということ?
生産計画に従って我慢すると
>>163
レトリックにしか思えません
>社会的連帯、類(私達は同じ社会の一員である)の立場
に立たない人はどうなるのでしょう?
166OFW:2001/04/23(月) 21:42
>>165
>これは貨幣を廃止した場合、自分にどれだけ必要か歯止めが効かない
 貨幣こそ自己の限度を知らないものですから、逆でしょうね。
 上に書いたように、一定の社会的な生活水準を維持するために、電気が一
 人当たり一日どれだけ必要かということは、現在でも分かっている。
 それは一方で生産力の水準、他方で社会の生産関係に対する関数ですね。
>生産計画に従って我慢すると
 どうも利己主義的な個人の欲求(実は貨幣欲の変装)に捕われているよう
 だが、貧しい時代には「足るを知る」ことが当然とされたことを考えてみ
 れば、欲望とは社会の関数であることが分かるでしょう。何が「我慢する」
 ことになるのか、事柄を具体的に考えてみたら?
>>社会的連帯、類(私達は同じ社会の一員である)の立場
>に立たない人はどうなるのでしょう?
 具体的にどのような人でしょう?<類>とは自然的・必然的なものであり、
 個人の恣意には依らない。
167考える名無しさん:2001/04/23(月) 21:44
OFWうざい
お前もうざい。
169ムトーちゃん:2001/04/23(月) 22:40
おまえらみんなうざい(笑)
おいおいネズミ最近邦楽板で無視されまくりだなヴァーカ。

現実同様、ネットでもひとりぼっちか?
ま、が ん ば れ よ

あ、お前にレスするのこれで最後ね。
俺の有益な時間をわざわざゴミ掃除に使いたくないからさ。
172ムトーちゃん:2001/04/23(月) 22:49
そんなカッカすんなって(笑)
173RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 23:13
>俺の有益な時間をわざわざゴミ掃除に使いたくない
構ってもらえなかった構って君が言う典型的な捨て台詞だな。
174考える名無しさん:2001/04/23(月) 23:13
>>166
>一定の社会的な生活水準を維持するために、電気が一人当たり一日どれだけ必要かということは、現在でも分かっている。
それはそうでしょうが
>それは一方で生産力の水準、他方で社会の生産関係に対する関数ですね。
これは「必要」というより、一人にどれだけまわせるかということでは?
私は勿論
>利己主義的な個人の欲求(実は貨幣欲の変装)に捕われて
います、ほとんどの人がそうではないでしょうか?
>何が「我慢する」ことになるのか、事柄を具体的に考えてみたら?
たとえばとても焼肉が食べたいがお金が無いので断念するのは
「我慢」ではないですか?貧しい時代でも金持ちはいわゆる贅沢をしてたんじゃないですか?
><類>とは自然的・必然的なものであり、個人の恣意には依らない。
つまりどう思っていようが、<類>であると。そういわれてはなにも言うことはありません
175RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY:2001/04/23(月) 23:17
馬鹿丸出しだな。
新しい見世物か?このスレは。
176RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY :2001/04/24(火) 00:33
しかしよくこんだけレスついたな〜
177考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:25
労働とは何か
他人の目的のために働いてその代償(労働力)として給料をもらう
労働とは他人の目的のために、時間と労働力を売るってことです
うい
178考える名無しさん:2001/04/25(水) 00:01
OFWさんって、どんな仕事してるの?
1791:2001/04/25(水) 01:47
モロさんに会って大人になりました。
仕事楽しいです。
ありがとうございました。
1801:2001/04/25(水) 01:49
>モロさん
ムロさんでした。
ごめんね。
181考える名無しさん:2001/05/02(水) 18:54
OFWマンセー
182考える名無しさん:2001/05/09(水) 02:27
183考える名無しさん:2001/05/27(日) 23:11
age
184考える名無しさん:2001/06/15(金) 11:42
あげ
185国家:2001/06/15(金) 14:05
オラオラ税金払えよ!
働け!
死なないように働け!死んじゃったら税金払ってもらえないもの(ワラ
186考える名無しさん:2001/06/21(木) 11:23
age
187考える名無しさん:2001/07/06(金) 00:57
明日も仕事
188労働のための自由詩:2001/07/06(金) 16:45
労働とは何だろう?

自分が働いている情景を、世界と重ねて見てみれば、

社会が人間の力によって動いているというビジョンが湧いてくる。

ああ、その力強さよ!

そして働くことが喜びであるという感情を持つ。

社会は確かに人間一人一人の力によって動き、そして僕もそこに、確かに属している。

労働って何だろう?

労働を喜びの許に受け入れるとき、

自分が人類の一員であることを実感し、胸が熱くなる。

様々ある労働の中で、この喜びだけが普遍的なものだろう。

僕たちは働くことによって人類とつながり、

根本にある孤独を癒すことができる。

農民は自然と戯れ、
漁師は波や魚と格闘し、
事務職員は会社を動かす力になり、
スポーツ選手は技を磨き、
教育家は子供たちに教え、
政治家は国の舵を取り、
学者は世界の秘密に対峙し、
芸術家は創造する。

しかし、ああそれが、

それがただ自己満足のためになされるなら、

いったいどこに喜びを見いだすことができようか?

全ての労働の内に喜びを。

人間としての、そして人類の一員としての喜びを。
189労働のための自由詩 No.2
ただ働くだけなら、私たちは干からびる。

だから大いに歌い、大いに愛せよ。

創造的な人間の仕事、つまり芸術に関わるとき、どんな人間も生気を取り戻す。

しかし、芸術は、ただ歌うだけ、描くだけ、形成するだけのものにはあらず。

労働のなかに、そして生きることのなかに、

隠された芸術が潜んでいる。

空から見下ろせば、人類の大いなる活動の壮大さが見られるだろう。

自然の歌声の中に調和する、人類の活動が。